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[1711] 経済の話し
日時: 2013/03/12 23:22:25
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:1363098145

最近、阿修羅掲示板に良く投稿される「あっしら」のサイトへ行ってみました。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/index-as.htm

HNは「あっしら」と名乗られているが経歴は解りませんが、資本主義経済のシステムが持っている色々な矛盾を説く解す能力豊かな、経済に強い確かな方と見受けしました。
その一部を転載します。



「供給=需要」の向こう側 <想像力から創造力へ> S子
         
「利潤なき経済社会」を興味深く、また、意義深く読ませていただ
いております。資本主義経済において、結局、私たちが見誤ったも
のは、マネーにおける「目的」と「手段」をはき違えたことにある
のは間違いないだろう。経済活動における潤滑油とはマネーであり
、そのマネーが滞ることなく流通し、循環してこそ経済の活性化を
見ることができ、個々人としての生きる活動も活発化してくる。

それはまるで私たちのからだを流れる血液のようなもので、血液が
さらさらの状態であれば私たちは健康で日々を無事に過ごすことが
できる。が、血液がどろどろ状態になり、この流れが悪くなり脳で
詰まれば脳梗塞が起き、その部分の脳組織が壊死してしまい、私た
ちは失語症になったり、半身不随になったりする。

資本主義も当初はマネーがモノを交換するための「手段」として流
通していたが、資本主義が成熟してゆくにつれて、いつの間にか「目
的」と化した。マネーの目的化はつまるところ全てを目的化させてし
まい、私たちにあらゆるものの「本質」を見る目を喪失させた。
これは事実である。

そして、それが「供給=需要」という経済活動を必然的に生じさせ
、モノに溢れた社会が誕生した。「供給=需要」という経済活動は
よくよく考えてみれば、「与えられた人生」を送ることになり、
そこには自主性や主体性はなくても私たちは「与えられたモノ」を
購入し、そこそこ無難な人生を送ることができる。

私たちが無難だと錯覚し、安心してしまうのは、周囲が皆「与えら
れたモノ」である「同じモノ」を持っているからである。つまり私
たちは「与えられた、同じモノ」を持つことによって人生の安定や
幸福の尺度をはかっていた可能性がある。「供給=需要」という経
済活動では、人間の欲求すらも本質から遠ざけてしまうということ
である。

本当に自分が欲しいモノだったのか、他人が持っているから欲しい
のか、テレビコマーシャルで見たから欲しくなったのか、売り込み
にきたから購入したのか、ないと困るほどではないがあって困るほ
どでもないので購入したのか等、心から欲しているものではなく、
供給されたから需要したという構図が自然と生まれる。それを自分
の欲求があったから買ったと、私たちは錯覚しているにすぎない。

こうして私たちは「与えられた人生」を無難に安定して生きること
で、「危機感」を抱くことなく日々を過ごし、人生を終える。人間の
三大欲求であり生きる基本の「食・性・寝」も既にこの「供給=需
要」という経済活動に組み込まれ、マネーの目的化とともに人間と
しての本能を私たちは喪失しかけている。現代人はこの自覚すらも
ないという悲しい状況におかれているのである。

しかし、マネーの目的化による「供給=需要」という経済活動では
経済成長が持続できないどころか、経済の空洞化を生み失業者を増
加させ、個人としての生きる活動が阻害されてしまう。そのことに
気づいたのが、今回の欧州連合憲法批准拒否の仏国民である。拡大
EUの存続に待ったをかけた格好となったが、「危機感」を抱いた彼
らの人間的本能はまだ廃れていないどころか、十分に健在である。


(中略)

ひるがえって日本を見れば、「供給=需要」人生が非常に行き届い
ており、大人も子供も主体性をなくし、自信喪失し、想像力にも欠
け生きる気力も無い状態に置かれている。だから米国の言いなりに
しか生きることができないのである。「供給=需要」という「与え
られた人生」を送ることは確かに楽ではある。が、そこには「自分
」というものがない。この人生を生きる「自分」がないのである。

だから真の喜びや真の悲しみを味わうことはまずないだろうし、
そこそこ無難で安定した人生を送ることで「危機感」を覚えること
もまずないだろう。実はそれこそが問題なのである。「危機感」を抱
くこともなければ、正直な話がまともに「自分」とは向き合えない。
「自分」という人間のこともわからずして終える自分の人生って一
体何??ということになる。

マネーが目的化されることで「供給=需要」という経済活動が必然
的に生じ、「与えられた人生」を送ることで私たちは主体性を失い
、自信を失い、生きる源泉ともいえる想像力までも失った。また、
そういう場所さえも失った。想像力を失えばこの世で実現する創造
物さえもなくなるのである。つまり来るべき未来が描けない。

「利潤なき経済社会」ではマネーを手段に転落させることで、資本主
義の論理が大きく揺らぐだけではなく、世界の構造が大きく転換し
てしまう。これまで築き上げてきたもろもろが崩壊に直面している
と言っても過言ではない。それは日本が明治維新以降追求してきた
西洋文明であるかもしれないし、合理化の名のもとに推進されてき
た科学万能主義であるかもしれないし、それを基点とした物質文明
であるかもしれない。

「供給=需要」人生で「危機感」を抱くこともなくなった私たちが
、価値観の転換をはかることは容易にできそうもないのは明白だ。
しかし、マネーの目的化による「供給=需要」経済活動では世界は
やがて行き詰まる。価値観の転換は時間も要するだろうが、案外石
油の枯渇がその契機になりはしないかと、私は密かに思っている。
その「危機感」が「自分」と真剣に向きあうことになり、それが男
女双方への理解へと向かわせる。そこから男女双方の想像力が生ま
れ、それが創造力へとつながり実現化し、新しい未来が描けるとい
うものである。

(引用終わり)
メンテ

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経済理論の大転換 4 ( No.262 )
日時: 2017/12/21 09:02
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:JaBlAQvg

(お金の話し ロ)


日時: 2017/09/11 16:43
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:7LvZZnT6

ますますややこしくなりますが、お金の概念(通常思われている概念とは違う分野の概念)を再認識するためには必要なのです。


「お金の回転によって生産が増える仕組み」

 ここでは、政府や企業によって投資が行われた場合の貨幣の回転と生産の関係を見ながら、貨幣の役割について考えてみます。まず、ごく単純化された例を考えます。
 政府支出が民間の生産を増やす仕組みについて、政府が、公共事業などで100万円の公共投資をし、国民Aがこれを請負い、国民Aは100万円分の道路を建設し、100万円を得たとします。この段階を有効需要の創出と言います。その結果100万円分の道路が生産され、国民Aは100万円を保有します。
 次に、国民Aの100万円を得ようとして、国民Bが100万円の自動車を作り、国民Aに売ります。その結果、自動車100万円分が生産され、国民Aに売り、国民Bは100万円を保有します。
 次に、国民Bの100万円を得ようとして国民Cが100万円の衣料を作り、国民Bに売ります。衣料品100万円分が生産され、国民Cは100万円を保有します。

 最後に、国民Cは年度末に税金として100万円を納付したとします。そして、100万円という貨幣の回転はここで止まったと仮定します。国民Cだけに税金が100万円というのは酷すぎますが、本当は国民A、B、Cがそれぞれ税金を支払うのですが、ここでは話の便宜上国民Cが代表して払ったことにします。
100万円は再び政府の手に戻り、市場から100万円の貨幣は消えてなくなりました。それでは、誰が得をしたのかということですが、この話の焦点は、最後に、誰がお金を握ったかにあるのではなく、お金の存在によって生産物を渡すべき相手を探り当てることが出来、国民A、B、Cが生産することが出来たことにあります。

 (この例では、最後に税金によってお金は回収されましたが、課税されなかったとして、国民Cが貨幣を貯蔵した場合も同じです。)
 政府が100万円を財政支出した結果、100万円のお金が回転している間に、国民Aが100万円分の道路、国民Bが100万円の自動車、国民Cが100万円の衣料を生産しました。
 この例では、政府の公共投資でしたが、民間の設備投資でも、消費でも、減税(家計の可処分所得が増える)でも、市場に貨幣が供給されることは同じであり、同様に、国民の中で生産を始めることが出来ます。

 このように、貨幣の存在を認識することによって、その貨幣を得るための生産が始まるところに、貨幣の存在の意味があります。貨幣を使用することを有効需要と言います。経済学で言う需要はすべて有効需要を意味します。
 需要のサインを察知することで需要を探り当て、生産し、取引すれば、お金の役割は終わりです。その後、お金が税金等で消え去って、誰の手元に残らなくても構いません。
 新たに投資しようと試みる者は、銀行に行って、お金を借りれば良いのですから、お金を富裕層とかの誰かの手元に残しておく必要はありません。
 例として、相続税を100%にして、親からの相続財産を無くしてしまっても、子孫は、銀行からの借り入れで新しい投資にチャレンジすることが出来ます。個人商店や同族企業の事業の継承については、相続を否定するわけではなく、相続税に相当する金銭を納めれば良いのです。

