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[314] 宗教とは何か
日時: 2009/10/30 11:44
名前: 天橋立の愚痴人間

「アメリカ研究<ピューリタニズム」スレッドでの返信ですが、宗教論として別のスレッドの方がよいと思いましたので立上げました。


「宗教とは何か」と言う問いに下記のような説明がある。

世界には日常の経験によっては証明不可能な秩序が存在し、人間は神あるいは法則とい
う象徴を媒介としてこれを理解し、その秩序を根拠として人間の生活の目標とそれを取り巻
く状況の意味と価値が普遍的、永続的に説明できるという信念の体系をいう。この信念は、
生き生きした実在感をもって体験として受け取られ、合理的には解決できない問題から生
じる知的、情的な緊張を解消し、人間に生きがい、幸福を与える役割を果たすものとして期
待されている。また、信念を同じくする人々が、教会、教団とよばれる共同体を形成する。


ただし、これは宗教の外見上(教団の存在)の概念については理解できるが、宗教そのものについての説明には乏しい。
概略すぎて申し訳けないが、歴史的に宗教のことを追ってみよう。

(呪術の段階)

宗教は最初、アニミズムやシャーマニズムと言う形で、生産の為の自然崇拝から始った。やがてそれが一神教とか多神教の形で神という概念を創り出した。
この段階では、個人及び生計を共にする小集団がその不安に対応するために宗教活動を行うのが中心であり、そのうち指導者が長老とか呪術者という形で出てくる。

(古代宗教の段階)

その後社会が発達し、人間の生活単位が部族から民族へ、さらに国家と広がるに従い宗教のあり方(宗教によせる気持)も複雑化し大規模となり、部族神、国家神の形をとることになる。
古代エジプト王国などは、その究極の形である。
此処では王は宗教上の最高権威でもあり、宗教は個人及び生計を共にする小集団の宗教的願いを包括しながらも統治の為の要素も宗教活動の中に入ってくる。
この時代の国家は純粋な宗教国家と言える。

続く
メンテ

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Re: 宗教とは何か ( No.37 )
日時: 2013/08/30 19:09
名前: 天橋立の愚痴人間

UP
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Re: 宗教とは何か ( No.38 )
日時: 2013/08/31 14:20
名前: 天橋立の愚痴人間

UP
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仏教の話 ( No.39 )
日時: 2016/02/03 16:42
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:UK7Ssb.I

このスレッドも久しぶりにUPします。

最近、私の家では母親の葬式を出しました。
葬儀費用は、坊主に払う金を含めて170万円かかりました。

決して贅沢なコースを選んだ訳ではありません。
都会では、200〜300万円も普通のようです。

逆に、金のためだだけでもないと思いますが、格安の葬儀もあるようです。
坊主など、アマゾンに申し込めば通夜、告別式込で7〜8万円で派遣してくれるようです。
極端な場合は、坊主なしで葬儀を行う人もいるようです。

私の場合は、坊主に70万円近く盗られました。
田舎の、しきたりのなかで値切る訳にも、選ぶ訳にも行きません。
坊主も生活があり、ある程度の金額は容認してやらねばならないこともありますが、

その坊主の言うことには、仏事を通して社会の経済効果を発揮するとほざいています。
坊主らしく仏事で法話などを言いますが、その一言で、馬鹿者と一括してやりたくなりました。

日本の仏教が葬式仏教と言われて久しいですが、このような時代だからこそ、仏教の本来の精神を流布させる努力が必要なのです。

キリスト教、イスラム教にはない自然の摂理に基づいた我が国の伝統的宗教の復活を説くことに真剣で対処すべきであります。
資本主義の行き詰まりの問題と違い、仏教は行き詰まる理由はなく、敢然と西欧主義に立ち向かうべき立場ではありませんか。

それなのに、葬儀を経済効果と考えるとは・・・怒、怒、怒




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Re: 宗教とは何か ( No.40 )
日時: 2017/12/02 16:53
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:pGaS8mow

別のスレッドで天皇制について問われました。

そこでレスを書きながら、このスレッドがある事を思いだし、久しぶりにUPする次第です。

現在の世界の3大宗教は、キリスト教、イスラム教、仏教です。
これらは歴史的にほとんど同時期と言えるほどの間に生まれました。

アーノルド・トインビーは、これを世界宗教と定義しています。
それまではユダヤ教はユダヤ民族を対象としていて、他の宗教も呪術的な原始宗教の様相である集団に対して存在していました。

世界宗教と言うのは、特定の民族、集団を相手ではなく人間の普遍の真理に基づいて存在出来るからです。
近年になって日本にも天理教、大本教など新興宗教が生まれましたが、世界宗教と呼ぶほどには教義も一般化されたものではない様です。
特徴として、それらは、まだ創始者に対する想いが強すぎるのでしょう。
オーム真理教などカルトと言われる宗教は特にそれが強く、社会的存在として問題視されています。

