ホームに戻る > スレッド一覧 > 記事閲覧
[2308] 国家観とは
日時: 2015/10/15 10:49
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:.r223Az6

掲示板のトラブルが続いています。
今回のことで、管理人さんとメールを交換しました。
今回は随分と苦戦されていますが、糾弾サイトに対する想いは依然、衰えてはおられないようです。
気分直しに、新しい話題を立ち上げます。


「一体、日本人は自国をどの様に捉えているのだろうか」

これは糾弾トップの管理人さんの言葉です。
改めて、私たちは、どのような国家観をもっているのか検証して見たいと思います。
物理的に言えば、国家とは、国境線で区切られた領土に成立する政治組織で、地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである。
と言う事になり、形態として、独裁国家、民主主義国家、あるいは夜警国家、福祉国家と言う表現があります。
ところで、国家観と言った場合、その識別とは別の意味も生じてくるのではないでしょうか。
要するに、どのような国でありたいと希望する国民の総意と言うものでしょう。
もちろん、現代の日本の国の形が、国民が望んだ結果の民主主義福祉国家であることは間違いありません。
その国家観と言うものを別の方面から見てみましょう。
革命と言う言葉、事象があります。

その革命時において、国民は自ら選ぶ国家の形に強い要望をもっているものです。
ところが社会が落ち着くと、国民は国家の有り様にあまり関心を持たず、自然と希望が実現されていると思い込みます。
何時も、何時も革命時のような緊張はありえず、全体には、それで良いかと思いますが、時が過ぎると共に、各々の機構の中に退廃が生じ不正が横行するものです。

それは具体的には、官僚組織の腐敗、利権政治の横行、経済的強者の横暴などの形で現れてきます。
それも、ある程度は人間社会の宿命のようなものでしょう。
ですが、度が過ぎれば、国家は最初に国民が望んだ国家とは異なる展開をしてきます。
民主主義国家の場合、こうした場合は選挙によって国民の意思で矯正することになっています。
ところが、現代社会において、国民が望んだ国家の形を歪なものとしている原因に、官僚、政治屋、独占企業家の存在の上に、市場主義経済のシステムと言う妖怪が君臨している問題があります。
言い換えれば、国家をより意識しなければならないのですが、経済を中心とするグローバル化は、国家の概念・枠組をも、あやふやなものとしてしまっています。

国家は、国民の望み以外の要素によって展開しているのです。
民主主義の概念の大きな要素は、各人の権利の確保であり、国家の有り様は、個人の権利が保証されていれば問題はないのです。
また民主主義は多数決という要素も含んでいます。
多数決の意味は、過半数の人々が満足していれば、当面は国家の有り様に異議を持たないのです。
要するに、現実以外の要素を検証することはなく、将来を見越したり、国家自体の有り様についての検証はしないのです。
逆に言えば、官僚の腐敗、政治の堕落、市場主義の妖怪の暗躍も、民主主義的に過半数の国民が異議を唱えない限り容認されるのです。
それが民主主義国家の形であり、半分は悪を容認し、過半数の国民が異議を唱えないかぎり、現状維持で続いて行くのです。
それが民主主義で、我々が望む形でもあり、また、過去の独裁国家に比べて、遺棄すべき形態とも言えないでしょう。
ですが、何か腑に落ちないものがあります。
少なくとも現在の民主主義は、必ずしも理想の形ではないのです。

この認識の上に立って、国民は何を考えれば良いのでしょう。
民主主義国家となって半世紀以上、国民は現状に満足し、国家の有り様を深く考える事をしなくなりました。
国民の理想の追求を手控えするようになりました。
その分、国家の運営に従事する官僚、政治屋共は、己らの使命、国民のために国家は、どのようにあらねばならないかと言う事について怠惰を決め込む事になります。
特に、日本の様に善良な国民精神がある国では、言い換えれば、お上意識が強く国家を無条件で信頼する我が国では国家に対する批判意識が希薄であります。
国家観が希薄とも言えます。

