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[1908] 新しい日本のかたち
日時: 2013/12/01(Sun) 07:31
名前: 天橋立の愚痴人間

以前にも同じ名前のスレッドを立てていましたが、古いものは名前をかえて(国のかたち)、ここに新たに書き起こします。

「新しい」と言う言葉に何を想っているかにつきまして、それは現代社会が民主主義と言う面でも、資本主義と言う面でも、知らず知らずの内に、想っていたよりも矛盾が噴出し、ただ、それを信奉しているだけでは、その言葉で期待していた成果を得られないようになって来ている事を鑑み、反省し、その認識の上に、我々は何かをするべきではないかと言うことを問うものであります。

民主主義と言う面では、個人の権利、自由の希求が、共生(助け合いながら生きている)と言う認識を希薄にし、結果、場合によっては、個人の精神を蝕むことも起きるようになって来ています。

また資本主義経済のありようは、ヒューマンスケールを飛び越えて展開し、生産手段の発達は、多くの人々から就労の機会を奪い始めています。
このような事は、人類の歴史数万年の中で理想と想っていた社会のありようが、理想を超えてしまい、人類として戸惑っているようにも見えます。

また、現代社会は、情報、物資の交流において、民族、国家と言うものの枠を超え、人々は容易に世界中の情報、物資を得る事が出来るようになって来ています。
国家の概念も従来の、それでは捉えられなくなって来ています。

これらの事が何を意味するか。
それは、まさしく新しい文化、文明の始まりと想います。
飽くまでも、人間そのものの本質は変わらないとしても、こうした環境に適合する智恵を、人間は文化、文明として展開して来ました。

このような視点にたち、これからの社会つくりに、我々は何を考えて行かねばならないかを自問自答して行きたいと想います。
それが、新しい国の形であります。

具体的には、如何に生きると言うこと、どうすれば生きられるかと言うこと、即ち、経済の事が中心になりますが、その為にも、我々は我々自身の生き様まで思案しなければなりません。
また、それは決して従来のそれを否定するものでもなく、突飛な展開を想定するものでもありません。
人類の歴史に立って、次に何を成すべきかを問うことであります。

今まで掲示板にいろいろと書き込んで着ましたが、その総集編としてまとめて見たいと思います。
かつ、掲示板での、いろいろな方との交流で多くのヒントを頂き、ようやく、ここらで一度、纏めたいと思うようになったことを付け加えさせていただきます。
メンテ

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現状分析 ( No.1 )
日時: 2013/12/01(Sun) 15:29
名前: 現状分析  天橋立の愚痴人間

(現状分析)

始めに、人間にとって経済と言うものは何であったかについて見てみる事にしましょう。
狩猟採集によって生きていた時代は、獲物が多く取れる場所を占有することでした。
農耕などが始まり、集落を作り生活するようになると、為政者と言う階層が現れ、集団の維持の為の費用を集める必要があり、税と言う概念が生まれました。

通貨と言うものが現れてからは、財を蓄えられる事が判り、本格的な経済の観念も生まれました。
爾来、1万年あまり、人間社会は経済を通して展開してきました。

通貨は生活の糧を得るための必需品であり、年貢、税として為政者、国家へ納めねばならないものであり、かつ、余力として貯えれば人々の栄華と安定をもたらすものでした。
この様な時代となると、人間社会はいろいろな分野で分業化が進み、通貨(経済の概念)なくして個人の生活も集団の生活もありえないものとなりました。
同時に、人間社会に大きな格差も生まれました。

一般的には、殆んどの人々にとって経済とは、まさしく生きて行く手段でありました。
時代が遡り、近代といわれる時代も、おおよその枠組みは変わりません。
殆んどの人々は生きるための糧を得る為に、一生懸命に働き、通貨を手にしてそれで生活を維持して来ました。

