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[2308] 国家観とは
日時: 2015/10/15 10:49
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:.r223Az6

掲示板のトラブルが続いています。
今回のことで、管理人さんとメールを交換しました。
今回は随分と苦戦されていますが、糾弾サイトに対する想いは依然、衰えてはおられないようです。
気分直しに、新しい話題を立ち上げます。


「一体、日本人は自国をどの様に捉えているのだろうか」

これは糾弾トップの管理人さんの言葉です。
改めて、私たちは、どのような国家観をもっているのか検証して見たいと思います。
物理的に言えば、国家とは、国境線で区切られた領土に成立する政治組織で、地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである。
と言う事になり、形態として、独裁国家、民主主義国家、あるいは夜警国家、福祉国家と言う表現があります。
ところで、国家観と言った場合、その識別とは別の意味も生じてくるのではないでしょうか。
要するに、どのような国でありたいと希望する国民の総意と言うものでしょう。
もちろん、現代の日本の国の形が、国民が望んだ結果の民主主義福祉国家であることは間違いありません。
その国家観と言うものを別の方面から見てみましょう。
革命と言う言葉、事象があります。

その革命時において、国民は自ら選ぶ国家の形に強い要望をもっているものです。
ところが社会が落ち着くと、国民は国家の有り様にあまり関心を持たず、自然と希望が実現されていると思い込みます。
何時も、何時も革命時のような緊張はありえず、全体には、それで良いかと思いますが、時が過ぎると共に、各々の機構の中に退廃が生じ不正が横行するものです。

それは具体的には、官僚組織の腐敗、利権政治の横行、経済的強者の横暴などの形で現れてきます。
それも、ある程度は人間社会の宿命のようなものでしょう。
ですが、度が過ぎれば、国家は最初に国民が望んだ国家とは異なる展開をしてきます。
民主主義国家の場合、こうした場合は選挙によって国民の意思で矯正することになっています。
ところが、現代社会において、国民が望んだ国家の形を歪なものとしている原因に、官僚、政治屋、独占企業家の存在の上に、市場主義経済のシステムと言う妖怪が君臨している問題があります。
言い換えれば、国家をより意識しなければならないのですが、経済を中心とするグローバル化は、国家の概念・枠組をも、あやふやなものとしてしまっています。

国家は、国民の望み以外の要素によって展開しているのです。
民主主義の概念の大きな要素は、各人の権利の確保であり、国家の有り様は、個人の権利が保証されていれば問題はないのです。
また民主主義は多数決という要素も含んでいます。
多数決の意味は、過半数の人々が満足していれば、当面は国家の有り様に異議を持たないのです。
要するに、現実以外の要素を検証することはなく、将来を見越したり、国家自体の有り様についての検証はしないのです。
逆に言えば、官僚の腐敗、政治の堕落、市場主義の妖怪の暗躍も、民主主義的に過半数の国民が異議を唱えない限り容認されるのです。
それが民主主義国家の形であり、半分は悪を容認し、過半数の国民が異議を唱えないかぎり、現状維持で続いて行くのです。
それが民主主義で、我々が望む形でもあり、また、過去の独裁国家に比べて、遺棄すべき形態とも言えないでしょう。
ですが、何か腑に落ちないものがあります。
少なくとも現在の民主主義は、必ずしも理想の形ではないのです。

この認識の上に立って、国民は何を考えれば良いのでしょう。
民主主義国家となって半世紀以上、国民は現状に満足し、国家の有り様を深く考える事をしなくなりました。
国民の理想の追求を手控えするようになりました。
その分、国家の運営に従事する官僚、政治屋共は、己らの使命、国民のために国家は、どのようにあらねばならないかと言う事について怠惰を決め込む事になります。
特に、日本の様に善良な国民精神がある国では、言い換えれば、お上意識が強く国家を無条件で信頼する我が国では国家に対する批判意識が希薄であります。
国家観が希薄とも言えます。

国民に国家観が希薄なので、官僚、政治屋共は、それに便乗し、またTPPの交渉等に見られる様に、本当の国民の立場を省みることなく、一部の企業のために、グローバル化を目指す世界企業のために門戸を広げる結果となっています。
安全保障の問題でも、真に我が国の安全保障を論じることなくアメリカ従属の安全保障に走ります。
考えて見ますと、100億に近い人間が、異なった自然環境、宗教の下に均一の価値観でまとめられるはずはないのです。
未来社会の話は別にして、当面は、地域単位、言えば国家単位の考えかたを持たねば、その国民が望む国家の形を維持していけないのではありませんか。

このように言いますと、多くの人は民族主義、国粋主義を想定されるでしょう。
歴史には、確かに、そのようなものがあり、それは現代社会では必要ではないものとなっていると思います。
ですが、国民が国家という枠組みを重要視しないと、現実のような事が起きるのです。
繰り返し、言います。
国家と言う枠組みを重要視すると言うことは、民族主義に凝り固まれというのではありません。
安全保障の問題や、TPPの問題に具体的に意見を言えと言っている訳ではありません。
専門的な分野の決断は専門家に任せば良いのですが、そうかと言って、国家の有り様に無関心では駄目だと言うことです。

冒頭に掲げた、管理人さんの言葉、

>「一体、日本人は自国をどの様に捉えているのだろうか」

これは、この言葉通りに受け止めれば良いのではないかと思います。
民主主義の時代と言っても、国家は必要であり、国家の有り様が国民の有り様を支配しているのです。
国民が国家の必要性を認識し国家観を強く持つことが、政治を糾し、行政を糺す事につながる事になります。
現代社会は、欠落した民主主義の概念を余りにも強く持つために、国家観を希薄にしているのではないでしょうか。
そのために、国家の横暴を招き、官僚の腐敗、マスメディアの退廃を招いていると思います。

選挙があると言っても、それは形だけのこと。
選挙に対する無関心もあり、結局は制度的には整っているとしても、実際は邪悪な勢力に、過半数の原理を上手く利用される結果となっているのでしょう。
さて、国家観とは、如何なるものでしょうね。

メンテ

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Re: 国家観とは ( No.1 )
日時: 2015/10/17 10:43
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:WIy2aE.g

TPPのスレッドに書いた様に、TPP交渉の妥結で農産物は、さらに安くなりました。

多くの方は目の色変えて、スーパーに並ばれることでしょうね。

さてね!

個人的には、そりゃ良かったでしょう。

だがね!

国家単位で考えると、我が国の農業、畜産業は壊滅状態になります。

医療保険制度も、今まで築いてきた国民皆保険も、経営難に陥るでしょう。

国内の景気回復の頼みとしていた公共事業も、海外の業者が参入し、大手建設業者は、今まで見向きもしなかった中小の工事にも手をだしてくるでしょう。

最後にはじき出されるのは、中小零細の建設業者です。

まあ、それでも金のある人には何の痛痒も感じないでしょうね。
国の景気指数も従来通りの数値を維持できるでしょう。

個人の権利、自由と言っているうちに、多くの人々は社会の構成員とは認められなくなって行くのです。

その時になって、社会(国家)を恨んでも後の祭り。

国家とは、何か!

その時に、国家の必要性を感じても、

もう、遅い!

皆さんが信じてきた、民主主義と言うものは、

決して皆さんを守るつもりはないことを、思うべし。

皆さん、

国家と言うものを

真剣で考えた事がありますか。

西欧で発生した民主主義は根本的に欺瞞を有しているのです。

いつまで

このやり方を信じるのですか。

我が国がトコトン壊滅するまで!
メンテ
Re: 国家観とは ( No.2 )
日時: 2015/10/19 09:20
名前: 贅六 @ 関西弁 ID:IP/Xct5Q

ワテは単純な人間ですよって、「国家観」とはその国に帰属する人間が自分の国に対して持ってるイメージや ! と思います。即ち、自分の国が、独裁国家か、民主国家か、覇権主義国家か、隷属国家か、又は、福祉国家か、収奪国家か、他に色んな性格が考えられますけど、その内のどれかが「自分の国やと認識してるイメージ」やと思いますねんけどね。

その伝で言うたら、今の日本は到底「民主主義福祉国家」てなもんやおませんで! 其の真逆の「重税型隷属国家」ちゅうとこやおませんやろか?

その証拠に、この処毎年の様に確定申告書から控除項目が減らされて、課税額がどんどん増えて行ってますやおませんか? 国民は可処分所得がどんどん減るもんやさかい、一例をあげると、自家用車なんかも普通車を止めて軽自動車に替えて行って、今や街を走ってる車の10台に4台位は軽四輪、いやもっとかも知れません。
そしたら今度、政府は軽四輪の自動車税を増税しよりました。それも一挙に70%もでっせ! 国会議員の奴等は碌に働かんと贅沢な歳費や政党助成金ちゅう二重歳費をふんだくってますよって、自動車のランニングコストみたいなもん屁とも思ォてまへんやろけど、庶民にはエライ重税ですがな。

其処へ持って来て、あんさんも話題にしてはる「TPP]の合意です。甘利のアホは嘘ばっかり言うてますが、此れで日本のあらゆる一次産業は壊滅状態で、其れだけや無ォてサービス産業、医療、医薬、保険、金融、その他、軒並みに被害を受けますがな。何にも況して、此れはアメリカンスタンダードの協定で、アメリカなんかの多国籍企業の思う様に行かなんだら、その相手の国や企業を国際法廷へ訴えて罰則金を取るちゅう無茶な箇条が這入ってる、ちゅうやおまへんか! こんな協定を結ぼうちゅうてる日本を「隷属国家」て云わずになんて言うたらエエと思いますか?

