Re: 国家観とは ( No.22 ) |
- 日時: 2017/10/14 12:19
- 名前: 馬鹿者の戯言 ID:eZib27Xg
- 「意味も無く 又も絡むか 愚痴人間」
私の書いた文節を張り付けて居る所を見ると、上の様な語句がほとばしって来るが、♯21のレスは何を書いて居るのか解らない。
単語や語句に明確な理解をして居ない所も有る様だ。
しかし、絡む相手が居なければ張合いも無いだろうから、精々絡んでくれたまえ。
|
グローバルVS反グローバル ( No.23 ) |
- 日時: 2017/10/14 12:33
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ii2hd3O.
- >“国家”と聞いて頭に浮かぶのは“国家権力”ですが、英国の歴史家「ジョン・アクトン」の言葉に依れば『権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する』です。
政治(国家)が国民の為にあった例しは無いと言う言葉もあります。
現代社会の課題は、イントさんが別スレッドで指摘されているように
>>今は右寄りか左寄りというよりは、グローバル化か反グローバル化の政党にすれば、わかりやすい!
これに尽きます。
>つい四日前に、衆院の総選挙が始まったばかりですが、巷の噂では早くも自民党の圧勝 !と言う話で持ちきりです。実に情けない話ですが、安倍自・公政権の「暗黒の帝国」は強固にその力を保持しているようです。 そしてメディアは「安倍自・公」は引き続き 絶対多数 を維持し、腐敗した権力は更にその腐敗の度を増してゆくでしょう。即ち「権力は絶対」と成り、その「腐敗も絶対」と成る訳です。
上の言葉の意味も痛いほど良く解ります。
しかしながら、この様になった原因は まさしく、反グローバル化と言うものの概要を政治家、国民がしっかりとつかんでいないからです。
政党には反グローバル化を目指す政党なく 国民は、その実態さえも気が付いてなく、似非反グロ政党に期待を寄せている。
本当の野党、反グローバル政党がなく、選選択肢の無いまま現実に流されている。
(方丈記より)
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
引用終わり
この世界を救えるか! 救えるものは何か! 如何なる宗教の神も当てにはならない。 権力者などは悪魔の手先になりやすいもの。 グローバルの悪魔を追放できるのは我々自身。 我々自身が気が付かねば、立ち上がらねば どうして野党が糺せるか。 野党にすがっていて、何をきたいする。
 |
馬鹿者の戯言 氏 ( No.24 ) |
- 日時: 2017/10/14 13:05
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ii2hd3O.
- NO21のレスは、NO20の貴方のレスへの反応である事は間違いない。
しかしながら、それに対して再反論するのが意見交換ではないか。
そうして意見の交換もできるのが掲示版の特性。
なおかつ「国家観」と言うのは私が立ち上げたこのスレッドの主題。
それについて意見を言うのは当然のこと。
にも関わらず、
>「意味も無く 又も絡むか 愚痴人間」
このように応じてくる。
意見の交換、対立した意見を述べる事は絡みではない。
個人的誹謗中傷をするのが絡みであり「荒らし」で」あるのだ。
あんたこそ、またまた問題をすり替えて絡んでくる。
NO21のレスを私の絡みと受け取る貴方の狭量の方が問題なのではないか。
>♯21のレスは何を書いて居るのか解らない。
で済ませる。
この言葉は贅六氏と同じ手法で何回も目にした。
自分の意見と異なる言葉は目に入れようともしない(傲慢の極み)。
その様な根性を直さないと掲示版活動には不向きなのでは。
私に纏わりつくな!
と言ったはず(ここは私のスレッドで国家論はその課題)。
|
Re: 国家観とは お山の大将俺一人! ( No.25 ) |
- 日時: 2017/10/15 09:39
- 名前: 馬鹿者の戯言 ID:wO7h.iMs
- お前さんの言ってる事は、其の儘お前さんに当てはまる事だよ。
尤もらしいコロモは着ているが、中身は糾弾とは程遠い「似非右翼」の論調ばかり。
更に、この板の番人然とした態度と、中身の薄いスレッドの乱立。
其れを、悦に入って生知性と孫引きの引用を連ねる。
精々頑張って、大博士振りを発揮するが良い!
|
馬鹿者の戯言へ ( No.26 ) |
- 日時: 2017/10/15 10:10
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:GI6n.1nQ
- バカタレ!
