Re: 経済の話し ( No.21 ) |
- 日時: 2013/10/09 17:50
- 名前: 貨幣 2・・・天橋立愚痴人間 ID:wb3SUSYc
- 「通貨の価値を担保しているのは供給能力」
http://ameblo.jp/hirohitorigoto/entry-11430560207.html
日銀引受けは円安とインフレの悪循環を招く「安倍新政権」の真意を問う
日銀引受けによるインフレは経験済み
日銀引受けによる道路建設を続けると何が起きるか。もちろん、どの程度行うかによる。「無制限に」拡大すれば、まず建設労働者の賃金が上昇する。そして、賃金一般に及ぶ。建設資材や建設用機械などの需要が増え、生産が拡大する。フル稼働になれば、価格が上昇する。
こうした過程は、日本経済がすでに経験済みのものだ。1946年12月、第1次吉田内閣は、傾斜生産方式を決定した。これは、復興金融金庫が発行する債券を日銀が引受け、その資金で基幹産業に融資を行うものである。復金債は国債と同じようなものなので、これは日銀引受け国債による財政支出増と同じような効果を発揮した。 それを消費者物価の推移でみたのが図である。決定直後から物価上昇が始まり、46年11月から49年5月の間に、5・8倍になった。物価が上昇すれば実質所得は低下する。この時賃金も上昇したので、実質労働所得の低下は抑えられたが、名目値で決められている資産所得の実質価値は、約6分の1になった。 なお、当時、為替は固定レートで、輸入について厳しい制限がなされていた。いま同じことを行えば、輸入が増え、円安になるだろう。
インフレが進行すれば、国債の実質残高は減少する。しかし、財政支出の中にはインフレにスライドするものが多いことに注意すべきだ。年金にはインフレスライド条項がある。医療費や介護費も上昇する。公務員賃金も上昇する。したがって、財政赤字が縮小することにはならず、拡大する可能性が強い。 この過程が続くと、資金が日本から逃避し、円安が加速する。輸入価格の上昇によって、国内のインフレが加速する。こうなってくると、日本経済の潰滅(かいめつ)は、確実になる。
それは、極めて難しいはずである。 以上の議論に対して、「経済活動が活発化し、しかもインフレが激しくならない段階で止めればよいではないか」との意見があるだろう。しかし、抑えられるだろうか? 実際、傾斜生産方式によるインフレは、49年度予算において超緊縮財政が行われたためにやっと終息した。これは、「ドッジライン」と呼ばれる強硬策である。占領軍の絶対権力の下ではじめて可能になったものだ。現代の日本では、こうした政策は到底取りえないだろう。
だから、日銀引受けによる財政支出拡大を行えば、それをコントロールすることはおそらく不可能だ。すると、円安とインフレの悪循環が際限もなく続く。しかも、40年代にはなかった資本の海外逃避が現代の社会では生じる。それを食い止めることは難しい。
ここで注意すべきは、国内のインフレを伴う円安は、円の実質価値を低下させないことだ。したがって、輸出を増やすことにはならない(この点については、誤った議論が多い)。日本経済は破滅への道をまっしぐらに進むだろう。 カーメン・M・ラインハートとケネス・S・ロゴフは、200年間以上の長期的な経済データを分析し、「国内債務が大きいとインフレになる」「政府は膨れ上がった財政赤字をインフレによって解決してきた」という(村井章子訳、『国家は破綻する』、日経BP社、11年)。日本もこの歴史法則の例外にはなりえないのだろうか?』
>日銀引受けによる道路建設を続けると何が起きるか。もちろん、どの程度行うかによる。「無制限に」拡大すれば、まず建設労働者の賃金が上昇する。そして、賃金一般に及ぶ。建設資材や建設用機械などの需要が増え、生産が拡大する。フル稼働になれば、価格が上昇する。
公共事業拡大により国民所得が増加する事については野口氏も異論はないみたいですね。 ただ、「無制限に」の意味のとり方がちょっと恣意的に見えます。
安倍氏はインフレターゲットを達成するまで「無制限に」量的緩和を行うと主張しているのであって、ずっと続けるわけではない。 また、建設国債の買取はあくまで手段の1つ。発行した国債のすべてを買い上げるわけではありません。
さて、野口氏は戦後の物価指数をみせて、戦後の財政支出拡大+量的緩和が高インフレの原因であると主張しています。
確かのこのグラフを見るとそう受け取ってもしかたがないのかもしれません。 なんせ1946年以降物価指数が急激に上昇していますから。
しかし、このグラフを物価指数ではなくインフレ率に変えて、政府支出額(一般会計+特別会計)と通貨流通量(政府紙幣+日本銀行券)のグラフを重ねると印象がガラっと変わってくる。
1946年以降政府は財政支出を大幅に拡大し、通貨量をガンガン増やしているのにもかかわらずインフレ率が収束していますよね。 野口氏は46年〜49年の間に物価が6倍になったと主張してますが、その間に政府の支出は7倍に通貨量は3.5倍に増えてます。
これはつまり、現在の日本政府に当てはめると
2011年の日本一般政府の支出は189兆円なので、5年でその政府支出を1323兆円に増やしたのと同じ事になります。 一体、だれが短期間でここまで財政支出を増やせと主張しているのでしょうか。
当時どれだけ政府が財政支出を拡大したのか、それを説明しないまま物価上昇率だけを強調するのは悪質なミスリードだと思いますし、インフレ率ではなくあえて「物価指数」を見せたのは何か意図があってのことでしょうかね。
続く
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Re: 経済の話し ( No.22 ) |
- 日時: 2013/08/11 19:46:05
- 名前: 貨幣 3・・・天橋立愚痴人間
- しかも1950年以降も政府は財政支出と、通貨量の増加を続けていますが、インフレ率はピタっとゼロ付近に張り付いたまま。
これはどう説明するのですか?
