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[1981] 「るいネット」から< 新しい社会のかたち
日時: 2014/04/01 11:12
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:NY1sbfTw

1週間に350万のアクセスがあると言う巨大サイト「るいネット」からの情報を紹介し検証するスレッドとしてみましょう。
「るいネット」は類グループと言う企業グループが主催しているサイトで中核は類設計室と言う設計事務所なので企業としては大きな企業ではありません。
組織的に管理されているようで、ふざけた記事はほとんどなく、数人の人が「るいネット」の基本的な考えを発信しています。
全体に観念論的な色彩が強く、悪く言えばカルト的な様相もあるとみています。

カルトと決めつけては大変失礼なので、この事について説明します。
内容を見ていただけば御分りと思いますが、全体に大変、論理的(観念論的)に進められています。
物事を推論する過程では観念論的論理は有効、不可欠と思いますが、社会のシステムにそれを反映する段階では、何かの規範として出さねばなりません。
その時に思考の連続は遮断されるのです。
そうしてその時の論理が社会を支配する事になるのです。

あまりにも観念論としての論理に頼る法則は状況に応じた変換ができなくなり、逆に理論が人間を支配するようになるのです。
宗教における教義の様に、抜けられなく(論理に反抗できなく)なりがちになるのです。
しかしながら、物事の本質へ向かって行くために詳細に検証する姿勢には感心するものがあり、文章的には随分と参考になるものがあり敬意を表したい。
冒頭で紹介しますのは「るいネット」をリードされている四方氏の文章を中心に紹介します。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=4&t=0


「実現論」
序文
第一部 前文
第二部 私権時代
第三部 市場時代
第四部 場の転換

下は第四部 場の転換の細目です。
結局は第四部の内容を主張することが目的と思います。
場の転換とは、パラダイムチェンジと言う言葉に置き換えられます。
国と言う言葉自体を超えて使っていますが、要するに新しい国のかたち、社会のかたちを模索していると思います。
読んでいただけば解りますが、私自身は、その内容(共認意識の捉え方)に違和感を避けられません。
ですが、方向性としては、これほど多角的に将来を見据えて論議しているものは、ないのではないでしょうか。

イ.人類500万年のパラダイム転換
ロ.共認社会の生存圧力と同類圧力
ハ.場の転換(意識下の活力転換)
ニ.場と主体のズレ(圧力と活力源のズレ)
ホ.支配共認根絶の共認闘争
ヘ.秩序収束⇒規範・制度の共認圧力と政権闘争
ト.本源集団の再生


以下の文章は第三部 市場時代のものの一部です。

ハ.貧困の消滅→私権の衰弱→性の衰弱    
   
性権力者に主導された民主国家は、(豊かさ要求の産物たる)市場拡大と(要求主義・権利主義の産物たる)福祉制度によって、'70年頃、遂に貧困を消滅させることに成功した。但しそれは、貧困を消滅させるに至った類間の圧力(社会的な力関係)という観点から見た見解であって、自然・外敵圧力と対峙して貧困を克服した直接的な力(物質的な力)という観点から言えば、その主役は科学技術であり、要するに人類は極限時代から営々と蓄積してきた事実の認識→科学技術の進化によって、遂に貧困を克服したのだとも言える。  
   
だが、貧困を消滅させた結果、私権の強制圧力が衰弱し、これまで私権の強制圧力を最大の活力源にしてきた人々の活力も急速に衰弱してきた。それに伴って、国家も企業も家族も個人も、自らを私権の強制圧力によって統合することが難しくなり、遂に3千年に亙って社会を統合してきた私権統合が機能不全に陥って終った。その結果、全ての存在が目標を失い、フラフラと迷走し始めた。更に、性権力の最大の抑圧物であった私権(占有権)の強制圧力≒男原理を去勢したことによって'80年頃には性権力の全面支配が完了し、社会は女原理一色に塗り潰されていった。女支配は子供や男たちを去勢して、(私権の衰弱によって衰弱した)活力を更にとことん衰弱させてゆく。その結果、ますます統合不全が深刻化し、社会の混迷と衰弱は年々ひどくなってきた。とりわけ'90年以降、事態は加速度的に悪化しつつある。  
   
