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[2308] 国家観とは
日時: 2015/10/15 10:49
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:.r223Az6

掲示板のトラブルが続いています。
今回のことで、管理人さんとメールを交換しました。
今回は随分と苦戦されていますが、糾弾サイトに対する想いは依然、衰えてはおられないようです。
気分直しに、新しい話題を立ち上げます。


「一体、日本人は自国をどの様に捉えているのだろうか」

これは糾弾トップの管理人さんの言葉です。
改めて、私たちは、どのような国家観をもっているのか検証して見たいと思います。
物理的に言えば、国家とは、国境線で区切られた領土に成立する政治組織で、地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである。
と言う事になり、形態として、独裁国家、民主主義国家、あるいは夜警国家、福祉国家と言う表現があります。
ところで、国家観と言った場合、その識別とは別の意味も生じてくるのではないでしょうか。
要するに、どのような国でありたいと希望する国民の総意と言うものでしょう。
もちろん、現代の日本の国の形が、国民が望んだ結果の民主主義福祉国家であることは間違いありません。
その国家観と言うものを別の方面から見てみましょう。
革命と言う言葉、事象があります。

その革命時において、国民は自ら選ぶ国家の形に強い要望をもっているものです。
ところが社会が落ち着くと、国民は国家の有り様にあまり関心を持たず、自然と希望が実現されていると思い込みます。
何時も、何時も革命時のような緊張はありえず、全体には、それで良いかと思いますが、時が過ぎると共に、各々の機構の中に退廃が生じ不正が横行するものです。

それは具体的には、官僚組織の腐敗、利権政治の横行、経済的強者の横暴などの形で現れてきます。
それも、ある程度は人間社会の宿命のようなものでしょう。
ですが、度が過ぎれば、国家は最初に国民が望んだ国家とは異なる展開をしてきます。
民主主義国家の場合、こうした場合は選挙によって国民の意思で矯正することになっています。
ところが、現代社会において、国民が望んだ国家の形を歪なものとしている原因に、官僚、政治屋、独占企業家の存在の上に、市場主義経済のシステムと言う妖怪が君臨している問題があります。
言い換えれば、国家をより意識しなければならないのですが、経済を中心とするグローバル化は、国家の概念・枠組をも、あやふやなものとしてしまっています。

国家は、国民の望み以外の要素によって展開しているのです。
民主主義の概念の大きな要素は、各人の権利の確保であり、国家の有り様は、個人の権利が保証されていれば問題はないのです。
また民主主義は多数決という要素も含んでいます。
多数決の意味は、過半数の人々が満足していれば、当面は国家の有り様に異議を持たないのです。
要するに、現実以外の要素を検証することはなく、将来を見越したり、国家自体の有り様についての検証はしないのです。
逆に言えば、官僚の腐敗、政治の堕落、市場主義の妖怪の暗躍も、民主主義的に過半数の国民が異議を唱えない限り容認されるのです。
それが民主主義国家の形であり、半分は悪を容認し、過半数の国民が異議を唱えないかぎり、現状維持で続いて行くのです。
それが民主主義で、我々が望む形でもあり、また、過去の独裁国家に比べて、遺棄すべき形態とも言えないでしょう。
ですが、何か腑に落ちないものがあります。
少なくとも現在の民主主義は、必ずしも理想の形ではないのです。

この認識の上に立って、国民は何を考えれば良いのでしょう。
民主主義国家となって半世紀以上、国民は現状に満足し、国家の有り様を深く考える事をしなくなりました。
国民の理想の追求を手控えするようになりました。
その分、国家の運営に従事する官僚、政治屋共は、己らの使命、国民のために国家は、どのようにあらねばならないかと言う事について怠惰を決め込む事になります。
特に、日本の様に善良な国民精神がある国では、言い換えれば、お上意識が強く国家を無条件で信頼する我が国では国家に対する批判意識が希薄であります。
国家観が希薄とも言えます。

国民に国家観が希薄なので、官僚、政治屋共は、それに便乗し、またTPPの交渉等に見られる様に、本当の国民の立場を省みることなく、一部の企業のために、グローバル化を目指す世界企業のために門戸を広げる結果となっています。
安全保障の問題でも、真に我が国の安全保障を論じることなくアメリカ従属の安全保障に走ります。
考えて見ますと、100億に近い人間が、異なった自然環境、宗教の下に均一の価値観でまとめられるはずはないのです。
未来社会の話は別にして、当面は、地域単位、言えば国家単位の考えかたを持たねば、その国民が望む国家の形を維持していけないのではありませんか。

