ホームに戻る > スレッド一覧 > 記事閲覧
[1711] 経済の話し
日時: 2013/03/12 23:22:25
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:1363098145

最近、阿修羅掲示板に良く投稿される「あっしら」のサイトへ行ってみました。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/index-as.htm

HNは「あっしら」と名乗られているが経歴は解りませんが、資本主義経済のシステムが持っている色々な矛盾を説く解す能力豊かな、経済に強い確かな方と見受けしました。
その一部を転載します。



「供給=需要」の向こう側 <想像力から創造力へ> S子
         
「利潤なき経済社会」を興味深く、また、意義深く読ませていただ
いております。資本主義経済において、結局、私たちが見誤ったも
のは、マネーにおける「目的」と「手段」をはき違えたことにある
のは間違いないだろう。経済活動における潤滑油とはマネーであり
、そのマネーが滞ることなく流通し、循環してこそ経済の活性化を
見ることができ、個々人としての生きる活動も活発化してくる。

それはまるで私たちのからだを流れる血液のようなもので、血液が
さらさらの状態であれば私たちは健康で日々を無事に過ごすことが
できる。が、血液がどろどろ状態になり、この流れが悪くなり脳で
詰まれば脳梗塞が起き、その部分の脳組織が壊死してしまい、私た
ちは失語症になったり、半身不随になったりする。

資本主義も当初はマネーがモノを交換するための「手段」として流
通していたが、資本主義が成熟してゆくにつれて、いつの間にか「目
的」と化した。マネーの目的化はつまるところ全てを目的化させてし
まい、私たちにあらゆるものの「本質」を見る目を喪失させた。
これは事実である。

そして、それが「供給=需要」という経済活動を必然的に生じさせ
、モノに溢れた社会が誕生した。「供給=需要」という経済活動は
よくよく考えてみれば、「与えられた人生」を送ることになり、
そこには自主性や主体性はなくても私たちは「与えられたモノ」を
購入し、そこそこ無難な人生を送ることができる。

私たちが無難だと錯覚し、安心してしまうのは、周囲が皆「与えら
れたモノ」である「同じモノ」を持っているからである。つまり私
たちは「与えられた、同じモノ」を持つことによって人生の安定や
幸福の尺度をはかっていた可能性がある。「供給=需要」という経
済活動では、人間の欲求すらも本質から遠ざけてしまうということ
である。

本当に自分が欲しいモノだったのか、他人が持っているから欲しい
のか、テレビコマーシャルで見たから欲しくなったのか、売り込み
にきたから購入したのか、ないと困るほどではないがあって困るほ
どでもないので購入したのか等、心から欲しているものではなく、
供給されたから需要したという構図が自然と生まれる。それを自分
の欲求があったから買ったと、私たちは錯覚しているにすぎない。

こうして私たちは「与えられた人生」を無難に安定して生きること
で、「危機感」を抱くことなく日々を過ごし、人生を終える。人間の
三大欲求であり生きる基本の「食・性・寝」も既にこの「供給=需
要」という経済活動に組み込まれ、マネーの目的化とともに人間と
しての本能を私たちは喪失しかけている。現代人はこの自覚すらも
ないという悲しい状況におかれているのである。

しかし、マネーの目的化による「供給=需要」という経済活動では
経済成長が持続できないどころか、経済の空洞化を生み失業者を増
加させ、個人としての生きる活動が阻害されてしまう。そのことに
気づいたのが、今回の欧州連合憲法批准拒否の仏国民である。拡大
EUの存続に待ったをかけた格好となったが、「危機感」を抱いた彼
らの人間的本能はまだ廃れていないどころか、十分に健在である。


(中略)

ひるがえって日本を見れば、「供給=需要」人生が非常に行き届い
ており、大人も子供も主体性をなくし、自信喪失し、想像力にも欠
け生きる気力も無い状態に置かれている。だから米国の言いなりに
しか生きることができないのである。「供給=需要」という「与え
られた人生」を送ることは確かに楽ではある。が、そこには「自分
」というものがない。この人生を生きる「自分」がないのである。

だから真の喜びや真の悲しみを味わうことはまずないだろうし、
そこそこ無難で安定した人生を送ることで「危機感」を覚えること
もまずないだろう。実はそれこそが問題なのである。「危機感」を抱
くこともなければ、正直な話がまともに「自分」とは向き合えない。
「自分」という人間のこともわからずして終える自分の人生って一
体何??ということになる。

マネーが目的化されることで「供給=需要」という経済活動が必然
的に生じ、「与えられた人生」を送ることで私たちは主体性を失い
、自信を失い、生きる源泉ともいえる想像力までも失った。また、
そういう場所さえも失った。想像力を失えばこの世で実現する創造
物さえもなくなるのである。つまり来るべき未来が描けない。

「利潤なき経済社会」ではマネーを手段に転落させることで、資本主
義の論理が大きく揺らぐだけではなく、世界の構造が大きく転換し
てしまう。これまで築き上げてきたもろもろが崩壊に直面している
と言っても過言ではない。それは日本が明治維新以降追求してきた
西洋文明であるかもしれないし、合理化の名のもとに推進されてき
た科学万能主義であるかもしれないし、それを基点とした物質文明
であるかもしれない。

「供給=需要」人生で「危機感」を抱くこともなくなった私たちが
、価値観の転換をはかることは容易にできそうもないのは明白だ。
しかし、マネーの目的化による「供給=需要」経済活動では世界は
やがて行き詰まる。価値観の転換は時間も要するだろうが、案外石
油の枯渇がその契機になりはしないかと、私は密かに思っている。
その「危機感」が「自分」と真剣に向きあうことになり、それが男
女双方への理解へと向かわせる。そこから男女双方の想像力が生ま
れ、それが創造力へとつながり実現化し、新しい未来が描けるとい
うものである。

(引用終わり)
メンテ

Page: 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 全部表示 スレッド一覧 新規スレッド作成

経済の話し 新しい日本のかたち 5 ( No.151 )
日時: 2016/05/02 22:30
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:.8Zwuq1M

(NO 40のレス)


年代別下記の表で上は就労者数の実数を示し、中段は、就労者数の産業別比率を示します。最下段はその年のGDPの産業別比率です。

          第一次産業     第二次産業   第三次産業  
1955(昭和30年) 1600万人     950万人    1400万人
産業別比率   40.0%       24.0%    36.0%
GDPの比率  5.0%      35.0%     60.0%

1980(昭和55年) 500万人     2000万人   3200万人
産業別比率   9.0%      34.0%     56.0%
DGPの比率  4.0%      34.0%     62.0%

2010(平成22年) 250万人     1550万人    4400万人
産業別比率   4.0%       25.0%     71.0%
GDPの比率  2.0%       25.0%     73.0%

2015(平成27年) 160万人     1523万人    4668万人
産業別比率   2.5%      24.00%    73.5%

※ 2045年(30年後)の予測→人口が1億人(現在より2割減る)としての計算です。
その時の就労者は現在と同じ比率で5000万人。
2045年  125    1200万人   3675万人
産業別比率   2.5%   24.0%    73.5%