それだけではない。社会を全面支配した性権力は、実はそれ自体では自立して存在する事が出来ない。なぜなら、性権力は自由な性市場を母胎にしており、自由な性(性の自由欠乏)は性的自我を源泉にしている。そして、自我は共認圧力(集団圧力や闘争圧力や規範圧力)に対する否定をバネとする反or 破のエネルギーでしかない。従って、自我を源泉とする性の自由欠乏も、性の抑圧力(上記の共認圧力)に対する反or 破のエネルギーでしかない。換言すれば、性権力の土壌を成す性の自由(欠乏)は、性の抑圧を前提にしている。従って、性権力が集団を破壊し性規範を解体し私権圧力を去勢して、全ての抑圧力を消去させて終うと、自らもエネルギー源を失って消え去るしかない。  
   
性の衰弱は、既に私権が衰弱し始めた'70年頃から始まっている。心中物語に代表される様な、私権の強制圧力との緊張関係から生じる性の自由への強力な収束力が衰弱したことによって、'70年頃から情熱をかき立てる様な恋愛が成立しなくなり、性をムキ出しにした官能小説やポルノ映画が主流に成っていったが、それは性の火(活力)が消える直前の最後の輝き(活力)だったのである。私権の衰弱が顕著になった'90年代に入ると、性はSMや3Pに最後の活路を求め、その刺激にも飽きると、もはややることが無くなって終った。こうして'95年頃から、遂に性の自由欠乏→性闘争(恋愛)そのものが急速に衰弱し始めた。  
   
既に、ネオン街は寂れる一方であり、ムキ出しの淫売屋も客が減り続けている。何よりも、性欠乏が衰弱したので性活力がそこそこ旺盛な年齢は下がる一方であり、今や性の中心は高校生・中学生である。これは、男と女の役割規範やそれに基づく男女の期待・応合や互いの肯定視など、共認に基づく人類本来の性の豊かさが喪われ、もはや物理的・本能的な性欲しか残っていないという事を示しており、実際20歳代で早くも擦れっ枯らしと成った男女が急増している。しかも、私権が衰弱して真っ先に関係耐力(厳しい自我・私権闘争に耐える関係能力)が衰弱して終ったので、互いの自我や要求に対応するのが煩わしくなってきた。その結果、衰弱した性に残された+よりも煩わしさの−の方が上回り、互いに相手を捨象する女捨象や男捨象が顕著になってきた。  
   
性闘争(恋愛)を土壌として肥大してきた性権力にとって、これは致命的である。全ての抑圧力を解体して終った以上、性権力もまた消え去るしかない。だが、私権統合から性権(力)統合へと移行した途端に(or 移行途中で)、当の性権力自身が消滅すれば、社会は全面的崩壊状態に陥る。だがそれは、同じく性闘争を究極の活力源としてきた私権社会が消滅する日と時を同じくする。それは、性権(力)こそが私権の原点であったことからも、当然の成り行きであろう。

※ まだ続きますが、今回はここまでとします。
貧困の圧力と言う概念を使った社会の分析は見事であると思います。
メンテ

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新しい社会のかたち 2 ( No.3 )
日時: 2015/09/29 23:31
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:/2cgv5hc

【現実世界を動かしている力の構造】

市場社会の崩壊と大転換の時が迫っているが、この危機を乗り越え新しい社会を実現するためには、まず、この現実世界を動かしている力の構造を知らなければならない。
従って、まずはじめに、現実世界の力の構造とその現在の状態を明らかにしておこう。

私有制度に基づく社会では、誰もが、私権(地位や財産)の獲得を目指して争う。教科書に載っているいわゆる文明社会とは、誰もが私権(の獲得)に収束することによって統合された、私権統合の社会に他ならない。(※収束=統合とは:リンク)
当然、そこでは私権の獲得に必要な力がものを言うことになり、力の弱い者は力の強いものに従うしかなくなる。力の原理である。

私権社会は、このような力の原理によって統合されている。
その力とは、武力闘争の社会では武力であり、市場競争の社会では資力である。それらの力は、社会を統合する統合力であると同時に、闘争相手を倒す制覇力でもある。
この力を体現した勢力が、武装勢力や金融勢力であり、これら中核勢力がこれまでの社会を動かしてきた。