このように言いますと、多くの人は民族主義、国粋主義を想定されるでしょう。
歴史には、確かに、そのようなものがあり、それは現代社会では必要ではないものとなっていると思います。
ですが、国民が国家という枠組みを重要視しないと、現実のような事が起きるのです。
繰り返し、言います。
国家と言う枠組みを重要視すると言うことは、民族主義に凝り固まれというのではありません。
安全保障の問題や、TPPの問題に具体的に意見を言えと言っている訳ではありません。
専門的な分野の決断は専門家に任せば良いのですが、そうかと言って、国家の有り様に無関心では駄目だと言うことです。

冒頭に掲げた、管理人さんの言葉、

>「一体、日本人は自国をどの様に捉えているのだろうか」

これは、この言葉通りに受け止めれば良いのではないかと思います。
民主主義の時代と言っても、国家は必要であり、国家の有り様が国民の有り様を支配しているのです。
国民が国家の必要性を認識し国家観を強く持つことが、政治を糾し、行政を糺す事につながる事になります。
現代社会は、欠落した民主主義の概念を余りにも強く持つために、国家観を希薄にしているのではないでしょうか。
そのために、国家の横暴を招き、官僚の腐敗、マスメディアの退廃を招いていると思います。

選挙があると言っても、それは形だけのこと。
選挙に対する無関心もあり、結局は制度的には整っているとしても、実際は邪悪な勢力に、過半数の原理を上手く利用される結果となっているのでしょう。
さて、国家観とは、如何なるものでしょうね。

メンテ

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Re: 国家観とは ( No.12 )
日時: 2015/10/23 00:09
名前: 贅六 @ 関西弁 ID:VO1Mkktw

自分の国に対する認識は人夫々各人によって異なるもんですわねぇ。

天橋立はんの書き込みを見てましたら、「革命」ちゅう言葉が出て来ますけど、ワテも以前は「革命」に付いてある種の待望論みたいなものを持ってました。併しこの頃はチョッと考えに変化を来たしまして、「革命」にあんまり期待せんように成ったんでおます。

「国を憂え、義に燃えた人物が出現して、巧みな弁舌で人心を掌握し、腐敗した政権を打倒して、新しい政治形態を創設する」ちゅう事は、少しでも野心のある人間やったら、誰しもやってみたいと思うもんですが、民衆が付いて来ん限り事は成就しまへん。

今の日本を見渡した時、自分らの暮らしを変え得る選挙にすら、有権者の半分以上が棄権する、無気力、無思考、な日本人では、革命なんか起し得る筈はおまへん。取敢えず今日・明日を食えたらそれ以上のエネルギーを消費する事はしまへんのだす。

此の事は統治する政権側から言うたら、「この都が即ち我々の政治が上手く行っている証拠、国民は満足しているのだよ!」ちゅうて、例えば「国会前デモ」をして居る勢力を嘲笑いますやろ! 斯う言う事からワテの革命待望論は破棄せざるを得ん様に成ったんでおます。

天橋立はんは、経済学者、社会学者、らの怠慢・無為を嘆きますが、これ等当節の学者は概ね「体制側」の人間でおまっせ! 民衆の事なんか碌に考えんと机上の空論ばっかり書いたり言うたりする「売文業者」だすがな。

国や政治を変えるのは国民が「俺の国は、こんな事ではアカン! 今を変えるべきや!」と言う確固たる国家観を持って、唯一実力行使を出来る「選挙」によって、先ずは、現政権を倒すべきや! と思いますわ。
メンテ
国家観と大和魂 ( No.13 )
日時: 2015/10/23 21:54
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:4qmCfS8I

