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[1711] 経済の話し
日時: 2013/03/12 23:22:25
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:1363098145

最近、阿修羅掲示板に良く投稿される「あっしら」のサイトへ行ってみました。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/index-as.htm

HNは「あっしら」と名乗られているが経歴は解りませんが、資本主義経済のシステムが持っている色々な矛盾を説く解す能力豊かな、経済に強い確かな方と見受けしました。
その一部を転載します。



「供給=需要」の向こう側 <想像力から創造力へ> S子
         
「利潤なき経済社会」を興味深く、また、意義深く読ませていただ
いております。資本主義経済において、結局、私たちが見誤ったも
のは、マネーにおける「目的」と「手段」をはき違えたことにある
のは間違いないだろう。経済活動における潤滑油とはマネーであり
、そのマネーが滞ることなく流通し、循環してこそ経済の活性化を
見ることができ、個々人としての生きる活動も活発化してくる。

それはまるで私たちのからだを流れる血液のようなもので、血液が
さらさらの状態であれば私たちは健康で日々を無事に過ごすことが
できる。が、血液がどろどろ状態になり、この流れが悪くなり脳で
詰まれば脳梗塞が起き、その部分の脳組織が壊死してしまい、私た
ちは失語症になったり、半身不随になったりする。

資本主義も当初はマネーがモノを交換するための「手段」として流
通していたが、資本主義が成熟してゆくにつれて、いつの間にか「目
的」と化した。マネーの目的化はつまるところ全てを目的化させてし
まい、私たちにあらゆるものの「本質」を見る目を喪失させた。
これは事実である。

そして、それが「供給=需要」という経済活動を必然的に生じさせ
、モノに溢れた社会が誕生した。「供給=需要」という経済活動は
よくよく考えてみれば、「与えられた人生」を送ることになり、
そこには自主性や主体性はなくても私たちは「与えられたモノ」を
購入し、そこそこ無難な人生を送ることができる。

私たちが無難だと錯覚し、安心してしまうのは、周囲が皆「与えら
れたモノ」である「同じモノ」を持っているからである。つまり私
たちは「与えられた、同じモノ」を持つことによって人生の安定や
幸福の尺度をはかっていた可能性がある。「供給=需要」という経
済活動では、人間の欲求すらも本質から遠ざけてしまうということ
である。

本当に自分が欲しいモノだったのか、他人が持っているから欲しい
のか、テレビコマーシャルで見たから欲しくなったのか、売り込み
にきたから購入したのか、ないと困るほどではないがあって困るほ
どでもないので購入したのか等、心から欲しているものではなく、
供給されたから需要したという構図が自然と生まれる。それを自分
の欲求があったから買ったと、私たちは錯覚しているにすぎない。

こうして私たちは「与えられた人生」を無難に安定して生きること
で、「危機感」を抱くことなく日々を過ごし、人生を終える。人間の
三大欲求であり生きる基本の「食・性・寝」も既にこの「供給=需
要」という経済活動に組み込まれ、マネーの目的化とともに人間と
しての本能を私たちは喪失しかけている。現代人はこの自覚すらも
ないという悲しい状況におかれているのである。

しかし、マネーの目的化による「供給=需要」という経済活動では
経済成長が持続できないどころか、経済の空洞化を生み失業者を増
加させ、個人としての生きる活動が阻害されてしまう。そのことに
気づいたのが、今回の欧州連合憲法批准拒否の仏国民である。拡大
EUの存続に待ったをかけた格好となったが、「危機感」を抱いた彼
らの人間的本能はまだ廃れていないどころか、十分に健在である。


(中略)

ひるがえって日本を見れば、「供給=需要」人生が非常に行き届い
ており、大人も子供も主体性をなくし、自信喪失し、想像力にも欠
け生きる気力も無い状態に置かれている。だから米国の言いなりに
しか生きることができないのである。「供給=需要」という「与え
られた人生」を送ることは確かに楽ではある。が、そこには「自分
」というものがない。この人生を生きる「自分」がないのである。

だから真の喜びや真の悲しみを味わうことはまずないだろうし、
そこそこ無難で安定した人生を送ることで「危機感」を覚えること
もまずないだろう。実はそれこそが問題なのである。「危機感」を抱
くこともなければ、正直な話がまともに「自分」とは向き合えない。
「自分」という人間のこともわからずして終える自分の人生って一
体何??ということになる。

マネーが目的化されることで「供給=需要」という経済活動が必然
的に生じ、「与えられた人生」を送ることで私たちは主体性を失い
、自信を失い、生きる源泉ともいえる想像力までも失った。また、
そういう場所さえも失った。想像力を失えばこの世で実現する創造
物さえもなくなるのである。つまり来るべき未来が描けない。

「利潤なき経済社会」ではマネーを手段に転落させることで、資本主
義の論理が大きく揺らぐだけではなく、世界の構造が大きく転換し
てしまう。これまで築き上げてきたもろもろが崩壊に直面している
と言っても過言ではない。それは日本が明治維新以降追求してきた
西洋文明であるかもしれないし、合理化の名のもとに推進されてき
た科学万能主義であるかもしれないし、それを基点とした物質文明
であるかもしれない。

「供給=需要」人生で「危機感」を抱くこともなくなった私たちが
、価値観の転換をはかることは容易にできそうもないのは明白だ。
しかし、マネーの目的化による「供給=需要」経済活動では世界は
やがて行き詰まる。価値観の転換は時間も要するだろうが、案外石
油の枯渇がその契機になりはしないかと、私は密かに思っている。
その「危機感」が「自分」と真剣に向きあうことになり、それが男
女双方への理解へと向かわせる。そこから男女双方の想像力が生ま
れ、それが創造力へとつながり実現化し、新しい未来が描けるとい
うものである。

(引用終わり)
メンテ

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経済学とは<一体何を示しているのか  その2 ( No.121 )
日時: 2016/03/07 00:00
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:t1TZEr4E

今度は経済の指導理念がどのようなものか見てみましょう。

「主要な経済成長理論」

>ハロッド・ドーマーモデル

ロイ・ハロッドとエブセイ・ドーマーにより1930年代から40年代にかけて発表されたモデル。経済の自律的な安定を確保する難しさを例示するなど、ケインズ理論の影響を強く受けた経済成長モデルである。いわゆる動学理論とよばれるものである。

このモデルの一番の特徴は、投資の生み出す供給能力と、需要それぞれの増加量とが安定的に調和するような保証経済成長率 (資本の増加率)が、完全雇用をもたらすような自然経済成長率 (労働力の増加率)と別個に規定され、その関係が自律的に均衡に向かわないと仮定することにある。両者の不均衡は慢性的な経済の停滞やインフレを導くもとと結論づけられた。安定的な成長率の実現は非常に困難で、ナイフ・エッジの均衡とも呼ばれる。また、保証成長率は貯蓄率に影響するものと定義された。

ハロッド・ドーマーモデルは、前提が硬直的であるために、ソロー・スワンモデルと同様、成長理論の雛型として教科書で登場する他は、そのまま議論の道具として用いられることは現在では少ない。

尚、保証経済成長率=貯蓄率X資本の生産性(生産1単位を増やすのに必要な資本の量をあらわす資本係数の逆数)となる(ハロッド・ドーマーの基本方程式)。

>ソロー・スワンモデル

ロバート・ソロー、トレイヴァー・スワンが1956年に提唱した成長モデルの1つ、生産関数の考え方、その導き出す結論が新古典派の思想に共通することから、新古典派成長モデルとも呼ばれる。

基本的なアイディアは、資本の増加が人口増加を上回った際に、資本1単位あたりの生産効率がだんだん下がる(資本量が2倍になっても生産は2倍にはならず、1-2倍の範囲内に収まる)ために、資本の増加量が鈍化し、人口増加率に追いつき、逆に人口増加が資本の増加を上回った場合には資本1単位あたりの生産効率が上昇するために資本増加率は人口増加率に追いつくというものである。一時的なショックにより資本と人口の増加率が乖離しても、長期的な資本の増加は人口増加率に収束し、資本をより効率的に使えるような新技術の登場がない限りは一人当たりの国民所得は増加しないという結論を導いた。

成長理論の雛型として教科書に登場する非常に簡単なモデルであるにも関わらず、依然として経済成長の分析に多用されている。最も良くみられる分析は、経済成長の要因を資本、労働、技術進歩の各要因に分解することである。こうした分析は、アラモビッツやソローによって始められた、成長会計と呼ばれる手法である。技術進歩率は経済成長を資本と労働の寄与で説明した残りとして求められるため、ソロー残差と呼ばれることもある。

このモデルの欠点は、技術進歩と貯蓄率が外生的に与えられていることで、これを改善するために次に示すようなモデルの展開を導いた。

>フォン・ノイマンの多部門成長モデル

フォン・ノイマンが1937年に発表した経済成長モデル。新古典派成長モデルの基となったラムゼイのモデルが1部門の経済成長モデルであるのに対し、各種の財の生産、投資がなされる現実の経済に即したモデルの構築が行われた。

多部門モデルは、第二次世界大戦後、サミュエルソン、森嶋らの努力によって改良が加えられた。サミュエルソンの見出したターンパイク定理はとりわけ有名な発見である。

>内生的成長モデル

1980年代ころから盛んに研究が行われるようになったモデルで、従来の成長モデルが技術進歩の要因を説明できなかったのに対し、技術進歩を経済活動の成果として取り込んだ事が大きな特徴である。1986年にポール・ローマーが発表した論文が契機となり、内生的成長理論が発展していった。