世界の3大宗教については、語る内容が多すぎて、ここでは述べませんが、新しい宗教が、それがカルトであっても未だに生まれ続けている事に何かの意味を感じるところです。

キリスト教やイスラム教には偶像はありませんが、仏教には多くの仏像があります。
それを見て、人々は宗教心までは行かなくても何かを感じます。
古代のトーテムポールにも単なる彫刻以上の意味を捉えようとします。

その心を以前の記述の中から再掲してみます。


始原的な宗教心を別の方向からも宗教心を見てみましょう。
http://pii-desu.hp.infoseek.co.jp/animism.htm
「シャーマニズム」

人間界と自然界がそれぞれ安定し,調和した関係にある限り,
それらの諸神霊は、和やかに人間生活を守護するものであるが,
自然がその暴威を顕わし,あるいは社会が混乱や不安に陥ると,
神々は荒々しく恐ろしいものとして現れてくる。

このような場合,もはや祭る人と祭られる神との安定した主-客関係は保たれず,
神霊からの一方的な怒りや崇めりが現れ,
特定の人々は神や霊に憑依され,自らの口をとおして神霊の意志を告げたりする。
このように,
人間と神・霊が直接接触あるいは同一化することを中核とする宗教活動をシャーマニズム
という。
ちなみに宗教というのは,
一部のシャーマンがスピリットとの交感を独占し
それを制度化・システム化することによって成立したものだといえます。

「アニムズム」

児童心理学では,子どもの原始的思考様式のことを意味している.
すべてのものが魂を持ち,かつその魂はさまざまな影響力をもっているという児童の思考様式のことをいう.
アニミズムは日本語で「万物有霊論」「物活論」などと表される。
そしてそれら生きている「モノ」と語り合う
(もしくは語源に忠実に「魅了する」)という考え方からシャマニズムが誕生したわけですから、
このアニミズムというものはシャマニズムに先立つ原始宗教の萌芽といえる。
そして現代に至るまでその影響力は失われていない。
日本における竜神・河童(河伯)・山神・風神・雷神・ツクモガミ(憑く物神)などの信仰これら全ては根底に流れるアニミズムを抜きにして語ることはできません。
また、古くから妖怪の類を表す「もののけ」は「物の怪」「物の気」などと書き、
それらが正にアニミズムの体現であることを我々に教えてくれる。

(まとめ)

人々が自然と共に生きていた時代に人類が共通して持っていた癒しの方法なのです。
また、多くの神話や妖精物語もシャーマニズム体験から生まれてきたものだといわれています。
近年、文明の行き詰まりとともに,
自然と共生するシャーマニズムの世界観が注目され、
その癒しの方法が欧米で盛んに応用されるようにもなってきました。
「生きる力」を喪失しつつあるヒトにとって今必要なのは,
さまざまなテクノロジーを駆使しつつもそれに依存してしまうことなく
同時に自らの内なる感覚をとぎすまし,
自然と対話する術をとりもどすことではないでしょうか。

(以上引用)

最後の文章は、結論じみてきてしまいましたが、ここでも述べられているように最初の宗教心は多分に幼児的なものから発生しています。
これに対して世界宗教(高等宗教)と呼ばれるものは大人の宗教心を対象にしています。
その大人の宗教心と言うものの特性は何であるのでしょうか。

大人と言う表現で示すものは、人間の人間たる所以であり、高度に発達した知性のなせる行動のことです。
それでは、より高度に発達した知性はより高度(?)な宗教心を必要とするのでしょうか。
「年齢を重ねるとともに宗教心が強くなる」と言う事も言われています。
人間は、より人間的に活動するほど、より自然の法則に逆らうほど、宗教心が芽生えてくるとも想定できるようです。

否、今まではそうであったと言えると思います。
ところで、現代社会は仏教が葬式宗教と言われているように宗教に無関心、不熱心な人が多くなってきています。
このことは、既成の宗教が現代社会の人間の心を掴むことが出来なくなった結果と捉えるか、宗教心そのものが必要とされなくなったものと両方が考えられます。

シャーマニズムの最後に結んでいますように、
「生きる力(目的)を喪失し(見失い)つつあるヒトにとって今必要なのは,
さまざまなテクノロジーを駆使しつつもそれに依存してしまうことなく
同時に自らの内なる感覚をとぎすまし,
自然と対話する術をとりもどすことではないでしょうか」