まあ、この理屈は簡単で、通貨の価値を担保しているのはその国の供給能力だからです。(もう耳タコですが・・・私は指タコか)
物不足になるとその物に対する希少価値が上昇し物価が上がりますよね。 つまり物の供給、生産力が高いと物余りになり、物価が下がる=通貨の価値が上がる(デフレ) という事です。
先ほどのインフレ率と鉱工業指数を重ねてみると。
鉱工業指数とインフレ率の間に負の相関があるのが分かります。
1945年に鉱工業指数が激減しているのは戦争により日本の国土が焼け野原になり、国内の生産施設がことごとく破壊されたため。 これだけ国内の生産設備が破壊されては国内がモノ不足に陥ってしまうのは必至です。
そして物不足により物価が上昇。国内の生産設備を破壊されているので日本国民には所得を稼ぐ力もない。 だから政府が財政支出を拡大し、国民の生活を支えるとともに、国内の生産設備を復活させるための投資とインフラ整備をやらざるを得なかった。
よって、政府の支出拡大が物価上昇の直接の原因ではありません。
そうじゃないと50年以降のインフレ率推移の説明がつかないでしょう。 これはすでに鉱工業指数(=国内の供給能力)が戦前の水準まで回復し、物の供給能力が十分にあったため政府が支出を拡大しても悪性なインフレにはならなかったのです。
翻って今の日本の状況はどうですか?
供給能力過剰、物余りの状態のデフレですよね。
この状況で政府支出を拡大してそう簡単に悪性のインフレになれるんでしょうか? 私にはとてもそうは思えません。
政府が支出を拡大 → 企業「よし、明日から商品の値段を上げるぞ」
って、物が余っている今の日本でそんな事できますか?確実にその企業から顧客が離れて倒産しますよ。 国民の所得が上昇し、購買力が向上。そして、消費需要が興って、国内の供給が追いつかなくならない限りは販売価格を引き上げられません。
また、インフレになると円が国外に逃避すると言っていますが、それは逆だと思います。 なぜなら今現在でも日本の資本はどんどん海外に出て行っていますから。
まあ、この理屈は簡単で、通貨の価値を担保しているのはその国の供給能力だからです。(もう耳タコですが・・・私は指タコか)
物不足になるとその物に対する希少価値が上昇し物価が上がりますよね。 つまり物の供給、生産力が高いと物余りになり、物価が下がる=通貨の価値が上がる(デフレ) という事です。
日本の資本収支はずーーと赤字です。 赤字ということは海外に投資資金が流れて言っているということ。
なぜ海外に資本が流れているのかというと、理由は簡単で日本の景気悪化で国内の投資効率が極めて悪くなったため日本の資本が海外への投資に振り向けられているのです。
安倍政権の財政支出+量的緩和政策により日本の景気が回復すれば、国内の投資効率が改善し、海外に振り向けられていた資本が引き上げられ国内投資に回ることは考えられないでしょうか?
国内投資なら為替リスクはありませんからね。
そうなれば円が買われる事になりますので、野口氏が主張しているインフレ+円安のスパイラルは抑制される方向に働くでしょう。
そもそも日本の供給能力、潜在GDPは高いのですから、そうそう簡単にインフレ率は上がりません。
あと >ここで注意すべきは、国内のインフレを伴う円安は、円の実質価値を低下させないことだ。したがって、輸出を増やすことにはならない(この点については、誤った議論が多い)。日本経済は破滅への道をまっしぐらに進むだろう。
では輸入にも影響はないんじゃないの?
最後にロゴフ著の「国家は破綻する」で「国内債務が大きいとインフレになる」「政府は膨れ上がった財政赤字をインフレによって解決してきた」と書かれてあると主張していますが、これに対する詳しい内容については廣宮氏がブログに書いています。
廣宮氏のブログより引用します ttp://grandpalais1975.blog104.fc2.com/blog-entry-406.html
『破綻論者の皆さんには耳が痛い記述がp.191にあります。 「なぜ政府は、インフレで問題を解決できるときに、わざわざ国内債務の返済を拒否するのだろうか。 言うまでもなく一つの答えは、インフレがとくに銀行システムと金融部門に歪みを生じさせるから、というものである。インフレという選択肢があっても、支払拒絶の方がましであり、少なくともコストは小さいと政府が判断することもある。
インフレに伴う潜在的なコストは、債務が比較的短期または物価に連動している場合にとりわけ問題になる。というのも、このような場合に返済額を実質的に大幅に減らすには、政府ははるかに強硬なインフレ誘導策をとらなければならないからだ。」 つまり、国内債務のデフォルトは政府が能動的に選択するもの、というわけです。 破綻論者の皆さんにはここをよく読んで頂かないといけません。
政府が能動的に、このままインフレを続けたほうが得か、デフォルトさせたほうが得かをソロバン勘定で弾きだした上で、政府の意思で判断するのが国内債務のデフォルトということです。
この本を元に「自国通貨建て債務でも破綻する」と思い込まれている方々にはぜひ、この日本語版p.191を穴が開くまで繰り返し読んで頂きたいと思います。 要するに、国内債務、特に自国通貨建て債務のデフォルトというのは、インフレ対策の一手段として、政府の自らの意思決定により行われるものだ、ということです。』
さらにこの「国家は破綻する」の著書でインフレによる破綻の定義は年率20%のインフレだそうですね。
さて、今の日本のインフレ率っていくらでしたっけ?