環境経済学や医療経済学、教育経済学の成果である拡張された資本理論を取り入れつつ、発展を続けている。

(引用終わり)

このように、世界の情勢が変わるに連れて、それを後追いするように考え方を変えていきます。

メンテ
経済学とは<一体何を示しているのか  その3 ( No.122 )
日時: 2016/03/07 10:23
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:M5Vm2Uu2

続いて通貨管理の考え方も以下のように変遷していきます。

貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。古典派経済学の中心的な命題のひとつであり、中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。

数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。管理通貨制度が定着する以前は、社会に存在する貨幣の総量は誰にも計測できず、金塊が採掘されるなり、難破などの事故により貴金属が喪失するといった確率現象や、貯蓄のために金塊を退蔵するといった個々人の経済行動は、物価に対して深刻な影響を与える要素であった。

貨幣中立説は、歴史的には大航海時代以後にスペインなどが重金主義を採用したことによる反動ともいえる。後の絶対王政以後のフランスでは重商主義が唱えられ、貿易黒字による差額があれば、金銀は自然と自国に蓄積されるという考え方であった[4]。

フリードリヒ・ハイエクは、貨幣は相対価格を動かすことによって生産量に影響を及ぼすと考え、貨幣中立説を否定している[5][6]。

長期的には貨幣の中立性は成立し、金融政策は実体経済に影響を与えず、ただ名目変数を動かすだけであるという点では、新古典派経済学、マネタリスト、ニュー・ケインジアンの見解は一致している[7]。ただし、短期的には実体経済に影響を及ぼすかどうか、急激な経済の変動に対して金融政策は有効かどうかという点では、新古典派とケインジアンは対立している。

>フィッシャーの交換方程式

詳細は「フィッシャーの交換方程式」を参照

現実の統計値から貨幣量と物価の相関関係を分析するためのツールとして、アーヴィング・フィッシャーの交換方程式がある。これは貨幣量と物価の関係を、貨幣の流通速度あるいは取引水準といった概念を導入することで記述するもので、貨幣数量説の代表的なアイデアである。
M\cdot V = P\cdot Q
ここで
M はある期間中の任意の時点tにおける流通貨幣(通貨)の総量
V は貨幣の"流通速度"(特定期間内に人々のあいだで受け渡しされる回数:貨幣の回転率のようなもの)売買契約の約定回数
P はある期間中の任意の時点tにおける物価水準(通常は基準年度を1としたデフレータ)
Q は"取引量" (特定期間内に人々のあいだで行われる取引量(quantity)の合計)

である。

交換方程式は逐一個別の取引(単価p の商品をq 個だけ取引するため、貨幣m を1回支払う)をマクロ経済全体で合計(牌 = 1 → V )したものとされる。これは数学上非常に明晰な記述であるが、現実にはマクロ経済全体における流通速度V (= P Q /M )や取引量Q といった経済統計としては非常に観測・推計しにくい概念を導入しなければならない困難がある。

>現金残高方程式(ケンブリッジ方程式)とマーシャルのk

アーヴィング・フィッシャーとほぼ同時代のイギリスの経済学者アルフレッド・マーシャルも、独自に貨幣量と経済水準の相関関係に着目していた。1871年頃には着想を得ていたとされ、1923年に文章化、完全な定式化は弟子のアーサー・セシル・ピグーによって公刊された。貨幣数量説を批判的にとらえる論拠とされるアイデアである。
M = k\cdot P\cdot Y
ここで
M はある期間中の任意の時点t における現金残高(=ストック)
k は比例定数で、マーシャルのkと呼ばれる
P はある期間中の任意の時点t における物価水準(通常は基準年度を1としたデフレータ)
Y は実質GDP

である。

P Y は名目GDPであり、ケンブリッジ方程式の要諦は「現金として保有される残高は名目GDPに比例している」というものである。人はある年間所得(P Y)の水準に比例する程度に、つねに手元に投資や貸付、消費に回してしまわない資金量を一定(M )確保していることが予測できる。その割合比率(k )は貨幣選好であるが、マクロ経済全体で合計した場合にも同様の傾向があるはずである。そこで経済全体をおしなべた結果としての貨幣選好をk とすれば前述の方程式で記述される。なお、このマーシャルのkの逆数(P Y /M )は、貨幣の所得 流通速度と呼ばれる。フィッシャーの交換方程式とは異なり、特定時点での現金残高Mや、期中での名目GDP(名目総生産=名目総所得)は直接の統計や推計により比較的容易に計測することができる。また、k やP が変化しないという仮定の下では、M を増加させることでY を増加させることができるという関係を表している。

フィッシャーの交換方程式は明瞭で、一見するとMとPに極めて強い相関関係が予想される。しかしその根拠としてVとQが硬直的であることが前提となる。VやQが柔軟に動くものであれば、実際Mが増減してそれがPの変動をもたらしたとしても、なぜそうなるのかはフィッシャーの交換方程式では説明されていない。MV=PQは恒等式であり常に成立するが、あるMの水準に対してVやQがなぜか相応な値をとって、結果Pが相応な水準になっている、としか言えない。

新古典派経済学の考え方によると、労働供給が飽和する水準で実質GDPは均衡するので((セイの法則))、実質GDPは貨幣量や物価とは関係なく決定される。そこで貨幣量Mが一意的に物価水準Pを決めることになり、物価を安定させるには貨幣量Mの水準にのみ関心を払えばよい。フィッシャーのMが増加すればPも増加するという説明は、昔からある貨幣の中立性を数学的に洗練して叙述したものである。

ミルトン・フリードマンに代表されるマネタリストは、Q/Vの構造に長期的な安定傾向を見いだし、短期的には貨幣の中立性が満たされないことはあるが、長期的には満たされるとする。このため貨幣量が増加すると一時的に実質GDPまで拡大することはありうるが、長期的には実質GDPは完全雇用できまる水準に低下し、物価Pの上昇をもたらすだけだと考える。Q/Vは一回あたりの発注ロット数の平均値をあらわすが、フリードマンは経済の期待成長力や期待収益率の多寡によって、1回あたりの受発注量が増減することは短期的に観察できる事実であるが、長期の統計においては安定した関係にあると実証した(この功績でノーベル賞を受賞)。

交換方程式は取引経済の実態そのものの数式化であり、かならず両辺が一致する。限定された期中における交換のみに着目した恒等式には、来期以降の不確実性に対する予測やそれに対する準備という概念を一見必要としない明瞭さがある。一方でケンブリッジ方程式は貨幣選好kにもとづいて現金残高は特定の水準PYに対しても変動する。マーシャルのkは経済全体がどの程度の含み資産をもっているか、経済成長力(自然利子率)がどの程度か、投資収益率(名目利子率)がどの程度か、などといった状況にも左右されるかもしれない。

フィッシャーの交換方程式と、マーシャルのケンブリッジ方程式は、本来まったく別のアプローチから通貨量と物価の関わりを記述したものである。流通速度(PQ/M)の逆数が貨幣選好であると読み換えることの根拠はない。しかしQとは相殺取引等を前提とせず、不動産や債券など金融資産の売買を考慮せず、中間生産物の売買を除去すれば国富・国民経済計算の観点からは実質的な価値(実質GDP=Y)そのものであり、また統計的にはMやPは共通した統計量であり、二つの方程式を統合した分析は信用サイクルの分析などに重要な示唆をあたえている。

現実にはマーシャルの現金残高方程式の過程、すなわち貨幣量(流動性)が増減することで実体経済Yが深く影響を受ける効果があることは無視できない。

>有効需要

詳細は「有効需要」を参照

貨幣量の増加は、実質金利の低下へつながる。この結果、設備投資の増加へつながり乗数効果で有効需要が増加する。有効需要の増大は生産の増大、あるいは物価の上昇へ結びつく。

>貨幣錯覚

「貨幣錯覚」も参照

流通貨幣量の増減は、事前に約束され容易に変更されることのない数値である金利や賃金、社会保障、税、および資産価格などに対する評価の修正を通じて経済活動全般に影響を与える。

>ケインズによる解釈

一般化された記述[編集]
e = e_d(1 - e_e\cdot e_0 (1- e_w))
ここで
e は貨幣量の変化に対する物価の弾力性
ed は貨幣量の変化に対する(貨幣で測られた)有効需要の弾力性
ee は(賃金単位で測られた)有効需要の変化に対する雇用の弾力性
e0 は雇用の変化に対する産出量の弾力性
ew は(貨幣で測られた)有効需要の変化に対する賃金単位の弾力性

である。

ケインズによれば[8]、貨幣数量説では、ed = 1であるとともに、失業の存在するときはew = 0、ee e0 = 1よりe = 0となって物価が不変となり、完全雇用に到達するなり、ew = 1、ee e0 = 0よりe = 1となって物価は貨幣量に正比例して変化すると主張されているとする。

これに対してケインズは、流動性選好・資本の限界効率・消費性向の諸制約によってed = 1とは限らず、ew は完全雇用の到達以前に貨幣賃金率などの上昇が見られるため0と1の間の値を示し、ee e0 は収穫法則の制約によって1と0との間の値を示すことから、e は通例1より小であると一般化することができると考え、これを貨幣数量説の一般化された記述と呼んだ。

(引用終わり)

このようにケインズで初めて雇用の要素を取り上げています。
他の人間は、通貨のバランスのことより頭にありません。
特に最近の雇用情勢の悪化はグローバル化と生産手段の発達にあるのですが、それを考えようとはしません。
要するに、彼らは現状分析をしているだけです、それも後手に回って。
現状の経済学と言うものが、何の為に存在しているのか。