国民に国家観が希薄なので、官僚、政治屋共は、それに便乗し、またTPPの交渉等に見られる様に、本当の国民の立場を省みることなく、一部の企業のために、グローバル化を目指す世界企業のために門戸を広げる結果となっています。
安全保障の問題でも、真に我が国の安全保障を論じることなくアメリカ従属の安全保障に走ります。
考えて見ますと、100億に近い人間が、異なった自然環境、宗教の下に均一の価値観でまとめられるはずはないのです。
未来社会の話は別にして、当面は、地域単位、言えば国家単位の考えかたを持たねば、その国民が望む国家の形を維持していけないのではありませんか。

このように言いますと、多くの人は民族主義、国粋主義を想定されるでしょう。
歴史には、確かに、そのようなものがあり、それは現代社会では必要ではないものとなっていると思います。
ですが、国民が国家という枠組みを重要視しないと、現実のような事が起きるのです。
繰り返し、言います。
国家と言う枠組みを重要視すると言うことは、民族主義に凝り固まれというのではありません。
安全保障の問題や、TPPの問題に具体的に意見を言えと言っている訳ではありません。
専門的な分野の決断は専門家に任せば良いのですが、そうかと言って、国家の有り様に無関心では駄目だと言うことです。

冒頭に掲げた、管理人さんの言葉、

>「一体、日本人は自国をどの様に捉えているのだろうか」

これは、この言葉通りに受け止めれば良いのではないかと思います。
民主主義の時代と言っても、国家は必要であり、国家の有り様が国民の有り様を支配しているのです。
国民が国家の必要性を認識し国家観を強く持つことが、政治を糾し、行政を糺す事につながる事になります。
現代社会は、欠落した民主主義の概念を余りにも強く持つために、国家観を希薄にしているのではないでしょうか。
そのために、国家の横暴を招き、官僚の腐敗、マスメディアの退廃を招いていると思います。

選挙があると言っても、それは形だけのこと。
選挙に対する無関心もあり、結局は制度的には整っているとしても、実際は邪悪な勢力に、過半数の原理を上手く利用される結果となっているのでしょう。
さて、国家観とは、如何なるものでしょうね。

メンテ

Page: 1 | 2 | 全部表示 スレッド一覧 新規スレッド作成

Re: 国家観とは ( No.5 )
日時: 2015/10/20 12:19
名前: 贅六 @ 関西弁 ID:5yi4Dk9E

天の橋立はん、

現実論を展開しろ! ちゅうお説の様でおますが、其れは尤もなご意見でおます。

理想主義を振り回しても、理想社会は生まれない! 此れも尤もでおます。

更に又、資本主義がアカンのであって、アメリカを責めてもしゃー無い! 此れは少々納得できまへん。

ワテに言わしたら、資本主義=アメリカ ちゅう事でおます。アメリカちゅう国家とアメリカに存在する(アメリカ以外にも存在しますが)巨大資本は強う結びついて一心同体ですがな、其処へ軍事産業が加わって、アメリカントリニティ=三位一体と思てますねん。

それから、資本は現実論で事を運びますが、政治は理想を高く掲げて其れを現実論で処理して行くもんや、とワテは考えてます。

「憲法」ちゅうもんかて一種の理想論ちゃいますのん? 憲法の下に在る諸法律、むかしは「六法」で括ってましたけど、刑法、民法、その他諸々の法律にはかなり現実論に即した条文がおますわなァ。ま、ワテは法律なんか全然弱いので此れ以上は書けません。

それとねェ、

ワテはなんぼ「安保条約」をアメリカと結んでても、「手下」に成るな!ちゅうてますねん。二国間はあくまで対等の関係やおまへんのか? 今の日米関係見てたら決してそうやおまへんわなァ。此れは何でやねん? 皆、政治の貧困の所為とちゃいますか?