一般的な人の心は自立すればするほど、生きる為の生活に余裕が出来れば出来るほどに、不安も募ると思います。
また、アニミズム、シャーマニズムの時代の不安は、人間にとってより始原的な不安(大自然の脅威、飢えへの脅威)であったのに対して、現代人の不安はより自己発生的な、それ故に多様で気儘な内容を含んでいます。

人間の社会が多くの人を抱合する共生社会である限り、人々の精神的安寧を求めねば社会の平安は保てません。
それは享楽でも倫理、道徳でも補うことは出来ないでしょう。
宗教心とはそのようなものであり、またそれ故(共生と関連する)に社会の有様とも関連してきたと思います。
宗教と言われるものが確立して以来、多くの宗教団体が政治に関わり悲劇の歴史を作ってきたのも事実です。

これは本来の宗教の使命ではなかったはずです。
ですが、はやり必要な宗教心、
これからの宗教の新しい展開に期待する必要があると思います。
有り余る物資を手に入れ、人生の半分の自由時間を手に入れた人間の為の宗教が。


メンテ
Re: 宗教とは何か ( No.41 )
日時: 2017/12/02 17:29
名前: 「南の島 九州 達磨」 ID:zdXrGtXQ メールを送信する

宗教は 必要な方には 必要です


お墓 和尚様に 献金は 無駄


先祖を 大切に お参り するのは 判るが
 盆 暮れ  年に2回のお参りより
 ご先祖様には  毎日 お参りを


お墓 数百万円も 全く不要

 和尚様の お礼 毎月?毎年  数万年も皆無 不要



毎日 家でご先祖様に  礼拝が 可能です

1 有田焼きの 大きい蓋付きの 調味料入れ?
  正式の 有田焼の 骨壺 5000円から1万円
     高くても 1万円でも 売れるが

   骨壺として 高く高尚に 見せる為に
   価格は数万円の価格が 付けてあるが

   たった1万円の骨壺に 先祖 家族の遺骨入れて
     自宅の床の間に 配置で

   毎日参拝 可能です



重い 墓石を  天草から 東京  北海道 へは無駄
   安い中国からも  燃費の無駄

   小さい有田焼で たった1万円で 可能
  節約で マヨネーズのガラス瓶でも 良いのです
   火葬の 骨粉を ガラス瓶に 入れて
  床の間に  奥のです


ご先祖様に  毎日 床の間で ご供養の礼拝を どうぞ


宗教は  無くて 人間が造ったのが 宗教で
神様は  絶対に 居ませんぞ



もし神様が もし いたら

1 殺人犯人は  造りません
2 交通事故も 泥棒犯人も 神様は造りません
3 飲酒運転の 殺人犯人も 造りません
4 国民の血税泥棒の安部政権も 造りません
5 神様否定の 「南の島 九州 達磨」も 造りません


「南の島 九州 達磨」様が  居るのが

  神様がいない 架空の神様です


正しく 生きれば  それで  良いのですから


「南の島 九州 達磨」
「検事・裁判官・警察官・マスコミ・弁護士・「公務員」ヤクザ犯罪  追求委員会」




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オーム真理教 ( No.42 )
日時: 2018/07/26 20:46
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:22.5l3vo

最近、オーム真理教の関係者13人の死刑が執行された。

考えれば、オーム事件から20年の時が経ってしまっている。
オーム事件をテロと扱えば、事件は収束していると言えるでしょう。

オームの系列で未だに存在している宗教団体にアレフと言うのがあり、オーム事件でメディアに随分と登場していた上祐というのが代表に座っていて、会員数は1000名を超えているらしい。

オームと同じ社会悪を実行する危険性があると言う事で、公安警察の監視団体となっているようだ。
しかしながら一部の幹部を除き構成員の多くは、実際に起きたオーム事件はあまり知らない様である。

宗教としてのオーム真理教は何であったのか。
どうしてあれほどの規模に成長していたのか。
オームの犯罪性は取り上げても、そこのところの考察で納得の行くものは無い。

>オウム真理教の教義は、原始ヨーガを根本とし、パーリ仏典を土台に、チベット密教やインド・ヨーガの技法を取り入れている。日本の仏教界が漢訳仏典中心であるのに対しあえてパーリ仏典やチベット仏典を多用した理由は、漢訳は訳者の意図が入りすぎているからとしている。

そして、「宗教は一つの道」として、全ての宗教はヨーガ・ヒンズー的宇宙観の一部に含まれる、と説く。その結果、例えばキリスト教の創造主としての神は梵天(オウム真理教では“神聖天”と訳す)のことである、等と説かれる。