日本は基地の問題から経済問題その他総てに、アメリカと対等な関係に成る様にせなあきまへん。
メンテ
Re: 国家観とは ( No.3 )
日時: 2015/10/20 07:51
名前: 贅六 @ 関西弁 ID:5yi4Dk9E

もう一つ、書き忘れました。

今度の大問題、「集団的自衛権容認」の事だすが、「集団的自衛権」てなんだすか? いろんな議論がおますけどワテに言わしたら、此れは要するにアメリカの手先に成るこっちゃおまへんか? 要するに“アメリカの無報酬傭兵”ちゅう事やおませんやろか?

先の「TPPへの参加と言い、この「集団的自衛権の容認」と言い、自・公政権は此れを遣ると解って居ながら、有権者はこの政権を誕生さしよりました。言い換えたら此れは国民の「民意」ちゅう事に成ります。

そやからワテがゴチャゴチャ言うのは「ごまめの歯軋り」「牽かれ者の小唄」ちゅう事に成りますねんけど、書かなしょうないちゅう事が日本の不幸でおますねん。

ワテが見てるニッポンと言う国家観はまァ大体こんなもんでおます。勿論、異論も仰山おますやろけどね。
メンテ
Re: 国家観とは ( No.4 )
日時: 2015/10/20 09:11
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:dSKVIxWc

贅六 @ 関西弁 さん、こんにちは

>「集団的自衛権」てなんだすか?

今の日本では次のような事を言いますと、無条件で右翼と嫌われます。

今回の安保法制で多くの反対デモが置きましたが、その言い分は、ともかく戦争は嫌だ。
自衛隊員を一人でも死なせてはいけない。

と言うものでした。
また、アメリカへの追従が大問題であり、追従しなければ全てが上手くいくような様子です。

もちろん、アメリカへの追従は目に余るものがあり、自立と言う面では問題がありますし、何と言っても、憲法を無視するやり方は、安保法制の問題のみならず、我が国の民主主義のシステムの問題であり許されないことです。

ですが「安全保障」の問題に限れば、まったく子供のような理想論を臆面もなく振りかざす民意と言うものに絶望感を否めません。
一般の国民が、戦争をしたくないのは、どこの国でも、どの時代でも共通の思いでありますが、有史以来、戦争は絶えたことはありません。

現在、我が国が戦争を好まなくても世界中で戦いないし、戦いの発生が予想される状況があります。
そこで、何が何でも国を守る意思を持つことは必要な事と思います。
「集団的自衛権」を問題にされていますが、これも昔から脅威に対する軍事同盟などは、当たり前の事でした。

我が国は、平和な国民性であるように思っていますが、国内的には戦国時代を経験し、対外的にも、古くは朝鮮の百済への介入、蒙古との戦い、秀吉の朝鮮出兵、明治になってからば、日露、日清戦争等、普通に戦う国民性をもっていました。

実際に戦うこと自体は避けるべきと思いますが、戦後の様に、戦う気概さえ、持つことを否定するのは如何なものでしょう。
安倍自民党の安保法制に大反対することは良しとしても、その姿勢には納得できるものはありません。

このスレッドのタイトルは「国家観」としていますが。
大和魂スレッドの、大和魂の概念と同じように、「国家」と言う言葉で、民族主義を考えているものではありません。

民主主義の名の下で、個人のことばかりに目が移り、それで社会が上手く機能する様に思い込んでいる人たちに警鐘をするつもりで「国家観」を出しているのです。

孔孟の昔から、倫理、道徳は盛んに言われていました。
倫理、道徳は個人的な領域の問題提起です。
孔子、孟子の説く思想は有益であっても、それだけでは不十分であって、理想社会など現出はしませんでした。

理想社会など、飽くまでも理想であっても、現代社会においても、民主主義的思考だけでは、とても理想社会への切符でないことは自覚するべきであります。

「国家観」とは、その民主主義へのアンチテーゼとしての意味があると思っています。

さて「国家観」とは!




(追伸です)

アメリカを悪と決めつければ万事都合の良いように言われていますが、

そうではなく、悪の根源は資本主義であります。

多くの人々は、自分たちも、その資本主義の恩恵に浴していることを知っています。

ですので資本主義、そのものを悪く言わず、その傀儡、アメリカを攻撃することに変えています。

そういう身勝手が問題の解決を曖昧なものとして現状が続いているのです。




メンテ
Re: 国家観とは ( No.5 )
日時: 2015/10/20 12:19
名前: 贅六 @ 関西弁 ID:5yi4Dk9E

天の橋立はん、

現実論を展開しろ! ちゅうお説の様でおますが、其れは尤もなご意見でおます。

理想主義を振り回しても、理想社会は生まれない! 此れも尤もでおます。

更に又、資本主義がアカンのであって、アメリカを責めてもしゃー無い! 此れは少々納得できまへん。

ワテに言わしたら、資本主義=アメリカ ちゅう事でおます。アメリカちゅう国家とアメリカに存在する(アメリカ以外にも存在しますが)巨大資本は強う結びついて一心同体ですがな、其処へ軍事産業が加わって、アメリカントリニティ=三位一体と思てますねん。

それから、資本は現実論で事を運びますが、政治は理想を高く掲げて其れを現実論で処理して行くもんや、とワテは考えてます。

「憲法」ちゅうもんかて一種の理想論ちゃいますのん? 憲法の下に在る諸法律、むかしは「六法」で括ってましたけど、刑法、民法、その他諸々の法律にはかなり現実論に即した条文がおますわなァ。ま、ワテは法律なんか全然弱いので此れ以上は書けません。

それとねェ、

ワテはなんぼ「安保条約」をアメリカと結んでても、「手下」に成るな!ちゅうてますねん。二国間はあくまで対等の関係やおまへんのか? 今の日米関係見てたら決してそうやおまへんわなァ。此れは何でやねん? 皆、政治の貧困の所為とちゃいますか?

日本は過去にアメリカの要請を受けて後方支援の働きをした事実がおますが、その時も戦闘の第一線へは出まへんでしたなァ。それは憲法9条の縛りがおましたよって、歴代の政治家が其れを盾に断った成果やと思うてます。そやから自衛隊は今迄一発の銃弾も撃たず、一人の外国人も殺してまへん。

世界中で、戦争や、武力紛争、が有るから言うて、其れに備える事は容認しますが、自分とこが攻撃されてる訳でもないのに、友達が殴られてるから言うて喧嘩に参加するちゅうのは愚の骨頂ですわ。毛唐の連中は何でもかんでも腕ずくで物事を解決しようとしますが、奴等の文化と我々の文化は違うんです。戦争回避に全力で頭を絞るのが政治家の役目、その頭のない奴が殺し合いに参加したがるんですわ。 安倍はそのドタマ空っぽの見本だす。
メンテ
市民革命 ( No.6 )
日時: 2015/10/20 14:37
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:dSKVIxWc

贅六さん、ことのついでに議論を進めてみましょうか。

>資本主義=アメリカ 

なるほど、それで、とりあえずアメリカを糾弾しようと言うことですか。

でも、資本主義=アメリカ=日本でもあるのです。

共通するのは、資本主義のルールです。

資本主義の恩恵も大きなものがあり、世界中の国民はそれに浴してもいるのです。

その国民の立場で、資本主義のルールの中でも自分たちに都合の良い事には触れず、都合の悪い事を非難しても、そうは上手く解決できないのではないでしょうか。

グローバル化の問題も同じで、良い面、悪い面の両方があります。

悪い面を取り除こうとすれば、良い面にも影響が出てきて、何らかの辛抱が必要になります。

日本の民意も、そういうことは考えていないでしょう。

満天下さんと議論になった、ヘリマネのことも、通貨発行権を国家に取り戻すことも、都合の良いことばかりではありません。

それを乗り越えて全体を俯瞰する必要があるのですが、おそらく国民は、それに応じることはないでしょう。

安全保障の問題でも、本当に自分勝手な理屈を超えてはいません。

例え、アメリカを打倒しても、日本自身に同じ資本主義の悪魔が潜んでいるのです。

アメリカが良いとは言いませんが、アメリカを倒せば問題が解決する、アメリカ追従をやめれば問題が解決すると言うような誤魔化しをやっていてはいけないと言いたいのです。

でもね、ここまで浸透した民主主義の幻想は、とても、それを乗り越えることはできないでしょうね。

要するに、これらの問題は個人が個人としてどんなにあがいたところで何もできないのです。

だから、国家の問題に言及しているのです。

その国家観を認識するにも、国民の間に、革命的転換が必要でしょう。

私は、それを第二の市民革命と呼んでいます。

対決する相手は、打倒すべき相手は

昔の様に、特定の独裁者はいないのです。相手は

これまた、市民の片方なのです。

そこが一番の深刻な内容なのです。

>資本は現実論で事を運びますが、政治は理想を高く掲げて其れを現実論で処理して行くもんや、とワテは考えてます。

これについて異論はありませんが、そうなる事には大きな問題が横たわっているのです。

現在の民主主義で考えられている手法では、国民の意識改革ができなければ、到底無理な事と思います。

政治は理想を掲げて進むと言われていますが、

その理想を野党がもっているとは思いません。




メンテ
Re: 国家観とは ( No.7 )
日時: 2015/10/20 14:43
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:dSKVIxWc

