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[3072] 資本主義・民主主義の問題点<現代社会の矛盾
日時: 2018/11/24 13:38
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:U9q0gAXQ

資本主義・民主主義と言う言葉は、もはや我々にとって空気や水のように当たり前に得られる概念となってしまっています。
現代社会が抱える矛盾は、その資本主義・民主主義が起因している事を省みようとはしません。

このスレッドでは、この問題を取り上げてみます。
最初に、資本主義について、マックス・ヴェーバーはその主著で次のように書いています(1920年)。
https://www.y-history.net/appendix/wh1704-029_1.html

ウェーバーが問題にしたのは、近代資本主義は「利潤追求」の営みであるが、それが生まれたキリスト教ヨーロッパは、むしろ利潤追求が否定されていた、という点であった。中世カトリック教会では暴利の取り締まりとか利子禁止などの商業上の倫理的規制を設けており、さらに宗教改革後のイギリスやオランダ、フランス、アメリカなどの禁欲的プロテスタンティズムでは商人の暴利は最大の悪事であるととされ、厳しく取り締まられていた。なぜこのようなところで近代資本主義が生まれたのだろうか。ヨーロッパでは営利以外のなにものか、とりわけ営利を敵視するピューリタニズムの経済倫理(世俗的禁欲)が、逆に歴史上、近代の資本主義というまったく新しい社会事象を生み出されるさいに、なにか大きな貢献をしているのではないか、と言うのが問題設定である。

ベンジャミン=フランクリンを例にとり、「正当な利潤を》Beruf《「天職」として組織的かつ合理的に追求するという心情」が、もっとも適合的な形態として現われ、また逆にこの心情が資本主義的企業のもっとも適合的な精神的推進力となった」<岩波文庫版p.72>と説明している。この「天職」(岩波文庫の旧版、梶山訳では「職業」とされていた)Beruf とは、ルターが使った言葉で、「神の召命と世俗の職業」という二つの意味がこめられおり、われわれの世俗の職業そのものが神からの召命(Calling)だという考えを示している<

ピューリタニズムの宗教意識は、カトリック信徒がとらわれていた救いの手段としての「呪術」を排除した。カトリック信徒は「悔い改めと懺悔によって司祭に助けを求め、彼から贖罪と恩恵の希望と赦免の確信を与えらる」ことによって内面的な緊張からまぬがれることができたが、「カルヴィニズムの神がその信徒に与えたのものは、個々の善き業ではなくて、組織にまで高められた行為主義だった。」<岩波文庫版p.196>
 キリスト教的禁欲は、非行動的な禁欲ではなく、エネルギーのすべてを目標達成のために注ぎ込む行動的禁欲であり、カトリックの修道院内での「祈り働け」の生活に見られるが、そのような「世俗外的禁欲」を「世俗内的禁欲」に転換させたのがルターの「天職」の思想であった<大塚解説 p.401>。さらにカルヴィニズム(特にイギリスのピューリタニズム)では、「神のためにあなたがたが労働し、富裕になることはよいことなのだ」(バクスターの言葉)とされ、怠惰は罪悪であり、隣人愛に反することとされるようになった。

ウェーバーの議論は西ヨーロッパとアメリカで発展した近代資本主義の精神的な支柱が、カルヴィニズムの天職と世俗内禁欲(今与えられている職業に誠実に努めること)にあったと理解できる。その論証は、カトリック、ルター派、カルヴァン派さらにそこから派生したメソジストやクェーカー教徒などの教説に及んでおり、細部は難解な部分が多い。しかし、巻末の次の部分は、アメリカ発の新自由主義資本主義の暴走という現在(2008年)の資本主義の混迷を予言しているようで興味深い。

>営利のもっとも自由な地域であるアメリカ合衆国では、営利活動は宗教的・倫理的な意味を取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり、その結果、スポーツの性格をおびることさえ稀ではない。将来この鉄の檻の中に住むものは誰なのか、そして、その巨大な発展が終わるとき、まったく新しい預言者たちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起きるのか、それとも、そのどちらでもなくて、一種の異様な尊大さで粉飾された機械的化石と化することになるのか、まだ誰にもわからない。それはそれとして、こうした文化発展の最後に現れる「末人たち」にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、とうぬぼれるだろう」と。