上は単純比例ですが、実際には生産の分野のロボット化を計算すると。
        125万人  600万人    4275万人となります。
産業別比率は   2.5%   12.0%   85.5%
昭和30年ころと、就労の内容が驚く程変わってきているでしょう。
30年後の形態を書きましたが、第三次産業の部分もロボット化が進み、とても85.5%、4275万人の雇用を確保することはできません。
振り返って見ますと昭和55年当時、第二次産業の就労者が34.0%、2000万人いた頃が、1億総中流などと、繁栄感を感じていた時でしょう。

その後のグローバル化、生産技術の発展が現在の状況を招く引き金となっているのです。
第三次産業で労働力を吸収できている間は良かったのですが、その第三次産業でも、最近10年で増えているのは介護サービスの分野だけです。
産業別就労者の詳細で医療福祉関係の就労者は10年前は、553万人、現在は793万人で、約240万人増えています。
ほとんどが介護ヘルパーであり、現在200万人ちかいヘルパーがいますが、将来は40万人ほど人で不足になると言われています。
このような事情から、単純に下記の数値には成らないのです。
          第一次産業    第二次産業   第三次産業  
          125万人    600万人    4275万人となります。
ここで新しい日本のかたちの希望する産業構造を言いましょう。
          第一次産業    第二次産業   第三次産業  
           300万人    1000万人   3700万人
     産業別比率  6.0%     20.0%     74.0%

30年後に、5000万人分の雇用を、この比率で確保するために、何をしなければならないかは政治の課題であり、一般国民の理解と協力が必要です。
次には、雇用の確保のために、実際は、どのようにすれば良いかを検証しましょう。

参考に産業分野について資料を添付します。
(第一次産業)
 農業、漁業、林業
(第二次産業)
 製造業、建設業
(第三次産業)
公務員、運輸・輸送、情報、不動産、金融・保険業、小売、電気・ガス・水道
それ以外のサービス業(娯楽、医療・介護、警備、飲食、その他)




(NO 41のレス)

先のレスで産業別雇用の問題を取り上げましたが、これも数字を予測していても始まりません。
どのような社会となれば、その産業構造にできるかも見てみましょう。

少し結果的な懸賞になりますが、まずは将来の社会の有り様を想定してみましょう。

(生産の場)
大量生産品は、ほとんど大工場で自動生産ライン、ロボットにより作られる。
この過程で必要なのは、機械のオペレーター、修理の専門家、コンピュータ技術者、企業の管理者、清掃、警備などの維持管理などで現在よりも人数は絶対的に減ってきます。

ただ、これとは別に、手作りの妙を大切に思う需要も増えて、町工場も結構繁栄する。


(自動車)
輸送とも関連し、大きな変化がある分野。
要するにガソリン車はほとんど姿を消し、電気自動車、水素自動車が主流となる。
移動運転装置が開発されて、公共交通では、運転手はいなくなり、代わりに車掌のような立場のサービスマンが同上するようになる。

(農業)
主な食品の国内自給自足はほとんど達成している。
農業も企業化されて、地域ごとの組織が(数は制限なし)企業として経営する。
ただし、この分野は、地域毎の組織が原則であり、それ以上のグローバル化は法律で制限する(大企業の参入は許さない)。
田畑は、農業生産が効率的に、できるように公共事業によってインフラ整備を進める。
公共事業によって誰でも使用できる大温室を全国に展開し安定した作物の生産が容易にできるようにする。

昔、職人がプライドをもって仕事をしたように、農業の分野は若者が集まるような魅力のある産業と変身させる。
良質の食品は、当然、世界への輸出の対象となり、経営的にも安定化できる。

ただし、この場合、公共事業で作った施設の賃貸料は経営に負担が掛からないように格安とする。
公共事業によりインフラ整備以外でも、補助金を出すことによって自発的な向上を促す。
このように農業を人間らしい働きができる魅力のある産業に変えるとともに経営が成り立つように国家が支援することで、200満員を超える農業従事者を確保する。

(漁業)
漁船を大型化して世界の海へ打って出ても資源的に問題があり、この方面には力を入れない。
代わりに養殖漁業に力を入れて、研究施設、インフラ整備に予算を注ぎ込む。
養殖の対象は、魚介類、海藻類とすべての解散物とする。
海洋での要職場を公共事業で整備し、漁港施設を整備し、農業と同じように若者にとって魅力のある産業に育てる。

(林業)
住宅建材に使う木材の多くを輸入に頼っているが、世界全体が裕福になり住宅建設も増えて、いずれ枯渇し輸入ができない状況も考えられる。
木材の場合は植林から伐採まで、短くて50年を要する産業であり、請求な基盤の整備は難しい。
だが、現在、戦後に植林した多くの林があり、これを計画的に徐々に活用しなければならない。

現在、国内産の木材を使う場合、その価格が問題となっている。
林はあっても、それを切り出し製品化するのに大きな費用が必要であるからである。
現在は外在輸入で、国内産に変えているので、費用を商品に添加できず、特別の良材以外は商売の対象とはならず、働くものの収入も上がらず、農業以上に衰退の一歩を辿っている。

これを解決する一つは、林道の思い切った整備である。
今から言えば50年ほど前に、一次林業整備をやり始めたが、外材の輸入の勢いから国内産の切り出しを諦めた形跡がある。
それでも、現在の輸入材のようには安価にはならないが、国土保全のため、いずれ枯渇するであろう外材に備えるために、今から国家としての対策を始めねばならない。なにせ、この分野は成果を得るのに半世紀は必要である。

いずれにしても、林業の従事者は身体的に過酷であり危険な職業である。
だが、それを乗り越えられる収入を保証し、国土を守る事を国家はしなければならない。
当面は、林業に従事する者に対して1日に付き、相応の補助金を出すと言うことにする。

※ 長くなるので今回は、これまでとしますが。新しい日本のかたちの夢はとりとめもなく続きます。





(NO 42のレス)

次には生面でどのようなかたちが想定できるか見てみましょう。

生産技術の発達で、ともかく昔と違って、すべての人が食料とは機械器具などの生産に当たらねばならないことはなくなり、第三次産業と言われる分野が主な職場となります。
人類が生き残るために必ず必要な分野の仕事は少なくなり、無理して長時間労働につくこともなくなります。
要するに、余暇の時間が増えてくるのですが、余暇の時間もありすぎると、それは人間生活にとって決して好ましいものではありません。
ですので、労働時間も週休2日制が定着し、中には週休3日と言うものもあります。
出来れば週休2日くらいが適当と思われます。
いずれにせよ、定年退職の年齢も60歳程度に下がり、それに応じた産業構造、労働時間が決められます。

ですが、行政、及び経済行為の中心は、都市部に集中することは変わらず都市部の生活者はまだまだ続くことになります。
ですが、国土の利用という意味でも、生活環境をよくするためにも、地域分散型社会の構成が進むことが望まれます。

