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[1711] 経済の話し
日時: 2013/03/12 23:22:25
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:1363098145

最近、阿修羅掲示板に良く投稿される「あっしら」のサイトへ行ってみました。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/index-as.htm

HNは「あっしら」と名乗られているが経歴は解りませんが、資本主義経済のシステムが持っている色々な矛盾を説く解す能力豊かな、経済に強い確かな方と見受けしました。
その一部を転載します。



「供給=需要」の向こう側 <想像力から創造力へ> S子
         
「利潤なき経済社会」を興味深く、また、意義深く読ませていただ
いております。資本主義経済において、結局、私たちが見誤ったも
のは、マネーにおける「目的」と「手段」をはき違えたことにある
のは間違いないだろう。経済活動における潤滑油とはマネーであり
、そのマネーが滞ることなく流通し、循環してこそ経済の活性化を
見ることができ、個々人としての生きる活動も活発化してくる。

それはまるで私たちのからだを流れる血液のようなもので、血液が
さらさらの状態であれば私たちは健康で日々を無事に過ごすことが
できる。が、血液がどろどろ状態になり、この流れが悪くなり脳で
詰まれば脳梗塞が起き、その部分の脳組織が壊死してしまい、私た
ちは失語症になったり、半身不随になったりする。

資本主義も当初はマネーがモノを交換するための「手段」として流
通していたが、資本主義が成熟してゆくにつれて、いつの間にか「目
的」と化した。マネーの目的化はつまるところ全てを目的化させてし
まい、私たちにあらゆるものの「本質」を見る目を喪失させた。
これは事実である。

そして、それが「供給=需要」という経済活動を必然的に生じさせ
、モノに溢れた社会が誕生した。「供給=需要」という経済活動は
よくよく考えてみれば、「与えられた人生」を送ることになり、
そこには自主性や主体性はなくても私たちは「与えられたモノ」を
購入し、そこそこ無難な人生を送ることができる。

私たちが無難だと錯覚し、安心してしまうのは、周囲が皆「与えら
れたモノ」である「同じモノ」を持っているからである。つまり私
たちは「与えられた、同じモノ」を持つことによって人生の安定や
幸福の尺度をはかっていた可能性がある。「供給=需要」という経
済活動では、人間の欲求すらも本質から遠ざけてしまうということ
である。

本当に自分が欲しいモノだったのか、他人が持っているから欲しい
のか、テレビコマーシャルで見たから欲しくなったのか、売り込み
にきたから購入したのか、ないと困るほどではないがあって困るほ
どでもないので購入したのか等、心から欲しているものではなく、
供給されたから需要したという構図が自然と生まれる。それを自分
の欲求があったから買ったと、私たちは錯覚しているにすぎない。

こうして私たちは「与えられた人生」を無難に安定して生きること
で、「危機感」を抱くことなく日々を過ごし、人生を終える。人間の
三大欲求であり生きる基本の「食・性・寝」も既にこの「供給=需
要」という経済活動に組み込まれ、マネーの目的化とともに人間と
しての本能を私たちは喪失しかけている。現代人はこの自覚すらも
ないという悲しい状況におかれているのである。

しかし、マネーの目的化による「供給=需要」という経済活動では
経済成長が持続できないどころか、経済の空洞化を生み失業者を増
加させ、個人としての生きる活動が阻害されてしまう。そのことに
気づいたのが、今回の欧州連合憲法批准拒否の仏国民である。拡大
EUの存続に待ったをかけた格好となったが、「危機感」を抱いた彼
らの人間的本能はまだ廃れていないどころか、十分に健在である。


(中略)

ひるがえって日本を見れば、「供給=需要」人生が非常に行き届い
ており、大人も子供も主体性をなくし、自信喪失し、想像力にも欠
け生きる気力も無い状態に置かれている。だから米国の言いなりに
しか生きることができないのである。「供給=需要」という「与え
られた人生」を送ることは確かに楽ではある。が、そこには「自分
」というものがない。この人生を生きる「自分」がないのである。