 ちなみに、銀行から借りて投資するという行為は誰でも出来ることですが、それを快く思わない勢力が存在します。それは富裕層と呼ばれる人たちです。他人が簡単に投資出来なければ、富裕層は投資先がより取り見取りになり、圧倒的な優位に立ちます。投資の競争相手がいなくなれば、自分たちの持っている資金の価値が高まり(資本の希少性)、それによって、利益率を高めることが出来ます。
 富裕層は金本位制の下でそのハッピーな経験をしています。金本位制の下での投資においては、お金の発行量が制限されていて、銀行もうかつに信用創造できませんでしたから、富裕層の貨幣の貯蔵(貯蓄)にしかその当てがありませんでした。
 よって、古典派経済学の認識においては、貯蓄が重要となり、富裕層がお金を貯め込めば貯め込むほど、経済に良い影響が有ると考えられていました。まず、「富める者が富まずして、国の発展はあり得ない」というイギリスの元首相のサッチャーの言葉もこのことを反映しています。

 サッチャーが首相になった頃はすでに金本位制は廃止されていましたが、サッチャーも金本位制から脱却したことの意味、すなわち、「新たな貨幣発行が格差をなくし、国民の平等が達成される」という理屈が判らなかったのであろうと思われます。
 英国はEUに加盟しても、通貨発行権を放棄しなかったのですが、それにも関わらず財政均衡を重視したのです。

 サッチャーだけでなく、その後、現在もまだあらゆる国の首長も政府も、そのことを理解しようとしません。それどころか、むしろ、富める者をますます富ませる政策を継続しようとしています。
 それはなぜなのか。現代の経済学者たちは、「どうすれば国民が豊かになれるか」、「どうすれば経済成長出来るか」といった普遍的国民の幸福の問題を取り上げてもお金になりませんから、もはや、国民のための「学」としてのプライドに見切りを付けてしまっているということです。

 最も、お金になり、最もセンセーショナルなテーマである「どうすれば富裕層が金本位制下と同じ待遇を受けることが出来るか」のクイズを解くことに夢中になっているのが古典派経済学です。
 そちらのクイズを解いた方がお金がもらえ、ほめられ、老後の生活もいろいろな人脈によって保証されるからです。そのフィクサーが、すなわち、アメリカの投資家であり、テレビ・新聞の株主であり、日本の経団連です。
メンテ
経済理論の大転換 5 ( No.263 )
日時: 2017/12/21 09:08
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:JaBlAQvg

(お金の話し ハ)


日時: 2017/09/11 16:51
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:7LvZZnT6

「ケインズの貨幣数量説からの離脱」

 金本位制を廃止する前は、お金を集めなければ支出が出来ないということでは、民間企業のみならず政府もまた同じでした。民間企業であろうと、政府であろうと、むやみに貨幣を印刷すれば本位貨幣の金(gold)と交換出来なくなり、デフォルトしてしまうからです。
 金本位制下において、政府が所得再分配をするために資金調達をする方法は税金です。ところが、富裕層に対する課税については、富裕層の抵抗が激しく、なかなか課税がうまく行きませんでしたから、政府はしばしば財政危機に陥りました。
 そこで、業を煮やしたケインズは、金本位制を廃止し、政府が自由に貨幣発行を行い、政府支出を自由に行えるようにしようとしたのです。

 そうすれば、富裕層への課税が困難でも、貨幣を印刷することによって所得再分配を目的とする政府支出が行えるようになります。ケインズにとって、金本位制からの離脱は、富裕層への課税が出来ないことに対する対抗手段でした。
 ケインズのやりたかったことは、無制限の財政支出であり、低所得者や貧困層への所得再分配です。
 経済とは何かを考えるときに、特定の問題意識がなければ、経済学はオモチャになってしまいます。ある手段を使えば、ある結果が得られるという論争ばかりしていても仕方ありません。経済学ではそうした論争が延々と続きますが、論争によって何を目指そうとしているかに注意しなければなりません。

 そう考えれば、ケインズがなぜあれほどまでに富裕層の経済学である古典派経済学と闘い続けてきたか判ります。
 経済成長だけが目的なら、経済成長は株主が儲かるだけであり、どうせ他人事ですから、学会から追放されたり、職を失ってまで闘う必要はなかったはずです。
 金本位制から管理通貨制度への転換で、政府が貨幣を発行してもデフォルトの心配はなくなります。実際、金本位制を廃止した1971年以降、政府のデフォルトによる世界恐慌は存在しません。
 当時の経済政策の第一の目的は経済成長でした。というか、現在でもそうです。しかし、経済成長させるためなら、どのような手段でも良いというのではなく、富裕層は、自分たちが儲かるような経済成長というものを模索していたのです。
 自国や周辺国で戦争が起こっているときはそうも言っていられませんでしたから、軍需産業に資金が集中され、そこで働く労働者たちに所得が分配されました。その結果、経済成長が起こりました。もちろん、富裕層はそこでも儲けましたが、利益を独占するところまでには至りません。

 それよりも、終戦後は軍需産業が縮小されるため、その労働者を公共投資などに振り向けなければ不況となるので、さらに、利益は多数の中小企業や労働者に分配されて行き、ますます富裕層は利益を得られなくなります。
 それで安定すれば、それで良さそうにも思えますが、富裕層の望むことは、利益の独占であり、自分たちが儲かるような経済体制を創り上げることであって、そのような安定ではありませんでした。
 政治家だけでなく経済学者を牛耳っていたのも富裕層でしたが、政治家に所得再分配を止めさせるためには、そして、そのことで国民を説得するためには、ある種の大義名分が必要でした。それが経済成長理論です。
 富裕層は、故意にバブルを引き起こし、故意にバブルを崩壊させ、日本政府にバブル崩壊からもたらされる不況を脱出するためという口実で、構造改革という、所得再分配を停止する政策を導入させました。

 つまり、経済成長理論は国民に対する説得手段にすぎません。よって、所得再分配という側面は確信的に削られ、ただ経済成長のみが経済学の目的として公認されることになったのです。
 これらの手法はどの国においても用いられ、どの国の経済学においても、議論の目的を経済成長としなければ議論の遡上にすら上らなくなっていますす。
 よって、ケインズにとっても、挑戦者としてリングに上がるためには、経済成長に関する議論で武装しなければなりませんでした。ケインズは、しばらくの間は、所得再分配という本音を隠して、経済成長理論をテーマとして学会で闘うことになります。それは、経済のさまざまな理論で古典派経済学を論破することで行われました。

 その中心となる議論の一つが、貨幣数量説の批判です。
 貨幣量が増えれば、物価が上がることは、古くから知られてました。つまり、インフレが起こる原因は貨幣量の増加です。しかし、古典派経済学とケインズではそのメカニズムの分析が異なります。
 古典派経済学の基本的な理論は貨幣中立説および貨幣数量説と呼ばれ、単純に貨幣の量を増やすことで物価が上がるが、それは経済成長をもたらさないというものです。
 貨幣中立説の中立とは、経済成長に対して中立つまり無関係であるという意味であり、貨幣数量説はその理論を少し複雑にしただけのものです。いずれも、貨幣量の増加は物価の上昇をもたらすだけで、経済成長に対しては意味が無いという理論です。
 古典派経済学では、現在でも、この理論が採用されています。貨幣の数量を増やすことには基本的に反対なのです。したがって、財政政策にも金融政策にも基本的に反対です。ただし、金融政策が機能しなくなったのを見届けるや否や、金融政策には賛成するようになりました。

 貨幣数量説の前提には貨幣中立説があります。貨幣中立説は、貨幣量は物価以外に影響を与えないとする説ですが、短期どころか中長期で見ても、貨幣量と物価が比例しないという矛盾が出てきたために、現代では、フィッシャーの交換方程式や、マーシャルのkなどの考え方を導入することによって、貨幣量と物価を説明しようと試みています。この貨幣中立説に修正を加える一連の理論を貨幣数量説と言いますが、基本は貨幣中立説にあります。