では、これら中核勢力はどのようにして社会を動かしてきたのか、その支配構造を古代と近代のそれぞれについて少し具体的に見てみよう。

古代初期、王国が誕生した段階では、武装勢力を率いてきた部族長が王となり、将たちが貴族となって、国を治めていた。
ただし、部族長は、もともと祭祀を司る長でもあったが、王国が誕生する前後に、祭事は神官(後に教団)に委ねられてゆく。次に、国の規模が大きくなると、政治も官僚に委ねられていった。
そして、教団勢力が大衆の共認支配を担い、官僚勢力が大衆の法制支配を担うことによって、現実に社会を動かすと共に、その権力をどんどん拡大していった。
その結果、王は、形の上では最高権力者だが、それは表向きだけで、実権は官僚や教団が握って好きなように社会を動かすようになり、王は彼らが進める彼らに都合のよい施策に、お墨付きを与えるだけの存在にまで形骸化する。要するに、名前だけのお飾りである(日本の天皇がその典型)。

それに対して、市場社会では、金貸しが、官僚を支配し、教団に変わって登場した学者とマスコミを支配し、そして官僚機構が大衆を法制支配し、教宣機関(大学・マスコミ)が大衆を共認支配している。
こうして見ると、古代と近代では、社会統合と大衆支配の仕組みは、基本的にはまったく同じであり、ただ統合力=制覇力が、武力から資力に変わっただけである。

なお、武装勢力は、国家が成立するまでの戦争状態では序列の頂点にいるが、国家が確立すると官僚に実権が移る。その後も戦争状態よりも平和な期間の方が長いので、官僚が実権を握り続ける。そうなれば、再度、戦争状態になっても官僚支配は変わらず、武装勢力は官僚の下orよくて横並びの位置に止まる。
それに対して、金融勢力が君臨する市場では、市場競争が恒常的に存在している。従って、市場社会では、金融勢力が常に頂点に君臨し続ける。しかし、金貸しは決して社会の表には出てこない。その結果、古代より近代の方が、支配勢力の力の蓄積はより巨大なものとなり、かつ、表からは見え難くなっている。

ロスチャイルドやロックフェラーに代表される金融勢力=金貸しは、近世以来、配下に諜報・工作機関を持ち、目星をつけた政治家や官僚や学者を、一般的には利益誘導によって、勝負所では買収と脅迫を使い分けながら、支配し続けてきた。その力は、王室さえも操れるほどである。
マスコミにいたっては、利益誘導や脅迫による支配だけではなく、金貸しが直接的に経営し支配しているケースが多い。 要するに、力の頂点に君臨する金貸しが、政治家や官僚や学者やマスコミ等の統合階級を支配し、その統合階級が大衆を法制支配+共認支配しているというのが、現代社会の基本構造である。

この世界を変えるには、現実を動かしている力の構造を解明するだけではなく、さらに、その力の構造を根底から突き破ってゆくような実現基盤が、発掘され提示されなければならない。
その実現基盤は、何か?

力の原理が働くには、一つの大きな前提条件がある。それは貧困(飢餓)の圧力である。貧困の圧力が働いているからこそ、誰もが私権に収束し、力の原理が貫徹される。
実際、古代〜近代を貫いて、紛れも無く人類は常に貧困の圧力に晒されてきた。だからこそ、力の原理が支配する私権社会になったのである。

(中略)

過去、’60年安保闘争にせよ、’69年全共闘運動にせよ、大衆の願いは実現された例がない。さらに遡れば、明治維新やフランス革命も同様であって、実現されたのは、金貸し(金融勢力)支配の体制だけであり、それらの革命に身を投じた若者たちは、金貸しに乗せられ踊らされてきただけであった。
それも当然で、すでに序2で明らかにしたように、近代社会を動かしているのは金融勢力であって、決して大衆ではないからである。
従って、「市民運動」は、甘言で染められたペテンであると断じざるを得ない。
しかも、この甘言を信じた結果、多くの有為の若者が出口のない袋小路に追い詰められ、自滅していった。これは騙し、それも、社会変革のすべての可能性の芽を摘み取る、皆殺し的な騙しである。

あるいは、こうも言える。市民運動の活動家たちは、もっぱら大衆の意識の変革に期待してきた。逆に云えば、彼らは「大衆の意識」以外に何の実現基盤も持ち合わせていなかった。
しかし、現実の大衆は、金貸しが支配する検定教科書とマスコミによって、ほぼ完全に近代思想に染脳されてしまっており、近代思想に代わる新たな思想なしには、大衆の意識が変革されることなどありえない。

