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[1931] 神社信仰
日時: 2014/01/01 23:35
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:JRz11XzA

私は、今年から3年、地元の氏神神社の氏子総代を引き受け神社守をしています。

それまで、殆ど興味の無かった神社と言う存在と取り組む事になりました。
近年は氏子の数も減少し維持しがたくなっている神社の財政のことも鑑み、以下の様な文章をなるべく配布し理解を得るような努力をしてきました。
神社信仰と言うものを理解する為に御紹介します。

「土地の神様の話し」

氏神

本来の氏神は、古代にその氏人たちだけが祀った神であり、祖先神であることが多かった。例として、中臣氏は天児屋根命、忌部氏は天太玉命を祀った。
中世以降、氏神の周辺に住み、その祭礼に参加する者全体を「氏子」と称するようになり、氏神は鎮守や産土神と区別されなくなった。同じ氏神を祭る人々を「氏子中」、「氏子同」といい、その代表者である氏子総代を中心に神事や祭事が担われている。氏神を祀る神社の周辺には住んでいないが、その神を信仰する者を「崇敬者(すうけいしゃ)」といい、氏子と併せて「氏子崇敬者」と総称する。
中世以降の例としては、源氏の八幡神(八幡宮)、平氏の厳島明神(厳島神社)などが挙げられる。別格として皇室の祖神を祭った伊勢神宮は、近世までは皇室のみの氏神であったが、今日では日本人全員の総氏神とされている。

「鎮守」

鎮守(ちんじゅ)は、その土地に鎮まりその土地やその土地の者を守る神のことである。平安時代以降になると荘園制が形成され貴族や武士、寺院などの私的領地が確立され、氏族社会が崩壊し氏神信仰も衰退するが、荘園領主達は荘園を鎮護する目的でその土地の守護神を祀るようになる。これが鎮守であり、室町時代の頃に荘園制が崩壊すると信仰は衰退し、氏神に合祀され今日に至っていることが多い。

「産土神」
産土神(うぶすながみ)はその者が産まれた土地の神であり、その者を一生守護すると考えられている。生涯を通じて同じ土地に住むことが多かった時代は、ほとんどの場合産土神と鎮守は同じ神であった。ただし、現在は転居する者が多いため産土神と鎮守神が異なる場合も多い。
この氏神信仰は七五三などで見ることが出来るが、子供のお宮参りは本来氏神にお参りして、その土地の一員になることを認めてもらうための儀式の一つだった。

「節分祭」の案内状

節分とは、季節の変わり目を示す意味であり、本来は春夏秋冬、4回あるそうです。ですので、暦の上では明日から春となります。

また、旧暦では節分を境目に年が改まり、節分祭を行なう事により、旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事をしてきました。
現代では、元旦を迎える大晦日の有り様があります、
つまり「旧年をいつくしみ、新たな年の幸せを願う気持ちを現す」というために、年末年始の挨拶があり、除夜の鐘を聞き、初詣をすると言う風習を持っています。

「村祈祷(にいなめ祭)の案内状」

古代の人々は、その生活の殆どを土地と共に営んできました。
そうして土地はみんなの生活の糧をもたらす優しい大地であると共に、天変地異も伴う恐ろしい存在でもありました。
そこから生まれたのが、産土(うぶすな)神信仰であり、鎮守信仰です。
その信仰が、その土地に代々住む人々の祖先神のようになってきて、氏神(うじがみ)と言う言葉で表されるようになりました。
須津彦神社は、須津地区の代表的な氏神神社として、この地域に住む皆様の生活の安全、五穀豊穣を祈願して1500年以上前から存在し続けているとされています。
村祈祷とは、1年に一度、今でもこの土地で共に生きる皆様が集まり、氏神様に感謝すると共に、更なる1年の安全、五穀豊穣を祈願するものです。
何かと世知辛い世ですが、この機会に、悠久の歴史に触れていただきたいものです

「厄払い祈祷の案内状」

役年と言うものは
「男の42歳前後というのは本当に社会的責任も増し、精神的にも肉体的にもきつい年頃だと思います。女の33歳は子育ても真っ最中でそれどころではないかもしれませんが、昔は最後の子供を生んだ頃なので、女性にとってちょうどその頃が精神的にも肉体的にも疲れる年頃だったのでしょう。」
とありまして、厄と言うような負の思いよりも、それぞれ人生の節目に到達され事を御祝すると共に、心を引き締めていただく前向きの認識と取られる方が良いかと思います。
神社との関係で言いますと、誕生初参りや七五三などで神社に参られた方の成人された姿と再び、まみえさせていただくと言う事になります。



等などです。
私が考える氏神神社のありようとは、このような概念であったのですが。

ところが氏子総代の活動の中に、神社を束ねる神社庁との付き合いもあります。
明治の頃の国家神道の名残で、当地の神社も伊勢神宮を頂点とする、一つの流れに組み込まれています。
神社庁が主催する氏子総代会議は年に2回は開催されます。

そこでは式の冒頭で、伊勢神宮の天照大神に対して拝礼することを要求されます。
そこまでは、当地の神社の親分に敬意を称するための思い、しぶしぶ付き合ったものですが、その後に君が代の斉唱をする羽目になって、神社守である事に嫌気がさしました。
その様子などは、氏子には、とても報告する気にはなりません。

冒頭に紹介した純粋な信仰心とは相容れない要素を強く要求する現在の神社庁の考え方では、この後、どのように取り繕っても神社は観光の対象でしかありません。
普通の神社庁でも、これですので、靖国神社を運営してしている団体が、如何に国民と遊離している存在か判ると思います。

それでも私は後、2年、氏子総代を務めねばなりません。
神社庁など上部の考え方など、何するものぞ!と、地元の氏神信仰を守るつもりでやっています。

人間の心は、何事にも合理的精神で対応できるほど強くはありません。
そういう人たちが、1年に一度、家内安全の為に、神社の御札を購入していただく、その気持ちが純粋であることを信頼しています。
そのためにも、神社は存在している必要があると、この寒いなか年末年始の神社行事に取り組んでいます。

靖国神社を糾弾する一方、このような神社信仰観もあることを披露したくて投稿しました。
メンテ

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Re: 神社信仰 ( No.31 )
日時: 2017/08/13 15:22
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:M8fivw6k

>天橋立の愚痴人間さん の話が何故 誰の興味も引かないのかというと

それを言われるな!

