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[1711] 経済の話し
日時: 2013/03/12 23:22:25
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:1363098145

最近、阿修羅掲示板に良く投稿される「あっしら」のサイトへ行ってみました。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/index-as.htm

HNは「あっしら」と名乗られているが経歴は解りませんが、資本主義経済のシステムが持っている色々な矛盾を説く解す能力豊かな、経済に強い確かな方と見受けしました。
その一部を転載します。



「供給=需要」の向こう側 <想像力から創造力へ> S子
         
「利潤なき経済社会」を興味深く、また、意義深く読ませていただ
いております。資本主義経済において、結局、私たちが見誤ったも
のは、マネーにおける「目的」と「手段」をはき違えたことにある
のは間違いないだろう。経済活動における潤滑油とはマネーであり
、そのマネーが滞ることなく流通し、循環してこそ経済の活性化を
見ることができ、個々人としての生きる活動も活発化してくる。

それはまるで私たちのからだを流れる血液のようなもので、血液が
さらさらの状態であれば私たちは健康で日々を無事に過ごすことが
できる。が、血液がどろどろ状態になり、この流れが悪くなり脳で
詰まれば脳梗塞が起き、その部分の脳組織が壊死してしまい、私た
ちは失語症になったり、半身不随になったりする。

資本主義も当初はマネーがモノを交換するための「手段」として流
通していたが、資本主義が成熟してゆくにつれて、いつの間にか「目
的」と化した。マネーの目的化はつまるところ全てを目的化させてし
まい、私たちにあらゆるものの「本質」を見る目を喪失させた。
これは事実である。

そして、それが「供給=需要」という経済活動を必然的に生じさせ
、モノに溢れた社会が誕生した。「供給=需要」という経済活動は
よくよく考えてみれば、「与えられた人生」を送ることになり、
そこには自主性や主体性はなくても私たちは「与えられたモノ」を
購入し、そこそこ無難な人生を送ることができる。

私たちが無難だと錯覚し、安心してしまうのは、周囲が皆「与えら
れたモノ」である「同じモノ」を持っているからである。つまり私
たちは「与えられた、同じモノ」を持つことによって人生の安定や
幸福の尺度をはかっていた可能性がある。「供給=需要」という経
済活動では、人間の欲求すらも本質から遠ざけてしまうということ
である。

本当に自分が欲しいモノだったのか、他人が持っているから欲しい
のか、テレビコマーシャルで見たから欲しくなったのか、売り込み
にきたから購入したのか、ないと困るほどではないがあって困るほ
どでもないので購入したのか等、心から欲しているものではなく、
供給されたから需要したという構図が自然と生まれる。それを自分
の欲求があったから買ったと、私たちは錯覚しているにすぎない。

こうして私たちは「与えられた人生」を無難に安定して生きること
で、「危機感」を抱くことなく日々を過ごし、人生を終える。人間の
三大欲求であり生きる基本の「食・性・寝」も既にこの「供給=需
要」という経済活動に組み込まれ、マネーの目的化とともに人間と
しての本能を私たちは喪失しかけている。現代人はこの自覚すらも
ないという悲しい状況におかれているのである。

しかし、マネーの目的化による「供給=需要」という経済活動では
経済成長が持続できないどころか、経済の空洞化を生み失業者を増
加させ、個人としての生きる活動が阻害されてしまう。そのことに
気づいたのが、今回の欧州連合憲法批准拒否の仏国民である。拡大
EUの存続に待ったをかけた格好となったが、「危機感」を抱いた彼
らの人間的本能はまだ廃れていないどころか、十分に健在である。


(中略)

ひるがえって日本を見れば、「供給=需要」人生が非常に行き届い
ており、大人も子供も主体性をなくし、自信喪失し、想像力にも欠
け生きる気力も無い状態に置かれている。だから米国の言いなりに
しか生きることができないのである。「供給=需要」という「与え
られた人生」を送ることは確かに楽ではある。が、そこには「自分
」というものがない。この人生を生きる「自分」がないのである。

だから真の喜びや真の悲しみを味わうことはまずないだろうし、
そこそこ無難で安定した人生を送ることで「危機感」を覚えること
もまずないだろう。実はそれこそが問題なのである。「危機感」を抱
くこともなければ、正直な話がまともに「自分」とは向き合えない。
「自分」という人間のこともわからずして終える自分の人生って一
体何??ということになる。

マネーが目的化されることで「供給=需要」という経済活動が必然
的に生じ、「与えられた人生」を送ることで私たちは主体性を失い
、自信を失い、生きる源泉ともいえる想像力までも失った。また、
そういう場所さえも失った。想像力を失えばこの世で実現する創造
物さえもなくなるのである。つまり来るべき未来が描けない。

「利潤なき経済社会」ではマネーを手段に転落させることで、資本主
義の論理が大きく揺らぐだけではなく、世界の構造が大きく転換し
てしまう。これまで築き上げてきたもろもろが崩壊に直面している
と言っても過言ではない。それは日本が明治維新以降追求してきた
西洋文明であるかもしれないし、合理化の名のもとに推進されてき
た科学万能主義であるかもしれないし、それを基点とした物質文明
であるかもしれない。

「供給=需要」人生で「危機感」を抱くこともなくなった私たちが
、価値観の転換をはかることは容易にできそうもないのは明白だ。
しかし、マネーの目的化による「供給=需要」経済活動では世界は
やがて行き詰まる。価値観の転換は時間も要するだろうが、案外石
油の枯渇がその契機になりはしないかと、私は密かに思っている。
その「危機感」が「自分」と真剣に向きあうことになり、それが男
女双方への理解へと向かわせる。そこから男女双方の想像力が生ま
れ、それが創造力へとつながり実現化し、新しい未来が描けるとい
うものである。