経済(金融)のための経済学(金融工学)でよりありません。
それでは、経済を研究し、論じるとは何の為であるのでしょう。

これが現状の経済学の実態であり、もはやその数式は全て見直す必要があるのです。
このスレッドのNO116〜118の実態があるにも関わらず、全く効力のない戯言を弄んでいる経済専門家は恥を知るべきであります。
既成の経済理論こそ、実質の通貨の発行を野放しに許している。
国家経済を会計理論でまとめようとしている。
会計学上の理論では、国家、そのものが存在しない、活動停止であり、世界中にそのような国が既にあるはずである。
日本が1000兆円の債務を抱えながら、破綻しないのはなぜか。
国債の引き受けての95%が屋内であるからと言う理由が、まさしく通貨発行の原理を証明している。

中央銀行制度にこだわっているから身動きが取れない、先が見えないのである。
通貨発行権を国家(国民)に取り戻し、将来の為の現実にあった経済理念を立てねばならない。

資本主義のシステムも、基本的な見直しが必要な時代になってきたのである。
これができればユダ菌などは、自然と力を失って行く。
既存のルールの下でユダ菌に戦いを挑んでも、もはや勝てはしないのである。
通貨発行権を国家が持ち国民の為に適正に運営すれば、ユダ菌が何京円の通貨を溜め込んでいても、それは紙くず同然となる。

国家が、その生産力に見合った分だけ通貨発行権をもち、国民経済をリードしていくのが本来の有り様である。
それで深刻なインフレなど起きないのに、何故やらないのであるか。

これが出来るのが現代であり、人類の発展の成果であるのだ。
未来の社会であるのだ。

メンテ
資本主義の限界! ( No.123 )
日時: 2016/03/08 23:34
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:t3zNFEeM

いままで経済の現状を言ってきました。

従来の経済の理論では、大きな問題の解決は出来ないし、専門家の間で、やる気もないことを証明してきました。

アベノミクスを批判しても、日銀の政策を批判しても、何も変わらないととはお解りと思います。
ましてや、過去の歴史に範を求めていても何のサジェッションも得られません。
資本主義のシステムの矛盾については、今更言わなくてもマルクスが、150年も前に驚くべき洞察力で証明しています。

しかしながら、そのマルクスでも見抜けなかったことがあります。
それは生産技術の発達で需要と供給の関係で全人口の生活の基盤を抱合することができなくなっていること。
要するに景気が良いにも関わらず失業者、ワーキングプアーが増大し続けていること。
それに続いて社会福祉政策では困窮者を救えなくなって来ていること。
実質的に富の再配分が機能しなくなってきていること。

また、マルクスは資本主義の欠点を洞察しているものの対案は出せていません。
資本論があるではないかといわれるでしょうが、

資本論では、とても資本主義の理念に対応できるほどの内容がありません。
資本主義にとって変わることができないことは歴史が実証済です。

大きな理由は、労働価値、剰余価値などの概念で、人間社会、人間活動を抱合し得ない事を見落としているのです。
グローバル化によって経済の循環域が広くなり、生活ができない地域、人たちを生み出していて、それは資本論では解決できません。
キリスト教などの一神教の教義が神と子と言う対話に基づいているように、資本論世界は、資本論と大衆が個別に関係させる世界に過ぎません。人間性に基づく社会が構成できないのです。

と、言うことで、資本主義を否定しても、現行のやり方を非難しても、何も変える事はできないと言うことです。
そう言う事も、多くの皆さんは、もはや解っておられるはずです。

で、あれば、座視して流れに身を委ねるか、
思い切って現状の資本主義から抜け出すかでしょう。
しかしながら「抜け出す」と言う言葉は解っていても、行動する術は見つかりません。

現代は、抜け出す方法を模索しなければ成りません。
それが成ってこそ、未来が見えてくるのです。
逆に、未来を考える為に抜け出す方法を探らねば成りません。

我々自身の中に定着している、このシステム、それも、確かにここ100年は、そのシステムの恩恵でここまで恵まれた生活ができている、そのシステムを批判するには大きな勇気も必要で、我々自身が決意を示さねば変える事はできないものであります。

資本主義の限界と言う言葉で暗示されている意味を真摯に、大きく受け止める必要があります。
資本主義のシステムは、万人の幸せを求めるシステムとしては退化を初めている事を厳しく受け止めねばならない。
文明史的転換の時期に来ているのではないでしょうか。
メンテ
通貨の話し ( No.124 )
日時: 2016/03/13 15:37
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:tc/rUv6E

国家が国民の為に国づくりをしてきたかと言えば、そのような時代はなかった。
口実は民の為と言いながら、その実、支配階級の為の国づくりに過ぎないのが封建時代であった。

民主主義社会となって、ようやく国民が国民の為の国づくりができるようになり、実際に社会福祉制度が充実してきたものである。
それを可能にしてきたのは、産業の発展であり物質的な豊かさである。

ところで、国民一人一人の生活と言う面で見れば、昔は天災などで、言うに言われない危機を迎え死活の問題が常に生じていたものである。
これに対する国家の救済策は微々たるものであり餓死者が続出する有様であった。
現代社会では、どうであろう。
なるほど食料品の確保について、先進国と言われている国々では国民を餓死に追い込むような事はなくなった。
だが、生きるための働く場所を失った国民は、やはり餓死と直面しなければならない。
餓死にいたらなくても、生活に困窮している様は、封建時代の実情と変わらない。

これに対して民主主義社会では経済の有り様で切り抜けられると思い込んでいる。
景気をよくすることで、問題が解決できると決め込んでいる。

自由主義経済論者は一様に景気が回復すれば、富の分配が行き渡り、困窮者を救うことができると言うが、そのような話は絵に書いた餅であることは、多くの人の実感となっている。

現代社会は食料品も他の商品も配分するに十分な量が確保されている。
現代社会の課題は、生活に必要な商品を手に入れる為の通貨を、如何に配分できるかである。

通貨の概念は、従来からこのようなものではなかった。
ここに大きな通貨の概念の変遷が必要である。

だが、通貨と言えば、通貨の信用度とか、価値をどのように置くかの面でのみ議論となる。
そのような理論は、理論的には全て根拠がなくなっていることも見ようとせず、ひたすら現行の制度の維持の為に議論を行い、現代社会が直面する大きな問題に見向きもしない。
それが現代経済の専門家のほとんどの姿勢である。

7京円と言われている通貨の総量を、通貨の信用とか価値の面で担保できるはずはない。
また、通貨を信用度とか価値の面で規定する必要もない。

通貨とは、サービスを含む物物交換の印でありルールであるに過ぎない。
通貨管理とはルールを守らせることである。
ルールさえ守らせれば通貨の増減は問題とはならない。

その制約の中で、国民は働くことによって通貨を得る権利をようし、国家はそれを保証しなければならない。
市場主義経済のシステムを維持するだけの目的で通貨の管理をすることは許されない。

もちろん、インフレなど経済の流通に悪い要素が出ないような管理は当然のことである。
それさえ満足していれば、通貨は単なる経済の道具ではなくなり、通貨そのものを主体として政策に反映することができる。

これは、通貨を直接ばらまくと言ったことではない。
あくまでも仕事をしてこそ通貨が得られると言うシステムは、人間社会での人間性を維持するために絶対に譲れないものである。

初めに戻り、以下の事は、何万年生きてきた人類が初めて到達した環境であるのだ。
これを正確に受け取り、新しい文明の基盤としなければならない。

従来の資本主義のシステムから抜け出さねばならないし、抜け出せるはずである。

>現代社会は食料品も他の商品も配分するに十分な量が確保されている。
>現代社会の課題は、生活に必要な商品を手に入れる為の通貨を、如何に配分できるかである。


メンテ
「ポジティブマネー」 ( No.125 )
日時: 2016/03/13 18:35
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:d2lAkl4M

「ポジティブマネー」(負債とならないおカネ)
このような考え方があるのか。

要するに、このスレッドで主張している、通貨発行権とか通貨の増刷の考え方について、同様の考えが世界規模でおきているというkとです。


英国で提案されている改革案は、このいずれでもない。もっとずっと単純明快で、イングランド銀行が直接政府に新しく発行された通貨(と言っても実際はコンピュータに書き込まれている残金の数字を書き替えるだけだが)を供給するというもの。国債も残らないので将来世代への借金ではなく利払いの義務も無いし、国債の暴落等の心配もない。国庫にある残金の書き替えの作業は20分で終わり、たったそれだけで国家の危機が救われるのだからすごい。
必ず問われるのはインフレにならないかということだが、この答えも極めて明快だ。通貨発行はイングランド銀行のMonetary Policy Committee(MPC、金融政策委員会)で、政府等、いかなる圧力からも隔離された状態で、透明性を保って行われる。新しく発行されたお金は減税や公共サービスや政府の借金の返済等に使われる。経済が安定し、政府の借金が軽減されるにつれ、マネーサプライも増加し、生産力も強化され人口も増えてくる。
金融政策委員会がどれだけ通貨を発行すべきかを決定するが、それは政府によって定められたインフレターゲットに従う。政府は通貨発行量について金融政策委員会に圧力を掛けることは許されない。金融政策委員にとっては、通貨発行量を多くし過ぎるとインフレターゲットからはずれてしまい責任問題になり、何のメリットもないから、この仕組みでインフレになるという心配は全くない。


>英国で進行中の通貨改革の取り組み
http://www.shukousha.com/column/hirota/3758/

2014年12月1日
 今回は社会的連帯経済とは直接は関係ありませんが、その成長に大きな影響を与える通貨制度について英国で進行中の面白い取り組みがありますので、それについてご紹介したいと思います。