なんと、籠神社について調べられましたか。

この辺では一番権威を持っていまして、元伊勢神宮とも言っています。
伊勢神宮はここから出たと言う意味です。
最も同じような事を言っている神社は、あと2社あります。

丹後地方の歴史は「息抜き投稿欄」のスレッドでも最近書いておりますが、2〜6世紀にかけて相当発展していた様です。
現在は過疎地が多く、日本でも貧しい地域とされていますが。

中川さんは都会に住んでおられるのでしょうか。
祭りの太刀振りを儀式と見ておられますが、形の上では儀式ですが、実際は子供も大人も祭りを楽しんでいます。
祭りの為には1ヶ月くらいの準備が必要ですが、多くの人は納得して参加しています。

私も小学生のころ太刀振りをした思い出があり、そういうイベントを経験することによって、みんなで何かをする楽しみを経験し、これは、何でもかんでも金を追ったり、合理的に考える現代社会では、そうは得られない体験です。

追伸です。

紹介した須津彦神社の祭典は、不肖、神社総代をしていた私が名目人の頂点でした。
私が格式ばった人間に見ますか。
メンテ
初詣 ( No.32 )
日時: 2017/12/26 18:08
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:EeQjblPI

神道の特徴は、他の宗教の様に教義と言われるものがありません。

ですので気軽に神社詣でをします。
神社で神主さんが、何やら聞き取りにくい言葉で言っているのは、祝詞です。


祝詞(のりと)は、神道において神徳を称え、崇敬の意を表する内容を神に奏上しもって加護や利益を得んとする文章。通常は神職によって独自の節回しによる朗誦が行われ、文体・措辞・書式などに固有の特徴を持つ。

(家内安全の祝詞)

これのかみどこに いやしろの みけみきを ささげまつりて
(此れの神床に禮代の御饌御酒を捧奉りて)

かしこみかしこみも こひのみまつらくを たいらげくやすらげく きこしめして
(恐み恐みも乞祈奉らくを平らげく安らげく聞召て)

おおかみの たかきひろきいかしき みたまのふゆにより
(大神の高き廣き嚴しき恩ョに依り)

やぬちまがかみの まがことなく なりわいを いやつとめに つとめしめたまい
(家内禍神の禍事無く家業を彌勤めに勤めしめ給い)

やからのみすこやかに こころきよく まことにただしきひとと ならしめたまい
(家族の身健に心清く忠實に正しき人と成らしめ給い)

うみのこの やそつづきにいたるまでいかし やぐわえのごとく たちさかえしめたまい
(子孫の八十連續きに至るまで五十橿八桑枝の如く立ち榮しめ給い)

いえかどたかく いやとこしえに あげしめたまい まつのみどりのかわることなく
(家門高く彌遠永に擧げしめ給い松の緑の變る事無く)

まもりめぐみさきわえたまえと かしこみかしこみも もおす
(守り恵み幸え給えと恐み恐みも申す)

(以上)

ですが、しきたり(作法)はあります。


>玉串奉奠たまぐしほうてん(玉串拝礼)

1. 右手で榊の元(根本)の方を上から、左手で先の方を下から支え胸の高さに、やや左高に、
 少し肘を張って持ちます。

2. 玉串の先を時計回りに90度回します。(右手を返すので、両手とも榊の下で捧げ持つ)

3. 左手を下げて根元を持ち、祈念をこめます。(両手で根元側を持っている状態)

4. 右手で玉串の中程を支え、玉串をさらに時計回り180度回します。

5. 根元は祭壇側、先が自分側を向いた状態(両手とも下から支える)で奉奠します。


>はいれい(神社によっては独特の作法がある場合もあります。)

御賽銭を入れて、鈴を鳴らします。

 賽銭は、元は幣帛(へいはく)と言い、神様への奉献物であり、食物他・様々なものでしたが、
貨幣経済の進展に伴い、銭貨となったものです。
 鈴と鈴の音は、魔除け・邪気を払い清めるものです。巫女の鈴舞や、拍手も同様です。
 神様を呼び迎えるというのも全くの間違いではありません。

1. 神前に進み姿勢をただします。

2. 背中を平らにし、腰を90度に折り、拝をします。 この時の拝は2回行います。

3. 胸の高さで両手を合わせ、右指先を少し下にずらします。

4. 肩幅程度に両手を開き、2回打ちます。祈願等を行います。

5. 指先を揃えます。最後にもう1回拝をします。

基本は、2礼 2拍手 1礼 (二拝二拍手一拝) です。 覚えておきましょう。


初詣・初詣で(はつもうで)とは、年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事で毎年、全国で延べ5000万人以上の人が行きます。

その他に村祀り、五穀豊穣祈願、宮参り、七五三、十三参り、厄除け祈願など、古くから伝わっている風習があります。

神道も宗教の一種と思いますが、宗教らしくないところが良いですね。

今年もあと、僅かです。

初詣を楽しんで下さい。

皆様は、正月の行事として楽しまれますが、神社の方は掻き入れ時。

神職一同、満面笑みで迎えてくれるでしょう。



>氏子について

御札を買ったり、神社の維持組織(奉賛会など)に入っている人は勿論ですが、神社の考え方は、その地域に住まれる人々を全てその神社の氏子と思っています。

勿論、自分はキリスト教を信じているので、それは迷惑だと、言う方もいるでしょう。
その様な方に押し付けはしませんが。

各地の神社の中には、神社を維持する組織もなく、神職もいなく、ただ、社だけはある様な神社もあります。

その神社も地域の人々を見守っているのです。


メンテ
▲「神主」は姉を殺害 富岡八幡宮の宮司  ▽Re: 神社信仰 ( No.33 )
日時: 2017/12/26 23:36
名前: 「南の島 九州 達磨」 ID:pqRTmG.o メールを送信する

▲神主は姉を殺害 富岡八幡宮の宮司・富岡長子氏が、実弟の茂永容疑者から日本刀で切られ殺害された事件。

神様と 人類は 言われるが 
神様が 殺害は 殺人は 神様の する亊

法津を 改善で  殺人犯罪者に 報償で 
殺害 賞賛に  致しましょう



「南の島 九州 達磨」
「事実新見」報道部

 事実のみを 報道の 宇宙で たった一つの 機関
それが 「事実新見」です

メンテ
Re: 神社信仰 ( No.34 )
日時: 2017/12/27 00:02
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:RS8VutTg