追伸です。
最後のこの言葉を見逃していました。

>毛唐の連中は何でもかんでも腕ずくで物事を解決しようとしますが、奴等の文化と我々の文化は違うんです。


これですよ、私が色々なスレッドを使って言いたいことは。

キリスト教を基礎とする、アングロサクソン流の文化が世界を席巻していますが、私は、多神教である東洋思想に基づいた文化こそが、世界に行き渡るべしと考えています。

その走りとして、我が国が、その先鞭をつけたいものですね。

メンテ
Re: 国家観とは ( No.8 )
日時: 2015/10/20 20:04
名前: 贅六 @ 関西弁 ID:5yi4Dk9E

ワテは、アメリカ打倒で事が済むとは思うてまへん。

仮に、何としても日米安保を存続させたいのやったら其れでも宜し。但し安保条約ちゅう「条約」である以上、飽くまで対等である可きや! ちゅうてますねん。

幕末にペリーが遣って来てアメリカと結んだ「日米和親条約」みたいな“不平等条約”を、なんで従来からの自民党政権は唯々諾々と存続させてるねん? ちゅう事だす。

戦後ず〜っと自民党政権が続いた訳でおますが、ニッポンは何が悲しいて此処までアメリカの言いなりに成るんや!ちゅう事だす。此れが全くワテの理解の外だすわ。安倍のアホぼん以下、自・公の連中はニッポン人としての誇りも自尊心も持ってまへん。

此れを売国奴と言わずして何と呼びますか? 今の自民党や公明党は将に亡国の政党やおまへんか!

あんさんが仰りたい事は、戦後、自由党、民主党、等の自民党的保守政党がアメリカの影響下でず〜っと民主主義“的”政治を遣って来て、日本の経済規模も拡大した! 日本人の生活水準も上昇した! 此れは資本主義のお蔭や! と言う事ですやろけど。事実として此れを否定はしまへん。併しこの裏にはあんさんが何時も「アングロサクソン研究」で言うてはるアングロサクソンの腹黒さ、狡猾さ、冷酷さ、なんかが渦巻いてて、日本の地政学的利用価値を抜け目なく持ち続けようとしてるんや!とワテは邪推してますねん。

ワテが重要視するのんは、国際政治の場に於いてはすべて「今」が重要やと思うてますねん。如何に過去にアメリカが日本を助けようとも、現在日本を属国扱いしてるんやったら、今のアメリカを厳しく指弾すべきや!ちゅう事でおます。

重ねて言いますが、ワテはアメリカ打倒を叫んだ積りはおません。日本の政治がアメリカに追従するのでは無ォて、日本として自立自存の姿勢を持たなアカン! ちゅてますねん。
メンテ
Re: 国家観とは ( No.9 )
日時: 2015/10/20 20:59
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:qEFsw.Vc

>重ねて言いますが、ワテはアメリカ打倒を叫んだ積りはおません。日本の政治がアメリカに追従するのでは無ォて、日本として自立自存の姿勢を持たなアカン! ちゅてますねん。

ますます佳境に入ってきて、頼もしいですね。

日本として自立すると言うことは、すなわち、経済的に自立することにほかなりません。

アメリカの金融資本の支配から脱却しなければなりません。

対米の直接の関係でなくとも世界を股にかけてアメリカの嫌がらせを切り抜ける必要があります。

日本経済は、相当血を流す事になるでしょう。

血を流しても日本と言う国家自体が消滅することはありません。

ですが金融鎖国などの政策を導入し、最低限の日本のシステムを維持しなければなりません。

これが出来ないのですよ。

何となれば、日本の中に、小アメリカが住みついているからです。

しかしながら、如何なる独裁者であっても、最終的に一番、恐るのは大衆なのです。

1/3くらいの大衆は虐殺しても、全ての大衆を殺してしまっては独裁国家が維持できないからです。

要するに、

民意が立ち上がってこそ

>日本として自立自存の姿勢を持たなアカン! ちゅてますねん。

と言う事が出来るのではないでしょうか。

そうして、民意を立ち上がらせるためには、明確な旗印がなくてはなりません。

未来の国の形、未来の経済の形を指し示す事ができなければ、民衆は命をかけて立ちあがらないでしょう。

究極のところ

それが問題なのです。


メンテ
Re: 国家観とは 長いものには巻かれろ、ではあきまへん! ( No.10 )
日時: 2015/10/21 04:32
名前: 贅六 @ 関西弁 ID:7Cve6oe6

国家観が日米関係論に成ってしもてますけど、仕方おません。1945年以後、アメリカ抜きでは日本を語れん様に成った、ちゅう或る種情ない状況に成ってますよってねェ。それ程日本は“アメリカ鮫”の腹に吸い付いてる“小判ジャップ鮫”に成ってますよってねぇ。
此れには二通りの意味がおまして、日本は“アメリカ鮫”ちゅう核の傘に隠れて、己の身の安全を図って来た(日本の一方的幻想)つもりが、何時の間にか“小判ジャップ鮫”の名前の通り、“アメリカ鮫”に〈小判〉を吸い取られていた! ちゅう間の抜けた話でもありますねん。
ホトトギスに托卵された鶯の親みたいに、小っちゃい親が我が身の何倍も有る子ォをせっせと育ててた! ちゅう事ですわ。

其れは其れとして、

天橋立はんも感じて居られる様に、日本の政治と民衆の、だらしなさ、不甲斐無さ、に付いてワテはもう半ば絶望してますねん。

リーマンショックやバブル崩壊以後、失われた10年とか20年とか言われますけど、その間政治は為す術も無く己の安穏に身を任せて国民を塗炭の苦しみの中に放置して来ました。更にここ1〜2年の間に安倍自・公政権は、先祖帰りとも言える右傾化を進めて、昭和初期を彷彿とさせる国の姿を形作ろ!としてる様だす。

「一億総活躍」なんちゅう“時代遅れ・アナクロニズム”な、幼児性丸出しのスローガンを恥かしげも無ォ発表して悦に入ってる姿を見ると、なんぼ「岸」の孫や言うても余りにも芸が無さ過ぎやろ! て思て、泣けて来まっせ。

親玉が親玉やよって閣僚は勿論党幹部の面々も揃いも揃うてアホ面ばっかり、隣りの“赤い大国”の国家主席のむくんだ面と変わらん低俗な顔ですがな。

政治家=議員は国民が選ぶもんですけど、その政治家に矜持が無さ過ぎますがな。

国民の意識が変わらなあかん、ちゅう話も同意しますけど、政治家がアホ過ぎます。そのアホ過ぎる政治家が、なんぼアホや言うても我々が此処で議論してる程度以上の知性は持ってますやろ! 現在、一党独裁みたいに成ってる政権にゴマンと居てる議員の中に、マトモな考えを持った奴が一人も居らんちゅう事が問題ですわ。此の思考停止の従属性、無為無能、無責任、なんかを見るにつけ、この国は終わったなァ、て思うのが、ワテが日本と言う国に対する国家観でおますわ。
メンテ
Re: 国家観とは ( No.11 )
日時: 2015/10/21 09:35
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:TdWlT/fE

贅六 さん

想いは、概ね変わらないでしょう。

ですが、政治家が悪いと言う面を、掘り下げてみると、
現在の政治家、学者は次の事ができない事です。

その理念さえも確率していないのです。

革命と言うものは、誰か先見者が旗印を掲げて大衆を引っ張って行くものであり
それが政治になります。

革命と言う現象でなくても、政治家は大衆を率いて行かねばなりません。
その政治家自身の豊富、理念が、たかだかアベノミクス程度のことより言えないのです。
他の政党は、そのアベノミクスに変わるものさえ、言うことができません。

明確に、これを示せるものがいたなら、国民はついていくでしょう。
安保法制デモでも、あれだけ盛り上がったのですから、それは間違いありません。

国民のだらし無さ、政治の無責任を嘆く前に

経済学者の怠慢、社会学者の怠慢があります。


>そうして民意を立ち上がらせるためには、明確な旗印がなくてはなりません。
>未来の国の形、未来の経済の形を指し示す事ができなければ、民衆は命をかけて立ちあがらないでしょう。

メンテ
Re: 国家観とは ( No.12 )
日時: 2015/10/23 00:09
名前: 贅六 @ 関西弁 ID:VO1Mkktw

自分の国に対する認識は人夫々各人によって異なるもんですわねぇ。

天橋立はんの書き込みを見てましたら、「革命」ちゅう言葉が出て来ますけど、ワテも以前は「革命」に付いてある種の待望論みたいなものを持ってました。併しこの頃はチョッと考えに変化を来たしまして、「革命」にあんまり期待せんように成ったんでおます。

「国を憂え、義に燃えた人物が出現して、巧みな弁舌で人心を掌握し、腐敗した政権を打倒して、新しい政治形態を創設する」ちゅう事は、少しでも野心のある人間やったら、誰しもやってみたいと思うもんですが、民衆が付いて来ん限り事は成就しまへん。