何の為に糾弾掲示板に顔を出す。
何度言っても絡みを止めない。
読者はあんたのような言葉が聞きたいのではない。
これからは、場合によっては、即削除の対象にする。
私へのエセミ根性が募って糾弾掲示板自体の有り様を誹謗中傷するに至る。
あんた見たいのには来ていただかなくて良いのだ。
この様な問答は、ふつう、この掲示板では起きてないのだ。
2チャンや阿修羅に行け!
紳士ぶっていたが、贅六と同人物である事が皆さんにも解ったであろう。
日時: 2017/09/10 00:04 名前: 贅六@関西弁 ID:EBskRC/6
そうでんなァ、下司でんなぁ、ワテが下司やったら、あんさんは丹後は丹後でも、肥えタンゴ担いだ田舎紳士でっか!
その田舎紳士が、精一杯背ぇ伸びして、他のサイトから孫引きして、此処へ引用して悦に入ってる! ご立派な事だすなァ。
まァ精々頑張って書いておくんなはれ。ほな、田舎紳士に敬意を表して、此処らで消える事にしまっさ!
思うに、あんさんがチョクチョク書いてる、「この掲示板へ気軽に書き込んでぇ!」ちゅう要請の原因は、この掲示板にスレッド立て捲ってるあんさんの、“一貫性の無さ”に原因が有るのかも知れまへんなァ。
自分に批判的な書き込みを「アラシ」や! ちゅうて攻撃する。「俺は天下の論客で御座い!」然とした書き込みに、閲覧者はアホラシ成って投稿を敬遠するのんとちゃいますかな。 ま、如何でもエエけどね
〇〇論、××研究、てな大げさなタイトルのスレッドを次から次と立てて、粋がってるのはあんさんだけでっせ!
ま、精々あんさんの崇高な知識をひけらかしとくんなはれ。
|
国家観とは、国民の財産や税金を宗教カルトやユダヤ金融悪魔に売り飛ばすためだけ! ( No.27 ) |
- 日時: 2017/10/15 13:04
- 名前: イントゥイッション ID:V2OiZq.2
- 国家観なんていう言葉は、国民の財産や税金を詐欺させるために利用するための便利な言葉だけ!
本当に古い化石みたいな言葉!
国民一人一人が主権で、その集まりが国家ではなく日本!
国家なんて言葉はもうなくなればよい!!!
人民という言葉を使うということは、朝鮮に関連していることになる!
|
Re: 国家観とは ( No.28 ) |
- 日時: 2017/10/15 15:38
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:GI6n.1nQ
- イントさん
国家観ではなくて社会観、もしくわ
貴方は、どのような社会になる事を望んでいますかと問われたら、
その様なものは、何も思ってもいないと言えますか。
で、あれば
どうして安倍を非難されるか。
ユダ菌の所業を非難されているのか。
私は私なりに言葉を使っている。
その言葉に対して
>本当に古い化石みたいな言葉!
言われるならば、貴方の言葉に置き換えて述べられよ。
それとも、貴方の安倍糾弾、ユダ菌糾弾は、何の根拠もない事なのか。
>国民一人一人が主権で、その集まりが国家ではなく日本!