日本は過去にアメリカの要請を受けて後方支援の働きをした事実がおますが、その時も戦闘の第一線へは出まへんでしたなァ。それは憲法9条の縛りがおましたよって、歴代の政治家が其れを盾に断った成果やと思うてます。そやから自衛隊は今迄一発の銃弾も撃たず、一人の外国人も殺してまへん。

世界中で、戦争や、武力紛争、が有るから言うて、其れに備える事は容認しますが、自分とこが攻撃されてる訳でもないのに、友達が殴られてるから言うて喧嘩に参加するちゅうのは愚の骨頂ですわ。毛唐の連中は何でもかんでも腕ずくで物事を解決しようとしますが、奴等の文化と我々の文化は違うんです。戦争回避に全力で頭を絞るのが政治家の役目、その頭のない奴が殺し合いに参加したがるんですわ。 安倍はそのドタマ空っぽの見本だす。
メンテ
市民革命 ( No.6 )
日時: 2015/10/20 14:37
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:dSKVIxWc

贅六さん、ことのついでに議論を進めてみましょうか。

>資本主義=アメリカ 

なるほど、それで、とりあえずアメリカを糾弾しようと言うことですか。

でも、資本主義=アメリカ=日本でもあるのです。

共通するのは、資本主義のルールです。

資本主義の恩恵も大きなものがあり、世界中の国民はそれに浴してもいるのです。

その国民の立場で、資本主義のルールの中でも自分たちに都合の良い事には触れず、都合の悪い事を非難しても、そうは上手く解決できないのではないでしょうか。

グローバル化の問題も同じで、良い面、悪い面の両方があります。

悪い面を取り除こうとすれば、良い面にも影響が出てきて、何らかの辛抱が必要になります。

日本の民意も、そういうことは考えていないでしょう。

満天下さんと議論になった、ヘリマネのことも、通貨発行権を国家に取り戻すことも、都合の良いことばかりではありません。

それを乗り越えて全体を俯瞰する必要があるのですが、おそらく国民は、それに応じることはないでしょう。

安全保障の問題でも、本当に自分勝手な理屈を超えてはいません。

例え、アメリカを打倒しても、日本自身に同じ資本主義の悪魔が潜んでいるのです。

アメリカが良いとは言いませんが、アメリカを倒せば問題が解決する、アメリカ追従をやめれば問題が解決すると言うような誤魔化しをやっていてはいけないと言いたいのです。

でもね、ここまで浸透した民主主義の幻想は、とても、それを乗り越えることはできないでしょうね。

要するに、これらの問題は個人が個人としてどんなにあがいたところで何もできないのです。

だから、国家の問題に言及しているのです。

その国家観を認識するにも、国民の間に、革命的転換が必要でしょう。

私は、それを第二の市民革命と呼んでいます。

対決する相手は、打倒すべき相手は

昔の様に、特定の独裁者はいないのです。相手は

これまた、市民の片方なのです。

そこが一番の深刻な内容なのです。

>資本は現実論で事を運びますが、政治は理想を高く掲げて其れを現実論で処理して行くもんや、とワテは考えてます。

これについて異論はありませんが、そうなる事には大きな問題が横たわっているのです。

現在の民主主義で考えられている手法では、国民の意識改革ができなければ、到底無理な事と思います。

政治は理想を掲げて進むと言われていますが、

その理想を野党がもっているとは思いません。




メンテ
Re: 国家観とは ( No.7 )
日時: 2015/10/20 14:43
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:dSKVIxWc