もちろんIT分野の発達で、社会の機能が地方に分散する事もありますが、それよりも人間が一生を送るに置いて、自然の環境に親しむ時間の充実を増やすことが望ましく、物質的な豊かさの次には、そう言う生き方が問題となってくるでしょう。
具体的に言えば、第一線で働く間は都市で生活していても、リタイア後の生活を地方で送るという生活方式が定着することが望まれます。
要するに、幼児期は地方で自然に恵まれて育ち、高等教育を受ける年代になれば、大都市、地方の都市で勉学に恵まれた環境で力を付け、社会人となり仕事に熱中する。
その後に、余生(第二の人生)は、自分の好きな土地で、好きなように過ごす。
すべての人間を、その対象にする訳ではありませんが、このような進路が容易に開ける環境を作ります。

このような社会となれば、都市部と地方との人口の流動化がなり、現在のような極端な格差は解消されます。
生活圏が変わることによって、地方の経済も活性化され、バランスのとれた国土利用ができます。

ただ、このためには、それが容易にできる地方のインフラ整備、病院や老後のサポートのシステムも都市部から移住する人たちが安心できるようにしなければ成りません。
従来の国土利用計画は、何が何でも産業の興隆が目的でありましたが、将来は国民の生活様式をリードするための国土利用計画を主流にします。

この場合、現代社会に残る、限界集落など極端な過疎地域は、統合することも考えねばならないでしょう。
国家が介入するばあい、行政の有り様も、財政的な合理性も視野に入れねばならず、国民の方でも、それに協力する必要があります。

念のために断っておきますが、こうした理想郷にちかい社会は、共産主義社会を想定しがちですが、そうではなく、個人の生活はあくまでも個人の努力で勝ち取るべきものであり、経済行為の基本は、現在のように資本主義のシステムを維持します。
それによって格差が生まれることでしょうが、その格差こそ、人々を緊張させて生き様に張りを持たせ平穏な人間性を維持する元になるのです。
ただし、どうしても生活に困る弱者も出てきます。
それは従来通り社会福祉の制度で救済します。
ですが、経済的に安定した社会であれば、福祉に頼らねばならない人たちの数も減り、結果的にそうした社会を作ることが財政面の国家の安定にもつながります。

このような社会の到来は、それなりに生活が安定しなければ成りません。
現在でも第二の人生を地方で送るために移住する人がチラホラありますが、現在のところ、よほどのもの好き(失礼)か、地方の生活に自信のある人に限られています。

そうではなく、普通の人々が思い立つように、国家が環境作りをし始める時期ではありませんか。
後で触れるつもりですが、そのためには地方のインフラ整備もしなければ成りません。
基礎年金制度も安心できるものでなければ成りません。
介護制度も充実しなければ成りません。
そうしたことができて、地方移住のための費用も1000〜3000万円で可能なようにしたいものですね。
地方への移住と言っても、それ用の貸家、貸マンションを作ることもできますし、貸農地なども必要でしょう。
基礎年金がしっかりしていれば、思いきって、それくらいの費用を出せる人も多いと思います。

現代資本主義は、一般大衆の環境を考えずに、滅多やたらに新商品を売ることによって発展してきました。
その結果、一般大衆の懐の都合で、また経済的に追い詰められた一般大衆の都合も考えないで、ただ、買え、買えと生産をし続けてきました。
それも、家電製品とか自動車など、作れば無理してでも大衆が買っていた時代は良いとしても、これほど物質的に豊かになった現在、企業の方も考え方を変えねばならないのではないでしょうか。
大衆の生活を安定させることが、安定した消費をうみ、それが需要を生み経済が成り立つようにすることが大事でしょう。
いずれにしても、産業としては、今までのような工場生産品が主流であったのと比べて、第三次産業の分野の要求に答える需要が多くなるでしょう。
第三次産業を活性化するには、一般大衆の安定が必要です。
政治も新しい国作りも、まずは、国内、国民の生活の安定に努めねば成りません。

これが新しい日本のかたち、の概要です。
特別のことではなく、今までは国家としては、考えようとしなかったことではないでしょうか。
これが政治の大きな方向性を定めることになることを望みます。
現実の政治は、経済の流れに振り回されているだけで、どうすれば、このような国つくりができるかなど、考え様ともしないのです。

続く

メンテ
経済の話し 新しい日本のかたち 6 ( No.152 )
日時: 2016/05/02 22:36
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:.8Zwuq1M

(NO 43のレス)

(流通システム・輸送)

現在の宅配便は時を得たシステムで、これはインターネット商売と関連して、ますます発展するでしょう。
インターネットによる販売も、さらに増えるでしょうが、これは小売業の圧迫ともなり、良い面ばかりではありません。
これとは別に考えねばならないのは、ネットも使えず、グローバル化した商圏に対応することができない小規模生産業者に販売の道をつけてやることです。
そのようなシステムを構成しておかなければ、前にも述べたような手作りの商品を広くさばくことが出来ないからです。
農作物でも、付加価値の高い品物を流通ルートに誰でも乗せられる様にしなければ成りません。
これは従来の市場では対応できません。
農協も時代遅れで頼りには成りません。
また、日本には海外で販売できる多くの商品も豊富にあります。
大組織に属する企業は、それが出来るでしょうが、小規模の企業では言葉の問題、海外の基点の問題で誰でも可能とは言えません。
ですがそのような企業をまとめて、輸出の世話ができる組織は作れるのではないでしょうか。
せめて、都道府県単位で、そのような組織が3〜5もあれば、近所のそれを頼って誰でも輸出を試みることができます。
近頃は町おこし、村おこしと言う名目で、地方の行政も地元の産品の販売の支援に力を入れてきております。
これを、もう少し発展させれば、半官半民の組織を作ることができるはずです。

ベンチャー企業を奨励したり、付加価値の高い商品作りを奨励していても、その流通の問題まで解決してやらねば、グローバル化しすぎた現代社会では、その目的を達することはできません。
ついでに申しておきますと、もう農協はいらないでしょう。
存在しても他の業界と同じように、業界団体としてのみ存続すれば良く、農協を通して農政を施工するなどという考えは、農業の発展の足を引っ張るだけと思います。

(新しい価値商品)
ユーチューブへ動画を出して、多くの視聴者があればお金が入ると言います。

音楽業界でも、CDの売上よりも、ダウンロードによる普及が始まっています。
映画も同じです。
ただし、現在では余りにも高くついているようです。
この業界は、ますます進化してくるでしょう。

また、これほどインターネットが普及した時代、情報がお金になるという様なことが、もっと起きることでしょう。

現在はネットで検索して多種の情報を得るには、ヤフーとかグーグルが代表的な存在ですが、地方の事、身近な情報を詳細に知りたいばあい、それでは十分な情報が集まりません。
もちろん現在でも、そう言う活動をしている地方のサイトもありますが、主唱者の資力のこともあり、多くの人には知られてはいません。