祇園の芸子に入れあげている坊主もいます。

織田信長は、そうした比叡山を焼き討ちし、名僧と言われる坊主もろとも皆殺しを命じました。

馬鹿な神主もいるでしょう。

富岡八幡宮の氏子が可哀そうですね。

ですが、一人の不埒者が出たと言って神社信仰の何が変わりましょう。

現代人の特徴は、驚くほど沢山の情報を得て、みんなが評論家になり思想家になったつもり。

軽薄極まりないが、民主主義の世の中、参加する事に意義をみいだし、自己の存在の証と思う。

そう言う事を繰り返し、結局は大切な何かを解らないままになってしまう。

富岡八幡宮の事件も、そう言う意味で、大きな悪弊をもたらした。

こういう認識が出来る人が、本当に少ない。

メンテ
▲神様は 何故?「犯罪しない人間」を造らないのか? 最大の疑問   ▽Re: 神社信仰 ( No.35 )
日時: 2017/12/27 08:02
名前: 「南の島 九州 達磨」 ID:21vYP6cQ メールを送信する

▲神様は 何故?「犯罪しない人間」を造らないのか? 最大の疑問   ▽Re: 神社信仰

「南の島 九州 達磨」様が 神様なら
 犯罪者を 造らず 病気を 造らず 不正をする人間を造らず

そんな 改善をしない 神様は 追放で無く
  神様も 改善させ 犯罪者を 造る神様を 改善します ぞ

そのときは 「天橋立愚痴人間」様に
氏子に なって頂き お賽銭 ∞(無限)円を 頂戴し

過去の 神様が造った 貧乏人に 配布 救済します


「天橋立愚痴人間」様 
「糾弾 日本の政治改革」の政治改革と
  人民の頭 向上を
 ご指導を よろしく



「南の島 九州 達磨」
「検事・裁判官・警察官・マスコミ・弁護士・「公務員」ヤクザ犯罪  追求委員会」
メンテ
神社神社本庁 ( No.36 )
日時: 2018/01/04 15:20
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:45UdoicQ

 全国約8万の神社を統括する「神社本庁」から傘下にある有力神社の離脱騒動が相次いでいる。
 大相撲の起源とされる「江戸勧進相撲」の発祥で、江戸三大祭である「深川八幡祭り」でも知られる東京・富岡八幡宮は、今年になって離脱の動きが取り沙汰されてきたが、「現在、離脱について手続きを進めております」(広報担当)と正式表明。原因は「富岡八幡宮が宮司に指名した人物を、神社本庁が承認しなかった」という“人事トラブル”だといわれている。

 同じく全国約4万4000ある八幡宮の総本社、大分・宇佐神宮でも離脱の動きがある。
「宇佐神宮の権宮司(ナンバー2)と神社本庁の間で『誰を次の宮司にするか』をめぐり対立が起き、権宮司は罷免されてしまった。しかしこの権宮司は代々、宇佐神宮の宮司を務めてきた家柄のため、内部にいまだ支持派が多い。権宮司派が神社本庁からの離脱を主張しているため、内部でも対立が続いている」(宗教専門紙記者)

 宇佐神宮側は「離脱は元権宮司が勝手に言い出したこと。神社本庁から離脱する動きはない」(顧問弁護士)というが、予断を許さない。
 神社本庁からの離脱の動きは年々加速している。2005年からの10年間で214もの神社が離脱し、中には石川県の気多大社(2005年)、京都府の梨木神社(2013年)などの有力神社も含まれる。

 神社本庁の求心力が低下すると、影響を受けるのが安倍政権の進める改憲の動きだ。神社本庁はかねて憲法改正を推進しており、2016年には改憲を目指す団体とともに全国の傘下神社の境内で約700万もの改憲賛成の署名を集めた。

「神社本庁の政治団体、神道政治連盟の国会議員懇談会現会長は安倍首相。首相にとって神社本庁は改憲への動きを草の根で広げる重要な支持基盤なんです。ところが、氏子や参拝者が多く金銭的に余裕のある神社ほど、神社本庁の管理から離れようとする傾向が出てきた。このまま有力神社の離脱が相次げば、安倍首相の改憲を後押しするパワーも弱まってしまう」(前出・専門紙記者)

(引用終わり)


理由は何であれ、神社本庁などの存在は、日本古来の神社信仰とは関係がないばかりか、神社信仰そのものを歪に変質させるものである。

神社本庁とは明治時代になって天皇を頂点とする神道国家構想を裏付ける為に、全国の神社の99%を伊勢神宮の系列において支配しようとしたもので、日本の神社信仰の精神とは全くかけ離れている存在である。

その様なものが、未だに存在しているこ事態が許されない。
その神社本庁は神道面というよりも政治的な動きを念頭にした一部の幹部の玩具になっている。

自民党の同じで、クタバレ神社本庁である。
神社本庁の組織に組み入れられていても、上納金を取られるだけで何の利益もない。
メンテ
Re: 神社信仰 ( No.37 )
日時: 2018/01/06 14:52
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:05gQi7yk

神道について久しぶりに次の文章をUPします。
私は、今年から3年、地元の氏神神社の氏子総代を引き受け神社守をしています。

それまで、殆ど興味の無かった神社と言う存在と取り組む事になりました。
近年は氏子の数も減少し維持しがたくなっている神社の財政のことも鑑み、以下の様な文章をなるべく配布し理解を得るような努力をしてきました。
神社信仰と言うものを理解する為に御紹介します。

>国民の間に息づく氏神信仰

本来の氏神は、古代にその氏人たちだけが祀った神であり、祖先神であることが多かった。例として、中臣氏は天児屋根命、忌部氏は天太玉命を祀った。
中世以降、氏神の周辺に住み、その祭礼に参加する者全体を「氏子」と称するようになり、氏神は鎮守や産土神と区別されなくなった。同じ氏神を祭る人々を「氏子中」、「氏子同」といい、その代表者である氏子総代を中心に神事や祭事が担われている。氏神を祀る神社の周辺には住んでいないが、その神を信仰する者を「崇敬者(すうけいしゃ)」といい、氏子と併せて「氏子崇敬者」と総称する。
中世以降の例としては、源氏の八幡神(八幡宮)、平氏の厳島明神(厳島神社)などが挙げられる。別格として皇室の祖神を祭った伊勢神宮は、近世までは皇室のみの氏神であったが、今日では日本人全員の総氏神とされている。

