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[3007] 発達障害の事<新幹線で無差別殺傷事件が起きた。
日時: 2018/06/11 15:10
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:tw7Lk2YA

またまた、新幹線で死傷者を出すトンデモない無差別殺傷事件が起きた。

早速、テレビ等で有識者と言われるクソ共が、口を揃えて指摘しているのは、発達障害である。
犯人は、中学2年の時から不登校で、家に閉じこもり、両親とも折り合いが悪く祖母のところで住んでいたらしい。
自殺願望があったなどと言う事を尤もらしく理由付けているが、その様な事は単なるやけくその症状で、そういう意味の自殺願望など、大抵の人が一度や二度は経験するもの。
何か起きると、このように有識者がピントはずれの解説をし、多くの人がそれに頷く。
本当の事には何も触れない。
解説をして納得するだけの事件の背景の把握であり、この様な事件の防止には全く至らない。
その馬鹿さ加減を解説してみよう。

>発達障害とは
発達障害と一口に言っても症状は個人によって大きく変わります。ASD、ADHD、LDの3つが濃淡がありながら重なっていることが多いためです。このため診断名は「大体この傾向が強めの子なんだ」と理解する

ASD(自閉症スペクトラム・アスペルガー症候群)
ADHD(注意欠如多動性障害)
LD(学習障害)

(ASD 主な特徴 チェックリスト)

嘘がつけない正直者。”空気の読めない”、場にそぐわないような発言をしてしまうことが多い。
好きなことはとことん突き詰める。逆に興味のないことは全くの無関心になる。
寡黙。考えを表に出すことが苦手で、意図のない”おしゃべり”を嫌う。
多弁。人見知りせず、相手を選ばずに自分のペースで話をしていく。
このように一見矛盾する特徴が挙げられる(ASDでも寡黙なお子様もいれば多弁なお子様もいる)のが発達障害の特徴です。すべてに当てはまるお子様はまずいません。チェックリストの一部に当てはまることが一般的です。あえて共通点をあげると、ASDのお子様は、コミュニケーション能力や社会性、想像性が多くのお子様と異なり、”変わっている”と思われることが多いというまとめ方となります

(ADHD 主な特徴 チェックリスト)

好奇心旺盛。注意が散りやすく忘れ物がが多く片付けができない。
おっとりしている。ぼーっとして話を聞いていないようにみられる。
活発で元気。着席は苦手で落ち着きがない。
行動力がある。衝動性が抑えられず、突発的な行動が多い。
ADHD(注意欠如多動性障害)はその名の通り不注意さや多動性、衝動性が特徴とされます。特に幼少時は身体の多動性もありますが、年齢が高くなるにつれて頭の多動性が課題になりがちです。男性と女性の出方も違うことが多めです。抽象的に説明すると、気持ち・注意・関心・行動の自律的な制御が苦手なタイプとなります。

ADHDの衝動性が強いタイプは、気持ちのコントロールが特に苦手です。叱れば直ちに改善されるという類のものではありません。まずは気持ちを落ち着かせ、冷静になってからなぜ気持ちが高ぶってしまったのか、どうしたらそのようにならないかを、周囲の大人が一緒になってご本人に考えさせる必要があります。甘やかすのではなく、適切な対応が必要というわけです。

感情のコントロールの練習をする際にはマイナスの感情(怒りや悲しみ)からではなくプラスの感情(喜びや楽しみ)から練習していくとよいでしょう。どんな感情でも、トレーニング次第では自分の力で興奮状態から落ちつくことができる、という実感を得ることが有効です。

また、適切な対応がとられていれば衝動性は年齢とともに落ち着いていく場合が多いことがわかっています。周囲の大人たちが寛容に見守りつつ根気よく指導を続けてあげることが重要です。

(LD(学習障害))

日常生活で理解力に不安はないが、勉強だけができない。
文字がぼやけて見えたり、反転して見えたりする。
本を読むのは好きだが文字が全く書けない。
暗記力はあるが数字に関することだけは覚えられない。

LD(学習障害)とは、基本的には全般的な知的発達に遅れは見られず、聞く・話す・読む・書く・計算するまたは推論するなどの特定の能力の習得に困難さがみられます。

そうしてこれらの症状について、
@治るの?治ることはない 適切な療育や訓練で症状は改善
A障害なの?確かにマイナス面はあるが、環境によって長所を活かせる
B原因は?遺伝・先天的だが、完全には解明されず研究途上
C増えている?診断環境の整備や社会認知拡大に伴い診断数は増加