 これに対抗して、ケインズはいろいろ古典派経済学がいらだつような指摘をしています。つまり、貨幣数量の増加は、金利を介して物価に影響を与え、また、金利を介して経済成長をもたらすという指摘です。こうした指摘は古典派経済学が最も嫌がることです。
 なぜなら、古典派経済学は、貨幣数量の増加は金利に影響を与えないとすることで、貨幣数量の増加を、貯蓄や投資と切り離し、経済成長とも切り離して来たからです。
 そして、財政政策を無効と断言することで、経済への政府の介入を排除しようとして来たのです。
 しかし、貨幣数量を増加させることが金利に影響を与え、経済成長をうながすならば、財政政策に意味が出来てしまいます。
 ケインズは、マーシャルやピグーやリカードの例を出しながら、古典派経済学(新古典派経済学とも言われている)は、現実にはあり得ない市場を想定し、その中で議論しているにすぎないとし、そこに現実の常識が入り込むと、古典派経済学は覆されてしまうと言っています。
そして、ケインズは、「利子率,所得と利潤との区別および貯蓄と投資の区別を導入しないかぎり,物価形成の過程について,いかなる現実的な洞察もえられないと思われる」と言い、貨幣数量説からの離脱を宣言しました。
 さらに、貨幣の保有の動機には大きく分けて、取引動機と投機動機の2種類があり、取引動機の比率が高まると経済成長が始まるとし、経済成長するかどうかは貨幣量の増やし方によるのであって、貨幣量を増やすことに意味は無いという理論に反対しました。

 重要な点は、貨幣量をいくら増やしても、そしていくら政府支出をしても、無駄だとする理論に反対することです。それは、政府支出にはしっかりとした役割と意味があるとすることでもあります。
 そこで、ケインズは、消費性向と乗数効果の理論を用意しました。この両方の理論はケインズ経済学の最も基礎的な理論になります。
 富裕層に対する増税および低所得者に対する減税のセット、または、公共投資などによって、低所得者の可処分所得を増やせば、高い消費性向の家庭の所得が高まり、それによって乗数効果が高まり、経済成長をもたらすことが出来ます。
 この理論は、政府の所得再分配政策を、経済成長理論の上からも正しい政策としてバックアップします。
 ここに、ケインズ経済学と古典派経済学の最も先鋭な対立軸が存在します。
 最近の経済学では、経済の現場で起こっている事実から、さすがにケインズの理論を無視できなくなって、かなり、ケインズの理論を取り入れられています。マクロ経済学と言えば、大概のものがケインズの理論を基礎にしています。
 しかし、依然として、富裕層が儲けることが出来る経済成長という価値観で、ケインズの真の目的である所得再分配は切り捨てられています。

 これは国民に向かって露骨に言えませんから、論調として、まず経済成長が大事であり、それゆえ経済成長のための政策を優先するという理論になります。これは、実際は、中小企業が排除され、大企業の株価至上主義というように言いくるめられて行きます。つまり、富裕層の本音に行き着くのです。
 例えば、消費性向を重視し、国民生活の側から財政政策の内容を研究しようとする経済学は存在せず、さらに、金融制度が信用創造に与える影響を研究する経済学も存在しません。
 ポール・サミュエルソンの新古典派総合と呼ばれる経済学派は、ケインズの理論を不況期だけ利用し、好況期は古典派経済学を利用しようと主張しています。しかし、それは詭弁にすぎません。所得再分配の視点が抜け落ちています。国民大衆には経済学の判別は出来ませんから、不況期に好況期の経済政策を行われても判りません。そうこうしている内に、やがて古典派経済学が全てを制します。

 また、ニューケインジアンなどという学派が現れ、ケインズの賃金の下方硬直性に重点を置き、ケインズ政策の利用を、新古典派総合の理論より長期的にしなければならないと言っていますが、やはり、関心は経済成長にあり、本質は、経済成長至上主義(実際は大企業の株価至上主義)の新古典派経済学にすぎません。そういう意味では、やはり、ケインジアンを名乗りながらも、ケインズの所得再分配を骨抜きにしようとする敵であることに変わりはないのです。

(引用終わり)

要するに現在の通貨管理制度のままでは、お金の循環の有り様が制限されていて、これではグローバル化、寡占化が進んだ現状ではお金は必要なところへ回らないで、集まるべきところへより集まらないと言う状態を打破できません。
ですから現在の通貨管理のあり方を見直せと言う事ですが、これが、どうして、どうして現状の状態で利益を享受している連中が認めません。
こうした連中を相手に戦わねばならないのです。
その為には理論武装も必要なのです。

NO1のレスで紹介した、ねこ氏が言っている通りなのです。

>こうした話は新聞マスコミには絶対に出てこない。ということは、強烈なタブーであって、非常に危険を伴う話じゃ。こんな事を平気で書いておると、このサイトもそのうち閉鎖されるか、暗殺されるも知れんのう。
メンテ
経済理論緒大転換 6(まとめ) ( No.264 )
日時: 2017/12/21 09:18
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:JaBlAQvg

日時: 2017/09/11 17:29
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:7LvZZnT6

この数回、難しい理屈を捏ねてきましたが、改めて自分の言葉で平たく説明させていただきます。

最初は物々交換の媒体であったお金は、それが広く流通する事によって、交換以外にお金を貯める事によって将来の生活を保障するものになりました。

また人々は物々交換以外に自分の労働力を提供する事によって必要なものを買うお金を手にすることが出来るようになりました。
このシステムは非常に便利であり瞬く間に世界に広がり、200年ほど前の産業革命いらい、拝金主義と言われるほとお金を追う事に夢中になってきました。

ところが最近では、必要なお金を手に入れるために働いても、十分な対価が得られないとか、働く場所が無いとかいう事態が起きるようになりました。

お金と言うものは、物資または物資の生産・流通の量に比例したお金より流通できないものと思い込んできました。
実際に、お金と言うものは、そうした制約の中で発行されるべきものでもありました。

必要なら、それを必要とする人にお金を与えれば良いと言う様な概念はありませんでした。
そんな事になれば、天国のような世界になります。

ですが実際にはそうしたことも可能な訳です。
生産技術、流通制度の発達は、昔の様にそれに見合うほどの人的対価(給料)を支払う必要がなくなったのです。
物々効果の時代には、それに見合う価値のある商品が無ければ交換は出来なかったでしょうが。
現在は、昔では考えられない様な対価で商品を得られます。

お金の価値の本当の意味が変質してきているのです。
商品さえ、必要に応じて確保できていれば、お金は、その交換と言う意味での存在価値を保障する必要はありません。
北朝鮮の様に生活に必要な商品が不足していれば別ですよ。
それを取り合うためのお金が必要となるのです(インフレを起こします)。

この状態さえなければ、お金は別途の基準で流通させることが出来るのです。
要するに生活の手段としてお金を分け与えることが出来るのです。
お金自身の概念が変質するのです。

お金が足りなければ、必要なだけ銀行へ行けばもらえるという様な社会は誰も考えたことは無かったでしょう。
ですが経済的には何の問題もないのです。

しかしながら、ヘリマネとかベーシック・インカムの様に単にお金をばらまくのでは別の大問題を引き起こします。
一番大きな問題は、誰も働く意欲がなくなるからです。

遊び人ばかりの社会など決して理想の社会とは言えません。
人生の生きがいを仕事に見つけている人も多くいます。
仕事をすると言う事は人間の生活になくてはならない要素なのです。

ですので、実際のヘリマネ(通貨の増刷)は、公共事業の発注とか、介護事業の人件費の補填とかを通して流通(増やす)させることが必要なのです。
殆どの人が真面目に働くと言う条件で、グローバル化のせいで職を失った人には、働く場所を国家が責任を持って保障すると言う条件で、働く人には相応のお金を保障すると言う事が理論的には可能なのです。

生活に必要な物資の生産が確保できていれば、国民が必要とするお金は必要に応じて増刷することが可能と言う事です。
現在の通貨管理の理念の中には、そういう発想はありません。

皆さんに語りかけているのは、もしも、私が言うような時代になったとして、国民の側から、もっと金を増やせと言う声が上がるでしょう。
安易にそのような状況になることは、また大問題なのです。
お金とは、その様に思われても行けないのです。

お金に対する概念の変更も必要ですが間違った概念でも困ります。
ですので、この問題は、我々自身の道義的、倫理的な問題でもあるのです。

市場主義経済の行く先は見えているように思われます。
50年、100年先には完全に破たんしているでしょう。

人間社会はそれに対して革命的な思想の変換、文明史的な一歩前進が必用でしょう。
将来の、お金と言う事については、それほどの問題を含んでいると言う事です。


(経済理論緒大転換終わり)


※ このスレッドも随分と長くなりましたので、NO 242のレスから振り返っています。
是非、通しで読み返して下さい。
メンテ
1000兆円の借金について 1 ( No.265 )
日時: 2018/01/03 17:46
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:uRCw9AJA