世界最大のデフレ国ですよね。 つまりそれは「インフレに対する余裕」が世界一ということ。
よって、そのロゴフ著の「国家は破綻する」に拠れば、日本は最も破綻から縁遠い国ということになりますな
(以上引用終わり)
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Re: 経済の話し ( No.23 ) |
- 日時: 2013/08/11 19:58:47
- 名前: 貨幣 4・・・天橋立愚痴人間
- 紹介した文章は、アベノミクス批判と言う立場であり、通貨のシステム自体を正面から取り上げられてはいませんが、其の中で、
「通貨の価値を担保しているのは供給能力」と言う概念を打ち出しておられる事に注目しました。
2京ドルと言う無茶無茶な通過を発行していながら、未だに金本位制の延長の様な考え方(通貨の担保のありようについて)では、現在の金融資本主義の弊害を脱することは出来ないのではないでしょうか。
其れに一矢を報うべく、新しい価値の基準を考えてもよいのではないでしょうか。
丁度、グッキーさんが「1000兆円の借金<マクロ経済論」で書いておられる事は、この一端と思います。
まず通貨に対しての基本的考え方が違います。 通貨は国民が商品を売ることのより、価値を保証しています。 通貨を発行しすぎればインフレに成ることにより国民が出来任を取ります。 日銀が日銀券を発行すれば、その日銀券で国民は商品を売らなければ 成らないのです。
(中略)
しかし通貨の価値は購買力です。 日本円に購買力が有れば、また輸出が増えて円高に戻る だけのことです。
此処には書いておられませんが、グッキーさんは「需要」の確保と言う事に拘っておられます。 これを現行のシステムの修正と言う範疇で捉えれば、なるほどとは行きませんが、通貨の価値の担保と言う面から考えれば、いろいろと発展する理論と感じられます。
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Re: 経済の話し ( No.24 ) |
- 日時: 2013/08/14 13:24:09
- 名前: 通貨管理政策 1・・・天橋立愚痴人間
- 金融政策の基本は、通貨の価値は中央銀行によって担保されなくてはならないと言う大原則があるようです。
ですが、それは実際のところ、どのような方法でなされ、どれ位の効果があるのでしょう。 世界的な規模で検証して見ましょう。 さて通過の総量ですが、ざっくり言って、昨年末での世界の金融資産としてのマネー総額はおよそ1京円。世界のGDP5000兆円。レバレッジ運用のマネー総額2京円です。
この総額は、金本位制の時代における通貨の担保とは全く異質な考え方である事が解ります。 実態経済の6倍の通貨の価値の担保とは何であるのでしょう。 参考に。世界の地上在庫の金は、およそ16万トン。グラム3000円で換算すると、通貨で言えば500兆円くらいのものです。 レバレッジ運用のマネーについては後に説明します。
兌換紙幣から不換紙幣へ
金本位制では、いろいろと矛盾が噴出し20世紀になってからは世界の国が兌換紙幣から不換紙幣へ切り替えるようになって来ました。 経済が急速に発展すると、金の生産量が追いつかなくなり、金本位制を保持することがむずかしくなったのです。 そこで、通貨の価値の担保をその国の政府がしなければならなくなりました。 この様なシステムを通貨管理制度と言います。
「通貨管理制度の概要」
金を貨幣価値の裏付けとする金本位制においては、銀行券発行量は正貨準備高に拘束されるのに対し、管理通貨制度では行政府の通貨政策次第であり、貨幣の価値は政府または中央銀行の政策によって裏付けされるためその価値は不安定となりやすい。よって通貨当局は金融政策により貨幣価値の安定化を図ることを重視する。銀行学派の考え方によれば、中央銀行はプライマリバンク(中央銀行と直接取引の口座を開設している市中銀行)の担保の差出の対等物として通貨を発行するのが原則であり[1]、この場合通貨の価値は市中の信用力に依存している。一方で議会や行政府が国債を発行して中央銀行に引き受けさせている場合、その通貨の価値は行政府の信用(徴税権や国庫財産など)を担保としている。
よくある誤解は「紙幣は政府が刷っており、紙幣の価値は政府次第である」との解釈であるが正確ではない。歴史上で紙幣が初めて登場した元や宋の時代から、紙幣は年貢や塩など現物資産の対等物、あるいは銅銭の預かり証など実際の資産物の手形として使用されてきたものであり、管理通貨制度においても通貨は市中あるいは政府の信用の対等物として取り扱われるのが原則である[要出典]。この原則に政策上の事情あるいは恣意性が加わるとインフレやデフレの原因となる。
管理通貨制度では、発行量が本位の備蓄量に拘束されることがないので、景気や物価調整のために柔軟な通貨量調整をすることができるメリットがある。一方で通貨当局と行政府の関係(独立性と協調性)がつねに問われ、通貨当局が行政府の影響下にある場合、景気対策のための恒常的な金融緩和がインフレを招く場合がある。また独立性が極端に保護されている場合、通貨当局の失策が国家に破滅的な混乱をもたらす場合がある(ライヒスバンクの事例)。
歴史
管理通貨制度が採用される以前、欧米諸国を中心とした国際決済市場では金本位を利用することが一般的であった。これは銀行に金貨・金地金を預託しその預かり券(紙幣)を用いて取引を行い、最終的な決済は売り手・買い手の指定する銀行間で金現送することによって精算する制度である。 金本位による国際決済は戦争によりしばしば中断されることがあり、とりわけ19世紀にはロンドンが主要国にとって国際決済の中心であった事から、第一次世界大戦の発生により金本位の中断を余儀なくされた。例えば日本は1913年12月末の時点で日銀正貨準備は1億3千万円、在外正貨2億4,600万円であり、在外正貨はすべてロンドンにあった。また外貨決済の8〜9割をロンドンで行っていたが、第一次大戦が始まる1914年の8月には手形輸送が途絶し(当時はシベリア鉄道で輸送していた)、ロンドンの金融機関が活動を停止するなど混乱した。大戦終結にともない1919年にアメリカが、1925年にはイギリスが金本位制に復帰した。
金本位制の問題は資本となる金塊を国際市場である都市に集中させざるをえない点にもあった。とくに19世紀における国際金融の中心地であったイギリス・ロンドンや20世紀にかけてその地位を継承したアメリカ・ニューヨークには世界各国の中央銀行の支店や、各国政府の代理店が集中しており、各国の国際収支の調整はその都市に設置された各支店・代理店間での金塊の現送により調整されるシステムであった。一方でそこに集積された支店代理店の金塊はその都市を管掌している各国政府に支配されており、議会の立法下に置かれていた。