だから真の喜びや真の悲しみを味わうことはまずないだろうし、
そこそこ無難で安定した人生を送ることで「危機感」を覚えること
もまずないだろう。実はそれこそが問題なのである。「危機感」を抱
くこともなければ、正直な話がまともに「自分」とは向き合えない。
「自分」という人間のこともわからずして終える自分の人生って一
体何??ということになる。

マネーが目的化されることで「供給=需要」という経済活動が必然
的に生じ、「与えられた人生」を送ることで私たちは主体性を失い
、自信を失い、生きる源泉ともいえる想像力までも失った。また、
そういう場所さえも失った。想像力を失えばこの世で実現する創造
物さえもなくなるのである。つまり来るべき未来が描けない。

「利潤なき経済社会」ではマネーを手段に転落させることで、資本主
義の論理が大きく揺らぐだけではなく、世界の構造が大きく転換し
てしまう。これまで築き上げてきたもろもろが崩壊に直面している
と言っても過言ではない。それは日本が明治維新以降追求してきた
西洋文明であるかもしれないし、合理化の名のもとに推進されてき
た科学万能主義であるかもしれないし、それを基点とした物質文明
であるかもしれない。

「供給=需要」人生で「危機感」を抱くこともなくなった私たちが
、価値観の転換をはかることは容易にできそうもないのは明白だ。
しかし、マネーの目的化による「供給=需要」経済活動では世界は
やがて行き詰まる。価値観の転換は時間も要するだろうが、案外石
油の枯渇がその契機になりはしないかと、私は密かに思っている。
その「危機感」が「自分」と真剣に向きあうことになり、それが男
女双方への理解へと向かわせる。そこから男女双方の想像力が生ま
れ、それが創造力へとつながり実現化し、新しい未来が描けるとい
うものである。

(引用終わり)
メンテ

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Re: 経済の話し ( No.11 )
日時: 2013/04/07 23:33:30
名前: 北の国から

 これは、たぶん国民、労働者、農民、中小企業経営者のガバナビルテイーを、
高める作業だと思います。
 地域(どんな小さな単位でも)、職場、同業者などのちいさな単位で、多少
なりとも統治能力の必要な活動を、いくつもいくつも作っていき、実際にさま
ざまな活動を起こしていくことではないかと思います。
 どんな目標でもどんなサークルでも、財政をつくり動くことでしょう。
 そのために必要であれば学習も(優れた講師をたのんで)おこなう。
 そういう実際の活動によってのみ「独立国の国民の誇り」「労働者の誇り」
「食糧を生産している誇り」などとともに統治力がみがかれると思います。
重要なことは、どんな場合にも政治的に偏るような目標や活動はおこなわない
ということでしょうか。
 とくにこの活動で重視するのは「自分たちで計画し、自分たちで実行する」
ということでしょう。
 小さな単位でも、ガバナビリテイーがついていくことによって、マスコミな
どがたれながし続けているウソが見抜けるようになるでしょうし、暮らしや経
済というものは、実は自分たちの選挙のときの洗濯によって、自分の首を絞め
ることにもなるし、あるいは少しでもまともなルールができたりするというこ
とになるでしょう。

 とりあえずボクは、こうした活動に参加していきます。
メンテ
Re: 経済の話し ( No.12 )
日時: 2013/04/07 23:50:12
名前: 天橋立の愚痴人間

北の国から さん

随分と長文の主張、読ませていただきました。

貴方も言っておられる様に、現状はいろいろな角度から説明できます。
そうして、現在出来ることを、コツコツとやること以外、今の所は方法がないのですが、

また、私自身、多くの言葉で語って来ましたが、究極の所は、政治の問題でも経済のシステムの問題でもないと思っています。

要するに、科学の発達が、ある意味で人間を追い詰めているのです。

生産と言うものを考えてみてください。
食料に関しては、未だに餓死者がいるようで、これは除くとしましても、工業生産については如何でしょう。

テレビで紹介される、各種商品の先端の生産ラインのすごさは、想像を絶するものです。
どのような商品でも、食料品でも、その生産ラインで作られる量は、1日に数万を超えます。
日本全国で消費される、同じ商品を作るためには、10〜20ヶ所程度の施設でまかなえるでしょう。