「鎮守」

鎮守(ちんじゅ)は、その土地に鎮まりその土地やその土地の者を守る神のことである。平安時代以降になると荘園制が形成され貴族や武士、寺院などの私的領地が確立され、氏族社会が崩壊し氏神信仰も衰退するが、荘園領主達は荘園を鎮護する目的でその土地の守護神を祀るようになる。これが鎮守であり、室町時代の頃に荘園制が崩壊すると信仰は衰退し、氏神に合祀され今日に至っていることが多い。

「産土神」

産土神(うぶすながみ)はその者が産まれた土地の神であり、その者を一生守護すると考えられている。生涯を通じて同じ土地に住むことが多かった時代は、ほとんどの場合産土神と鎮守は同じ神であった。ただし、現在は転居する者が多いため産土神と鎮守神が異なる場合も多い。
この氏神信仰は七五三などで見ることが出来るが、子供のお宮参りは本来氏神にお参りして、その土地の一員になることを認めてもらうための儀式の一つだった。

「節分祭」の案内状

節分とは、季節の変わり目を示す意味であり、本来は春夏秋冬、4回あるそうです。ですので、暦の上では明日から春となります。

また、旧暦では節分を境目に年が改まり、節分祭を行なう事により、旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事をしてきました。
現代では、元旦を迎える大晦日の有り様があります、
つまり「旧年をいつくしみ、新たな年の幸せを願う気持ちを現す」というために、年末年始の挨拶があり、除夜の鐘を聞き、初詣をすると言う風習を持っています。

「村祈祷(にいなめ祭)の案内状」

古代の人々は、その生活の殆どを土地と共に営んできました。
そうして土地はみんなの生活の糧をもたらす優しい大地であると共に、天変地異も伴う恐ろしい存在でもありました。
そこから生まれたのが、産土(うぶすな)神信仰であり、鎮守信仰です。
その信仰が、その土地に代々住む人々の祖先神のようになってきて、氏神(うじがみ)と言う言葉で表されるようになりました。
須津彦神社は、須津地区の代表的な氏神神社として、この地域に住む皆様の生活の安全、五穀豊穣を祈願して1500年以上前から存在し続けているとされています。
村祈祷とは、1年に一度、今でもこの土地で共に生きる皆様が集まり、氏神様に感謝すると共に、更なる1年の安全、五穀豊穣を祈願するものです。
何かと世知辛い世ですが、この機会に、悠久の歴史に触れていただきたいものです

「厄払い祈祷の案内状」

役年と言うものは
「男の42歳前後というのは本当に社会的責任も増し、精神的にも肉体的にもきつい年頃だと思います。女の33歳は子育ても真っ最中でそれどころではないかもしれませんが、昔は最後の子供を生んだ頃なので、女性にとってちょうどその頃が精神的にも肉体的にも疲れる年頃だったのでしょう。」
とありまして、厄と言うような負の思いよりも、それぞれ人生の節目に到達され事を御祝すると共に、心を引き締めていただく前向きの認識と取られる方が良いかと思います。

神社との関係で言いますと、誕生初参りや七五三などで神社に参られた方の成人された姿と再び、まみえさせていただくと言う事になります。
等などです。

古神道と言われるものは、このような形で民衆の間に行きわたっていましたが、江戸時代から、民衆のこうした信仰の対象を国家の形成と結びつけるようになりました。

>神道の歴史

神社の神様と言えば、
大圀主命(おおくにぬしのみこと)
須佐之男命(すさのおのみこと)などの伝説の人物の名前であったり
隼総別命(はやぶさわけのみこと)
誉田別天皇(ほむたわけのすめらみこと=応神天皇)など天皇、皇族など有力者の名が出てきます。

その他、神道においては恨みを残して亡くなった人物を『神』として祀り、祟りを避けようとした例も数多くあります。中でも菅原道真を祀る天満宮は亡くなった人間を神として扱う顕著な例です。 また、一人ひとりはそれほど有力な人物でなくとも、数多くの人々が亡くなった場合にも神として祀られ、これは靖国神社等が例として挙げられます。

このように神道の神々は、いろいろな種類があり、発展の段階もさまざまなものが並んで存在している。神には大別して以下のような側面がある。

1. 自然物や自然現象を神格化した神
2. 思考・災いといった抽象的なものを神格化した観念神
3. 古代の指導者・有力者などを神格化したと思われる神(エウヘメリズム)、氏の集団や村里の守り神とされるようになる神々
4. 万物の創造主としての神(ここにおいてはthe Godである)
5. 万物の創造主・主宰者としての全能の天皇

近代になるほど神の人格化が試みられ、神道と権力を結び付けて考えるようになります。西欧キリスト教さ社会における王権神授説の同じような発展をしています。
我が国でも明治天皇を現人神とした時代もありました。
ところで、我が国の神社信仰における神の概念は、そういう歴史的展開にも関わらず、自然物や自然現象を神格化した神の概念が強く残っています。

八百万の神(やおよろずのかみ)と言うのは、自然のもの全てには神が宿っていることが、八百万の神の考え方であり、日本では古くから、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(厠神 かわやがみ)、台所の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。自然に存在するものを崇拝する気持ちが、神が宿っていると考えることから八百万の神と言われるようになったと考えられる。八百万とは無限に近い神がいることを表しており、数ある多神教の中でも、数が多い考え方であると言える。 またこういった性格から、特定能力が著しく秀でた、もしくは特定分野で認められた人物への敬称として「神」が使われることがある。

日本において外来宗教の影響を受ける以前に存在していた宗教をいう。純神道、原始(古)神道、神祇信仰ともいう。
古神道は「原始宗教の一つである」ともされ、世界各地で人が社会を持った太古の昔から自然発生的に生まれたものと、その様相はおしなべて同様である。その要素は、自然崇拝・精霊崇拝(アニミズム)、またはその延長線上にある先祖崇拝としての命・御魂・霊・神などの不可知な物質ではない生命の本質としてのマナの概念や、常世(とこよ・神や悪いものが住む)と現世(うつしよ・人の国や現実世界)からなる世界観と、禁足地や神域の存在と、それぞれを隔てる端境とその往来を妨げる結界や、祈祷・占い(シャーマニズム)による祈願祈念とその結果による政(まつりごと)の指針、国の創世と人の創世の神話の発生があげられる。