今の日本を見渡した時、自分らの暮らしを変え得る選挙にすら、有権者の半分以上が棄権する、無気力、無思考、な日本人では、革命なんか起し得る筈はおまへん。取敢えず今日・明日を食えたらそれ以上のエネルギーを消費する事はしまへんのだす。

此の事は統治する政権側から言うたら、「この都が即ち我々の政治が上手く行っている証拠、国民は満足しているのだよ!」ちゅうて、例えば「国会前デモ」をして居る勢力を嘲笑いますやろ! 斯う言う事からワテの革命待望論は破棄せざるを得ん様に成ったんでおます。

天橋立はんは、経済学者、社会学者、らの怠慢・無為を嘆きますが、これ等当節の学者は概ね「体制側」の人間でおまっせ! 民衆の事なんか碌に考えんと机上の空論ばっかり書いたり言うたりする「売文業者」だすがな。

国や政治を変えるのは国民が「俺の国は、こんな事ではアカン! 今を変えるべきや!」と言う確固たる国家観を持って、唯一実力行使を出来る「選挙」によって、先ずは、現政権を倒すべきや! と思いますわ。
メンテ
国家観と大和魂 ( No.13 )
日時: 2015/10/23 21:54
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:4qmCfS8I

国家観とは

くしくも別スレッドで「大和魂」について語っています。

その「大和魂」と言う概念も、戦前に、それによって無謀な戦場へ駆り出された思いが否定的に言われています。

国家観も、オリンピックで日の丸を上げて喜んでいる程度なら良いのですが、ともすれば国粋主義になり、身勝手な暴走を始めます。

ですが、同時に

>日本の政治と民衆の、だらしなさ、不甲斐無さ、に付いてワテはもう半ば絶望してますねん

とか、最近の日本はどのようになったのか

とか、日本の経済は・・・

日本の社会福祉は・・・

とか、常に生活共同体としての単位で喜怒哀楽の対象とします。

国家とは、単ある地理的境界線以外に、国家であることの内容を含みます。

また、国の安全保障、治安の問題も国家単位で成果を求めます。

民主主義が行き渡り、個人の自由権利が主張される現代社会でも、やはり共生の場の論理(ルール)が必要とされるのです。

それを意識するのが国家観であり、

どのような共生の場を期待するか決めるのも国家観なのです。

「大和魂」の概念の規定に苦慮されている節もありますが、国家を意識することは、すなわち、その精神的なバックボーンないしアイデンティティと言うものも問われるでしょう。

個人の権利、自由を謳うだけでは共生はできないのです。

先に言いました様に、余りにも全体を強調しすぎると、あらぬ方向へ暴走しやすいのも人間社会の定めです。

ですが共生に対する、国家に対するある意思が働かねば地理的境界の表示以外に、国家は機能しません。

国家観とは、そういうものであり、また少し取り上げ方は違いますが「大和魂」と言うものも、必要ではあるが、特定し難いもの、また特定すべきでないものとも言えましょう。
メンテ
Re: 国家観とは ( No.14 )
日時: 2017/07/27 03:03
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:xPt0KGIY

他のスレッドでも、政治・行政の有り様が問題にされています。
格差が広がりつつある経済の問題でも同じです。
私たちは常に政治に期待しながら生活しています。

封建時代、専制時代と違い、主権は国民にあると言う民主国家では、国民の期待が何処まで叶えられるかが政治であり、国民は常に政治に関心を持つと共に、不平、不満を募らせます。
民主主義と言うのは、主権在民の下で、市民の権利、自由を認めるというところから発しています。
しかしながら、我が国で言えば1億2000万人の国民の不平不満をすべて解消できるような結果は望むべくもありません。

また人間と言う生き物は、至高の動物の様に考えられますが、実際は何をしでかすか解らない生き方もします。
一般国民の欲望も、どこまで広がるか計り知れません。
金持ちは策を弄して益々金を貯めようとします。
権力を手にした人間は、自分の為に権力を使い始めます。
我が国で言えば、1億2000万人、世界で言えば100億の人間の行動を社会的な正義の枠で捉えることは出来ないでしょう。

ですので、国家とか政治に関することは常に問題を含んでいます。
政治とか国家はどのように理解すれば良いのでしょう。

(ここにウィキペディアから概念を引用してみます)



まず、国家とは

国家とは、国境線で区切られた領土に成立する政治組織で、地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである。領域と人民に対して排他的な統治権を有する政治団体もしくは政治的共同体である。 政治機能による異なる利害を調整し、社会の秩序と安定を維持していくことを目的にし社会の組織化をする。またその地域の住民は国家組織から国民あるいは公民と定義される。

次に政治とは

政治とは社会に対して全体的な影響を及ぼし、社会で生きるひとりひとりの人の人生にも様々な影響を及ぼす複雑な領域である。広辞苑では「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。」としているわけであるが、政治は、社会や社会に生きるひとりひとりの人にとって そもそも何が重要なことなのか、社会がどのような状態であることが良い状態なのか、ということも扱い、様々ある人々の意志からどれを選び集団の意志とするか、どのような方法でそれを選ぶか、といったこととも深く関係している。
古典である『政治学』を著した古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、政治を研究する政治学を《善い社会》の実現を試みるためのマスターサイエンスであると位置づけている。このような位置づけは政治が理想社会を実現するために社会に対して働きかける性質を持つことを示している。政治が善い社会のために社会に作用する一方で、何が社会にとって善いかという問題に関する対立や協調も政治の領域には含まれる。この側面について政治哲学者のハンナ・アーレントは『人間の条件』の中で、政治を 自己とは異なる他者に対して言語を使って働きかけ、結合する行為であると捉えている。つまり政治とは人々が善い社会で生活することを達成するために、社会に対して働きかけることであり、また何が善いことかという判断に関する議論を伴うものであると言うことができる。

最後に、政治の形態である議会制民主主義について考えてみましょう。

「議会制民主主義は、国民が選出した代表者で構成される議会の討議にもとづいて政治を運営していくことによって、国民の合意による政治という民主主義の理念を実現しようとするものである。議会制民主主義のもとでは、議会は、国民の意思を代表するものとして、政治の中心におかれることになる。対になる概念として直接民主制がある。現在ほとんどの国が「間接民主制」である。
日本国憲法前文は、国民の代表者が権力を行使するものとし、国民は「正当に選挙された国会における代表者を通じて」行動すると述べて、議会制民主主義を採用することを明らかにしている。 議会制民主主義が本当に民主主義として機能するためには、代表者(議員)の構成が、民意を正しく反映するものでなければならない。したがって、国民の意思を可能なかぎり反映できるような選挙制度が要請される。また、議会においては、多数決による決定の前に、少数意見を最大限に尊重した冷静な討議がなされなければならない。

(ウィキペディアからの引用終わり)
 
現代社会に於いて政治を語るとき、民意が反映されているか、いないかが最重要の問題とされている。

しかしながら、その民意を見るだけで政治が出来るかと言えば、そうでもないのである。

小泉内閣の時でも、小泉の示した郵政民営化の施策以外に選択肢は別にあったのであるが、民意はそこまで見通すことは出来なく、賛否を問うだけに終わり、政治もそれを求める結果で終わった。

また、民意が特の権力者と対峙した時、革命的発想でも無ければ民意が政治を動かすことは出来ないことが多いのである。

ここまでは、現実問題として仕方がないとして、問題は政治家の方にあるのである。
奴らは議会制民主主義の形を遵守することばかりに重きを置き、

いわゆる「政治の理念(政治学)」の存在を疎かにしているのである。
疎かにしていると言うよりも、この崇高な理念を実現できる能力のある政治家がいないのである。

民意は大切な要素ではあるが、民意だけで政治が出来るほど民意は確実なものでも、信頼できるものでもないのである。
独裁の危険があるとしても、政治は大衆をリードしていかねばならないのである。
それなのに、選挙の時の大衆受けばかり狙って、自己保身のために、無難な対応よりすることが出来ない、官僚の様な体質となっているのである。
政治とは大衆を操作することと思い込んでいる。

大衆の側にも問題がある。
知識の吸収のみで思い上がった大衆は、己の考えに合わせて政治を理解し、判断する。
もっと大きな優れたものの存在を、大切なものの存在を求める気持ちがないのである。
こうして衆愚の政治が民主主義の名の下に蔓延しているのである。
そうしたなかで「議会制民主主義」と言う言葉だけが、弄ばれているようだ。

議会制民主主義と言っても、政治と民意が常に有効に作用する状況はほとんど期待できないのである。
それでも、そういう確執を経て、結果的に民主国家の尺度として社会福祉政策の実現の内容がある。

社会福祉精度が民主主義が勝ち取った国家の形なのである。
問題は、この社会福祉の制度が撤退を余儀なくされている事であり、その様になるのは政治の失敗、さらには国民の責任でもあるのである。
その失敗のほとんどは財源不足から来ている。

ところが、国民は政治に対する不平不満は言うが、財源の問題の解決策を考える事は出来ない。
政治を糺し景気を良くすれば問題が解決できると思い込んでいる。
だが実際は、我が国のGDPを見ても増えこそしていないが減りもせず、財源的に社会福祉政策を削減する理由にはならないのであるのであり、GDP(国民の経済力)だけを指標に問題を解決することは出来ないことは解っているはず。

結局は、国民の政治に対する不平不満と、問題に対処する能力のない政治の騙しあい、莫迦しあいが続いているのが現状である。
最近になって、政治家の方から「小さな国家」論が出てきているが、そんなものは政治の失敗の言い訳に過ぎない。

社会福祉制度を明治時代の内容にすれば、年金制度、医療保険制度、ましてや介護制度などすべて取りやめるか、現在の1/10、2/10程度に切りちじめ、義務教育制度くらいは守るならば、財源の問題は解決する。

それでは、最近百数十年の歴史は、国民の努力は、科学技術の発達は何の意味があったのか。
それらが無意味であるとは到底思えないし、思う必要もない。
現実の要素、社会的インフラ、生産力、科学技術、金融のインフラなどを総動員して、何が出来るかを考えていくのは政治であり学問ではないか。
それで、どうして明治時代の戻らねばならない。

国家とは何か!
政治とは何か!