自動車にしても、テレビなどにしても、メーカーは数社に絞られている状況です。
そうして、その工場に人間はまばらにより働いていません。

要するに、仮に輸出入が全くないと考えれば、国内で必要な商品を作るのに数千社と数百万人の労働者がいれば事足りるのです。

太古の昔から、人間は、食べること、着ること、住むことのために働き、生活の糧を稼いで来ました。
それが生きることであり、人生であったのです。

現代社会は、昔は殆んどの人がしてきた、そうした労働に必要な人間は人口の2割りくらいのものが従事すれば出来るのです。

前にも書きましたように、最近の統計でサービス産業に従事する労働者の割合が75%に上がっている事が証明しています。
このサービス産業の部類は、生活に欠かせないものでないものが多くあり、何かと言えば雇用の環境が不安定な分野であります。

それも、さすがに70%を超える頃には労働力の過剰供給の状態になり、失業をやむなくされる人が増えています。
また、ITを駆使した仕事とか、老人や、個人的能力のない人には出来ない領域があります。

報道では、人口が減ってくるので、将来の労働力が不足のように言いますが、人口が減るということは需要も減るということであり、其れに対して、科学技術の発達は、ますます生産効率を上げ、生産の為の労働力を必要としなくなってゆきます。

繰り返しますが、世界的な格差の問題も、詰まるところ、科学技術の発達が招いたものです。
このような、根本的な問題から目をそらし、資本主義のグローバル化の性にしたり、政治の問題にしていますが、本当は、そのこと自体が誤魔化しなのです。

勿論、このような条件を乗り切り、殆んどの人に仕事を与えるようにするのは政治でなければ出来ないのですが。

以上、言ってきたことを前提に、貴方も言われているような施策を総動員して切り抜ける方法をやり始める必要があるのではないでしょうか。


メンテ
Re: 経済の話し ( No.13 )
日時: 2013/04/08 19:50:15
名前: 北の国から

 天橋立の愚痴人間さん。ありがとうございます。
「経済の話し」のスレッドに書かせていただいたのですが、書いているうちに、本来の
趣旨からずれて行ってるのではないかとあせってしまいました。

 いずれにせよ高い生産力を持つ高度に発達したこの国の国民が、できるだけ等しく豊
かな暮らし、希望も展望ま持て、子どもを生み育てることに躊躇しなくてもいいような
社会に向かって進むには、何をしなければならないのか、と言うことですね。

 何よりも、亡くなった加藤周一氏が強調していたように「知識人が大衆と乖離してい
る」という日本的な現状から抜け出さなくてはならないでしょう。

 この掲示板を知ってから、みなさんの圧倒的にレベルが高く、具体性があり、説得力
がありそれでいて適切に自主規制されている投稿に、どれだけ勉強させていただき、ど
れだけ励まされたか。
メンテ
Re: 経済の話し ( No.14 )
日時: 2013/04/08 20:06:00
名前: 天橋立の愚痴人間

>いずれにせよ高い生産力を持つ高度に発達したこの国の国民が、できるだけ等しく豊
>かな暮らし、希望も展望ま持て、子どもを生み育てることに躊躇しなくてもいいような
>社会に向かって進むには、何をしなければならないのか、と言うことですね。


その通りと思いますね。
そうして「何をしなければならないか!」を問うとき、

現在の一切のしがらみを断って考えねばならないと思います。

メンテ
Re: 経済の話し ( No.15 )
日時: 2013/04/11 11:53:44
名前: 天橋立の愚痴人間

携帯電話輸入、初の1兆円突破 国内勢は海外生産移転…歯止めかからず
ttp://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20130410-00000040-biz_fsi-nb

 携帯電話の輸入超過に歯止めがかからない。2012年の輸入額は統計開始以来初めて1兆円を超えた。海外メーカーの国内での販売増とともに、国内勢の生産も海外への移転が進んでいるためだ。テレビやパソコンといった他の製品も海外生産が広がり電機業界全体の輸入額から輸出額を差し引いた赤字幅が拡大している。安倍政権発足以降、急速に進む円安を背景にした輸出増の効果も限定的になりそうだ。