本当に社会変革を実現するには、まず、大衆の意識潮流を掴み、そこにどのような実現可能性があるのかを摘出しなければならない。ところが、彼らは、あたかも大衆に期待しているかのようにひたすら大衆に訴えかけていたが、実は、彼らが大衆の意識潮流を深く追求した痕跡はどこにも無い。これでは、本当の所は、大衆にさえ何も期待していなかったのだと言わざるを得ない。要するに、彼らは、自分に都合のいいイデオロギーを大衆に押し付けようとしていただけであり、彼らに在るのは、甘言で染められた自己正当化のイデオロギーだけであった。

大衆の意識を注視し続けていた私は、45年前、活動家たちに対して、マルクス主義に代わる新理論の必要を提起した。しかし、新理論の構築に取り組もうとした者は、(ごく少数を除いて)殆ど誰もいなかった。そして、次々と、大企業に就職し、あるいは学者になっていった。その後、彼らに残されたのは、社会変革に対する深い不可能視だけである。
それだけを見ると、彼らは本気で社会変革を実現する気などなかったようにも見えるが、むしろ、近代思想に代わる新理論の構築は、不可能に近いほどの超難課題であったということだろう。

今、改めて、大衆はなぜ現実に社会を動かすことが出来なかったのかを総括すると、その原因は、大きく分けて二つある。

まず一つは、すでに序2で明らかにしたように、古代であれ近代であれ、私権社会は力の原理によって統合されており、力の頂点に立つ武装勢力や金融勢力が、官僚や神官(学者やマスコミ)を支配し、彼らが大衆を法制支配+共認支配することによって、現実世界を動かしているという厳然たる事実である。
従って、この支配構造を突き破るためには、その力の原理をも根底から解体してゆく新しい統合原理の実現基盤が発掘されなければならない。
その実現基盤こそ、’70年貧困の消滅によって実現された、私権原理から共認原理への転換である。

しかし、それだけでは不十分で、大衆が社会を動かすことが出来なかった原因はもう一つある。
それは、人々の変革期待をそこに収束させ、封印してきた議会と民主主義である。
上記の支配構造において注目すべきは、古代も近代も、支配構造が基本的には同じであることだが、さらに注目すべきは、その中での古代と近代の違いである。
古代と近代の一番大きな違いは、社会の統合力=制覇力が、武力から資力に移行したことだが、もっとも注目すべきことは、それに伴って、議会が登場したことである。

では、学者やマスコミが近代民主社会の象徴or要として称揚して止まない議会というものは、社会統合の仕組み上、どこに位置しているのか?
古代と近代の二つの時代の統合=支配の仕組みを図解化してみれば分かるが、驚くべきことに、議会は王侯・貴族と、まったく同じ位置にくる。
しかし、改めて考えてみれば、近代でも実権は官僚機構と教宣機関(大学とマスコミ)が握っており、議会は、王と同じく、名前だけのお飾りになっていることは周知の事実である。

市場社会では、本当の権力は金融勢力が握っている。金融勢力が官僚と学者とマスコミを支配し、彼らを通じて大衆を近代思想に染脳した上で、その大衆に選ばせたものが議員である。当然、左も右も金貸しの操り人形ばかりとなる。
したがって、議会とは、金貸しの操り人形たちの演舞場に過ぎない。
したがって、民主主義の建前上「国権の最高機関」たる議会の役割は、当然のことながら、金融勢力の暴走行為にお墨付きを与えることだけとなる。
事実、議会は中央銀行制度をはじめ、第一次・第二次大戦、バブル経済等、すべての主要な局面で、金融勢力の暴走にお墨付きを与えてきただけであった。

(続く)
メンテ
新しい社会のかたち 3<民主主義とは! ( No.4 )
日時: 2015/09/30 11:50
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:djrHbZto

【民主主義と共認原理】

いったい民主主義とは何だったのか?