まさに、これが問われているのではないか。

メンテ
Re: 国家観とは??? :国民一人一人が主権でその集まりである!!! ( No.15 )
日時: 2017/10/10 12:57
名前: イントゥイッション ID:9Mm4RFj.

>国家とは、国境線で区切られた領土に成立する政治組織で、地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである

国家は政治組織ではない!!!

天橋立! お前はやはり相当な右翼団体の(似非右翼)の化石頭脳だ!!!

国家とは、国民一人一人の国民主権者が集まって地域があり、地方があり、都道府県があり、国がある! 国は最後である!

政治とは、地域の中からはじきとばされた弱者のためにある!!!

まさしく生活です!!!
メンテ
Re: 国家観とは ( No.16 )
日時: 2017/10/10 13:38
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:43hMpGOE

>国家とは、国民一人一人の国民主権者が集まって地域があり、地方があり、都道府県があり、国がある! 国は最後である!
>政治とは、地域の中からはじきとばされた弱者のためにある!!!

で、あれば、現実は

世界中の政権は独裁者となる。
封建時代となんら変わらない。

もう一つ

経済は国境なし。
その経済のシステムに冒された現実をどのようにされるのか。

経済のグローバル化に呼応したのも国民である。
現代社会の問題の殆どは経済の問題にたどり着く。

そのグローバル化の弊害を、

市町村単位で解決できると思われるか。
市会議員さんが、そんなに頼れるか。

通貨管理の問題でも言っているように、それに対抗できるのは国家単位の施策である。
国家がしっかりしなくて、どうして地域の住民、国民を守ることが出来る。

また国民一人一人が団結して政治が正しく機能するならば現在の問題は元々ない。
民主主義と言うものを過信している事こそ民主主義の害である。

国民の声を正しく代弁するのが政治である。
そういう政党が無いことが問題ではないのか。


口先だけで代弁しているのをペテン政党と言い、

これならば現実に存在する。


メンテ
小沢一郎の自由党が国民の声を代弁しているではないか!!! ( No.17 )
日時: 2017/10/10 14:38
名前: イントゥイッション ID:9Mm4RFj.

野党の中にはとてもがんばっている党がある!!!

それが自由党である!!! 本当に正当な党である!!!

共産党なんて、野党を割れさせるためにある自民党と同じ穴のムジナである!!!

>通貨管理の問題でも言っているように、それに対抗できるのは国家単位の施策である。

日銀は国家の銀行ではない! プライベイトな銀行である!

>経済のグローバル化に呼応したのも国民である。

国民ではない!  大企業の大株主とユダヤ金融悪魔である!!! 

労働者は、どんな嫌でも、他の第三国に送られる! 仕事だから仕方がない!

>その経済のシステムに冒された現実をどのようにされるのか。

まず、竹中平蔵がトップの国家戦略特区を廃止することである!!!

5年前もたくさんの国民が選挙に行っているにもかかわらず、投票率が低いなどと嘘をはく犬HK!!!

ゴローバル化の真実を見つめなければいけない!!!


メンテ
Re: 国家観とは ( No.18 )
日時: 2017/10/10 15:59
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:43hMpGOE

>労働者は、どんな嫌でも、他の第三国に送られる! 仕事だから仕方がない!

ユニクロだコンビニだ!

と群がっておいて、都合が悪くなれば売る方が悪いと言う。

それを衆愚という。

民主主義の敵は衆愚であるのだ。


メンテ
>民主主義の敵は衆愚であるのだ。=ということは、戦争屋安倍を支援した言葉だ! ( No.19 )
日時: 2017/10/12 12:48
名前: イントゥイッション ID:ppSSHIw2

とんでもない!

加計で50億円以上の税金を詐欺というよりは泥棒をしている大犯罪者をそっこく逮捕しなければいけない!

加計と安倍をすぐに牢屋にぶち込め!

逮捕できないのは、検察も同じ穴のムジナである!

オウム事件も関連している大犯罪者たちである!

ユニクロやコンビニが他の国に広がることがなぜ悪いのか? 日本から撤退している会社ではない! 

ただ、日本では日本で生産されたものを売ればよい! だがそれをやらないように制限をする政治が必要だ!

今の政治はブラック企業の言いなりだ!

大衆が悪いのではなく、企業の支配者が悪いのである!

メンテ
Re: 国家観とは  国家権力は腐敗する! と言う見方も有る ( No.20 )
日時: 2017/10/14 08:00
名前: 馬鹿者の戯言 ID:eZib27Xg

イントゥイッションさん、貴方の言う事に同意します。

抑々、「国家観とは」等と言う命題からしてまことに抽象的 ! 「百人寄れば百の“国家観」が有る」と言われても仕方が無いのです。でも、まぁ、其の百の“国家観”の類似的な物を集約してその国の国民の国家観であると言う事は出来るでしょうけれど・・・。

“国家”と聞いて頭に浮かぶのは“国家権力”ですが、英国の歴史家「ジョン・アクトン」の言葉に依れば『権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する』です。

つい四日前に、衆院の総選挙が始まったばかりですが、巷の噂では早くも自民党の圧勝 !と言う話で持ちきりです。実に情けない話ですが、安倍自・公政権の「暗黒の帝国」は強固にその力を保持しているようです。
そしてメディアは「安倍自・公」は引き続き 絶対多数 を維持し、腐敗した権力は更にその腐敗の度を増してゆくでしょう。即ち「権力は絶対」と成り、その「腐敗も絶対」と成る訳です。

此処で考えなければならないのは、その「絶対権力」を産んだ有権者は、「絶対腐敗する絶対権力」を望んだ訳では無い、と容易に推察できます。
にも拘らず「絶対権力」は、有権者の意向から乖離して腐敗の度を増していくのです。此れは如何言う訳なのか? 権力の椅子に魔物が住んで居るとしか思えません。権力を握った人間は、其の椅子に座った時から魔物にとり着かれ、本来持って居る人間の邪悪な物の増長に拍車が掛かり、我欲に満たされた行動に歯止めが利かなくなるのです。

権力者は、傍らに正しい助言者、公正な協力者を、持つ事が必要ですが、歴史上其れを持たなかった権力者は長続きせず、その命運を終えました。源 頼朝も、織田 信長も、その良い例ではないでしょうか? しいて言えば豊臣 秀吉もその範疇に這入るかも・・・

では何故安倍が長続きして居るのか? と言う問い掛けが聞こえて来そうですが、その安倍も決して長続きではありません。多寡が5年が10年続いたところで長い歴史から見れば決して長くは有りません。 その内安倍も滅んでしまいます。
メンテ
Re: 国家観とは ( No.21 )
日時: 2017/10/14 12:09
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ii2hd3O.

>「百人寄れば百の“国家観」が有る」と言われても仕方が無いのです。でも、まぁ、其の百の“国家観”の類似的な物を集約してその国の国民の国家観であると言う事は出来るでしょうけれど・・・。

それこそ抽象的な結論。

国家観が100人100様であっても問題はない。

それと統治の問題は別にある。
統治という事は人間が邑を作った時からあり、集団で生活する場合の必然の掟。

民主主義でも統治の主体が人民と言うだけで国家があれば、その国家の統治は存在する。
統治を否定すればアナーキスト。

アナーキストとして社会を否定するならば別として、丁度、衆院選。
人々は自らが思い描く国家観にそう議員に票を入れる。

単ある人気投票であってはならないはず。
まあね、実際には各人の判断の基準(国家観)があやふやだから人気投票化しているきらいはあるが。
また国家観全体を見ずに枝葉末節に拘りすぎる懸念もある。

自民党政治を非難している皆さんも、何を基準に非難されているか。
それは、それぞれの国家観(こういう社会、国であって欲しい思い)からではないのか。

国家と言う言葉が権力(統治)を連想させても自然なこと。
あって当たり前。なければ統治の機能が発揮できない。

その言葉、権力の概念と国家観とは全く違うもの。

>「国家観とは」等と言う命題からしてまことに抽象的 !