. 情報通信ネットワーク産業協会(CIAJ)などの統計によると、12年の携帯電話の輸入額は前年比52.7%増の1兆1192億円となった。一方で輸出額は24億円で、貿易赤字額は1兆1167億円までに広がった。輸入拡大の原因は、海外製のスマートフォン(高機能携帯電話)の販売増加と日本メーカーの海外への生産移転だ。
. 12年の国内スマホ出荷台数は、米アップルと韓国サムスン電子が4割を超えるシェアを握った。CIAJの統計ではアップルが「iPhone(アイフォーン)」を製造する中国からの携帯電話の輸入額が前年比57%増の9035億円に達するなど、海外勢のスマホの攻勢が貿易赤字幅の拡大につながっている。

. さらに、国内メーカー側もコスト削減などのため携帯電話の生産を海外拠点に移転しているほか、海外メーカーへ製造を委託する動きを強めている。ソニーは携帯電話を国内で唯一生産していた岐阜県美濃加茂市の工場を3月末で閉鎖。NECもスマホの生産は国外で行っており、シャープも中国で販売するスマホについて海外への委託生産を進めている。

. 生産の海外移転や海外製品のシェア伸長などによる輸入額の拡大は他の電化製品でも同様だ。電子情報技術産業協会(JEITA)によると薄型テレビやパソコンなどの製品でも輸入超過が続いており、12年の電子工業品の貿易黒字額は5449億円と9兆円以上に達した1991年から大きく目減りしている。世界市場での競争と海外製品の流入に脅かされ、“加工貿易”で日本を成長させた電機業界のかつての姿は絶えている。
..

(引用終わり)


如何でしょう、これが現実なのです。
20年前の、プラザ合意から、生産拠点の海外流出は止まらず、国内の産業は、自らの企業の理由により空洞化が、ますます進んでいます。

名が通ったような企業は、半分を優に超える商品を海外で生産していて、その傾向はますます強くなっています。
しかも、その商品を逆輸入しています。

これでは、その企業に勤める以外の人たちは、何の収入で生活せよと言うのでしょう。
幾ら物価(輸入品)が安くなっても、金がなければ何も買えません。
現在、商品を豊富に持っているといっても、テレビや自動車を食べることは出来ません。
食べる事ができなければ、飢餓は容赦なく押し寄せてきます。
人々は、豊富な贅沢品に囲まれて餓死を待つのみです。
商品の影に隠れていますが、現代社会は、凶作で餓死を待っていた古代の其れに近いのです。

要するに、資本の原理のままで社会は展開しているのです。
TPP問題など、国民の生活を守るべき、国家までもが、大企業の利益の追求にのみ肩を貸し、国民を虐げる事に奔走しています。

資本主義の原則を変更できないのであれば、其れに変わるセーフティーネットを作るのが国家ではありませんか。
セーフティネットと言っても、従来のマヤカシではなく、本質的な、それであります。

私は、一次産業の国家的な保護、
財源は、紙幣増刷による公共事業で雇用を人為的に確保する(資本主義経済の枠外の発想で)ことより、解決は出来ないと思っています。

このような、現実を見ようとしないで、まだ金融政策で何とか出来ると思い込んでいる、国民をだましている政治、行政、知識人の行動は、人類を滅ぼす大罪者のそれである。
メンテ
Re: 経済の話し ( No.16 )
日時: 2013/05/02 11:31:28
名前: 天橋立の愚痴人間

>2009年以来、ギリシャ、アイルランド、ポルトガルとEU加盟国の財政破綻が続いている。
>3日前には、これにキプロスが加わり、ともにEUの支援を要請している。
>その前、2008年には、リーマンショックに伴い、アイスランドの財政も破綻している。
>これに加え、イタリア、スペインの財政危機も言われて久しい。
>なお、かつ、それら国の財政破綻がEU全体の問題に直結し、株式、為替などの大混乱を巻き起こしている。

最近の発表でEU諸国の失業率は平均、12.0%を超えたと聞きます。
スペインでは、何と27.0%、若年層は50%を超えるそうです。

これを支援するEUなどの外国は、財政再建、銀行の救済ばかりを口にし、多額の援助を表明しています。
ギリシャなどの場合は支援する変わりに大量の公務員を削減するように条件をつけています。