私はこれまでも、新理論を構築するためには、近代思想を全的に否定する必要があると考えてきた。そして、「自由」「個人」「人権」等の架空観念を、近代思想の要と見てきた。
しかし、これまで民主主義については(その怪しさを重々知りつつも)、全的には否定し切れないでいたが、近代思想の本丸は実はこの「民主主義」にあったのではなかろうか。
実際、庶民レベルでは「個人」や「人権」という言葉はあまり使われなくなったが、「民主主義」だけは根強く支持されているし、今もアメリカが他国を侵略する口実は、「民主主義(ではない国は破壊すべき)」である。

それに対して「民主主義」は、そもそも始めから共認原理を踏み外してしまっている。それは、成員の大多数が、ほとんど何も学ばず、何も知らないという点である。これでは共認原理はまともに作動しない。
例えば法律については、それが日常のあらゆる生活を規制しているものであるにもかかわらず、(専門家以外)誰も知らないし、社会がおかれている状況についても、大半の成員がほとんど知らない。

何も知らずとも、主張し判断できる主体は、一つしかない。それは、自我・私権の主体である。自我・私権の主体なら、ほとんど学ばず、ほとんど知らなくても、己に都合のいい理屈を並べたてることは出来る。子どもの言い訳や屁理屈と同じである。
また、民主主義は、自我・私権に立脚しているので全員合意は望めない。だから、多数決で決着をつけるしかなくなるが、この多数決もまた、民主主義が自我・私権に立脚したものであることの証拠である。

事実、民主主義は、何よりも「発言権」や「評価権(議決権)」を優先させ、『まず学ぶ』という人類の根本規範を見事に捨象している。だから、「民主主義は正しい」と信じ込まされた人々は、『まず学ぶ』という根本規範を踏みにじり、身勝手な要求を掲げて恥じない人間と化す。

その先鋒となったのが、金貸しが生み出した共認支配の専門家たち=学者や評論家やジャーナリストである。彼らは現実と直対することから逃げて、もっぱら書物から学んで専門家となった連中である。逆に言えば、彼らは現実から何も学ばず、従って、現実を改善してゆけるような実現の論理を持ち合わせていないので、何事も批判し要求することしかできない。
だから、彼らは一様に、民主主義を根拠にして人々にも同じように批判し要求するようにそそのかしてきた。その結果が、自我ばかり肥大させ、何も実現できない(=批判と要求しかできない)無能化された人々である。

要するに、金貸し勢は、「民主主義」を人々に吹き込むことによって、人々の自我をどんどん肥大化させると共に、どんどん無能化した上で、自分たちの好きなように染脳してきたわけである。
こうして民主主義は、『学び』をないがしろにし、「発言権・議決権」を優先(=批判と要求を優先)させることによって、とことん自我を暴走させると共に、とことん人々を無能化させてきた。

かくして、民主主義に導かれて暴走してきた近代社会は、ついに経済破綻と地球破壊の底なし沼に沈み、そこから這い上がれなくなってしまった。いまや、人類は滅亡の一歩手前にある。
それは、民主主義が自我の暴走装置であり、とりわけ金貸しの暴走を正当化する自我=悪魔の思想であることの、疑問の余地のない証であり、もはや、この期におよんで民主主義を正当化する一切の言い訳は通用しない。


※ 資本主義と民主主義は双子の関係と言って来ましたが、ここに別の角度からの洞察があります。
  資本主義に修正を加えようとすれば、民主主義にも何らかの修正が必要であると言っていることにもつながります。
  また、民主主義の世界で、選挙で何でも可能な様に錯覚していますが、共に生きるための方策は誰かが指し示す事をしなければ、  民主的には生まれては来ない問題です。
ところが、誤った民主主義の概念は、その英雄の出現すら望まない。
メンテ
Re: 「るいネット」から< 新しい社会のかたち ( No.5 )
日時: 2015/10/01 22:12
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:8naQBi5s

第1部 前文を紹介しますが、ここからば、たいそう観念的な言葉が多く難解ですので、身勝手な解釈に代えさせていただきます。

まず、前文は下記の言葉で始まります。

>生きとし生けるものは、全て外圧(外部世界)に対する適応態として存在している。例えば本能も、その様な外圧適応態として形成され、積み重ねられてきたものである。また全ての存在は、本能をはじめ無数の構成要素を持っているが、それら全ては外部世界に適応しようとして先端可能性へと収束する、その可能性への収束によって統合されている。また、外部世界が変化して適応できなくなってくると、新たな可能性(DNA塩基の組み換えの可能性)へと収束し、新たな可能性(例えば、新たな配列)の実現によって進化してゆく。従って、歴史的に形成されてきた存在は(=進化を重ねてきた存在は)、生物集団であれ人間集団であれ、全て始原実現体の上に次々と新実現体が積み重ねられた、進化積層体(or 塗り重ね構造体)である。つまり万物は、それ以前に実現された無数の実現体によって構成されており、それらを状況に応じたその時々の可能性への収束によって統合している、多面的な外圧適応態である。

