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[1711] 経済の話し
日時: 2013/03/12 23:22:25
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:1363098145

最近、阿修羅掲示板に良く投稿される「あっしら」のサイトへ行ってみました。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/index-as.htm

HNは「あっしら」と名乗られているが経歴は解りませんが、資本主義経済のシステムが持っている色々な矛盾を説く解す能力豊かな、経済に強い確かな方と見受けしました。
その一部を転載します。



「供給=需要」の向こう側 <想像力から創造力へ> S子
         
「利潤なき経済社会」を興味深く、また、意義深く読ませていただ
いております。資本主義経済において、結局、私たちが見誤ったも
のは、マネーにおける「目的」と「手段」をはき違えたことにある
のは間違いないだろう。経済活動における潤滑油とはマネーであり
、そのマネーが滞ることなく流通し、循環してこそ経済の活性化を
見ることができ、個々人としての生きる活動も活発化してくる。

それはまるで私たちのからだを流れる血液のようなもので、血液が
さらさらの状態であれば私たちは健康で日々を無事に過ごすことが
できる。が、血液がどろどろ状態になり、この流れが悪くなり脳で
詰まれば脳梗塞が起き、その部分の脳組織が壊死してしまい、私た
ちは失語症になったり、半身不随になったりする。

資本主義も当初はマネーがモノを交換するための「手段」として流
通していたが、資本主義が成熟してゆくにつれて、いつの間にか「目
的」と化した。マネーの目的化はつまるところ全てを目的化させてし
まい、私たちにあらゆるものの「本質」を見る目を喪失させた。
これは事実である。

そして、それが「供給=需要」という経済活動を必然的に生じさせ
、モノに溢れた社会が誕生した。「供給=需要」という経済活動は
よくよく考えてみれば、「与えられた人生」を送ることになり、
そこには自主性や主体性はなくても私たちは「与えられたモノ」を
購入し、そこそこ無難な人生を送ることができる。

私たちが無難だと錯覚し、安心してしまうのは、周囲が皆「与えら
れたモノ」である「同じモノ」を持っているからである。つまり私
たちは「与えられた、同じモノ」を持つことによって人生の安定や
幸福の尺度をはかっていた可能性がある。「供給=需要」という経
済活動では、人間の欲求すらも本質から遠ざけてしまうということ
である。

本当に自分が欲しいモノだったのか、他人が持っているから欲しい
のか、テレビコマーシャルで見たから欲しくなったのか、売り込み
にきたから購入したのか、ないと困るほどではないがあって困るほ
どでもないので購入したのか等、心から欲しているものではなく、
供給されたから需要したという構図が自然と生まれる。それを自分
の欲求があったから買ったと、私たちは錯覚しているにすぎない。

こうして私たちは「与えられた人生」を無難に安定して生きること
で、「危機感」を抱くことなく日々を過ごし、人生を終える。人間の
三大欲求であり生きる基本の「食・性・寝」も既にこの「供給=需
要」という経済活動に組み込まれ、マネーの目的化とともに人間と
しての本能を私たちは喪失しかけている。現代人はこの自覚すらも
ないという悲しい状況におかれているのである。

しかし、マネーの目的化による「供給=需要」という経済活動では
経済成長が持続できないどころか、経済の空洞化を生み失業者を増
加させ、個人としての生きる活動が阻害されてしまう。そのことに
気づいたのが、今回の欧州連合憲法批准拒否の仏国民である。拡大
EUの存続に待ったをかけた格好となったが、「危機感」を抱いた彼
らの人間的本能はまだ廃れていないどころか、十分に健在である。


(中略)

ひるがえって日本を見れば、「供給=需要」人生が非常に行き届い
ており、大人も子供も主体性をなくし、自信喪失し、想像力にも欠
け生きる気力も無い状態に置かれている。だから米国の言いなりに
しか生きることができないのである。「供給=需要」という「与え
られた人生」を送ることは確かに楽ではある。が、そこには「自分
」というものがない。この人生を生きる「自分」がないのである。

