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[3155] 物申す或る作家の私見<田中角栄論
日時: 2019/05/13 16:20
名前: 平岡幸夫 ID:Wr8eJ26Q メールを送信する
参照: http://yukio_664@yahoo,co,jp/

私達は今現在という現実の歴史の中にその身をおいているその現在という私達にとって身近な歴史的現実が某国(アメリカ)の策略で我が国でただ一人天才であり宰相でもあった角栄氏を収賄容疑の名のもとに立件逮捕に至らしめた我が国の司法界(最高裁判所並びに検事局)を以て葬り去ッたことは許されるべきでない____等しくその意見に同調する
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Re: 物申す或る作家の私見 ( No.1 )
日時: 2019/05/13 17:51
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:LUA81qjA

田中角栄といえば、ロッキード事件を起こした金権政治化と誹謗する人が多い。
ロッキード事件は事実であるが、田中角栄という人物を見れば我が国を率いていける大政治家でもあったことを同時に認識しなければならない。

自分の保身しか目にhがいらない、どうしようも無い愚劣な政治屋共が跋扈している現代、政治家のあるべき姿を田中角栄に見たい。
田中の欠点は後述するとして、まずは田中角栄とは、この様な人物であり、私は田中を受け入れている。


>田中角栄の略歴

自民党最大派閥の田中派(木曜クラブ)を率い、巧みな官僚操縦術を見せる田中は、党人政治家でありながら官僚政治家の特長も併せ持った稀な存在だった。大正生まれとして初の内閣総理大臣となり、在任中には日中国交正常化や日中記者交換協定、金大中事件、第一次オイルショックなどの政治課題に対応した。政権争奪時に掲げた日本列島改造論による日本列島改造ブームは一世を風靡したが、その政策は後のバブル景気にも通ずる不動産投機に伴う地価の暴騰や狂乱物価と呼ばれるインフレーションを招いた。その後の田中金脈問題への批判によって首相を辞職、さらにアメリカ合衆国の航空機製造大手ロッキード社の全日本空輸への航空機売込みに絡んだ贈収賄事件(ロッキード事件)で逮捕収監され自民党を離党した。

>田中角栄の議員としての実績

道路法の全面改正や、道路・港湾・空港などの整備を行う各々の特別会計法や日本列島改造論によるグリーンピアなど、衆議院議員として100本を超える議員立法を成立させ、戦後の日本の社会基盤整備に正負両面にわたる大きな影響を残した。また、社会基盤整備を直接担当する建設省や運輸省、大臣として着任していた通商産業省や郵政省などに強い影響力を持ち、政治家による官僚統制の象徴、族議員の嚆矢となった。若い頃の夢は「文士(小説家)になる事」と大蔵大臣時代のインタビューに答えていた。

1972年8月7日の駐日アメリカ大使から本国への機密の報告書には「田中の粘り強さと決断力の源は、自らの力でのし上がってきた、その経歴にあると思われる。彼の大胆さと手段を問わないやり方は終戦直後の混乱からトップに登り詰めた事を反映している。」とある。通産大臣時代に担当した戦後初の日米貿易摩擦とされる日米繊維交渉ではアメリカに対して粘り強く交渉し、貿易戦争の瀬戸際になるまで妥協しなかったこともあった。

ロナルド・レーガンの大統領補佐官リチャード・V・アレン(英語版)は「したたか者」と評している。

>田中角栄の台頭と人脈

1962年7月第2次池田内閣における、尋常高等小学校卒、44歳での大蔵大臣就任は、1890年日本の帝国議会開設以来、後にも先にも例がないといわれる[65]。田中蔵相と書かれた閣僚名簿を見た池田勇人総理は「アレは車夫馬丁のたぐいだ。どこの馬の骨かわからん」と一蹴した。

