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[2279] 未来社会を考える < ヒットラーの予言
日時: 2015/05/27 18:33
名前: 天空人 ID:TUwY8d8w

ヒトラーの予言──2039年の未来図について

●以下は、ヒトラーが語った言葉(予言)である。
『1999年以後』(祥伝社)から抜粋


「…“2つの極”はますます進む。1989年以後、人間はごく少数の新しいタイプの支配者たちと、非常に多数の、新しいタイプの被支配者とに、ますます分かれていく。一方は、全てを操り、従える者。他方は、知らずしらずのうちに、全てを操られ、従わされる者たち。

しかも進むのはそれだけじゃない。人間がそうなるにしたがって、地球にも宇宙にも大変動が起こるのだ。1989年以後、人類には宇宙から、かつてないカタストロフィ(大破局)が近づくのだ。

若いころ私は、『我が闘争』に、いずれ人間が大自然から復讐されると書いた。それが1989年以後の状態だ。人間が思い上がって宇宙の自然を犯すため、宇宙が人類に復讐の災厄を下すのだ。そしてそれが人類を、想像を絶する究極の状態にみちびいていく。私が生まれてから150年後、21世紀に来る究極に。私自身もそれを霊感ではっきりと見てさえ、信じられないような究極に。」

「…(20世紀末は)たとえ表面はデモクラシーや社会主義の世であろうとも、実質はナチズムが支配していよう。デモクラシーの国も社会主義の国も、われわれナチスの兵器を競って使い、殺し合い、社会は私の望むとおり、強く支配する者と支配される多数者に分かれていよう。それは天変地異の期間でもある。人類は大自然から手ひどく復讐される。気候も2つに分かれ、激しい熱と激しい冷気、火と氷、大洪水と大旱魃(かんばつ)が代わる代わる地球を襲うだろう。」

「だからその中から『超人(ユーベルメンシュ)』が現われる。もはや普通の人間ではそういう危機を制御できない。それに対応するため人類は超人たちを生み、超人が世界や気候を、人間や戦争を治めることになる。
つまり天変地異の下に生きる多数者。それを支配する少数者。その陰で実質的に世界を操る超人グループ。これが、私の予知する21世紀の世界である。」

「しかし諸君、さらに重大なのは、私がいま、これを話している100年後のことだ。それを告げるためにこそ、私は今日を選んで諸君を招いたのだ。今日から100年後といえば、すなわち2039年1月25日だ。

諸君にはわからないだろうが、そのとき人類には真の究極の状況が起こっている。そのとき人類は──少なくとも、いま言っているような意味での人類は、2039年1月、地球からいなくなっているのだ。」

「それは諸君、何かの異変か大戦か災害のために、2039年、人類が残らず滅びるという意味ではない。たしかに、それまでに多くの大難が続けて起こる。1989年から1999年まで、世界は続けざまの天変地異と戦乱の中にあるだろう。そのため一部の恵まれた国を除き、多くの国が飢える。いくつかの国は崩れて燃える。毒気で息絶える街もある。

2000年以後は、それが一層ひどくなる。2014年にはヨーロッパの3分の1とアメリカの3分の1が荒廃してしまう。アフリカと中東も完全に荒廃する。結局、いまの文明は砂漠しか残さない。

しかし人類はそれでも滅びない。わがドイツの一部と米ソの中心部、日本や中国は深い傷を負いながらも生き残る。ただ諸君、それでも人類はいなくなるのだ。いまの意味での人類は、そのときもういない。なぜなら、人類は2039年1月、人類以外のものに“進化”するか、そうでなければ“退化”してしまっているからだ。」

「それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類から、より高度なものに進化して、神に近い生物になっている。人類から神のほうへ進化するのだから、それは『神人(ゴッドメンシュ)』と呼んでかまわない。

残りの大部分は、これも進化なのか退化というべきかわからないが、一種の機械になっている。ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的な、機械的な反応しか示さない『ロボット人間』になっているのだ。それまでの気候異変と環境異変、政治と娯楽と食物、それから起こる突然変異が、そのようなロボットのような人間を大量に生み出す。

神人のほうも同様で、同じ原因から生まれてくる。ただ突然変異が大脳にプラスに働いて、進化の方向がロボット人間と別方向になるだけだ。その前段階の『超人(ユーベルメンシュ)』たちも、より進化して神人になる場合がある。

いずれにせよ、彼らはいまの人間の数次元上の知能と力を持つ。彼らは団結して地球を支配する。それまでのあらゆる危機や問題は、彼ら神人たちの知能と力で急速に解決されていく。」

「ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。

ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。

こうして人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。
そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ。」


(引用終わり)

ヒットラーと言うイメージでは、このような思想を思い浮かべることはできません。
どこまで、真実であるか解りませんが、ヒットラーでなくても、このような歴史観があることは興味深く、また概ねは現代及び未来社会を暗示している様です。

メンテ

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通貨の価値(信用度) 2 ( No.119 )
日時: 2015/09/06 18:59
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:Gkng1MlI

お金の話。
お金は、最初は物々交換に変わって物資を手に入れる、都合の良い媒体として発生した。
初めの頃は、それにふさわしい貝殻などが、お金として使われた。

この時代は、簡単な目安であり、具体的な等価性は、あまり重要ではなかった。
また、通貨の量も、効果すべき商品の数にバランスしていればよかった。

時代が下り、封建領主など権力者が、自分のために商品を集めたり、事業を行うばあい、まずお金を集めることが必要になった。
そこで考えられたのは貝殻通貨などではなく、通貨、そのものに価値があるお金を作り、それを与えることで欲望を満たした。

貝殻をお金とした経済圏では、その申し合わせ、ルールを共有する必要があったが、通貨そのものに価値が有る通貨(主に貨幣)は経済圏を広めることになった。

お金の歴史において、この様な時代は、つい最近の200〜300年前まで続いてきた。
日本においても戦国大名が、こぞって金山、銀山の開発をし、それでお金を作り、自国の勢力拡大を図った(もちろん略奪と言う方法も有った)。
当時は、主に金、銀などの希少鉱物の価値を通貨の価値の目安としてお金を発行していた。