正月早々、達磨さんのスレッドの提案に応えて

[2893] ▲日本の「財政破綻」誰も言わないなら、私が言う 「朝日新聞」から転載



日本の借金  2017年11月時点
(内訳)
国債   950兆円(この内、普通国債 845兆円)
借入金  52兆円
政府短期証券  78兆円

合計      1080兆円

(普通国債の長期保有者内訳)
民間銀行   43.2%(365兆円)
日銀   41.3%(349兆円)
※海外   6.0%(50.7兆円)
社会保険機構(年金など)   4.7%(39.7兆円)
非営利団体   2.4%(20.3兆円)
地方行政   2.2%(18.6兆円)
政府   0.3%(2.5兆円)

下の数字は、GDPに対する国の財政赤字の比率を示したものである。
1位  日本   239.3 %
2 位  ギリシャ  181.5
4 位  イタリア  132.6
15 位  アメリカ  107.1

我が国の財政赤字が大きいことを理由に我が国の経済が破綻することが言われている。
良く比較にされるギリシャの経済破綻を例にとって検証してみよう。

(ギリシャの財政破綻)
ギリシャ危機は、ギリシャ共和国の2009年10月の政権交代を機に、財政赤字が公表数字よりも大幅に膨らむことを明かしたことに始まる一連の経済危機をいいます。従来、ギリシャの財政赤字はGDP比で5%程度とされていましたが、新政権(全ギリシャ社会主義運動)下で旧政権(新民主主義党)が行ってきた財政赤字の隠蔽が明らかになり、実際は12.7%に達していたことが分かりました(2010年4月に13.6%に修正)。

●2010年ギリシャ危機

2010年1月に、欧州委員会がギリシャの統計上の不備を指摘したことが報道され、同国の財政状況の悪化が世界的に表面化しました。これに対して、ギリシャ政府は3カ年財政健全化計画を発表しましたが、あまりに楽観的な経済成長が前提であったため、格付会社が相次いでギリシャ国債の格付けを引き下げ、マーケットではデフォルト不安からギリシャ国債が暴落しました。これをきっかけに、外国為替市場ではユーロが下落すると共に、世界各国の株価も下落することになり、その後は、危機収束に向けた楽観論と悲観論が繰り返され、マーケットは大きく揺さぶられました。

このギリシャ危機に対して、ユーロ圏諸国の財務相会合において、2010年5月にIMF・EUによる第一次支援(総額1100億ユーロ)が決定され、また2012年2月にIMF・EU・民間による第二次支援(総額1300億ユーロ)が決定されました。その一方で、ギリシャ政府に対しては、増税・年金改革・公務員改革・公共投資削減などの厳しい緊縮財政策や公益事業等の大規模の民営化が支援金受け取りの条件として課され、国民に大きな負担を強いることになりました。

●2015年ギリシャ危機

2012年以降、ギリシャは、金融支援プログラムに課せられた厳しい条件(緊縮財政等)に取り組み、財政面は徐々に改善していきましたが、一方で景気は大きく落ち込み、国民の生活はさらに苦しくなり、大規模なデモや暴動が度々発生しました。そして、2015年1月の総選挙では、最大野党で反緊縮派の急進左派連合(SYRIZA)が緊縮疲れの国民の支持を受けて勝利し、チプラス政権が誕生しました。これによって、一層の緊縮策を求めるEUとの交渉が行き詰まり、ギリシャは6月末に返済期限を迎えたIMFからの借入を延滞すると共に、EUの第2次金融支援も終了しました。

2016年7月5日、チプラス政権は、改めて民意を問うため、緊縮財政策を受け入れるか否かについて国民投票を実施しましたが、結果は反対(緊縮拒絶)が圧倒的多数を占めました。一方で、国民投票は「ユーロ圏に残ること」を前提にしていたため、同年7月13日、ユーロ圏の首脳は会談を開き、ギリシャが財政改革の具体策を法制化することを条件に支援継続で合意しました。その後、ギリシャ議会は、年金給付の抑制や付加価値税の引上げ、離島への軽減税率廃止などを盛り込んだ財政改革関連法を可決し、同年8月14日、EUは欧州安定メカニズム(ESM)に基づき、3年間で最大860億ユーロを融資する第3次支援で合意し、当面の危機が回避されました。

ギリシャ危機の問題
ギリシャは、ユーロ圏の中で経済規模が3%にも満たない小国ですが、ギリシャ危機が世界を大きく揺るがすようになったのは、同国がユーロの一員であり、その危機がユーロ加盟各国のソブリン債に飛び火し、より大きな「欧州債務危機」となったからです。また、ギリシャ経済がEUと対立するロシアと地理的に近いことから、ギリシャを孤立化させることは、EUに地政学リスクを生じさせることにもなります。

<金融支援延長に合意できない場合の危機>

・ギリシャ政府の債務不履行危機(国債の利払いや償還に窮するリスク)
・ギリシャの銀行破綻危機(流動性破綻に陥るリスク)
・ギリシャのユーロ圏からの離脱危機(通貨問題の他に、地政学リスク)

ギリシャ危機の推移
・2009年10月:ギリシャの財政赤字の隠匿が判明
・2010年01月:欧州委員会が統計不備を指摘、ギリシャ国債格下げ
・2010年04月:ギリシャの財政赤字を13.6%に修正
・2010年05月:ギリシャへの第一次支援策決定
・2011年10月:ギリシャ政府が財政赤字削減目標の未達を発表
・2011年11月:ギリシャ首相の国民投票発言で国内外が反発
・2012年02月:ギリシャへの第ニ次支援策決定
・2012年05月:ギリシャ総選挙で連立協議失敗、ユーロ離脱懸念
・2012年06月:ギリシャ再選挙で連立政権発足
・2014年12月:議会で大統領を選出できず、総選挙実施へ
・2015年02月:反緊縮派の急進左派連合が勝利、支援4カ月延長合意
・2015年06月:IMFの借入を延滞、EUの第ニ次支援終了
・2015年08月:ギリシャへの第三次支援策決定

ギリシャは国力(税の徴収可能)に似合わず、年金制度など社会福祉に予算をつかい、その上に就労者の20%を公務員とするなど、税収に頼る財政がなりたたなくなっていた。

各国の公務員数を比較してみよう
(国名)(純公務員)(準公務員)(みなし公務員)(合計)
日本    4.2%   1.8%    1.2%   7.2%
(日本のばあい、みなし公務員の数はこんなものではないだろう)
アメリカ  7.4    2.2     2.0   11.6
ドイツ   7.0    3.5     2.8   13.3
フランス  9.6    3.5     3.5   15.6

一方で総人口1100万人のギリシャは、
欧州のメディアなどは、ギリシャ人の多くが公務員だからだと批判している。ギリシャの公務員数は同国政府も正確には把握していないといわれるが、推計では114万人に上るとされる。これは労働人口の2割、雇用者の3分の1に相当する数だという。公務員の家族や政府系の仕事を請け負っている業者などを加えれば、国民の大半が政府によって食べているという話もあながち嘘ではない。
ギリシャの就労人口の20%は公務員・準公務員と言う事になる。

公務員個人が払う税金が公務員の給料と同じ額ならいざ知らず、これでは財政が持たない事は明らかである。

メンテ
1000兆円の借金について 2 ( No.266 )
日時: 2018/01/05 23:17
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:IgyP.n56

ところで、ギリシャを大きく上回る債務国日本の財政は大丈夫と言う話がある。

日本国債の90%以上は日銀、銀行、政府関係機関が持っていて、余程の事態が生じないかぎり、これを売り払う動きは生じない。
要するに経済が安定しているかぎり外圧による国債の暴落はおきない。債務を請求されることは無いと言う考え方である。
その上に、民間には国の債務以上の金融資産があるので、国内的には金融危機は起きないとする説がある。

ギリシャ経済の破綻は、単なる債務残高が大きかっただけでなく、国の財政の仕組み、経済の仕組み自体に問題があった。
日本の様な国債の大量発行の有り様についての正しい認識が出来ていない。否、正しい認識をしようとせずに、誤魔化し、誤魔化しやっているのが現実である。
日本の様な国債の有り様は、ヘリマネ(通貨の増刷)と考えれば済むこと。

ところが既成の経済の論理では通貨の無制限な増刷はハイパーインフレを招き経済を破綻させるのでタブーと考えられている。
確かに、ハイパーインフレを起こすと貨幣経済のシステム自体が破綻してします。
パンを買うためにバック一杯に紙幣を詰め込んで買い物に行くなど、貨幣の意味がなくなる(物々交換の方が余程都合が良くなる)。