国家観とは

くしくも別スレッドで「大和魂」について語っています。

その「大和魂」と言う概念も、戦前に、それによって無謀な戦場へ駆り出された思いが否定的に言われています。

国家観も、オリンピックで日の丸を上げて喜んでいる程度なら良いのですが、ともすれば国粋主義になり、身勝手な暴走を始めます。

ですが、同時に

>日本の政治と民衆の、だらしなさ、不甲斐無さ、に付いてワテはもう半ば絶望してますねん

とか、最近の日本はどのようになったのか

とか、日本の経済は・・・

日本の社会福祉は・・・

とか、常に生活共同体としての単位で喜怒哀楽の対象とします。

国家とは、単ある地理的境界線以外に、国家であることの内容を含みます。

また、国の安全保障、治安の問題も国家単位で成果を求めます。

民主主義が行き渡り、個人の自由権利が主張される現代社会でも、やはり共生の場の論理(ルール)が必要とされるのです。

それを意識するのが国家観であり、

どのような共生の場を期待するか決めるのも国家観なのです。

「大和魂」の概念の規定に苦慮されている節もありますが、国家を意識することは、すなわち、その精神的なバックボーンないしアイデンティティと言うものも問われるでしょう。

個人の権利、自由を謳うだけでは共生はできないのです。

先に言いました様に、余りにも全体を強調しすぎると、あらぬ方向へ暴走しやすいのも人間社会の定めです。

ですが共生に対する、国家に対するある意思が働かねば地理的境界の表示以外に、国家は機能しません。

国家観とは、そういうものであり、また少し取り上げ方は違いますが「大和魂」と言うものも、必要ではあるが、特定し難いもの、また特定すべきでないものとも言えましょう。
メンテ
Re: 国家観とは ( No.14 )
日時: 2017/07/27 03:03
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:xPt0KGIY

他のスレッドでも、政治・行政の有り様が問題にされています。
格差が広がりつつある経済の問題でも同じです。
私たちは常に政治に期待しながら生活しています。

封建時代、専制時代と違い、主権は国民にあると言う民主国家では、国民の期待が何処まで叶えられるかが政治であり、国民は常に政治に関心を持つと共に、不平、不満を募らせます。
民主主義と言うのは、主権在民の下で、市民の権利、自由を認めるというところから発しています。
しかしながら、我が国で言えば1億2000万人の国民の不平不満をすべて解消できるような結果は望むべくもありません。

また人間と言う生き物は、至高の動物の様に考えられますが、実際は何をしでかすか解らない生き方もします。
一般国民の欲望も、どこまで広がるか計り知れません。
金持ちは策を弄して益々金を貯めようとします。
権力を手にした人間は、自分の為に権力を使い始めます。
我が国で言えば、1億2000万人、世界で言えば100億の人間の行動を社会的な正義の枠で捉えることは出来ないでしょう。

ですので、国家とか政治に関することは常に問題を含んでいます。
政治とか国家はどのように理解すれば良いのでしょう。

(ここにウィキペディアから概念を引用してみます)



まず、国家とは

国家とは、国境線で区切られた領土に成立する政治組織で、地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである。領域と人民に対して排他的な統治権を有する政治団体もしくは政治的共同体である。 政治機能による異なる利害を調整し、社会の秩序と安定を維持していくことを目的にし社会の組織化をする。またその地域の住民は国家組織から国民あるいは公民と定義される。

次に政治とは

政治とは社会に対して全体的な影響を及ぼし、社会で生きるひとりひとりの人の人生にも様々な影響を及ぼす複雑な領域である。広辞苑では「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。」としているわけであるが、政治は、社会や社会に生きるひとりひとりの人にとって そもそも何が重要なことなのか、社会がどのような状態であることが良い状態なのか、ということも扱い、様々ある人々の意志からどれを選び集団の意志とするか、どのような方法でそれを選ぶか、といったこととも深く関係している。
古典である『政治学』を著した古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、政治を研究する政治学を《善い社会》の実現を試みるためのマスターサイエンスであると位置づけている。このような位置づけは政治が理想社会を実現するために社会に対して働きかける性質を持つことを示している。政治が善い社会のために社会に作用する一方で、何が社会にとって善いかという問題に関する対立や協調も政治の領域には含まれる。この側面について政治哲学者のハンナ・アーレントは『人間の条件』の中で、政治を 自己とは異なる他者に対して言語を使って働きかけ、結合する行為であると捉えている。つまり政治とは人々が善い社会で生活することを達成するために、社会に対して働きかけることであり、また何が善いことかという判断に関する議論を伴うものであると言うことができる。