なるほど、国家の財政、大手銀行などは、これによって救済されても、失業者が増えることはあっても庶民の救済にはなっていません。

外国の救済と言うものは、其れによって自分自身の債権を回収するだけのものであり、かつ、その資金に、それぞれの国の税金を使っています。諸悪の根源である、金融システムをの勝手なやり方です。

以前に紹介しましたアイスランドの再建の例のように、
大手銀行の破綻など捨てて置き、ひたすら国民の生活を守る為に動くべきであります。

それが本当の救済ではありませんか。
破綻した(失業者の増大)国民生活を救済しないと、何時までも国家の再建など出来はしないのです。

我が国も、そうです。
何かあれば、銀行や、大規模企業の救済を国家の使命と考えている間違いが問題であるのです。

大手銀行に預金があるような余裕のある人間の救済などする必要はないのです。
大企業が一つなくなれば、やがて小さな企業が生まれてくるのです。

そんなものは、自己責任で、ドンドン潰せばよいのです。
其れにより、新陳代謝が始まり、身体中に新し血が、活力がみなぎるのです。

国内、海外共に、救済と言う名目の、経済の支配層による独裁を見逃してはならないのです。






メンテ
Re: 経済の話し ( No.17 )
日時: 2013/05/02 18:14:49
名前: ウインブルドン現象・・・みすずのさと

「ウインブルドン現象」

市場経済において自由競争が進んだため、市場そのものは隆盛を続ける一方で、元々その場にいて「本来は地元の利を得られるはずの者」が敗れ、退出する、あるいは買収されること。

競争により活性化し望ましいという見方と、在来のものが除外され望ましくないという見方がある。



(語源)

語源はテニスのウィンブルドン選手権。伝統ある同選手権では世界中から参加者が集まるために強豪が出揃い、開催地イギリスの選手が勝ち上がれなくなってしまった。男子シングルスでは1936年のフレッド・ペリーの優勝を最後に、女子シングルスでは1977年のバージニア・ウェードの優勝を最後にイギリス人の優勝者は出ていない。


誰が望んでいるのか、

TPP!

まさにウインブルドン現象を引き起こす。
メンテ
Re: 経済の話し ( No.18 )
日時: 2013/05/15 18:06:17
名前: 原理経済学概論・・・天橋立愚痴人間

資本主義とは、経済の仕組みの一種で、資本の運動が社会のあらゆる基本原理となり、利潤や余剰価値を生む体制である。「資本制」とも言う。

社会に貨幣を投下し、投下された貨幣が社会を運動してより大きな貨幣となって回収される場合、この貨幣が「資本」とよばれる(資本を参照)。

カール・マルクスは著書『資本論』の中で「生産手段が少数の資本家に集中し、一方で自分の労働力を売るしか生活手段がない多数の労働者が存在する生産様式」として「資本主義」と定義した。
資本主義が成立するためには、商品生産と商品交換が一般化しており、自己の労働力を商品化する賃金労働者の存在が必要である。ひとくちに「資本主義」といっても時代や国によって体制には差があるが、一般的に以下のような特徴を持つものであるとされる。

• 私有財産制(民法体系による司法による財産権の法的保護、経済的自由権)
• 私企業による生産
• 労働市場を通じた雇用、労働
• 市場における競争を通じた需要、供給、取り引き価格の調整、契約の自由

但し、以上のうち、どの特徴が資本主義にとって本質的なものであるか、どの特徴が偶有的なものであるか、については必ずしも意見が一致しない。
基本原理としては生産手段を持つ資本家が、生産手段を持たない賃金労働者を使用して利潤を追求する社会システムである。

競争市場では、需要と供給が一致することにより市場価格と取引数量が決定される。以下で示す需要・供給分析は、ある財(物品)・サービスの市場に注目した分析となるため、部分均衡分析と呼ばれる。(すべての市場を同時に分析するものを一般均衡分析と呼び、対照的に扱われる。)