だが、ハイパーインフレが起きる可能性だけを根拠に、すべての通貨増刷政策を否定する事はない。
実際に、我が国の財政も30年くらい前から赤字国債を毎年30兆円近く発行し続けてきた実績がある。
これは実際には、通貨の増刷をしてきたことと変わりはない。
また経済さえ順調ならば、このまま赤字国債を発行し続けて、国債残高が数千兆円になろうとも問題はないことになる。

ここで、もう一つの考え方について検証していよう。
>その上に、民間には国の債務以上の金融資産があるので、国内的には金融危機は起きないとする説がある。

通貨の増刷を認めない現在の通貨管理(金融管理)の理論では通貨の信用を何によって担保するかが問題になっている。
国債などの不良資産が、民間の金融資産をバランスが取れている限り通貨の信用どが担保されると言う考え方であるが。
実際に、国債の暴落を防ぐために民間の金融資産を取り上げるということが出来るのか。
要するに、預金封鎖と言われている事ができるのか。
一時の金融騒動を防ぐために一時的な金融封鎖はあったが、それは一時的な預貯金の払い戻しを制限しただけであり、国民から取り上げた訳ではない。
国債を守る為に国民の全金融資産を取り上げるなど、全く意味のないことで、出来ないことである。
それによって国民経済が全く機能しなくなるのに、何のために国民の資産を取り上げるのか、論理的にも成り立たない考え方である。
だが、実際には、このような考え方で通貨管理がなされている。
大きな矛盾であるが経済の専門家は、これが解っていても糺そうとはしない。

具体的に言えば、

日本銀行における国債の引受けは、財政法第5条により、原則として禁止されています(これを「国債の市中消化の原則」と言います)。

これは、中央銀行がいったん国債の引受けによって政府への資金供与を始めると、その国の政府の財政節度を失わせ、ひいては中央銀行通貨の増発に歯止めが掛からなくなり、悪性のインフレーションを引き起こすおそれがあるからです。そうなると、その国の通貨や経済運営そのものに対する国内外からの信頼も失われてしまいます。これは長い歴史から得られた貴重な経験であり、わが国だけでなく先進各国で中央銀行による国債引受けが制度的に禁止されているのもこのためです。

ただし、日本銀行では、金融調節の結果として保有している国債のうち、償還期限が到来したものについては、財政法第5条ただし書きの規定に基づいて、国会の議決を経た金額の範囲内に限って、国による借換えに応じています。こうした国による借換えのための国債の引受けは、予め年度ごとに政策委員会の決定を経て行っています。

>国債を日銀が直接引き受けることの何がダメなんでしょうか?

理由は「コントロールできないほどのインフレになるから」なんですが、そうすると「もう20年近くも深刻なデフレが続いているんだからむしろインフレになるならいいじゃないか」とも思えますよね。
また、現実的に今現在、日銀は国債を大量に買い続けています。
金融緩和の施策の一環で民間の銀行が保有している国債を買って銀行に資金を出しています。これは「買い取り」と言って市場に資金を供給するデフレ対策です。

国債は市場を通じて買わなければならないという原則があるのです。今、国債が大量に発行されながら、国債が暴落せずに流通しているのは、日本国民の膨大な預金が国債を裏付けしている構図があるからです。でもこれを日銀が何の裏付けもない紙幣を刷って、その紙幣で国債をどんどん引き受けて政府にお金を渡すようになったら、あっという間に「円」の信用は失われるでしょう。

「買い取り」は、国の借金を国民が貸しています。
「引き受け」は、国の借金を国自身が貸すことになります。

(引用終わり)

ついでに言って置きますと、日本の国債が何らかの原因で暴落すたとしましょう。現代の経済論では次に起きるのが多量の国債を買い込んでいる金融機関が破綻し預金を引き出せなくなると思った人々が預金の引き出しに走り、市中にあふれた資金がハイパーインフレを起こすと言う想定です。
通貨がダボついたとしても、既に必要な商品はあふれていて価格を引き上げてまで購入する必要はさらさらないのが現実です。
その上に、銀行が所持していた365兆円の国債を暴落前の価格で日銀が引き取れば済む事であり、日本の実態経済に何の影響も出ない。
先のデーターで示した日銀の国債保有率は41%であったが、過去(十数年前)には65%の時代もあった。
それこそ国債などは全額日銀が持てば良いのである(実質のヘリマネ)。
日銀に預金を取り立てに行くような奴はいないので金融不安など起きるはずはない。
実際の通貨管理とはこのようなもの。
キーボードをたたくだけで解決する。
マクロ的にみる現代の通貨とは、実際はこのようなものである。

またね、日本国債の利回りは、10年もので0.055%。利ざやを稼ぎたい企業の食指が及ぶわけはない。
要するに無利子国債=実際は通貨の増刷(ヘリマネ)をやっているのである。
民間銀行はヘリマネ政策に形式的に協力をしているだけ。

大手銀行が法人税をほとんど払ってない理由は、金利がつかない国債を大量に買わせている事の担保に数兆円分(正規の国債利子分)の法人税を免除していると見れば理解出来るであろう。
従業員の平均年収が1000万円を超える銀行が法人税をほとんど払ってないなど理解は出来ない。


この様なマヤカシで通貨管理をやっているのが現状であり、真面目に1000兆円の心配をする必要はないと思います。
それよりも巨額の財政赤字を理由に社会福祉費を切り詰めるためのプレッシャーをかけてくる事の方を危惧しなければ成りません。


ところで、ギリシャに関わらず世界中の国で財政危機が発生しています。

(GDPに対する各国の債務の状況)
1位  日本   239.3 %
2 位  ギリシャ  181.5
4 位  イタリア  132.6
15 位  アメリカ  107.1
16 位  ベルギー  105.9
18 位  スペイン  99.6
22 位  フランス  96.5

この原因の多くは、各国とも社会福祉費が増大しているからです。
発展途上国の場合、社会福祉政策が、まだ十分でないために国の債務が少ないところが目立ちます。
要するに現代の社会福祉国家は税による財源だけでは維持できなくなっていると言う現実です。
前にも言いましたように、我が国で30年前から赤字国債の発行が増え続け、単純平均を取れは年々27兆円となり、これは丁度、年金を含めた社会福祉費の増大に比例しています。
これを、どのように捉えるかですが。

我が国でも明治時代の様な社会を想定すれば税収の範囲で財政を賄うことが出来ます。
戦争でも起こさないかぎり国債の発行はしなくて良いでしょう。

それでもね、
我が国でも、30年も前から、実質的に年、30兆円の通貨の増刷をしてきて、何も問題は起きてないでしょう。
国債発行残高は増えましたが、返さねばよいだけです。
結局は、現在の経済理論、通貨管理の理論に瑕疵があると言う事でしょう。
もともと経済の理論など、その場しのぎでやってきて、現実の追認を積み重ねて来ただけです。
そう言うものを考えなおすか、または、その様なものに捉われず将来の経済の有り様を見つめることが大切ではないでしょうか。

以下はこのスレッドの主張のヘリマネ論につづきます。
メンテ
あたらしい経済の仕組み ( No.267 )
日時: 2018/01/06 15:14
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:05gQi7yk

1000兆円の借金でも述べたように、むしろ先進国を中心に世界中の国が財政に苦しんでいます。

その根本原因は経済の有り様の問題ではなく、社会福祉費が増大している事です。
要するに、旧来の税による国家運営が出来なくなっているのです。

そこで、日本、アメリカなどの多くの国では国債発行と言う名目で通貨の増刷(ヘリマネ)を繰り返して来ました。
財政が赤字になっても、ギリシャなどの一部の国を除き、どの国も経済が壊滅的に停滞したことは無いでしょう。

経済の停滞の理由は別にあるのです。
それは大量生産される商品が、生産力に見合うほど消費されないのです。
その理由も明らかです。
商品はあふれていても、それを購入し消費する金銭的な余裕がない人たちがあふれてきているのです。
生活必需品は既に十分に行きわたってもいるからです。

人々の要求は、その様な事より、年金や医療制度の充実、老人介護の充実を求めています。
その財源が確保できないから、各国は財政赤字に苦しんでいるのです。

福祉国家を諦めれば別ですが、福祉の充実を望むなら、財源を税収に頼るシステムを根本的に改革しなければ成りません。
現在、所得税を払っている労働者は。全労働者の2/3よりありません。
消費税など間接税を上げても、消費意欲は益々減退するでしょう。