従って、オウム真理教に於いては儒教・道教・キリスト教・ゾロアスター教等ありとあらゆる宗教・神秘思想を包含する「真理」を追求するという方針がとられた。結果として、キリスト教の終末論も、ヒンズー教的な「創造・維持・破壊」の繰り返しの中の一つの時代の破滅に過ぎない、として取り込まれた。すべての宗教および真理を体系的に自身に包括するという思想はヒンズー教の特徴であり、麻原はそれを模倣した。

要するに浅原にとって、本来の宗教の教義は何でも良かったのであり、教義の内容よりも、それを実践することで信仰心の達成感を高めようとするものである。

具体的な修行法としては、出家修行者向けには上座部仏教の七科三十七道品、在家修行者向けには大乗仏教の六波羅蜜、またヨーガや密教その他の技法が用いられた。特にヨーガにはかなり傾倒しており、その理由として釈迦もヨーガを実践していたからとする。

オウム真理教の「五つの柱」として、以下の点が挙げられており、「実践宗教」であることが強調されていて、次の様な修業を仮定している。

1 最終地点まで導くグル(霊的指導者)の存在
1 無常に基づく正しい教義
1 その教義を実体験できる修行法
1 その教義を実際に実践して修行を進めている先達の修行者の存在
1 修行を進めるためのイニシエーションの存在

そうして、その達成度を「ポア」などの言葉で表現し、如何にも免許皆伝の境地の指標の様に取りあげている。
ポア(ポワ)とは、ヨーガの用語で「意識を高い世界へと移し替えること」と言う。
ポアの境地について具体的な基準がある訳ではなく、教祖、独裁者の意のままに会員を操る結果となっていた。

自ら実践宗教と言っている様に、本来の宗教と言うものとの違いを見なければならない。

キリスト教でも仏教でも聖職者と言う者があり、彼らは宗教的修行を積むことで、その教義を深く体得し信者にも伝える(布教する)役目を担っている。

これらの宗教では、その宗教としての信仰の心構えを説くものであり、それを通して信者は心の安寧を求めると言う形である。
オーム真理教における修行は、それによって信者自身が教祖に準じる立ち位置になる事を目的としている。

しかしながら、実際には浅原以外を、その位置に寄せ付ける気持ちなど一切なく、また、その様なものの実在もなく、単に信者を強烈にマインドコントロールしていただけである。

ここに「宗教とは何か」で取り上げている信仰心とは異質のものを含んだ宗教がオーム真理教である。
信者と言われる者が、本当に本来の信仰を求めていたのかも怪しいものである。

死刑になった者の中には、相当高い知能の持ち主がいるが、そうした者が、何故、浅原のマヤカシに乗ってしまったのか。

臨床心理学と言う分野があります。

精神疾患や心身症、神経症について、
カウンセリングやセラピーなど、
言葉を使って、患者を癒していくための心理学と言う事です。

臨床心理学の対象者は、生活において何らかのきっかけで、精神的悩みを持った人です。
人生について悩んで宗教心に目覚める人もいるでしょう。
そうした人は臨床心理学ではなく宗教へ向かいます。

オーム真理教へ走る人の多くは、基本的な宗教心に向かうよりも手っ取り早い方向性を求めてオームの教義を求めたのでしょう。
別の言い方をすれば、社会で自立しえない不安を何かで埋め合わせると思ったのでしょう。
要するに、精神的未熟さの裏返しで、宗教心と言うものを安易に捉えてしまったと言えます。

信者が自らのカウンせリングを求めたにすぎないとも言える。
共同で修行と称するヨガの様な体験をし自立の不安から逃れたかったのであろう。
これを宗教心と言うには、あまりにも俗世間の有り様である。

又は、その安易さにひかれたのでしょう。
高い知能を持った幹部らが、人生の何たるかを十分に体得する前に短絡的に飛びつき、屁理屈で教義を解釈し、それが浅原を頂点とするオーム真理教の組織を固めてしまった。

それと並行して、教団幹部の権力闘争が組織に蔓延することになった。
オーム真理教以後、「アレフ」とか「ひかりの輪」などと分派闘争を繰り返すのも、野党が新党を乱立させているのと同じく、宗教活動ではなく権力闘争をしているだけのものである。

また宗教としての教義も自立したものではなく、信者を集め統率しようと思えば、何かの具体的な指標が必要であった。
信者を本来の信仰以外に方向づける必要があった。

それが勝手な世直しであり、オームの世直しは他の宗教が求める、それではない。
結果、サリン事件の様な方向へ暴走させてしまった。

オーム真理教は、もともと宗教ではなかったのである。

ところが、オーム真理教が壊滅してからも、未だにアレフの信者が1000名を越すと言う事実は、オームの事実とは別に現代社会の病根を現している。

民主主義の名の下に、全ての人の権利、自由が尊重されるが、言い替えれば自由と言う事は自己責任を言い渡された事になる。
人間は、各自の欲望も強いが、同時に自己責任に重圧も感じていて、常に不安を抱えている。

