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[1708] 憲法改正について(アメリカとドイツの憲法との比較)
日時: 2013/03/08 18:20:28
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:1362734428

<憲法改正>96条論議が活発化 参院選後にらみ各党思惑
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130307-00000108-mai-pol

安倍晋三首相が掲げる憲法96条改正による改憲発議要件の緩和に向け、与野党の動きが活発化している。首相が会長を務める超党派の議員連盟「創生『日本』」が96条改正を視野に活動を再開し、民主、日本維新の会、みんなの3党有志も7日、勉強会の設立を決めた。改憲発議に必要な衆参両院の3分の2以上を確保する土台作りのほか、賛否両派が混在する民主党を分断する狙いもちらつく。参院選後の枠組みもにらみ、各党の思惑が入り乱れている。

(引用終わり)

馬鹿、クソ、邪宗信者、愚劣首相、安倍が憲法96条の改正を言い出した。
9条改正が目的であろうが、此処は今一度、我が国の憲法と言うものを俯瞰していただきたい。

日本国憲法全文は、次のサイトを見てください。
ttp://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html

これに対して、次に、アメリカ合衆国憲法とドイツ共和国憲法を紹介しますので、日本国憲法との違い、善し悪しを判断してください。

憲法改正論者には、アメリカが作ったから改正が必要と言うものがいますが、何処の誰が作ろうと立派なものは立派なものです。
悪く改正する必要ないと思います。

9条の文言については、慎重に検証することも必要でしょうが、アメリカが作った、云々は関係ありません。
我が国、国民としての判断が必要でしょう。


メンテ

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Re: 憲法改正について(アメリカとドイツの憲法との比較) ( No.52 )
日時: 2019/08/19 15:08
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:dB1C6d52

戦後の憲法制定については色々と言う人がいます。
改めて日本国憲法制定の過程を見てみましょう。

GHQは戦後の日本の復興作業を従来の日本の行政組織に負わせる方針でやっていました。
勿論、大きな方向性については注文をつけています。
こうして占領軍による戦後復興としては、日本は理想的な形で合ったと言われています。


日本国憲法制定までの道のり

1】ポツダム宣言の受諾〜敗戦

(昭和20年8月14日~15日)

日本国憲法の制定に至るまでの過程の第一歩は、ポツダム宣言の受諾から始まります。

ポツダム宣言は旧日本軍の無条件降伏を内容とするものになりますが、日本が敗戦を認めポツダム宣言を受け入れた以上、そのポツダム宣言に定められている条項を誠実に履行する国際法的な義務が当時の日本政府(大日本帝国政府)に課せられたと解することができます。

この点、ポツダム宣言の条項では「民主主義」はもちろん、「言論の自由」「宗教の自由」「思想(良心)の自由」「基本的人権の尊重の確立」その他「国民主権主義」であったり「平和主義」などを実現することが明確に要求されていましたので(ポツダム宣言10項および12項)、戦後の日本では、このポツダム宣言で定められた条項に沿って新たな国づくりを行うことが国際的義務として課せられたということになります。

>【ポツダム宣言】

第10項 (中略)日本国政府は、日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障碍を除去すべし 言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし

第12項 前記諸目的目的が達成せられ且つ日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且つ責任ある政府が樹立せらるるにおいては連合国の占領軍は直ちに日本国より撤収せらるべし

2】松本委員会の発足
(昭和20年10月11日、同月25日)
新しく首相に就任した幣原首相は10月11日、GHQの総司令部を訪問します。
その際、幣原首相はGHQの総司令官であるマッカーサーから「明治憲法を自由主義化する必要がある旨の示唆」を受けたため、10月25日に国務大臣の松本丞治を長とする憲法問題調査委員会(松本委員会)を発足させて憲法改正作業を開始させることにしました。

なお、この時のマッカーサーは幣原首相に対して「明治憲法を自由主義化する必要がある旨の示唆」を行うために以下の5つの指針(いわゆる「マッカーサーの五大改革要求(憲法制定の経過に関する小委員会報告書の概要(衆憲資第2号)|衆議院14頁参照)」)を提示し国政変革の必要性を説いたと言われています。

【マッカーサーの五大改革要求】
•「婦人参政権の解放」
•「労働組合の促進」
•「自由主義的教育の実現」
•「検察・警察制度の改革」
•「経済機構の民主主義化」

3】松本委員会が松本四原則に基づく松本案(憲法改正要綱)の起草に着手する
(昭和20年12月~昭和21年1月)