(引用終わり)

要するに人間に関わらず、原始的であれ知性を持った生き物は、外部世界を感覚することによって、その存在を意識しているものの様に書かれています。
そのことを大前提として、人間が行動を起こす場合、最初は食料の確保などですが、その動機を性的刺激としています。
文字通りの性的行動もありますが、雌雄それぞれの立場の行動も含めています。
言い方を変えれば生存本能とも言うことができるでしょう。

そうして、その本能は究極的には、個、つまり自我、特にここでは私権の発動と言う言葉で表現されています。
また人間も猿の世界の様に、集団で暮らさざるを得ない条件にあり、集団で活動する場合に発生する観念の事を共認意識と現しています。

私権意識と共認意識は並列的に存在するものですが、結論から言いますと、人間の発達の過程において豊かになったことで私権意識が強まり現在に至る様に書かれています。
その上で、将来は、ともすれば軽んじられがちな共認意識の高揚が必要と言う考えに基づいて、より具体的、論理的に書かれています。

本論は次の、私権時代から始まりますので、前文については、議論の進め方が解った程度にして、これくらいで割愛します。

メンテ
Re: 「るいネット」から< 新しい社会のかたち ( No.6 )
日時: 2016/02/27 07:13
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:feTh8YOA

UP
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Re: 「るいネット」から< 新しい社会のかたち ( No.7 )
日時: 2016/03/25 01:28
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:iFF9F0CE

表現が論理的で取っ付きにくい様ですが、私が主張していることの概要が示されています。

最初から数ページをじっくりと読んで頂きたく思います。


(特に以下の部分)

【新理論を生み出すのは、普通の生産者】

では、誰が近代思想に代わる新理論を構築するのか?
彼ら専門家が、専門家であるがゆえに転換できず、答えを出せない以上、近代思想に代わる新理論は、素人である庶民の手で生み出すしかない。

考えてみれば、いつの時代でも、現実の生活の変化=潜在思念の変化が先行し、後からそれが言葉化(観念化)されてきた。
もちろん、普通の人々にも、追求し理論化したい課題は多々ある。しかし仕事に追われて、理論追求できる時間はせいぜい1〜2時間しかとれない。先頭に立って闘っている経営者なら、なおさらそうだろう。
しかし、たとえ机に向かう時間が取れなくても、日々現実課題に直面して闘っている人々の潜在思念は、間違いなく最先端の可能性を捉えている。

その点、学者や評論家やジャーナリスト等、物を考えるだけでも飯を食っていける人々は、それだけで普通の人とは異なる特権階級である。しかも、現実そのものと直対することから逃げた只の傍観者なので、最先端の可能性を捉えることが出来ない。それどころか、そもそも人々の現実とは大きくズレているので、人々を出口のない袋小路に導くような観念しか生み出してこなかった。
要するに、普通の人々と存在基盤が異なるので、彼らには大衆の願いを叶えることは出来ない。

本来なら、認識のプロになった時点で、はじめからその資格はないと自覚しておくべきだろう。
とりわけ、近代の思想家たちに至っては、ほぼ全員が観念病という名の病人である。そんな観念病者の言説に踊らされて、抽象的な「社会」に向かって批判と要求を繰り返しているのが素人の社会派であるが、これでは、社会を変えられるわけがない。

新理論を生み出すことが出来るのは、旧観念でメシを食っている知識人ではなく、現業を通じて日々現実に向き合っている生産者であり、素人である。生産者なら、現実を直視しているので、その最先端の可能性を潜在思念で掴むことができる。それに素人なら、旧観念をメシの種にしているわけではないので、旧観念に縛られる必要もない。
もちろん、日々現業に追われながら、新理論を構築するのは、極めて困難なことだが、幸い、新理論を追求し続けている生産者は、少ないながら実在する。ある意味では、経営者の何%かは、新理論を模索している創造者だと云えるかもしれない。
メンテ
Re: 「るいネット」から< 新しい社会のかたち ( No.8 )
日時: 2016/04/02 12:18
名前: 贅六@関西弁 ID:jia.gYPY

天橋立の愚痴人間 はん、

正直に言いまして、あんさんの書いてはる事、ワテにはよう解りまへんのだすが、それはワテの頭が良ォ無い所為やと思います。

そやけど、あんさんが引用してはる「るいネット」たら言うサイト、あれほゞ完全に「カルト」でっせ!