 現在の通貨制度が持続不可能な理由については、この連載の第18回ですでにご紹介していますが、その理由を簡単に紹介すると、以下の通りです。
銀行融資としての通貨発行: 私たちが現金や預貯金などの形で持っているお金は、元をたどれば政府や地方自治体、民間企業や個人などが銀行からの融資として創造されたものです。銀行は元金のみならず利子をつけた返済を要求するため、常に社会全体では債務総額が通貨流通額を上回っており、常に誰かが新しく借金をしない限り、椅子取りゲームよろしく誰かが経済破綻を強いられます。
複利による指数関数的経済成長の強制: 融資の返済の際には、元金だけでなく利子も支払う必要がありますが、この利子が直線的(1, 2, 3, 4, 5, 6…)ではなく指数関数的(1, 2, 4, 8, 16, 32…)に成長するため、無理な経済成長が強制され、そのうち破綻します。なお、自然界で指数関数的な成長を果てしなく続けるのは、ガン細胞だけです。
貧困層から富裕層への富の再分配: このような利子は、個人的に借金をしていない人を含めて、誰もが間接的に負担しています。たとえば地下鉄に乗る場合には運賃の一部が、建設費にかかる利子の返済に充てられています。このような利子負担も計算に入れると、社会の大多数の人たちが利子収入よりも利払い額のほうが多いのに対し、一部の富裕層だけが儲かる仕組みになっています。

 この中でも、特に問題視されるのが最初に取り上げた、銀行債務としての通貨発行です。私たちは通貨発行というと、中央銀行(日本の場合は日本銀行)が一万円札などのお札を発行する状況をイメージしがちですが、日本を含む世界の大多数の国では通貨の大半は現金ではなく銀行預金として存在しており、多くの場合これらが実際に通貨=支払手段として使われています。私たちの日常生活でも、クレジットカードでの支払いや公共料金の銀行引き落としなどの形で、現金を使わずに決済を行うことは珍しくありませんが、このため現金のみならず銀行預金も通貨としてみなすことができるのです。実際、2014年10月現在での現金(紙幣やコイン)の流通高は91兆8447億円ですが、銀行の各種預金を含めた通貨供給量は1197兆5567億円となり、実に現金の約12倍もの通貨が銀行預金として存在しているのです(諸外国の数字についてはウィキペディアのこちらの記事を参照)。

 これら銀行預金が生まれる背景には、準備預金制度があります。法律により銀行は、預金額のうちごく一部だけを現金という形で保有しておけばよいため、預金者からの現金をベースとして、それをはるかに上回る額を貸し付けることで、通貨を創造することができます。現在の日本では預金の種類によってこの割合が異なりますが、それでも0.05%〜1.3%という非常に低い数字になっています(詳細はこちらで)。例えば、定期預金の総額が1兆2000億円までの小規模金融機関の場合は準備率が0.05%になっており、これにより定期預金を1兆円預かっている金融機関の場合、そのわずか0.05%(5億円)のみを現金として保有していればよいことになります。また、英国や豪州、カナダなどではそもそも準備預金制度が廃止されているため、手持ちの現金額に関係なく民間銀行は、好きなだけ通貨創造ができるようになっています(この件についてのウィキペディアの記事(英語))。

 このような準備預金制度により、実際に通貨を創造しているのはもはや各国の中央銀行ではなく、商業銀行となります。そして商業銀行は、実体経済のニーズとは関係なく、あくまでも自分たちの利益を最大化する目的で融資=通貨発行を行います。このため、バブルの時期には融資が必要ない人にまで積極的にお金を貸し出すのに対し、一旦バブルが崩壊すると貸し渋りや貸し剥がしに入り、債務を返済できない個人や企業が次々に破産に追い込まれてしまうのです。これにより、好景気のときには景気が過熱してインフレ気味になる一方、一旦不況になるとさらに通貨供給が制限され、デフレによりさらに企業経営が苦しくなる状態に追い込まれる、という形で、景気循環の波が激しくなるのです。

 また、どのような事業が融資を得られるのかを銀行が決定するこの制度下では、事実上銀行が各国経済の構造を決める役割を果たしています。銀行が製造業に積極的に融資する国では製造業が発達し、不動産に積極的に融資する国ではバブルが発生します。ロスチャイルド家による「私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうと、そんなことはどうでも良い」という発言が残されていますが、まさに通貨発行権を握る銀行こそが、経済を握っていると言えるのです。

 この状況を問題視し、通貨改革の運動を巻き起こしているのが、英国にあるポジティブ・マネー(Positive Money)という団体です。この団体は、新経済学財団(New Economics Foundation)という財団のスタッフを中心として5年ほど前に発足しましたが、当初から債務としての通貨発行そのものを疑問視しており、研究書の出版や動画の制作、そして英国各地での講演会などを通じて、上記のような主張や、以下のような提案(こちらのサイト参照)を英国社会に伝える活動を続けています。

民間銀行から通貨創造権を剥奪し、民主的で透明かつ説明責任のあるプロセスに戻す:
民間銀行が通貨創造権を握ると、好景気の時には通貨創造をし過ぎて金融危機を招き、景気が悪くなると貸し渋りや貸し剥がしにより通貨創造を控え、不況を長引かせたり失業を増やしたりします。このような銀行に通貨創造を任せることはできず、また規制もできません。このため、銀行から通貨創造権を剥奪して、より民主的で説明責任があり、誰が通貨創造権を持ち、どれだけ通貨創造が行われ、通貨がどのように使われたかについて、透明性により誰もが理解できるようなプロセスに移行する必要があるわけです。このプロセスの担い手がイングランド銀行になるのか、それとも新しい機関が設立されるのかはわかりませんが、いずれにしろ英国議会に対して説明責任を負い、権限の乱用を防止する仕組みが必要です。通貨量が多すぎるとバブルや金融危機が、通貨量が少なすぎると景気後退が起きるため、適切な通貨量が発行されるようにしなければなりません。

2.債務ではない形で通貨を創造:
債務としての現在の通貨の問題は前述した通りですが、そうではなく政府が通貨を創造すれば、誰も債務を負わなくて済みます。銀行融資ではなく政府国庫からの支出を通じて通貨が流通すれば、実際の経済を刺激し、雇用を生み、普通の人たちが債務を減らすことができるようになります。

3.金融市場や不動産バブルではなく実体経済に新しい通貨を注入:
現在は銀行が創造した通貨の大部分が金融市場や不動産に注入され、住宅価格が上がり富の不均衡が増している一方、雇用は生まれず、生活費が高くなり多くの人たちの生活が苦しくなっています。そうではなく新しい通貨では公的支出や減税、あるいは市民への直接給付という形で使用されるべきです。これにより通貨が非金融経済、すなわち実体経済で使われるようになり、実体経済が成長し、雇用を生み出すようになるわけです。

 今年(2014年)になってから、同団体の主張が幅広く認められるようになりました。まず3月には、同国の中央銀行であるイングランド銀行がその季刊報で、現在の通貨の大部分が銀行融資として発行されており、このため中央銀行である同銀行でさえ民間銀行による通貨発行を完全に制御できるわけではない点を認めました(季刊報の関連記事へのリンクはこちらおよびこちら)。次に、英国の経済紙フィナンシャルタイムズの主筆コメンテーターであるマーティン・ウルフ氏がポジティブ・マネーの主張に賛同し、2014年4月25日に「通貨創造権を銀行から剥奪せよ」という題名の記事を執筆しています。ウルフ氏はその後も同様の主張を行い、たとえば2014年9月9日には以下の講演を行っていますが、普通の社会運動家ではなく、金融界を熟知し、影響力のあるウルフ氏がポジティブ・マネーと協調していることは、特筆に値するでしょう。

そして、何よりも注目されるのが2014年11月20日に英国庶民院で行われた、通貨創造に関する議論です。ポジティブ・マネーによる啓蒙活動が功を奏し、1844年以来実に170年ぶりに、英国の与野党の議員がこの問題に関して検討を行いました。正直なところ参加者はそれほど多いものではありませんでしたが、現在の通貨制度に問題があり、それを改革する必要がある点では、与野党を超えた合意が示されました。

まず、保守党のスティーブ・ベイカー議員が問題提起し、民間銀行による通貨創造の諸問題、労働の対価としての収入と金融取引の結果としての収入の性格の違い、現在の通貨制度による富の集中、量的緩和の問題点などを指摘した上で、従来の通貨理論に挑戦する研究および暗号通貨(ビットコインなど)への財務大臣の関心を歓迎し、通貨制度改革に向けた英国政府の取り組みの継続を訴えました。さらに、地域通貨などの補完通貨の創造や流通への規制を撤廃し、これら通貨建ての取引の場合には付加価値税を免除したり、あるいは所得税などその他の税金を地域通貨建てで支払えたりするようにすべきだと主張しました。

 次に労働党のマイケル・ミーチャー議員が、英国では銀行からの融資が不動産投機にしか行かず産業振興にほとんど向けられていない点を問題視し、議会として投機ではなく産業振興のために融資を向けさせるべきだとして、具体的には昔の日本の窓口指導のようなものの導入や、民間銀行からの通貨創造の剥奪および中央銀行への同権限の一任を提案しました。基本的に、ポジティブ・マネーやマーティン・ウルフ氏の主張に沿ったものだと言えるでしょう。