前にも言った様に、地方で第二の人生を送ろうと、土地、住宅を探しても、信頼できる情報源は限られています。
地方の産品を購入する場合でも、どの情報でも信頼できるとは限りません。
それが地方のサイトの情報で問題が起きれば狭い範囲ですので、いい加減な情報を調べて対応することが出来、自然と無責任な情報は少なくなるでしょう。
このように、これからのインターネット時代に対応する様に、インターネット業界自体が発展することを望まれます。




(No 44のレス)

(医療制度・老人介護)

少子高齢化もあって、この問題が深刻です。
医療システムについて、現在は大病院へ患者が殺到し、厚生労働省では大病院へ行く場合はかかり付けの町医者の推薦状がいると言う様に、大病院へ殺到する患者を制御する様に必死です。
ですが、これは全く正反対であり、患者はまず設備が整った大きな病院で受け付けてやるべきであります。
何と言っても大病院は検査機器が充実していて、町医者が経験で診察するよりもはるかに病気の原因を探ることができます。
最初から、誤診されたのでは、される恐れがあるのでは患者としては堪りません。
町医者には、病気の原因、処方がはっきりしてからかかるのが本質ではありませんか。
もちろん、風邪と解っていたり、単なる腹痛で心配ない場合は別ですが。

だから、全国どの地域にも、せめて自動車で1時間の範囲に一つの設備の整った病院を設置し、その規模は該当する患者に対応できる様な規模とする。

土地、建物を含むその設備費は、行政の負担とし、運営は民間に委嘱する。
人口割で10万人に一つの病院を考えると、全国で、この基軸病院の数は1000くらいになります。
現在でも、おそらく必要な数の7〜8割はあるでしょう。
身近な例で数えて見てください。
ただし、1病院のエリアの人口10万人として、その初診を全て受け入れるとなれば、かなりの規模が必要となります。
現代の医療器械の発達は目覚しく、どの病院にも高価な機器を装備するとなると、あまり多くの基軸病院はできません。

医療システムは、こうした基軸病院を中心に、周囲に町医者を配置することです。
そうして町医者と大病院の連携をしっかりと取ることが必要です。
町医者からの要請があれば、検査の部分では遅滞なく町医者の要請に答える様にしなければ成りません。
町医者は町医者でなければ出来ない医療の範囲があります。
老人については、昔の様に往診するように気をつけることです。
最近は一部の町医者が結構、往診の体制をとっています。
その町医者の信念に答えるためにも、必要ではない治療は町医者に任せる様に患者の方も気をつけるべきでしょう。
このよう循環が機能すれば、むやみに大病院が混雑することもないでしょう。
ヨーロッパでは、検査専門の病院が各地にできており、どの町医者でも安易にそれを利用するシステムが整っているらしいです。
検査が外注なので結果が得られるまでに時間がかかりますが、最新の検査機器が利用できるので誤診は少なくなり町医者でも安心して診察を受けられます。
どちらが良いのでしょうね。

お若い方には縁が無いでしょうが、終末医療の問題もあります。
大概の人は不治の病と悟った場合、大病院で楽に最後を迎えたいと思うものです。
患者の親族も、そのように思います。
これは私の経験ですが、私の母親は自宅で看取ることになりました。
96歳にもなっていましたので延命などは望んでいませんでした。
それでも最初は、いよいよ病院で帰らぬ人となると思っていましたが、かかり付けの医者から、24時間体制で訪問看護するシステムがあると聞かされ、それに頼ることにしました。
24時間看護をするスタッフはいずれも看護婦の資格があり、契約するとかかり付けの医師と連携してモルヒネの投与など適切な処置を施し、本人は苦しくことなく逝くことができました。
同時に近くのデイサービスに通っていたので、そちらからも在宅介護として週に2回ほどスタッフが来てくれて、入浴サービスなど、いろいろと世話をやいてくれました。
そう言う状態を経験して、ようやく現代の介護システムの全容が解った気がしました。
結構な制度ができているのです。

現在の日本では、病院でも介護のシステムでも量的には結構なものが揃っております。
今後は、これを機能的に使えるようにすれば良いと思います。

さて、これとは別に、我が国の特別養護老人ホームが不足していて、待機老人が随分といます。
特別養護老人ホームに入れず、他の短期収容施設を約3ヶ月置きに転々としなければならないのが実情であります。
先に我が国の医療システムの事を賞賛しましたが、
再起の可能性のない老人が、死に場所を探して転々しなければならないなど、先進国として恥ずかしい様なシステムも存在していることも事実です。

新しい日本のかたちでは、
このようなことは解消し、各地に必要十分な終末老人施設を建設します。
それも現在の様な、4人部屋、6人部屋でなく、個室を中心として、入所、退所がいつでも自由になるようにします。
これによって老人ホームに入ることに何の抵抗もなく、親子同居に拘る必要もない社会を作ります。
そのための財源の話は別の項目で取り上げることにします。


続く
メンテ
経済の話し   新しい日本のかたち 7 ( No.153 )
日時: 2016/05/06 11:28
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:MUYWbK3Q

(NO 49のレス)


No 40のレスで約30年後の就労者数の合計を5000万人(現在6400万人)として、希望する内訳を次の様に言いました。
第一次産業    第二次産業   第三次産業  
     300万人    1000万人   3700万人

平成27年度の内訳は次の通りです。
農業・漁業・林業   160
建設業        478
製造業        1042
運輸・郵便      342
卸売・小売業     1071
学術・研究       212
宿泊・飲食       400
生活サービス・娯楽   226
教育・学習支援    308
医療・福祉      793
その他        423
公務員        221

合計   5872万人
6400万人とならないのはカウントに欠けている就労者がいるのでしょう。

さて、30年後の内訳を予想してみましょう。
(第一次産業  合計300万人))
農業・漁業・林業   300
(第二次産業  合計1000万人)
建設業        600
製造業        400
(第三次産業  合計3700万人)
運輸・郵便      300
卸売・小売業     600
学術・研究       300
宿泊・飲食       400
生活サービス・娯楽   350
教育・学習支援    200
医療・福祉      1000
その他        300
公務員        250

合計   5000万人

如何でしょうか。
第一次、 二次産業の就労者を1300万人くらいは人為的にでも確保し、第三次産業の分野の負担を減らす。
第一次産業では、農林漁業への支援を増やし、第二次産業の製造業では大幅に減る製造業対策として建設業の数を確保する。
そのための公共事業は増やすが、それは第一次産業振興、ないし福祉政策実行のための事業の展開を中心とする。
将来の生活形態の展開のための道路整備なども行う。

第三次産業では小売業の縮小は避けられず、代わりに医療・福祉を中心に雇用の確保を目指す。
公務員を減らしてないのは、新たな住民サービスを展開するため。
これからの公務員は役所に閉じこもっていないで街へ出て各所サービス・指導に当たらせる。