あそこのサイトに書かれてる論文か研究書か知りまへんが、あの文章を見てみると、何か斯う大本教や創価学会その他の新興宗教なんかの入信勧進書か勧誘パンフレットから立ち昇って来る、高圧・恫喝的、且つ 決め付け の湯気が匂いますねん。

いや、あんさんはあんさんで書きたい事を書いたら宜しおますねんで。ワテは別に止め立てしてる積もりはおません。

そやけど、ワテみたいなアホが見て、「此れチョッとケッタイやなァ」と思うのが、却って頭のエエお方が見て「成る程!」と思うより、間違ォてない場合もおますよってねェ。

例えばでんなぁ、なんぼ東大まで出た 大川隆法 とか言う奴でも、「幸福の科学」たら言うカルト教団創って、過去の英雄の声を聞いた! てなアホな事言うて、これまたアホな庶民を誑かして金集めしよるし、そのもっと前には、思い込みだけのアホな教祖の興した「オーム真理教」てなもんに、東大やその他一流大学出た奴が入信して、事も有ろうに大量無差別殺人事件を起こしよった事実もおますねんさかいにねェ。

ま、一節に、「高学歴のインテリが、閉塞感にとらわれた時、却って凡人以下のアホな行動に走る」てな事を云う学者も居てる様でっさかいにねェ。

その点、ワテ等みたいな教養のない奴の方が、却って世の中の煩雑事にトチ迷うて、大それた事を起こさんのか知れまへんで。 
メンテ
贅六さんへ ( No.9 )
日時: 2016/04/02 14:00
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:zRnaURZI

>そやけど、あんさんが引用してはる「るいネット」たら言うサイト、あれほゞ完全に「カルト」でっせ!


贅六さんも、そのように感じられますか。
私も以前から、カルトの危険性があると言っています。

しかしながら、現時点ではカルトとは思いません。
人間社会の様相を詳しく解きほぐしているのですが、余りにも理屈っぽく、一般的には辟易するでしょう。

でも話されている内容は真面目で、現代人が省みなくなった様な真理の探求に努めています。
随分と以前ですが、私も何回か投稿しましたが、必ずと言って良いほど、誰かが問いかけてきます。

問題なのは、そうして練り上げた結論を、どのように用いるかです。

実際の我々の身近な法律で考えてみましょう。
色々な規制も、それを立法する時点では意味があり、国民のほとんどが望むことが多いでしょう。
ですが、一旦法律となると、あとは規則として、どのような場合でも、立法時点で考えられていた条件でなくても一方的に当てはめられます。

ヒットラーなどファシズムの台頭も同じようなもので、最初は納得していたものが、国民をあらぬ方向へ矯正してしまうと言うことです。

るいネットで飛び交っている理屈も、今はそれなりに意味があるのですが、これが集大成された暁には、国民の指標となり代わり、理論的独裁が始まる懸念があるのです。
そうなれば議論はなくなり、ただそれに従う事を強要されるでしょう。
それをカルトと言っています。

るいネットは巨大サイトの一つです。
それに参加している理屈好きな人たちは、そこまで解っているのでしょうか。

私も一時期、哲学書などを読みあさり、ああ言えば、こう言う状況で、議論上では好きな様に振舞っていました。
しかしながら、ある時期に、理論はあくまでも理論、人間社会には理屈抜きの直感と言うものがあり、その正しさの方が実生活では勝る場合が多々あると悟りました。

そこまで理解しなければならないのですが、学者バカ、ないし理屈屋と言われている人たちは、往々にしてそれがわかりません。
ですので政治は学者でなく政治屋がやらねばならないのです。