だから真の喜びや真の悲しみを味わうことはまずないだろうし、
そこそこ無難で安定した人生を送ることで「危機感」を覚えること
もまずないだろう。実はそれこそが問題なのである。「危機感」を抱
くこともなければ、正直な話がまともに「自分」とは向き合えない。
「自分」という人間のこともわからずして終える自分の人生って一
体何??ということになる。

マネーが目的化されることで「供給=需要」という経済活動が必然
的に生じ、「与えられた人生」を送ることで私たちは主体性を失い
、自信を失い、生きる源泉ともいえる想像力までも失った。また、
そういう場所さえも失った。想像力を失えばこの世で実現する創造
物さえもなくなるのである。つまり来るべき未来が描けない。

「利潤なき経済社会」ではマネーを手段に転落させることで、資本主
義の論理が大きく揺らぐだけではなく、世界の構造が大きく転換し
てしまう。これまで築き上げてきたもろもろが崩壊に直面している
と言っても過言ではない。それは日本が明治維新以降追求してきた
西洋文明であるかもしれないし、合理化の名のもとに推進されてき
た科学万能主義であるかもしれないし、それを基点とした物質文明
であるかもしれない。

「供給=需要」人生で「危機感」を抱くこともなくなった私たちが
、価値観の転換をはかることは容易にできそうもないのは明白だ。
しかし、マネーの目的化による「供給=需要」経済活動では世界は
やがて行き詰まる。価値観の転換は時間も要するだろうが、案外石
油の枯渇がその契機になりはしないかと、私は密かに思っている。
その「危機感」が「自分」と真剣に向きあうことになり、それが男
女双方への理解へと向かわせる。そこから男女双方の想像力が生ま
れ、それが創造力へとつながり実現化し、新しい未来が描けるとい
うものである。

(引用終わり)
メンテ

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GDP 追伸 ( No.81 )
日時: 2013/10/21 00:14
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:bzx7vRy6

>私がGDPの把握の中で見出そうとしていますには、国民全員が生活できる金が、GDPの付加価値の中にどのように入っているのかと言う事です。

上記の事について思いついた事を書き留めておきます。

1億国民の生活にとって必要なGDP(付加価値)の中の人件費の総量をどのように考えるかの基準として、

毎年の貧困率を検証し、其れによる係数(α)を作る。
例えば、現在のαを3とする。
現在は貧困と言われている限界数値は年収、160万円程度であり、貧困率は17%である。

それは国民一人一人に年間100万円の金が行き渡るのは100万×3×1億=300兆円の人件費がGDPの中に含まれていなければならない。

貧困率が上がればαを増やし、例えば100万×3.3×1億=330兆円となる。

ところが、GDP全体は、需要に基づく生産がなければ容易に増えるものではない。
ですが、国民生活はそれとは関係なく人件費の確保を必要とする。

勿論、輸出なども含めて需要に基づく生産の増大に務めることや、GDPの他の部分、企業の努力によって減らせるものは減らし人件費に当てる努力も必要でしょう。

しかしながら、それでもどうにもならない要素は別途の方法で解決しなければ、この問題は永久に解決しない。

そこで唯一考えられるのは、国家による雇用の創出である。
全体のGDPの人件費から、生活に必要な人件費の充足が出来ない部分について、別項目の人件費の枠を取り入れること。
また、その雇用に基づく生産(事業)により所得には、貧困率で示されるような格差がない状態で運用できる方策も考えねばならない。

後の話しになるが財源の確保の問題も出てくる。
だが、経済の数式について、少しは実態経済(生活)の要素を取り入れた新しい数式を作る大義名分は成立する。

メンテ
(A)=(B)の話し ( No.82 )
日時: 2013/10/21 10:44
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:bzx7vRy6