追伸です。
最後のこの言葉を見逃していました。

>毛唐の連中は何でもかんでも腕ずくで物事を解決しようとしますが、奴等の文化と我々の文化は違うんです。


これですよ、私が色々なスレッドを使って言いたいことは。

キリスト教を基礎とする、アングロサクソン流の文化が世界を席巻していますが、私は、多神教である東洋思想に基づいた文化こそが、世界に行き渡るべしと考えています。

その走りとして、我が国が、その先鞭をつけたいものですね。

メンテ
Re: 国家観とは ( No.8 )
日時: 2015/10/20 20:04
名前: 贅六 @ 関西弁 ID:5yi4Dk9E

ワテは、アメリカ打倒で事が済むとは思うてまへん。

仮に、何としても日米安保を存続させたいのやったら其れでも宜し。但し安保条約ちゅう「条約」である以上、飽くまで対等である可きや! ちゅうてますねん。

幕末にペリーが遣って来てアメリカと結んだ「日米和親条約」みたいな“不平等条約”を、なんで従来からの自民党政権は唯々諾々と存続させてるねん? ちゅう事だす。

戦後ず〜っと自民党政権が続いた訳でおますが、ニッポンは何が悲しいて此処までアメリカの言いなりに成るんや!ちゅう事だす。此れが全くワテの理解の外だすわ。安倍のアホぼん以下、自・公の連中はニッポン人としての誇りも自尊心も持ってまへん。

此れを売国奴と言わずして何と呼びますか? 今の自民党や公明党は将に亡国の政党やおまへんか!

あんさんが仰りたい事は、戦後、自由党、民主党、等の自民党的保守政党がアメリカの影響下でず〜っと民主主義“的”政治を遣って来て、日本の経済規模も拡大した! 日本人の生活水準も上昇した! 此れは資本主義のお蔭や! と言う事ですやろけど。事実として此れを否定はしまへん。併しこの裏にはあんさんが何時も「アングロサクソン研究」で言うてはるアングロサクソンの腹黒さ、狡猾さ、冷酷さ、なんかが渦巻いてて、日本の地政学的利用価値を抜け目なく持ち続けようとしてるんや!とワテは邪推してますねん。

ワテが重要視するのんは、国際政治の場に於いてはすべて「今」が重要やと思うてますねん。如何に過去にアメリカが日本を助けようとも、現在日本を属国扱いしてるんやったら、今のアメリカを厳しく指弾すべきや!ちゅう事でおます。

重ねて言いますが、ワテはアメリカ打倒を叫んだ積りはおません。日本の政治がアメリカに追従するのでは無ォて、日本として自立自存の姿勢を持たなアカン! ちゅてますねん。
メンテ
Re: 国家観とは ( No.9 )
日時: 2015/10/20 20:59
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:qEFsw.Vc

>重ねて言いますが、ワテはアメリカ打倒を叫んだ積りはおません。日本の政治がアメリカに追従するのでは無ォて、日本として自立自存の姿勢を持たなアカン! ちゅてますねん。

ますます佳境に入ってきて、頼もしいですね。

日本として自立すると言うことは、すなわち、経済的に自立することにほかなりません。

アメリカの金融資本の支配から脱却しなければなりません。

対米の直接の関係でなくとも世界を股にかけてアメリカの嫌がらせを切り抜ける必要があります。

日本経済は、相当血を流す事になるでしょう。

血を流しても日本と言う国家自体が消滅することはありません。

ですが金融鎖国などの政策を導入し、最低限の日本のシステムを維持しなければなりません。

これが出来ないのですよ。

何となれば、日本の中に、小アメリカが住みついているからです。

しかしながら、如何なる独裁者であっても、最終的に一番、恐るのは大衆なのです。

1/3くらいの大衆は虐殺しても、全ての大衆を殺してしまっては独裁国家が維持できないからです。

要するに、

民意が立ち上がってこそ

>日本として自立自存の姿勢を持たなアカン! ちゅてますねん。

と言う事が出来るのではないでしょうか。

そうして、民意を立ち上がらせるためには、明確な旗印がなくてはなりません。

未来の国の形、未来の経済の形を指し示す事ができなければ、民衆は命をかけて立ちあがらないでしょう。

究極のところ

それが問題なのです。


メンテ
Re: 国家観とは 長いものには巻かれろ、ではあきまへん! ( No.10 )
日時: 2015/10/21 04:32
名前: 贅六 @ 関西弁 ID:7Cve6oe6