時代も変わって「金本位制」と言う制度ができたのは、経済圏が広く、大きくなり、通貨、そのものに価値あるものを使用できなくなり、通貨は通貨として発行し、その価値を金に変えて担保するという理屈でした。
その後の歴史は説明するまでもないでしょう。

ところで、最初のお金の量は、交換する物資の量とバランスが取れていれば良いだけのものでした。
ですので、通貨の価値を決める為の約束事も比較的容易で分かりやすいものでした。

金貨、銀貨、銅貨の時代も、通貨の価値としては比較的安定していました。
資本主義が発達してきて、商圏が広がると共に、通貨の価値の担保のことが問題となり、また通貨自身の発行が、信用創造の通貨の発行の量が予想外に多くなり、実際の商品、サービスの量と通貨の量のバランスと言う問題は空虚な概念に取って変わられた。

結果、現在では次の様な捉え方となっています。
これでは、我々の実際の生活のことが、どこで考えられているか、解りません。

【総生産:】

【(A)分配面からの所得=】

雇用者所得(消費+貯蓄+税)
企業所得(消費+貯蓄(企業の場合は内部留保・営業余剰+税)

(註1)この税は=政府所得になります。
(註2)固定資本減耗=所謂減価償却費は、企業内部留保とみなし、営業余剰に含ませて、項目省略によってすっきりさせます。 

【(B)所得の支出=次のように分解されます。】

民間最終消費
企業最終消費
政府最終消費
総固定資本形成(民間投資+政府投資(所謂公共事業費)
在庫品

(A)=(B)ですから、両辺から消費を相殺しますと、
(S)貯蓄+税=(I)民間投資+政府公共事業となります。

この(I)投資=(S)貯蓄が、ハロッド・ドーマー定理のミソで、これをISバランス
と言います。S>Iの場合はまだ投資出来る、S<Iの場合は、投資不足で国内での
財源が不足を意味し、海外からの投資を要請するケースとなります。

我が国現状ではまだ(S)>(I)の状況にあり、投資の余裕はありますが、これが財政赤字に消費され投資国債になっていない。

(引用おわり)

一方で、投機マネーをいうものが出回り、ますます、通貨の概念を変えています。
また、生産技術の発達で、商品と通貨の価値関係の変化も著しく、通貨に一定の価値を与えると言う発想そのものが変質していると思います。

要するに通貨の概念を根底から変えても良いのではないでしょうか。

実際に現在の通貨は、我々の生活の範囲で捉えている面とは、まったく異なる様相を持って流通しています。
そうして通貨の管理と言っても、その途方もない現象を相手にしているだけで、我々自身の生活における、キャッシュフローの問題など見ようとしていません。

現在の通貨管理制度では、このようにしかならないのです。

これに対して考えられるのは、通貨を生活手段として、物資の配分の為の道具とすれば如何でしょう。

要するに、普通は通貨は経済活動によって生じる権利なのですが、経済活動を伴わなくても、通貨を配分するということです。
そういう通貨の管理も通貨管理と見なくてはなりません。

もちろん、現実の経済活動がある限り、経済活動の成果としての通貨の取得はなくてはなりません。
一部ではありますが、通貨とは、必ずしも経済活動に寄らなくても配分されると言う概念を取り入れることです。

簡単に言えば、ヘリマネの動機です。
通貨、そのものの概念が変質している現在、新たな概念の構築も、現代の矛盾を解決するために必要なのではないでしょうか。

通貨の増刷(ヘリマネ)によって経済の仕組みが変わる、云々よりも先に、これが可能か、否かを検証する事も必要でしょう。





メンテ
お金とは! ( No.120 )
日時: 2015/09/06 23:08
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:Gkng1MlI

ここで別の角度から、通貨について考えてみましょう。

以下はネットからの検索です。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1452988414

>その1

結局、お金とは何なのでしょうか?
多くの人が、お金持ちになりたいと思っている。

そして、お金が貯まると、それを守ろうとする。

金庫を買ったり、防犯カメラを買ったり、資産を分割して複数の投信や銀行に預け、また増やそうとする。

強盗が来ないかと不安にもなる。

逆に、お金がないが為に命を絶つ人もいる。

汗水流して貯めたお金が、本当に価値があるとも考え、

差金取引等の金融商品で儲けた人間のお金を、マネーゲームで儲けただけだという人もいる。

お金って何?

確かにお金がないと、物の価値が分からない。

単に、その価値の判断材料だけに過ぎないのかも知れない。

でも、それならば、お金がなく死んでいく者の魂?気持ち?は、何なのだろうか。

皆様のお金に対する考えを聞かせて下さい。

どんな事でもいいです。


>その2

私にとってお金は情報です。
結局、お金はその額面で何が買えるかが分かる情報でしかないんです。
そのシステムがあるからこそ物を買うことができると思うと便利なものです。

幸せだったときはお金をたくさん使ったときではなく、学生時代のお金がない時代だったとも思います。
お金は欲しいと思いますが、お金があることで幸せになれるとは思いません。

情報をどう判断するかはその人それぞれで違うと思います。
お金がなくて惨めだと思うのはその人自身ですし、どの程度がお金がない状態なのか判断するのもその人です。

勝手な考えですが、お金こそ全てにおいて最強です(ガキっぽい表現ですみません)。なぜなら、お金で買えない物は無いでしょう。人の心(考え)すら、お金で左右されます。政治家、弁護士、警察官、どんなに社会的地位の高い人でもお金にはかないません。綺麗事を言うつもりは全くありません。そんな私、今は貧乏生活ですが、いつの日か大金持ちになりたいものですね。


>その3

私はお金とは、価値を表すものでしかないと思っています。
価値を何かにたとえるのは難しいので、紙切れやコインで価値を表現しているだけです。
お給料にしてもそうですね、他に表現して人にあげられるものがないから、お金を使って賃金として払っているわけです。

でも、お金も価値をなくすときがくるかもしれません。
だから、20代で1000万貯めただの、30代で3000万貯めただの、知恵袋で自慢している人は、
価値を人に預けて安心しているだけなんですよね。使っていない。
使わないと意味がないんです。
ただの紙切れになる日がいつなのか、そのあたりは誰にもわかりません。
だから、貯金しつつ、使わないと、価値を有効活用していないことになります。