「需要と供給」

需要とは、財に対する購買力の裏づけのある欲望。
消費者側の「買いたい」という意欲。 価格と需要量の関係を図示したのが需要曲線で、一般に右下がりの曲線である。これは価格が上がるほど需要量が減少することによる。
これに対し、同じ価格に対応する需要量が増大して需要曲線そのものが右方に移動する(シフト)ことは、需要(需要量 ではない)の増大といわれる。
なお、国内における需要を内需(ないじゅ)、その国以外からの需要を外需(がいじゅ)と呼ぶことがある。

供給とは、財(物品)やサービスを提供しようとする経済活動。
生産者側の「売りたい」という意欲。 価格と供給量の関係を図示したのが供給曲線で、一般に右上がりの曲線である。これは価格が上がるほど供給量が増大することによる。
これに対し、同じ価格に対応する供給量が増大して供給曲線そのものが右方に移動することは、供給(供給量 ではない)の増大といわれる

均衡

需要曲線と供給曲線の交点で決まる状態を競争均衡と呼ぶ。このとき需要量と供給量は一致し、一義的に価格が定まる。この時の価格を均衡価格(または市場価格)、取引量(数量)を均衡取引量と呼ぶ。
アダムスミス以来、近代経済学と言うものは、概ね、この需要と供給の有り様を取り扱ってきたのである。


ところで、人間が生きて行く上の経済活動について検証してみよう。
その始めは自然経済です。

「自然経済」所謂、自給自足経済

交換の媒介に貨幣を用いず、現物交換に基づく古い段階の経済。現物経済。

「貨幣の登場」

等価交換が盛んに行なわれるようになると、物資の交換に伴う不便を取り除くための代替物が、交換に用いられるようになった。これを物品貨幣(自然貨幣)または原始貨幣と呼ぶ。物品貨幣は、貝殻や石などの自然貨幣、家畜や穀物などの商品貨幣とに分類される。代表的な物品貨幣にタカラガイなどの貝類(古代中国、オセアニア、アフリカ)、石類(オセアニア)、穀物(バビロニア)や布(日本)等がある。貝・羽毛・鼈甲・鯨歯など装飾品や儀礼的呪術的なものも見られるが、その背景に宗教的意義を持つ場合が少なくない。

時代が下ると、青銅や鉄、銅、あるいは金・銀などの金属が貨幣として使われるようになった。最初は地金を秤量することで貨幣として使用していたが(→秤量貨幣)、やがて計数貨幣として金属を鋳造した貨幣が現れた。現存する最古の鋳造貨幣は紀元前7世紀にリディア王国で作られたエレクトロン貨といわれている。
単純な財と財との交換は、その財が不変性を持たない限り、限界に突き当たる。端的に言えば魚も麦も腐るので、「価値を保存できない」のである。ここに不変性を象徴する「貨幣」が登場する余地があったのである。
「貨幣」による「交換」を前提にすることにより、我々は初めて「価値の保存」に成功する。保存された「価値」は、任意の段階で「交換」の現場に取り出され、その「価値」を保有する人間に「財」や「サービス」を提供する。
これが、「貨幣経済」の本質であり、市場主義の本質である。

「貨幣の独走」

個人個人がその「労働」を交換の現場である「市場」で、不変性を持つ「貨幣」に置き換えた段階で、経済の運動主体そのものとなった貨幣を、自らの企図のために使いたいという動きが出てきた時に、貨幣自体を流通させることに「価値」が生じた。

そして「利子」とは人間の世界に「時間」の概念が導入され、貨幣や交換が人間の欲望を無限に引き出し、そのことによって永遠の増殖を始めた時、誕生した貨幣経済の嫡子である。
冒頭の資本主義論は、此処からはじまる。

(まとめ)