ここで、就労問題について、もうひとつの意見を述べます。
教師を含む公務員の中途採用の比率を格段に増やすことです。
教師、公務員の新規採用は1/3以下とし、概ね年齢を問わない中途採用とする。
これによって専門知識的にも内容が充実する。
民間の営利企業などでは、そうは行かないが、公務員なれば十分に受け入れられる体制である。
これによって公務員を巡る転職の流動化が進み、かつ、公務員の特権意識がなくなる。



※ このような日本にするために具体的に、どのような施策を必要とするか、
その要となる財政問題で通貨の増刷はどの程度、どのような分野でするかなどの検証を続ける予定ですが、現在はここまでです。
メンテ
Re: 経済の話し ( No.154 )
日時: 2016/05/06 11:36
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:MUYWbK3Q

「未来社会を考える→ヒットラーの予言」スレッドのNO 131のレス

繰り返しになりますが、次の文章の意味を、感じ取ってください。
100年前に作られた文章なので、比喩的な表現になっていますが、現代社会が直面している課題を別の形で現しています。

>「ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。

>ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。


生産技術の飛躍的な発達で、人々は、何が何でも働かなくても、生きていくことはできるようになってしまい、実際に既に働くと言うことはサービス産業が中心になって来ています。

人間の実質的な生活(人生)に置いて、
「食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも」与えられると言うことは、何を指すことになるのか。

従来の人間は、働かねば食えず、住む場所も得られず、義楽も、悩みも生きてゆく過程で感じ取り得てきていたものです。
このように喜怒哀楽とは人生の実態でありました。

生きるために働く必要もなく、有り余る余暇に埋没した人生に、何の人生があるでしょう。
人間は、神様の様に無色無臭の存在でいることはできないのです。
アダムとイブの話の様に、そう言う環境ではいられないから人間が誕生したのです。

理想とか、幸せなどは、求めているうちはよいのですが、その真っ只中にいれば、理想でも幸せでもないのです。
紹介した文章は、そう言う環境を示すと同時に、そのような社会からはみ出さざるを得ないもの、排斥された者が辿るアングラ生活と体制内にいる人間との致命的な対立がある事を示しています。


>「それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類から、より高度なものに進化して、神に近い生物になっている。人類から神のほうへ進化するのだから、それは『神人(ゴッドメンシュ)』と呼んでかまわない。

「神人」と言っていますが、それはシステムと言い換えても良いでしょう。
システムとは、これまた複雑で、要するに我々自身が構築するもの、人間の理想、否、思い上がりが、そうさせると言っても良いでしょう。

断っておきますが、このような文章で末世を言うつもりではありません。
問題点を把握して、そうならないようなシステムを目指さねばならないことを言いたいのです。

具体的には、人間にとって生きるために働かねばならない環境は絶対に維持しなければならないことであり、ほとんどの人が働ける社会を作らねばなりません。

グローバル化する経済の法則に任せていては、それができないことを認識しなければならないのです。


「新しい日本のかたち」スレッドのNo50のレス

如何でしょうか。
私たちは、このような社会にすることが可能なのです。

最近、100年の科学の発達は、このような社会を作ることができる必要条件であったのです。
資本主義経済体制は、驚く程の速さで、このような環境を作ってきました。
その意味で、今までの経済のシステムを否定するものでは全くありません。

ですが、国民の為の経済の法則、基盤である、誰でもが容易に需要と供給の流れに乗って生活を保証される環境ではなくなってきました。
資本主義経済のシステムも、現在は、そのことを省みて方向を修正する必要があるようになってきたのです。

これは難しいことでも、何でもありません。
通貨の考え方を変えるだけで良いのです。

現在はあらゆる商品が豊富であり、量的に確保することは、経済の仕組みの使命ではありません。
今までは、資本主義の体制で、みんなの力で商品の生産することが必要であったのです。

通貨は、そのための媒体であり続けてきました。
通貨とは、経済の流れの中から発生しなければならなかったのです。

ここに書いた「新しい日本のかたち」を実現するためには、通貨は国家が増刷できるものとしなければなりません。
それは税収と言う形で国家財政を考えることはできなくなっているからです。

税収で国家財政が考えられないのは、福祉にかかる予算が多すぎるからです。
ですが、それ故に福祉社会を諦めるのではなく、現代の環境、これほど生産力を手にした人類の環境を利用すれば、新しい通貨のシステムを作り、豊かな社会を維持することができるのです。

繰り返しになりますが、通貨の増刷の考え方にも、非常に危険な要素があります。
国民が、全てを通貨の増刷で賄うと言う気持ちになることです。

物質的に豊かになった現在、物質的には可能でしょう。
商品の生産などは機械に任せて、人間は余暇を享楽すれば良いのです。

ですが人間社会で人間性を維持して行こうと思うなら、それは取り返しのつかない不幸を生みます。
人間は、あくまでも生きるために一生懸命に働いていてこそ、色々な出来事に幸せを感じられるのです。

経済の問題とは別に{パラダイムチェンジ」と言うスレッドも立てています。
人間自身が価値観を正しく認識していなければ、ここに言う「新しい日本のかたち」の社会も地獄への一丁目になることがあります。

それでもね、勇気をもって、覚悟をもってやり遂げなければならない時代が来ているのではないでしょうか。
私たち人間社会は、今でも麻薬など排斥する厳しい規約を守っています。
交通規則などでも、納得出来れば制限に応じることができます。

通貨の増刷を、雇用を確保するための事業費に充てる。
基礎年金など、福祉予算の不足分の充填以外には行わない。

これが守れると思いますか。
守れなければ、このままで行かなければならないでしょう。

私は出来ると思いますし、またしなければ、グローバル化する経済の影響で、多くの人が路頭に迷う時代となり、富者と貧者が徹底的に対立する社会が訪れることでしょう。

人類が、どのような道を選ぶか、大変、大きなテーマですが、この様な観点から、このスレッドを書いています。

(転載終わり)


上記の二つのスレッドの内容に対応する形で、経済の話を書いています。
ここでは既製の資本主義の理論に言及しても、現状の有り様を非難するためではありません。
今後、新しい何が出来るかを求めています。

さて、それでは具体的な通貨の増刷について、さらに検証をしてみましょう。
メンテ
お金の信用度とは ( No.155 )
日時: 2016/05/10 16:36
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:fdXbiRdQ

通貨の増刷がタブーである根拠として

深刻なインフレを起こす
何でも通貨の増刷に頼る様になり、社会の仕組みを毀損する
通貨としての信用の根拠がなくなり、為替相場が成り立たない
などがあります。
いずれも大変大きな問題だと思います。

通貨の増刷を封印することは、現代までは、確かに踏み込んではならない領域であり、経済もそれによって発展してきました。

しかしながら、現代は、通貨のこのような面での有り様では無い、もっと根本的な通貨の性質が変わってきております。
物資の交換の媒体として使われてきたお金は、
経済が発達した現代社会では、お金は生活の為になくてはならないものとなっています。
昔はお金がなくても、少なくても、何とか生活をすることができました。