第一次世界大戦の前後から金(本位金)は経済力の格差からアメリカに集まり、アメリカでは国内で正貨が過剰となってインフレが昂進したことから、通貨準備から金の一部をはずす不胎化政策をとった結果、金本位制の持つ国際収支調整のメカニズムは失われ金の偏在が進行した。フランスでは第一次世界大戦の賠償金としてドイツから1320億マルクを獲得する請求権を得たが現物給付などにより十分な支払いがなされなかったこともありインフレ(リーブル相場の下落)が発生し、極端な金塊主義政策を採用し本位金の備蓄をおこなった。これらの背景のもとに1929年からの世界恐慌が拡大し、イギリスは1931年に金本位制を離脱、アメリカを除く各国もこれに追随し、以後金本位制に代わる管理通貨制度の時代になった。イギリスの経済学者ケインズは1920年代の半ばから、為替の安定に主眼を置く金本位制に替わって、国内経済の諸目的(物価・景気・雇用)を優先させる管理通貨制度の採用を主張していた。
第二次大戦後はIMF体制のもと、金と1オンス=35ドルの平価で交換可能な米ドルを基軸通貨とし、各国通貨は米ドルとの固定相場制を採用した(ブレトン・ウッズ体制)。この体制下でも加盟各国は国内においては管理通貨制度を取っており、通貨当局は為替介入と金融政策により対ドル固定相場を上下幅1%以内に維持しつづけた。この制度は「金ドル本位制」「金為替本位制」などといわれる。1971年、アメリカの財政赤字、経常赤字が増大してインフレが進行、アメリカはドルと金の兌換停止に踏み切り(ニクソン・ショック)、これをもって金と通貨の関係は完全に切り離され、国際的にも管理通貨制度へ移行した。
戦後、続いた固定相場制度の時代をブレトンウッズ体制[4][5]という。1971年8月15日、米国のニクソン大統領は自国のドル流失を防ぐため、ドルと金の交換停止を発表した(ニクソン・ショック)[6][7]。それを受け、1971年12月通貨の多国間調整(金1オンス=35ドル→38ドル、1ドル=360円→308円に切り上げ)と固定相場制の維持が行われた。しかしこのスミソニアン体制[8][9]は長続きせず、1973年2 - 3月に日本を含む先進各国は相次いで変動相場制に切り替えた。 変動相場制は1976年1月ジャマイカのキングストンで開催されたIMF暫定委員会で承認された。これをキングストン体制[10][11]という。
特徴
国際マクロ経済学で示されるように、開放経済体制の小国が変動相場制を採用した場合は、財政政策が無効で金融政策が有効になる[12]。
財政政策
閉鎖経済体制の国が国民所得を改善しようと財政支出を増加させた場合、国民所得が増加すると同時に金利が上昇する。しかし、開放経済体制の場合は、小国の金利が世界基準金利を上回るために、国際資本が小国の通貨を買うことになる[13]。変動相場制においては、国際資本の流入は国内のマネーサプライの増加をもたらさず、通貨高をもたらすのみである[13]。国際資本の流入によってバブルが発生するという通説のイメージからは違和感を受けるが、マネーサプライも増加せずかつ通貨高によって景気に減速圧力が掛かるのである。この通貨高により純輸出(総輸出−総輸入)が減少し国民所得が減少し、金利が低下する。金利は世界基準金利に一致するまで低下し、財政支出の効果を100%相殺する。なお、この財政政策が相殺され無効となるプロセスにおいては、金利上昇を打ち消すように海外からの国際資本の流入が起こるため、金利上昇自体は観察されないことに注意が必要である(観察されるのは通貨高である)。すなわち、金利上昇が見られないことを以てして、財政政策は無効でなかった、あるいは国際マクロ経済学のモデルは成立していない、と言うことは誤りである。
金融政策
閉鎖経済体制の国が国民所得を改善しようと金融緩和を行った場合、国民所得・マネーサプライが増加すると同時に金利が低下する[13]。さらに、開放経済体制の場合は、小国の金利が世界基準金利を下回るために、国際資本が小国の通貨を売ることになる。変動相場制においては、国際資本の流出は国内のマネーサプライの減少をもたらさず、通貨安をもたらす[13]。この通貨安により純輸出(総輸出−総輸入)が増加し国民所得が増加し、金利が上昇する。金利は世界基準金利に一致するまで上昇し、金融政策の効果をさらに高める。
(以上ウキペディアにより説明しました)
最後の項目、財政政策と金融政策の文言については、これから検証する対象でして、上記の文章を、そのまま受け入れることは出来ません。
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Re: 経済の話し ( No.25 ) |
- 日時: 2013/08/14 13:59:33
- 名前: 通貨管理政策 2・・・天橋立愚痴人間
- >金融政策の基本は、通貨の価値は中央銀行によって担保されなくてはならないと言う大原則があるようです。
>ですが、それは実際のところ、どのような方法でなされ、どれ位の効果があるのでしょう。
実際には、前のレスで言いましたように、政府の国内の金融政策、と為替などの国際的な通貨価値の調整が、通貨の価値の担保をするという事になります。 それも、経済のグローバル化の影響で、国内の通貨管理政策よりも、為替など国際的な分野での通貨管理のウエイトが大きくなり、実際は国内の事情だけでは思うように通貨の管理が出来なくなっているのです。
要するに、通貨の管理が出来ていない事になるのではありませんか。言いかえれば通過の価値を担保する能力がなくなっていると言う事です。 この様に言えば、実際に世界と渡り合っているではないかと、指摘されると思いますが、それは単なる金融上の辻褄あわせであり、国民に対して最適な通貨の管理がなされていると言うことにはなりません。 国民にとってとは、例えば、デフレに悩む国民経済を脱却する事が政府では出来ない事です。 この原因として、これも冒頭で言いました下記の様な事情があるからです。
>さて通過の総量ですが、ざっくり言って、昨年末での世界の金融資産としてのマネー総額はおよそ1京円。世界のGDP5000兆円。レバレッジ運用のマネー総額2京円です。
レバレッジマネーについて、これもウキペディアにより説明します。
レバレッジ(英語 leverage,gearing,levering)とは、経済活動において、他人資本を使うことで、自己資本に対する利益率を高めること、または、その高まる倍率。 原義は「てこ(レバー、lever)の使用」。レヴァレッジ、リバレッジなどカナ表記はいくつかある。レバレッジ効果、レバレッジ率などとも。ギアリングと呼ぶこともあるが趣旨は同じである。
市場が長期的に安定的な成長が期待できる場合、事業会社は自社の資産(自己資本)を担保に借入れを行い、営業部門の強化や製造設備の増強などを行う。このさい長期的な期待収益率が市場利子率よりも十分に高ければ他人資本の導入による正のレバレッジ効果が期待できる。一方で市場の成長が非常に不確実で、短期的な変動幅が大きいことが予想できる場合、高レバレッジ経営は自己資本に不可測な損失をもたらす可能性がある。