(引用終わり)

これが、このような事件と何の関わりがあると言うのか。
発達障害として規定している内容は、健常者であるはずの我々自身も常に感じているものではないか。
日常生活において、我々が常に快適に活動で来ている訳ではない。何かの理由で落ち込んでいる場合に感じるものであり、発達障害者としてあえて規定しているのは、落ち込みから抜けられない人たちの事であろう。

それを遺伝子による症状だとか先天的という言葉で片付ける安易なクソ学者の解説などに何の意味がある。
昔から精神的に弱く社会生活、家庭生活を維持できない人がいる。
宗教に頼って克服しようとしている人もいる。

人間がいだく不安感は本質的なものであり、それを制御しえない人たちが発達障害の症状を起こしているのである。
勿論遺伝子的に精神の弱い人もいるであろうが、それは数的に現代の様相を現してはいない。
現代社会において、いわゆる発達障害と思われる人が増えてきたのは、社会全般の不安要素と関係しているのである。

民主主義を理想のシステムの様に考えているが、逆に見れば自己責任が要求される社会である。
もともと精神の弱い者、強者に圧倒されて委縮するもの、経済的に追い込まれているもの、このような人たちが精神障害を起こすと、どうして考えない。
その様な状況になっている社会の事を、どうして考えない。

もう一つの理由がある。
民主主義社会の理想、個人の権利、自由の実現のために、幼少期からしきりと自主性を強要される。
小学校、中学校までは、子供は何の抵抗もなく自主性(我儘)を発揮できるが、大人になるにつれて、そう簡単には自分を主張できなくなる。
自主性と共に間違った平等意識を植え付けられた子供は、自分が主張できないと、相手や社会を恨む事になる。
それが閉じこもりの原因となり、究極は自暴自棄の反社会的犯罪の温床となる。

暴力団は自ら看板を掲げているが、一般人の反社会的行為は突然で防ぎにくい。
これが今回の事件の真相であり、このような事件を憂うなら、根源の問題と対峙しなくてはならない。

我々は民主主義を信じ切っているので、信じたいので、そこには踏み込もうとしない。
社会的に名声を得ることを至福としている有識者は民主主義の批判など思いもよらない。

老人福祉施設の犯罪など、幾ら繰り返しても解決の為の方策は見えてこないだろう。
また、早急に出来るものでもない。
今後、数十年かけて青少年教育から見直す事である。

民主主義と言う言葉を見直す事である。
民主主義とは政治的に主権在民を示し、自動的に個人の権利、自由を保証するものではない。
自己責任の社会、それは取りも直さず、資本主義のシステムである事を認識すべきである。
一方的に肯定すべきシステムではない。


(追伸)

同じ様な診断に自律神経失調症があります。

自律神経失調症

イライラ、不安感、疎外感、落ち込み、やる気が出ない、ゆううつになる、感情の起伏が激しい、あせりを感じる

メンテ

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この様な教育を受けた子供が、厳しい現代社会で太刀打ちできるはずはない ( No.1 )
日時: 2018/06/11 15:28
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:tw7Lk2YA

「お話 その1」

 京都府のある小学校の四年のクラスには、教育に非常に熱心な先生がおられまして、その先生は、テストのとき、生徒の全部に90点以上を取らせたいと思い、試験が近づくと、黒板に問題と解答を書き出し、何回も何回も生徒に覚えさせていました。 結果は聞いておりませんが、その父兄の一人は、先生の努力を奇異なものと感じておられました。

「お話 その2」

 私の子供が小学生のおり、「学級通信」なるプリントを殆ど毎日の様に持って帰ってきました。 始めは、先生も大変と思いながら、少しは目も通しておりましたが、そのうち、捨てる訳にもならす、ただ集積するに任したものです。 日常化した膨大な量のプリントは子供にとって本来の連絡紙の意味を感じなくなり、本当に必要な内容を含んだものも含めて親に確実に手渡す事の大切さがだんだんとわからなくなってしまいました。

 知り合いの小学校教諭に聞きますと、そのプリントの作成に毎日時間を取られて、また、毎日なので書く内容に神経を使うため大変らしいです。 費用対効果の意味で先生方に同情するだけではすまされない問題が内在していると思います。

「お話 その3」

 最近小学校での運動会では、1等・2等・3等と順位をつけない学校があるらしい。 幸いに、私の子供の学校では経験しなかったが、早く走れるのにふざけて走らない子供、玉入れでは相手の籠に玉を入れる子供、またそれを観戦する父兄のしらけた表情など、想像するに耐え難い光景を現実のものとしている小学校が少なからずあるようです。