>日本の神道の根源的な考え方

上記のややこしい説明は別としまして、要するに神道の神様の始原的な概念は、荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)と言う2つの側面を持って捉えられていると言うことです。
荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の祟りは荒魂の表れである。

それに対し和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れである。
荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、皇大神宮の正宮と荒祭宮といったように、別に祀られていたりすることもある。人々は神の怒りを鎮め、荒魂を和魂に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の極端な二面性が、神道の信仰の源となっています。
ここで説明したいのは、歴史的な変遷を重ねた神道(神社信仰)ですが、その始原的精神は今なを、いろいろな形で生きついていると言うことです。

荒魂・和魂の概念は、我が国の伝説の中にも現れています。
各地にある竜神伝説は、恐ろしい竜ではあるが、大切に崇めると雨を降らせてくれる人々の守り竜でもある。河童伝説もキツネ伝説も大概は、その動物の二面性を説いています。
菅原道真の様に恨みを残して死んでいった人を祀る気持ちも同じように禍を転じて福としたい気持ちの現れです。西欧にも竜神伝説はありますが、西欧のそれは、飽くまでも人間に禍する竜としてのみ描かれています。
日本の神道と言うよりも神社信仰のこの概念こそ日本的であり大切な想いであると思います。

メンテ
貴乃花親方と龍神総宮社 ( No.38 )
日時: 2018/02/11 23:28
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:WKPU3wic

最近、日馬富士の暴行事件で騒がせた貴乃花親方の頑なな態度が話題になりました。
その貴乃花親方は、新しい宗教である龍神総宮社の熱心な信者であるらしい。

龍神総宮社とは神道系の新興宗教であり神社の形態は従来の神道の神社とほとんど変わらない様である。
https://www.ryujinsogusha.or.jp/

龍神総宮社が祀る神は龍神であり、太陽を示していると言う。
人類が誕生して神と言う概念を持った時に、最初に登場したのが太陽神である。

太陽神といえばギリシア神話やエジプト神話に登場する。
太陽崇拝は、単一神教から始まり唯一神教に終わるとされる。古代エジプト第18王朝のアメンホテプ4世(アクエンアテン)は、伝統的な太陽神アメンを中心とした多神崇拝を廃止し古の太陽神アテンの一神崇拝を行った。太陽神の乗り物としては、古代エジプトにおいては空を海に見立てた「太陽の舟」(ラーやホルス)や、インド・ヨーロッパ語族圏では空を大地に見立てた「日輪の戦車」(ローマ神話のソル、『リグ・ヴェーダ』のスーリヤ、ギリシア神話のヘーリオス)がある。メソポタミア神話のシャマシュは、青銅器時代の間、重要な役割を果たす。南アメリカにはインカ神話のインティを代表とする強い太陽崇拝があった。
日本神話でも、スサノオの横暴に怒った天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)に篭ってしまい、世界が暗闇になってしまう。天岩戸の神隠れで有名である。
このように太陽神崇拝は、歴史が示すように、当然ながら統治の問題と関連するようになった。

ところで一般の民衆が求める神とは、その様なものではない。
民衆の為の宗教が登場したのは、紀元前後、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教の登場を待たねばならない。
同時に東洋では、ヒンズー教、仏教などの多神教が興った。

日本の神道は、この中に位置づけられる。
日本の神道の神の特徴的なのは、自然のもの全てには神が宿っていると言う、八百万の神の考え方である。
日本では古くから、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(厠神 かわやがみ)、台所の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。自然に存在するものを崇拝する気持ちが、神が宿っていると考えることから八百万の神と言われるようになったと考えられる。

神様が、その様なものであるから、神道に教義の様なものは存在しなかった。
神様を敬う作法は別の問題である。

ここで、龍神総宮社についてみてみよう。

龍神総宮社では次の様な教えを明文化している。

(三つの心)
素直な心
感謝の心
慈愛の心

(神示五行)
一、神は己と共にあることを知り、常に希望を胸に抱き、強く人生の道を歩むこと。
一、神に対しての感謝の念を忘れず、何事にも常に礼儀と節度及び信念を持って行うこと。
一、慈悲の心を持って善を積み真心を忘れないこと。
一、この世に生まれたことに対し感謝すると共に、祖先崇拝の念をもち、いかなる時でも不平不満を持たぬこと。
一、国を愛すると共に常にその繁栄と平和を願い、相互相い助け合う心を持つこと。
別項・他のいかなる宗教といえども、その教えの原理は皆同じである故、批判してはならない。

何の為に教義を創り明文化するのか。
それは、その宗教団体を率いる側の立場の人間(神職、創始者)が自分が立てた宗教を広めるためにやっていること。
つまりは、信者と神職の区別を付け、同時に信者を統率するためのものである。
このような形の宗教を新興宗教と呼び、天理教、生長の家など著名なものを含めて神道系の宗教に限っても50団体を超える。

さて、貴乃花親方が信仰する「龍神総宮社」であるが、先に挙げた教義の他に、終末思想を説き、奇跡を起こすことを売り物にしているようだ。
同時に、教義の中に国を愛すると言う文言がある。これは宗教と政治を混同したものでゆゆしきことである。
要するに、右翼思想が入っていると言う事であり、数ある宗教の一つとしては認められるが、私は大衆宗教としては認められない。

と同時に、そのような宗教、しかも創立者に近い現教祖と懇意な貴乃花親方の真意について着いていけないものを感じる。

真摯に自分の相撲道を探る以前に、相撲界における権力志向の念が強い。
その心情が、今回の騒動を起こしたものであり、純粋に相撲道を求めるのであれば、別の対処の仕方があったはずである。

要するに自分の意見を通すために駆け引きをしたのが間違いであった。

口の悪い書評では、貴乃花親方はカルト宗教にのめり込んでいると言われている。

今年も、龍神総宮社で教祖と共に節分の豆まきをする貴乃花親方の映像。

https://www.youtube.com/watch?v=Az1-SCEYtTQ


(追伸)