(引用終わり)
メンテ

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地域循環型経済 2 ( No.111 )
日時: 2016/02/10 18:37
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:PSovHQDM

半世紀以上昔には、地場産業と言うものがあり、当地、丹後でも縮緬業が盛んでした。隣の田島地方ではカバン産業で栄えていました。
現在も名ばかりは、そのままですが、ちりめんの場合は需要が減り、その上に工場を韓国やタイに移し、今では最盛期の1/10位より生産していません。
但馬のカバン工業も同じように地元の工場は随分となくなりました。

次に地域を潤したのは、メーカーの工場の地域進出でした。
多くの大手メーカーが、地域の安い労働力を求めて全国の地域へ進出してきました。
それも今では、中国、東南アジアに移り、廃墟となった工場群が残っているだけです。

その他に、酒、醤油、パン、お菓子に至るまで、大手メーカーの商品が地元の品物にとって変わり、住宅建設においても、今や新築住宅の半分以上がハウスメーカーの製品に変わっています。

これと言った地場産業がなくても、昔は大工、左官などの職人、小売店、豆腐、こんにゃくなど食品の製造に人手が必要で、近所を見渡すと、どこかに雇用が生まれていました。

資本主義経済と言うまでもなく、経済と言うものは、需要と生産の地域的バランスが取れていてこそ、成り立つものです。
要するに、お金が地域で循環しているのです。

生産の機会が奪われた地域の住民は生産の過程で手に入れることができるお金が入ってきません。
もちろん、わずかであっても、頑張って収入を得ていますが、その代わりどうしても必要な消費以外はしないようになります。

当地、宮津市でも就労者の平均年収は300万円前後でしょう。
それでも、まだ食ってはいますが、これ以上、事態が悪くなれば、それもできなくなります。
其の事態は各種量販店の地方進出などで、ますます悪くなっています。

これに対して、ちりめんを使った手提げ袋、小物の生産など、世に言う付加価値の高い商品を作り販売したり、インターネットで全国を相手に商売する人もいますが、そのようなことができるのは一部の能力のある人に限られ、一般ぽ人たちは打つ手がありません。
もちろん、ホテルの皿洗いやガードマンで何とか収入を得ている人は多くなっています。

この現状を、先のレスに挙げた試作などで解決できるものではありません。
文章で書いて、地方の人たちが協力、団結して解決できるなら、もともと、このような深刻な状況には成りません。

必要な地域経済の確立とは、言葉の遊びであってはならないのです。
実際の生活、死活問題がかかっています。

では、どのようにすれば良いか!
いくらでも考えられます。

地域にあった公共事業を増やし地域の雇用を確保する。
地域産品を輸出できる、地域の小企業でも利用できる公的な輸出機構を地域に作る。
農林水産業への就労を促すか手に補助金(不足分の人件費)を出す。
農林水産業が効率的に行えるようにインフラを整える。
巨大温室、水耕栽培など付加価値の高い農産物を作ると共に先に挙げた輸出機構と連携して農業の採算化を図る。
老人介護施設で地方に移せるものは移す。
限界集落と言われている極端に過疎化が進んでいる地域など、出来るだけまとめて人口密度の高い町づくりをして、空いた土地の有効利用を行政として提案する。
土建工事など無尽蔵に存在する。
新幹線や高速道路作りだけが国作りではない。
まだ先のことになるが、都市部の富裕層にリタイア後の生活の場所として地方移住を進め、そのためのインフラ整備を図って置く。
基礎年金を確実なものとし、老後の不安を無くすことで消費の促進を図る。

このようなことが行われれば、相乗効果もあり、豊かな地域経済圏ができる。
それは、必ずしも全体のグローバル化を否定するものではなく、グローバルな領域に地域を共存させるものである。

グローバル化を悪の様に言うものではないが、経済のグローバル化によって、資本主義経済の原則である需要と供給の実態が、実態というのはマクロで見れば、バランスが取れていても、地域単位では非常にアンバランスとなって機能しなくなっていることをしっかりと認識しなければならない。

これを解決するのが地域循環型経済圏の確立である。
地方の経済の環境が整備されれば都市部からUターンする人も多く出てくる。
ただし、これには財源が必要である。

財源の捻出は、別スレッドでも言っている、通貨の増刷以外には考えられない。
通貨の増刷と言っても、ベーシック・インカムの様にお金をバラ撒く訳ではない。
この施策を国家として実践するのに、できるのに、何が不都合か。

このことを考慮に入れられないから、冒頭に紹介した何の役にも立たない文章が出てくるのである。
メンテ
政治ができる国つくり→新しい日本のかたち ( No.112 )
日時: 2016/02/12 22:16
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:x9umxIbE

世界中が資本主義経済のシステムに振り回されている。

国家の施策は経済のシステムに影響され、本当の国づくりなどできない状況である。

政治と経済の関係は、一体、どうなったのか。

経済に組み敷かれない政治はできないのか。

このようになったのは、民主主義の下に経済活動が活発になり、その恩恵で人々は豊かな生活を送れるようになった。

そのことは事実であり、ここ200〜300年の歴史は人類にとって誇るべきものである。

だが、現在に至り人々は経済のシステムの中に完全に組み込まれ、経済が政治と、国家と見間違っている。

そりゃ、民主主義の世の中、その経済によって国民が手にしているものは大きい。

問題は、その経済のシステムの恩恵が多くの人たちには当たらなくなってきていることである。

巨大資本の暗躍は、弱小国が自分たちにあった、環境にあった着実な国づくりをすることを妨げている。

封建時代の昔の権力者は、現在の資本家である。

昔の国家が封建領主の思うような国づくりに走り、国民のことは二の次であったと同じように、現代社会は資本家の都合の良いように国づくりがなされている。

政治が行われている。

都合が悪いことに、資本家と言っても、数量的には善良な一般国民まで入っているのである。
それが民主主義であり、資本家である国民一人一人には思いやりもあり全量であっても、資本主義と言うシステムの行動は、そうはいかない。