「お話 その4」

 私がPTAの地区の役員をしていた中学校で、毎年夏休みに行われている、生徒による古紙回収の行事での話し。
準備の為の役員会が開かれ、教務担当の先生からは以下のように説明されました。 「この行事は生徒の社会学習の一つとして、生徒が自主的に計画して行うものです、父兄の方には、回収の為の車両を提供していただき、また行事が安全に行われるように指導してやって下さい」
行事当日の事 ・・・

行事後のPTAの役員会(反省会)の発言集

ある父兄 
今年は生徒達が非常に協力的でスムースにできて、本当に助かりました。
(私のところでもそうだった、との同調意見あり)

教務担当の先生  
有難うございました、また来年も宜しく・・・

私の発言
皆さん、少し待って下さい。 私の地区では以下のようでした。
集合時間を厳守できていない、特に上級生に目立つ。
集合して後、上級生からは、父兄に何の挨拶もなく、また、下級生にたいして何の指示もしない。
様子を見ていると、班分けは出来ているらしく、ぞろぞろと出発する気配なので、回収道順等について車両を運転する父兄に説明をする様に注意をしたところ、明確に説明する何の資料も持っていない。
回収前に、協力を依頼する文書を各家庭に配布していたようだが、そのリストも持っていない。 回収作業が始まってからは、トラックの荷台に乗せろと上級生ほど要求する。

 以上の内容であり、先日、先生から言われていた、生徒が自主的に行う社会学習の観点から見ると、その目的からは、かけ離れた状態であった。 それでも結果として、市からの助成金を含めて50数万円の収入が見込め、それで教材及びクラブ活動の資金が手に入り、生徒が自分達の力でこれを達成したと思うことは、教育上ゆゆしき問題であり、来年からは取り止めていただきたい。 資金が必要ならPTA行事として行い、生徒に協力させればよい。 (皆さん、しらけてシーン ・・・ )

「お話 その5」

今度は私が地区の公民館で文化委員をしているときのお話です。
小学校の夏休みを目前に、公民館の関係委員・小学校の担当の先生・市の教育委員会からも課長が出席して、地区の子供たちの夏休みの過ごし方を指導する為の会合でした。

学校の先生からは、海水浴の時の安全確保、交通事故に巻き込まれない様に注意させるとか、規則正しい生活に留意させるとかの一般的注意を学校の夏休み中の行事とも関連させて発言しておられました。

次に教育委員会の課長は次のように発言されました。 「学校では子供が自主性を発揮するように常に指導を行っております、夏休み中も、先生が言われたことを子供が自主的に出来る様に、指導してやってください」
何気ない発言に議事は順調に進むはずでしたが、その場にふさわしくない者が今年は紛れ込んでおりました。



私の発言 
最近、教育の場でよく自主性が言われていて、修学旅行の行先も子供の意見を聞かれているそうです。 何事でも自主的に出来ると言うことは、その事に関しては、すでに人間として完成できている事ではないでしょうか。 我々社会人におきましても、簡単なことから難しい事までそれぞれに任しきるには、慎重な考慮を必要とされます。

その人が結果の責任を取れる範囲において、本人にまかす(自主性にまかす)様にしないと、事業などは維持出来ません。 もちろん自主性は大切な内容ですが、それを身に付けさせるのは、成人も含めて大変なことです。 また自主性を発揮する為の自身の判断力を醸成させる為に、人は、広く他の意見を取り入れる習慣を身に付けないと出来るものではありません。

生まれながらにして社会的に有効な自主的な判断力を持った子供などいるはずがありません。 正しい自主性などは、その内容に応じて(簡単な事例から複雑な内容のものまで)教導されねば育つはずはないし、年少のころより、そういった、指導をきっちりされる方が、子供はより早く、正しい自主性を身につけることになるのではないでしょうか。

子供達に正しい判断力が育っておれば自然に自主的にものを行うことが出来、結果として我々父兄が喜ぶことであります。 真に子供の成長を願うならば、自分のことでも責任の取れもしない子供の判断の自由にまかせて、成り行きを見ているような悠長なことは、日々成長を繰り返すべきこの時期に適切では無いはずです。

子供の判断の誤りはその都度きっちりと指摘してやる事の連続が教育であり、その必要がなくなった部分に比例して自主性が芽生えたと思うべきです。 しかるに、最初に自主性ありきの今の発言が子供の成長にどの様な意味で有効かを、具体的な根拠を示して説明していただきたいものです。 (またまた一同 シーン ・・・  )