金融取引においては、20世紀初頭頃から意識的にレバレッジ効果を働かせるようになった。ブローカーズローンと呼ばれた取引では、購入する株式を担保に資金を借りて株式を購入できるため、自己資本以上の投資を行うことが可能であった。現代でも、外国為替証拠金取引や商品先物取引、株式信用取引などで他人資本を導入してレバレッジ効果を働かせた投資が可能である。
(引用終わり)
要するに、実態経済を大きく上回る、レバレッジマネーの暗躍が、そのための通貨管理を余儀なくされて前のレスの後半、通過管理政策の概要の中の、財政政策と金融政策の文言については、実際は理屈通りには推移していないと言う事です。
結論として、不換紙幣の時代は認めるとして、その通貨の価値を担保する手法が、実体経済を基準にしているのではな く、金融のための金融政策を保証する立場で担保している事に成り下がっていると言う事です。
これの修正には、どのような方法があるかといえば、為替管理など、国際金融関係に重点を置く事がやめられないか、もしくは、為替管理以外の要素から通貨管理が出来ないか、と言う事です。 私は、通貨の価値の管理の方法として、別の要素(国民経済を守るための施策を優先する考え方、其の分、国際関係にはいささか支障をきたしても仕方がない)を取り入れる事が必要であると思います。 その要素とは、少し提案がありますが、ここでは省略します(これが一番大事ではあるのですが)。 また、レバレッジマネーの暗躍を牽制する方法としては、先物取引、デリバティブ取引などを法律で禁止すればよいのですが、これも大変でしょうね。
さて、グッキーさん
>通貨は元々国民のもので、 >国民が責任を負うものだと説明したのです。
具体的には、このあたりのシステムをいじくらねばならないのではないでしょうか。
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Re: 経済の話し ( No.26 ) |
- 日時: 2013/08/14 16:49:52
- 名前: 機軸通貨制度・・・天橋立愚痴人間
- ウイキペディアによると、機軸通貨とは下記のように説明されています。
国際決済通貨[編集]信用があり額面価額のとおりの価値を広く認められ、国際市場で他国の通貨と容易に交換が可能な通貨のことをハードカレンシー(国際決済通貨)と呼ぶ。金本位制の時代の、いつでもハード(硬い金属の意、つまり「金」)と交換可能な通貨というのが語源である。ハードカレンシー以外の通貨はローカルカレンシーと呼ばれる。
通貨がハードカレンシーであるための条件として以下の条件があげられている。
国際的に信用があること 発行国が多様な財を産出していること 国際的な銀行における取引が可能なこと あらゆる場所での換金が可能なこと
現在はアメリカ・ドル、ユーロ、日本・円、イギリス・ポンド、スイス・フランなどがハードカレンシーとされている。ただし、ハードカレンシーの明確な基準は存在しないため、どこまでをハードカレンシーに分類するかは論者によって一定ではない。
特にアメリカ・ドル、ユーロを指して世界二大通貨、日本・円またはイギリス・ポンドを加えた三通貨を世界三大通貨と呼ぶ場合もある。日本でもアメリカ・ドル、ユーロ、日本円またはイギリス・ポンドの通貨をあわせてG3通貨と称する。
基軸通貨[編集]国際為替市場で中心に扱われる通貨のことをキーカレンシー(基軸通貨、きじくつうか)と言う。
基軸通貨としての機能を果たすには以下の条件が必要とされている。
軍事的に指導的立場にあること(戦争によって国家が消滅したり壊滅的打撃を受けない) 発行国が多様な物産を産出していること(いつでも望む財と交換できること) 通貨価値が安定していること 高度に発達した為替市場と金融・資本市場を持つこと 対外取引が容易なこと 歴史的には、イギリス・ポンド(以下、英ポンド)やアメリカ・ドル(以下、米ドル)が基軸通貨と呼ばれてきた。
英ポンドは19世紀半ば以降、国際金融センターとしてのイギリスの強力な立場を背景に基軸通貨としての役割を担っていたが、第一次世界大戦で欧州各国は経済が疲弊し逆にアメリカは戦争特需で経済が急成長したため、(正式ではないが)基軸通貨が機能面で英ポンドから米ドルへ移り、第二次世界大戦後はアメリカがIMF体制の下で各国中央銀行に対して米ドルの金兌換を約束したことおよびアメリカの経済力を背景に米ドルが名実共に基軸通貨となった。欧州単一通貨・ユーロが将来的に米ドルと並ぶ基軸通貨に成長するとの見方もあるが、2009年現在では対外取引の80%以上が米ドルで行われていることから、実質的な基軸通貨としての地位は揺らいでいない(ユーロは約10%)。
ただしアメリカの景気対策による財政赤字の拡大に伴い、中国は基軸通貨としてのドルの安全への懸念を指摘、代わってSDRの使用範囲を拡大し、基軸通貨としての役割を担わせる提案を行なった[1][2]。
基軸通貨の発行国は必然的に経常収支は赤字になる(国際的な流動性を供給するためには、発行国は経常収支が赤字となって各国に通貨を供給する必要がある)。基軸通貨である限り経常収支の赤字額は発行国の利益になる(各国が基軸通貨資産を外貨準備として持つことにより、発行国はその代金としての海外資産を手にすることができる)。新興国の経済発展により基軸通貨の需要が増えた場合は、供給量が一定であれば基軸通貨の価値は上昇する。
基軸通貨とは、国際取引の決済を担う通貨ということです。 つまり、日本とサウジアラビアが石油取引をするときにもドルを使って取引するわけです。 そして通貨とはシステムであり、通貨発行権とがシステム管理権です。 ですから、基軸通貨の発行国は世界貿易・世界投資の決済システムの管理権を得られるということです。 当然管理国には、莫大な役得と権限が付随します。
●基軸通貨国の利点
1.基軸通貨国の企業が為替変動リスクを受けない。 貿易取引をドルで行っていれば、ドル高ドル安の影響を受けません。 半年前に日本の貿易業者がアメリカの小麦を100万ドルで購入する契約を行ったとします。 その半年後、ドル高になったとします。 この場合、日本の貿易会社は予定よりたくさんのお金を用意する必要があります。 1億円で買えると思ったら、1億2000万円かかったりするわけです。 その場合、手元には1億2000万円以上のお金を用意しておかないと商売ができません。 つまり、経営の見通しが立て辛くなるわけです。これは非常に大きいハンディです。 基軸通貨国はそういう心配がありません。為替変動で損をするのも得をするのも相手であって、取引は当初の予定通り進めることができます。