(引用終わり)

哲学者らしく、ヴェーバーは、資本主義の考え方が興る根拠を宗教改革に結びつけています。
そうして行き過ぎた資本主義の結果、現代社会が抱える社会の2極化を予言しています。

次に民主主義について考えてみましょう。
民主主義そのものの成り立ちは説明するまでもなく主権在民のことですが、近年は主権在民は当たり前で、個人の自由。権利が保障されることが民主主義と思われています。

民主主義と自由主義は、基本的には次元の違う話で、一義的には対立するものではありません。

民主主義が原理とするのは、「自己統治」ということです。つまり、治められる者と治める者が一致する体制がその主眼とするところです。国の主権が誰にあるか、という問題のはなしであって、国民が為政者を選ぶ民主制に対立する概念としては当然、王制や貴族制が挙げられます。

一方で自由主義というのは、民主主義とは次元の違う原理です。自由主義は、近代国家が成立して徐々に国民の生活のいろいろな側面に介入するようになってから、それに対抗する形で、国家といえども介入できない「個人の自由な領域」を確保しようとして生まれたものです。「思想の自由」「信教の自由」という時の「自由」がそのニュアンスを含んでいます。
つまり自由主義というのはその成立から言って、国家権力に対抗する「個人主義」と密接に関係するわけで、単純に言えばライフスタイルの選択は個人の自由に委ねられていて、社会が干渉してはならない、というのが自由主義の基本的な立場です。

このように両者は次元を異にするものですから、当然お互い必ずしも対立するものではあ・

般的な体制として存在し得ます。

ただ自由主義の程度とあり方次第によっては、民主主義との軋轢を起こしかねない事は事実です。

自由主義は、社会に先だって個人を普遍的な主体として想定しているわけで、伝統的な「社会が個人を人間にしていく」といった考えに対して概して批判的です。
こういう考え方が先鋭化してくると、例えば帰属意識の問題が起こってきます。個人個人の価値観が優先され過ぎると社会の共通意識がどうしても薄れてしまい、社会全体の結合力が弱くなってしまうわけです。

結局、個人の自由を強調しすぎることは、主権国家が対立する国際社会のなかでは国益を損ねてしまい、結果的に国民の利益を損ねる事になりかねないと言えるでしょう。
さらにまた、行き過ぎた自由主義が政治そのものに対する無関心や心理的抵抗をもたらして、ひいては民主制そのものも危険に落とし入れてしまう危険性もはらんでいます。

次には、資本主義・民主主義が抱える問題点を検証してみましょう。
メンテ

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Re: 資本主義・民主主義の問題点<現代社会の矛盾 ( No.1 )
日時: 2018/11/24 14:04
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:U9q0gAXQ

2000年にも渡る西欧哲学は、人間の存在を問い、国家の有り様を問うてきて、最後は実存主義、アナーキズムを生むことになった。

民主主義、資本主義が登場して200年、この間、哲学は全く沈黙してしまっている。
近代科学が発達した現在、哲学は無用のものになってしまったのか。

資本主義・民主主義の興隆のなか、我々は科学技術の発達、情報の氾濫で一人一人が哲人であり、もはや哲学者の言い分に耳を傾ける必要はなくなった。
それでも我々の迷い苦しみが無くなった訳でもない。
現代社会は誰がリードするのか、先験者など不要になったのか。
そうではなく、現代社会の矛盾が増せば、必ず先験者が必用になってくるのではないか。人々はそれを求めるようになるのではないか。

この様な観点からみて近年の思想家で我々に啓蒙を発した人物はまことに稀である。

ヒットラーの予言の事を書いて顰蹙を買った向きもあるでしょうが、ヒットラーはまさしく現代社会の矛盾を洞察していた。
同じようにマルクスも資本主義の矛盾を明確に説き、現代社会の矛盾を喝破していた。
ヒットラーやマルクスなど著名な人間で無くても、同じような警鐘を発した人はあまたあると思うが、それは世に知られていない。

ここに、ごく最近のギリシャの政治学者であるヤニス・ バルファキスの講演を紹介します。

「資本主義が民主主義を食い尽くす—今こそ立ち上がろう」

民主主義— 西洋社会は それを当たり前に考えるという 大きな間違いを犯しています 私たちの目には 花の如く実に脆い 民主主義の本当の姿ではなく 社会に備え付けのものとして 見えています 岩のように動かないもの あって当然のものと思いがちです 資本主義こそが民主主義を生み出すと 誤解していますが 間違いです