田中は池田が大蔵事務次官の頃から、池田を未来の宰相と見込んで10年近く、何があっても離れず池田に近づこうと腐心した。同じ吉田門下で異例の出世を遂げる池田を見て、池田につながって出世したいと策を巡らせ、遂に田中の妻はなの連れ子・静子と池田の甥との結婚を仕組み、池田と縁戚まで結んでいた。ただし、1956年末の旧吉田派(丙申会)の分裂では、政権を取るのは佐藤栄作が池田より先と読み、池田派(宏池会)ではなく佐藤派(周山会)に寝返っている。親戚関係とはいえ「高度経済政策」を推進していくにあたり、最も重要なポストである蔵相に国家財政に一度も携わったことのない素人を充てることはできない。

大平正芳が「あの男ならやれます」と池田を熱心に説得、党内の反発を押し切って池田はこれを了承した。慎重居士の大平が、なぜ意外なほどの強行策をとり、田中の売り込みに奔走したのかは謎とされる。田中の蔵相抜擢は、時として反旗を翻すことのある大蔵省へ池田が打ち込んだ"楔"という見方や、金融や財政に素人の田中を据えて、事実上の実権を裏で池田自身が掌握する、総理と蔵相を自身で兼ねて自ら陣頭指揮を執り、田中を傀儡蔵相に仕立てた池田の策略という説もある。当時の大蔵省は池田の直轄地ともいわれ、実際には池田が蔵相を兼任している状態ともいわれた。野田卯一は「池田に対して田中を強引に蔵相に推薦したのは佐藤栄作」と述べている。田中は池田内閣で2年4ヶ月大蔵大臣を務めるが「国民所得倍増計画」に代表される池田の経済主義路線は、開発政治の旗手である田中に絶好の機会を与えた。一介の中堅議員に過ぎなかった田中が、池田によって政調会長(1961年)、大蔵大臣(1962年)という要職に抜擢されたからこそ、後の天下取りへの道が開かれたのである。田中にとって池田は足を向けては寝られない恩人であった。

当時の大蔵省は別格の存在で、大蔵大臣就任にあたり、大蔵省の役人から「大蔵大臣はたいへんな仕事ですから、しっかりやって下さい」と言われて、「俺だって一生懸命勉強してるのに」と悔しくて涙を流し必死に勉強した。田中はこの大蔵大臣就任期間の間に、池田の勢威が行き渡る大蔵省内で、得意の人心収攬術と政治力を操り、誇り高い大蔵官僚を押さえ込んだといわれる。当時大蔵省銀行局検査部長だった庭山慶一郎は「池田さんも部下にカネを渡してました。田中さんは池田さんに可愛がられていましたから、その真似をしたんじゃないですかね。ただ池田さんは大蔵官僚出身だから節度というものをわきまえていました。田中さんの方は、出身のせいかドロ臭い。金額も配る範囲も派手だったです。他人の経歴をじつによく知っていて、入省年次はおろか、成績順位や係累までご存知でした。そのへんはものすごく気持ちの働く人でした。高級、下級官僚の別け隔てなく名前で呼びかける。最初は『田中なんて』と馬鹿にしていた連中も、次第になびくようになるんですね」と述べている。田中は池田が進めた利益誘導政治の形成・展開に便乗したばらまき財政により政治基盤を固めていった。岸、池田時代にまさか田中が将来総理になると思う人は党内にいなかった。

田中と大平の関係が密になるのはここからで、その後も大平とは長く盟友関係にあり、頭角を現す切っ掛けとなった。これは「大角連合」と呼ばれ、田中の首相就任の際には大平の協力が、大平の首相就任の際には田中の支援があった。田中の成長は佐藤派の参謀でありながら池田の側近でもあったからといわれる。田中政権の成立にあたっては「内政は田中、外交は大平」との方針でいくことが2人の間で交わされており、大平は自派(宏池会)からの三役就任の声を押し切って外相を引き受けた。日中国交正常化交渉の実務を取り仕切り、日中航空協定では党内の批判の矢面に立ち交渉を取りまとめた。両者の関係は田中と大平の個人的関係にとどまらず、田中派と大平派は兄弟派閥として議員の交流も盛んであった。