官僚一人一人を見れは善良でも官僚組織が何をしているか見ればわかるでしょう。

故に一国の政治も、経済の束縛から逃げることはできないのが現状である。
ここは、政治を批判する前に、我々自身を省みることである。

人生の価値観を見直すことである。
それなくして、新しい、将来に適した国作りなど出来はしない。


メンテ
お金の価値 ( No.113 )
日時: 2016/02/15 02:48
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:omnd1QPM

しばらくは、下記サイトの文章を紹介します。

https://sites.google.com/site/nekodemokeizai/jing-jino-ben-zhitookane/14-okaneno-si-zhiha-hede-juemaru
おカネの価値は何で決まる?

最近、日本銀行に対して金融緩和や国債引受の圧力が高まり、日銀はしきりに「円通貨を増やすと円が毀損する」と発言するようになりました。円の毀損とか日本売りなどの扇動的な表現が先行していますが、そもそも円の価値とは何でしょう。そして、円の価値は円を増やすと本当に毀損するのでしょうか?

<おカネの価値は生産力で決まる>

おカネには実需を満たすための何の価値もありません。おカネを持っているだけでは、空腹も満たせませんし、雨風をしのぐ事もできません。おカネを食べ物や住む場所と交換することで初めて人々は豊かな生活を送る事が出来ます。おカネがたくさんあっても、それと交換できる商品やサービスの量が不足していればおカネの価値は損なわれてしまいます。つまり、おカネの価値とは、交換可能な財(商品やサービスのこと)とおカネの量のバランスで決まることがわかります。基本的に、生み出される財の量は国内の生産能力によって決まるので、おカネの価値は財の生産能力によって担保されていることがわかります。

現代は経済のグローバル化が進んだため、財の供給は国内生産によってのみ行われるわけではありません。しかし、貿易で必要な財を輸入するためには、それに見合うだけの財を輸出する必要があるため(貿易均衡)、結局のところ国内の生産能力がおカネの価値を支えています。

<円通貨を発行しないことが円を毀損する>

ですから、もし日本銀行が現金を1円も発行しなかったとしても、日本の経済が不況のままで生産能力が崩壊を続ければ、円の価値は間違いなく毀損することになるのです。つまり円の価値を維持する方法は、円の発行を控えることではなく、財の国内生産力を高めることであることがわかります。財の国内生産力を高めるために円通貨の発行を増やした方が良いのであれば、円通貨の発行は円の毀損ではなく、むしろ円通貨の価値を維持するための積極的な行動であると捉えることもできるのです。経済は複雑な連立方程式であるため、円を発行することだけで円が毀損するという単純な事は起こらないのです。

<円の価値が低下しても人々は貧しくならない>

多くの人は円の価値が低下すると生活が貧しくなると心配します。しかし実際には逆の現象が起きています。今の日本はデフレで円の価値はどんどん上昇していますが、国民生活は一部の富裕層を除いて苦しくなる一方です。人々の豊かさは円の価値で決まるのでは無いことが証明されているのです。では人々の豊かさは何で決まるのでしょう。これも財の生産力で決まります。

経済は生産と分配が基本です。市場経済の場合、分配を担うのが市場と通貨です。生み出された財の量と交換に用いられた通貨の総額の比率で価格が決まります。これがおカネの価値(おカネと財の交換レート)になります。交換の際に使われるおカネの総額が増加すれば交換レートが上昇してインフレとなります。しかしインフレになったとしても、生産された財はすべて交換されたわけですから、人々に分配され、人々が手にしたことになります。仮にインフレが毎年進行したとしても、生産され、交換される財の量が毎年増え続けるのであれば、人々が手にする財の量は増え続け、人々の生活は豊かになるのです。

つまり人々の豊かさはおカネの価値で決まるのではありません。より多くの財が生み出され、それが市場を通じてより多く人々に分配されることによって人々は豊かになります。おカネの価値とはその市場における財とおカネの交換レートに過ぎません。交換レート(おカネの価値)がどうなろうと、より多くの財が生み出され、より多くの財が交換されるなら何の問題があるでしょうか。

<貧困はおカネの価値ではなくおカネの分配の問題>

生産される財の量が増えるなら人々は必ず豊かになります。もしそうならないのであれば、それはおカネの価値の問題ではなく、おカネの分配の問題です。市場経済では財はおカネを介して分配されますので、おカネの分配が適切に行われなければ、せっかく大量に生産された財も必要とする人々に行き届かないことになってしまいます。これが貧困です。どれほど財の生産が増えて豊かな社会になっても、おカネの分配が適切に行われなければ貧困が発生します。貧困はおカネの価値が落ちるから発生するのではなく、おカネの分配が適切に行われないために発生します。逆にどれほどインフレになってもおカネの分配が適切に行われ、財の生産が円滑に行われるなら、貧困が発生することはありません。

<積極的に円を毀損する必要アリ>

デフレはインフレの逆で、おカネの価値が高い状態です。ではおカネの価値が非常に高い今の日本は豊かになったのでしょうか?実際には日本の生産力はデフレとそれを原因とする円高のために衰退しています。中国をはじめとする諸外国に生産拠点がどんどん移転しているのです。それでも日本が悲惨な状況に陥らないのは、移転しているのが低付加価値の商品の生産であり、生産総量が減少しても額で持ちこたえているからです。しかし低付加価値商品を生産してきた国内産業は壊滅し、失業者が溢れてしまいました。