国家と言うのは共通概念で
具体的に言えば、日本は日本と言う国家となる。
そうして国民(日本人)は国家の構成員で同時に日本国の主権者である。
国家の概念を否定されるなら、憲法も法律も否定されればよい。
それをやっているのがアナーキスト。
イントさんはアナーキストを目指しておられるのか。
で、あれば
政治の問答など無用ではないか。
(追伸です)
皆さんも観られておられると思うので、
国家観と言う言葉について、
国家観と似たような言葉に国家像と言うのがあります。
まず、国家観と言うのは
国家の形式的な理念(形而上学的と言うか)の事であり、一般的な有り様、ただし国家と言う概念は、別途で国家の定義で申し上げているので、それらを網羅する全領域に渡った理念の総称を言います。
その内容は、権力の主権者の規定、国家の責務の規定、国民の理想的な有り様を示すこと。 国家観と言う範疇で言った場合、それらは抽象的な表現で語られる性格があるが、それをより具体的な言葉で現すのが国家像と言って良いでしょう。
ここでは国家像を求める前に、国民が求める国家の有り様と言う意味で国家観から始まっていますが、ややこしいので最初から国家像と言う捉え方でも良いかと思います。
「国家」という言葉を使っただけで明治以来の国家像を思い浮かべ意見を封鎖していては、何時までもあるべき日本の国家像を育む事が出来ません。
政治が低迷している今こそ、国民はこの基本的な概念を醸成することが必要なのではないでしょうか。 そこから新しい政党が生まれるので無くてはならないのではないでしょうか。
|
合同墓 ( No.29 ) |
- 日時: 2018/02/22 13:51
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:YvvMnI7o
- 最近、合同墓と言うものがあると解った。
墓と言えば、自然葬と言って遺骨を海とか山に撒く事もある様だ。
墓と言うものは、実際に管理する家族にとっては、そりゃ厄介なもの。
都会に住む人にとっては墓地を所有するのは経済的にも大変で、
納骨堂と言って、ローッカー式の墓もすでに多くあると聞く。
ここまでは、形は何であれ、墓は個人または家族単位で考えられてきた。
合同墓と言うのは、そうではなくて、遺骨を多くの他人と一緒に納骨すると言う。
代表的なものに、地本願寺の合同墓がある。
https://tsukijihongwanji-lounge.jp/top/goudoubo.html
ここは1万人の合同墓であるそうだ。
実際は、こうでもしなければ、東京圏のような3000万人もの人口集中地で墓など持つことは出来ない。
田舎に住んでいると気が付かない深刻な問題ではある。
止むを得ないこととは解っていても、このスレッドの課題である、国家意識、家族意識と言う所属意識がだんだんと薄れていくことに危惧をかんじる。
民主主義的な考え方では合理的である事は間違いないが、その民主主義と言う考え方が万能であるか、無いかまで考える。
ついでに世界のお墓事情を添付します。
フランス キリスト教の教義には、死んだ者は復活して天国へ行けるという思想があります。 そのため肉体を燃やすことはタブーであり、1963年まで火葬は禁止されていました。 カトリック教徒が90%を占めるフランスでも、そのため土葬が一般的です。 地下室のような構造の大型のお墓には、棚に棺が置かれるようになっており、2〜4人ほど入ることができるそうです。
しかし近年は宗教にとらわれない人や経済的な理由、土地不足などから火葬にする人も増えてきており、1989年には5%ほどしかなかった火葬率が、現在パリでは40%にまで上昇しているそうです。
また、フランスに限らずヨーロッパには観光スポットとなっている墓地がたくさんあります。 パリにあるモンパルナス墓地やモンマルトル墓地には、サルトルやヴォードレール、セルジュ・ゲンスブール、スタンダール、フランソワ・トリュフォーといった数々の著名人が眠っており、世界中の観光客が足を運んでいます。