貴乃花親方には、宮沢りえさんとの結婚が不首尾に終わったころから、整体師との関係から、洗脳されているのではないかと言う疑惑があった。
精神的に自立できない弱いところがあり、これが歪な形で尾を引いているものと思われる。
ともかく、小さな世界へ自分を追い込んでしまっているのであろう。
貴乃花部屋は、文字通り親子の関係で結束しているように美化されているが、それは専制君主による統治と同じで、今後は綻びこそ出ても上手くは発展しないであろう。
現実に、自分の為に、当事者、貴乃岩の人格もつぶしてしまっていることにも気づいていない。
このような貴乃花に相撲界の改革などは出来る訳がない。

今回の理事選で貴乃花一門からは阿武松親方を当選させたことでも、貴乃花の存在価値は確定してしまっている。
本当にまとまっているのであれば、貴乃花親方が理事選に出る限りは、本人が何と言っても応援しなくてはならない立場であったはずである。
メンテ
Re: 神社信仰 ( No.39 )
日時: 2018/10/08 11:22
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:xMHnG2ls

神社信仰と言っても、先に挙げた龍神総宮社の様なものは否定します。
正式には古来から伝わる神社信仰ではありません。

冒頭では、かつては当地の村社(氏神神社)であった須津彦神社の総代を務めていたと言いましたが現在は、それは止めております。
田舎の事なので神社と言われるものは他に3社あります。
明治時代の始めまでは10社近くあったようで、その内の8社は自立を止めて、須津彦神社の境内に小宮(摂社)として祀られています。

ところで私が住んでいる処のすぐ近く(50m)に大川神社と言う小さな神社があり、それを近くの住人で守っています。
守ると言う事は、神社の境内(住宅1軒くらいの敷地)の掃除とか、年1回の例祭を行う事です。
近くの住人といいましたが軒数で言えば30軒くらいです。

10軒を1グループ(実際は隣組)で1年交代でやっています。
その神社は石段を77段上った小高い場所にあり、住人の高齢化によって、その維持管理も負担になっています。
例祭を開いても参拝してくれる人は年々少なくなり、今年などは40人程度になりました。
40人と言っても、その中には関係する隣組(30人)の分も入っているので、一般の参拝者は5〜6人よりいません。

何の為に神社守りをしているのか堪ったものではありません。
まるで世話をしている我々自身が、自分たちの為に神社を作り守っている様なものです。
こうなると、もう一般的な神社信仰とは言えなくなります。

この神社にも、それなりの歴史もあり一時は結構な人たちから受け入れられていました。
時代の変遷から、こうしたことは止むを得ないと思います。
昔は神社信仰が生活の一部であり狭い地域でも多くの神社を作り、神社を中心に生活があったと思います。
明治の初めに、当時10社近くあった神社を統合したのは自然の成り行きであり、その後100年以上経ち、再び残りの神社も統合せざるを得ない時期になったと思っております。

統合と言いますのは、現在の神社を廃社にして、新たに須津彦神社境内に小さな祠をたて祀る事です。
有名な大きな神社に行かれても、境内に、いろいろな神社が祀られてあるでしょう。この事です。

私は、このスレッドでも書いていますように神社信仰と言うものは日本人のバックボーンでもあり絶やしてはならないと思っています。
ただし、ここで言う神社信仰とは伊勢神宮を頂点とする神社庁の体系の事では絶対にありません。

戦前につながる、その様なものを思い浮かべられるので、本当の神社信仰が誤解されるのです。

という訳で、今回、私が言います小さな神社の統合はしても中心となる氏神神社は永久に守って行きたいものです。

でもね、若い人たちは神社信仰そのものに関心がありません。
関心が無いと言うよりも、自分たちの生活の中にも、その様な要素が入っている事にも気が付かないのです。

神社信仰を堅苦しい宗教とは捉えておりません。
日本人が持つ、日本と言う土地に相応しい心情のことで良いのです。

初詣の習慣も七五三の習慣も42歳、61歳の厄除け祈願も、結婚式の立会も、各種お祓いも、全て神社信仰の流れの中の習慣なのです。
メンテ
神楽舞 ( No.40 )
日時: 2019/04/24 11:10
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:wG8I9wNw

神楽舞について
最初に獅子舞と神楽舞について話します。

(獅子舞)

獅子頭を頭にかぶって舞う伝統芸能 獅子舞は、日本各地の正月行事や晴れの日に舞われ、幸せを招くと共に厄病退治や悪魔払いとして古くより伝えられてます。
獅子に頭をかまれると、その年は無病息災で元気で過ごせるという言い伝えがあります。
獅子舞は大自然の霊力を我々に授けてくれる不思議な芸能です。
モチーフといわれているライオンは日本列島には生息しておらず、アフリカ大陸やインド、紀元前にはヨーロッパにもいたようです。 その中でもインドが獅子舞の起源といわれていますが、もしかするとエジプトやペルシャ文明まで遡れるかもしれません。
インドでは、古くより遊牧民がライオンを霊獣と崇め偶像化しました。 それが仮面舞踊となり中国〜朝鮮半島へ渡り、7世紀のはじめに仏教の伎楽と一緒に獅子舞が日本に伝来されました。
同様のものが、中国の獅子舞(舞獅)はライオンダンスと言われています、朝鮮半島ではサジャム(獅子舞)ベトナムではチュノム(𦨂獅子)と呼ばれています。

(神楽)

神楽とは日本の神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞のことです。
平安中期に様式が完成したとされ、約90首の神楽歌が存在する。神楽は、神社に「神楽殿」がある場合、そこで行われる事が多い。
一般に、「かぐら」の語源は「神座」(かみくら)が転じたとされる。神座は「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、神座に神々を降ろし、巫・巫女が人々の穢れを祓ったり、神懸かりして人々と交流するなど神人一体の宴の場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったとされる。
神楽は、宮中の御神楽(みかぐら)と、民間の里神楽(さとかぐら)に分けられる。里神楽は下記4系統に分類することが出来る。
巫女神楽(神懸かり系・早乙女系)
巫女が舞う神楽。本来は神懸かりのための舞であったが様式化して、祈祷や奉納の舞となった。前者の特徴は順・逆に回って舞うことなどだが、現在では後者がほとんどである。鈴・扇・笹・榊・幣など依り代となる採物を持って舞う。