国家観が日米関係論に成ってしもてますけど、仕方おません。1945年以後、アメリカ抜きでは日本を語れん様に成った、ちゅう或る種情ない状況に成ってますよってねェ。それ程日本は“アメリカ鮫”の腹に吸い付いてる“小判ジャップ鮫”に成ってますよってねぇ。
此れには二通りの意味がおまして、日本は“アメリカ鮫”ちゅう核の傘に隠れて、己の身の安全を図って来た(日本の一方的幻想)つもりが、何時の間にか“小判ジャップ鮫”の名前の通り、“アメリカ鮫”に〈小判〉を吸い取られていた! ちゅう間の抜けた話でもありますねん。
ホトトギスに托卵された鶯の親みたいに、小っちゃい親が我が身の何倍も有る子ォをせっせと育ててた! ちゅう事ですわ。

其れは其れとして、

天橋立はんも感じて居られる様に、日本の政治と民衆の、だらしなさ、不甲斐無さ、に付いてワテはもう半ば絶望してますねん。

リーマンショックやバブル崩壊以後、失われた10年とか20年とか言われますけど、その間政治は為す術も無く己の安穏に身を任せて国民を塗炭の苦しみの中に放置して来ました。更にここ1〜2年の間に安倍自・公政権は、先祖帰りとも言える右傾化を進めて、昭和初期を彷彿とさせる国の姿を形作ろ!としてる様だす。

「一億総活躍」なんちゅう“時代遅れ・アナクロニズム”な、幼児性丸出しのスローガンを恥かしげも無ォ発表して悦に入ってる姿を見ると、なんぼ「岸」の孫や言うても余りにも芸が無さ過ぎやろ! て思て、泣けて来まっせ。

親玉が親玉やよって閣僚は勿論党幹部の面々も揃いも揃うてアホ面ばっかり、隣りの“赤い大国”の国家主席のむくんだ面と変わらん低俗な顔ですがな。

政治家=議員は国民が選ぶもんですけど、その政治家に矜持が無さ過ぎますがな。

国民の意識が変わらなあかん、ちゅう話も同意しますけど、政治家がアホ過ぎます。そのアホ過ぎる政治家が、なんぼアホや言うても我々が此処で議論してる程度以上の知性は持ってますやろ! 現在、一党独裁みたいに成ってる政権にゴマンと居てる議員の中に、マトモな考えを持った奴が一人も居らんちゅう事が問題ですわ。此の思考停止の従属性、無為無能、無責任、なんかを見るにつけ、この国は終わったなァ、て思うのが、ワテが日本と言う国に対する国家観でおますわ。
メンテ
Re: 国家観とは ( No.11 )
日時: 2015/10/21 09:35
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:TdWlT/fE

贅六 さん

想いは、概ね変わらないでしょう。

ですが、政治家が悪いと言う面を、掘り下げてみると、
現在の政治家、学者は次の事ができない事です。

その理念さえも確率していないのです。

革命と言うものは、誰か先見者が旗印を掲げて大衆を引っ張って行くものであり
それが政治になります。

革命と言う現象でなくても、政治家は大衆を率いて行かねばなりません。
その政治家自身の豊富、理念が、たかだかアベノミクス程度のことより言えないのです。
他の政党は、そのアベノミクスに変わるものさえ、言うことができません。

明確に、これを示せるものがいたなら、国民はついていくでしょう。
安保法制デモでも、あれだけ盛り上がったのですから、それは間違いありません。

国民のだらし無さ、政治の無責任を嘆く前に

経済学者の怠慢、社会学者の怠慢があります。


>そうして民意を立ち上がらせるためには、明確な旗印がなくてはなりません。
>未来の国の形、未来の経済の形を指し示す事ができなければ、民衆は命をかけて立ちあがらないでしょう。