ドイツ ドイツのお墓は先祖代々のものではなく、基本的に個人のものです。 20〜30年ほどの墓地使用料を払い埋葬し、期間中に遺体が土に還ると、使用期限後はまた新しい故人が埋葬されるようになっています。 お墓の周りには色とりどりの花やグリーンがガーデニングのように植えられています。
スペイン スペインには2つのタイプのお墓があります。 ひとつは日本人にも馴染みのある、穴に埋葬して墓標を置くタイプ。 もうひとつは壁タイプのお墓です。 地上に棺の大きさの穴が開いた壁があり、それぞれの穴にひとつずつ棺を納め、蓋をします。 土地に余裕のない都市部で多く見られるようです。
ルーマニア 「世界一陽気な墓」で有名なルーマニアのサプンツァ村。 墓碑には、故人の生前の職業や趣味、死因などがカラフルに描かれています。 木彫り職人だったパトラッシュ氏によって1935年より始められ、現在は世界中から毎年3万人もの観光客が訪れるスポットとなっているそうです。
グアテマラ 明るくポップなカラーの家型や箪笥型などさまざまな形が立ち並ぶのは、グアテマラの墓地です。 グアテマラでは、あの世は幸せな場所という考えがあり、遺族は故人の好きだった色などでお墓をペイントします。
「死者の日」である11月1日には、人々はお墓に集まって故人を偲んで宴会をし、凧揚げをする風習があります。 天国にいる故人へメッセージを届けるためとも、死者の霊が凧に乗ってくるとも言われています。
ペルー ペルーの都市部ではこのような団地タイプのお墓が多く見られます。 土葬が一般的なペルーでは、火葬する場合には完全に自然死だということを証明しなければならず、煩雑な手続きがたくさん必要になるそうです。 高温で焼くペルーの火葬では遺骨も灰になってしまい、後から事件性が出てきた場合に再調査ができないというのが理由なんだとか。 実際にお墓を開いて再調査し、解決した事件もあったそうです。
韓国 土葬が一般的な韓国では、故人を穴の中に埋葬した後に、土を丸く盛った伝統的な土饅頭型のお墓を建てます。 風水で選ばれた場所に肉親のお墓を建てると子孫が繁栄すると考えられており、一族を埋葬するために山をひとつ買うといったこともあるそうです。
儒教を重んじる韓国では火葬はタブーと考えられています。 しかし日本と同じく核家族化や高齢化、深刻な土地不足に悩む近年、国が火葬を推奨するようになり、特に都市部では火葬率も増加傾向にあるそうです。 それに伴い、お墓も伝統的な土饅頭型から納骨堂や樹木葬などへと変化が見られてきています。
台湾 台湾の伝統的なお墓はとても大きくてカラフル。 遠くからだと、山の中腹にまるで家が並んでるかのように見えます。 「お墓というのは死者の家である」という考えから、このような形になったそうです。
台湾ではお墓参りは年に1回、清明節の日に行きます。 お墓参りの際には、ゆで卵の殻を地面に撒く習慣があります。 鳥が卵から生まれるように、お墓に眠るご先祖様がいたから自分たちが生まれたのだと、祖先への思いを表しているそうです。
インド ヒンドゥー教徒が多くを占めるインドでは、火によって死者の魂が解放され神の元へ行くとされており、火葬はとても重要な儀式です。 火葬後、遺骨はガンジス川に流されます。そのため、インド人はお墓を持ちません。 この世に執着を残さないようすべてを焼き、罪を洗い流し、聖なるガンジス川と一体化することで、悟りの境地へと達することができると考えられているのです。
ヨーロッパのお墓事情
 |
ひさびさに 国家とは何か! ( No.30 ) |
- 日時: 2019/03/26 17:32
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:Uq1lwM2I
- 狩猟・採集の時代を経て、農耕が始まると、人々は土地に定着し集団で生活するようになった。
日本でも環濠集落という形で、周囲に堀をめぐらせていた。初めての、邑(ムラ)と言う概念であった。 邑は農耕生活をする上で、また収穫物を他人に奪われないための最小の単位であったが、やがて人間の欲望は、邑を統括し、より大きな邑を手中にする者が現れた。 これを豪族と言い、各地に豪族が乱立し始めた。