経済が発達して、誰でもお金を手に入れられる様になってから、人々も生活の仕方が変わってきました。
自給自足はほとんどなくなり、お金を得るための職業もドンドン分業化が進み、お金は生活の全てとなりました。

お金が誰でも手に入れることができる環境であれば、真面目に働きさえすればお金は手に入り生活ができました。
一部の人が、そうであっても仕方がありませんが、多くの人がお金を手に入れることができなくなれば「通貨は物資の交換の媒体」であると言うようなのんきな事を考えていることは出来ません。

何が何でもお金を手にしなければ生きて行くことができないのです。
お金(通貨)は生きるための条件なのです。
生きるために必要なお金が手に入らないことは、死ぬ事を意味します。

人間社会が自由競争である以上、困窮者は出てきます。
現代社会では、そう言う人は福祉政策で救済できていましたが、その数が増えすぎると救済も出来なくなります。

今までは経済が発達すると言うことは、物資の生産を通して、多くの人が、それぞれに必要なお金を手にし豊かな生活をすることが目的でした。

人々は物資が豊富に流通している事を見て、豊かになったとか、経済が上手くいっているように思っています。
お金をもっている人にとっては、それで良いでしょう。
しかしながら、それらの物資を買うためのお金をもってない人は、好景気も、豊かさも関係はありません。

昔と違い、多くの人々は必要なお金を得る環境においては、昔よりも条件が悪くなっているのです。

そう言う人たちは、失業者の増加とか、ワーキングプアーと言われている階層の増加で示されています。
ブラック企業が増えているのも、この傾向を現しています。

多くの人々は、この状況を景気のせいとし、景気が回復すれば解決出来ると思っています。
経済で言う富の再配分の機能の問題と考えています。
商品、サービスがあふれているので豊かな社会と考えています。

ですが、失業者が増えたりワーキングプアーが増えてきたのは、本当に景気のせいでしょうか。
このようになったのは、生産技術の発達で働く場所が少なくなってせいではありませんか。
経済のグローバル化で、世界中から商品が集まる様になり外国の商品、外国で生産された商品にとって変わられた結果ではありませんか。

メーカーは次から次へと新製品を開発し、買いたいものは市中に溢れ、生産はドンドン拡大しているようですが、経済の目的、誰でも生活のためのお金を手に入れられることについて、どのようになっているかを考えたことはありますか。

お金の信用度と言う言葉があります。
経済の理論では、お金の交換の尺度としての信用のことです。

ですが一般の人々にとって、お金の信用とは、そのお金を自分が手に入れられるか、どうかの方が不安なのではありませんか。

現代社会は、お金の信用度の解釈の中に、誰でもお金を手にいれられるか否かを含まねばなりません。
誰でもと言っても怠け者まで含む必要はありませんが。
昔は誠実であれば、個人の責任で何とかなったものです。
また、お金が不足する分は自給自足も可能であったのです。

お金と言うものが意思をもっているのではなく、金貨などの様に、それ自身価値をもっているものでもなく、その有り様は人間自身が決めていたのではありませんか。

冒頭に掲げた次の問題

>深刻なインフレを起こす
>何でも通貨の増刷に頼る様になり、社会の仕組みを毀損する
>通貨としての信用の根拠がなくなり、為替相場が成り立たない

は、人間が人間であるゆえに危惧されるものでしょう。
で、あれば
人間自身の価値観が変われば克服する事も出来るでしょう。
人間自身の価値観を変える程の環境の変化があればの問題ですが。

ですが、「未来社会を考える→ヒットラーの予言」でも書いています様に、お金のせいで2極化する人間社会は、いずれ人間自身の価値観を変えざるを得ないようになっていくと思います。
出来れば、それを見越して深刻な様相とならないまでに変えたいものではありませんか。

メンテ
地方財政 ( No.156 )
日時: 2016/05/13 13:08
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:1gpzstmM

私が住んでいる京都北部の宮津市であるが、ついに人口が2万人を切ってしまった。

市の一般会計の予算が100億円を少し超えるそうであるが、市独自の財源と言えば、25億円程度である。
そのうち、市民税は6億円、法人税は1億円と言う。
一番大きな財源は固定資産税で13億円。
無視できないのがタバコ税で1奥3000万円。
(私は、この分野で高額納税者)
あとは、消費税、その他であろうが、信じられない台所事情である。

他の80億近い財源は、各種の補助金、交付金、市債、その他である。
もちろん市の借金も150億円あるそうである。
ついでに言いますと、宮津市職員の人件費は22億円(平均年収630億円)。

宮津市以外にも、このような市町村どれくらいあるだろう。
もはや、国家だけではなく地方行政の仕組みも考え直さねばならない現状である。
このようになった一番の原因は福祉予算であるが、一般の市民は財政の内容についてほとんど理解できておらず、税金を逃れる事ばかりに腐心している。

このような状況に陥ったのは最近の40年のことであろう。
この過程で、税収が頼りにできた時代は、5〜10年、あとは財源の事情も無視して福祉政策に走り公務員の年収も上げてきたこと。
まあ、このこと自体は、悪いことではなく、そうあるべきことである。

それは、我々の生活でも言えること。
40年50年前の生活に比べて、家庭にある物質の多いこと。
自動車は2台、テレビは各部屋に一つ、時計電話など、場合によっては家族の数よりも多い。
それに対応するのに、金がない、金がないと嘆いている。

でもね、行き過ぎは反省しなければならないが、これが文明の発展。
人間社会の普段の努力で、このような成果を勝ち取れたのである。
今後は、この成果を守り、より発展させる為に動くことが肝要である。

でもね、国家財政、地方財政の破綻も現実の問題である。
そうかと言って、現実の恵まれた生活環境を江戸時代のようなものに変える必要はないのである。
変えなくても良いのである。

事実、国家財政も地方財政も数十年間、破綻に貧しながらやってきたではないか。
企業であれば、企業自体が消滅している。
国家、地方自治体と企業の会計の考え方は異質なものとすることができるのである。

要するに、お金と言うものの性質を、どのようなものと判断することである。
その中に、現状を抜け出す道があるのではないか。

このような観点から通貨を見ている人は結構いるが、まだ、それが方程式となって経済の仕組みには取り入れられないでいる。
具体的には通貨の増刷の問題であるが、先にも書いたように、確かにこの問題は会計的な面ではない領域で大きな問題がある。
だが、現実を見て、現状の文明を望むなら、人々は勇気をもって、この問題と取り組まねばならない。

財政問題を先送りでごまかせる時代は過ぎ去ったと思う。
メンテ
Re: 経済の話し ( No.157 )
日時: 2016/05/15 21:56
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:9hQC.mek

国家、つまりは、国民が、自らの手で通貨を発行する様になれば、国家の政策に必要な財源を通貨の増刷で賄うようになれば、ユダ菌など巨大金融資本が、国家や経済を支配することに影響が出る。