No 71のレスの転載。

【総生産:】

これはもう釈迦に説法で、産業分類によって農林水産、鉱業、製造業・・・サービス業が生み出した付加価値合計です。それぞれの分野における仕入分は差引かれて、差額だけを累積したものがGDPです。
総生産には、政府サービス生産も加算されます。警察、学校、国立病院とか・・・

【(A)分配面からの所得=】

雇用者所得(消費+貯蓄+税)
企業所得(消費+貯蓄(企業の場合は内部留保・営業余剰+税)

(註1)この税は=政府所得になります。
(註2)固定資本減耗=所謂減価償却費は、企業内部留保とみなし、営業余剰に含ませて、項目省略によってすっきりさせます。 

【(B)所得の支出=次のように分解されます。】

民間最終消費
企業最終消費
政府最終消費
総固定資本形成(民間投資+政府投資(所謂公共事業費)
在庫品

(A)=(B)ですから、両辺から消費を相殺しますと、
(S)貯蓄+税=(I)民間投資+政府公共事業となります。

この(I)投資=(S)貯蓄が、ハロッド・ドーマー定理のミソで、これをISバランス
と言います。S>Iの場合はまだ投資出来る、S<Iの場合は、投資不足で国内での
財源が不足を意味し、海外からの投資を要請するケースとなります。

我が国現状ではまだ(S)>(I)の状況にあり、投資の余裕はありますが、これが財政赤字に消費され投資国債になっていない。

(引用終わり)

>(A)=(B)ですから、両辺から消費を相殺しますと、
>(S)貯蓄+税=(I)民間投資+政府公共事業となります。

この部分に着目したいと思います。

雇用者所得(消費+貯蓄+税)
民間最終消費

上の二つを単純に消費と割り切り、両者を相殺することで、数式を発展させ、経済の動向の指標としています。
ところが、雇用所得者の消費はよいですが、雇用されていない所得者(失業者)に消費はかのうなのでしょうか。
にも関わらず、民間最終消費の一言で、消費の問題を割り切る事が、すでに実態を示していないことになります。

これを下記のように修正してみましょう。

(A)分配面
雇用者所得(消費+貯蓄+税)
※非雇用所得者の消費=ゼロに近い
企業所得(消費+貯蓄(企業の場合は内部留保・営業余剰+税)

(B)支出面
民間最終消費(雇用所得者分)
民間最終消費(失業者の分)=最低必要消費
企業最終消費
政府最終消費
総固定資本形成(民間投資+政府投資(所謂公共事業費)
在庫品


(S)貯蓄+税<(I)民間最終消費(失業者の分)+民間投資+政府公共事業となります。
となり、このままでは(A)=(B)にはなりません。

A=Bのためには(S)政府雇用+貯蓄+税=(I)民間最終消費(失業者の分)+民間投資+政府公共事業となります。

このうち、雇用関係にある民間の所得、及び最終消費は時代と共に一定の割合があるので容易に動かせません。
まあ、格差の解消とか、雇用者の消費が想定外の伸びを示しあたらな雇用を生むという様になれば別ですが、その様な事は日常死に物狂いで実践している事です。
それでも出来ないならば、別途、政府雇用を増やすより方法はないと思います。
それか、ベーシック・インカム政策を採って、(A)分配面の所得を、この分だけ補充するかです。

(A)<(B)の状態を
(A)=(B)であると言い張り、ほおって置くなら別ですが。

少なくとも
(A)=(B)の方程式は実体経済の把握には瑕疵があるという事です。
それなのに、こんな数式をバイブルのように取り扱っている現状の経済専門家に疑問を呈します。

最も、失業者が比較的少ない時代、ワーキングプアと呼ばれる階層が少ない時代には、概論として成り立っていたでしょうが。
メンテ
経済の話し ケインズ ( No.83 )
日時: 2013/10/21 11:16
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:bzx7vRy6