しかしながら人間の経済活動の始原は生きるための財(衣食住)の確保であり、これをなくして生存自身が出来ないのである。

後の貨幣経済、所謂、資本主義経済の理念の下、その需要と供給の法則の間で、人々は何とか生きるための財の確保を享受する事ができてきた。

「労働市場を通じた雇用、労働」は需要を喚起した。

要するに「雇用」≒「需要」≒「供給」の関係が概ね成り立っていた。

それが生産手段の発達により

「雇用」<「需要」<「供給」の関係に、概ね変わってきた。
それも、資本主義経済学の技術的方法では取り繕くろえないレベルになってきたのである。

その上に、貨幣自体の流通(利子の追求)を目的とする経済活動が、これに拍車をかけ、生活者の存在を無視している。
そもそも、近代経済学は、貨幣経済そのものを容認するところから始まっていて、始原的な人間活動における経済の観念にかけている。

スペインなど世界各地で起きている失業者の増大の原因、アメリカの99%運動の原因は、此処にあるのであり、景気、不景気を問題とする現代経済の専門家説く話しなど、何の解決策にはならないのである。

需要と供給の原理で運営される資本主義経済の社会で、雇用の機会をなくした多くの労働者が出てきたのである。

ましてや、アベノミクスなど、聞いて呆れる話である。


メンテ
Re: 経済の話し ( No.19 )
日時: 2013/08/06 09:32:43
名前: ニホンザルさんの意見・・天橋立の愚痴人間

日本の政治・行政・司法は妖怪の時代 ( No.728 ) スレッドに下記の意見がありました。
「経済とは何か」を問うこのスレッドで貴重な意見と思いますので、ここの転載させていただきました。

日時: 2013/08/05 11:02:39
名前: ニホンザル


日本政府は1000兆円を超える国債発行残を抱えている。
その国債が一斉に売りに出されれば大暴落で金利が高騰、
国債大量保有者である国内金融機関は莫大な損失を被り破産する。
政府は国債発行による資金調達ができなくなり 行政不能で国政は大混乱に陥る。
そのような事態を防ぐためには財政規律の立て直しは最優先課題で、
財政均衡を図るための消費税率の引き上げを早期に実行しなければならない。

上の話は相当以前より政治家やマスコミ評論家等により新聞やTVで宣伝され、
多くの国民もそのように理解するようになっているようです。
消費税率引き上げを唱える政党が選挙で圧倒的多数を得たことがその証明でしょうか。
しかしその論拠は通貨規律を絶対視する条件の場合です。
その信憑性を覆す出来事が今世界で日本で起きていますが、増税論者はそのことはスルーしています。

通貨規律の金科玉条
通貨は債務化される。その債務には担保がなければならない。
通貨発行者は発行通貨に見合う担保を取ることが通貨発行の条件のはず。
この規律が世界中で破られています。

総量緩和策QEと呼ばれる政策がそれです。
例えばアメリカのFRBが自国国債や金融機関の持つ不良債権を買っているという。
これは不渡りになった手形にお金を貸しているということです。
不渡り手形でお金が借りれるなら、いくらでも手形は発行できるでしょう。

これが許され、それで経済がうまく行くなら誰も苦労せずに済むはずです。
これが資本主義の教義に書いた資本主義の真骨頂。
資本主義は通貨の増刷で債務を永遠に先延ばしできるシステムという意味です。
条件さえ整っていれば通貨が増刷された分、経済規模が拡大し景気回復に繋がります。
その条件とは経済が金利政策が効かないデフレ状態の場合ということでしょう。

日本の安倍ノミクスと呼ばれる政策もQE策です。
日銀が金融機関から国債を買って市場の通貨を増やしています。
不良化する恐れがあると言っていた国債を買っているということです。
しかもそれで景気が良くなっているとされています。

以上のことからハッキリしたことは、言われてきたような国債危機は起きないということ。
国債が一斉に売りに出されても日銀に通貨を印刷させて全て買い取ればよいだけです。
買い手があれば暴落はあり得ない。
デフレには金利政策は効かないが通貨政策は効く、これが結論です。

それが何の問題も無ければ言うことはありません。
問題は悪性インフレの発生です。
それを引き起こさない範囲で実施できればよいのですが難しいでしょう。
FRBがQEの縮小をアナウンスするのは、その見極めのためでしょう。

通貨規律を監視するBISは何も言っていないようです。
BISは寡頭勢力、自分達の都合であれば何でもOKということでしょう。
従って言われる中国の経済破綻もありません。
中国政府は必要であれば通貨はいくらでも印刷できます。