もともと言葉の定義は抽象的。
それでも(抽象的)国家観の概念を養う事は国民に大切なこと。

それなくしては民主主義は実らない。
国家観と聞けば
戦前の神道国家を連想する方が異常であるのではないか。

その代わりにあるべき国家観の醸成を妨げる事はない。
我が国に正常な国家観が醸成されることを願って止まない。

国民の多くがあるべき国家観を共有することこそが民主主義を醸成するのではないか。
また、その国家観は、全体として有効でなければならない。

部分的な好悪で国家観を歪なものとしていては、本当の民主主義国家を成すことは出来ない。
我々自身の為に。
メンテ
Re: 国家観とは ( No.22 )
日時: 2017/10/14 12:19
名前: 馬鹿者の戯言 ID:eZib27Xg

「意味も無く 又も絡むか 愚痴人間」

私の書いた文節を張り付けて居る所を見ると、上の様な語句がほとばしって来るが、♯21のレスは何を書いて居るのか解らない。

単語や語句に明確な理解をして居ない所も有る様だ。

しかし、絡む相手が居なければ張合いも無いだろうから、精々絡んでくれたまえ。
メンテ
グローバルVS反グローバル ( No.23 )
日時: 2017/10/14 12:33
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ii2hd3O.

>“国家”と聞いて頭に浮かぶのは“国家権力”ですが、英国の歴史家「ジョン・アクトン」の言葉に依れば『権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する』です。

政治(国家)が国民の為にあった例しは無いと言う言葉もあります。

現代社会の課題は、イントさんが別スレッドで指摘されているように

>>今は右寄りか左寄りというよりは、グローバル化か反グローバル化の政党にすれば、わかりやすい!

これに尽きます。


>つい四日前に、衆院の総選挙が始まったばかりですが、巷の噂では早くも自民党の圧勝 !と言う話で持ちきりです。実に情けない話ですが、安倍自・公政権の「暗黒の帝国」は強固にその力を保持しているようです。
そしてメディアは「安倍自・公」は引き続き 絶対多数 を維持し、腐敗した権力は更にその腐敗の度を増してゆくでしょう。即ち「権力は絶対」と成り、その「腐敗も絶対」と成る訳です。

上の言葉の意味も痛いほど良く解ります。

しかしながら、この様になった原因は
まさしく、反グローバル化と言うものの概要を政治家、国民がしっかりとつかんでいないからです。

政党には反グローバル化を目指す政党なく
国民は、その実態さえも気が付いてなく、似非反グロ政党に期待を寄せている。

本当の野党、反グローバル政党がなく、選選択肢の無いまま現実に流されている。

(方丈記より)

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。

知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。


引用終わり

この世界を救えるか!
救えるものは何か!
如何なる宗教の神も当てにはならない。
権力者などは悪魔の手先になりやすいもの。
グローバルの悪魔を追放できるのは我々自身。
我々自身が気が付かねば、立ち上がらねば
どうして野党が糺せるか。
野党にすがっていて、何をきたいする。
メンテ
馬鹿者の戯言 氏 ( No.24 )
日時: 2017/10/14 13:05
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ii2hd3O.

NO21のレスは、NO20の貴方のレスへの反応である事は間違いない。

しかしながら、それに対して再反論するのが意見交換ではないか。

そうして意見の交換もできるのが掲示版の特性。

なおかつ「国家観」と言うのは私が立ち上げたこのスレッドの主題。

それについて意見を言うのは当然のこと。

にも関わらず、

>「意味も無く 又も絡むか 愚痴人間」

このように応じてくる。

意見の交換、対立した意見を述べる事は絡みではない。

個人的誹謗中傷をするのが絡みであり「荒らし」で」あるのだ。

あんたこそ、またまた問題をすり替えて絡んでくる。

NO21のレスを私の絡みと受け取る貴方の狭量の方が問題なのではないか。

>♯21のレスは何を書いて居るのか解らない。

で済ませる。

この言葉は贅六氏と同じ手法で何回も目にした。

自分の意見と異なる言葉は目に入れようともしない(傲慢の極み)。


その様な根性を直さないと掲示版活動には不向きなのでは。

私に纏わりつくな!

と言ったはず(ここは私のスレッドで国家論はその課題)。
メンテ
Re: 国家観とは お山の大将俺一人! ( No.25 )
日時: 2017/10/15 09:39
名前: 馬鹿者の戯言 ID:wO7h.iMs

お前さんの言ってる事は、其の儘お前さんに当てはまる事だよ。

尤もらしいコロモは着ているが、中身は糾弾とは程遠い「似非右翼」の論調ばかり。

更に、この板の番人然とした態度と、中身の薄いスレッドの乱立。

其れを、悦に入って生知性と孫引きの引用を連ねる。

精々頑張って、大博士振りを発揮するが良い!
メンテ
馬鹿者の戯言へ ( No.26 )
日時: 2017/10/15 10:10
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:GI6n.1nQ

バカタレ!

何の為に糾弾掲示板に顔を出す。

何度言っても絡みを止めない。

読者はあんたのような言葉が聞きたいのではない。

これからは、場合によっては、即削除の対象にする。

私へのエセミ根性が募って糾弾掲示板自体の有り様を誹謗中傷するに至る。

あんた見たいのには来ていただかなくて良いのだ。

この様な問答は、ふつう、この掲示板では起きてないのだ。

2チャンや阿修羅に行け!

紳士ぶっていたが、贅六と同人物である事が皆さんにも解ったであろう。


日時: 2017/09/10 00:04
名前: 贅六@関西弁 ID:EBskRC/6

そうでんなァ、下司でんなぁ、ワテが下司やったら、あんさんは丹後は丹後でも、肥えタンゴ担いだ田舎紳士でっか!

その田舎紳士が、精一杯背ぇ伸びして、他のサイトから孫引きして、此処へ引用して悦に入ってる! ご立派な事だすなァ。

まァ精々頑張って書いておくんなはれ。ほな、田舎紳士に敬意を表して、此処らで消える事にしまっさ!


思うに、あんさんがチョクチョク書いてる、「この掲示板へ気軽に書き込んでぇ!」ちゅう要請の原因は、この掲示板にスレッド立て捲ってるあんさんの、“一貫性の無さ”に原因が有るのかも知れまへんなァ。

自分に批判的な書き込みを「アラシ」や! ちゅうて攻撃する。「俺は天下の論客で御座い!」然とした書き込みに、閲覧者はアホラシ成って投稿を敬遠するのんとちゃいますかな。 ま、如何でもエエけどね

〇〇論、××研究、てな大げさなタイトルのスレッドを次から次と立てて、粋がってるのはあんさんだけでっせ!

ま、精々あんさんの崇高な知識をひけらかしとくんなはれ。
メンテ
国家観とは、国民の財産や税金を宗教カルトやユダヤ金融悪魔に売り飛ばすためだけ! ( No.27 )
日時: 2017/10/15 13:04
名前: イントゥイッション ID:V2OiZq.2

国家観なんていう言葉は、国民の財産や税金を詐欺させるために利用するための便利な言葉だけ!

本当に古い化石みたいな言葉!

国民一人一人が主権で、その集まりが国家ではなく日本!

国家なんて言葉はもうなくなればよい!!!

人民という言葉を使うということは、朝鮮に関連していることになる!

メンテ
Re: 国家観とは ( No.28 )
日時: 2017/10/15 15:38
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:GI6n.1nQ

イントさん

国家観ではなくて社会観、もしくわ

貴方は、どのような社会になる事を望んでいますかと問われたら、

その様なものは、何も思ってもいないと言えますか。

で、あれば

どうして安倍を非難されるか。

ユダ菌の所業を非難されているのか。

私は私なりに言葉を使っている。

その言葉に対して

>本当に古い化石みたいな言葉!

言われるならば、貴方の言葉に置き換えて述べられよ。

それとも、貴方の安倍糾弾、ユダ菌糾弾は、何の根拠もない事なのか。



>国民一人一人が主権で、その集まりが国家ではなく日本!

国家と言うのは共通概念で

具体的に言えば、日本は日本と言う国家となる。

そうして国民(日本人)は国家の構成員で同時に日本国の主権者である。

国家の概念を否定されるなら、憲法も法律も否定されればよい。

それをやっているのがアナーキスト。

イントさんはアナーキストを目指しておられるのか。

で、あれば

政治の問答など無用ではないか。


(追伸です)

皆さんも観られておられると思うので、

国家観と言う言葉について、

国家観と似たような言葉に国家像と言うのがあります。

まず、国家観と言うのは

国家の形式的な理念(形而上学的と言うか)の事であり、一般的な有り様、ただし国家と言う概念は、別途で国家の定義で申し上げているので、それらを網羅する全領域に渡った理念の総称を言います。

その内容は、権力の主権者の規定、国家の責務の規定、国民の理想的な有り様を示すこと。
国家観と言う範疇で言った場合、それらは抽象的な表現で語られる性格があるが、それをより具体的な言葉で現すのが国家像と言って良いでしょう。

ここでは国家像を求める前に、国民が求める国家の有り様と言う意味で国家観から始まっていますが、ややこしいので最初から国家像と言う捉え方でも良いかと思います。

「国家」という言葉を使っただけで明治以来の国家像を思い浮かべ意見を封鎖していては、何時までもあるべき日本の国家像を育む事が出来ません。

政治が低迷している今こそ、国民はこの基本的な概念を醸成することが必要なのではないでしょうか。
そこから新しい政党が生まれるので無くてはならないのではないでしょうか。