NO 67で

>そして需要を産み出す消費も、その性向は人々の嗜好、習慣、社会的文化的諸条件によって左右されるとも言っています。

とあり、ケインズは、それに

>政府による有効需要の調整は総需要管理政策と呼ばれるもので対応しようとしたと思います。

最初の言葉は、その(人間の)性向は、行政側からみて都合のよいように動くものではなく、常に不安定、場合によっては勝手に収縮する場合もあるという事が言いたいのでしょう。
ましてや弱者救済の為の消費などと言うことを期待は出来ないと言うことと思います。
ケインズの課題は、非自発的失業者を出さないということであったと思います。

>現代の画一化されたグローバリゼイションの弊害を既に暗示していたと思われます。

ケインズは「長期的にはわれわれはすべて死んでいる」と言う言葉で、国家が雇用の面で経済に介入せず、上記の様な不安定要因にまかせておけば、資本主義経済は行き詰まるという事を言いたかったのでしょうね。

そうして、当時では現在ほどのグローバル化の状況を具体的に把握できていた訳ではないので、あのような表現になったのでしょうが、ケインズが生きていたら何と言うでしょうね。

言うだけでなく、おそらく、新しいシステムの方程式を、すでに作っていてくれたでしょう。

ケイジアンと言っても、彼の亜流に過ぎず、新しい境地を切り開くたくましさ、創造的理念が欠如しているのでしょう。
最も、それが出来ればケイジアンなどとは呼ばれることもないのですが。
メンテ
GDPに関する差入れ投稿 ( No.84 )
日時: 2013/10/21 20:26
名前: 満天下有人 ID:MYqoxBD.

A=Bの方程式を見る学者、識者どもは、むしろ産業別分野のGDPを見て、この分野が弱くなっている、海外移転の方が得ではないか、つまり個別資本の利益を基準に見ているだけで、雇用者報酬のことなどを第一義に見ていないことでしょう。

そして、支出面の最終消費を見て、これを上げるにはどうしたら良いか、それっ、カネをじゃぶつかせたら購買意欲が高まるだろう、そんな旧態已然たるマネタリズムを未だに活用し、何故需要が落ち込んで来たかの本源的分析には頭が向かないのです。次に、需要が無いなら、まだ需要がある国々へ出る、次々に低コストを求める分析にしか向かわず、言い換えると、つまり企業利潤が軸になるという資本主義的発想しか無い故に、この方程式を見て雇用者報酬のことなど眼中に無い筈です。

海外移転による利益20兆円も、こちらではGDP欄外に注記されるだけで、これを分配財源にして支出面の最終消費を増やそうとはしません。分配項目に入れるとしても、多分企業の営業余剰項目に算入してしまうことでしょう。
成長無き時代に入っている事に気がつけば、分配方程式をより中心に考えるべきなのですが、世をあげて自分だけの生き残りに必死(笑)。

前回は総付加価値の分配と支出面から見ましたが、その大元になる全産業の分野別付加価値創出の数値を差入れます。何かの参考になれば幸いです。でもこの分野での成長は、業種によってはその分配を増やす可能性はまだあるかも知れませんが、大きな成長はもう期待できないでしょう。

従って、政府投資もこの分野でなく別の物があれば良いのですが、昔から警察や郵便局は失業対策と言われたように、手っ取り早いこのような分野を創れるかということになると思います。でもこのようなやり方を軸に進めれば、何だか国営企業のオンパレードみたいになって来ますね・・・

参考までに全産業別GDP:H23年度 2011年(単位は10億円)、カッコ内は主たるもの。

〇農林水産業: 5,449(内農業・4,602/林業・159/水産業・688)  
〇鉱業:298 (殆ど輸入の為)
〇製造業:87,086 (内食料品13,428/輸送用機械(自動車など)11,975/一般機械、電気機械・21,641/鉄鋼、非鉄金属12,163/化学、          石油製品12,160)
〇建設業:26,448
〇電気ガス水道業:8,609
〇卸、小売業:66,922
〇金融保険業:22,854
〇不動産業:56,727(内不動産賃貸49,620)
〇運輸業:22,779
〇情通信業:25,551
〇サービス業:90,993・・・・・中間合計413,716