2.基軸通貨国は国際金融の覇者になる。 国際投資は基本的に基軸通貨を使って行われます。 ですから、その基軸通貨を発行する国は必然的に国際投資・国際金融のセンターになります。 そこで得られる手数料・収入はその国の所得になります。
3.基軸通貨国は国際取引の決済権を持っている。 基軸通貨国は基軸通貨の発行権・管理権を持っています。 ですから、例えばアメリカが北朝鮮を懲らしめたいと思えば、アメリカは北朝鮮の持っている口座を凍結させてしまえばいいわけです。 たとえその口座がアメリカの銀行口座ではなかったとしても、ドル発行権という強大な権限を持っているアメリカがその銀行に『北朝鮮の講座を凍結しろ、でなければお前の銀行にドルをやらん』といわれれば従わざるを得ません。
そんな極端なパターンでなくとも、70年代くらいまでは皆アメリカの顔色をうかがっていましたし、80年代にプラザ合意によってアメリカのお願いを各国が聞いたのも結局アメリカが基軸通貨国だったからです。
4.多少の貿易赤字も問題ない 日本円は、日本の自動車や家電を買うことにしか使えません。 しかし、基軸通貨は国際取引に使えます。 アメリカに自動車を売って得たドルで中東から石油や中国から衣料を買えたりするわけです。 つまりは、アメリカは輪転機でドル札をするだけで好きなものを買えるという面があります。
ただこれは諸刃の剣でして、現代のアメリカの問題の一つがこの役得に甘えた結果だったりします。
まあ何にせよ。重要なのは1と2と3です。 例えば、中国が基軸通貨国になれば台湾の銀行と取引停止するだけで台湾はあっさり干上がります
(引用終わり)
機軸通貨と言うものは貿易の決済においてリスク回避の為に設定されてきた歴史があるが、結局は基軸通貨国に圧倒的有利なシステムであった。
経済のグローバル化を主題として考えれば、それが正解なのであろうが、グローバル化の弊害が世界中で言われているとき、単純に基軸通貨制を敷く事が本当によいのであろうか。 特に基軸通貨とは程遠い弱小国において。
EUは、最終的には域内の通過統合を目指している。 域内においては、今までの為替操作はなくなるという事です。 EUの加盟国は、其処に何のメリットを見つけているのでしょう。
>彼がが目指したのは第二のアメリカではない。アメリカとは異なる独自の資本主義だ。「アメリカの資本主義は一部の人たちのものであり、一人一人はバラバラだ。ヨーロッパの資本主義は人々が連帯感を持って生きていくことを大切にする。」
と言う文章があるが、アメリカ型でない資本主義とは、どのようなものであるのか興味を引くところである。
「急がば回れ」と言うことわざがあるが、少なくとも現行の機軸通貨の制度が、全てによい訳ではないことは理解できる。 無機質的な意味での金融の法則は、世界の国々の環境が、概ね均一化した上での話しではなかったであろうか。 機軸通貨制ではないシステムの下で、貿易には苦労しても、各国が、それぞれの努力で少しずつでも自国の経済環境を整えながら発達できる道もあるのではないか。
このような観点から、世界の金融を見直すことも出来と思いますが、実際は、これもアメリカ、ユダ菌が実質的な経済の覇者である限り是正することは適わないとしても、やがて中国、インドなどが力をつけてきた暁には、別のシステムが立ち上がる事も考えられる。
しかしながら、別のシステムが、アメリカのそれと焼き直しで合っても溜まらないと思います。 今から20年後くらいには、そんな時代となるでしょうが、其のことを想定して、それぞれが新しいシステムを模索する必要があるのではないでしょうか。
そのときは、各国とも、グローバリズムが唯一の姿とは、思っていないことを期待したい。
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需要と生産 ( No.27 ) |
- 日時: 2013/09/17 16:30
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:XUmEQr2g
- 「歴史の教訓、大恐慌」スレッドでしていましたグッキーさんとの議論の続きを、ここでやって見ましょう。
>「需要が生産量を決める」 >この意味が理解できないみたいですね。 >需要が生産量を決めるとは雇用も決めるということです。 >つまり政府が需要を決められるのなら、生産も雇用も決められると >いうことです。
上記の言葉を私なりに検証して見ます。
まず、資本主義のシステムにおいては、ものを生産する人間は、生産により何某かの利益を得る事が目的なので売れる見込みのない品物は原則的に作りません。
その需要と言うものの中身を見てみましょう。
生活必需品など、毎日の生活に欠かせない品物については人口の割合の分だけ、常に生産が必要です(需要がある)。 しかしながら、その商品を手に入れる願望があっても、それを購入する金がない為に、願望に終わる需要もあります(潜在需要)。 さらには、一般人が思いつかない新製品など、生産者から提示されて始めて需要(欲しい)と言う概念が起きる需要もあります。
その関係は単純な、需要=生産と言う図式ではイメージがつかめないでしょう。 また、どうしても必要なのに金がないから購入する事が出来ない場合、それも需要=生産と言う図式から見ているだけでよいのでしょうか。
資本主義のシステムでは、生産者が利益を上げることを目的とした理念が先行していますが、もともと経済と言う領域の目的は、それによって万民が幸せになるべく展開させるシステムであることも要求されているべきであります。
アダムスミスも持論の中で「神の手」と言う表現で、経済の理論と万民の幸せを追求すると言う使命を捉えています。 しかしながら、現代の資本主義が陥っている矛盾は、利益を追求すると言う側面と、万民が其れによって幸せになると言う側面を調整する機能が希薄になって来ているのです。
もともと、経済論の中では「神の手」のように漠然とした概念で終わっていますので、利益追求を旨としたシステムが発達してきた分だけ、それが霞んでも仕方がないでしょう。
需要と生産と言う経済論の方程式では、そういうものは表現できません。 問題は、古典経済論の中では、余り問題にしなくても良かった、この方程式が現代では齟齬をきたしているのは何故でしょう。
その第一の理由は、需要と供給(生産)で始まった資本主義の大原則の前提(環境)が昔と現在では、著しく変わってしまったということでしょう。 ここで通貨の役割について確認しましょう。 言うまでもなく、通貨は物資の交換手段として存在します。 その通貨論についても、言えばかなりの問題がありますが、此処では割愛します。
需要と言う領域では金が必要とされます。 これに対して生産と言う領域では金が得られます。