共同社会性が強かった昔の生活よりも、人生に対する不安感はましているのであろう。
それでも生活に逼迫している人たちは、余計な事を考える余裕もなく、ただただ一生懸命生きているのみであり、それによって不安感もあまり感じる暇もないのであろう。

しかしながら、少しの余裕があったり、自分で考える知能が高い人間は、常に不安を解消してくれるものを求める。
そうした人たちが安易にカルトに魅力を感じるのもやぶさかではない。

現代、民主主義社会は、豊かになればなるほどに、オーム真理教等のカルトが発生する要素を持っているのである。
世界には多くのカルトが存在するが、確かにオーム真理教の様に実社会に刃を向ける例は少ない。
メンテ
Re: 宗教とは何か ( No.43 )
日時: 2018/07/27 10:21
名前: 日本貧民党 ID:gi5RvHgI

宗教とは、其れを始めた『開祖』又は『教祖』は、純粋に人間の精神世界に「安寧」を与えようと言う、崇高な思いであったかも知れない。

其れが年を経るに従って、徐々にイビツナものに変質して、世俗の欲望に迎合する物に成り、そう成らなくとも、『仏教』の如く人の死に関わる「葬式仏教」に成り果てたのです。

また、古典的宗教以後に創設された所謂「新興宗教」は、例外なく金儲けの為に「教祖」が創設したものです。例えば、今は大学や病院、その他色々な社会事業などを運営している『天理教』でさえ、昔はメジャーでは無く、金儲けの教団であると思われて居ました。
私が子供の頃は、天理教に対する偏見から、天理教は、信者に成ると「屋敷を払ろうて、田売り給え、テンリン教のために!」等と言う中傷が行われて居ました。 しかし、天理教自身の努力も有って、今は社会的貢献も行う「宗教団体」と変貌して来ました。

現在、日本は憲法で「思想・信教の自由」が謳われて居ますから、どの様な宗教を信じようと自由ですが、明治以後に創立された所謂「新興宗教」は、例外なく金儲けの為の物です。

新興の宗教を創設した開祖が、“人並みの暮らし”又は“人並み以上の暮し”をしたいが為に創設したもので、例外なく信者から間断なく寄進をする事を要求します。そして信者を増やす「布教活動」を義務付けられるのです。中にはインチキ商品を売り回る事を義務付けられる事も有ります。

この新興宗教、見ていると「ねずみ講」の共通する所が有り、教団の開祖に近い位置に座る奴ほど「実入り」が良いと言う構図に成って居ます。 即ち「最初に始めたもの勝ち」ということです。
まぁ、天橋立さんが、「イワシの頭」を『ご神体』として『橋立教』とでも銘打った新興宗教を始められると、天橋立さんはたちどころに金が転がり込んで来るでしょう。

一方、既存の宗教ですが、此れも今「人の精神的安寧を目指す」ことから逸脱してしまいました。どの既存宗教に依らず、開宗の理想から逸脱してしまいました。人間の俗念や欲望がそれほど大きく肥大してしまったと言う事です。此れは、近・現代の宗教者の怠慢と俗化以外に理由は有りません。

僧侶や聖職者は口を開けば『宗教者も人間が、生きて行かねばならない』と言いますが、ベンツやBMWを乗り回す坊主を見ると、現代社会の歪みがマザマザと見えて来るのです。

宗教が斯う言う体たらくでは世の中が乱れるのも無理は有りません。政治同様、宗教にも何も期待できませんね。
メンテ
Re: 宗教とは何か ( No.44 )
日時: 2018/07/29 10:12
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:zkVgwkDc

日本貧民党さんの記事。何気なく読んでいたのですが、

>天橋立さんが、「イワシの頭」を『ご神体』として『橋立教』とでも銘打った新興宗教を始められると

ここのヶ所で、んっ!と思いました。
もしかして、日本貧民党さんは、阿蘇海の「金樽鰯」の事を知っておられるかと!
たぶん、偶然の例えと思いますが、天橋立とイワシには因縁もあるのです。

http://tango.hippy.jp/foods/kintaruiwashi.html

 天橋立で仕切られた内海(阿蘇海)で獲れるマイワシを、地元丹後では金樽鰯(きんたるいわし)と呼び重宝しています。
 阿蘇海は天橋立で仕切られているため、海水の出入りが少なく、イワシのエサとなるプランクトンが豊富にあるため、ここで育ったイワシは外海物と比べ丸々太り脂も乗り、とても美味しいのです。