そしてその価値よりも大切、財産になるものは「知恵」です。
お金の価値が0になる日はあるかもしれませんが、「知恵」だけは残ります。
ですから、通帳にお金を貯めるのではなく、自分に知恵を貯めることが一番の財産になると思いますよ。
それをせずに、ただやみくもに貯蓄額を増やして満足し、自慢している人は、
おろかと言わざるを得ません。

>その4

お金=道具に過ぎないと私は思います。


人は、何故金を残すのか?それは、『自分が生きた形を子孫に残したいから』です。

日本人は間抜けな人類。

『お金』や『家』など、残して死ぬから、遺族が争う。
私はそういう場面を何回も見てきた。
お金に振り回されるのではなく、お金を支配できるように学習しなければいけません。
ある程度金がたまると、強欲な人間は、「守り」に入る。

本当の金持ちは「社会貢献」するのに使う。出さないとお金は入ってこない。
使わないで守りに入っているのは「小金持ち」です。
私は自分で汗水たらして稼いだ金を子孫には残す気持ちはありません。葬式代を覗いた分は、全部使いきります。

>その5

う〜ん、個人的にはデバイスって表現のほうがしっくりくるな〜。厳密に言えば総資産を構築するアカウントがデバイスになるのだろうけど。

無論、貨幣としてのお金の概念と通貨としてのお金の概念があるのは理解できるでしょう。金は確かに資産ですが、通貨は基本的に現代では中央銀行の負債を示す証券と考えることもできるでしょう。(少々証券の定義からずれますが)

通貨には一般に強制通用力があります。お金が無いということは債務を消滅させられないと言うことです。債務不履行を起こせば社会的信用を失うことでしょう。一般に債務は同意がない限りなくなりません。加えてみれば、確かに債務を免除することを示せなければ永遠と債務者なわけです。あなたがいくらダイヤモンドでおにぎりを手に入れようと思ってもそれはむりなのです。おにぎりには128円と言う値段がついていますが、ダイヤモンドには128円の債務を消滅させるだけの力がないのです。ゴールドバーを10個積み上げても同様です。スイカの10円の電子情報の支払いでうまい棒が買えるのは、コンビニの店員さんが仕方がないから債務を消滅させてあげようという慈悲で成り立った契約に過ぎないのです。

>その6

お金はただのツール(道具)です。
人間が作り出した一番バカバカしい道具です。
節約のカテゴリでこんなこというのは乱暴かもしれませんが、率直な思いです。

お金を必要以上に崇めたり、執着したり、あるいは汚い物と思ったりするのはお金に振り回されているだけです。
お金は特別でもなんでもないです。

しかし道具は使いこなさなければ、意味がありませんから、
「お金なんてなくても平気さ〜」なんて言って努力しないのはナンセンスです。

>その7

お金とは信用です世界中にお金がありますが
国が破綻すれば
信用がなくなり
紙屑になります

昔は物々交換でした
その時代から
コレと交換するならコレみたいにだいたい決まってましたが

それだと
流通に手間がかかるため
お金を作りましたが
最初はあまり信用が無くお金が定着するまでに時間がかかりました

いまでも常に世界中で為替や両替が行われますが
全ての紙幣では価値が違います
それは信用の違いです

>その8

私の感覚ではお金は手段ですかね
お金が必要な人は稼げばいいが必要のない人には
特別多くはいらないもの

使い道があるなら稼ぐべきです
シンプルな答えは物々交換のかわりですよ

(引用おわり)

たわいのない意見ですが、みなさん、既に「お金」と言う存在を神の様に受け入れています。
お金と言うものが、どこからもたらされるかについてば言及しません。
そうではなく、得られたお金の使い道に興味があるようです。

もちろん、財産の相続か、誰かに贈与されるか、もしくは銀行強盗もそうでしょうが、それ以外は働くことによって得られるものと、働かねば得られないものであることは承知しています。

国家から与えられるなどとは、誰も思い浮かびません。
メンテ
お金とは! ( No.121 )
日時: 2015/09/06 23:11
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:Gkng1MlI

以下の意見は「お金」と言うものを、経済学的に説明したもので、内容は変わりません。


お金とは、人間社会において、欲しいものや必要なものを手に入れるために使われる物体及びその概念である。また、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」の機能を持つ。浪漫ともいえる。人が生きていく上で重要な要素の一つでもあり、命そのものとする人もいる。人間が一生を懸けて追い求めていく存在、それがお金なのだ……。
「お金そのもの」は単なる紙や金属であり、大した価値は無い。加えて日本のお金は不換紙幣、つまりその紙幣が示す金額の金(金属の「きん」)との交換が保証されていない。普段は意識しないが、「お金」の価値は、自分を含む皆が「お金はその同額のものと交換できる」と信じ込んでいてこそ発揮されるのである。
現在の「不換紙幣」は各国政府がその価値を保証するから皆がその価値を「信じ込む」ことができる(米ドルの信用が高いゆえんである)。その政府の信用がなくなるとジンバブエドルのようなパニックに陥り、最悪の場合ただの紙切れや金属片になってしまう。


お金が存在しないとどうなるだろうか?想像してもらいたい。
もし、あなたがお金が無い世界で生きていこうとすると、生活に必要なもの(家、食料、服、日用品などなど)を自分で作らなければならない。毎日毎日、膨大な時間をそうした生活必需品の製造と維持に費やさなければならなくなる。しかし、それでも手に入らないものもある。例えば、海や川から遠く離れた地域に住む人は、どうしても魚が手に入らない。逆に、川や海の傍に住む人は山菜などは手に入らない。そこで、両者の間でまず原始的な物々交換が行われた。しかし、もし山の人が魚ではなく塩を欲しがっていたらどうなるか?魚を持って行った人は山菜を手に入れられず、魚もその間に腐ってしまう。