国家は独自の政策で国内経済の環境を守り国作りをすることができる。

市場主義の原則はなくなる事はないし、なくしてはならない。
資本主義を続けるかぎり経済を支配する資本の力はなくはならない。
だが、市場主義の結果、少々の貧富の差が出ても、それは大きな問題ではない。
ほとんどの人が安心して生きていける社会があれば良いのである。
経済を資本の為の経済ではなく、より国民の為の経済とすることはできるのである。

そのためには通貨のコントロールを国家が握るべきである。
現在の国家の金融政策は、資本の展開の為の手助けにほかならない。

そのようなものをいくら続けて見ても、現代社会が抱える問題を解決できないばかりか、ますます弱肉強食の社会をもたらし、極端に二極化した格差社会を到来させるのみ。

それが、我々の社会自体を崩壊させることに繋がる。

民衆主義と資本主義と言う信じてついてきた理念、そのものと対峙する覚悟が必要なのである。
人間社会の未来は、暗闇と決まったものではない。

新しい国作りができるのである。
新しい文明社会を作れるのである。


ユダ菌の陰謀を、いくら暴露しても、実態は何も代わりはしない。
アベノミクスをいかに非難していても、そのような、些細なことでは現代のシステムはびくともしない。

もっと、大きなものに目を向けるべきなのである。

コペルニクスの地動説も、アインシュタインの理論も、当時の常識からはかけ離れたものであった。
民主主義さえも、驚天動地の考えであった。

ましてや、現代資本主義の理論など、問題となるであろうか。
私の書いていることが唯一の手法とは言わないし、絶対正義とも言わない。

だけど、これくらいのスタンスで考えることが必要である。
どなたか、同じような意見を求めるものである。
メンテ
閑話休題<大和魂 ( No.158 )
日時: 2016/05/25 14:27
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:TfgbMkNk

ここで閑話休題。
「大和魂」スレッドで、先に書いたこと。
源氏物語で紫式部が初めて使ったとされている「大和魂」と言う言葉には次のような意味があります。

>漢学に代表される外来の知識人的な才芸に対して、日本古来から伝わる 伝統、生活の中の活きた知恵、教養のすばらしさを強調したものでもありました

時代を経て、明治時代に岡倉天心が言ったこと

>大和魂とともに和魂洋才という語が用いられるようになった。この語は、和魂漢才のもじりであり、大和魂の本来的な意味を含んでいたが、一方では西洋の知識・文化を必要以上に摂取する事への抵抗感も併せもっていたのです。

現代社会は西欧民主主義、資本主義にどっぷりと浸かっていて、最近は、その弊害が著しく現れている。
ここで三度、「大和魂」を考えて見てはいかがでしょう。

グローバル化が行き過ぎ、矛盾が噴出して来ている現代。
これを修正するには、経済を論じるだけでは、その影響を抜け出すことはできないでしょう。

私が書いている経済論も、当然、一般庶民のパラダイムチェンジを必要とするものです。

経済論を経済論としてばかり見るのではなく、もっと社会全体の事として見なければなりません。
この掲示板で、多くのスレッドを書いていますが、その中で、10年来の目標は「新しい日本のかたち」を探ることです。
「経済の話し」「大和魂」「パラダイムチェンジ」「人生論」の他に「貧困の構造」「ワーキングプアー」など、全てが関連しています。
この10年、色々な文章を書くことにより、認識を新たにし、具体的な概要を知ることができ、ようやく、集結まじかとなりました。

なを、一連の文章は「人類の輪」を書いたことが発端で始まった事を述べさせて頂きます。
「人類の輪」の退屈な文章と思いますが、ご覧下されば幸いです。
メンテ
経済の話し  民意の大切さ ( No.159 )
日時: 2016/06/03 22:14
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:OQ11AotE

経済の話しの帰結は、NO147からの「新しい日本のかたち」で述べました。
これが可能か、否かについては、このスレッド全体で検証してきました。
なぜ、このような形にならないかも検証してきました。

要するに民意が、そのように成熟しないと、これを阻害したい規制の勢力が許さないのです。
皆さんは、民主主義の社会で、何でも理念通り遂行していると思いがちです。

ですが、一般市民が考えている内容は、実際には政治にほとんど反映されていないのです。
地方行政の議員の姿勢を見てみましょう。

彼らは国家や地方行政のやることに追従するだけです。
その国家や地方行政は、現代の矛盾に対面するのではなく、ずっと以前からのしきたり、規制を守るだけです。
地方議員に関わらず、議員と言う者は選挙の時の能弁に反し、実際には全て事なかれ主義なのです。

事なかれ主義と言うよりも、自分たちの権益を守ることばかりに執心している様は、ニュースで流れる情報や、身近な市会議員などの様子を見れば解るでしょう。

彼らには社会を改革する気持ちなどサラサラないのです。
選挙の為のまやかしを演じて政治をしているつもりなのです。
議会制民主主義を謳っていても、肝心の議員が、これでは民主主義とは言えません。

逆に一般市民の方も、何が必要か、何をすべきか、その方向性も解っていません。
未熟な知識でもって一人前のつもりで振舞う多くの大衆は、表面に流れる情報をもって、自分が判断できていると思い込んでいます。
氾濫する多くの情報は、メディアの腐敗ともあいまって、本当に求めるべき真実を語りません。

これでは、三竦みの状況でいくらあがいても社会の切実な問題は解決できません。
徐々にでも解決の方向へ進むことも出来ません。

今更、民主主義の議員の使命を忘れた、利権屋の議員共に期待してもらちはあ来ません。
利権を手放すことはしません。
一部にはまっとうな議員がいても、クソ議員の集団が改革を許しません。
これは国会でも地方議会でも同じです。
名古屋の河村市長一人が、いくら頑張っても議会を掌握することは出来ないでしょう。
強欲の塊りとは、このようなものであり人類の歴史を通して変わってはいないのです。

できることは一般市民が、本当の事を知り、市民を代表しない議員を放逐することです。
これも困難なことではありますが、行政や議員共の改心を期待しても無駄なことです。
それが人間のサガと言うものです。

このスレッドで書いてきた事も、大衆が、それに目覚めて進まなければ絵に書いた餅、誰もが実践などはしません。
ユダ菌などの金融の流れに不満を言っても、奴らに規制をかけようとしても、何も変わりはしないのです。

ですが、ユダ菌に代表される現行のシステムを云々するのではなく、新しいシステムを受け入れる意思、受け入れようとする意思があれば、自然と社会は変わって行くのです。

如何でしょうか。
具体的に言えば通貨の増刷で財政を賄うようにし、国家を国民目線で運用できる事を、よーく考えていただきたいもの。
そうして、そう言う事を身近な人にも伝え、現代社会において、我々は何が可能かと言う事を自問自答しようではありませんか。

念の為に断っておきますが、通貨の増刷と言う事を、単純に必要な金は手に入れる事ができるなどと勘違いはしないことです。
通貨の増刷で国家は何ができるかと言うことです。