採物神楽(出雲流神楽)

出雲国・佐陀大社の御座替神事を源流とする。この神事(佐陀神能)は取り替えた御座を清めるための採物舞と神話や神社縁起を劇化した神能などから成り、この出雲系神楽の流れを汲んで演劇性・娯楽性を高めた神楽が中国地方を中心として全国へ広がった。

湯立神楽(伊勢流神楽)

湯立と神楽が結びついたもの。伊勢外宮の摂末社の神楽役たちが行ったものが各地へ広まったとされる。霜月神楽、花祭とも言われる。釜で湯を沸かし、巫女などが自身や周囲の人にその湯をかけて清める「湯立」に、採物または着面の神楽が加わる。

獅子神楽

獅子舞の一種。後で出てきます、風流系とは異なり、獅子頭を神体として各地を巡って祈祷やお払いを行う。二系統あり、東北地方の山伏神楽と、伊勢などの太神楽がある。

神楽としての獅子舞が出てきましたように、実際は獅子舞なのですが、神事として行う場合、神楽舞と言う事になります。
日本での獅子舞の始まりは、16世紀初めに伊勢の国の飢饉・疫病を追い払うために獅子舞を正月に舞わせたのがきっかけだと言われています。
その後、祝い事や祭り事で獅子舞を行うことが定着し、それぞれの地域の人々によって独自の舞い方が形成され、室町時代から江戸時代の初期ころまでに日本各地に広まったそうです。

日本の獅子舞には、大きく分けて伎楽〔ぎがく〕系と風流〔ふうりゅう〕系の二つの系統があります。

(伎楽系)

獅子の頭につけた胴幕の中に二人以上の人が入って舞う、「二人立ち獅子舞」が多く、これは大陸から伎楽の一つとして伝来したもので伎楽系の獅子舞と言われています。本州中部以西の西南日本で多く見られます。

(風流系)

関東・東北地方などで行われている鹿舞〔ししおどり〕と呼ばれるもので、鹿〔しし〕の頭をかぶり胸に太鼓を付けた一人立ちの舞いで、太鼓を打ちながら踊るものです。

これに対して、伊勢大神楽と言われているものがあります。これは、江戸時代に伊勢神宮に参りたくても、参れない人々のために、壇那場(だんなば=仏教の檀家と言う意味)各戸に伊勢神宮の御札を配って、各家々の竃祓い(かまばらいと言いかまどを御祓いすると言う意味)や家内安全のお祓いを行います。
要するに、伊勢大神楽系の獅子舞は神楽としての獅子舞であるのですが、一般的に、獅子舞が神社の例祭などで行われる場合、神楽と考えられているようです。また反対に伊勢大神楽が必ずしも祭りと関係するものではありません。
以下は、伊勢大神楽の内容について紹介します(舞の種類)。

鈴の舞(すずのまい)

門付けなどで最初に舞うのが「鈴の舞」。これは竈払い(かまどばらい)を意味します。現代でこそ、竈(かまど)は使われませんが、竈(かまど)は一家のいのちの根源です。火をおろそかにすると、すべてを失います。だから、「火の用心」なのです。獅子舞いは人々のいのちの根源たる竈(かまど)に感謝し、災いがおきないように最初に「鈴の舞」を舞うのです

四方の舞(しほうのまい)

人々は知らず知らずのうちに多くの罪や穢れをおかしています。私も、あなたも、例外ではありません。獅子がその私やあなたの四方、八方を清めます。 これが「四方の舞」なのです。

跳の舞(とびのまい)

神楽には、神威をもって魂を強化する意味合いもあります。神さまの力によって病気や老衰に打ち勝とうとします。
これを表現したのが「跳の舞」です。
伊勢大神楽に限らず、神楽では静かな所作から跳躍、登攀、飛び降り、逆立ち、旋回と回転、首振りと動き回ります。これはすべて獅子神の悪魔調伏の威力を誇示する表現です。
これを「狂い」と言います。この舞は大きく高く飛び跳ねる跳躍によって神の力を表現し、その力を皆さまに授けるのです。

扇の舞(おおぎのまい)

人々の願いを一身に背負って舞うのが伊勢大神楽。
末広がりで人々にしあわせが訪れますようにと表現するのが、扇を持つという所作の意味なのです。
この舞では、最後には獅子は狂乱狂舞します。
末広がりに神の威力を示すためなのです。
ここで発揮される神様の力は、そのまま観る人へと伝わっていきます。

剣の舞(つるぎのまい)

獅子が宝剣をくわえて舞うことで、天地四方を清めます。宝剣を抜きはらって天地四方の邪気を切り祓う悪魔祓いの舞いとして知られています。静かな笛と太鼓の響きととに舞う、神々しい舞いです。
獅子に限らず神楽では舞手が弊や扇、榊、弓、剣、笹などを持ちます。
これは「採物」と言います。これは「神宝」といい、神の依代といい、これを持って舞うことは、神を依らしめて、清める意味があります。「剣」はその象徴です。獅子は「剣」を口にくわえます。まさに神が依りついていることを象徴的に表現しているのです。

吉野舞(よしのまい)

大海人皇子(おおあまのおうじ)が吉野に潜まれた故事にちなんで名づけられました。
宝剣、御幣、扇を持って舞う優美な舞です。最後には宝剣を抜き、朝敵を討ち遂げます。翻って、我々は常に何らかの戦いをしながら生きているのです。吉野舞は神の魂の強化を授けようと舞っているのです。
大海人皇子は、天武天皇(在位673〜686年)が即位する前の御名前。
『日本書紀』には、大海人皇子に対して反乱を企てた大友皇子が滅ぼされたとあります。「吉野舞」で獅子が最後に宝剣を抜いて朝敵を滅ぼすのは、大友皇子のことだといわれています。

楽々の舞(ささのまい) 