通貨を勝手にいじるといつかは悪性インフレを引き起こします。
悪性インフレとは過剰発行した通貨債務をバランスさせる経済現象です。
全ての国民の保有する預貯金価値の目減りで相殺されるということです。
結局国民全体で付けを払わされるということですが、金持ちほど負担が大きい。
しかし預貯金以外の実物資産を保有する金持ちは、資産の値上がりでカバーできます。
これも資本主義の摩訶不思議な魔力でしょう。
メンテ
Re: 経済の話し ( No.20 )
日時: 2013/08/11 19:38:42
名前: 貨幣 1・・天橋立愚痴人間

「貨幣経済という奇妙な宗教の国に生まれて」

ttp://www.alt-invest.com/book/old/profitable_life/intro.htm

神様と貨幣はよく似ている。

 貨幣が価値を持つのは、誰もがそれを貨幣と信じて疑わないからだ。
 1万円札に価値があるのは、特殊な紙やインキが使われているからではない。私たちが、福沢諭吉の似顔絵が描かれた紙切れに1万円の価値があるとする奇妙な宗教を信じているからだ。

 ただの紙切れに価値があるというのは一種の法螺話だ。どうせデタラメなのだから、貨幣は実は、石ころでも貝殻でも構わない。現在では、銀行の預金通帳に打ち出された電子データが貨幣だと信じられている。大事なのは貨幣の材質ではなく、実体のないものに価値を認める信仰心だ。貨幣経済とは、貨幣を神様と崇める宗教である。

 神の姿をこの目で見ることができないのと同様に、貨幣の実在を客観的に証明することもできない。
 理屈の上では、1万円札は日本国の資産を担保に発行されている。かつて、貨幣の担保として中央銀行は金を保有していたが、現在の担保は日本国債である。国債というのは国家の借用証書で、それを持っていくと貨幣と交換してくれる。貨幣は国債によって担保され、国債は貨幣で担保されている。これは新興宗教の教祖が、「私が神であることは神である私が知っている」と述べるのと同じ理屈である。なんの根拠もないが、信じるのはその人の勝手だ。

 貨幣を神とするならば、貨幣経済は唯一の世界宗教だ。地球上には国ごとに異なる“神”がいるが、その神々は一定のレートで交換可能である。キリスト教徒も、イスラム教徒も、仏教徒も、貨幣を神と崇める世界宗教から自由になることはできない。私たちがこの世で生きていくためには、好むと好まざるとにかかわらず、この奇妙な宗教の信者になるほかない。

 日本人が日本国を信用しなくなると、日本円という貨幣の価値が低下する。日本の“神”を、海外のもっと魅力的な“神”と交換したいと考えるからだ。国民が「紙切れはしょせん紙切れに過ぎない」と気づいた時に、貨幣制度は崩壊する。幻想が剥がれてしまえば、1万円札もただのゴミと変わらない。

 貨幣制度は共同幻想によって支えられている。貨幣にとらわれるのは、夢や幻にとらわれるのと同じだ。ヒトが一匹の動物として生まれ、成長し、老い、死んでいく自然を前にして、貨幣の多寡に何ほどの意味もない。
 だがその一方で、私たちの人生が夢や幻によってつくられていることも否定できない。なぜなら人間は、幻想から現実を創造する生き物だからだ。神権によって成立した社会では、人の運命は気まぐれな神託に翻弄される。貨幣経済のもとでは、貨幣という幻想を拒絶して生きていくことはできない。 

 カール・マルクスは「人間は社会的存在である」と言った。マルティン・ハイデガーは「実存は世界内存在である」と述べた。どちらも言っていることは同じだ。
社会や世界は幻想でしかないが、私たちはそこでしか生きられない。

(引用終わり)


金本位制を止めた貨幣のシステムは、2京ドルと言う貨幣を世界にばら撒き、為替相場の上下だけに貨幣の価値基準を求めて狂奔しています。

実際のところ、何が虚構で、何が信じられるか一般大衆には解りません。
そうした問題と対峙する、一つの検証を始めましょう。

これから数回にわたり、ある記事を紹介します。
メンテ

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