 金樽イワシには昔話があります。 その昔、丹後の国に藤原保昌という殿様がおられ、その殿様は阿蘇の海に舟を浮かべて酒盛りをよくされておりました。何時ものように黄金の酒樽を舟に乗せて酒盛りをしていると、ふとした拍子に黄金の酒樽を海に落としてしまいました。網で拾い揚げようとしましたが見つからず、その代わりに黄金色に輝くイワシが沢山獲れました。それを食べた殿様はその美味しさにびっくりされ、大変喜ばれました。それから阿蘇海で獲れるイワシを「金樽いわし」と呼ぶようになりました。

>続いて、この様な事も書かれていますが、

この金樽イワシ、もともと狭い海ですので漁獲量もそれ程多くはなく、昔は鮮度を保っての交通が発達しておらず、地産地消がほとんどでしたが、最近は京阪神の料理屋からの引き合いが多く、獲れたら高値で直ぐ出ていくため、地元では滅多に見られなくなりました。
 先日行き付けの魚屋でたまたま見かけたので買って帰りました。キロ1,200円と高級魚なみの価格でしたが、丸々と太り美味しそうだったのでついつい手が出ました。
 さっそく帰ってお刺身とオリーブオイルのソテーにして頂きました。
 刺身は脂がよく乗り、口に入れるととろけるように美味しく、やはり金樽イワシは絶品でした。

(引用終わり)

確かに阿蘇海で漁業をしていた人もいますが、現在は、その船を見かける事もほとんどなく、魚つりでイワシが釣れたと言う話もなく、壊滅しているのではないでしょうか。
それより先に、前の大戦の為に阿蘇海に接してステンレス鋼を生成する軍事工場(現在も日本冶金としてあります)が作られ、以後、その排水を70年以上流しているので海水は濁り昔の面影は有りません。

宗教については、実際に興る宗教の殆どは、カルトかカルト的、言い換えれば金儲けの手段として、誰かが興しているのではないでしょうか。

私は、仏教、氏神信仰などには理解を示しています。
それは、人間がいだく永遠の不安感に関しての拠りどころとして認めている訳であり、信仰によって救済されるとか、御利益がある様な発想は全くしていません。

カルト、信仰宗教を狂信する人の気持ちが理解できません。
それを、無宗教というのでしょうか。

メンテ
新興宗教一覧 ( No.45 )
日時: 2018/07/30 23:04
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:8npwd4BQ

このようなデーターも紹介しましょう。
(新興宗教の信者数)

【1位】幸福の科学/11000000
【2位】創価学会/8270000(世帯)
【3位】立正佼成会/3111644
【4位】顕正会/1670000
【5位】霊友会/1390248
【6位】佛所護念会教団/1240689
【7位】天理教/1209421
【8位】パーフェクトリバティー教団(PL教団)/934489
【9位】真如苑/909603
【10位】世界救世教/835756
【11位】崇教真光/800000
【12位】妙智會教団/654046
【13位】世界基督教統一神霊協会/600000
【14位】生長の家/586973
【15位】円応教/456902
【16位】金光教/429975
【17位】念法眞教/416931
【18位】神慈秀明会/360000
【19位】阿含宗/356841
【20位】ほんみち/318985
【21位】本門佛立宗/300306
【22位】中山身語正宗/294930
【23位】黒住教/272565
【24位】大乗教/255198
【25位】光明念佛身語聖宗/231610
【26位】神理教/221518
【27位】世界真光文明教団/220000
【28位】ものみの塔聖書冊子協会/216472
【29位】妙道会教団/213100
【30位】天光教/170377

>幸福の科学

幸福の科学は、大川隆法が1986年10月6日に、設立した新宗教である。幸福の科学によれば、仏法真理の流布による人類幸福化を掲げている。発足以前の1985年から、イエス・キリストや孔子などの歴史上の偉人・宗教家などが大川隆法の口を通じて語ると主張し、(チャネリング)という内容の書籍(霊言集)を多数出版している。最初の「霊言集」である『日蓮の霊言』[3]のなかで用いられている「幸福科学」という言葉は、1年後の1986年に団体の名称の基となった。

宗教法人「幸福の科学」では、大川隆法が多数の法話で説いた「仏法真理」を教義とし、仏法真理の探究・学習・伝道を通じての「この世とあの世を貫く幸福」と地上ユートピアの建設を目指しているとする。

修行の実践については、現代の四正道として「愛・知・反省・発展」を提唱している。人間は神の子・仏の子であることを自覚した上で他者へ愛を与え、真理を探求し、自分の心を見つめ直し、社会全体を向上させる心構えを持つことを現世の「魂修行」とする。また、世界観として多元宇宙論を展開し、三次元世界(この世)は根源神に近づくための「魂の修行の場所」とされている。