このまま円の価値が高い状態が続けば、いよいよ高付加価値商品の生産も海外へ移転してしまうでしょう。産業の空洞化はTPPなどでカバーできるレベルではないのです(焼け石に水)。すると日本の生産能力は壊滅状態となります。それまで円の価値を支えてきた日本の生産力は崩壊し、円は為替市場において暴落することになります。

デフレで円が暴落、そして財政破綻。これが日銀のシナリオなのです。非常に危険です。これを防ぐためには、異常に高すぎる現在の円の価値を、むしろ積極的に毀損する必要があるのです。円を毀損することで、より深刻な円の毀損を食い止めることが出来る。禅問答でも何でもありません。経済は複雑なフィードバック・システムです。

<民間銀行は円を毀損することで利益を得てきたのか?>

円を増やすと円が毀損するというのであれば、民間銀行こそ円通貨毀損の元凶であると言えます。なぜなら、民間銀行は自らが保有する「現金」を元に信用創造という手法で「預金」というおカネを作り出しているからです。預金は現金と同じ扱いを受けていますので、その預金を作り出す行為は円通貨の毀損に該当します。現在の「預金」は「現金」の8倍くらいですから、民間銀行は円の価値を8倍も毀損したことになります。そしてこの預金を企業や個人に貸し付けることで銀行は利息を得てきました。ではなぜ円が暴落しないのか?それは、それに応じて生産と消費、つまり経済規模が拡大したからです。

つまりおカネを作り出すことが通貨の毀損であるという考えは根本的におかしいのです。おカネは経済規模の拡大に不可欠なものであり、おカネを増やさない限り経済は拡大しません。そればかりか、おカネを増やさない限り、やがて銀行への利息を支払うことすら出来なくなるのです(おカネの総額を利息の分だけ増やさないとシステムが破綻する)。

おカネを毀損するとかしないとか、そんなことは経済の本質ではありません。経済の大樹は生産と分配にあります。おカネはその道具に過ぎません。道具に振り回されること無く、本質を見据えたビジョンが今の日本に必要だと思います。

(引用終わり)

さて、現行の金融理論(通貨管理制度)ではどうでしょう。

銀行学派の考え方によれば、中央銀行はプライマリバンク(中央銀行と直接取引の口座を開設している市中銀行)の担保の差出の対等物として通貨を発行するのが原則であり、この場合通貨の価値は市中の信用力に依存している。一方で議会や行政府が国債を発行して中央銀行に引き受けさせている場合、その通貨の価値は行政府の信用(徴税権や国庫財産など)を担保としている。

歴史上で紙幣が初めて登場した中国の元や宋の時代から、紙幣は年貢や塩など現物資産の対等物、あるいは銅銭の預かり証など実際の資産物の手形として使用されてきたものであり、管理通貨制度においても通貨は市中あるいは政府の信用の対等物として取り扱われるのが原則である。この原則に政策上の事情あるいは恣意性が加わるとインフレーションやデフレーションの原因となる。

管理通貨制度では、発行量が本位の備蓄量に拘束されることがないので、景気や物価調整のために柔軟な通貨量調整をすることができるメリットがある。一方で通貨当局と行政府の関係(独立性と協調性)がつねに問われ、通貨当局が行政府の影響下にある場合、景気対策のための恒常的な金融緩和がインフレを招く場合がある。また独立性が極端に保護されている場合、通貨当局の失策が国家に破滅的な混乱をもたらす場合がある(ライヒスバンクの事例)。

(引用終わり)

このような考え方で、我が国の債務が1000兆円あっても、国民金融資産が1300兆円あるから、まだ大丈夫と言う話しがよく聞かれる。
そのような屁理屈は絵空事であり、意味がない。言っている方も確信を持っている訳でもない。
いずれにしても、この考え方では現在、7京円と言われている世界の通貨の量の信用度(価値)など説明できるものではない。

要するに、経済の専門家と言われる連中は、その場、その場の誤魔化しを続けてきたのであり、でかい面して経済の専門家など、世界の経済を守っているなどと言えたものではないのである。

買える商品があれば、生産力があれば、相応の通貨が出回ることに何の不都合があるのだ。
7京円の通貨があると言っても、必要に応じて、ほとんどの国民に行き渡ってないのが現状である。
冒頭に紹介した文章の方が、よほど真実を言っている。

もともと、現行の通貨管理制度など、ユダ菌など一部の資本家の利益代理人に過ぎない。
生産力に応じて、国民が通貨を発行してなぜ、悪い。

今や、中央銀行制度とユダ菌の手先、通貨管理制度は人民の敵である。

マイナス金利政策云々、円高がどうのこうの!
そのような、ことはほおっておけば良いこと。

ユダ菌など金融資本のゲームに過ぎない。
そのようなことは捨て置いて、我が国は我が国の国民の救済のために通貨を増刷すればよい。
通貨の増刷と言っても、それをバラまくのではない。

雇用を生み出すために使えばよい。
公共事業でも、老人介護事業でも、どんどん金をつぎ込めばよい。
その金こそが、国民の手に渡る分の通貨の増刷である。

そうなれば、金融ゲームで遊んでいる連中が利権をなくして干上がることであろう。
ゲーム自体が成立しなくなるのである。

7京円の塚など紙くずにすればよい。
債務国は増刷した通貨で、言われるだけ、返してやればよい。
たかが通貨である。物を借りた訳ではない。
そんな金を回収しても使いようがない。
もう、借りてくれる国もないしね。
通貨は、その国の生産力に応じて存在して始めて有効になるのだ。
現在の金融システムはルールの為のルールに過ぎないのだ。