高額所得者からの税収を従来の倍にしても、不足分の財源を補う事も出来ません。
また、格差の問題を喧しく言う人がいますが、人間社会は競争に打ち勝つことによって、より良い生活が出来るというシステムの中で競い合い充実し、発展して来ました。
この競争心を制限しすぎると、別の意味で人間社会に危機をもたらす事を考えねばなりません。

第一ね、ずっと将来、極一部(1/4)くらいの国民のお情けで他の国民が存在出来るなどと言うシステムなど、新たな奴隷制度ではありませんか。

通貨と共に飛躍してきた経済は、我々にこの上ない幸せをもたらせました。
しかしながら、通貨は初めのころの通貨の意味を逸脱し、通貨自体が一人歩きし、個人個人が生活に必要な通貨を手に入れる方法さえ難しくなって来ています。

その上に、生産技術の発達、経済のグローバル化は、商品の価格を極単に下げて、昔の様に通貨が無ければ物々交換ででも生きられる状況でもなくなりました。

現代の経済の課題は、通貨の配分をどのようにすれば万人に行き渡らすことが出来るかにあります。
従来の様に、商品、サービスの生産、流通の過程に任せていては、必要な人すべてに配分できなくなっているのです。

従来の経済学で、富の配分と言う事が良く言われます。
この富とは、実際は税の配分にすぎず、こんな事で解決できる範囲ではなくなりました。

通貨、そのものの配分を考えねばならないのです。
ですが現行の経済の流れの中で通貨を勝手に横取りすることは出来ません。

そこで考えられるのは、配分の為の通貨の増刷です。
配分の為の通貨の増刷と言えば、ベーシック・インカムを想像されるでしょう。

生活保護は実質、ベーシック・インカムそのものです。
ですが人口の半分も生活保護で暮らすような社会は決して幸せな社会ではありません。
やはり人間は生きるために働くことこそが金に変えられない幸せの基なのです。

そう言う事なので、通貨の配分の為の通貨の増刷と言っても、配分方法は現金ではなく仕事を通して行きわたるようにしなくてはなりません。
方法は幾らでもあります。
公共い事業を起こし建設労働者を増やす。
採算の合わない農業、林業を盛んにし、その為に必要な人権費を公費で賄う。
老人介護の分野で働く人たちの給料を上げるための補助金を公費で賄う。
基礎年金を確実に一人あたり月10万円ほど公費で保障する。

などなど、決して従来の経済の邪魔をせずに、人々の労働意欲を削ぐことなく通貨を配分することが出来るのです。
このためには、通貨というものを商品、サービスさらには投機の媒体と考える既成の通貨管理の理念を変えねばなりません。

生産力が発達した現在、商品は社会にあふれ、実際に商品を行きわたらせることが使命であった、通貨の存在意義を変えても差し支えないようになった事実を認識しなくてはなりません。

新しい通貨の概念の構築こそが、新しい社会の為の経済理念でなければなりません。

メンテ
妙なところから始まる、お金のはなし ( No.268 )
日時: 2018/01/08 16:55
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:oqU/sg6w

>世界の暴力団の資金力

5位:Sinaloa Cartel(メキシコ)
30億ドル(3000億円)

メキシコの麻薬密輸組織(麻薬カルテル)の一つ。
シナロア州を本拠地とする。
数多くのメキシコ麻薬カルテルの中でも最も勢力のある組織の一つであり、
麻薬密輸組織としては世界最大とも言われている。

4位:‘Ndrangheta(イタリア)
45億ドル(4500億円)

イタリアの犯罪組織マフィアのうちカラブリア州
(特にレッジョ・ディ・カラブリア)を拠点にしているものである。
約150団体(約5200人)を擁する、
コーサ・ノストラ、カモッラ、サクラ・コローナ・ウニータと並ぶイタリア4大マフィアの一つ。

3位:Camorra(イタリア)
49億ドル(4900億円)

イタリア半島南西部に位置し、ティレニア海に面しているカンパニア州を拠点とする組織犯罪活動をするマフィア組織。

2位:Solntsevskaya Bratva(ロシア)
85億ドル(9000億円)

約9000人の構成員を持つロシア最大のマフィア。
実態はかなり細分化された状態で組織としては形骸化しているともいわれていますが、12名からなる中枢部が金の流れをコントロールしており、世界中で別のイベントに偽装して開催される裏会議によって決定が下されているとされています。
その収入源の多くはアフガニスタンで栽培されたヘロインの密売によるもの。
ロシアの人口は世界の0.5%であるにもかかわらず、国内で流通される麻薬の量は全世界の12%を占めているとされていることからも、いかにロシアが麻薬組織にとって重要なマーケットであるかが見えてくる。

1位:山口組(日本)
800億ドル(約9兆4000億円)

兵庫県神戸市に本部を置く暴力団で、日本最大規模の指定暴力団。
構成員数は2012年の時点で約13100人、準構成員数は約14600人の合計約27700人であり、その人数は全暴力団構成員・準構成員数約63,200人のうちの43.8%を占めている。
主な収入源は麻薬の売買で、次いで賭博やゆすり行為だとしてる。
また、紛争解決も重要な収入源となっているようです。
ここまで規模が大きいのは山口組は合法的なビジネスをやっており
マネーロンダリングに使われているってこともあるかもしれないが主要企業深く結びついていることが大きいようです。

これに対してトヨタの営業利益は2兆数千億円。
山口組が9兆円と言うのは、デマのようで、実際は8000億円程度と言う推測があります。
山口組が分裂し抗争を進める中で、岡山の池田組がとりわけ豊富な資金力があると言われているが、組員450人程度の地方の組がそれでは、8000億円と言うのも怪しいものです。


>銀行の話し

金融機関に預金が集まり続けている。銀行や信用金庫などの預金残高は2017年3月末時点で、過去最高の1053兆円となった。日銀のマイナス金利政策で金利はほぼゼロにもかかわらず、中高年が虎の子の退職金や年金を預け続けている。預金は銀行の貸し出しの原資だが、今は活用されないまま積み上がる「死に金」。沸き立たぬ日本経済の今を映し出す。

日本には4つのメガバンクがある。
総資産は500兆円を超える。

(銀行とは、どんな仕事をして稼いでいるのか)

銀行は世の中から広くお金を集めて貸し付けるといった一連の業務を通して金融秩序を維持している。それだけ銀行業務の公益・公共性は高いといえる。だが、銀行といっても一企業であり、利益を生み出して経営を安定化させておかなければ公共性を維持することはできない。

銀行は物を生産して売るわけではない。製造業など他の産業とは、その利益を生み出す構造が大きく異なっている。銀行業務をより深く理解するために、銀行はどのような仕組みで利益を上げているのかを詳しく見てみよう。銀行の収入には三本柱がある。

@預かり資金の運用による収入、
A手数料収入、
B外国為替の売買による収入

である。資金の運用による収入というのは、「運用資金の利息収入と調達資金の利息支払金の差額」、つまり、預貸金の利ざやである。銀行がお金を集めることを「調達」と呼んでいることはすでに触れたが、そのお金を調達するには費用(コスト)がかかる。まずは顧客に支払う利子がある。そして、調達する際の宣伝費や銀行員の人件費なども調達コストに含まれる。これらは銀行にとって支払いに当たるものだ。

一方、収入もある。貸し出された資金には当然、貸付金利が付く。集めた資金で購入した有価証券の利息や配当も入る。また、株式や公社債の売買のほか、資金ディーリングといわれるお金そのものを売買して収入を稼ぐといった方法もある。

以上、@での収益を利ざやと言い、近年の平均で0.14%と言われている。
銀行全体で1053×0.0014=1.47兆円くらいのものである。

手数料収入は、公共料金の自動引き落としや送金の手数料などだ。たとえば、NHKの受信料の自動引き落としは、1件に付き10円を支払うという契約がNHKと銀行の間で交わされている。同じように給料の銀行振込も、振込手数料が企業との間で決められ、数万人規模の大企業では1件5円、10円といった手数料が銀行に入る。

外国為替の売買による収入は、異なる通貨の交換比率の変動を利用して生み出すものだ。たとえば1ドル=100円でドルを買い、それを1ドル=110円の円安になったときに売れば10円の収入が得られる。逆に1ドル=90円でしか売れなければ10円の損をしたことになる。

外国為替相場は政治情勢や経済環境の変動を受けて絶えず動いている。1年間に何兆円という資金を、ドルだけでなく世界中の通貨を利用して売買すれば、その収入は莫大なものになる。

(ヘッジファンドの話し)

真面目な通貨の流通では無くなった、

ヘッジファンド(英語: Hedge fund)は、金融派生商品など複数の金融商品に分散化させて、高い運用収益を得ようとする代替投資の一つ。投資信託そのもののみならず、投資信託を運用する基金や組織を指すこともある。ヘッジファンドも機関投資家の一種である。