シンガポール元首相リー・クアンユーと 彼を見事に真似た中国政府が 合理的な疑いの余地なく 証明してみせたように 資本主義を繁栄させ 目覚ましい経済発展を遂げるのは 民主性ゼロの政治でも 完全に可能なのです 実際 我らが住処であるヨーロッパは 民主主義から 遠ざかりつつあります

今年2015年の初め 新しく誕生したギリシャ政府の 財務大臣として ユーロ圏の財務相が集まる— ユーログループに出席した際 我が国の民主的プロセス つまり選挙によって ギリシャで実施中の経済政策を 妨げることは許されないのだと はっきり告げられました リー・クアンユーや中国共産党のやり方を これほど正当化した話は他にない その時 そう感じました 実際 何か少しでも 変化を起こす恐れがあれば 民主制自体禁止されかねないと 反体制的な友人たちがいつも言っていました

無駄といえば ひとつ 面白いパラドックスを 紹介させていただきましょう 今まさに 我々の経済を 脅かしている現象です 「ツインピークス・パラドックス」と呼びます 片方のピーク(山)は もう見てお分かりですね アメリカやヨーロッパ、そして全世界に 長く暗い影を落としている— 山積みの負債のことです 負債の山のことは誰でもわかります でも その双子の片割れが見えている人は 僅かでしょう 動かずに眠っている 莫大なお金の山です 金持ちや企業が溜めこみながら 投資に二の足を踏んでいる資金です 生産活動を通じて 収入を生み出し ひいては巨額の負債を 返済に充てるための投資や 例えば再生可能エネルギーのように 人類が切に必要としているものを 生み出すための投資です

ここで2つの数字に 注目してください 過去3ヶ月に アメリカ、イギリス そしてユーロ圏にて 富を生み出す財への投資された額を すべて合わせると 3.4兆ドルにあたります 例えば 工場、機械 オフィスビル、学校 道路、鉄道、機械設備など まだまだあります 3.4兆ドルって 大金に聞こえますよね でも 今言った国々で 同時期に 5.1兆ドルが 金融機関の中で 遊んでいるだけだとしたら そうも思えなくなります 5.1兆ドルが まったく何もせず むしろ 株価と不動産価格の高騰を 招いたのみなのですからね

まり 山積みの負債と 眠れる資産の山 この2つの山が 経済市場の通常の活動の中では 相殺できていないのです

これが賃金の停滞につながり アメリカ、日本、ヨーロッパにおける 25歳から54歳までの4人に1人は 失業者です 結果 総需要も上がらないという 悪循環は止まらず 投資する側は悲観的になります 需要不足を恐れて控えた投資が みずから需要を減らしているのです オイディプスの父親と全く同じ状況です 実の息子に殺されるであろうという 神託を恐れるあまりに 図らずして 息子のオイディプスに 本当に殺されるための お膳立てをしてしまう話です

資本主義がおかしいと思うのはここです 全体的な無駄や この眠れる大金こそ 人々の生活の質を向上するため 人材を開発するため そして何より 様々な技術を開発するため— 特に 地球を守るために必要不可欠な 環境に優しい技術開発に 投資するべきです

さて 現代の民主主義においては 経済と政治の領分の分離 これが始まった途端に 双方の間に 手のつけられない 壮大な争いが勃発しました 経済界が 政界に侵食し 政治を乗っ取り始めたのです

ある意味— 挑発的な発言をお許し頂ければ— 今日の中国は 19世紀のイギリスに より近いのです 理由は 前述のとおり 自由主義を民主主義と 関連して考えるのは 歴史的には間違いだからです 自由主義は 民主的プロセスに特に懐疑的だった― ジョン・スチュアート・ミルに 似たスタンスです 今 中国で起きていることは 産業革命の時期 特に第一次から 第二次産業革命への移行期に イギリスで起こったことと よく似ています だから 19世紀の西洋がしていたことと 同じことをしているからと 中国を酷評する人々には 偽善の匂いがするわけです


(引用終わり)