最後に、政治の形態である議会制民主主義について考えてみましょう。

「議会制民主主義は、国民が選出した代表者で構成される議会の討議にもとづいて政治を運営していくことによって、国民の合意による政治という民主主義の理念を実現しようとするものである。議会制民主主義のもとでは、議会は、国民の意思を代表するものとして、政治の中心におかれることになる。対になる概念として直接民主制がある。現在ほとんどの国が「間接民主制」である。
日本国憲法前文は、国民の代表者が権力を行使するものとし、国民は「正当に選挙された国会における代表者を通じて」行動すると述べて、議会制民主主義を採用することを明らかにしている。 議会制民主主義が本当に民主主義として機能するためには、代表者(議員)の構成が、民意を正しく反映するものでなければならない。したがって、国民の意思を可能なかぎり反映できるような選挙制度が要請される。また、議会においては、多数決による決定の前に、少数意見を最大限に尊重した冷静な討議がなされなければならない。

(ウィキペディアからの引用終わり)
 
現代社会に於いて政治を語るとき、民意が反映されているか、いないかが最重要の問題とされている。

しかしながら、その民意を見るだけで政治が出来るかと言えば、そうでもないのである。

小泉内閣の時でも、小泉の示した郵政民営化の施策以外に選択肢は別にあったのであるが、民意はそこまで見通すことは出来なく、賛否を問うだけに終わり、政治もそれを求める結果で終わった。

また、民意が特の権力者と対峙した時、革命的発想でも無ければ民意が政治を動かすことは出来ないことが多いのである。

ここまでは、現実問題として仕方がないとして、問題は政治家の方にあるのである。
奴らは議会制民主主義の形を遵守することばかりに重きを置き、

いわゆる「政治の理念(政治学)」の存在を疎かにしているのである。
疎かにしていると言うよりも、この崇高な理念を実現できる能力のある政治家がいないのである。

民意は大切な要素ではあるが、民意だけで政治が出来るほど民意は確実なものでも、信頼できるものでもないのである。
独裁の危険があるとしても、政治は大衆をリードしていかねばならないのである。
それなのに、選挙の時の大衆受けばかり狙って、自己保身のために、無難な対応よりすることが出来ない、官僚の様な体質となっているのである。
政治とは大衆を操作することと思い込んでいる。

大衆の側にも問題がある。
知識の吸収のみで思い上がった大衆は、己の考えに合わせて政治を理解し、判断する。
もっと大きな優れたものの存在を、大切なものの存在を求める気持ちがないのである。
こうして衆愚の政治が民主主義の名の下に蔓延しているのである。
そうしたなかで「議会制民主主義」と言う言葉だけが、弄ばれているようだ。

議会制民主主義と言っても、政治と民意が常に有効に作用する状況はほとんど期待できないのである。
それでも、そういう確執を経て、結果的に民主国家の尺度として社会福祉政策の実現の内容がある。

社会福祉精度が民主主義が勝ち取った国家の形なのである。
問題は、この社会福祉の制度が撤退を余儀なくされている事であり、その様になるのは政治の失敗、さらには国民の責任でもあるのである。
その失敗のほとんどは財源不足から来ている。

ところが、国民は政治に対する不平不満は言うが、財源の問題の解決策を考える事は出来ない。
政治を糺し景気を良くすれば問題が解決できると思い込んでいる。
だが実際は、我が国のGDPを見ても増えこそしていないが減りもせず、財源的に社会福祉政策を削減する理由にはならないのであるのであり、GDP(国民の経済力)だけを指標に問題を解決することは出来ないことは解っているはず。

結局は、国民の政治に対する不平不満と、問題に対処する能力のない政治の騙しあい、莫迦しあいが続いているのが現状である。
最近になって、政治家の方から「小さな国家」論が出てきているが、そんなものは政治の失敗の言い訳に過ぎない。

社会福祉制度を明治時代の内容にすれば、年金制度、医療保険制度、ましてや介護制度などすべて取りやめるか、現在の1/10、2/10程度に切りちじめ、義務教育制度くらいは守るならば、財源の問題は解決する。

それでは、最近百数十年の歴史は、国民の努力は、科学技術の発達は何の意味があったのか。
それらが無意味であるとは到底思えないし、思う必要もない。
現実の要素、社会的インフラ、生産力、科学技術、金融のインフラなどを総動員して、何が出来るかを考えていくのは政治であり学問ではないか。
それで、どうして明治時代の戻らねばならない。

国家とは何か!
政治とは何か!