ヘッジファンドの運用コストは高く、預かり残高の2%相当の手数料のほか、成功報酬として運用益の20%を追加で請求されることが一般的である。2016年の運用成績の悪化により、一部では手数料を引き下げる動きがある。

最低金額は数千万円からの投資金額が一般的だが、近年は小口化したヘッジファンドが投資信託で募集されるようになり、個人投資家も参入できる環境である[3]。また、投資対象は、株式等よりは商品先物や金融先物が多く、買いのみではなく売りの活用、レバレッジの活用など多くの手法を複雑に組み合わせて、市場の下落局面であっても損失を回避しプラスの収益(絶対的リターン)を目指す投資手法が特徴であるという。

なお、「絶対収益」や「絶対的リターン」を目指す投資手法という意味における、「絶対」という単語は、「絶対に儲かる」という意味ではなく、単に、市場が不況である場合に利益が減る伝統的な投資手法(相対収益型)とは対称的に、好況でも不況でも、市況によらずにハイリスクをとって利益を目指すという意味における「絶対」である。

監督官庁に届け出る義務や規制がなく、投資対象や投資手法に規制や制限がかからない私募形式によるファンドに資金を集め、ハイリスク・ハイリターンを目指して運用されることが一般的である


2016年のヘッジファンド業界全体の運用資産残高について見てみますと、様々なリソースによると約3兆ドルという数字が出てきます。1ドルを単純に100円換算すると300兆円となります。

この数字だけ見ると巨額であることに違いないですが、世界最大の資産運用会社(米国のブラックロック社)1社の運用資産残高よりも少ないと聞くとどうでしょうか。「そんなに大きくないんだな」というのが正直な感想かと思います。

特定の資産クラスでヘッジファンドの活動シェアが高い場合があったり、著名なヘッジファンド運用者の発言がメディアに大きく取り上げられたりしますが、業界としてはまだまだ小さいのです。

(アメリカに本拠を置く世界最大の資産運用会社、ブラロック社)

アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア、中近東を含む世界24カ国にて拠点を構え11,400名超の社員を擁している(2011年現在)。

運用資産は株式、債券、キャッシュ、オルタナティブ、不動産、アドバイザリー戦略と多岐にまたがり、世界のGDP合計(75兆ドル)の約6%(4.6兆ドル、日本円で約500兆円)にのぼる(2015年時点)。ブラックロックジャパン会長は井澤吉幸(元三井物産代表取締役、元ゆうちょ銀行社長)。

お金に関する概念が変わって来たでしょう。
まだまだ先があるのです。次にはユダ菌の話しをしましょう。



>市場の支配構造(金貸し支配) るいネットより転載。

イルミナティの13種族(なかでも突出して有名なロスチャイルド一族とロックフェラー一族)では、現在ロックフェラー一族の方が勢いがあるように見えるものの、ロスチャイルド一族の方が格が上であるといいます。これら13種族は、企業組織に例えると、せいぜい部長クラスに過ぎません。

その13種族の上に立つ存在こそが、欧州の貴族たちなのです。

(リンクより引用)

 1.   シェルバーン一族
 2.     タクシス一族
 3.     サヴォイ一族
 4. エッシェンバッハ一族
 5. レーゲンスベルク一族
 6.    キーブルク一族
 7.   フローブルク一族
 8. ラッパースヴィル一族
 9.  トッケンブルグ一族
10.   デル・バンコ一族
11.  アイゼンベルク一族
12.   プロンフマン一族

(内海聡著『99%の人が知らない/この世界の秘密』/イーストプレス)

これらの一族のことを知るには、ハプスブルク家を中心とする中世貴族の歴史について調べる必要があります。ここで注目すべき国はスイスです。

1のシェルバーン一族はスイス・ユニオン銀行を経営しており世界中の富豪が資産を預けるスイス金融界の中核のひとつになっています。何しろ、ロックフェラー系の銀行であるリーマン・ブラザーズとロスチャイルド系銀行のラザードの両方に資金を貸しつけてきたのがスイス・ユニオン銀行なのです。この一族が作った組織が英国のシンクタンク「王立国際問題研究所」ですが、これについては改めて述べます。

2のタクシス一族は、ハプスブルグ家から派生した貴族のひとつですが、この一族は郵便事業を独占していたので、富と情報の両方を握り、諜報機関の世界に君臨しています。この一族について、内海聡氏は次のように述べています。

諜報機関の世界トップがタクシス一族なら、実行部隊の世界トップがイスラエルのアイゼンベルグ一族と、カナダのブロンフマン一族である。彼らは殺人などを行うマフィア組織と同類でありロスチャイルド一族に対しても強い支配的影響力を持っている。それぞれ企業を経営しており、とくにアイゼンベルグ社はイスラエルの軍事企業として君臨、諜報機関であるモサドも彼らの支配下にある。(内海聡著『99%の人が知らない/この世界の秘密』/イーストプレス)

古代ローマ帝国とその末裔であるハプスブルク帝国の皇帝の絶大な権力による支配は、実はその部下である貴族たちに大きな不満をもたらしていたのです。なぜなら、誰しも人に支配などされたくはないのです。

これらの貴族たちはそれぞれ軍事力を持ち、また領地で農民を働かせ、農産物を農民から暴力で奪い、その富を蓄積していたのです。彼らは富と軍事力を持っているので、皇帝などいなくても「自分で独立できる」と考え、皇帝からの独立を企てたのです。

そこで彼らは、金の力で皇帝を支配する仕組みを考え出したのです。つまり、権力をウラで操ることです。そこでロスチャイルドに資金を貸し付け、ロスチャイルドはその資金を土地を担保にとって皇帝に貸し付けたのです。そしてロスチャイルドは皇帝が資金を返せないと、どんどん土地を取り上げていったのです。それは、当然金主の貴族たちに帰属します。

この金主が、4のエッシェンバッハ一族、5のレーゲンスベルク一族、3のサヴォイ一族、6のキーブルク一族、7のフローブルク一族、8のラッパースヴィル一族、9のトッゲンブルク一族なのです。

このようにして、国には属しているものの国よりもはるかに大きな力を持つ勢力が生まれていったのです。ロスチャイルドなどはこうした貴族のパシリでしかなかったのです。

10のデルバンコ一族は、オフショアのひとつであるベネチアの金融界を過去800年にわたって牛耳ってきた一族です。オフショアとは、金融の世界においては、規制が非常に少なく、「国外からの所得」に対して所得税や法人税が安いかまったくかからない「国」や自治権を持った「地域」の金融市場のことです。 デル・バンコ一族はナチスを支持し、ウラから資金援助をして人種差別をサポートしていたといわれます。既出の内海聡氏は、デル・バンコ一族について次のように述べています。

デル・バンコ一族は、他民族や有色人種との結婚を厳禁しており、欧州全体に広がる親族間との結婚しか認めない。これはいわゆる「血族」や「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる人々、つまり、私が「彼ら」と呼ぶ存在の考え方に完全に合致する。(内海聡著の前掲書より)

世の中の物事には必ずウラがあり、それを仕掛ける寡頭勢力がある──それはこのテーマで何度も述べてきたことですが、出来事のウラを探ると、ここで述べた欧州の貴族たちの影が浮かび上がってくるのです。表に出てきている情報は疑ってかかることが必要なのです。

ロスチャイルドの総資産は1京円と言われていますが、これは特定の個人を指しているものではないでしょう。
要するにユダヤ系の金融マフィアが、銀行を含む世界の大企業を資金の面で掌握し世界経済を支配していると言う事です。
そこには、通貨の概念など全くありません。
通貨とは世界支配の媒体に過ぎないのです。

私たちの通貨体制はこのような奴等に支配されているのです。

メンテ
Re: 経済の話し ( No.269 )
日時: 2018/01/16 20:48
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:BwiO.L..