〇政府サービス生産:59,566
(何のことかと言いますと、警察とか学校への政府支出のことで、 パトカー代や学校修理、教科書代などは、上記製造業生産に算入されておりますので、これを中間投入として差引し、でも政府業務行為は一種のサービスを生産していると言う訳で、産業生産と同列に算入(笑)。防衛費も算入されておりますが、武器などは軍事産業製造業に含まず、あたかも政府が生産したような形を取っているとして、GDPに算入。要するに政府サービスとは、公務員人件費が主たるものと思えば良いのです。)

【生産活動面からのGDP総計: 473,282】・・・この分野での就業者数・6,433万人。
PS:林業、鉱物の付加価値は、市場価格から光熱費や、伐採用機器などの中間投入額を差し引いた額が、付加価値額とされております。鉱物などは殆どが輸入ですから、GNP計算において、経常収支の輸出―輸入の、その輸入の額に含まれますから、輸入代全額が第一次付加価値として参入されているようです。
メンテ
経済の話し  GDPによせて ( No.85 )
日時: 2013/10/21 21:14
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:bzx7vRy6

差し入れ有難うございます。

今まではGDP総体についての検証でしたが、産業分野別を見ますと、我が国の産業の特性が良く判ります。
また産業によっての付加価値のありようも様々な様ですね。
金融保険業が、その従業員の数に比例しては結構多額です。
不動産業も、何もせずに賃貸料と言う形の付加価値をとっている事になります。

GDPの統計の利用方法として、別の使い道を探って行くには大変ありがたい資料です。

>何だか国営企業のオンパレードみたいになって来ますね

このように言われていますが、結局は、ギリシャではありませんが、この方向に向かうことになるのでは、ないでしょうか。
国営企業であれば、また国営として市場主義にそのまま巻き込まれないで済む分野として、雇用対策を重きに、その形態を作って行けば良いのです。
例えば農業、漁業、林業など人でが必要な分野と強いて取り組むなど。
ギリシャと違うところは、事業費は国が出しても企業は民間のままで、競争の原理は保持しておきます。

現在の大きな政府、小さな政府論も、この意味では、全く本質を省みない、無責任な議論が続いているようです。
なを、この方向は共産主義のように見えますが、マルクスが考えたような意味での共産主義とは違うと思います。

先にもSF映画のことを言いましたが、未来型の経済のシステムは、この延長で考える事になるのでは、ないでしょうか。
いずれにしても、その未来は、人類にとって幸せの終焉国家であり、決して望ましいものではないでしょうね。

何とかして資本主義の考え方を残して行きたいものです。
GDPの検証は、他の領域の検証の後に、また戻って来たいと思います。

別の角度からも、GDPを見る事が出来ると思います。
メンテ
国民総資産の話し ( No.86 )
日時: 2013/10/22 14:42
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:aax6.0Xo

国民総資産を見てみましょう。
この数値を出す意味は、企業会計における貸借対照表の作成と同じ意味を持ちます。
平成22年度の国民総資産は8500兆円と言われています。

http://www.mitsuifudosan.co.jp/realestate_statics/download/fudosantokei_35_6_2.pdf#search='%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%B7%8F%E8%B3%87%E7%94%A3'

この内訳を見てみましょう。
貸借対照表で言えば資産の部にあたります。単位は兆円です。

<資産の部(国民総資産)>
(非金融資産の内の生産資産)
在庫                 69.0
住宅                 350
住宅以外の固定資産         1129
無形固定資産             29
(非金融資産の内の有形非生産資産)
土地           1205
土地以外の有形非生産資産   2
(金融資産)
株式以外の金融資産    5302
株式            413

合計       8500兆円

<負債の部>
(負債)
その他の負債            490
保険・年金準備金          419
金融派生商品             63
株式・出資金      610
株式以外の金融商品    1267
借入れ金      1295