昔は、需要と供給と言う関係に余り問題が発生しなかったのは、商品が大体生活に関するものであり(生産、流通の為のものも含めて)、それが経済の領域の大きな部分を占めていました。 ですので需要と供給のバランスが取れていれば、概ね国民経済は順調に維持されていました。 取り扱う商品(出回る商品)も安定していました。 その上に、生産に対して人手がいるものですから、金銭的に見て、需要に必要な金は、常に生産の領域で確保できるようになっていました。 地域的にも、経済圏が現在のようにグローバル化していなかったので、地域で需要と生産の循環(つまり金の循環)が結構確保できていました。 其れに対して現在は、総体としてバランスが取れていても、ある地域では資本主義経済の大原則、需要と供給に基づく金の循環が出来なくなって来ていて、これが問題になっているのです。
要するに、その地域の人々にとっては、資本主義のシステム事態が成り立たなくなっているのです。 格差の問題を経済のシステムの中での弱者と強者の関係で捉えているようですが、そうではなく、資本主義の経済のシステム自体から阻害されてしまっている弱者が多く発生していることに気がついていないのです。 気がついていないと言うよりも、まさか自分がその様な立場に追い込まれていると認めたくないこともあります。
今までは、 >「需要が生産量を決める」
と言うだけの言葉で現状を捉える事では、将来の問題解決の方途に向かえないことを説明しました。
また、下記の言葉も検証しましょう。
>つまり政府が需要を決められるのなら、生産も雇用も決められると
昔はケインズが、資本主義の瑕疵を解消する手段として、公共事業による冨の再配分を主張しました。 当時は大恐慌の後であり、仕事をなくした沢山の人間がいて、ほおって置くとその状態が何時までも続き社会(国家)が持たないと判断したので、その人たちに職を与える方策として公共事業の発注を弱者救済に役立てようとしたのです。
その時点でベーシック・インカムの様な手法も考えられたのでしょうが、当時の経済の環境からしてたちまち悪性インフレの発生の恐れがあったのでしょう。 このように、当時は生産力から見て、現状を打破できれば、まだまだ、住宅やインフラ整備も含めて生活必需品の需要の増大を見込む事が出来ていたと思います。 その後の経済の発展が、証拠です。
翻って現在の状況は如何でしょう。 商品は有り余るほど、巷にあふれ、各過程でも必要以上の所持しています。 生産余力も有り余っています。
この様な状況で、ベーシク・インカムをすれば、どうなるでしょう。 その金で生活に必要なものを購入し、それが新たな生産に結びつき、雇用が発生し必要な人たちに収入を保証するという図式が正当に成り立つでしょうか。
ベーシック・インカムで金を手にした人たちも、その分だけ働く必要はなくなっているのです。 要するに、単に金をもらえただけで終わる場合が多いのです。 それならば、常に金を支給し続けねばなりません。 こういう状況が続くと、人間精神の問題となります。 生きる為に働かねばならないことから開放された人々の精神の弛緩からくる社会問題は貧富の差から出てくる問題以上の問題を引き起こします。
最後に国家による需要の管理、要するに金のばら撒きですが、それは飽くまでも必要最小限にとどまらねばなりません。
>つまり政府が需要を決められるのなら、生産も雇用も決められると と言う設定ではなく、 どうすれば、政府の介入が必要最小限にとどめられるか、と言うことを検証すべきなのです。
その必要最小限の範囲を議論する事が必要なのです。
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Re: 経済の話し ( No.28 ) |
- 日時: 2013/09/18 12:03
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:FoQRLjJ2
- UP
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経済成長 ( No.29 ) |
- 日時: 2013/10/03 13:51
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:.bEgP2mM
- ryuさんが「アホにつkる薬なし、バカは死んでも直らない!!」スレッドで経済成長と言う言葉を出しておられる。
「経済成長」と言うものは、デフレ下で苦悩する多くの人が待ち望んでいることである。
しかしながら、漠然と使っているこの言葉の意味を、どのように捉えているのでしょう。 捉え方によっては、お経の様なものであり、単なる願望に過ぎないものであるかも知れない。
そこで、まず、ウィキペディアによって、その概要を検証してみましょう。
経済成長(けいざいせいちょう、英語: Economic growth)とは、ある経済の活動規模が増大・拡張していくことである
名目成長と実質成長[編集]経済規模の計測は、一般的に国内総生産 (GDP) を用いて行う。
GDPは、名目価格により計測された価値を合算した名目GDPと、基準年の価格を基に計測された価値を合算した実質GDPがある。
同じように、名目GDPの変動を名目経済成長率と呼び、実質GDPの変動を実質経済成長率とよぶ。四半期(三ヶ月)あるいは一年ごとの増加率をパーセントで表す。
名目経済成長率は
名目経済成長率(%)= (今年の名目GDP - 去年の名目GDP) ÷ 去年の名目GDP × 100 によって求められる。また、実質経済成長率は
実質経済成長率(%)= (今年の実質GDP - 去年の実質GDP) ÷ 去年の実質GDP × 100 となる。
経済成長は、生産と消費の増大である。このため、経済成長には供給の側面と需要の側面がある。付加価値は工場や農場、オフィスで生産される。そのため工場などの設備投資の増大は供給力の増大をもたらし経済成長の源泉となる。一方、消費者による購入の増大や企業・政府による設備投資の増大により需要が増加し経済成長の源泉となる。この二側面に共通して重要な影響を与えるのが設備投資に代表される投資である。投資は需要と供給の増大をもたらし、経済成長の原動力となっている。
しかし供給が需要を満たし、設備の稼働率が低下してくると投資は減衰するようになる。経済成長はこれに合わせて低迷するようになる。このような状態は、景気循環における不況の局面ということになる。不況が経済成長に対して有する意義については、シュンペーターによる創造的破壊の理論が存在する。これは、不況による倒産や失業などの非効率な部門の淘汰こそが、経済全体の生産性を向上させるという適者生存の考え方である。これに対して米国の製造業を対象としたカバレロとハマーの実証研究では、不況が古い企業の存続にかえって有利に働くとされている。これは、不況時に新規参入できるのが、純資産の大きな企業に限られることによるものである。