メンテ
合同墓 ( No.29 )
日時: 2018/02/22 13:51
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:YvvMnI7o

最近、合同墓と言うものがあると解った。

墓と言えば、自然葬と言って遺骨を海とか山に撒く事もある様だ。

墓と言うものは、実際に管理する家族にとっては、そりゃ厄介なもの。

都会に住む人にとっては墓地を所有するのは経済的にも大変で、

納骨堂と言って、ローッカー式の墓もすでに多くあると聞く。

ここまでは、形は何であれ、墓は個人または家族単位で考えられてきた。

合同墓と言うのは、そうではなくて、遺骨を多くの他人と一緒に納骨すると言う。

代表的なものに、地本願寺の合同墓がある。

https://tsukijihongwanji-lounge.jp/top/goudoubo.html

ここは1万人の合同墓であるそうだ。

実際は、こうでもしなければ、東京圏のような3000万人もの人口集中地で墓など持つことは出来ない。

田舎に住んでいると気が付かない深刻な問題ではある。

止むを得ないこととは解っていても、このスレッドの課題である、国家意識、家族意識と言う所属意識がだんだんと薄れていくことに危惧をかんじる。

民主主義的な考え方では合理的である事は間違いないが、その民主主義と言う考え方が万能であるか、無いかまで考える。


ついでに世界のお墓事情を添付します。

フランス
キリスト教の教義には、死んだ者は復活して天国へ行けるという思想があります。
そのため肉体を燃やすことはタブーであり、1963年まで火葬は禁止されていました。
カトリック教徒が90%を占めるフランスでも、そのため土葬が一般的です。
地下室のような構造の大型のお墓には、棚に棺が置かれるようになっており、2〜4人ほど入ることができるそうです。

しかし近年は宗教にとらわれない人や経済的な理由、土地不足などから火葬にする人も増えてきており、1989年には5%ほどしかなかった火葬率が、現在パリでは40%にまで上昇しているそうです。

また、フランスに限らずヨーロッパには観光スポットとなっている墓地がたくさんあります。
パリにあるモンパルナス墓地やモンマルトル墓地には、サルトルやヴォードレール、セルジュ・ゲンスブール、スタンダール、フランソワ・トリュフォーといった数々の著名人が眠っており、世界中の観光客が足を運んでいます。

ドイツ
ドイツのお墓は先祖代々のものではなく、基本的に個人のものです。
20〜30年ほどの墓地使用料を払い埋葬し、期間中に遺体が土に還ると、使用期限後はまた新しい故人が埋葬されるようになっています。
お墓の周りには色とりどりの花やグリーンがガーデニングのように植えられています。

スペイン
スペインには2つのタイプのお墓があります。
ひとつは日本人にも馴染みのある、穴に埋葬して墓標を置くタイプ。
もうひとつは壁タイプのお墓です。
地上に棺の大きさの穴が開いた壁があり、それぞれの穴にひとつずつ棺を納め、蓋をします。
土地に余裕のない都市部で多く見られるようです。

ルーマニア
「世界一陽気な墓」で有名なルーマニアのサプンツァ村。
墓碑には、故人の生前の職業や趣味、死因などがカラフルに描かれています。
木彫り職人だったパトラッシュ氏によって1935年より始められ、現在は世界中から毎年3万人もの観光客が訪れるスポットとなっているそうです。

グアテマラ
明るくポップなカラーの家型や箪笥型などさまざまな形が立ち並ぶのは、グアテマラの墓地です。
グアテマラでは、あの世は幸せな場所という考えがあり、遺族は故人の好きだった色などでお墓をペイントします。

「死者の日」である11月1日には、人々はお墓に集まって故人を偲んで宴会をし、凧揚げをする風習があります。
天国にいる故人へメッセージを届けるためとも、死者の霊が凧に乗ってくるとも言われています。

ペルー
ペルーの都市部ではこのような団地タイプのお墓が多く見られます。
土葬が一般的なペルーでは、火葬する場合には完全に自然死だということを証明しなければならず、煩雑な手続きがたくさん必要になるそうです。
高温で焼くペルーの火葬では遺骨も灰になってしまい、後から事件性が出てきた場合に再調査ができないというのが理由なんだとか。
実際にお墓を開いて再調査し、解決した事件もあったそうです。

韓国
土葬が一般的な韓国では、故人を穴の中に埋葬した後に、土を丸く盛った伝統的な土饅頭型のお墓を建てます。
風水で選ばれた場所に肉親のお墓を建てると子孫が繁栄すると考えられており、一族を埋葬するために山をひとつ買うといったこともあるそうです。

儒教を重んじる韓国では火葬はタブーと考えられています。
しかし日本と同じく核家族化や高齢化、深刻な土地不足に悩む近年、国が火葬を推奨するようになり、特に都市部では火葬率も増加傾向にあるそうです。
それに伴い、お墓も伝統的な土饅頭型から納骨堂や樹木葬などへと変化が見られてきています。

台湾
台湾の伝統的なお墓はとても大きくてカラフル。
遠くからだと、山の中腹にまるで家が並んでるかのように見えます。
「お墓というのは死者の家である」という考えから、このような形になったそうです。

台湾ではお墓参りは年に1回、清明節の日に行きます。
お墓参りの際には、ゆで卵の殻を地面に撒く習慣があります。
鳥が卵から生まれるように、お墓に眠るご先祖様がいたから自分たちが生まれたのだと、祖先への思いを表しているそうです。

インド
ヒンドゥー教徒が多くを占めるインドでは、火によって死者の魂が解放され神の元へ行くとされており、火葬はとても重要な儀式です。
火葬後、遺骨はガンジス川に流されます。そのため、インド人はお墓を持ちません。
この世に執着を残さないようすべてを焼き、罪を洗い流し、聖なるガンジス川と一体化することで、悟りの境地へと達することができると考えられているのです。

ヨーロッパのお墓事情
メンテ
ひさびさに 国家とは何か! ( No.30 )
日時: 2019/03/26 17:32
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:Uq1lwM2I

狩猟・採集の時代を経て、農耕が始まると、人々は土地に定着し集団で生活するようになった。
日本でも環濠集落という形で、周囲に堀をめぐらせていた。初めての、邑(ムラ)と言う概念であった。
邑は農耕生活をする上で、また収穫物を他人に奪われないための最小の単位であったが、やがて人間の欲望は、邑を統括し、より大きな邑を手中にする者が現れた。
これを豪族と言い、各地に豪族が乱立し始めた。

ある種類の人間にとって、支配欲はとどまらず、豪族を統括し地方の覇権を唱える者が出てきた。
この状態は、支配地の統治のための決まり事を必要とし、ある意味の国家の誕生である。
その統治者にとって、日常の生活は問題ではなく、物質的な栄華を求めることが目的になり、更なる拡大化を目指すことになる。

魏志倭人伝(西暦200年後半)では、日本には邪馬台国を中心として30カ国が中国王朝へ朝貢をしていたことが記されている。
史跡としては証明できないが弥生時代の中期には、日本には100カ国ほどが存在していたと中国の文献で知ることが出来る。

大和朝廷の出現によって、5世紀前後に現在の日本に等しい統一国家が形成された。
現代人が考える国家の概念である。
日本においては今から1500年ほど前のことであるが、エジプトでは5000年前に国家の形態が出来ている。
中国、朝鮮を含めて世界の多くの国家は、2000〜3000年前に形成されたと思われる。

さて、その国家であるが、
どの地方でも最初は神がかり的な要素を伴っている。
(国家の歴史)
>実態は権力者の独裁であったが、形の上では神権国家の形を取っている。
>国家経営が安定すると権力者は国民を私物化し、より強力な権利を主張する、これが封建国家という。
>このころヨーロッパではキリスト教が勢力を得て、権力者と結びつき神聖国家のような形態も生まれている。
イギリスでも王権神授説を唱え権力者の正当化を図っている。
権力者が神に頼らねばならなくなってきたのは、支配する大衆の意識をコントロールしがたくなってきたのであろう。
>このような時代も長く続いたが、画期的なのは、18世紀後半におきたフランス革命であり、これによって国民国家が登場することになる。
要するに主権在民の意識が高まり民主国家(近代国家)が人類の邑の発生から5000年を経て誕生したことになる。

ところで、高々200年の間に、人々の国家に対する意識の変遷が顕著である。
民主国家を手にした国民は、最初は自国の繁栄、発展を望み他国への侵略戦争、植民地戦争を始めた。
>略奪国家;国家を形成維持することによって、国民の繁栄が得られると思いこんでいたのである。
その後は、自国をより強力にするために専制国家の様相を帯びることになる。
第一次、二次世界大戦もこの延長で、しかも民主主義の名の下に行われた。
>このころ、従来の民主国家とは異なる階級国家(全体国家)の考え方がマルクスによって唱えられた。
>近代国家は、第二次世界大戦を経て、武力のよる覇権争いが無益なことを悟り、また資本主義の経済体制の矛盾が顕著になり、それに対応するために福祉を重視し福祉国家が求められることになって現在に至る。
一方で政治の実態は経済を中心とする資本国家と言えるものである。