松本委員会ではすぐに改正憲法の草案作りを開始します。

【いわゆる「松本四原則」】
1.天皇が統治権を総攬せられるという大原則には変更を加えない。
2.議会の議決を擁する事項を拡充し、天皇の大権事項を削減する。
3.国務大臣の責任を国務の全般にわたるものタラ占めるとともに、国務大臣は議会に対して責任を負うものとする。
4.国民の権利・自由の保障を強化するとともに、その侵害に対する救済方法を完全なものとする。
(昭和21年2月1日)

※ 先ほど述べたように、松本委員会では「松本四原則」に基づいた憲法草案が議論されていたわけですが、その松本委員会が起草した「憲法草案(松本案)」が2月1日付けの毎日新聞のスクープによりすっぱ抜かれます。

4】「松本案」に驚いた総司令部(GHQ)が独自の憲法草案の起草に着手する
(昭和21年2月3日)

松本委員会が起草した「松本案」では明治憲法(大日本帝国憲法)で規定されていた「天皇主権」がそのまま温存されていたわけですが、その毎日新聞のスクープ記事を見たマッカーサー以下のGHQ(総司令部)は困惑し驚きます。

連合国の一部では天皇制廃止論が根強く残っていましたので、「松本案」がそのまま公になってしまうと「ポツダム宣言を受け入れたにもかかわらず日本政府は国民主権主義を採用せずに天皇主権を維持しようとしている」と認識され、天皇制廃止論を主張する連合国の一部の勢力に格好の攻撃材料を与えることになり天皇制廃止論が顕在化する危険性が生じます。
しかし、マッカーサーは日本における占領政策に天皇制は必要不可欠と考えていましたから、「松本案」のような保守的な憲法改正草案が連合国が後に組織する極東委員会で問題にされ、極東委員会で天皇制廃止論の議論に拍車が掛けられてしまう事態だけはどうしても避ける必要がありました。
そのため、マッカーサー以下の総司令部(GHQ)は、このまま日本政府に憲法草案の起草を任せれば戦後の占領政策に大きな支障が出ると考えるに至り、独自の憲法草案を作成することを決意してその起草に着手することになったのです(※参考→日本国憲法の制定にGHQやマッカーサーが関与したのはなぜなのか)。

5】日本政府が「松本案」を基にする「憲法改正要綱」を総司令部に提出するが拒否される

6】「GHQ草案(総司令部案)」が日本政府に提示される
(昭和21年2月13日)

その三つの原則がいわゆる「マッカーサー三原則(マッカーサーノート)」と呼ばれるものになります。
【GHQ草案(総司令部案)の主な内容】

1.国民主権と天皇について
主権をはっきり国民に置く。天皇は「象徴」として、その役割は社交的な君主とする。
2.戦争放棄について
マッカーサー三原則における「自己の安全を保持するための手段としての戦争」をも放棄する旨の規定が削除された(※GHQ民生局がマッカーサーの指示に従わず「自衛戦争を放棄」する部分を削除した理由については→憲法9条の「自衛戦争の放棄」がアメリカの押し付けではない理由)。
3.国民の権利及び義務について
(1)現行憲法の基本的人権がほぼ網羅されていた。
(2)社会権について詳細な規定を設ける考えもあったが、一般的な規定が置かれた。
4.国会について
(1)貴族院は廃止し、一院制とする。
(2)憲法解釈上の問題に関しては最高裁判所に絶対的な審査権を与える。
5.内閣について
内閣総理大臣は国務大臣の任免権が与えられるが、内閣は全体として議会に責任を負い、不信任がなされた時は、総辞職するか、議会を解散する。
6.裁判所について
(1)議会に三分の二の議決で憲法上の問題の判決を再審査する権限を認める。
(2)執行府からの独立を保持するため、最高裁判所に完全な規則制定権を与える。
7.財政について
(1)歳出は収納しうる歳入を超過してはならない。
(2)予測しない臨時支出をまかなう予備金を認める。
(3)宗教的活動、公の支配に属さない教育及び慈善事業に対する補助金を禁止する。
8.地方自治について
首長、地方議員の直接選挙制は認めるが、日本は小さすぎるので、州権というようなものはどんな形のものも認められないとされた。
9.憲法改正手続きについて
反動勢力による改悪を阻止するため、10年間改正を認めないとすることが検討されたが、できる限り日本人は自己の政治制度を発展させる権利を与えられるべきものとされ、そのような規定は見送られた。