 これに続いたのが保守党のピーター・リリー議員で、通貨創造についての英国知識層の無知が今回の危機を招いたと切り出し、銀行が自ら保有していない通貨を無から生み出し融資している点を指摘しました。また、経済危機により十分な通貨供給が行われていない現状を問題視した上で、特に貧困層に向けた通貨発行が必要だと訴えました。

 その後、労働党のオースティン・ミッチェル議員が銀行による通貨創造を政府が制限すべきだと訴え、量的緩和をすること自体は問題ないが、銀行の救済ではなく産業振興に振り向けるべきだと提案しました。保守党のザック・ゴールドスミス議員は、現在時点で低すぎる準備預金率の引き上げや量的緩和の産業への投資を主張していました。さらに、アンドリア・レッドソム大蔵省経済局長が、商業銀行による通貨創造やその問題点を認めたものの、ポジティブ・マネーの政府通貨の提案に対しては疑念を呈しました。なお、ポジティブ・マネー側では同局長に対して以下のような回答を寄せています。

 この英国議会での議論の内容自体は、ポジティブ・マネーの支持者にとっては正直なところ、それほど目新しいものではありません。しかし、ここで重要なのは、通貨創造に関する問題を英国議会が重要視し、今回の討論を通じて通貨制度改革に向けた議会内での取り組みが始まったということです。幸いにしてポジティブ・マネーの主張は与野党双方に理解され、双方から積極的な提案が出されたことで、ポジティブ・マネー側もこの内容を評価する記事をインターネット上で発表しています。

 ポジティブ・マネーの提案が今後どのような展開を見せるかは分かりませんが、通貨統合により自国内だけでは通貨制度の変革が難しいユーロ圏諸国と異なり、今でも英ポンドを使い続けている英国では、このような通貨制度改革が比較的やりやすいため、ポジティブ・マネーの動向に、今後も注目していきたいものです
メンテ
通貨の価値の話し ( No.126 )
日時: 2016/03/15 01:42
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:i4zuF0pw

通貨の価値と中央銀行制度の罠

<中央銀行がマネーを増刷する仕組みと、
その信用の元になるものは何か?>

まず通貨の価値について検証しましょう。


古代蒙古では、専売品とされていた塩の引換券「塩引(えんいん)」を発行し、通貨である銀と交換して収入を得るというものです。これは塩そのものを転売するのではなく、塩とリンクさせたいわば有価証券のようなもので、紙幣としても使用されていた。

>不換紙幣に至るまでの兌換紙幣の全盛時代は。
(金貨の時代)
ベネチアはアドリア海に浮かぶ海上都市です。中世からルネサンス期ま
で、西欧の国家は、城壁で囲まれた都市国家でした。ベネチアは、東方
貿易を発達させた商人の国でした。

中東から香辛料を輸入し、西欧の貴族に、高く売っていたのです。肉は
、焼くとき香辛料を振れば美味しくなる。地主だった貴族の食卓で使わ
れる香辛料の一握りは、宝石と交換されるくらい高価でした。この東方
貿易で、ベニス(英語)の商人はヨーロッパ中の金を、集めます。

中世のベニスで発達したのが、金のアクセサリーや宝飾でした。海の都
市ベネチアに行くと、今もサンマルコ広場の周辺が宝飾を売る店で溢れ
ています。金を集めていたメジチ家の本拠フィレンツェにあるベッキオ
橋も同じです。当時のマネーは、当然に金貨でした。
(兌換紙幣の登場)
貴族や大商人は、貴金属を金細工師(金匠)に預け、修理や別の装飾品
を作ってもらう習慣がありました。パーティで夫人が飾って見せびらか
す衒示的欲望(ヴェブレンの用語)のためです。権勢を示すのが金でし
た。

宝飾を預かった金匠は、「純金の含有量を計って金証券(セキュリティ
=証券)」を発行します。

金貨も、安全のため金匠の金庫に預けられるようになって行きます。当
時は、武装した強盗が多かったからです。

13世紀にはじまった金証券は、100年、200年を経て、金貨の代わりに買
い物に使われるようになってゆきます。「金証券=金=紙幣」になって
行ったのです。

(硬貨)
硬貨はローマ時代にも鋳造されている。当時は、金貨でなくてもそれなりに実態価値があるもののようでした。
我が国では中国の明の永楽銭が残っていますが、どれくらいの実態価値があるものであったか解りません。
もともと通貨というものは物物交換の媒体であり、貝殻や骨など、特に実態価値があったとは思えません。
(兌換紙幣の時代)
また経済が進歩して金本位制と言う概念が成立した時代でも金貨の流通は一部のことであり、概ねは兌換紙幣でまかなわれていました。
兌換紙幣は、その金額相応の金貨の譲渡できる請求権です。
近代資本主義は、この兌換紙幣のシステムと共に発展してきました。

(不換紙幣の時代)
もともと金貨だけで世界の通貨を賄えることなどなかったのですが、兌換紙幣と言っても、実際に発行している通貨の量に比べると各国とも保有す金の量は知れていました。
産業革命以降、経済の発達で膨大な商品の出現を見て、兌換紙幣と言う概念は、もう維持できなくなり不換紙幣が登場することになりました。
紙幣の本質は譲渡できる「請求権」です。1万円札は、1万円の価値があ
るものの請求権です。

>その1万円札の価値の根拠は何かと言うと、
経済の専門家は次のように言います。

バランスシートは、資産と負債を対照したものです。
日銀の最近のバラスシートを見ます。

資産 負債と資本
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
国債保有 86兆円 紙幣発行 80兆円
貸付金 45兆円 当座預金預かり 31兆円
社債・株等保有 5兆円 国債売り現先 26兆円
米ドル保有 6兆円 その他引当金等 7兆円
その他資産 2兆円 資本金 1億円
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日銀資産 144兆円 負債&資本 144兆円

【日銀の資産】
日銀の資産は、政府が発行した国債86兆円と、貸付金45兆円です。
金もわずかにありますが、簿価では総資産144兆円の3%の4412億円に過
ぎません(756トン:時価では3兆4000億円)。

>要するに日銀の会計上の貸借対照表が釣り合っているので通貨の価値を担保しているというのです。


日銀が保証しているという価値の実態はないのです。
また、それでGDPで500兆円を超える我が国の実体経済の流れの中で流通する通貨の価値を担保できているなど無茶苦茶な話です。
実際には、通貨の価値の考え方、ルールを決めているに過ぎません。
それよりも、インフレが起きれば通貨の価値が下がると、言った方が余程理解できます。
ハイパーインフレなどが起きると、日銀がいう通貨の価値の担保など、全く意味を成さず、結局は日銀には通貨の価値を保証する能力は、もともとないのです。


メンテ
中央銀行制度の登場 ( No.127 )
日時: 2016/03/15 13:54
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AUUu9AR2

中央銀行の登場

経済規模が発展すると、人々は、その富を追い求め流通する通貨が絶対的に不足してきた。
国家ののみならず個人においても債務が発生してきたことも認識しなければならない。
流通通貨が主に金貨の場合、材料の金に不純物を混ぜて通貨の増加が図られた。
>金貨の時代は、中央銀行のマネーは改鋳から生じていた

さて、そう言うおり、一人の英雄が現れた→中央銀行構想の登場
ジョン・ローが作ったフランス王立銀行(1716年〜)

ルイ王朝の末期は、政府財政は赤字が続き、国債の残高(30億リーブル
)は、1年間の税収(1億4500万リーブル)の20年分に達していました。

国債の金利が5%なら、税収の全部が、金利の支払いだけで消えます。
王家の支出、官僚の給料、兵士の俸給は、まるで払えない。

当時のフランスは、ベネチア流の民間銀行はあっても、金貨と金証券の
時代でした。幼いルイ16世の摂政を勤めたのが、オルレアン公フィリッ
プでした。

サロンには、貴族用のカジノがあり、カジノを主宰していたのが、英国
から流れてきた、才気煥発で貴族に声望が高かったジョン・ローでした
。ジョン・ローはオルレアン公に近づき、3つの革新的なアイデアを提
供します。

(1)フランス中の金貨を、預かり証を発行して集め、20%の含有を減
らすよう改鋳して再発行する。これで、フランス政府は、国内の全金貨
の25%の収入を得る。

更に、大量の持ち運びは不便で、安全な保管にも問題がある金貨に対し
ては、政府が、ベネチア流に金証券(兌換紙幣)を保有金を超えて発行
する。兌換紙幣は金と交換できるものですが、その90%が交換要求され
ないことが、ベネチアの金匠の経験から分かっていたからです。

(2)王家の土地を担保にした証券(紙幣と株)を発行し、国民に売る
。国民は金貨で株を買う。これによって、政府は、増税したのと同じ金
を得る。

(3)フランス国民が行ったことがないアメリカの新大陸に、金を採掘
する「ミシシッピ会社」を作ったとして、株を売る。

この株の配当は、金ではなくフランス国債で払う。当初は政府は信用さ
れ、「ミシシッピ会社」の株券はブームを呼び、10倍に上がります。

以上が、世界の、紙幣を発行する中央銀行の発祥でした。
ほぼ300年前の18世紀のことです。

最初、フランス中に、紙幣になったマネーが溢れたため、商品購買が増
え、経済が活性化します。需要が増えたため物価も上がった。増発され
た紙幣がインフレを呼んだのです。

紙幣を発行したジョン・ローは、フランスを富ませた英雄になった。
しかし、これは約4年間だけの、つかの間のことでした。

(注)紙幣を増発した政府が信用されていた4年間という期間は、重要
です。

ミシシッピ会社の工員として雇われアメリカに渡り、帰って来た人たち
が、「株価に見合う金は、発掘されていない」ことを言い始めます。株
価は、「嘘と本当」の評価の間で、乱高下する。いつまで経っても、本
当の埋蔵量が分からない金鉱山の株価と同じです。