この投資を再び増加させるのは、短期には在庫、中期には設備投資・住宅投資、長期には技術革新(イノベーション)などの変動(景気循環)によると考えられている。ことに技術革新は、生産要素のまったく新たな結合によって、新しい商品ニーズなどを生み出し、その需要を満たすために投資が行なわれ経済成長が起きる。
経済成長には資源制約がある。古くは森林の量が経済的発展を制約していた。今日においても労働力・土地・天然資源などにより経済成長には制約がある。オイルショック以後の低成長、80年代の原油価格の下落に支えられた好景気などは、その歴史的な一例である。
「潜在GDP」
潜在産出量(せんざいさんしゅつりょう、英語: potential output)とは、経済学において、資本や労働が最大限に利用された場合に達成できると考えられる長期間維持可能な実質国内総生産 (GDP) の最高水準である。潜在GDPとも呼ばれる。
自然的・制度的な制約のため上限値が存在する。現実のGDPが潜在GDPを上回ると、(賃金や物価の統制が無ければ)総需要 (aggregate demand) が総供給(英語版)が超えるにつれてインフレーションが加速する傾向がある。これは労働力と労働時間、資本設備、天然資源の供給が限られており、技術や経営管理能力の限界もあるためである。グラフで図示すると、自然限界を超える産出量の拡大は、平均費用(英語版)曲線上、最適な数量を上回る生産量のシフトと見なすことができる。GDPが潜在GDPを下回る場合、供給者が生産能力の過剰を解消するために値下げするのでインフレーションは減速する。
マクロ経済学における潜在産出量は、ある社会全体の生産可能性フロンティア(曲線)の一点に相当し、自然的・技術的・制度的制約を反映している。
潜在産出量は「自然国内総生産」(natural gross domestic product) とも呼ばれる。もし経済が潜在GDP水準であれば、失業率はインフレ非加速的失業率 (NAIRU) または自然失業率と等しくなるが、これらが一体何であるかについては経済学者の間で意見が一致していない。
一般的に言えば、ほとんどの中央銀行や経済企画部局はGDPを潜在GDP水準付近に維持しようとする。政府予算を増減する財政政策と消費と投資の水準を変えるためにマネーサプライを増減する金融政策の2つが最も一般的な戦略である。
(引用終わり)
話しを別の角度から見たものに 「経済成長の類型」がある、 これを、またウィキペディアにより紹介しよう。
経済成長の類型[編集]経済成長は、多様な制約により抑制される可能性がある。このうち、先進国経済で主要な2要件は、
1.労働生産性の上昇 2.需要の創造
である[1]。この2条件のうち、どちらが成長要因(裏返せば、制約要因)となっているかによって、近代的経済成長の様式は、以下の3類型にまとめられる[2]。
1.比例的成長経済 2.生産性主導経済 3.需要飽和経済
(比例的成長経済)
近代的部門と伝統的部門の2部門からなる経済において、近代的部門(資本主義部門)が技術進歩・生産性の上昇もなく、すべての投入と産出が比例的に増大する。成長に必要な労働力は、伝統的部門から無制限に供給される[3]。アーサー・ルイス(Arthur Lewis) は、この状態を「無制限労働供給経済」と呼んだ。二重経済モデル(dual economy model)ともいう。
太平洋戦争前の日本は、基本的には比例的成長経済にあったと考えられている。無制限労働供給が終了するとき、それをルイスの転換点という。日本でいつ無制限労働供給が終了したかについては、1930年代説と1950年代説とがある[4]。現在は、中国がルイスの転換点を越えたかどうかが熱い話題となっている[5]。
(生産性主導経済)
生産性が高い速度で上昇し、それにともない一人当たりの賃金(所得)も上昇するが、国民の消費意欲は旺盛で、次々と新しい需要が生まれ、経済は急成長する。日本の高度成長がそれに当たる。高度成長は、1973年の第1次石油ショックによって減速するが、1980年代末まで輸出超過にも助けられて、実質4パーセント以上の高い成長を示した。この成長率は、当時の先進国の中ではトップクラスであった。しかし、この成長は、1992年バブルがはじけるとともに終了したと考えられる。
(需要飽和経済)
1992年以降の日本経済の長期停滞の原因については、多くの意見・分析がある[6]。景気循環的な分析が多いが、吉川洋[7]・塩沢由典[8]などは、日本が需要飽和経済に突入したことが問題だとしている。
(引用終わり)
これならば、判りやすいと思う。
要するに、最後の需要飽和経済状況での経済成長と言う見方が必要なのであるが、冒頭の解析には、その要因を見る事が出来ない。 分析に使っている要因、係数が全て現実にそぐわなくなっていることを無視しているのである。
政府、金融当局が考えている経済成長とは、ただ単に、前出の潜在GDPを引き出そうとしているものである。 設備投資を促すことで経済成長が図れるとした誤った観念で施策を進めているのである。
需要飽和状態と言うのは、極、常識的に身の回りを観察されればわかること。 殆んどの家庭には、昔、競って購入した家電製品は有り余るほどあり、自動車も複数台所有しているのが現実である。 人々は、よほど御金がなければ、将来に不安なくならないと、余計な支出はしなくなる。
そんな状態で需要を増えることを期待しても無駄であるのである。 収入を増やしてやれば需要も増すであろうが。
それを金融緩和したり、設備投資を促しても、もはや、それで動く経済ではなくなっていることを、認識しない。 認識しないというよりも、認識していても、それを解決する術を持たないから、とりあえず旧来の方法(金融緩和、設備投資の誘導)によっているだけである。
勿論、そんなものは無駄金になり、ますます、国民経済は疲弊してゆく。
それありながら。容易に「経済成長」なる、言葉を弄び、何も知らない国民を騙しているのである。 国民が望む本当の(指数だけではない)「経済成長」と言うものを、一から考えるべきである。
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Re: 経済の話し ( No.30 ) |
- 日時: 2013/10/03 15:04
- 名前: グッキー ID:FzYg6wrI
- (需要飽和経済)
↑こんな欺瞞に満ちた話を良く書けるなーというのが感想です。 買いたくても買えない人、山のように知っています。 需要飽和ではなく、お金が回らなくなった貧血経済です
政府が戦争を始めてお金を7どんどん出せば、たちどころに GDPが倍増します。 戦争を止めたら需要が無く元に戻るかって、 戻らないです。 増えたお金が回転して、買いたくても買えなかった人たちが 買える様に成るだけです。
つまりお金が実体経済に流れれば貧血経済は終ります。
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