アメリカ大統領が暗殺されたのは、通貨の発行権を国家に取り戻そうとしたからだ。
ユダ菌にとって、それは許してはならないことだからだ。
通貨発行権を国家に取り戻すだけで
ユダ菌は終わりだ

新しい通貨で、人類は再出発すればよい。
新しい文明の始まりだ!
メンテ
Re:お金の価値 ( No.114 )
日時: 2016/02/15 02:39
名前: ロム者 ID:omnd1QPM

天橋立の愚痴人間殿

目が覚めた思いです。ありがとうございます。
メンテ
通貨の価値とは! ( No.115 )
日時: 2016/02/21 22:19
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:t245dK/Q

迷惑投稿のおかげでスレッドの順番が狂ってしまっている。
通貨発行権、1000兆円の借金のスレッドなどで主張している資本主義の行き詰まり追求している論旨が解りにくくなってしまっている。

資本主義の行き詰まりの一番の原因は決して金融の問題ではない。
生産力の異常な発達で、資本主義経済論の根底である需要と供給を介在した経済の流れ、すなわち庶民の生活の流れが成立しなくなっていることである。

現代社会は、生産(供給)と消費(需要)のバランスが、人々の生活と言う面ではバランスが取れていない。
何京円と言う通貨の存在も、商品の量の何十倍の規模であり、そのこと自体、通貨の価値(意義)と言う面では成り立たなくなっている。
ただし、ゲームとしての通貨の領域(株、為替、投機)では成立しているかの様に誤魔化されている。
金融資本主義などと言う言葉も、主義などではなく、そのゲームのルールを言っているだけであり、多くの人々を対象とした経済の論理ではない。

その様なものを、まだ経済の政策の中心に据えている現代社会は、国家は既に資本に隷属させられた存在に過ぎない。
一般国民には、それを知らされていない。
まあ、極端に変化してきたのはこの半世紀であるので、リアルタイムで一般人に受け入れられていないのも仕方がないことでもある。

この破綻したシステムを変えるにおいて、従来の経済理論、金融理論など何の役にも立たない。
そのようなもので解決できるのであれば、もともと行き詰まりなどとは言わないし、解決の目処も立っていることである。
また、そんなもので解決できるなどとは経済の専門家自身も思ってはいないこと。

私は思う。

通貨の問題は、通貨の発行権を国家(国民)に取り戻し、国民の生活の通貨の増刷に踏み切ることである。
1000兆円の借金の問題も、何京円と言う通貨の問題も、通貨の価値という面で根本的に見直せば、問題は解決できるものである。
金本位制の下であれば、ともかく、既に通貨は紙切れ同然。ただの約束事でしかないのである。
ユダ菌が何京円と言う通貨の大半を支配していても、通貨の価値が変われば紙くずの山に過ぎない。
ユダ菌問題は、あっさりと片が付く。

もちろん、ユダ菌自身、それを知っていて、それが一番怖いのである。
歴史においても幾ら巨大な権力機構でも国民の離反があれば崩壊する。
現代社会においても世界の人々が通貨の価値の問題に目覚めたら、ユダ菌などは一夜にして潰される。

具体的には世界中の国家が通貨の増刷を始めれば、それで済むこと。
従来の資本主義の理念では、インフレを起こすという意味でのみタブーとしているが、インフレが起きたとしても、それが永久に続く訳でもない。

生産と商品のバランスが取れていれば、いずれは落ち着くもの。
国家は自信を持って、方針を持って通貨管理をすればよい。
為替などは、全て固定相場制にすれば良いだけのこと。
最近の資本主義の理念など、ことごとく捨て去ることである。

メンテ
通貨の話 ( No.116 )
日時: 2016/02/24 02:11
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:VWVYJGm6

人類史上、採掘した金の総量は17万トンと言われている。
この内、世界の中央銀行が保有している金は3万トン。

g 4000円の時価で計算すると、世界全体に出回っている金は約700兆円である。
中央銀行の保有している金は120兆円となる。

これで7京円の通貨の価値を担保しているなどとは言えない。
中央銀行は何の為に金を保有しているのか。

要するに、金本位制などは、既に、全く成り立たなくなっているのである。
経済規模が飛躍的に発達した現在、世界中の金を集めても、日本の個人的金融資産の半分であり、GDPから見ても、日本の商品の生産力は、700兆円をはるかに超えている。

そのような金が、どうして通貨の担保であると言えよう。
通貨の価値は、通貨の発行限度と言うものは、別の基準に拠らねばならないことは明白である。

現行のその基準は、国民の金融資産の合計としたいようであるが、その基準となる金融資産、そのものが通貨を現し基準の意味がない。
通貨の価値の担保ではなく、目安に過ぎない。

NO113のレスで書いているように

<おカネの価値は生産力で決まる>

の方が、よほど納得が行くものである。
それにしても、7京円と言われている通貨の量は、実態を反映していない。

それでも通貨管理はできていると言う、その内容は、一体何であるのか。
現行通貨、そのものが矛盾した存在であるのだ。

このようなことにしてきたのは中央銀行制度であり、資本の為の通貨管理である。
それを是正するのに、何が必要か。

どのような認識が必要であるのか。
そこを考えていただきたい。

通貨発行量(基準)は、国々の事情によって異なり、通貨発行権を国家が持ってこそ、正当な通貨管理ができるというものである。

政府は自国の生産能力を見て、それに合う通貨を発行すれば良いのである。

通貨に比例する商品があれば、過度なインフレは起きないのである。
北朝鮮は商品がないのに通貨だけを増やして失敗した。
ジンバブエのハイパーインフレも、同じような原因。