中世と言われている時代までの経済は、一般的な国民にとって、衣食住と言う生きる為の環境を得る事と同じでした。
それすら満足に手に入れられない多くの人がいました。
近世に入って科学技術が発達し産業革命と言われているものと通して、人間はあらゆる領域の物資の生産を大量にすることが出来るようになりました。
それまでは、生産といえば自然界にある物質を手仕事で加工することであり、そんなに大量に作ることは出来ず、それを手に入れられる人の数は少数の者に限られていました。
産業革命、要するに生産技術は、近世以降年々発達し現在では、人が欲する殆んどのものは誰でも手に入れられるようになりました。
勿論、贅沢品、高価なものは別ですが、取り合えず生きるための物資の調達は満遍なく行き渡っていると思います。

また、この過程において、多くの商品を作る為に、多くの人手も必要とし、人々は給料という形で通貨を得て、必要なものを購買すると言う循環が滞りなく効率的に働き人々の生活レベルの向上を招いてきました。

過去、300〜400年の生産技術の発達は、それ以前の数千年と比べようもないすさまじいものでした。
特に、ここ100年、いや、50年の生産技術の発達は、とんでもない勢いで、生産に携わるべき人間の手を余り必要としていません。

その昔、1億人が必要とする商品を作る為に数万人の人間が必要であり、その1億人が必要とする多くの商品を作り為には累計で何千万の人手が必要でした。
ですが、現在は、その何千万の人が一千万でも可能となっているのです。
携帯電話などの新商品も開発されましたが、其れにしても今や数箇所の工場があれば生産できます。
こうして、発達しすぎた生産技術は、人々から働く場所を奪っているのです。
このような機械化は物資の生産現場だけではなく、オフイスの機械やヤービス業の世界でも著しく雇用の機会が機械にとって代られているのです。

いきなり結論の様なことを言いましたが、このことを真摯に、厳格に受け止めていただく必要があります。
50〜100年まえ、私たちが若かったころ、仕事をすると言うことは何であったでしょう。

農地を持っている人は百姓に励み、山に入って木を切り出す職業の人もアチコチいました。
家を作るための大工、左官、屋根屋、板金屋も多く、身の廻りの多くの人が従事していました。
酒、醤油、こんにゃく、豆腐などを作る食品加工場も各地にありました。
町工場も多様で、学校を出て働くと言う事は、都会の工業地域へ就職するか、地元でそれらの会社へ就職するかで、自然と働く先が決まっていました。
現在は、それぞれの企業が集約化され、アチコチに点在している訳ではないでしょう。
要するに就職しようと思えば広い範囲で探さねばならないのです。

この様な現状に対して、それは産業構造が、第一次産業から、第二次産業、それから第三次産業へ移り変わっているのであり、人材を必要としている産業で就職先を得れば良いと言う考え方があります。
確かに第三次産業は、現在、全就労者の75%を占めるようになって来ています。

それでも失業率が高くなっているということは、第三次産業でも雇用を必要とする人々を収容しきれなくなっていることを証明しています。
我が国の失業率は、4%と言われていますが、非正規雇用の存在、ワーキングプアーの存在などから、実質は10%以上の人に対して仕事がないとも言えるのです。
スペイン、ギリシャの例を挙げるまでもなく、先進国と言われている国の実質失業者が15〜20%になっている状況が、このことを証明しています。

私は、かと、言いまして、生産技術の発達が悪いとか、今までのことを否定するつもりではありません。
このような状況を正しく認識する事が必要であるという事を言いたいのです。

昔は、失業しても、自給自足の生活に入るとか、身近な知り合いに頼んで何らかの仕事にありつける機会がありました。
また、しばらくしのいでいれば、景気が回復し復職が期待できることもありました。
現代は、そういう術もなくした多くの人が困窮しています。




ありきたりの話しになりましたが

とりあえずは、今晩は、これまでとします。
メンテ
経済のグローバル化とは ( No.2 )
日時: 2013/12/02(Mon) 03:15
名前: 経済のグローバル化とは

前回、失業者が多く発生していると言いました。
現代の失業者、困窮者は、社会保障による救済はあるものの、それがなければ大昔、飢饉があれば生死を彷徨わねばならないほどの過酷な状態にあるのです。
自給自足の道も、転職の道も殆んど閉ざされているのです。社会の仕組みとしての失業であるからです。