まさに、これが問われているのではないか。

メンテ
Re: 国家観とは??? :国民一人一人が主権でその集まりである!!! ( No.15 )
日時: 2017/10/10 12:57
名前: イントゥイッション ID:9Mm4RFj.

>国家とは、国境線で区切られた領土に成立する政治組織で、地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである

国家は政治組織ではない!!!

天橋立! お前はやはり相当な右翼団体の(似非右翼)の化石頭脳だ!!!

国家とは、国民一人一人の国民主権者が集まって地域があり、地方があり、都道府県があり、国がある! 国は最後である!

政治とは、地域の中からはじきとばされた弱者のためにある!!!

まさしく生活です!!!
メンテ
Re: 国家観とは ( No.16 )
日時: 2017/10/10 13:38
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:43hMpGOE

>国家とは、国民一人一人の国民主権者が集まって地域があり、地方があり、都道府県があり、国がある! 国は最後である!
>政治とは、地域の中からはじきとばされた弱者のためにある!!!

で、あれば、現実は

世界中の政権は独裁者となる。
封建時代となんら変わらない。

もう一つ

経済は国境なし。
その経済のシステムに冒された現実をどのようにされるのか。

経済のグローバル化に呼応したのも国民である。
現代社会の問題の殆どは経済の問題にたどり着く。

そのグローバル化の弊害を、

市町村単位で解決できると思われるか。
市会議員さんが、そんなに頼れるか。

通貨管理の問題でも言っているように、それに対抗できるのは国家単位の施策である。
国家がしっかりしなくて、どうして地域の住民、国民を守ることが出来る。

また国民一人一人が団結して政治が正しく機能するならば現在の問題は元々ない。
民主主義と言うものを過信している事こそ民主主義の害である。

国民の声を正しく代弁するのが政治である。
そういう政党が無いことが問題ではないのか。


口先だけで代弁しているのをペテン政党と言い、

これならば現実に存在する。


メンテ
小沢一郎の自由党が国民の声を代弁しているではないか!!! ( No.17 )
日時: 2017/10/10 14:38
名前: イントゥイッション ID:9Mm4RFj.

野党の中にはとてもがんばっている党がある!!!

それが自由党である!!! 本当に正当な党である!!!

共産党なんて、野党を割れさせるためにある自民党と同じ穴のムジナである!!!

>通貨管理の問題でも言っているように、それに対抗できるのは国家単位の施策である。

日銀は国家の銀行ではない! プライベイトな銀行である!

>経済のグローバル化に呼応したのも国民である。

国民ではない!  大企業の大株主とユダヤ金融悪魔である!!! 

労働者は、どんな嫌でも、他の第三国に送られる! 仕事だから仕方がない!

>その経済のシステムに冒された現実をどのようにされるのか。

まず、竹中平蔵がトップの国家戦略特区を廃止することである!!!

5年前もたくさんの国民が選挙に行っているにもかかわらず、投票率が低いなどと嘘をはく犬HK!!!

ゴローバル化の真実を見つめなければいけない!!!


メンテ
Re: 国家観とは ( No.18 )
日時: 2017/10/10 15:59
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:43hMpGOE

>労働者は、どんな嫌でも、他の第三国に送られる! 仕事だから仕方がない!

ユニクロだコンビニだ!

と群がっておいて、都合が悪くなれば売る方が悪いと言う。

それを衆愚という。

民主主義の敵は衆愚であるのだ。


メンテ
>民主主義の敵は衆愚であるのだ。=ということは、戦争屋安倍を支援した言葉だ! ( No.19 )
日時: 2017/10/12 12:48
名前: イントゥイッション ID:ppSSHIw2

とんでもない!

加計で50億円以上の税金を詐欺というよりは泥棒をしている大犯罪者をそっこく逮捕しなければいけない!

加計と安倍をすぐに牢屋にぶち込め!

逮捕できないのは、検察も同じ穴のムジナである!

オウム事件も関連している大犯罪者たちである!

ユニクロやコンビニが他の国に広がることがなぜ悪いのか? 日本から撤退している会社ではない! 

ただ、日本では日本で生産されたものを売ればよい! だがそれをやらないように制限をする政治が必要だ!

今の政治はブラック企業の言いなりだ!

大衆が悪いのではなく、企業の支配者が悪いのである!