本尊
宗教法人「幸福の科学」の本尊は、霊天上界に存在するとされる、至高神 エル・カンターレ(El Cantare)である。

宗教法人「幸福の科学」では、大川隆法が多数の法話で説いた「仏法真理」を教義とし、仏法真理の探究・学習・伝道を通じての「この世とあの世を貫く幸福」と地上ユートピアの建設を目指しているとする[2]。

修行の実践については、現代の四正道として「愛・知・反省・発展」を提唱している。人間は神の子・仏の子であることを自覚した上で他者へ愛を与え、真理を探求し、自分の心を見つめ直し、社会全体を向上させる心構えを持つことを現世の「魂修行」とする[14][15]。また、世界観として多元宇宙論を展開し、三次元世界(この世)は根源神に近づくための「魂の修行の場所」とされている[14]。

本尊
宗教法人「幸福の科学」の本尊は、霊天上界に存在するとされる、至高神 エル・カンターレ(El Cantare)である。

幸福の科学において「エル・カンターレ」は「うるわしき光の国、地球」もしくは「地球の光」という意味を持つ地球神を表す言葉で、幸福の科学の本尊である[1][2][3]。また、幸福の科学の教義では、エル・カンターレの本体部分が地上に下生したのが、大川隆法とされていることから、幸福の科学総裁の大川隆法のことも示す[4]。幸福の科学の信者は、エル・カンターレを体現した「現成の仏陀(悟りたる者)」であるとして大川隆法を信仰している。 祈りの言葉では「主エル・カンターレ」という呼称が用いられる[5]。

大川隆法は、最初の「御生誕祭」(1991年7月15日、東京ドーム)において自身がエル・カンターレであると宣言し[6]、自らが地上に降りて法を説く使命、全人類を救済し、新文明を建設する等の大乗の仏陀の使命を宣言した。

※ 殆どカルトであるのに海外まで伸長しているのは何故か!


>創価学会

創価学会の三色旗
青は「平和」、黄は「栄光」、赤は「勝利」を表すとされる。
1930年(昭和5年)11月18日に、『創価教育学体系』が発刊され、尋常小学校の校長であった牧口常三郎と、戸田城聖ら当時の教育者などが集い、日蓮の仏法精神に基づく教育者の育成と雑誌の発行を目的とする「創価教育学会」(初代会長:牧口常三郎、理事長:戸田城聖)を創立した。1937年(昭和12年)に、創価教育学会は日蓮正宗の講の1つとして位置付けられた。この組織が創価学会の前身となる。

仏法が説く生命尊厳の思想を根本に、人類の幸福と社会の繁栄、世界平和の実現を目指す「広宣流布」という運動を実践する。
詳細は「広宣流布#解釈」を参照
万人の生命に等しく内在する、智慧と慈悲と勇気に満ちた仏の生命を最大に発揮する「人間革命」を信仰の指標とする。
かつては日蓮正宗以外は、すべて邪宗教であり害毒を流すものとして、他の宗教や宗派を一切認めない姿勢を持っていた[38]。また、島田裕巳によると、創価学会員の子弟は、修学旅行などで神社仏閣を訪れた場合には、神社の鳥居や寺院の山門はくぐろうとしない、という。

※ 要するに市井の宗教屋が自分の宗派が持ちたかっただけ、他人のふんどし(日蓮宗の教義)を拝借して作った程度。


>生長の家

生長の家(せいちょうのいえ)は、1930年(昭和5年)に谷口雅春により創設された新宗教団体。 その信仰は、神道・仏教・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教等の教えに加え、心理学・哲学などを融合させている。正しい宗教の真理は一つと捉えている。宗教法人格を持つ。
生長の家の教義は雅春の著作特に生命の実相と甘露の法雨を基礎とする。なお、生長の家は、神道や仏教、キリスト教、天理教、大本等諸宗教はその根本においては一致するという「万教帰一」という思想を主張・布教している。ただし、現総裁の雅宣が生長の家の経典を含む各宗教の聖典の原理主義的解釈を否定していることでもわかるように、例えばイスラム原理主義や創価学会の教義をそのまま認めている、というわけではない。

生長の家では、世界を実相と現象に分けて区別し、第一義的実在であるのは「善一元なる唯一絶対神」だけであって、それ以外のものは実相には存在しない、と考える。現象世界のものは、物質から霊的なものまで、すべて「第一義的実在に非ず」[11]と説く。「物質は心の影」であると説く一方で、その「心」すらもなく、死者の霊も先祖供養等の対象とはするが、物質が存在しないというのと同じ意味で霊魂も存在しないといている。逆にいうと、例えば先祖供養の形式については、信徒は仏教やキリスト教、神道のいずれの方式で行っても、生長の家の教義に違反しない、ということであり、生長の家が信徒に対して改宗を求めない理由の一つとなっている。