現金・預金      1330
正味資産      3036

 合計     8500兆円

(正味資産とは)
国あるいは各制度部門の所有する実物資産及び金融資産(株式を含む)の総額から、負債(株式を含む)の総額を差し引いたものを正味資産といい、国民あるいは制度部門貸借対照表のバランス項目である。国冨とは、国全体の正味資産であり、実物資産と大外純資産の合計に等しい。
民間の貸借対照表では資本の部に相当する。
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kakuhou/files/h23/sankou/pdf/point20130118.pdf#search='%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%B7%8F%E8%B3%87%E7%94%A3'

これに対して国家の財政上の貸借対照表は下記サイトにあり、平成18年度で6900兆円あまりです。

http://www.mof.go.jp/budget/report/public_finance_fact_sheet/fy2005/national/2005_01a.pdf#search='%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%B2%A1%E6%94%BF%E8%AB%B8%E8%A1%A8%E3%81%A7%E8%A8%80%E3%81%86+%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BB%A5%E5%A4%96%E3%81%AE%E8%A8%BC%E5%88%B8%E3%81%A8%E3%81%AF'

此処での話しとしてはズレますが、この中の負債の部は
627兆円などを含んで合計は9800兆円となっていて、正味資産の部で-290兆円を計上して資産の部とのバランスをとっています。
普通の企業なら、とっくに倒産しています。
細かい事ですが、国家公務員の退職引き当て金の15兆円も含んでいます。

メンテ
マクロ経済論へ向かって ( No.87 )
日時: 2013/10/22 21:41
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:aax6.0Xo

さて、ここまで、国民総生産(GDP)と国民総資産と言うものを見てきました。
その中で、国民総資産については、あまり検証していませんが、これは後に、マクロ経済論を展開するときに考えましょう。

この数値事態は、国家の資産状況を解説しているだけで、統計、そのものに特に意味を問う事もないかと思います。
強いてあげれば数値の根拠となっているものが、本当に信頼出来るものか、どうかの事になります。

これに対して会計論の上で当然、次に問題にしたいのは損益計算書と言う事になります。
これは毎年の国家予算と考えれば良いと思います。

次には、その資料を掲載しましょう。
さらに、会計の問題としてキャッシューフローが出てきます。

国民の側に立って、国民経済を考えるとき、このキャッシューフローが、殆んど取り上げられていないと思います。
要するに黒字倒産の状態が、現在の状態と思います。

その事は、これから検証するとして、ここで経済学的に言えばマクロ経済論を具体的な国家経済に当てはめて考える事から始めましょう。

参考に言いますと、この当りの問題をテーマとされている記事にエリーゼさんの「マクロコントロールシステム・レポート 」があリますが、私としましては、その内容が、マクロ的分析とミクロ的分析が入り混じり、国民総資産と言うものから見た意義が曖昧になってしまっています。
国民総資産と言う面からのアプローチよりも国民総生産からのアプローチが対応しやすかったのではないかと思います。
つまりは、マクロのようでマクロ的には進展していないのではと思います。
ですが、この問題を正面から取り組んでおられることに、大きな意義を感じています。
下記を御参照下さい。

http://www.kyudan.com/cgi-bin/bbskd/read.cgi?no=711
メンテ
国民経済ストック計算 ( No.88 )
日時: 2013/10/22 18:03
名前: 満天下有人 ID:QvYLG6tY

H23年度分の最新データーありますが、22年度の数値を掲示されていますので、これを基に言いますと、正味資産3036兆円、これには在庫や固定資産が2764兆円ありますね。

これを分解しますと民間保有分2014兆円、*公的部門749兆円。

(*一般政府、公的非金融企業、日銀も含む公的金融機関)