そこで、物々交換をよりスムーズに行うためにお金という概念が生まれた。まず、製品に金額を決めたり(価値の尺度)、お金を持っていれば商品と交換してもらえるという暗黙の了解が作られた(交換の媒介)。また、食料品などはいずれ傷んでしまうので、お金(金属とか紙とか)に交換しておくことで保存できる(価値の保蔵)。 お金があるおかげで、我々は重い商品を運ばずに、軽くてかさばらないお金(現在ではより「軽い」クレジットカードや電子マネー)を持ち運ぶことで、他人の作ったものを容易に手に入れられる。お金とは、価値のあるモノを繋ぐ潤滑油のような存在なのである。

お金が誕生したことで、分業がより容易になったことも忘れてはならない。分業が進んだことで、個人はより多くの自由時間を手にした。これは、「鍛冶屋は食欲を満たす為に、自分でパンを焼く必要が無い。」という言葉で端的に表せるだろう。
なお、よくお金があるから貧富の格差ができるのだ、と言われるが、これは貨幣という概念ができる以前に「物の貯蔵・貯蓄技術」が生まれた時点ですでに格差は発生しているので論じる意味はない。

メンテ
マルクスの「お金」 ( No.122 )
日時: 2015/09/06 23:50
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:Gkng1MlI

今まで、貨幣そのものについての検証は出来てなかったが、マルクスのそれは、そうではない。

>マルクス経済学。労働価値説には下の様に書かれている(ウィキペディア)


マルクス経済学では、価値=貨幣ではない。発展した商品生産社会では、すべての商品の価値は貨幣の一定量によって表現されるが、このことは価値=貨幣を意味しない。たしかに、貨幣はいかなる商品とも交換可能であり、すべての商品の価値を表現できる一般的等価物である。ここから、貨幣そのものが価値である、とする観念が生まれる(貨幣の物神性)。

マルクスによる貨幣の説明はこうである。どの商品も、自分の価値を単独で表現することはできず、等価関係におかれた他の商品の使用価値量でしか表現できない。ある商品の使用価値量でもって、他のすべての商品の価値を表現するとき、この特殊な役割の商品が貨幣となり、貨幣の役割をする商品には、他のすべての商品との交換可能性が与えられる。したがって、貨幣とは、社会の諸商品の価値を統一的に表現するために、ある商品に与えられた一般的等価物としての役割である。歴史的には、金 (gold) が貨幣の役割を担ってきた。貨幣に一般的等価物の役割を与えて、貨幣の使用価値量(金ならばその重量)でもって、他のすべての商品の価値を表現させ、価格表現を可能にさせるのは、商品生産社会である。したがって貨幣も社会的産物である。

マルクス経済学における商品の価値とは、商品生産社会で必然的に発生する社会的観念である。等価交換の基準となる価値という社会的観念の存在は、商品の生産に必要な労働量によって、商品の交換価値または価格の変動が規制されることを意味する。これが価値法則である。貨幣商品の使用価値の一定量として、商品の価格として表現されるところの価値、直接には目に見えず価格として現象しながらも、価格の変動を規制する法則としての価値、これがマルクス経済学における価値である。


そうして、労働価値説では。


マルクスによれば、商品は二つの価値、すなわち消費することによって直接人間の役に立つ(消費者の精神的・肉体的欲求を満たす)という意味での使用価値 (use-value)、他の商品と交換可能であるという意味での、交換可能な他の商品との量的比率で表される交換価値 (exchange-value) をもつ。なお、貨幣(money)の一定量として表現された交換価値が価格 (price) である(貨幣については後述する)。この交換価値または価格の本質が、価値である。
商品生産社会においては、(存在する場合には貨幣媒介として)二つの商品が交換される際には、等価交換が原則となる。すなわち、人々は交換される二つの商品が等しい価値となるよう意識し、これが商品交換を規制する。したがって、価値とは商品生産社会に必然的に発生する社会的観念である。

では、二商品が等価であるとは何を基準として測られるのか。言い換えれば、価値の実体は何か。それは商品の生産に費やした労働の量、しかも、使用価値を生産するための労働の具体性を捨象した、単なる人間の労働力の支出としての抽象的人間労働の量である。この量は客観的に、その商品を生産するのに社会的平均的に必要な労働時間によって測られる。マルクス経済学は、商品の価値は、商品生産に必要な労働量によって客観的に決まるとする労働価値説を古典派経済学から継承している。

(引用おわり)

マルクスは、貨幣根拠は労働によって決まるでと言っています。

でも、まあ、それは一般的に働かねば貨幣を得られないという事と実際には変わりはないのですが、通貨を単なる交換手段としていた従来の通貨の概念とは異なります。

その延長で考えれば、労働したくても労働する機会がない人たちに、通貨はどのように分け与えられるべきかの問題を提起することになります。

要するに、近代福祉国家は、国民の生活を守ることが使命であり、我が国の憲法にも勤労の機会を保証すると謳ってあります。
通貨の根拠が労働であるなら、労働ができない人たちに国家は責任をとり、生活の為の通貨を分け与える義務が生じます。

これが従来のように通貨が単なる物々交換の媒体(経済行為の中から生まれる)であれば、そうは行きません。

>マルクスは、貨幣根拠は労働によって決まるでと言っています。

>でも、まあ、それは一般的に働かねば貨幣を得られないという事と実際には変わりはないのですが、

先に、このように言いましたが、その考えかたの違いが問題なのです。


>(お金が)国家から与えられるなどとは、誰も思い浮かびません。

先のレスで、上の様に言いましたが、マルクスによって、小さいながら、従来の観念に風穴を開けることができました。

メンテ
通貨の価値(信用度) 3 ( No.123 )
日時: 2015/09/07 12:52
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:kjisfH5s

ここ何回か、お金とは、どのようなものかについて話しています。

そのような事を言われても、お金のことなど十分に分かりきっていること、と思われるかもしれませんが、実は言いました様に、お金とは、約束事が守られなければただの紙切れ。

そのような紙切れでも、手に入れようとすれば、懸命に働かねばならない。
また昔はともかく、現代の生活は、金がなければできないことが殆どになっている。

お金の流通は経済のルールとしてあっても、実際の人々にとっては、ルールなどと言ったものではなく、生きること、そのもの。血や空気と同じであり、1ヶ月も金を止まられると生きてはいけないものとなっている。