7】日本政府が総司令部案に基づく「憲法草案(三月二日案)」を作成し総司令部に再提出する
(昭和21年3月4日)

(GHQ)から提示された「GHQ草案(総司令部案)」を受け取った日本政府はいったんは総司令部に対して再考を求めますが、総司令部から一蹴されたため、やむなく「GHQ草案(総司令部案)」に基づいた憲法草案を再度検討することになります。
そうして起草されたのがいわゆる「三月二日案」と呼ばれる憲法草案になります。

【「三月二日案」と「GHQ草案(総司令部案)」の主な相違点】
1.前文
「総司令部案」では「前文」が記載されていましたが「三月二日案」ではそのすべてが削除されました。
2.天皇
「総司令部案」で天皇に関する部分は「sovereign will of the people(人民の主権的意思)」とされていましたが、「三月二日案」では「日本国民至高の総意」と修正されました。
これは当時の日本政府としては「天皇主権」の国体護持が主命題としてあったため、「国民主権」を明確に規定する「総司令部案」は望ましくないと考えられたためと思われます。
3.戦争の廃止
戦争の廃止に関する条文は「三月二日案」と「総司令部案」で特段の違いはないようです。なお、参考として双方の草案を挙げておきましょう。
≪総司令部案≫
国民の一主権としての戦争はこれを廃止す他の国民との紛争解決の手段としての武力の威嚇又は使用は永久に之を廃棄す
陸軍、海軍、空軍又はその他の戦力は決して許諾せらるること無かるべく又交戦状態の権利は決して国家に授与せらるること無かるべし
≪三月二日案≫
戦争を国権の発動と認め武力の威嚇又は行使を他国との間の争議の解決の具とすることは永久に之を廃止す。
陸海空軍その他の戦力の保持及国の交戦権は之を認めず。


8】日本政府と総司令部の合意に基づく「憲法改正草案要綱」が国民に公表される
(昭和21年3月6日)
日本政府と総司令部(GHQ)の徹夜での折衝が行われた後の3月6日、日本政府と総司令部の双方が合意した「憲法改正草案要綱」が国民に向けて公表されます。
なお、この「憲法改正草案要綱」では、「総司令部案」で記載されていた前文がほぼそのままの形で完全に復活したほか、国民の権利義務や、国会、内閣、司法、会計等の項目でいくつかの修正がなされていますが、戦争放棄に関する項目については日本側が提示した「三月二日案」のものに対して総司令部から別段の異議は出なかったようです。

9】「憲法改正草案要綱」から更に修正を加えた「憲法改正草案(内閣草案)」が国民に公表される
(昭和21年4月17日)
日本政府と総司令部(GHQ)が合意した「憲法改正草案要綱」は3月6日に国民に向けて公表されていましたが、それは未だ「要綱」にすぎず成文化されていませんでしたので、その後も引き続いて成文化の作業と細部の修正が日本政府と総司令部(GHQ)の間で継続されていました。
そうして、ひらがな口語体の条文で作成された「憲法改正草案(内閣草案)」が完成し、衆院選の総選挙の投票が行われた1週間後の4月17日に国民に向けて公表されることになります。

※ 当時の国民は憲法草案をどう評価していたか?

1946年(昭和21年)の4月17日に国民に公表された憲法改正草案(内閣草案)について当時の国民がどのような評価を持っていたかは、当時毎日新聞が行った世論調査(新聞掲載は同年5月27日)が参考になります。

2000人から回答を聴取した当時の世論調査では、現行憲法の「象徴でしかない」天皇制については「支持する:1702人(85%)」「支持しない:263人(13%)」「不明:35人(1.7%)」、憲法9条の戦争放棄条項の必要性については「必要がある:1395人(70%)」「必要ない:568人(28%)(※自衛権まで放棄する必要がない:101人、前文のみで足りる:13人)」、憲法9条に修正を加えるべきかについては「修正の必要なし:1117人(56%)」「自衛権を保留するよう修正すべき:278人(14%)」という回答が得られたようです(※憲法制定の経過に関する小委員会報告書の概要(衆憲資第2号)|衆議院46〜47頁参照)。

ですから、この世論調査を見る限り、現行憲法の天皇制については当時の国民の7割以上が、自衛戦争をも放棄する現行憲法の9条については当時の国民の5割~6割近い人たちが賛成し歓迎していたということが推測できます。
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