メンテ
英国のEU離脱! ( No.160 )
日時: 2016/06/25 10:46
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ApWbt0BQ

イギリス離脱ならEU経済はどうなる?現場最新報告
http://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2016/06/0621.html?utm_int=detail_contents_news-link_003

「イギリスの選択を注視しているのが、海を挟んで対岸にあるEU各国です。
今日(21日)の特集は、イギリス離脱となれば深刻な影響は避けられないとする、EU各国の経済について分析します。」

「経済への影響について最大の懸念が、関税の問題です。
EUでは、ヒト・モノ・サービスといった移動が自由なのが基本原則です。
加盟国どうしの貿易では、『関税ゼロ』となっています。

ところが、イギリスがEUから離脱した場合、EU各国からイギリスへの輸出品には関税が課されるおそれがあって、消費が減るのではないかという懸念があるんです。

もう1つが、為替。
ポンド安の問題です。
イギリスがEUから離脱すれば、経済の先行きが不透明になることから、通貨・ポンドが下落するおそれがあります。

そうなれば、イギリスでは輸入品の価格が上昇。
EU各国にとっては、イギリスへの輸出が滞る可能性があるんです。
イギリスとの経済的な結びつきが強い、ドイツとイタリアを取材しました。」
.
英EU離脱なら… ドイツ経済“悲惨な事態”

国民投票を直前に控え、ドイツの経済団体が開いた会見。
イギリスが離脱を決めれば影響は大きいとして、強い警戒感を示しました。
特に懸念されているのが、ドイツ経済のけん引役である自動車産業への影響です。
BMWをはじめとするドイツの自動車メーカーは、イギリスの自動車ブランドを相次いで買収。
同時に工場も進出させ、エンジンやその他の部品などをドイツに向けて供給しています。

一方、イギリスでは年間に登録される新車のおよそ半数がドイツ系の車で、イギリスはドイツの大切な得意先でもあります。

もしもイギリスがEUから離脱した場合、イギリスからエンジンなどを輸入する際と、組み立てた車をイギリスに輸出する際の両方で関税がかかることになります。
ドイツの自動車産業とっては、まさにダブルパンチの事態です。

イギリスを第4位の輸出先とするイタリアでも、不安が広がっています。
北部のベネト州です。

この地域で生産される「プロセッコ」と呼ばれる銘柄のスパークリングワインは、手ごろな価格と本格的な味わいで、ここ数年、ヨーロッパで売上を伸ばしています。
特に若者の間で人気が広がり、去年(2015年)のイギリス向けの輸出は前年比で50%近い増加。
輸出量全体の3分の1を占めるまでに成長しています。

5年前からプロセッコを生産する、サラ・デイトスさんです。
プロセッコブームにともない、年々、生産を増やしてきました。

「離脱となった場合、イギリスはEUと貿易や金融サービスといった分野で何らかの経済協定を結ぶことになるとみられています。

こうした協定はすでにノルウェーやスイスがEUとの間で結んでいて、関税を含めて優遇措置を受けているんです。
離脱派は、こうした協定を結べば影響は一定程度抑えられると主張しています。
しかしこれに対して早くもドイツやフランスは、イギリスが離脱した場合、『特別扱いすることはしない』と強くけん制しています。
場合によっては、こうした協定を結ぶのに10年近くかかるのではないかという見方もあります。
離脱した場合の道筋が見えないことにも不安感が広がっています。」

イギリスがもし離脱となれば、各国で反EUの動きが勢いづく可能性があります。
その根本には、EUという共同体や、グローバル化の動きから恩恵を受けてきた人たちと、恩恵を感じることができずに内向きになる人たちとの深刻な対立があると、専門家は指摘しています。」

「イギリスがEUから離脱となれば、1993年の発足以来、ヨーロッパの統合に向けて拡大し続けてきたEUが初めて後戻りすることになります。
また、残留になっても、各国の反EUの動きはくすぶり続けるものとみられます。
加速する経済統合の動きと、逆行する内向きの世論という2つのベクトルのはざまで、ヨーロッパは引き続き険しい道のりが続くことになります。」

(引用終わり)


英国のEU離脱によって世界恐慌が起きる可能性があるなど、世界中が大騒ぎしています。
実際に株価の暴落などが起きています。

しかしね、
人口が6000万そこそこの、英国の国民がたまたま、自国の経済は自国で考えようと思っただけで世界が揺らぐ様なシステム、そのものが可笑しいのではないか。
ガラス細工の様な経済のシステムなど、この際、根本的に考え直す必要がある。
冒頭の文章で紹介されている問題など、国民経済全体を考える上で、それほど重大な問題ではないはずである。
為替、株価の変動を問題にしている奴らなど、競馬の予想屋程度の存在であり。
株式、為替と言う博打で遊んでいる金持ちの使い走りに過ぎないのである。
そのようなものは、捨てておけば良い。
為替、株価の乱高下で、得をするのも損をするのも奴らの勝手である。
この際、金融ゲームに打ち込んでいるような連中など8割方減らせばよいのである。

だが、昔から権力者が権力にしがみつく様に、現在の制度で恩恵を受けている連中は、権力を手放す事を嫌がる。
奴らは、EUを離脱すれば、このような事態になると、グローバル化の好ましい面だけを強調し、反論する。

地方議員を筆頭に民主政治(市民の代弁政治)が機能していないことと同じように、資本主義のシステムも、今や巨大資本の思うまま。

我々は、民主主義の意味も、資本主義の意味も、初めに返って見つめ直さねばならない。
そう言う動きの始まりが、

オキュパイ運動であり
英国のEU離脱を決めた国民投票なのである。
英国のEU離脱問題を、姑息な範疇に押し込めることなく、受け止めねばならない。

最後に、私が主張する趣旨とは、いささか異なるが、注目すべき反応を紹介する。

>【ターンベリー(英スコットランド)=黒見周平】米大統領選で共和党指名候補に確定している不動産王ドナルド・トランプ氏(70)は24日、ターンベリーで記者会見し、EU離脱派の勝利を「素晴らしいことが起きた。英国民は国を取り戻した」と称賛した。

 トランプ氏が指名を確定した後、外遊を行うのは初めて。国民投票のタイミングに合わせ、現地から情報発信することで、自らが唱える孤立主義的な「米国第一」主義の正当性を強調する狙いがあるとみられる。

 トランプ氏は「英国民は国境を越えて移民が入り込むことに怒っている。誰も彼らが何者なのか分からない」と指摘し、「私はこういうことが起きると以前から言っていた」と強調した。
メンテ

Page: 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 全部表示 スレッド一覧 新規スレッド作成

題名 スレッドをトップへソート
名前  「名前#任意の文字列」でトリップ生成
E-Mail 入力すると メールを送信する からメールを受け取れます(アドレス非表示)
URL
パスワード ご自分の投稿文の編集、削除の際必要です。面倒でしょうが入力をお勧めします。
投稿キー (投稿時 投稿キー を入力してください)
コメント

   クッキー保存