世界的な、この様な状況を説明するのに、生産技術の発達と言うことと、経済のグローバル化の影響と言う事があります。
次にグローバリゼーションについての認識を確認したいと思います。

グローバリゼーションとは「国際化。特に、経済活動やものの考え方などを世界的規模に広げる事とあります。

経済のグローバル化は、世界の潮流となっているが、その背景としては、

(1)輸送・通信分野の技術進歩による時間的・空間的距離の短縮、
(2)規制緩和や市場開放など自由化の進展、
(3)旧社会主義圏の崩壊と新興工業国の台頭により市場が世界的規模で拡大 (市場経済規模は27億人から55億人に一気に倍増) したこと、が挙げられる。また、今後は、
(4)インターネットを代表とする情報通信ネットワークの拡大、
(5)NGOの国際的な活動の活発化等が世界経済の一体化を促進していると考えられています。

また企業活動のグローバル化には、大きく分けて5つの段階があるといいます。

第1段階は輸出、
第2段階は海外販売網の整備、
第3段階は天然資源、低廉な労働力、海外マーケットを目的とする生産や技術開発拠点の海外移転、
第4段階は事業推進のために必要な経営資源の移転、
第5段階は世界的規模での経営戦略の展開となる。企業が現地生産等の海外直接投資を増やし、多国籍化していくにつれ、モノ、カネ、ヒトの国境を越えた移動が活発化し、国境の制約が相対的に薄れ、相互依存関係が深化していく。

現在は第5段階に進みつつあり、世界を一つの市場として各国の企業が激しい競争を繰り広げるメガ・コンペティション(大競争)が始まり、提携や買収など競争力強化を目的とした世界的規模での企業の再編成が進んでいる。国境を越えたM&A(企業の合併・買収)の急増、大型化している。一企業内でも、部品供給と完成品組み立てを複数の国で分業する企業内貿易が、国際貿易に大きな割合を占めるようになっている。
また、貿易の拡大、金融取引に関する規制緩和の推進、情報通信ネットワークの拡大により、世界の金融市場の一体化が急速に進展している。

我が国の現状に当てはめてみると、第一第二段階は30〜40年前に経験したように思います。
各種商品の増産に継ぐ増産のために日本各地に工場が進出しました。

第三段階は、20〜30年前の状況を省みれば納得が行くと思います。
輸出が好調で日本各地に展開していた大企業の地方の工場は、安価な労働力を求めて生産のシフトが海外に移ったため、次々と閉鎖されて行きました。
同時に、国内向けの商品の生産も海外で行う流れも始まりました。
これも、国内におけるグローバル化の一連の様相です。

第四段階は、各企業の企業活動の本格的な海外移転が始まりました。
生産拠点の移転だけでなく、企業そのものが海外へ移ったのです。
ここ20年の企業のすさましい海外進出です。
企業は輸出の概念から開放されて、真に多国籍企業となって行きました。

第五段階は現在進行中との事ですが、文字通り企業は国境をものとも思いません。
巨大資本は、関係するそれぞれの国家の意志を凌駕して展開しています。
本来、国家が拠って立とうとする基本的な社会の生産システムも企業の論理の中で昇華されてゆきます。
国家の国つくりの構想も、資本の力の前に蹂躙されてしまいます。
巨大化した資本の動向を無視して国家の戦略も立てられなくなってしまっています。
全てがこのような極端に走っているとは言いませんが、十年くらい前からはこのような傾向が強まっているのが現代の特徴といえます。

今まで述べてきた事が、不都合と決め付ける事も出来ません。
経済のグローバル化が進んだ御蔭で、我々は安価で豊富な物資を手に入れられるようになりました。
発展途上国と言われていた国が、思わぬ繁栄を遂げられるようにもなりました。
世界経済の規模も飛躍的に膨れ上がったといえます。

かつ、この傾向は資本主義経済体制の究極の流れに沿っているのです。
その中で、我々は手放しで喜んでいるだけでは済まされない事態にも遭遇しているのです。
メンテ

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