ある種類の人間にとって、支配欲はとどまらず、豪族を統括し地方の覇権を唱える者が出てきた。 この状態は、支配地の統治のための決まり事を必要とし、ある意味の国家の誕生である。 その統治者にとって、日常の生活は問題ではなく、物質的な栄華を求めることが目的になり、更なる拡大化を目指すことになる。
魏志倭人伝(西暦200年後半)では、日本には邪馬台国を中心として30カ国が中国王朝へ朝貢をしていたことが記されている。 史跡としては証明できないが弥生時代の中期には、日本には100カ国ほどが存在していたと中国の文献で知ることが出来る。
大和朝廷の出現によって、5世紀前後に現在の日本に等しい統一国家が形成された。 現代人が考える国家の概念である。 日本においては今から1500年ほど前のことであるが、エジプトでは5000年前に国家の形態が出来ている。 中国、朝鮮を含めて世界の多くの国家は、2000〜3000年前に形成されたと思われる。
さて、その国家であるが、 どの地方でも最初は神がかり的な要素を伴っている。 (国家の歴史) >実態は権力者の独裁であったが、形の上では神権国家の形を取っている。 >国家経営が安定すると権力者は国民を私物化し、より強力な権利を主張する、これが封建国家という。 >このころヨーロッパではキリスト教が勢力を得て、権力者と結びつき神聖国家のような形態も生まれている。 イギリスでも王権神授説を唱え権力者の正当化を図っている。 権力者が神に頼らねばならなくなってきたのは、支配する大衆の意識をコントロールしがたくなってきたのであろう。 >このような時代も長く続いたが、画期的なのは、18世紀後半におきたフランス革命であり、これによって国民国家が登場することになる。 要するに主権在民の意識が高まり民主国家(近代国家)が人類の邑の発生から5000年を経て誕生したことになる。
ところで、高々200年の間に、人々の国家に対する意識の変遷が顕著である。 民主国家を手にした国民は、最初は自国の繁栄、発展を望み他国への侵略戦争、植民地戦争を始めた。 >略奪国家;国家を形成維持することによって、国民の繁栄が得られると思いこんでいたのである。 その後は、自国をより強力にするために専制国家の様相を帯びることになる。 第一次、二次世界大戦もこの延長で、しかも民主主義の名の下に行われた。 >このころ、従来の民主国家とは異なる階級国家(全体国家)の考え方がマルクスによって唱えられた。 >近代国家は、第二次世界大戦を経て、武力のよる覇権争いが無益なことを悟り、また資本主義の経済体制の矛盾が顕著になり、それに対応するために福祉を重視し福祉国家が求められることになって現在に至る。 一方で政治の実態は経済を中心とする資本国家と言えるものである。
以上、国家の形の形成を俯瞰してみましたが、 国家の性格と言う面からは次のような色分けが出来ます。
>野獣的国家
ホッブスのリヴァイアサンに代表される国家観です。国家は強制力を国民に誇示して、恐怖や暴 力を通して支配を貫徹します。国歌や国旗は、愛国=郷土(patria)のシンボルであり、それらのシンボルを通して国家は国民に対する従属を要求し、国 民は国家に対する忠誠を誓います。
>社会契約論(ルソーにより提起されたものであるが、理論上の概念である)
近代的社会契約論の内容は、「国家」が成立する前の「社会」の原始的な自然状態を仮定した上で、国家の正当性の契機を契約に求めるものだが、仮定する自然状態と、そこから国家を正当化する理論展開に多数の類型がある。もっとも、国家の正当性が成立する契機は、社会契約論のすべての立場で契約であり、王権神授説に基づく君主主権ないし国王主権と王権神授説は否定される。
>夜警国家
ドイツのラッサールが、近代国家(ブルジョアの利益を守る)の役割を揶揄して表現したもので ある。つまり、夜警国家とは、外敵に対する防衛、国内治安の維持、そして最低限の福祉政策に国家機能を限定しする自由放任の国家観である。福祉国家の対概 念とされてきた。
>福祉国家
1930年代の英国がナチスドイツの戦争国家に対抗して自国の国家を表象した宣伝用語に由来 する。それが冷戦期に共産主義全体主義国家に対する概念用語として洗練されていった。国民保険などに代表される社会福祉サービスを中心として民主主義を維 持するという国家運営形態を理想としている。