公共事業を通貨の増刷で行っても、公共事業の成果物があれば、それは生産を高めたことにつながり、インフレの起因にはならない。
介護事業を通貨の増刷で賄っても雇用が生まれ経済は活性化する。
基礎年金を通貨の増刷で支払っても、消費が確実に増えるなら、これもインフレには繋がらない。

ここに通貨の増刷のタブーは意味をなさないものである。
現行の通貨管理の理論ではタブーであっても、通貨管理の理念を変えればタブーにはならないのである。

中央銀行制度では、国の施策のための通貨管理はできないのである。
中央銀行制度は、世界の金融システムを維持するための、ユダ菌など巨大金融マフィアを増殖させる為の制度にほかならない。
このことは歴史が証明しているものである。
メンテ
通貨の価値の考え方 1 ( No.117 )
日時: 2016/02/24 15:00
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:VeIk/lt6

経済の話も、次の段階に入りましょう。

先のレスで、世界の金の存在を書きました。
同じ様に、世界のGDPを足せば、8500兆円だそうです。

ついでに、株式の合計は、9000兆円
国家の債務の合計は 7000兆円

上の数字は、統計は対GDP比での推計であり、主要な国は、軒並み100%に近い。
アメリカの政府債務は2000兆円と言われているが、州政府の分をいれると5000兆円とも言われている。
同様に、地域行政の債務までいれると、公的債務はいくらになるか、おそらく1京円をはるかに超えることであろう。

個人資産とカウントされているものの合計は、1京4500兆円になるそうです。

このような状況で、中央銀行が保有している120兆円の金を通貨の価値の担保とすることなど意味がないと言うことがわかるでしょう。
また通貨の発行限度(価値を証明する限度)を個人資産の総計とすることも、無茶苦茶な話であることも判るでしょう。

そこで、
<おカネの価値は生産力で決まる>と言う考え方を、もう少し考えてみましょう。

生産力で決まると言うことは、その合計、例えば日本においてはGDPの500兆円が通貨の価値を担保する基準とすることでしょうか。

ここでGDPの概念を書いておきます。

GDP(国民総生産)とは

>随分と古い話になりますが、このスレッドのNO76で満天下さんがDGPについて説明していただいております。

先ず、可能な限り最新の実態に沿った方が良いと思いますのでGDPは既に500兆円を切ってしまっておりますので、この3月期・H23年度の数値、GDP473兆円で行きます。

〇GDPでは(A)分配面・雇用者報酬は245兆円になっております。
しかし(B)支出面での民間最終消費支出は287兆円になっております。この差は、家計に対する民間非営利サービス生産者の支出が加算されている為です。もしかして橋立さん統計の270兆円には、この分の人件費が加算されているのかも知れません。

〇雇用者報酬が245兆円として残り228兆円が気になりますね・・・付加価値を構成しているのは労働の価値=雇用者報酬だけではありません。資本として投下された生産インフラ機器も付加価値を構成しているのです。新規投資の機器分は、新規投資として前稿で示しました(B)所得の支出で総固定資本形成の中にある「民間投資+政府投資」に含まれていますが、既に生産に寄与している機器は、減価償却が始まっておりますね・・・これはいずれ償却後更新されるものですから、減価償却した分は、総生産に寄与している、付加価値形成の為に動いている、そのような理論から(A)分配面で付加価値形成分として固定資本減耗として加算されます。その額は23年度で102兆円もあります。PCなどの減価償却費も多分、ここに含まれているものと思います。

これで付加価値の残りは、126兆円になります。このうち、(B)の分配面で企業の利益営業余剰が87兆円あります。ここを雇用者報酬との分配が公平であるかとの議論のベースになりますか?

最後に生産・輸入品に課せられる税40兆円、政府が一旦徴収して分配するものです。雇用者が払う税などは、雇用者報酬に一旦含めれたままで、最終消費が、消費、貯蓄、税に分かれて行くことになります。

〇第一次産品の樹木や鉱物などは、多分、全額がGDPに計上されていると思いますが、内閣府に確認してみましょう。人間の労働の産物ではないので、どうかな、とは思いますが、でも次の段階での住宅や、鉄鉱石が鉄に成る訳ですから、全額加わっても良いとは思いますけど、確認して見ましょう。

このGDP付加価値のデーター収集は多分、財務省(国税庁、銀行局による銀行データーなど)や経産省のデーターを内閣府が集計しているものです。10年前に詳細を聞いた時、他省の報告を合算しているから中身はそこに聞けと言われたことがありました、お役所ですね(笑)。でも新産業が出て来るなど趨勢に大きな変化が出た場合は別にして、既に経験則からの比率を定めて計算している項目もあると思いますが、誤差が1兆円程度しかない所を見ると、かなり実態に近いものは把握しているようです。

※まだまだ認識しておかねばならないことはありますが、詳しくはNO76のコメントの前後を参照して下さい。

(続く)
メンテ
通貨の価値の考え方 2 ( No.118 )
日時: 2016/02/27 13:02
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:6i.z3m02

次には、実際の通貨の流れ(通貨管理の実態)を見てみましょう。

マネタリーベース(ベースマネー)とマネーストック(マネーサプライ)について

マネタリーベースは、マネーストック(世の中に出回っているお金の総額)の基となる通貨という意味で、ベースマネーとも呼んでいます。また、この通貨が大きな預金通貨を生み出す強い力を持っているという意味で、ハイパワードマネー(強権貨幣)と呼ぶ場合もあります。
マネタリーベースは、現金通貨(日銀券、補助貨幣)と、民間金融機関の法定準備預金(日銀当座預金)を合計して求めます。