この固定資産は、国家から見て現実に換金価値があるのは、国家デフオルトにより、総資産封鎖を実行した時で、そうとしても、民間の固定資産まで対象とする訳にも行かないでしょうから、これを差引くと正味資産は、1022兆円となります。ただこれには年金などの社会保障基金ネットで185兆円が含まれており、これを差引きますと837兆円です。後840兆円くらいは、ヘリマネ出来ますぞ(笑)。もっともこの額は、日銀統計国民一般家計現金預金額とほぼ一致しており、最悪これも差し出す覚悟で(笑)。

内閣府が言うには、但し、この国家的固定資産の実態は誰も把握していないようです。その意味では仰る通り、信頼出来るものなかとの疑念は残りますが、内閣府としては目下、鋭意作業は進めているようですが、内閣より上位にある財務省が壁のようです。むしろ財務省の国家貸借対照表の方に、手が加えられている匂いがあり、信頼性は内閣府データーの方にあると思います。そして金融資産は実体把握が可能ですから、これをユダ菌ヘッジフアンドがどうみるかで、金融市場で揺さぶって来ますから、その点では金融資産の有り様に注目です。

そしてフローとしてのGDPから生じる内容も、ストックとしてのB/Sに累積されて行きますから、その点で国家B/Sも無視できません。つまり儲かった損しただけで一喜一憂していると、全体の姿が見えなくなると思います。エリさんのマクロコントロールシステムもB/SとP/L及び通貨発行をも一緒くたにされているので、分からなくなっていると思います。
まあ橋立さんが無金利のヘリマネを発見されたら、一気に問題は無くなりますので、がんばって下さい。

尚、財務省バランスシートH18年は古すぎます。22年度のものは既に出ていますから、財務省HPから国の貸借対照表を検索、探されると良いと思います。

メンテ
国民総資産の話し ( No.89 )
日時: 2013/10/22 20:08
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:aax6.0Xo

満天下さん、有難うございます。

書きながら、判らないと思っていたところを、良く指摘していただいています。

特に正味資産の具体的な内容が判りませんでした。
1200兆円といわれている個人金融資産が、何処に入れてあるかも知りたく思っていました。

資産の部の 
株式以外の金融資産    5302 か

負債の部のどちっらかか
現金・預金      1330
正味資産      3036

また、よく我が国は借金も多いが、この個人金融資産があるので大丈夫と言う人がいます。
国民総資が8500兆円といいますが
資産、負債とも金融部分の割合が多いこと、

金融部分は現金は別として、確実な担保になりえない条件が多いこと、
また非金融部分は計上されているだけで、まさか、それを売却して借金の穴埋めなど出来ないこと、
国有財産は別ですが、それを換金すると言っても、国内にある余剰資金は、その1200兆円と企業の剰余金くらいのもの、外国に国土売却すれば別ですが、それでは再建にはなりません。
ですので、これは↓

>また、よく我が国は借金も多いが、この個人金融資産があるので大丈夫と言う人がいます。

マヤカシと思います。

企業の破綻でも、帳簿上は売却できない不動産を、借金に見合うほど持っていても、実際の現金がなければ破綻します。
実際に問題としなければならないのはキャッシュフローなのに、何故、こんな無責任がまかり通るのでしょう。

それから、国民総資産ではなく、18年度では古いと言われた国家の総資産(6900兆円)を見ますと、正味資産として−290兆円を計上しています。
バランスを取るための計上ですが、毎年、これを続けていると言うことは、実際にはヘリマネが行われているに違いないと思います。

1000兆円の借金は、実はヘリマネであったということも証明できるのではないでしょうか。
あとは、ガラガラポンをする方法を見つければ、それがヘリマネ有効理論になるのではありませんか。

と、言うようなことを感じていたのですが、具体的には、今の知識では切り込めません。
さらに他の方面を彷徨している内に、糸口がわかるかも知れません。
まあ、国民総資産なる統計は、雲を掴むようなものですね。

ですが、その雲の中にも入って何かを見つけねばならないでしょう。
メンテ
ヘリマネ考 第1回目 ( No.90 )
日時: 2013/10/22 23:19
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:aax6.0Xo