経済のシステムに変調がきたして、お金が満遍なく循環しなくなると、たちまち死活問題になる。
その経済のシステムに欠陥が生じると、その影響を受ける人たちは生きてはいけなくなる。

国家と経済の関係であるが、経済は人間の本能のおもむくままに進行する無機的な存在。
経済そのものに人情なく、共生の意識もない。
弱肉強食の論理があるだけ。

国家の使命はそうではないであろう。
共生のために集まった地域的集団のはずであり、近代国家と言われるものは、福祉制度を掲げ、国民の人権を保証するものである。
で、あるならば、経済の欠陥で生きることができなくなった国民を救済する義務があるはず。

もちろん、従来も、そのような形で経済のシステムの欠陥を補完してきた。
だが、グローバル化の影響は、その欠陥の内容の質が違ってきている。
救済しなければならない人々が量的に、従来の社会保障では対応できなくなってきている。

その事を、国家として十分に認識を新たにする必要があるのである。
民主主義国家と言うことは、国民自身がそれを認識する必要があるのである。

経済の流れの中で、お金を手に入れることができなくなった人たちに、一定の生活費を支給する事を考えるべきであり、それは施しでも何でもないのである。


<新しいお金の概念>

お金と言うものは、個人の労働に対して与えられるものであり、仮に職につけなくても、その能力を有し、働く気持ちのある人たちはお金を受け取る権利があり、国家がそれを保証するということである。


※ ただし、実際の労働を省略してお金を配分することは、別途、精神的な不都合を生じるのも人間性の特質であり、それも考慮して、国家はその人たちに経済活動の機会を与えることにより、お金を確保できるようにする。
これが雇用の為の公共事業を必要に応じて国家が発注する所以である。


現在の経済、及び経済専門家、国家を含む金融当事者は、お金をマクロ的に受け取ることよりしないで、通貨の管理ばかりに精を出している。

お金の本質を見ようとしない連中は、何のために施策をやっているのか。
もちろん、お金を集めることに汲々としている資本家のためにやっているのである。

そのような奴らに経済の舵取りを任せては置けない時代が到来したのである。
我々ば何のために国家を作ったのか。
政治があるのか。

この様な観点から、考えないと現在社会の矛盾、グローバル化のともなう問題の解決はできないのである。
お金の認識は、その為の第一歩。

通貨の価値(信用度)などは、通貨管理上のルールに過ぎなく、それよりも通貨の配分の問題を捨て置くことが問題である。

現在の金融制度など根底からくつがえす気持ちでないと、改革など出来ません。
メンテ
通貨の概念<新しい経済の仕組み ( No.124 )
日時: 2015/09/08 13:53
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:LdpPne.o

前回、下記の様な定義つけをしました。

>お金と言うものは、個人の労働に対して与えられるものであり、仮に職につけなくても、その能力を有し、働く気持ちのある人たちはお金を受け取る権利があり、国家がそれを保証するということである。

これに即して考えれば、お金の価値と言うものは、労働者が1日、7時間働いて得られるお金で、普通の生活が出来る程度のものでなくてはならない。

例えば、平均的な労働で平均的な能力を有する労働者の賃金を、10000円とした場合、その1万円で、食費、住居費、光熱費、医療費、少々の娯楽費に充当できるものでなければならない。

それが通貨の価値基準であり、通貨を管理する国家は、その価値を担保できる様な施策をとらねばならない。
当然、インフレが起きないようにしなければならないし、起きれば対処しなければならない。

通貨の発行量に関する制約は、その国の国民が生活する上で必要なもの以外に、社会全体の進歩、発展の為の先行投資も、それがインフレを起こさない限り、良いものとする。

そうは言っても、至上主義経済のシステムは、人間社会のためにも必要な制度であり、金融機関が信用創造によって増やす通貨の制度は、これを保持する。

通貨の発行を国家の手によるということは、この通貨の概念により確立出来る。
これ以外は、概ね従来の通貨管理のシステムは有効であるが、ただ一点、投機の為の通貨の増刷は、認めない。
投機行為にも国家としての制約をする。

以前から言ってきましたが、通貨の新しい概念の構築こそ、まず先にありきであるのです。
それによって、金融理論も少しは修正されるでしょう。
これが修正資本主義の中核の考えかたです。

30兆円の公共事業と20兆円の基礎年金の財源を通貨の増刷で賄うと言う施策は、この延長で考えられることです。
目標が定まれば、細かい規定、理論は、これを成就するために考えれば良いのです。

現在のシステムも、単なるルールです。
新しいルールができないはずはありません。

ただし国家を介入させるとなれば、それは政治の問題であり、民意の問題です。
それが了解されれば、通貨管理の上で、一番厄介な、インフレを抑制するルールも出来ると思います。
これこそがグローバル化の悪影響に悩む現代社会の進むべき方向ではないでしょうか。

また、既存の政党には、この様な考えを持つものがありません。
新しい経済、未来社会の構想さえないのですので、それも止むを得ないかもしれませんが、こうした理論を確立し、政治がそれに向かって進むようにしなければなりません。

そうでなければ現代社会がかかえる矛盾は何時まで経っても解決できず、ますます破綻に向けて歩みを進めることになるでしょう。

>30兆円の公共事業と20兆円の基礎年金の財源を通貨の増刷で賄うと言う施策は、この延長で考えられることです。

我が国において、この様なことができないはずはないのですが、確固たる方針が定かでないために、誰もがやろうと思いつきません。

しかしながら、それを阻害している強大な勢力があることは、別途解決しなければならない問題です。

特定の政治家、学者などが言い出せば、たちまち暗殺の対象になるこの問題も、国民の総意と言うことなら切り替えもできるのです。

長くなりましたが、一連の未来社会の構想は、これで終わりとします。

>30兆円の公共事業と20兆円の基礎年金の財源を通貨の増刷で賄うと言う施策

の具体的な検証は、まだまだ必要かと思いますが。



メンテ
未来社会の経済学<まとめ編 ( No.125 )
日時: 2015/09/11 20:17
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:/0gTH3JQ