メンテ
Re: 国家観とは  国家権力は腐敗する! と言う見方も有る ( No.20 )
日時: 2017/10/14 08:00
名前: 馬鹿者の戯言 ID:eZib27Xg

イントゥイッションさん、貴方の言う事に同意します。

抑々、「国家観とは」等と言う命題からしてまことに抽象的 ! 「百人寄れば百の“国家観」が有る」と言われても仕方が無いのです。でも、まぁ、其の百の“国家観”の類似的な物を集約してその国の国民の国家観であると言う事は出来るでしょうけれど・・・。

“国家”と聞いて頭に浮かぶのは“国家権力”ですが、英国の歴史家「ジョン・アクトン」の言葉に依れば『権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する』です。

つい四日前に、衆院の総選挙が始まったばかりですが、巷の噂では早くも自民党の圧勝 !と言う話で持ちきりです。実に情けない話ですが、安倍自・公政権の「暗黒の帝国」は強固にその力を保持しているようです。
そしてメディアは「安倍自・公」は引き続き 絶対多数 を維持し、腐敗した権力は更にその腐敗の度を増してゆくでしょう。即ち「権力は絶対」と成り、その「腐敗も絶対」と成る訳です。

此処で考えなければならないのは、その「絶対権力」を産んだ有権者は、「絶対腐敗する絶対権力」を望んだ訳では無い、と容易に推察できます。
にも拘らず「絶対権力」は、有権者の意向から乖離して腐敗の度を増していくのです。此れは如何言う訳なのか? 権力の椅子に魔物が住んで居るとしか思えません。権力を握った人間は、其の椅子に座った時から魔物にとり着かれ、本来持って居る人間の邪悪な物の増長に拍車が掛かり、我欲に満たされた行動に歯止めが利かなくなるのです。

権力者は、傍らに正しい助言者、公正な協力者を、持つ事が必要ですが、歴史上其れを持たなかった権力者は長続きせず、その命運を終えました。源 頼朝も、織田 信長も、その良い例ではないでしょうか? しいて言えば豊臣 秀吉もその範疇に這入るかも・・・

では何故安倍が長続きして居るのか? と言う問い掛けが聞こえて来そうですが、その安倍も決して長続きではありません。多寡が5年が10年続いたところで長い歴史から見れば決して長くは有りません。 その内安倍も滅んでしまいます。
メンテ
Re: 国家観とは ( No.21 )
日時: 2017/10/14 12:09
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ii2hd3O.

>「百人寄れば百の“国家観」が有る」と言われても仕方が無いのです。でも、まぁ、其の百の“国家観”の類似的な物を集約してその国の国民の国家観であると言う事は出来るでしょうけれど・・・。

それこそ抽象的な結論。

国家観が100人100様であっても問題はない。

それと統治の問題は別にある。
統治という事は人間が邑を作った時からあり、集団で生活する場合の必然の掟。

民主主義でも統治の主体が人民と言うだけで国家があれば、その国家の統治は存在する。
統治を否定すればアナーキスト。

アナーキストとして社会を否定するならば別として、丁度、衆院選。
人々は自らが思い描く国家観にそう議員に票を入れる。

単ある人気投票であってはならないはず。
まあね、実際には各人の判断の基準(国家観)があやふやだから人気投票化しているきらいはあるが。
また国家観全体を見ずに枝葉末節に拘りすぎる懸念もある。

自民党政治を非難している皆さんも、何を基準に非難されているか。
それは、それぞれの国家観(こういう社会、国であって欲しい思い)からではないのか。

国家と言う言葉が権力(統治)を連想させても自然なこと。
あって当たり前。なければ統治の機能が発揮できない。

その言葉、権力の概念と国家観とは全く違うもの。

>「国家観とは」等と言う命題からしてまことに抽象的 !

もともと言葉の定義は抽象的。
それでも(抽象的)国家観の概念を養う事は国民に大切なこと。

それなくしては民主主義は実らない。
国家観と聞けば
戦前の神道国家を連想する方が異常であるのではないか。

その代わりにあるべき国家観の醸成を妨げる事はない。
我が国に正常な国家観が醸成されることを願って止まない。

国民の多くがあるべき国家観を共有することこそが民主主義を醸成するのではないか。
また、その国家観は、全体として有効でなければならない。

部分的な好悪で国家観を歪なものとしていては、本当の民主主義国家を成すことは出来ない。
我々自身の為に。
メンテ

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