これらは私の子育ての過程での出来事を中心に述べてきました。 その中によく出て来た、表題の「平等」と「自主性」について考えることにします。

広辞苑を引きますと「平等」とは「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと」その用例としては「・・・に扱う」とか「男女・・」のように、あるものとあるものの関係において平等の概念を当てはめることが正しい使い方であり、また「平等に分ける」の場合のように、平等の概念が適用できる対象について可能な言葉であります。

しかるに、我々人間の能力・環境など、それ自体が平等になりえないものに、平等の概念を適用しようとする行為は、愚劣を通り越していて、このような概念を教師が持っているとすれば、直ちに矯正すべき内容であります。 我々人間は、与えられた環境・身体・能力に応じて精一杯生きてゆく事が大切なのです。

年少者の教育の場での神様になるような教育は、子供達が長じて社会生活に入って行く上に、大変な弊害をきたす以外のなにものでもありません。 頭の良い子はそれを生かし・身体の頑丈な子はそれを利用するもよし、成長と共に、自分に応じた生き方を身に付けさせること、自分の長所を認識させることが義務教育時点での重大な課題ではないでしょうか。

民主主義の世の中で、機会とか情報とか、社会的各種差別に対して平等を主張するのは結構ですが、人間自身が平等に生きられると思い込ませかねない教育は、この世ではやって欲しくないものです。

同様に「自主性」について、広辞苑では「他人の干渉を受けないで、自分で決定して事を行うさま」とあります。 子供でも、成人でも、自らを成長させるにおいて、一番大切な心がまえは、見習うことです。 その昔、我々老人の時代には、親は生活に追われていて、我が子の教育などは、ただ叱り付けることでした。 その中で子供達は、やってならない事、善い事を自然に習ってきました。 成人に達してからも、先輩達の仕事を盗むようにして覚えていったものでした。 年少のころから、少しずつ確実なものを身に付けて、それが自信になり、判断力の根拠となって、他の人からも信頼されるようになりました。

自主性などは、その過程で無意識のうちに醸成されてゆく、責任感を伴った自我に基づくものでなければなりません。 自我とは、これも広辞苑によりますと哲学的には「認識・感情・意志・行為の主体を外界や他人と区別して言う語」、また心理学的には「意識や行動の主体を示す概念」、精神分析の世界では「イド」(注)から発する衝動を、外界の現実や良心の統制に従わせるような働きをする」とあります。 自我の発育は心理学で言っておりますように、思春期に反抗期を伴って顕著になってくるものであり、個人の心的体験等によりそれぞれに差異があるものです。

発育途上の子供に対して、択一的に、他動的に、まず先に、自主性の概念を教え込む等の手法によって、正常な自我を醸成させることが出来ると思っているのでしょうか。 自主性と言う言葉を自我と置き換えて考えればそんなに単純に、教えて身につけさせられることではないはずです。 自我の未成熟のまま自主性の概念のみが発達した、能力も責任感もない多くの人間が社会に出た時、社会の秩序が崩壊するのは目に見えております。

教育の場で「自主性」を云々するのは、如何にして正当な自主性を身に付けさせることが出来るかを、教育者自身が己に問う問題であり、子供に自主性を安売りするものではありません。 まして、事例を与えて子供に実験させて悦に入っているのみの教育現場のあり方は、もってのほかの状況と考えます。 「自主性」にたいする考え方が逆立ちしている様です。

最近発表された教育基本法のなかにも「自主性を育てる教育」が方針として盛り込まれておりますが、その抽象的概念をかかげるだけで、教育現場の現状に対して余りにも無責任な対応といえます。 子供の内面を伴わない自主性の意識を発揚させる教育が、それだけが全てと申しませんが、やたらと親や教師に反抗し、物事に責任を取れない子供が氾濫している原因となっていると思います。

以上、申し上げました様に、多くの教育関係者様におかれましては、広辞苑等をひも解かれまして、まず自らの語学力の再教育をされた方が、よいのではないでしょうか。 従来の認識を変えられたほうが、自らの教員生活にゆとりも出来、崇高なる職業意識の満足にも効果のある事と、御提案申しあげます。

(注) id = 精神の奥底にある本能的エネルギーの源泉。快を求め不快を避ける快楽原則に支配される。 エス(es)ともいう。 精神分析の用語。
メンテ

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