>多元的国家観
多元的国家における多元とは、国家を構成する諸団体の多元的共存状態のことをさす。つまり、 自由主義にもとづく利害諸団体の調整が、国家の役割である。国家は、多様な目的をもつ、それらの団体の調整に熱意を注ぐことに、民主主義の存在意味を見い だす。したがって、この社会の経済システムは新古典派経済学を軸とする自由主義経済である。経済のグローバル化に対しては、自国内の諸団体が不利益を生じ るときに権力を行使するが、通常は放っておかれる。
最後にもうひとつの側面、「大きな政府」と「小さな政府」について言います。
>「大きな政府」
経済政策や社会政策に、国が積極的に関与する政策です。そのため、財政規模が拡大する傾向にあります。
大きな政府では財政規模が大きくなるため、国のやるべき仕事も多くなります。必要なお金も増えるので、税金・保険料などの国民負担は重くなります(高福祉・高負担)。
政府が経済活動に積極的に介入することで、社会資本を整備し、国民の生活を安定させ、所得格差を是正しようとする。
大きな政府というと、北欧のたとえばスウェーデンやデンマークのような税金は高いが医療や福祉が充実していて、しかも全国民が無料でその恩恵にあずかれる国、というイメージだろう。
>「小さな政府」
「大きな政府」とは逆に、経済政策や社会政策について政府は関与せず、民間にゆだねる方法です。政府支出は少なく済みます。
小さな政府では財政規模は小さくなり、必要なお金が少なくてすむので、税金・保険料などの国民負担は低くおさえられます(低福祉・低負担)。
規制がなければ、個人や企業が思う存分力を発揮できるため、良いサービスが提供され、全体としても経済が活性化する。
行政に代わって民間が事業を行うことで、より効率的となる場合があります。国鉄がJRに移行したケースや、電電公社がNTTに移行したケースがあります。
小さな政府の代表的な国といえばアメリカです。日本は国民保険制度によって、収入に応じた保険料を支払えば、国の負担で医療が安く受けられますが、アメリカでは国民皆保険制度ではなく、個人がそれぞれ保険会社の保険に加入する仕組みとなっています。
※ 如何でしょうか。 ※ 皆さんは国家と言うものの概念を考えてみる事はありますか。 ※ 議会制民主主義国家! その言葉に何を期待されますか。 理想は何ですか。 個人の権利の保障、自由、平等の精神ですか、 格差のない幸せな社会ですか。 福祉国家であることを願って国家は運営されてきた事実はありますが、統治の実態は必ずしも理屈通りの理想からではありま せんでした。 人間社会の葛藤は、理想に従順に従い進むものでもありません。 もちろん、それでも現代社会は理想を求め続けるでしょうし、そうでなくてはなりません。 ※ ですが、実態は、どのような形の国家がありえるでしょう。
 |
国家とは、何かを考える! ( No.31 ) |
- 日時: 2020/07/26 00:05
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:q3i.rQco
- >欧州で「王国」を宣言したセトゥ人、中世の習慣を唯一残すスバン人【知られざる先住少数民族の暮らし】
国連によれば、世界には少なくとも5000の先住民族が存在し、人口は3億7000万人を超えるという。
ギャラリー:国境に分断され「王国」を宣言したセトゥ人 写真19点
彼らはもっとも不利な立場にある集団のひとつだ。政治的に蚊帳の外におかれるだけでなく、強制的に同化させられたり、差別や迫害の対象になったりすることも珍しくない。そのため国連は2007年に「先住民族の権利に関する宣言」を採択し、先住民族の権利や制度、伝統、文化は守られるべきであると宣言した。以後、今日にいたるまで先住民族の問題に積極的に取り組んでいる。
先住民族は世界中の90カ国以上に暮らしている。ここではそのうち、少ない数ながら独自の伝統文化を守り続けるヨーロッパの民族をふたつ紹介しよう。