経済界が政治を浸食していると言う話は了解するが、余剰資本の活用によって矛盾が解決するなどは、資本主義の根本原則を容認する発想であり、経済の理論に翻弄されている一人の政治屋以外の何者でもない。
メンテ
Re: 資本主義・民主主義の問題点<現代社会の矛盾 ( No.2 )
日時: 2018/11/24 20:13
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:U9q0gAXQ

ユーロ圏の問題、TPPの問題など経済界が望む方向で政治が動いているが、経済をグローバル化して、それで末端の国民生活が安定できるかと言えば、それは甚だ問題である。

このスレッドで書いてきた様に経済のグローバル化は、一方で安価な商品を流通させ、それを求める人々の意(個人の自由・権利)に沿ったものではある。

経済資本は、その人々の望みをかなえるという側面でグローバル化を推し進める。
しかしながら、同時に経済のグローバル化で弾き出され、生活の手段さえ(雇用)奪われ、困窮する多くの人々の存在は無視して進む。

翻って、政治とは何であろう。
その国の国民の安寧の為に存在しているのではないか。

その政治が、経済の言うなりでは社会の2極化を容認している事になる。
政治は、その使命を忘れて経済にひれ伏しているのである。

グローバル化した経済と言うのは、生産、流通において独占が進むと言う事であり、かぎられた企業より経済活動が出来ないと言う事。
経済活動と言うのは、需用と供給、つまり消費と生産がバランスをとっている状況を言う。

生産に携わることなく消費だけを求められている国民にとって、その生活基盤(経済)は奪われているのである。
これに対してアメリカのトランプも国内の雇用を守る為にTPP参加を断った。
イギリスのユーロ脱退も、国内産業の保護の為。

であるが、安価な商品を求める人々、流通の利便性を求める人々は必ずしも、これに同意しない。
資本主義と言うものは、人々の欲望を人質に展開しているのである。

グローバル化した産業構造のもと、多くの人々は行き場を失い困窮する事は確かであり、このままでは、それを抜け出す事は出来ない。
せめて、これ以上のグローバル化を防ぐ政治に転換すべきである。

政治を経済支配から取戻し我々の本当の味方にすべきなのである。

メンテ
Re: 資本主義・民主主義の問題点<現代社会の矛盾 ( No.3 )
日時: 2018/11/24 20:39
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:U9q0gAXQ

NO1でヤニス・ バルファキス氏の次の言葉を紹介しました。

>ある意味— 挑発的な発言をお許し頂ければ— 今日の中国は 19世紀のイギリスに より近いのです 理由は 前述のとおり 自由主義を民主主義と 関連して考えるのは 歴史的には間違いだからです 自由主義は 民主的プロセスに特に懐疑的だった― ジョン・スチュアート・ミルに 似たスタンスです 今 中国で起きていることは 産業革命の時期 特に第一次から 第二次産業革命への移行期に イギリスで起こったことと よく似ています だから 19世紀の西洋がしていたことと 同じことをしているからと 中国を酷評する人々には 偽善の匂いがするわけです


中国経済についてはいずれバブルの崩壊を招き破綻すると言う経済の専門家が多くいます。
しかしヤニス氏が指摘するように、それは既成の経済屋の勝手な言い分にすぎません。

中国経済は莫大な公共投資の下に発展を続けています。
そのために中国が抱える公的債務は4000兆円を超えるとも言われています。

その様子を見て、日本と同じ様にバブルが崩壊、経済が破綻すると決めつけていますが、中国経済は、おそらく今後20〜30年は発達を続けるでしょう。

何となれば、中国は発展したと言っても、その一部であり人口で言えば、まだ10億人が貧しい生活を送っています。
これらの人が道足りるまでは中国の経済は発達し続けるでしょう。
日本のバブルと同じように考えるのは間違っています。

翻って、我が国では、まともな雇用を失った多くの国民の為に、国策として雇用を確保する政策が何故出来ないのか。
公共事業を増やせば雇用は生じる。
食料の輸入を制限すれば、農業、漁業が繁栄する。

輸出においても、何も価格競争だけをすべきではない。
優れた商品を開発すれば、おのずと輸出はできる。

国家の経営の仕方で社会は変えられる。
それが政治ではないか。

企業間の競争は企業に任せて、国家としては国民の生活基盤を守る事が政治ではないか。



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