以上、国家の形の形成を俯瞰してみましたが、
国家の性格と言う面からは次のような色分けが出来ます。

>野獣的国家

ホッブスのリヴァイアサンに代表される国家観です。国家は強制力を国民に誇示して、恐怖や暴 力を通して支配を貫徹します。国歌や国旗は、愛国=郷土(patria)のシンボルであり、それらのシンボルを通して国家は国民に対する従属を要求し、国 民は国家に対する忠誠を誓います。

>社会契約論(ルソーにより提起されたものであるが、理論上の概念である)

近代的社会契約論の内容は、「国家」が成立する前の「社会」の原始的な自然状態を仮定した上で、国家の正当性の契機を契約に求めるものだが、仮定する自然状態と、そこから国家を正当化する理論展開に多数の類型がある。もっとも、国家の正当性が成立する契機は、社会契約論のすべての立場で契約であり、王権神授説に基づく君主主権ないし国王主権と王権神授説は否定される。

>夜警国家 

ドイツのラッサールが、近代国家(ブルジョアの利益を守る)の役割を揶揄して表現したもので ある。つまり、夜警国家とは、外敵に対する防衛、国内治安の維持、そして最低限の福祉政策に国家機能を限定しする自由放任の国家観である。福祉国家の対概 念とされてきた。

>福祉国家 

1930年代の英国がナチスドイツの戦争国家に対抗して自国の国家を表象した宣伝用語に由来 する。それが冷戦期に共産主義全体主義国家に対する概念用語として洗練されていった。国民保険などに代表される社会福祉サービスを中心として民主主義を維 持するという国家運営形態を理想としている。

>多元的国家観

多元的国家における多元とは、国家を構成する諸団体の多元的共存状態のことをさす。つまり、 自由主義にもとづく利害諸団体の調整が、国家の役割である。国家は、多様な目的をもつ、それらの団体の調整に熱意を注ぐことに、民主主義の存在意味を見い だす。したがって、この社会の経済システムは新古典派経済学を軸とする自由主義経済である。経済のグローバル化に対しては、自国内の諸団体が不利益を生じ るときに権力を行使するが、通常は放っておかれる。

最後にもうひとつの側面、「大きな政府」と「小さな政府」について言います。

>「大きな政府」

経済政策や社会政策に、国が積極的に関与する政策です。そのため、財政規模が拡大する傾向にあります。

大きな政府では財政規模が大きくなるため、国のやるべき仕事も多くなります。必要なお金も増えるので、税金・保険料などの国民負担は重くなります(高福祉・高負担)。

政府が経済活動に積極的に介入することで、社会資本を整備し、国民の生活を安定させ、所得格差を是正しようとする。

大きな政府というと、北欧のたとえばスウェーデンやデンマークのような税金は高いが医療や福祉が充実していて、しかも全国民が無料でその恩恵にあずかれる国、というイメージだろう。


>「小さな政府」

「大きな政府」とは逆に、経済政策や社会政策について政府は関与せず、民間にゆだねる方法です。政府支出は少なく済みます。

小さな政府では財政規模は小さくなり、必要なお金が少なくてすむので、税金・保険料などの国民負担は低くおさえられます(低福祉・低負担)。

規制がなければ、個人や企業が思う存分力を発揮できるため、良いサービスが提供され、全体としても経済が活性化する。

行政に代わって民間が事業を行うことで、より効率的となる場合があります。国鉄がJRに移行したケースや、電電公社がNTTに移行したケースがあります。

小さな政府の代表的な国といえばアメリカです。日本は国民保険制度によって、収入に応じた保険料を支払えば、国の負担で医療が安く受けられますが、アメリカでは国民皆保険制度ではなく、個人がそれぞれ保険会社の保険に加入する仕組みとなっています。


※ 如何でしょうか。
※ 皆さんは国家と言うものの概念を考えてみる事はありますか。
※   議会制民主主義国家!
    その言葉に何を期待されますか。
    理想は何ですか。
    個人の権利の保障、自由、平等の精神ですか、
    格差のない幸せな社会ですか。
    福祉国家であることを願って国家は運営されてきた事実はありますが、統治の実態は必ずしも理屈通りの理想からではありま    せんでした。
    人間社会の葛藤は、理想に従順に従い進むものでもありません。
    もちろん、それでも現代社会は理想を求め続けるでしょうし、そうでなくてはなりません。
※ ですが、実態は、どのような形の国家がありえるでしょう。
メンテ
国家とは、何かを考える! ( No.31 )
日時: 2020/07/26 00:05
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:q3i.rQco

>欧州で「王国」を宣言したセトゥ人、中世の習慣を唯一残すスバン人【知られざる先住少数民族の暮らし】

国連によれば、世界には少なくとも5000の先住民族が存在し、人口は3億7000万人を超えるという。

ギャラリー:国境に分断され「王国」を宣言したセトゥ人 写真19点

 彼らはもっとも不利な立場にある集団のひとつだ。政治的に蚊帳の外におかれるだけでなく、強制的に同化させられたり、差別や迫害の対象になったりすることも珍しくない。そのため国連は2007年に「先住民族の権利に関する宣言」を採択し、先住民族の権利や制度、伝統、文化は守られるべきであると宣言した。以後、今日にいたるまで先住民族の問題に積極的に取り組んでいる。

 先住民族は世界中の90カ国以上に暮らしている。ここではそのうち、少ない数ながら独自の伝統文化を守り続けるヨーロッパの民族をふたつ紹介しよう。

 ひとつめは、エストニアとロシアの国境にまたがるわずか数千人の“王国“の民、セトゥ人だ。

 彼らは何世紀にもわたり、独自の伝統を頑なに守ってきた。たとえば、古代から伝わる彼らの多声歌唱は2009年、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。

 一方で彼らは、独特の文化が現代社会の影響で失われるのを防ぐために、自分たちの王家を立ち上げるなど、まったく新しい慣習を生み出した。

現在、セトゥ人にとって最大の懸案事項は、彼らが暮らしてきたセトマーという地域を分断するロシアとエストニアの国境線だ。

 かつてはふたつの国に明確な隔てはなく、国境線はあいまいにされていた。また20世紀には、国境線は幾度となく引き直された。二度の世界大戦、ソビエト連邦の盛衰、欧州連合成立など、さまざまな動きがあったためだ。

 しかし、ソ連崩壊後の1990年代半ばにエストニアが独立を達成。そして、今も未承認ではあるものの、国境線がいつしかセトマーをロシア側とエストニア側に分割するものとなり、セトゥの人々、彼らの畑、教会、墓地をふたつに引き裂いた。

「国境が引かれ、彼らの生活は破壊されました」。国境線が明確になっていった時期にセトマーでフィールドワークを行っていたロシア、サンクトペテルブルクの独立社会研究センターの研究員、エレナ・ニキフォロヴァ氏は言う。

「国境線は彼らにとって、自分たちが独特の民族であると認識するきっかけとなりました。国境線で分断されたことにより、彼らは団結したのです」

 ふたつの国に引き裂かれたセトゥ人は1994年、自分たちは新たな国家、セトマー王国を設立すると宣言した。それから20年以上がたった今も、彼らは王国を守り続けている。


>「おとぎの国」のような美世界 少数民族セトゥの王国

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO15265540T10C17A4000000/?page=2

(引用終わり)

人口数千人のかれら(セトゥ)が王国を宣言したそうである。
もちろん、一国家としての宣言ではないが、そこまでして一部の文化を貫く姿勢に戸惑いを感じる。

セトゥ人にしても、その文化を数千年維持してきた訳でもなく、歴史の中のごく一部に存在していただけのもの。
であるが、せっかく受け継いだ文化をないがしろにするものではない。

伝統の文化を守ることは、国家を宣言しなくてもできること。
世界には、現在200を超える国家がある。

セトゥ人(数千人)でなくとも、世界には数万、数十万、数百万の民族で独立国家を持とうとする動きがある。
民主主義的な考え方によれは、人数は関係なしに、それぞれに国家建設の権利があり、他の人間がはそれを認めなければならないことになる。

日本でも、アイヌ人、沖縄人は種族が違いと言い、独立運動が起きても不思議ではない。
それで、アイヌ人、沖縄人は何を得るのか。

自尊心!

現実社会は、本当にそれだけで生きていけるのか、幸せなのか。

人間は、どうして国家を言う枠組みに拘るのか。
国家とは、どのようなものあるかを認識せずに、種族の自立と言う願望だけで国家を考えているのであろうか。

中国とネパールの問題、中東のクルド人問題など、イギリスでもスコットランド独立の動きもあり、現行の国家の枠組み自体に反発する民族独立運動もある。
一概には言えないが、国家の概念をそれぞれが、もっと見直してから考えるべきこともあるであろうに。

中東のクルド人が結束し、新たな国を作っても、国家として、彼らの生活環境として、どれほどの進展があると言うのであろう。
どの様に少数民族であっても、彼らが存在する限り、彼らの文化を尊重し守って行くことは大事なことであろう、有意義なことであろう。

国家と民族と言うものを、もう少し柔軟に把握することが、将来の世界では必要になる。
そのためには、共有できる国家の概念を確立し、必要に応じて線引きする様になれば良い。

民主主義の社会とは言え、個人の権利の主張も、民族の権利の主張も、いい加減にしなければ、人類が折角築いてきた現代社会のルールを破綻させることになる。

それが、人類にとって好ましい変化か、問うべきである。
メンテ

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