メンテ
Re: 国家観とは ( No.12 )
日時: 2015/10/23 00:09
名前: 贅六 @ 関西弁 ID:VO1Mkktw

自分の国に対する認識は人夫々各人によって異なるもんですわねぇ。

天橋立はんの書き込みを見てましたら、「革命」ちゅう言葉が出て来ますけど、ワテも以前は「革命」に付いてある種の待望論みたいなものを持ってました。併しこの頃はチョッと考えに変化を来たしまして、「革命」にあんまり期待せんように成ったんでおます。

「国を憂え、義に燃えた人物が出現して、巧みな弁舌で人心を掌握し、腐敗した政権を打倒して、新しい政治形態を創設する」ちゅう事は、少しでも野心のある人間やったら、誰しもやってみたいと思うもんですが、民衆が付いて来ん限り事は成就しまへん。

今の日本を見渡した時、自分らの暮らしを変え得る選挙にすら、有権者の半分以上が棄権する、無気力、無思考、な日本人では、革命なんか起し得る筈はおまへん。取敢えず今日・明日を食えたらそれ以上のエネルギーを消費する事はしまへんのだす。

此の事は統治する政権側から言うたら、「この都が即ち我々の政治が上手く行っている証拠、国民は満足しているのだよ!」ちゅうて、例えば「国会前デモ」をして居る勢力を嘲笑いますやろ! 斯う言う事からワテの革命待望論は破棄せざるを得ん様に成ったんでおます。

天橋立はんは、経済学者、社会学者、らの怠慢・無為を嘆きますが、これ等当節の学者は概ね「体制側」の人間でおまっせ! 民衆の事なんか碌に考えんと机上の空論ばっかり書いたり言うたりする「売文業者」だすがな。

国や政治を変えるのは国民が「俺の国は、こんな事ではアカン! 今を変えるべきや!」と言う確固たる国家観を持って、唯一実力行使を出来る「選挙」によって、先ずは、現政権を倒すべきや! と思いますわ。
メンテ
国家観と大和魂 ( No.13 )
日時: 2015/10/23 21:54
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:4qmCfS8I

国家観とは

くしくも別スレッドで「大和魂」について語っています。

その「大和魂」と言う概念も、戦前に、それによって無謀な戦場へ駆り出された思いが否定的に言われています。

国家観も、オリンピックで日の丸を上げて喜んでいる程度なら良いのですが、ともすれば国粋主義になり、身勝手な暴走を始めます。

ですが、同時に

>日本の政治と民衆の、だらしなさ、不甲斐無さ、に付いてワテはもう半ば絶望してますねん

とか、最近の日本はどのようになったのか

とか、日本の経済は・・・

日本の社会福祉は・・・

とか、常に生活共同体としての単位で喜怒哀楽の対象とします。

国家とは、単ある地理的境界線以外に、国家であることの内容を含みます。

また、国の安全保障、治安の問題も国家単位で成果を求めます。

民主主義が行き渡り、個人の自由権利が主張される現代社会でも、やはり共生の場の論理(ルール)が必要とされるのです。

それを意識するのが国家観であり、

どのような共生の場を期待するか決めるのも国家観なのです。

「大和魂」の概念の規定に苦慮されている節もありますが、国家を意識することは、すなわち、その精神的なバックボーンないしアイデンティティと言うものも問われるでしょう。

個人の権利、自由を謳うだけでは共生はできないのです。

先に言いました様に、余りにも全体を強調しすぎると、あらぬ方向へ暴走しやすいのも人間社会の定めです。

ですが共生に対する、国家に対するある意思が働かねば地理的境界の表示以外に、国家は機能しません。

国家観とは、そういうものであり、また少し取り上げ方は違いますが「大和魂」と言うものも、必要ではあるが、特定し難いもの、また特定すべきでないものとも言えましょう。
メンテ
Re: 国家観とは ( No.14 )
日時: 2017/07/27 03:03
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:xPt0KGIY