今まで見てきただけで
帳簿(統計)上のバランスをとるための金融操作が行なわれ続けて来ました。

元々貨幣の裏付けは兌換紙幣としてされて来ました。
ところが不換紙幣に切り替わったとたんに、膨大な貨幣が流通し(帳簿の上)2京円と言われています。

経済学上は信用創造なる新語を使い、其れに応じてきたのですが、借金も返せないほどになりますと、すでに信用創造を逸脱しています。
我が国の国債発行も、もはや償還など出来ません。
利子をつけているからヘリマネではないと屁理屈を付けていますが、返せない利子をつけ続けているということは、利子も含めたヘリマネをやっているという事になるのではないでしょうか。

我が国が、膨大な国債を発行している事は世界の国も承知している事実であり、こんなに多くの実際のヘリマネをやっていても国際関係に支障は生じていません。
また、この状況はアメリカでも他の諸国でも同じ事です。
ついこの間の、アメリカのデフォルト問題も、議会が債務巾拡大に同意するだけで収束したでしょう。金融機関も、それを見越して平然としていました。
こんなことを、あと100年続けても同じでしょう。但し債務は天文学的(今でも)も大きくなります。
「交差点みんなで渡れば怖くない」で御互いに認めているのです。
この為にいづれ増刷される紙幣は、需要、供給と言う経済行為から出るものではありません。
逆に、有利子のヘリマネを続けている方が、それを狙うユダ菌を利する事になり、いずれは京を越える通貨を発行しなければなりません。その方が問題なのではありませんか。

要するに、不換紙幣を容認した時点で、ヘリマネも容認してきた事になります。
元々兌換紙幣の時代は、このような事になるのを忌み嫌っていたのでしょう。
それが正解であったか、否かも決められません。
決められないというよりも、人間社会の経済活動の内容が著しく変わってきたことを認識する方が先でしょう。

別の角度から見れば、経済の飛躍的な発展は、ヘリマネなしでは出来なかったこと、また半世紀以上のヘリマネ時代(不換紙幣)を通して、何が都合が悪かったのか検証することも必要でしょう。

確かに2京円と言う膨大な通貨が誕生してしまいました。
古典派経済論にしたがって、飽くまでも需要、供給の枠内での通貨の増刷ならば、こんな多量な通貨の発行は必要ありませんでした。

さて、何が問題なのでしょう。
少なくとも、有利子ヘリマネを続けた結果の各国の巨大な債務を帳消しにしても、マネーゲームで楽しんでいる連中以外は、何の不都合も感じないのです。

この事さえ実施できれば、ヘリマネはすでに市民権を得ているといえます。
と言うよりも、始めから無利子、返済のないヘリマネであれば、元々、現在の状況は全く違うものとなっていたでしょう。
しかしながら、これも実験の上で確認できたことであり、始めからヘリマネ政策をとっていれば、別の難問題が生じていた事でしょう。

ですが、この半世紀以上の経験は、古典経済学で言う通貨の管理以外の管理も存在すると言うことの示唆であり、経験を生かしたヘリマネ管理をすれば、現状に合う通貨の管理が出来るともいえます。

また、将来、なんとしてもヘリマネ政策が必要になるのは、生産技術の発達で働く場所をなくした多くの人に雇用を提供する為にヘリマネが必要になって来ているということで、これは古典経済学では、全く想定していない事実であり、何時までも古典経済学、及びその延長で経済を取り仕切る事は間違っているという証拠です。
無理やり景気浮上だとか、消費を増やせなどと誤魔化している事は許されないのです。

ここで、ヘリマネと言う言葉で表している経済の手法は、決して現金をばら撒くという事ではありません。
需要と供給と言う流れの中でのみ通貨を見ることは出来なくなっていると言うことを言いたいのです。

その為の経済理論の大転換、大改革を望むものです。
メンテ

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