※ オームと一緒、信仰の対象は何でも良いのであり、その無節操さを、あらゆる宗派を総括すると言っている。
結局は、教祖は谷口雅春から清超の二男谷口雅宣へ世襲する家業宗教である。

>天理教

天理教(てんりきょう)は、日本で江戸時代末に成立した新宗教の一つ。中山みきを教祖[注 2]とする宗教団体である。狭義には奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人(宗教法人天理教)。

天理教の教典の一つである『天理教教典』の第三章「元の理」には、天理教の根本教義が示されており、「この世の元初まりは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。」と書かれている。親神が人間を造ったのは、泥海と表現されるような混沌と化した状態であった世界を面白くなく感じて、人間が明るく勇んで暮らす「陽気ぐらし」を見て、人間とともに「よろこび」「たのしみ」たいと思ったからであり、親神の守護と恵みにより、人間は生かされており、天然自然が存在すると説かれている[15]。人間の役割は、親神が見たいと説く陽気ぐらしの実現にほかならず、親神によって生かされているという謙虚な気持ちを持ち、欲を捨て、嘘をつかず、平和で豊かな世界を目指すことが重要であるとされる。

天理教と[ひのきしん」

天理教の用語。漢字を充てると「日の寄進」。寄進とは元々、神社や仏閣の設立、造営に心を寄せるものがボランティアで資金を出したり、労働力を提供したりすることを言う。天理教では自身の執着を去って他人に力を与えることをひのきしんと言い、それを奨励している。つまり天理教に対する無償の奉仕活動。基本的に信者は手弁当で参加する。
と言えば、恰好が良いが、実のところ信者に寄進競争を煽っているのである。
(もちろん金、財産が一番の対称)

※ インド哲学のごとき理屈を並べているが、結局は、目的は「ひのきしん」と称して信者から財産を巻き上げること。
そりゃ数百万の信者から財産を巻き上げれば豪華な社殿も出来るであろうさ。
上納させる為の教義を堂々と説くなど、まこと厚かましい。


我が国の錚々たる新興宗教を貶しすぎましたかな。
私はね、これらの宗教の教祖が、本当に悩める人々を救済する事に目覚め宗派を立てたとは思えない。
メンテ
Re: 宗教とは何か 親鸞の「浄土真宗」も最初新興宗教だった ! ( No.46 )
日時: 2018/07/31 16:07
名前: 日本貧民党 ID:KwJ9KICE

宗教とは、端的に言って「人間の苦悩を取り除く事を説く教えである」と私は理解して居ます。

人間は、この世に在って日々暮して居る時は、色々の煩悩によって《悩み》《苦しみ》《怒り》《悲しみ》を重ね、その隙間に少々の《喜び》も感じます。そして究極の<恐怖>は『死』で、その死に対する恐怖が一番大きく人間を悩ますます。それが人間の最も大きな≪苦悩≫即ち『煩悩』なのですが、何れの宗教もこの煩悩を解脱する事を目的として生まれました。

大体13世紀の初頭に、親鸞が師である法然の「浄土思想」の教えを受け継いで、更にそれを発展させ『浄土真宗』成る教えを開宗したのですが、奈良から鎌倉に掛けての『古宗』と比較して、日蓮の開いた『日蓮宗』同様、はじめは<新興宗教>扱いをされて、かなり弾圧も受けました。親鸞も日蓮も、がんこに粘り強く自分の教えを貫いたので、今日がある訳ですが、これ等は後世の弟子たちが教義を整備して、宗派の教義を確立し、経典を依所する事をして居ます。

そして、ここら辺りまでが古義の宗教ですが、それ以後の新興宗教は金儲けの「騙し宗教」以外の何物でもありません。そして前稿でも書きましたが、トップの教祖が一番金を設け、その下教祖に近い順に実入りが良いと言う、ねずみ講に似た機構に成って居るのです。こんなもの入信する奴は、其れこそ全くの「自己責任」ですから、我らの知った事ではありません。

もう一つ、既成宗教は「往生安楽」即ち「死後の平安」を願う者ですが、新興宗教は「現世利益」(げんせりやく)を祈る物で、煩悩からの解脱どころか、煩悩を益々増長させる物なのです。そしてこれが何より欲深い現代人を引付ける理由であるのです。

「ごりやくを受けたければ、どんどん寄進をしなさい!」と言われて貧しい庶民はなけなしの金を寄進するのです。全く以て、宗教をネタにした詐欺なのです。公然と認められた〈振り込め詐欺〉と同じなのです。「ごりやくが無いのは信仰心が薄いからだ!」です。
メンテ

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