ところで、私はるいネットを引用していますのは、
カルト云々ではなく、現在論じられていることの内容で、共感するところがあるからです。

一つは「共認意識」の考え方です。
実際の書き方は、理屈っぽいにもほどがありますが、
要するに、私権に任せていてはダメだと言うことです。
私権と言うのは、民主主義の基盤となっている個人の権利、自由の概念の把握のことであり、アングロサクソン流の私権の捉え方に反対しています。
どちらかと言えば多神教社会にあるような、共生の概念の必要性を哲学的に説いていますが、いろいそな角度からの知識がないと、なかなか素直に、それが理解できません。

最近、紹介したのは、大きな発明、改革は、専門家よりもむしろ専門外の人の思いつきから始まると言った意見のことです。
また古くは天動説、地動説の問題、
ニュートンの万有引力
アインシュタインの特殊相対性理論
飛行機の制作など

その時代においては非常識であったものを実現させてきたのは。一般の合意ではなく天才的発想があったからです。
既成の理屈の限界とは、そのようなものなのです。

現在の経済の問題も、経済専門家の中から、これを解決しようとする人は出てこないであろうと言うことは、るいネットでなくても多くの人が指摘しています。

現代社会が抱える大きな問題について、理屈でむつかしく考えても、何も進展しないでしょう。
もとろん結果的には理屈も必要ですが、

まずは、一般の人々の思いのたけを集約することが大事と思います。
それを実現させるために、理屈が始まるのです。

もちろん、何でもかんでも、希望すれは実現する訳ではありませんが、みんなで考えて、このような社会にしたい、このような社会なら出来るであろうと意見を発信することです。

単純なことですが、実際にはこのようなことがされてはいませんでしょう。
私が言っている事、通貨の増刷も、現代社会では可能となっているのに、誰もそう言う想定をしません。
できる出来ないは、検証すれば良いのであり、そのために英知を集合すればよいのですが、初めから諦めています。

もちろん、これが常識であり、一般人の有り様ですが、革命時は、様相が変わってくるでしょう。
武力革命など希望しませんし、実際にこの革命は打倒する特定の独裁者がいません。

新しいかたちの社会の変革が必要なのですが、その為には一般の人々が、これでは行けない、何かできるはず、と言う認識が広がらねば成りません。

メンテ
Re: 「るいネット」から< 新しい社会のかたち ( No.10 )
日時: 2016/04/02 15:41
名前: 贅六@関西弁 ID:jia.gYPY

いや〜ァ、まことに冷静にレスして呉れはって恐縮でおます。

実、言いますと、あの“類ネット”の書いてる文章を詳しく読んだ訳ではおまへんのや。

もうずっと前にも読んだ事がおまして、その超保守的と言いますか、時としては極右とも取れる主張に、何や異様な感じを受けたんだすわ。 今回又あんさんが貼り付けてはるサイトを見てみたら、多少言い回しが婉曲に成ったかな? ちゅう感じがしましたが、何処かオカシいんだすわ。 てな事で、先の書き込みをした様な訳でおます。 

果たしてこの“類グループ”が将来どない成ってるか判りまへんが、今ヨーロッパでもかなり極右的な主張をする連中が増えてますんで、なんか不気味なもんを感じる訳でおます。

何しろ世の中が不況で閉塞感に満たされると、人間は排他的で暴力的に成る傾向がおますんでねェ。
メンテ
Re: 「るいネット」から ( No.11 )
日時: 2016/04/02 17:45
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:aDZczEnQ

四方とか、何とかいう師範格の論客がでかい面をしているでしょう。

一度、あいつらのいうことの根幹を揺さぶってやったことがあります(カルトにつながると)。

でも、まあ、多様な方面の詳細な資料を揃えているので、たまには、それを盗みに行っています。

るいネットの主催者は「類設計」と言う建築の設計事務所のオーナーです。

同じ設計事務所のオーナーと言っても、あちらは全国に名前が通っています。

このブログを作った思いは、糾弾掲示板の管理人と同じように、将来社会のために何かをしたいという気持ちからでしょう。

結果として変な方向へ進んでいますが、了解してやってください。

ここの管理人さんも、考え方は、結構右翼ですよ。
メンテ
Re: 「るいネット」から< 新しい社会のかたち ( No.12 )
日時: 2016/12/26 01:20
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:S8Zvs7uo

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