獅子頭はご神体そのものです。
したがって、神の来臨と称して門や座敷で獅子舞を奉舞するのです。「楽々(ささ)の舞」は「採物」が笹です。
『金槐集』には万葉の神楽を「ささ」とし、やがて採物の「笹」へと移り変わっていったとされています。この笹は単なる笹にあらず、神が依る物なのです。
舞では、「番内」と呼ばれる天狗面の者が笹をもって登場します。獅子はこれに神の来臨を乞うのです。そして、人々がこの獅子によって霊威が授けられた笹をもって帰り、田畑にたてれば五穀豊穣となると信じられています。また、家に持ち帰れば災いを祓いのけるとされているのです。

神来舞(しぐるま)


獅子頭は神の仮の姿。大神楽の中で最も洗練された美しい舞とされるのが「神来舞」。
文字通り神の来臨を獅子頭で表現しています。最初は獅子が一人で立った状態となり、右手に鈴、左手に御幣をもって周囲を清めていきます。
次に後ろ足を受け持っていた社中が幕を広げて中に入り、二人立ちになり、そして獅子頭が屈伸、旋回、回転していきます。
獅子神の発動を表現する「狂い」が始まります。この舞には獅子の足の運びやお囃子の笛の音にも一定の決まりがあり、規則正しく所作を繰り返していきます。こうした所作の美しさは他の舞を圧倒します。それ程、神々しく神の来臨を表現するのです。
伊勢大神楽とは全く方向が違う発展をしたものが全国にあります。その例として次に、富山県地方のものを紹介します。

(氷見型百足獅子氷見市とその周辺に伝承される獅子舞)
胴幕を5〜6名の獅子方が素手で支える百足獅子。獅子の相手は、鳥帽子を被った狩衣姿の天狗で、獅子舞棒を持って激しく舞うのが特徴。テンポの良い囃子とすばやい演舞で展開し、迫力ある「獅子ごろし」で終演する。
(五箇山型百足獅子世界遺産の合掌造りの里・五箇山を中心に伝承される獅子舞)
胴幕を10名ほどの獅子方で支える大型の百足獅子。氷見獅子の流れを汲むもので、激しく舞うのが特徴。獅子あやしは子どもがシシトリボウを手にして演じる。

(砺波型百足獅子砺波平野一帯に伝承される獅子舞)
胴幕に竹の輪を入れた大型の百足獅子がダイナミックに舞う。また、「シシドリ」と呼ばれる二人一組の子どもが獅子あやしとなり、棒や長刀などの武具を手に、リズミカルに演じる。

(射水型百足獅子射水平野から神通川左岸の地域に伝承される獅子舞)
胴幕を獅子方が素手で支える百足獅子で、旧新湊市の通称「浜獅子」は、中でも荒々しいことで有名。シャグマを被った天狗や、花笠を被った子どもたち(キリコ)が獅子あやしを演じる。

(加賀型百足獅子石川県金沢市に隣接する南砺市の福光地区に伝承される獅子舞)
胴幕は動かず、獅子頭だけが上下左右に大きく動くのが特徴的な百足獅子。獅子あやしは、棒などの採り物で武道系の演目を舞う。

(二頭型金蔵獅子富山市の神通川流域に伝承される獅子舞)
雄雌二頭が組になって演じる二人立ち獅子で、飛騨の金蔵獅子が伝播したもの。獅子あやしは、野袴をつけた武者姿のキンゾウで、槍・傘・扇・刀など多様な採り物を手に、曲芸的な演目も披露する。

(一頭型金蔵獅子神通川中流域の里山地域に伝承される獅子舞)
一頭、二人立ちの金蔵獅子。子どもの獅子あやしは、「シシウチ」と呼ばれるキンゾウで、御幣や槍などの採り物を持つ。

(下新川型天狗舞獅子下新川郡を中心とする県東部地域に伝承される獅子舞)
一頭の二人立ち獅子。8〜16名もの大勢の天狗が登場するのも特徴で、天狗は太いタスキをかけ、傘や酒樽などの採り物を用いて演じる。

(越後型神楽獅子朝日町の県境地域に伝承される獅子舞)
一頭の二人立ち獅子で、頭持ちは獅子頭をすっぽりと被り、左手に御幣を持ち、腰に木刀をさす。尾持ちはねじった胴幕の尾を首に巻いて持つ。一人の天狗が獅子をあやす。

(越後型神楽獅子新潟県と隣接する、朝日町の県境地域に伝承される獅子舞)
一頭の二人立ち獅子で、頭持ちは獅子頭をすっぽりと被り、左手に御幣を持ち、腰に木刀をさす。尾持ちはねじった胴幕の尾を首に巻いて持つ。一人の天狗が獅子をあやす。

(行道獅子行道獅子は、中世からの流れを汲む古式ゆかしい獅子舞)
神輿行列などの露払い役として、古い箱型の獅子頭が練り歩く。県内では、高岡市伏木氣多神社の祭礼、魚津市小川寺地区の祭礼、下村加茂神社のやんさんま祭などで奉納される。

このように各地の獅子舞は、驚くほど多様に展開しています。その内容の共通点について少しまとめてみます。
関東に多い「風流軽」の獅子舞は一人立ちが多く、獅子も複数出て、囃子と共に賑やかに飛び跳ねます。天狗や太刀を持った若者が絡む場合もあります。

もう一つの傾向「伎楽系」の獅子舞では、中には5人立ち、10人立ちなど大きな獅子や複数の獅子を登場させて、それに天狗や太刀を持った人間を絡めて、暴れる獅子を大人しくさせる(あやす)かたちを取っています。それを支援する囃子も賑やかで全体に動き回っていると言う印象です。

双方に共通するのは、獅子は、退治すべき相手であったり、あやす相手として登場することが多くあります。その装束の色彩なども柿色を使う地域もあるなど多様なものがあります。

これに対して、須津祭りの獅子舞(神楽)は、伊勢大神楽の傾向を受けていて、獅子そのものが邪悪な存在ではなく、恐ろしいものではあるが人々を守ってくれる存在です。
その為に獅子の立ちふるまい(舞)は厳かで気品に満ちております。天狗の舞などで天狗が獅子に絡む場合でも、天狗の方が悪戯者であり獅子は悠然として動じることなく、また天狗を痛めつけ様ともしません。

(ス須津彦神社例祭 神楽舞)
https://www.youtube.com/watch?v=bog5XdxCWp0

※ 剣の舞、鈴の毎、乱の舞(飛びの舞)、笹の舞(楽々の舞)が収録されていて1時間の長いものです(伊勢神楽系)。
メンテ

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