4年後のある日、金と交換できる兌換紙幣を満載した貴族の馬車が、王
立銀行に乗り付け、金貨との交換を要求します。王立銀行には、発行さ
れた兌換紙幣に相当する金はないと感じた貴族がいたからです。

パリ中が騒ぎになって金貨への交換要求が増える。金鉱山株だった「ミ
シシッピ会社」の株も、高値で売られて利食いされる。

危機を感じたオルレアン公(政府の本当の金保有高を知っている)は、
金貨の使用を禁止する法令を作りますが、王立銀行の窓口での交換要求
は、逆に日増しに増え、混乱と暴動が生じます。このため、数日で金貨
の保有を禁じる法令は取り下げられます。

政府は、不足した金貨に換えて銅貨も発行します。紙幣を袋一杯の銅貨
に換え、舗道を引きずって歩き、これで安心と満足する人もいたからで
す。

この間、大量発行されていた紙幣の価値は1/10に下がり、フランスの
物価は10倍に上がったという。

政府は今度は、インド会社を作り、貿易の独占権を与えようとして、株
を発行します。国民から金貨を得るためです。

ところが、これには特権を取り上げられた数千人の貿易商が反抗したた
め、議会は承認を拒否します。そして、いよいよ王立銀行に、ゴールド
がなくなったのです。国民には、根拠のない紙幣と株だけが残った。

最後は、政府が年金の支払いに充てていた額面1000リーブルから1万リ
ーブルの高額紙幣を、インド会社株の購入にしか使えなくします。つま
り、兌換紙幣の無効化、無価値化です。預金封鎖ではありませんが、預
金封鎖に似ています。

以上が、紙幣を発行したフランス王立銀行の帰結でした。

(引用終わり)

ここに現在の中央銀行制度の仕組み、彼らがいう通貨の価値の担保について、全てが物語られている。
しかも、彼らが想定している通貨の価値の担保の基準が、如何に脆く、不安定なものであるかを。
次に、現代の中央銀行の有り様の一部を紹介します。


■1.最初に、ユーロの中央銀行の仕組みから

【ユーロの中央銀行の仕組み】
米国には中央銀行としてFRB(連邦準備銀行)が、日本には日銀がありま
す。中国には人民銀行です。

17ヵ国がそれぞれ別の国家機構を残したまま、通貨連合を作ったユーロ
は、特殊です。この仕組みを知ることは、「どこがマネーを出したのか
」を知る上で役立ちます。

ECBの本部は、ドイツのフランクフルトにあります。そして加盟17ヵ国
には、それぞれECB傘下の中央銀行があります。

アテネには、ギリシアのECB支店がある。90年代まではドラクマを印刷
していましたが、2000年以降はドラクマの印刷はできません。

【事例】
ギリシアの民間銀行が、ドイツの民間銀行に借りていた1000億ユーロ(
10兆円)の満期が来て、支払わねばならないとします。しかし、ギリシ
ア国債の不良債券を抱えるギリシアの銀行(アロム銀行など主要20行)
には、そのマネーがない。

銀行間で借りようとしても、短期資金の市場は消えています。ギリシア
の銀行に、1週間でも、ギリシア国債を担保にして貸すユーロの銀行が
ないということです。(注)スペイン、ポルトガル、イタリアの銀行に
対しても貸付けする民間銀行が消えています。これが、金利の高騰です


【ECBの支店と本部】
以上のため、ECBアテネ支店は、フランクフルトにあるECB本部(元はド
イツの中央銀銀行)に、1000億ユーロを貸してくれるように依頼します
。ECBアテネ支店が、ギリシアの民間銀行に1000億ユーロを貸すためで
す。こうした時期の銀行の資金繰りは、綱渡りです。

ECB本部が、アテネ支店への融資を断れば、ギリシアの銀行の同時破産
(デフォルト)です。1000億ユーロが戻ってこないドイツの民間銀行も
、資金不足から同時破産するでしょう。

これを防ぐためECBの本部は、1000億ユーロ(約10兆円)を印刷し、ギ
リシアの銀行の代わりに、ドイツの民間銀行に、その1000億ユーロを振
り込みます。(注)実際は、口座への金額振り込みです。

以上で、ECBの本部が、アテネのECB支店に、1000億ユーロを貸し付けた
ことになるのです。アテネのECB支店は、この1000億ユーロを、ギリシ
アの民間銀行に貸し付けます。

これが、3月危機を回避したユーロのマネー印刷の仕組みです。

(引用終わり)

諄々と説明されているようであるが、何かが抜けているのである。
それは国家自身が通貨の発行をした場合の想定がないのである。

メンテ
通貨の増刷 ( No.128 )
日時: 2016/03/16 16:44
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:KRE/8q1w

通貨の増刷はタブーと言われているが、こんな規制こそ鼻白無むものはない。

通貨は金貨の頃からどの独裁者も増やす試みをしてきた。金山の開発に必死であった。
もともと物々交換の媒体であった通貨であるが、通貨、そのものに価値をおいてから、特に紙幣が登場してから、一方では通貨の増刷をタブーとし、一歩では信用通過を含め増刷に次ぐ増刷をしてきた。

現在通貨発行残高が7京円と推定されているように、その総量は誰にもわからない。
それも殆どは有利子の債権と言う形で出されてきた。
債権と言っても、それは形だけの空手形。紙くず同然に、そこらに散らばっていることであろう。

現状の通貨増刷が、金融システムの維持のためやら、何やらとユダ菌なお金融資本を息づかせるには有効でも、実体経済にはほとんど反映されなかったことを反省し、最近は「ポジティブマネー」と言う通貨の概念が取りざたされはじめた。

要するに、具体的な施策を進めるために通貨の増刷をあてては どうだろう、と言うものである。

通貨の増刷による悪影響は次の3点が考えられる。

1 ハイパーインフレが起きる。

1 為替相場が混乱する。

1 人間性の破壊心配である。


今までは、何とか表向きの通貨の増刷はタブーとし、金融面の帳尻合わせに限っていたが、世界中が債務国に転落し、社会福祉制度が維持できなくなり、多量の経済格差、失業者を排出するようになった、現在、我々は通貨の増刷と言う意味を直視し、考えて行かなければならない。

本当に、タブーとしなければならないのか。
答えは、否である。

既に人類の通貨史は通貨の増刷の歴史であるのだ。
メンテ
ハイパーインフレ その1 ( No.129 )
日時: 2016/03/17 01:47
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:sbyxvw9M

前回のレスでハイパーインフレに触れました。
通貨の増刷をすると起きる危険性が高いとされているものです。
通貨の増刷論を進めるのに避けては通れない課題であります。
それでは、世界で言うハイパ^インフレは実施にどのように起きていたものでしょうか。
最後で、ハイパーインフレについて下記のような議論があります。
単なる恐ろしい出来事おように思わないで、実際のハイパーインフレを検証して見たいと思います。

森永卓郎は「ハイパー・インフレーションは、輸入価格・人件費・利益のいずれかが極端に大きくなったときに起きる。人件費・利益が10倍になるということは考えられず、現実的なのは輸入価格が大きくなることである」と指摘している[50]。

物価(供給コストの合計) = 輸入価格 + 人件費 + 利益

経済学者の飯田泰之は「ハイパーインフレが起きる国は二通りだけである。通貨発行主体の継続性が疑われた場合、例えば外国に占領されるんじゃないかという場合と、すでに占領されてしまった場合。つまり、国が崩壊する、革命、戦争という状況下に起こりえるものである」と指摘している。

経済学者の若田部昌澄は「ハイパーインフレが先進国で起きるのは稀である。ハイパーインフレは、社会が混乱状態に陥るときに起きやすい」と指摘している。

経済学者の田中秀臣は「歴史的な経験から見てハイパーインフレの原因は、主に深刻な財政赤字をファイナンスするためのシニョリッジの利用、その帰結としての急激な貨幣成長率にある」と指摘している。田中は「『不況を解消するために行われた金融緩和が原因でハイパーインフレが起きた』という歴史的経験は存在しない」と指摘している。



それでは

西欧の古い、ハイパーインフレーションの例から

18世紀のフランス革命直後のハイパーインフレ、19世紀の南北戦争直後のアメリカ合衆国のハイパーインフレなど、歴史的には巨額の戦費調達によって生じた例が記録されている。20世紀初頭にも、第一次世界大戦直後では、敗戦後のドイツ帝国の1兆倍、帝政が終わったロシア帝国の600億倍のハイパーインフレが発生している。

トーマス・サージェントは、その論文「四大インフレーションの終焉(The Ends of Four Big Inflations)」(1982年)において、第一次世界大戦後にハンガリー(1922年 - 1924年)、オーストリア(1922年 - 1923年)、ポーランド(1921年 - 1924年)、ドイツ(1922年 - 1923年)で生じたハイパーインフレーションを分析した。これらのハイパーインフレが生じた共通の原因は、戦争後の賠償金支払いなどに伴う財政赤字の急膨張であり、不換紙幣である政府紙幣の発行による、財政赤字のファイナンスであった。

これらのハイパーインフレは最終的には、独立した中央銀行の創設、均衡政府予算に向けての一連の措置、金本位制の復帰を通じて終息している。中央銀行が財政赤字をファイナンスすることを拒否し、政府が財政赤字を民間への国債の売却或いは外国からの借入れでファイナンスすることを決めた直後に終息した。サージェントは、ハイパーインフレが終息したのは、その国が政府が財政赤字を補填する財政・金融政策のあり方を変更させたからであるとしている。ハイパーインフレは、財政再建計画を伴った貨幣成長率の管理によってほとんどが終息している。