以前にも触れた様に、経済学は自然科学でも人文科学でもない、論理学、数学の様な形式科学とされています。

実際には、社会学、哲学、政治などを含む人文科学の要素があります。

今日、経済が政治を通り越して一人歩きし、そのために社会的な矛盾が起きていることは承知されているはず。

ですが政治は経済の分野の根本に触れることなく、景気の問題としてのみ対応することを余儀なくされています。

経済的な弱者を社会福祉で救済することが政治のように思われています。

もっと進んで、政治が経済の基本をコントロールすべきではありませんか。

それは国家が経済活動の参加することを意味しているものではありません。

経済のあらゆる分野に口を出すことではありません。

経済に社会学的な要素を注入することです。

経済学とは、本来、人文科学の分野で考えられるべきものではないでしょうか。

その中の経済学であるべきであります。

具体的には通貨発行権を国家が握ることによって、経済の中に社会学的な要素を取り込む事ができます。

通貨発行権が国家にあるものとして考えれば、色々なものが見えてくるでしょう。

国家が通貨発行権を持つことの弊害は古くから指摘されていて、中央銀行制度ができたものですが、完璧に中央銀行が独立した存在かと言えば、そうでもありません。

本来、あるべきものを強引に仕分けしてしまっているので、実際には、国家の使命も果たせなくどこの国でも、止むをえず、国債発行などの領域で、国家と馴れ合い関係はあります。

このように、陰でこそこそやっている程度では、積極的な、必要な経済の施策を打ち出せません。

また、中央銀行制度は、いかにも公正中立の立場のように思われていますが、ここにこそ、金融資本の暗躍の要因があるのです。

ロスチャイルドが世界の中央銀行のほとんどを牛耳って、巨大な利益を得ているように言われていますが、中央銀行の決算の中にはそのようなものは出てこないでしょう。

実際には中央銀行の施策をコントロールすることによって、市場の動きを先取りし、為替、株などの領域で莫大な利益を得ているのです。

ですので、何かあると世界中が大騒ぎすることが、彼らには必要な環境なのです。
各国の財政が逼迫し、何らかの形で通貨の増刷をしている事も、金融マフィアにとっては願ってもない、環境なのです。
表向きの通貨の増刷には触れませんが、結局は、通貨の価値、云々を主張し、税金により支援金を出させることで、国民の資産で補わせようとしています。

通貨の発行権が国家にあれば、金融マフィアの暗躍の場所はなくなるのです。


要するにロスチャイルドを筆頭とする巨大金融資本は、究極のインサイダー取引によって利潤を上げていることになります。

リーマンショックの時でもギリシャ危機でも、必ず、為替、株価は2度や3度は乱高下します。

奴らは巧妙に、それを引き起こし一般の投資家、国家を巻き込んで、自分たちは利潤だけが残るようにしているのです。

どうせ中央銀行制度とは、この様なものなのです。

それよりも、通貨発行権を国家のものとし、それによって起きる不都合を政治の力で解決していく方が、よほど理にかなった方法であります。

以上、色々と書いてきて、現在の金融システムを論理を否定できる数式的証拠は提示出来ていませんが、現在の金融理論の矛盾を追求する状況証拠は山ほど揃っております。

世界中の人々は、勇気を持って審問にかけるべきであるのです。

また新しい経済の論理を構成する数式的なルールも、その気になって考えれば、必ず成立させることができます。

アダムスミス自身が、言っているように経済の大きな領分は「神の手」に委ねられているのです。

ですから、その後に続く、どのような経済論も、経済の事象を完全には捉えてはいません。

そのほんどが仮定の話ですし、経済の事象を後から追認する程度のものです。


現代経済学は最も数学を取り入れていると言われていますが

以下の数式、そのものが、応用の式であり、加減乗除のように絶対的な帰結を生むものではありません。

物理学のように、それで持って、可能性を予測するのは良いでしょう。

しかしながら、論理というものは、実社会においては、最終的には、それを結果として、正義として押し付けるようになるものです。

実際の生活を対象とする経済学においては、その数式の用途を可能性の問題として取り上げていれば良いのですが、ここから政策の方針を導き出します。

その矛盾が現代経済学が実態を現していないことにつながります。


琶=0n−1(a+id)=an+n(n−1)d2

•変分法: calculus of variations

maxx(t)∫T0F(t,x(t),x˙(t))dt

オイラー方程式: Euler equation [必要条件: the necessary condition for optimization]

∂F∂x−ddt(∂F∂x˙)=0

•ハミルトン関数: Hamiltonian (function)

maxx(t)∫T0F(t,x(t),y(t))dt




ですので、私は以下の経済学的数式も参考程度としか考えません。


【(A)分配面からの所得=】

雇用者所得(消費+貯蓄+税)
企業所得(消費+貯蓄(企業の場合は内部留保・営業余剰+税)

(註1)この税は=政府所得になります。
(註2)固定資本減耗=所謂減価償却費は、企業内部留保とみなし、営業余剰に含ませて、項目省略によってすっきりさせます。 

【(B)所得の支出=次のように分解されます。】

民間最終消費
企業最終消費
政府最終消費
総固定資本形成(民間投資+政府投資(所謂公共事業費)
在庫品

(A)=(B)ですから、両辺から消費を相殺しますと、
(S)貯蓄+税=(I)民間投資+政府公共事業となります。

この(I)投資=(S)貯蓄が、ハロッド・ドーマー定理のミソで、これをISバランス
と言います。S>Iの場合はまだ投資出来る、S<Iの場合は、投資不足で国内での
財源が不足を意味し、海外からの投資を要請するケースとなります。

我が国現状ではまだ(S)>(I)の状況にあり、投資の余裕はありますが、これが財政赤字に消費され投資国債になっていない。
メンテ
Re: 未来社会を考える < ヒットラーの予言 ( No.126 )
日時: 2015/10/17 11:45
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:WIy2aE.g

TPP交渉も妥結した。

どこまで進む経済のグローバル化。

本当にグローバル化が望まれる時代であれば、TPP交渉など、もともと無用。

格差がある状態で、強引にグローバル化を要求するのは、強者の論理。

強者は、強者であるために、強者の常として恫喝を行う。

弱者は身を守るために、渋々従う。

その恫喝であるが、ヤクザと違うのは、一方で果実をちらつかすことである。

それが、アングロサクソン流。

宗教改革を経て、市民権を得たキリスト教徒(ピューリタン)は、キリスト教の影に隠れて己の経済的強欲を正当化し、世界の秩序などには目もくれない。

弱者等は、自分たちに従えば良いと考える。

現在の経済の仕組みは、彼らが作り上げたもの。

都合の悪い事には、民主主義(飽くまでもキリスト教的民主主義)は、個人の権利を最優先させる。

アングロサクソンの思うツボ。

奴らは、インテリヤクザであるのだ。

こんな奴らに対抗するには、どうするか!