ひとつめは、エストニアとロシアの国境にまたがるわずか数千人の“王国“の民、セトゥ人だ。
彼らは何世紀にもわたり、独自の伝統を頑なに守ってきた。たとえば、古代から伝わる彼らの多声歌唱は2009年、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。
一方で彼らは、独特の文化が現代社会の影響で失われるのを防ぐために、自分たちの王家を立ち上げるなど、まったく新しい慣習を生み出した。
現在、セトゥ人にとって最大の懸案事項は、彼らが暮らしてきたセトマーという地域を分断するロシアとエストニアの国境線だ。
かつてはふたつの国に明確な隔てはなく、国境線はあいまいにされていた。また20世紀には、国境線は幾度となく引き直された。二度の世界大戦、ソビエト連邦の盛衰、欧州連合成立など、さまざまな動きがあったためだ。
しかし、ソ連崩壊後の1990年代半ばにエストニアが独立を達成。そして、今も未承認ではあるものの、国境線がいつしかセトマーをロシア側とエストニア側に分割するものとなり、セトゥの人々、彼らの畑、教会、墓地をふたつに引き裂いた。
「国境が引かれ、彼らの生活は破壊されました」。国境線が明確になっていった時期にセトマーでフィールドワークを行っていたロシア、サンクトペテルブルクの独立社会研究センターの研究員、エレナ・ニキフォロヴァ氏は言う。
「国境線は彼らにとって、自分たちが独特の民族であると認識するきっかけとなりました。国境線で分断されたことにより、彼らは団結したのです」
ふたつの国に引き裂かれたセトゥ人は1994年、自分たちは新たな国家、セトマー王国を設立すると宣言した。それから20年以上がたった今も、彼らは王国を守り続けている。
>「おとぎの国」のような美世界 少数民族セトゥの王国
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO15265540T10C17A4000000/?page=2
(引用終わり)
人口数千人のかれら(セトゥ)が王国を宣言したそうである。 もちろん、一国家としての宣言ではないが、そこまでして一部の文化を貫く姿勢に戸惑いを感じる。
セトゥ人にしても、その文化を数千年維持してきた訳でもなく、歴史の中のごく一部に存在していただけのもの。 であるが、せっかく受け継いだ文化をないがしろにするものではない。
伝統の文化を守ることは、国家を宣言しなくてもできること。 世界には、現在200を超える国家がある。
セトゥ人(数千人)でなくとも、世界には数万、数十万、数百万の民族で独立国家を持とうとする動きがある。 民主主義的な考え方によれは、人数は関係なしに、それぞれに国家建設の権利があり、他の人間がはそれを認めなければならないことになる。
日本でも、アイヌ人、沖縄人は種族が違いと言い、独立運動が起きても不思議ではない。 それで、アイヌ人、沖縄人は何を得るのか。
自尊心!
現実社会は、本当にそれだけで生きていけるのか、幸せなのか。
人間は、どうして国家を言う枠組みに拘るのか。 国家とは、どのようなものあるかを認識せずに、種族の自立と言う願望だけで国家を考えているのであろうか。
中国とネパールの問題、中東のクルド人問題など、イギリスでもスコットランド独立の動きもあり、現行の国家の枠組み自体に反発する民族独立運動もある。 一概には言えないが、国家の概念をそれぞれが、もっと見直してから考えるべきこともあるであろうに。
中東のクルド人が結束し、新たな国を作っても、国家として、彼らの生活環境として、どれほどの進展があると言うのであろう。 どの様に少数民族であっても、彼らが存在する限り、彼らの文化を尊重し守って行くことは大事なことであろう、有意義なことであろう。
国家と民族と言うものを、もう少し柔軟に把握することが、将来の世界では必要になる。 そのためには、共有できる国家の概念を確立し、必要に応じて線引きする様になれば良い。
民主主義の社会とは言え、個人の権利の主張も、民族の権利の主張も、いい加減にしなければ、人類が折角築いてきた現代社会のルールを破綻させることになる。
それが、人類にとって好ましい変化か、問うべきである。
 |