NO 242のレス以来、このスレッドで書いてきた事を纏めて見ました。

これは飽くまでも分析で、

現状認識(歴史・経済学的)
現状の課題
課題に対して何が出来そうかと言う話です。

この後は新しい経済のかたちを定義しなければなりません。
試行錯誤しながら、それをやって見たいと思います。



※ 途中から御覧の方は、全体像を把握しにくいでしょう。
掲示版の冒頭のページの一番下にPage 1 2 3 ・・・とあります。その最後に全部表示と言う言葉があるので、それをクリックしていただけば、全ページが表示され、順に見ていただけば全容が解ります。
ですが全体では270くらいの書き込みがあります。先に言いましたように、その要約をN0242からやって見ています。



メンテ
サンドボックス制度 ( No.270 )
日時: 2018/01/28 12:31
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:mPj/gpzw

最近、政府は有望事業発掘を目的としてサンドボックス制度などをは発行しようとしている。
経済のグローバル化の影響で雇用の機会を無くす労働者が増えてきている事は承知しているのである。
随分と以前から、ベンチャー企業の後押しや、新エネルギー転換の促進など、いろいろと試みられて来た。
国家戦略特区構想なども、その一連の試みである。

今回のサンドボックス制度は、その名の通り子供が砂場で好きなように遊ぶのと同じで、新規事業を立ち上げるならば、既成の法令に捉われなくて済むようにすると言う事である。

たとえば、監視カメラを街の電柱など、至る所に設置し、スマホなどで、誰でもそれを利用する事などを言っている。
現在のところ、電波法で周波数が厳しく制限されていて、それは(個人個人では)出来ない事になっているそうである。

また住宅ローン等を組む時には、借り入れる方の収入調査をして、収入に比例した限度額を設定しているが、その限度を無くすと言う事が考えられている。

この様な施策など、幾らやっても、根本的には解決できないことは解っている。
監視カメラを無数に設置し、個人個人で活用できるようにするとしても、その経費は誰が持つか、結局は利用者負担となり、日常、その様な金を使える人は限られてくる。

ローンを組む時、収入制限がなくなっても、借りた金は返さなくてはいけない。制限があっても無理なのに、それ以上かりては生活が出来ない。
このような馬鹿げた施策を考えて、貧困対策(雇用対策)が出来たなどと考えている官僚、政治屋共は、本当の弱者の立場が解っていない。
己らが豊かすぎて、貧困の実態が解らない者が机上の空論を描いて施策が出来たと思っているだけ。

ところで、話が変わりますが、

グッキー氏が立ち上げられている「総需要管理政策」スレッドを見て欲しいもの。
グッキー氏は、従来の資本主義のルールに任せていては、やがて、経済のシステムから弾き出される者(雇用を失う者)が大量に発生する。
それを防ぐために、国民の生活に必要な需要の一部は政府が介入して確保すべきであると言う理論である。

需要、言い換えれば消費が起きるという事である。
需要が増えれば生産も増え、その分だけ労働者の雇用が発生する。

御分りの様に、需要とは購買力を伴った意志である。
需要を増やせと言っても、尽きるところは、消費者の金が問題。
多くの人に金が無いのに、需要を増やせと言っても増えるはずはない。

経済とは、面白い反面があり、何らかの理由で一旦、需要が増えれば、連鎖反応を起こして、生産、消費が繰り返される。
いわゆる、好景気、不景気の様相である。

しかしながら、最近言われている景気、不景気はトータルの経済指数の上だけの事であるので、実態は伴わず、景気、不景気の概念では困窮者の救済は出来なくなっている。

グッキー氏の持論は、最初に需要を喚起するためには、ヘリマネ(通貨の増刷)政策を取り入れ、たとえば公共事業などをする事によって需要を創りだせば良いとされている。

ここまでは、私はグッキー氏と同じ考えである。
グッキー氏のヘリマネ政策は、2、3年で良いと考えられているのに対して、私は少なくとも20〜30年、場合によっては永久に続けねばならないと、思っている点では意見が違っていた。

少なくとも、資本主義経済のシステムで万人が恩恵を受けるには、自然放任ではやってはいけない事は明白である。
政府としても、大きな面では、それを認識しているようであるが、その手法が、まだまだなっていない。

何時になったら、本当の資本主義の修正へ踏み切るのであろう。




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ブラジルの女性村 ( No.271 )
日時: 2018/02/01 12:25
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:bnV8UAI2

ブラジルの、とある山間に、ほとんど女性ばかりが暮らしている村があり、その村の女性たちが、男性との出会いを待ち望んでいるという。

この村はこれまでに何度かテレビグローボでも紹介されてきたが、7月下旬にもバラエティ番組「ドミンガォン・ド・ファウスタォン」のレポーター、カロウ・ナカムラが訪問、村を紹介した。

ただし、女性だけの村といってもこの村は、“離れ小島のファンタジー”とは状況はずいぶん異なるようだ。ノイヴァ・ド・コルデイロ(子羊の花嫁)という、聖書の一節に由来する村の名前からして、エキゾチックな雰囲気とはちょっと異なる。

村があるのはミナスジェライス州ベロオリゾンチ市郊外にある風光明媚な丘陵地帯。村の住人はほぼ女性で、村を管理しているのはもちろん女性。YAHOOアメリカ合衆国によると600人以上という住人のほとんどが、20〜25歳の独身女性だという。カロウ・ナカムラは住民の80%が女性だと紹介した。

結婚している女性や子供がいる女性もいないわけではない。しかし、村で暮らす男性は18歳になると出ていかなければならない規則なのだという。村の女性と結婚した配偶者も、村に留まることを許されるのは週末だけだ。

この村を女性が支配している理由は、19世紀まで遡る。1891年にマリア・セニョリーニャ・ヂ・リマという一人の女性がこの地で暮らし始めたのがすべてのはじまりだった。

愛する人とは異なる相手と強制的に結婚させられた彼女は家を出て、同時にカトリック教会から破門され売春婦同然に扱われた彼女は、村からは隔離された環境で生活をしはじめた。

コミュニティが形成されていったが差別や避難は続いたため、コミュニティでは村の住人を女性だけとすることにした。同じような環境におかれていた女性や女性世帯が集まり、時を経て、村は彼女たちにとってユートピアのような生活共同体となった。

現在、村では農作物も着るモノも食べるものも子育ても、個人の所有物は一切なく、皆で分かち合って生活しているという。

番組のレポートでカロウ・ナカムラは、彼女たちが作るトウモロコシやピーマンなどの野菜は都会の市場で売られている野菜と全然違って新鮮で香りも良いと紹介した。

そんな彼女たちが、独身男性との出会いを求めてアピールしていると、アメリカ合衆国YAHOO(8月27日づけ)も伝えている。ただし、あくまで村のルールに従うという鉄則のもとではあるが。この村の女性と結婚するためには、村の規律を順守しなければならない。

住人のネウマ・フェルナンデスさん(23歳)は「私たち女の子は、みな普通に独身男性と出会って恋に落ちて、結婚したり、関係を持って生きていきたいのです。みんなの夢はとてもシンプルなものです。ただし、私たちはみんなこの町を愛していて、結婚するためにこの町を離れることは考えたくありません」

インターネットを通じて世界中のどんな場所の人同士でも連絡が取れる昨今、ノイヴァ・ド・コルデイロ(子羊の花嫁)の女性たちの呼びかけに応じることだって可能だ。

https://rocketnews24.com/2014/08/29/481446/

(引用終わり)

この村の事が、最近テレビで放映されました。

目的は少し変則的ですが、いわゆる原始共同体を作っているようです。
本当の原始共同体と言うよりも、既成の現代社会の中に寄生して存在している様なものですが、市場主義経済の中で一つの反旗を翻しているようなものです。

ブラジルと言えば、過去にもパルマ農場と言う原始共同体がありました。

バルマ農場とは1922年にブラジルへ移住してきた2000人のレトニア人が拓いた移住地で、パルマとはそのうちの400名ばかりが独自に建設した集団農場の名前である。

http://www.gendaiza.org/aliansa/lib/palma.html

結局は破綻したようですが、もともと生活が苦しいものが個人で生きて行けないので共同して対応していたのであり、豊かになるにつれて、その子供、孫たちは、現代資本主義社会へ戻って行った様です。

最も、その現代資本主義社会のつらさから、ここへ逃げてくる(逃げると言えば御幣もあり、別の生き様を求めてと言う事も出来る)若者もいるようです。

話しが、少しそれてしまいましたが、人間の生活は元々助け合いなしには生きては行けなかった。
それが豊かになるにつれて、個人の権利、自由を求めて、いわゆる民主主義社会へと移行して来た。
しかしながら、当然の事ですが、個人が個人とし生きて行くには自己責任の部分が大きく成ります。

資本主義社会とは、その様な生活形態に即したシステムであります。
共同生活体を懐かしむ気持ちも解りますが、人間自身が我欲をコントロールできなければ、それは我儘と言うものでしょう。
それでも、グローバル化が進んだ現在、困窮者の間で、資本主義以前の生活形態への志向が起きてくるのも避けられないでしょうね。

「経済の話し」スレッドで、この話を取り上げるのは、共同生活体でも資本主義社会も人間の歴史。
人間の生活に合せたシステムを考えるのも歴史の内と考えたいからです。

文明史的見地から、人類は、もう一歩前進できるのではないかと思います。




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