マネーストックは、これまでマネーサプライ(通貨供給量、貨幣供給量)として統計が公表されてきました。
(M1) 
現金通貨と預金通貨を合計し、そこから調査対象金融機関保有の小切手・手形を差し引いたもの。対象金融機関は日本銀行(代理店預け金等)、国内銀行(ゆうちょ銀行を含む)、外国銀行在日支店、信金中央金庫、信用金庫、農林中央金庫、商工組合中央金庫、その他金融機関(全国信用協同組合連合会、信用組合、労働金庫連合会、労働金庫、信用農業協同組合連合会、農業協同組合、信用漁業協同組合連合会、漁業協同組合)。※現金通貨 = 銀行券発行高 + 貨幣流通高※預金通貨 = 要求払預金(当座、普通、貯蓄、通知、別段、納税準備) - 調査対象金融機関の保有小切手・手形

(M2)
現金通貨と国内銀行等に預けられた預金を合計したもの。対象金融機関は日本銀行、ゆうちょ銀行以外の国内銀行、外国銀行在日支店、信金中央金庫、信用金庫、農林中央金庫、商工組合中央金庫。
(M3)
M1 + 準通貨 + CD(譲渡性預金)。対象金融機関はM1と同じ。

※ これらのうち日銀はM3を最も代表的な統計と見なしている。

具体的に表すと次の様になります。

平成26年度のベースマネーは 209兆円
平成26年度のマネーストックは 863兆円
実際に市中で流通している日銀券は 98兆円


通貨の価値を維持しながら、どれくらいの通貨の発行が適正化と言えば、何かの数値を基準に、それを決められる様なデータなどありません。

一連の文章のテーマである、

<おカネの価値は生産力で決まる>と言う考え方も、具体的には単純なものではありません。

ところで、通貨の別の側面、要するに、インフレ、デフレにおける通貨の有り様から見てみる事にしましょう。

インフレ、デフレの概念は、皆様も承知されているものと思います。

国民が必要としている商品が豊富にあればインフレは起きません。
商品があっても購買力がない場合、商品は売れず、価格が下がっていきます。商品の価格が下がると言うことは企業の利益が少なくなり、従業員の収入も下がり、この悪循環が続きます。

通貨の価値はインフレ時には下がり、デフレの時は上がると言われていますが、これは相対的な概念で通貨の有り様(国民生活の糧)と言う面では、通貨の価値が上がっても、下がっても何の意味もありません。

通貨の安定の為には、生活に必要な商品を何時でも提供できる生産力があり、必要に応じて国民の手に通貨が配分されることが条件になります。

これを管理するのが、国の通貨管理の基準でなければ成りません。

現行の通貨管理の基準では、国民へ通貨が配分される事を軽んじているのです。
「貧困の構造」スレッドでも書いていますが、生産技術の発達と経済のグローバル化は、全人口の1/3の人々から雇用を奪い、低収入へと追い込んでいます。

これは景気、不景気の問題ではなく、構造の問題であるのです。
で、あるのに、相変わらず経済の問題を、金融政策で乗り切ろうとしています

必要に応じて国民の手に通貨が配分されることが条件を考える姿勢すらありません。

<おカネの価値は生産力で決まる>と言う事を別の角度から捉えると、十分な生産力がある国家は、インフレなどの問題に対して、それなりの施策を講じることができると言うことです。

国民の生活を基準に、バランスを取った通貨管理をしなければならないと言うことであり、経済の環境が異なる現在、国ごとに基準がなければならないと言うことです。

現在の通貨管理政策には、大きな瑕疵があると言うことです。

新しい経済の仕組みとは

必要に応じて国民の手に通貨が配分するために、そのための通貨の増刷を認めることであり。
増刷した通貨の額、配分方法などをインフレが起きない様に(通貨の価値が損なわれない様に)考えることです。
その為の方程式を作ることです。

また、このためには政策に基づく通貨の増刷をしなければならない。
その為には通貨発行権は国家が持たねばならない。
通貨の増刷はタブーなどと言う、勝手な現行の通貨管理基準など改革しなければならない。

<おカネの価値は生産力で決まる>という言葉の概念を少しは具体的に解っていただいたでしょうか。


TPPの問題でも、為替の変動相場制でも、金融資本が自ら増殖するために考え出したものであり、そのようなものに振り回されることはない。

政治がしっかりしていれば、当たり前の理屈でも、ひたすら従来の資本主義にしがみついている現状では、現在の問題の解決は出来はしない。

資本主義社会の矛盾を社会保障で解決することは、既に行き詰まっていることをしっかりと認識すべきである。
世界の国々(地方行政を含むと)の債務の合計が、1京円を超えていると言うことも、それを証明している。


メンテ
通貨の話→ルーブル安 ( No.119 )
日時: 2016/02/27 11:35
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:6i.z3m02

ロシアルーブル安とは、外国為替市場において、ロシアの通貨であるロシアルーブルが売られている状態のこと。
ロシアルーブルの通貨価値が下がっていること。

ロシアルーブル安の主な要因は、ロシアの経済指標に悪い結果が出た場合などが挙げられる。
また、他国の経済指標の良い結果でもロシアルーブル安になる場合がある。
ロシアルーブル安になると、ロシアの企業などでは今までよりも多額のロシアルーブルで他国の通貨と交換しなければならない。
よって、ロシアの輸入に依存する企業にとっては、今までよりも高い価格で商品を輸入しなければならないため、業績に悪い影響を及ぼす場合が多い。