アングロサクソン流に冒された世界を覆す事ができるのか。

それは、もはや文明史的転換が必要である。

パラダイムチェンジが必要である。

我々に、それができるか!

民主主義も資本主義も

根本から問い直さねばならない。

それが未来の社会である。

ユダヤを迫害した

あのヒットラーが

冒頭のような考えをもっていたとは

驚き、桃木、山椒の木!
メンテ
未来社会を考える < トインビーの予言 ( No.127 )
日時: 2015/10/21 21:27
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:GDGXZfZc

掲示板のトラブルで、このスレッドの結論的な部分が消滅しました。
少しづつ復旧したいと思いますが、同じ方法も窮屈なので、アプローチを変えて見ます。



トインビーは、「基軸時代」に現れた高度宗教では、「究極の精神的実在」が求められた、ここにこそ人間の「破壊的な自己中心性」を克服し得る手がかりが与えられていると説きました。日本の神道は、こうした高度宗教の中には数えられていません。しかし、トインビーは、日本の神道に対しても期待を寄せています。

 1974年(昭和49年)、日本の国際PHP研究所は、晩年のトインビーの論文を編集し、『日本の活路』を刊行しました。本書でトインビーは、文明史的な視野から、現代世界で今こそ必要なものについて、次のように訴えます。

 「最初は、人間は自然の奴隷でした。いまでは人間は、自分自身の技術の奴隷です。しかも、人間にとって、人間の技術というものは、かつての自然よりもはるかに恐るべき主人なのです。これこそ、人間が直面している現在の実際にほかなりません。それはまさに新たな精神的復興を緊急に必要としている苦境ということができます」と述べています。

 そして、トインビーは「西洋がどうしても学び、心に留めなければならない教訓を、東洋は持っている」として、その一つに「人間と人間以外の自然との本来の調和を取り戻す方法」を挙げます。トインビーは、日本は、「その固有の宗教と哲学の中に、現代人の自然からの疎外に対する、貴重な矯正手段を持っている」と述べ、神道に注目すべきことを説いています。

「神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説きます。神道によれば、自然は神聖であり、侵すことのできない権利を持っています。人間には、そうした自然の権利を尊重すべき宗教的義務があるのです。そして、もし人間がそうした権利を侵したら、その報いを受ける、とされています。日本国民は、自然の汚染によって、すでに報いを受け始めました。彼らは自然を怒らせ、自然に報復を余儀なくさせることによって、わざわいを招き寄せました。しかし彼らは、実は神道の中に、そうしたわざわいに対する祖先伝来の救済策を持っているのです」

 「自然と調和して生きることは、人間が生き残るための必須の条件です。これはまぎれもなく神道の教えにほかなりません」

 そして、また次のように述べています。

 「どん欲ではなく畏敬こそ、自然に対する私たちの態度を支配する感情でなくてはなりません。明日への挑戦は、神道への復帰です。西洋の見地からいえば、キリスト教や回教以前のカナン人、ギリシャ人、ローマ人の、宗教への復帰なのです」

 「技術は、全人類に対して同じ精神的挑戦状を突きつけました。私たちは、精神のルネサンスを達成することによって、この挑戦にこたえなければなりません。もし私たちが失敗すれば、人類の前途そのものが暗いものになります」

人類の精神的ルネサンスを達成するために、トインビーは、神道への復帰を提唱しました。神道の復興は、日本にとっても、また西洋諸国にとっても、さらに人類の生存のためにも必要だと訴えたのです。(

 私は、トインビーの偉大さの一つは、それまでの「世界史」が西洋人の視点で書かれたものであることを暴いたことにあると思います。キリスト教徒による十字軍の栄光は、ムスリムから見れば、侵略者の収奪であり、異教徒の暴行である。トインビーは、そのことを、西洋人で初めて公言しました。トインビーは、文明の東西、そして南北を、ともに公平に見る視点を、文明史観の根底にすえました。そして、人類史の次の段階では、西洋は東アジアに主導権を譲り渡すことになると、20世紀半ばにおいて大胆に予測したのです。

 トインビーの歴史認識は、西洋中心主義ではありません。彼は、世界の歴史は複数あり、西洋の歴史は世界の歴史の一つにすぎないと考えました。トインビーによると、16世紀から19世紀までは、西洋諸国がその科学文明を使って、世界を一つにした時代でした。西洋文明は一見、世界を征服したかに見えますが、征服したのは、たかが物質文明だけであって、精神的な原理まで支配することはできていない。今まで西洋文明に征服されていた他の文明が、西洋文明に反撃を加える時期が来ている、とトインビーは洞察しました。

 1947年(昭和22年)に、トインビーは、百年後の世界を予測して、次のように書き記しています。

「西暦2047年の将来から現代をふりかえってながめる未来の歴史家たちにとって、20世紀を特徴づけるものは西洋文明がその他の世界のあらゆる社会に加えた衝撃ということであろう」と。

● 資本主義の精神へのユダヤ教の影響


 神の栄光を増すための「道具」として勤勉に働き、倹約に努めれば、結果として利潤を生む。資本が蓄積される。一旦、資本が形成されると、資本は利潤を要求し、利潤を上げるための経営をしなければならなくなる。

 近代資本主義の特徴の一つは、複式簿記を土台とした合理的な産業経営にある。企業は、明確な数値目標を設定し、目的を実現するために、具体的な計画を立てる。さまざまな資材、労働を効率的に組み合わせ、利潤を最大にすべく計画・実行し、その結果を数値的に確認する。近代資本主義は、こうした形式合理的な態度によって、目的合理的な産業経営を行うことを最大の特徴とする。