ほかに歴史的に有名なハイパーインフレの例としてアルゼンチン、ジンバブエなどがある。

南米やアフリカの国では、政府の財政赤字を国外からの借り入れによってファイナンスする手法をとっていた。その後、海外の債権国が債務不履行を予期し、その国の貸し付けを停止する事態が起きた。結果、政府が通貨発行によるシニョリッジに依存し、財政赤字ファイナンスを行うことによってハイパーインフレが発生した。

>ポーランド

ズウォティ(ポーランド語: złoty)は、ポーランドの通貨単位である。ズウォティはポーランド語で「金」を意味し、中世以来金貨の名前として用いられてきた。1ズウォティは100グロシュ。zł または ISO 4217コードに基づくPLN(波: polski nowy, 英: polish new)と表記される。ポーランド国内ではPLN表記が優勢になりつつある。日本ではズロチまたはズオチと呼ぶこともある。

民主化以降の経済の不安定化が一段落し、激しかったインフレーションがバルツェロヴィチ・プラン(「ショック療法」経済政策)の成功により沈静化したことを受けて、1995年1月1日にデノミが実施され、旧10,000zł(PLZ、波: polski złoty、英: polish zloty)が新1zł(PLN)に切り下げられた。

>ドイツ
1914年、ドイツは第一次世界大戦勃発後に金本位制から離脱、マネーサプライは戦時中4倍に膨れ上がった。第一次世界大戦後、ドイツ経済は戦時体制と長らく続いたドイツ封鎖によって疲弊していた。さらに連合国によって、1320億金マルクの賠償金支払いが課された。これはドイツの支払い能力を大きく上回っており、また外貨で支払うことが要求されていたため、賠償金の支払いは滞った。1923年1月11日、フランス・ベルギーはイギリスの反対を押し切り、ドイツ屈指の工業地帯であり地下資源が豊富なルール地方を占領した。占領に対しドイツ政府は受動的な抵抗運動を呼びかけ、ストライキに参加した労働者の賃金は政府が保証した。既に第一次世界大戦中よりドイツではインフレーションが進行していたが、抵抗運動に伴う財政破綻によって致命的な状況へと導かれ、ルール工業地帯の供給能力を失ったために、空前のハイパーインフレが発生した。同年6月までにマネーサプライは対戦前の2000倍に増加し、一般物価水準は25000倍を超えていた。マルクは1年間で対ドルレートで7ケタ以上も下落するインフレーションとなり、パン1個が1兆マルクとなるほどの状況下で、100兆マルク紙幣も発行されるほどであった。このためこの時期のマルクは「パピエルマルク(紙のマルク)」と呼ばれる。またこのハイパーインフレを「ユダヤの紙吹雪」[17]と呼ぶ反ユダヤ主義的な陰謀論も流行り、アドルフ・ヒトラーらがミュンヘン一揆を起こしたのもハイパーインフレの危機が収束するかしないかという時期であり(1923年11月8日)、左派による地方政府掌握が発生するなど、混乱はドイツ中に広がっていた。

第一次世界大戦後のドイツのハイパーインフレでは、酒場の客は値段が上がらないまだ早い時間のうちに、数杯のビールを一度に注文しようとしたとされる。

1923年10月15日、ヒャルマル・シャハトドイツ帝国銀行総裁主導により、レンテンマルク導入が発表されたことでインフレーションはほぼ停止し、物価も安定した(レンテンマルクの奇跡)。レンテンマルクは不動産や工業機械を担保とするレンテン債権と兌換できる、レンテン銀行(英語版)が発行する銀行券であり、1金マルクと同じ価値を持つとされていたが、法定通貨ではなかった。やがて1レンテンマルクは1兆パピエルマルクと交換されることになり、事実上のデノミネーションが行われた。翌1924年にはアメリカが賠償金支払いプロセスに参加し、ドイツに融資を行うドーズ案が採択された。この資金を元にライヒスマルクが発行され、ドイツは戦時中以来離脱していた金本位制に復帰した。ドイツは相対的安定期と呼ばれる経済回復期を迎え、ヴァイマル共和政が倒れることはなかった。

しかし1929年の世界恐慌によってドイツ経済は再び崩壊した。インフレーションの再来を怖れる民衆や財界は、大規模な財政出動に反対していた。ハインリヒ・ブリューニング内閣はこの状況に対してデフレーション政策で臨んだが、状況は改善されなかった。1933年には失業率は、44%に達した。旧来の政治勢力は民衆からの期待を失い、ヴェルサイユ体制打破を掲げるナチ党の権力掌握を招いた。ナチス・ドイツ体制期においては政府支出の拡大、メフォ手形など非公式なものを含む政府債の拡大政策が行われたが、これらの累積は貨幣市場への圧迫をもたらすものであった。ドイツの経済当局は賃金や物価の上昇について厳しく押さえつけることで、インフレーションを抑制しようとした。

経済学者の原田泰は「ナチス政権は、金融緩和によってデフレーションから脱却し[要高次出典]、アウトバーンの建設、フォルクスワーゲン(国民車)の製造という産業政策も行い、景気を回復させた」と指摘している。

(続く)
メンテ
ハイパーインフレ その2 ( No.130 )
日時: 2016/03/17 01:51
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:sbyxvw9M

>オーストリア

第一次世界大戦の敗戦国であるオーストリアは、その戦後賠償金をファイナンスするために政府・中央銀行が貨幣を発行し、シニョリッジを利用した事が、ハイパーインフレの引き金を引いた。これによって、オーストリアは月率50%、年率1000%をはるかに上回った。オーストリアのハイパーインフレは1922年8月に停止した。

>ハンガリー

第一次世界大戦後にオーストリアから独立したハンガリーにも激しいインフレが襲った。独立直後に導入されたハンガリー・コロナ(英語版)の通貨価値は激しく下落し、1925年のペンゲー導入まで続いた。

第二次世界大戦後にはより激しいハイパーインフレが発生した。ペンゲーは後期の16年間で貨幣価値が1垓3000京分の1になったが、20桁以上のインフレーションは1946年前半の半年間に起きたものである。大戦後、1945年末まではインフレ率がほぼ一定であり、対ドルレートは指数関数的増大にとどまっていたが、1946年初頭からはインフレ率そのものが指数関数的に増大した。別の表現でいえば、物価が2倍になるのにかかる時間が、1か月、1週間、3日とだんだんと短くなっていったということである。当時を知るハンガリー人によると、一日で物価が2倍になる状況でも市場では紙幣が流通しており、現金を入手したものは皆、すぐに使ったという。

1946年に印刷された10垓ペンゲー紙幣(紙幣には10億兆と書かれている)は歴史上の最高額面紙幣であったが、発行はされていない。実際に発行された最高額面紙幣は1垓[33]ペンゲー紙幣(紙幣には1億兆と書かれている)である。このハンガリーのインフレは、最悪のインフレーションとしてギネスブックに記録されている。1946年8月、ハンガリーのハイパーインフレはフォリントの導入によって収束した。

1948年のハンガリーのハイパーインフレでは、労働者は1日に3回に分けて給料を貰い、給料が無価値にならないように小切手を現金化しようとする労働者の妻たちが、一日中職場と銀行の間を往復していたとされた。

(日本のインフレ)
>元禄のインフレーション
江戸時代の元禄年間、勘定吟味役荻原重秀が、幕府の財政拡大による財政赤字増大策として1695年に元禄の改鋳による金銀含有率の引き下げを行った。この改鋳は慶長小判に対し銀を加えて含有金量を2/3とし、通貨量を1.5倍にするというものであった。その結果インフレーションにはなったが、マネーサプライが増えたがゆえに太平下で物資の生産が増えてだぶつき、デフレーション気味であった経済を立て直した。また当初引替に対し慶長小判100両に対し、元禄小判101両と僅かな増歩しか付けなかったため引替はあまり進捗せず、貨幣流通量の増加が緩やかなクリーピング・インフレであった。

>宝永のインフレーション

1703年には関東諸国に巨大地震である元禄地震、続いて宝永年間の1707年に宝永地震・宝永大噴火と自然災害が相次ぎ、加えて徳川家宣の将軍代替わり、皇居の造営費などと幕府の財政は本格的に慢性的な赤字に転落し、荻原重秀は更なる銀貨の改鋳を建議した。一方で新井白石と家宣は「悪質なものを出せば天譴をうけて天災地変を生ずるおそれがある」と合意して一旦は改鋳の議は中止となる。しかし、重秀は銀座と結託し独断専行で永字銀など質を落とした銀貨を相次いで発行し、インフレーションが加速した。

その後、新井白石が幕府の歳出を減らし、正徳・享保の改鋳で金銀含有比率を慶長小判の水準に戻してインフレーションを抑制すると、不景気に逆戻りした(正徳の治#正徳金銀の発行、享保丁銀#略史参照)。

>元文のインフレーション

徳川吉宗の享保の改革においても金銀含有比率を維持するために緊縮財政を続けたが、米などの物価が下落したので、大岡忠相の強い進言により元文の改鋳を行い、金品位を低下させると共に貨幣流通量を増加させ、デフレーションを抑制した。このとき旧金貨(慶長小判、享保小判)100両に対し、元文小判165両の増歩を付けて引替え、かつ改鋳は3年程度で大半が終了するというものであったため、通貨量の急激な増大を伴うギャロッピング・インフレにはなったが景気と幕府の財政は回復し、特に財政は1758年(宝暦8年)には最高の黒字額を記録した。