他のスレッドでも、政治・行政の有り様が問題にされています。
格差が広がりつつある経済の問題でも同じです。
私たちは常に政治に期待しながら生活しています。

封建時代、専制時代と違い、主権は国民にあると言う民主国家では、国民の期待が何処まで叶えられるかが政治であり、国民は常に政治に関心を持つと共に、不平、不満を募らせます。
民主主義と言うのは、主権在民の下で、市民の権利、自由を認めるというところから発しています。
しかしながら、我が国で言えば1億2000万人の国民の不平不満をすべて解消できるような結果は望むべくもありません。

また人間と言う生き物は、至高の動物の様に考えられますが、実際は何をしでかすか解らない生き方もします。
一般国民の欲望も、どこまで広がるか計り知れません。
金持ちは策を弄して益々金を貯めようとします。
権力を手にした人間は、自分の為に権力を使い始めます。
我が国で言えば、1億2000万人、世界で言えば100億の人間の行動を社会的な正義の枠で捉えることは出来ないでしょう。

ですので、国家とか政治に関することは常に問題を含んでいます。
政治とか国家はどのように理解すれば良いのでしょう。

(ここにウィキペディアから概念を引用してみます)



まず、国家とは

国家とは、国境線で区切られた領土に成立する政治組織で、地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである。領域と人民に対して排他的な統治権を有する政治団体もしくは政治的共同体である。 政治機能による異なる利害を調整し、社会の秩序と安定を維持していくことを目的にし社会の組織化をする。またその地域の住民は国家組織から国民あるいは公民と定義される。

次に政治とは

政治とは社会に対して全体的な影響を及ぼし、社会で生きるひとりひとりの人の人生にも様々な影響を及ぼす複雑な領域である。広辞苑では「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。」としているわけであるが、政治は、社会や社会に生きるひとりひとりの人にとって そもそも何が重要なことなのか、社会がどのような状態であることが良い状態なのか、ということも扱い、様々ある人々の意志からどれを選び集団の意志とするか、どのような方法でそれを選ぶか、といったこととも深く関係している。
古典である『政治学』を著した古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、政治を研究する政治学を《善い社会》の実現を試みるためのマスターサイエンスであると位置づけている。このような位置づけは政治が理想社会を実現するために社会に対して働きかける性質を持つことを示している。政治が善い社会のために社会に作用する一方で、何が社会にとって善いかという問題に関する対立や協調も政治の領域には含まれる。この側面について政治哲学者のハンナ・アーレントは『人間の条件』の中で、政治を 自己とは異なる他者に対して言語を使って働きかけ、結合する行為であると捉えている。つまり政治とは人々が善い社会で生活することを達成するために、社会に対して働きかけることであり、また何が善いことかという判断に関する議論を伴うものであると言うことができる。

最後に、政治の形態である議会制民主主義について考えてみましょう。

「議会制民主主義は、国民が選出した代表者で構成される議会の討議にもとづいて政治を運営していくことによって、国民の合意による政治という民主主義の理念を実現しようとするものである。議会制民主主義のもとでは、議会は、国民の意思を代表するものとして、政治の中心におかれることになる。対になる概念として直接民主制がある。現在ほとんどの国が「間接民主制」である。
日本国憲法前文は、国民の代表者が権力を行使するものとし、国民は「正当に選挙された国会における代表者を通じて」行動すると述べて、議会制民主主義を採用することを明らかにしている。 議会制民主主義が本当に民主主義として機能するためには、代表者(議員)の構成が、民意を正しく反映するものでなければならない。したがって、国民の意思を可能なかぎり反映できるような選挙制度が要請される。また、議会においては、多数決による決定の前に、少数意見を最大限に尊重した冷静な討議がなされなければならない。

(ウィキペディアからの引用終わり)
 