 産業資本の形成によって、資本は、利潤の獲得を目的とした価値増殖の運動体に転じた。資本の価値増殖運動は、人間の欲望を拡張する活動である。資本主義の機構を生み出した宗教的な倫理は忘れられ、利潤の追求が肯定されて、価値観が大きく転換した。人々は来世の救済より、現世の利益を求める。もはや宗教的な禁欲ではなく、富と快楽を追求する欲望こそが、経済活動の推進力となる。


 ここで注目すべきは、ユダヤ教の影響である。この点は、本稿とは別に主題的に検討する予定なので、ここでは簡単に述べる。

産業資本の確立期以降の資本主義の精神は、キリスト教よりもユダヤ教に近いものに変貌している。ユダヤ教は、現世における利益の追求を肯定し、金銭の獲得を肯定する。プロテスタンティズム的な「世俗内禁欲」とは正反対の価値観である。そして、ユダヤ教的な価値観が非ユダヤ教徒の間にも広く普及したものこそ、今日に至る資本主義の精神だと私は考えている。

近代資本主義は、産業資本の形成をもって、初めて資本主義となった。産業資本が出現する以前、資本は商人資本、高利貸し資本という形態を取った。経済史学者は、これらを前期的資本と呼ぶ。そして商人資本、高利貸し資本からは近代資本主義は生まれないとする。

しかし、経済活動は生産だけでなく、消費と流通と金融なくしては成り立たない。近代資本主義においては、商人資本は商業資本となり、高利貸し資本は銀行資本となった。産業資本は、生産によって利潤の獲得をめざす資本である。これを生産資本と呼ぶならば、商業資本は流通資本、銀行資本は金融資本である。生産だけでなく、消費・流通・金融がバランスよく発達してこそ、経済規模が拡大する。それによって、資本の価値増殖運動は持続的に発展する。生産は消費と結びつくことで、継続・拡大する。この生産と消費を結びつける流通と金融に巧みなのが、ユダヤ人だった。

産業資本の発達による貨幣経済の拡大は、ユダヤ人の活躍の場を広げ、彼らに膨大な富をもたらした。それとともに、資本主義世界経済の発達によって、ユダヤ教の価値観がヨーロッパ文明のみならず、非ヨーロッパの諸文明にも浸透したところに、グローバル資本主義が出現したといえよう。ユダヤ人だけでなく、ユダヤ的な価値観を体得した諸国民が、地球規模の資本主義経済を推進しているのである。


●資本主義の精神の根底にあるものとは

 さて、近代資本主義は、結果として、利潤追求・欲望拡大の文明を生み出した。その資本主義の発達は、産業資本の形成による。ウェーバーは、産業資本形成期におけるプロテスタンティズムの倫理の役割を強調した。しかし、産業資本の発生期より以前にさかのぼると、ヨーロッパ文明の海外進出には、利潤追求・金銭獲得にもっとむき出しの欲望が働いていた。
 資本の本源的蓄積の時期となった15世紀末以降、西欧人は有色人種を非人間視し、インディオに強制労働をさせて銀を収奪し、黒人に奴隷労働をさせて砂糖や綿花で富を得た。マルクスは、西欧社会の労働者をプロレタリアと呼んだが、生産手段たる土地から引き剥がされ、鉄鎖以外には失うことのないプロレタリアとは、白人種に奴隷にされた有色人種こそがそうだった。そして、私はこうした異教徒を奴隷化し、彼らを使役して富を得る欲望こそが、近代資本主義の精神の最も根底にあるものではないかと思う。また、そこには、周囲の異教徒を敵視し、自らの神観念を絶対化するユダヤ教に通じるものがあると思う。

 そのうえ、カトリックもプロテスタントも、西欧において魔女狩りを行なった。魔女狩りは非キリスト教的なものを排除する社会現象だった。魔女狩りは、ルネッサンス期に嵐のように吹き荒れたが、その最盛期は、宗教改革時代と共に訪れ、1600年を中心とした1世紀がピークだった。
 魔女狩りはカトリック信者だけでなく、プロテスタントも行った。ドイツのプロテスタントも、アメリカのピューリタンも、魔女狩りに熱狂した。これは、プロテスタンティズムの倫理の暗黒面であり、ユダヤ=キリスト教自体の持つ暗黒面でもある。
 イエス=キリストの教えは、隣人愛を説く。使徒パウロは、神は愛であると説いた。しかし、キリスト教徒の愛は、異教徒には及ばされなかった。いやキリスト教社会の内部ですら、他宗派には及ばされなかった。それをよく表すのが、旧教・新教の間の宗教戦争である。私は、異なるものを徹底的に排除し、破壊しようとするのは、イエス=キリストの教えというより、ユダヤ的なものではないかと思う。

 プロテスタントは、それまでラテン語で書かれ、ラテン語の知識のない者は読むことのできなかった聖書を各国語に訳した。これは、ギリシャ=ローマ文明の遺産であるキリスト教の土着化をもたらした。各国語訳の聖書は、印刷技術と紙の使用によって、民衆に普及した。民衆は、自分たちが日常使っている言葉で聖書を読めるようになった。
 私は、このことがキリスト教の再ユダヤ教化をもたらす一要因になったのだろうと考える。イエス=キリストが教えを説く前に書かれた旧約聖書の思想は、ユダヤ教のものである。各国語訳聖書の学習は、キリスト教の教えの習得と土着化とともに、間接的なユダヤ教の摂取ともなったのだろう。
 こうした問題については、いずれ改めて別稿で検討してみたい。
メンテ
Re: 未来社会を考える < ヒットラーの予言 ( No.128 )
日時: 2016/02/09 13:00
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:dmkX7GEs

UP

後半の部分は経済の話になっていますが、冒頭のヒットラーの予言に続く文章は、人間の精神、心の持ち方の問題であり、現在及び遠い将来を予見する上に、参考になるでしょう。

ヒットラーの予言とは、思いがけないものですが、丁度現代に当たる時代には文明的転換が起きると書かれています。
メンテ

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