>幕末のインフレーション

近世初頭に佐渡金山や土肥金山などでゴールドラッシュがあった日本では、その後の鎖国で貿易量が大幅に減った結果、国内に金が蓄積され、市場の金は比較的豊富だった。幕末の頃でも日本の金銀比価は約1:10と金安で、さらに名目貨幣である一分銀が多く流通していたため擬似金銀比価は約1:5となり、これは金銀比価が約1:15だった当時の欧米列強からは羨望された。

安政の仮条約で通商が始まると、列強は日本に大量の銀を持ち込み、小判を買い漁った。これを本国で鋳潰して公定価格で売るだけで大儲けができるからである。当時はまだ金銀交換量に制限が設けられていなかったため、これで金の大量流出が起こり、幕府は流出を防ぐため天保小判1枚を3両1分2朱の増歩通用とし、質量が3割弱に激減した万延小判と、さらに含有金量の少ない二分判を多量に発行して通貨価値(購買力平価)は飛躍的に減少した。このためと輸出による物資不足(幕府政令「五品江戸廻送令」)、諸藩の軍備近代化のための輸入増加に伴う通貨流出等の相乗効果で物価が騰貴して、庶民の暮らしは苦しくなった。これが、江戸幕府崩壊の一つの原因と言われている。

>昭和恐慌と高橋財政

濱口雄幸内閣の井上準之助蔵相が主導した金解禁により、金本位制に復帰した日本は、折からの世界恐慌にも巻き込まれ、昭和恐慌と呼ばれる深刻なデフレ不況に陥った(1930年-1931年11月の消費者物価は-10.8%)。中でも価格下落が激烈だったのは農産物で、1930年の下落率は34%に達し、農村の生活は破壊された。石橋湛山や高橋亀吉ら、従来より旧平価による金解禁に反対していた新平価金解禁派の経済学者たちは、井上の財政を批判し、インフレ誘導によるデフレ不況克服を訴えた。石橋らはインフレ誘導という言葉のイメージの悪さを忌避してリフレーションという用語を多用したという。

やがて濱口首相暗殺後、若槻禮次郎内閣を経て、立憲政友会の犬養毅内閣が成立すると、蔵相に就任した高橋是清は、事実上のリフレ政策を断行する。

金輸出再禁止後、対前年比で10%のデフレが急速に終息に向かい、国債の日銀引き受けが始まる2ヶ月前から、3%前後のインフレへと急速に変化した。

金輸出を再び禁じて金本位制から離脱し、国債の日本銀行(日銀)引き受けを通じて市場に大量のマネーを供給することで、金融緩和を推進した。同時に海外に資金が流出してしまうと、金利が上昇する恐れがあるため、1932年(昭和7年)7月に資本逃避防止法を設定して対外証券投資を禁じ、1933年(昭和8年)3月に外国為替管理法により、資本流出と為替の統制を行った。このため、国際金融市場と国内金融市場が途絶し、ポンド建て国債と円建て国債の価格差が発生することとなった。

金輸出再禁止直前である1931年12月12日の大阪毎日新聞の社会面は「金が再金論になったら-物価は飛び上がる/サラリーマンは受難だ/儲けるのは事業家ばかり/某財閥は一攫千金」という見出しで一般大衆のインフレ恐怖を煽っている。

1932年に入って、高橋財政が本格的に発動された1年を扱う、新聞はリフレ政策による景気回復を「空景気」と警戒していたが、日銀の利下げ、大蔵省債券・政府公債の日銀引き受けなどの金融政策による景気回復が本格的になると「空景気」警戒の論調は大きく後退していった。

その後1935年(昭和10年)、岡田啓介内閣の蔵相時に公債漸減の方針を打ち出し、軍事費の圧縮に乗り出し財政再建に転じた。

そのため高橋は軍事費削減を恐れた軍部によって1936年(昭和11年)2月26日に暗殺される(二・二六事件)。田中秀臣は「兵士たちはリフレ政策による景気回復の果実が自分たちの出身階層・地域に及ぶまで待つことができなかった」と指摘している[98]。

高橋財政の1932-1933年度では軍事支出は、対前年比で40-60%の伸びであったが、1934-1935年度では軍事支出は、10%台の伸びに低下している。二・二六事件後は、軍事支出は対前年比20-40%の伸びが継続していった。

高橋によって生み出されたマクロ経済政策の枠組みは、リフレーションによる景気回復という本来の目的を逸脱し、第二次世界大戦のための軍事費の調達という色彩を強めていった。その後日銀の国債引き受けは悪用され、インフレが高進した。悪用が生じた本質は軍部の専横にある。二・二六事件以後、インフレ率は10%台に上昇し、国民の消費生活は貧しくなった。

1939年には価格等統制令(昭和14年勅令第703号)が発せられ、産業資材や生活物資は公定価格に一本化され物価は商工省下の価格形成委員会(中央・地方)により決定されたが、このことは闇市の形成をもたらし、推計では1940年(昭和15年)(太平洋戦争前)ではインフレ率は16%となった[要出典](これは狂乱物価時代(1974年(昭和49年))の23.2%を下回る)。

日本銀行の調査によれば、1934-1936年の消費者物価指数を1とした場合、1954年は301.8と8年間で物価が約300倍となった。このインフレの原因は戦前から戦中にかけての戦時国債、終戦後の軍人への退職金支払いなどの費用を賄うために政府が発行した国債の日本銀行の直接引き受けとされている。第二次世界大戦中に発行した戦時国債は、デフォルトはしなかったが、その後戦前比3倍の戦時インフレ(4年間で東京の小売物価は終戦時の80倍)によってほとんど紙屑となった。
1947年にはインフレ率(消費者物価指数)は125%に達した




>戦後のインフレ

日本銀行の調査によれば、1934-1936年の消費者物価指数を1とした場合、1954年は301.8となった。つまり、8年間で物価が約300倍となったことになる。
伊藤正直は、1934-36年卸売物価が、1949年までに約220倍になったとし、1945年の水準からみて1949年に約70倍というハイパー・インフレとなった、としている。

第二次世界大戦中の大日本帝国政府の借入金総額は国家財政の約9倍に達していた。戦争中は統制経済と戦時国債の個人購入で資金を吸収することで戦争時のインフレーション傾向を抑えていたが、敗戦でこの仕組みが崩壊し、インフレーション傾向が一気に表面化した。太平洋戦争で約300万人の死者を出し、建物は約25%を失い、生産機械を35%を失い、船舶の80%を失った[11]。戦争による生産設備の破壊により民間の生産力が回復しておらず、また当初は非常に多額の敗戦国戦時賠償が予想されており、また民間設備や資産への復興需要が予想され、あるいは政府が軍発注物資の代金支払いによる通貨の供給過剰などを原因として高率のインフレーションが懸念されていた。日本国政府は当初このインフレリスクに対しては、臨時軍事費の支払を補填するものであり楽観視していたが、日本銀行およびアメリカ合衆国政府は、賠償金の支払いや民間復興需要の点からハイパーインフレーションを懸念していた。

日本国政府は、1945年(昭和20年)12月に預金封鎖と新円切替など立法化し(翌2月に緊急措置)通貨の流通量を強引に減らして物価安定に努めたが、傾斜生産方式による復興政策が始まると、復興金融金庫から鉄鋼産業と石炭産業に大量の資金が融資された結果、復興インフレが発生した。インフレーションを抑えるために融資を絞ると生産力が鈍るために、融資を絞ったり拡大したりする不安定な経済状態が続いた。結果的に、1945年10月から1949年4月までの3年6か月の間に消費者物価指数は約100倍となった(公定価格ベース、闇価格は戦中既に高騰していたため戦後の上昇率はこれより低い)[13]。敗戦後のインフレは年率59%であった。1947年のインフレ率は125%となった[15]。

このインフレの原因は、戦前から戦中にかけての戦時国債、終戦後の軍人への退職金支払いなどの費用を賄うために政府が発行した国債の日本銀行の直接引き受けとされている[9]。第二次世界大戦中に発行した戦時国債は、デフォルトはしなかったが、その後戦前比3倍の戦時インフレ(4年間で東京の小売物価は終戦時の80倍)によってほとんど紙屑となった[16]。また、これらインフレーションへの対策の一環として、1946年秋には浮動通貨の吸収を緊急の目的に日本競馬会による競馬が再開されている。

アメリカから大統領特命公使としてデトロイト銀行(英語版)頭取のジョゼフ・ドッジが派遣され、ドッジ・ラインと呼ばれる経済政策(超均衡予算と復興金融債の復興債発行禁止など)を立案・勧告した。ドッジ・ラインの実施によって、インフレーションからデフレーションに逆に大きく振れる結果となり、物価は安定したものの資金の引き上げや貸し渋りによる企業の倒産と失業が増加し、安定恐慌と呼ばれた。朝鮮戦争の勃発により戦時物資や役務の調達に伴う需要が増大し、この特別需要(朝鮮特需)により、生産活動が活発化して景気が上昇し、緩やかなインフレーションに移行した。

1950年前後の消費者物価上昇率は約15%で、名目経済成長率は30-40%に達し、15%くらいの実質経済成長が達成されている。

1954年からは高度経済成長が始まり、ゆるやかなインフレーションが進んだ。高度経済成長期は、消費者物価上昇率4-8%のインフレが続いた[19]。1956-1972年のインフレ率は平均で約4.5%であった。

(続く)
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