一方、輸出に依存する企業にとっては、売上高をロシアルーブルに換算した場合に増加するため良い影響を及ぼす場合が多い。
ロシアルーブル安では、輸入品が値上がりするため、ロシアの物価は上昇する。
物価の上昇が原因となり、ロシアの政策金利は引き上げられることがある。
なお、ロシアルーブルが買われている状態のことをロシアルーブル高という。
ちなみに、他国の通貨が売られている状態には、米ドル安、アラブディルハム安、イスラエルシュケル安、オマーンリアル安、カタールリヤル安などが挙げられる。

(引用終わり)


何故、大騒ぎしなければならないか。

1国の国民経済を考えれば、輸入品が高くなるなら、国内で生産したものを買えば良い。
資源を輸入しなければならない国では原材料費が高くなると言っても、我が国の電力業界が原油のほとんどを輸入している様に、それを受け入れても成り立っている。

自国の通貨が下がったことにより輸出に有利な面もある。
そりゃあ、一企業にとっては問題も出てくるであろう。

しかし国家と言う単位で見れば、問題を抱合して進むことができるはず。
何か、あれば、何かに影響が出ても仕方がない。

状況に合わせて変化すれば良いのである。
国内の大企業がつぶれたら、新たな企業を起こせば良い。
国内に市場がある限り、本質的な問題はない。

為替相場の変動で、大騒ぎすることはない。
それをやっているのは、そのことで、大騒ぎすることで何かの利益が出る連中がやっているだけ。
彼らの立場を守るためにやっているだけ。

そのようなものは、クソ喰らえである。

固定相場に戻して、国内の経済環境を国民の為に整えることである。
メンテ
経済学とは<一体何を示しているのか ( No.120 )
日時: 2016/03/06 23:56
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:GsNe/tmo

会計学と1国の通貨管理とは全く異なる分野であるはずである。
ところが、経済の理論におけるモデルは、ほとんど会計学の領域を出ていないか、もしくは現状分析のみを表しているに過ぎない。
そこを掘り下げて見てみよう。

>まず、会計学とは!

会計とは、商店、企業、国などの経済主体が営む経済活動を貨幣額により測定し、経済主
体の内外部の関係者に報告する行為をいう。
なお、会計学とは、企業の経営活動を貨幣額で測定し、投資家、債権者、経営者などに報
告するための基準を研究する分野をいい、簿記とは、企業の経営活動を貨幣額で測定し、投
資家、債権者、経営者などに報告するための記帳技術をいう。

企業が行う会計を特に企業会計といい、企業会計は報告対象の違いによって財務会計と管
理会計に分類される。財務会計は、企業外部への報告としての性格をもつのに対し、管理会
計は、企業内部への報告としての性格をもっている。なお、ここでは財務会計について説明
する。
財務会計は、企業外部の利害関係者、すなわち投資家や債権者が収益力や返済能力を判断
するために必要な情報を財務諸表によって提供することを主な目的とする。

>経済学

1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.32 )のレスより(満天下さん)

◎国民所得計算基本方程式

 (A)国民所得=消費+税+貯蓄・・・これを一国の総支出及び総生産の角度から見ると・・・
 (B)国内総生産=消費+財政支出+民間投資・・・
(★ここに+経常収支(輸出―輸入)を考慮せねばなりません、国内総生産には当然に外需が含まれ、それも国内で生産するわけですから、しかし話が煩雑になるので、ここは別に考えることにして・・・)

Bにおける財政支出も民間投資も、Aの税と貯蓄がベースになりますから、AとBを等式に置くことが出来ます・・・

(A)消費+税+貯蓄=(B)消費+財政支出+民間投資・・・両辺から同じ消費を控除しますと・・・税+貯蓄=財政支出+民間投資・・・となります、これを(イ)としておきます・・・

財政支出としての国債発行、及び民間投資は全て国民貯蓄及び税収をバックにせねばならないという原理が導かれますね・・・これがハロッド・ドーマ定理から導かれる一国におけるIS投資バランスI(投資)=S(貯蓄)というものになります・・・わが国でよく聞きます貯蓄残高がまだあるし、無利子国債発行で更に所得増加が見込まれるから、まだ国債発行の余裕はあるとの論、それは限界消費性向と限界貯蓄性向を考慮しているのか、後述します金利上の「流動性プレミアム」との関連を計算に入れているのかという点で、疑問を感じております・・・

・・・では、I>Sの場合はどういう意味になるか、貯蓄不足だから海外からの投資に頼ることになる・・・アメリカの場合、貯蓄性向は0に近かった、消費者金融により消費が促進されて、家計借金は可処分所得を超えていた、それでも成長率が高かったのは、ドルが機軸通貨であるが故に、貿易で稼いだドルが金利差もあってアメリカに還流されていた訳だ・・・そこでこの金利差、一国内においても、マクロ方程式には項として参入されていませんが、マクロ経済では外部要因としての金利、マクロ用語で「流動性プレミアム」と呼ばれますが、これは後述します・・・

このことは、無利子国債発行でうまく行くかどうかに、大いに関連して来ます・・・ベーシックインカムスレッドで、ケインズの概念、マクロ経済においては利子率=資本の限界効率+ヘリマネのコスト、ヘリマネ(無利子国債も政府紙幣もそう)コスト<利子率でなければならないとする式も紹介しましたが、そうでない場合は金融面からの経済混乱を招くという原則論を、後で無利子国債発行との関連で検証して見たいと思います・・・。

(引用終わり)

このように、あくまでもA=BとかI=Sを基準に考えています。
会計学的な制約に縛られている事になります。

メンテ

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