現代社会に於いて政治を語るとき、民意が反映されているか、いないかが最重要の問題とされている。

しかしながら、その民意を見るだけで政治が出来るかと言えば、そうでもないのである。

小泉内閣の時でも、小泉の示した郵政民営化の施策以外に選択肢は別にあったのであるが、民意はそこまで見通すことは出来なく、賛否を問うだけに終わり、政治もそれを求める結果で終わった。

また、民意が特の権力者と対峙した時、革命的発想でも無ければ民意が政治を動かすことは出来ないことが多いのである。

ここまでは、現実問題として仕方がないとして、問題は政治家の方にあるのである。
奴らは議会制民主主義の形を遵守することばかりに重きを置き、

いわゆる「政治の理念(政治学)」の存在を疎かにしているのである。
疎かにしていると言うよりも、この崇高な理念を実現できる能力のある政治家がいないのである。

民意は大切な要素ではあるが、民意だけで政治が出来るほど民意は確実なものでも、信頼できるものでもないのである。
独裁の危険があるとしても、政治は大衆をリードしていかねばならないのである。
それなのに、選挙の時の大衆受けばかり狙って、自己保身のために、無難な対応よりすることが出来ない、官僚の様な体質となっているのである。
政治とは大衆を操作することと思い込んでいる。

大衆の側にも問題がある。
知識の吸収のみで思い上がった大衆は、己の考えに合わせて政治を理解し、判断する。
もっと大きな優れたものの存在を、大切なものの存在を求める気持ちがないのである。
こうして衆愚の政治が民主主義の名の下に蔓延しているのである。
そうしたなかで「議会制民主主義」と言う言葉だけが、弄ばれているようだ。

議会制民主主義と言っても、政治と民意が常に有効に作用する状況はほとんど期待できないのである。
それでも、そういう確執を経て、結果的に民主国家の尺度として社会福祉政策の実現の内容がある。

社会福祉精度が民主主義が勝ち取った国家の形なのである。
問題は、この社会福祉の制度が撤退を余儀なくされている事であり、その様になるのは政治の失敗、さらには国民の責任でもあるのである。
その失敗のほとんどは財源不足から来ている。

ところが、国民は政治に対する不平不満は言うが、財源の問題の解決策を考える事は出来ない。
政治を糺し景気を良くすれば問題が解決できると思い込んでいる。
だが実際は、我が国のGDPを見ても増えこそしていないが減りもせず、財源的に社会福祉政策を削減する理由にはならないのであるのであり、GDP(国民の経済力)だけを指標に問題を解決することは出来ないことは解っているはず。

結局は、国民の政治に対する不平不満と、問題に対処する能力のない政治の騙しあい、莫迦しあいが続いているのが現状である。
最近になって、政治家の方から「小さな国家」論が出てきているが、そんなものは政治の失敗の言い訳に過ぎない。

社会福祉制度を明治時代の内容にすれば、年金制度、医療保険制度、ましてや介護制度などすべて取りやめるか、現在の1/10、2/10程度に切りちじめ、義務教育制度くらいは守るならば、財源の問題は解決する。

それでは、最近百数十年の歴史は、国民の努力は、科学技術の発達は何の意味があったのか。
それらが無意味であるとは到底思えないし、思う必要もない。
現実の要素、社会的インフラ、生産力、科学技術、金融のインフラなどを総動員して、何が出来るかを考えていくのは政治であり学問ではないか。
それで、どうして明治時代の戻らねばならない。

国家とは何か!
政治とは何か!

まさに、これが問われているのではないか。

メンテ

Page: 1 | 2 | 全部表示 スレッド一覧 新規スレッド作成

題名 スレッドをトップへソート
名前  「名前#任意の文字列」でトリップ生成
E-Mail 入力すると メールを送信する からメールを受け取れます(アドレス非表示)
URL
パスワード ご自分の投稿文の編集、削除の際必要です。面倒でしょうが入力をお勧めします。
投稿キー (投稿時 投稿キー を入力してください)
コメント

   クッキー保存