>田中内閣の外交

田中内閣の外交業績としてまず挙げられるのは、日中国交正常化である。背景として、1972年1月にアメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンが中華人民共和国を訪問したこと、および三木武夫が総裁選における田中支持の条件として、日中国交正常化を条件としたことがある(詳しくは日中国交正常化を参照)。これによって田中は、中華人民共和国から「井戸を掘った恩人」と評価された。日中外交の先駆者という意味であり、田中が金脈問題で失脚した後も、ケ小平が田中の私邸を訪問し敬意を表し、田中も晩年の1992年に再訪中してる。

田中は、ブラジル側に「セラード農業開発協力事業」という共同の農業開発プロジェクトを提案し、この事業推進の嚆矢となっている。この時期、米国の穀物相場暴騰による大豆の禁輸措置、第一次石油ショックなどを切っ掛けに資源の安定確保が日本の重大な外交課題となっていた事を背景に、ブラジルを訪問し共同プロジェクトを提案した。2001年の終了までの21年間、3期に分けて実施され、国際協力事業団(現・JICA)を通じて多数の農業専門家の派遣や農家の入植などにより、21年間で約600億円の資金が投じられプロジェクトが遂行された。熱帯の約面積2億ヘクタール(日本の約5倍ほどの面積)の潅木林地帯で、酸性の赤土に覆った耕作には不適とされてきた土地の土壌改良による穀物栽培の開拓が行われた。セラード農業開発の成果もあり、今ではブラジルはトウモロコシや大豆の生産・輸出大国となっている。

北方領土交渉においてレオニード・ブレジネフに「未解決か?」と訊き、ブレジネフは最初はっきりと断言せずあいまいな回答をしたため、田中は顔色を変え「イエスかノーなのか、最高責任者としてこの場で今すぐはっきりと回答してもらいたい」と迫り、驚いたブレジネフから「ダー(そうだ)」という回答を引き出した。

北朝鮮に対しては、1973年に金日成の提案した祖国統一・五大綱領を評価した。当時の大平正芳外務大臣は、同年7月4日の衆議院法務委員会で、このことに関する日本社会党赤松勇委員の質問に対し、「案ずるに、朝鮮民族といたしまして祖国の統一ということが最高の念願である、それを具体的に提唱されたことに対しまして評価されたことと私は思います。」と答弁している。

アメリカ合衆国との関係では、初めてのアメリカ大統領(ジェラルド・R・フォード)訪日があり、日米首脳会談後の共同声明で「日米親善の歴史に新たな1ページが刻まれた」と発表した。昭和天皇・香淳皇后主催の宮中晩餐会では日米から182名が出席した。戦後最大規模だった。

>田中角栄の人となり

竹下登 「碁とか将棋とかと同じように政治に天才があるとすれば、政治勘みたいなところでは田中先生は間違いなく天才であった。それは常人ではとても真似のできないことであり、努力して追いつけるようなものではない。ある種の天分みたいなものがあったように思う」

二階俊博 「国民にも政治家にも上から下まで、否、下から上まで気を配り、人心を引きつけていく。何に対しても、常に真剣勝負でした」
後藤田正晴 「田中さんが仕えやすかったのは、責任を持ってくれるから。『任せる』と言って、責任はきちっと負ってくれたもの。そういうことですよ」
「明快、簡略、独善的でも紋切り型でもない、ユーモアもまじえてそれでいて決して本質を外さない。国際レベルにおいても当代の優れた知識人の一人であった」
「明晰な国家ビジョン、世界情勢、経済動向の洞察力、政治哲学、信念、理念を持っていた」

堀田力 「いい意味でも悪い意味でも、極めて日本的な政治家でした。日本社会のいい面も悪い面も非常に拡大した形で持っていた。だから、善悪双方において比類なく傑出した人物だったと思います。頭もいい。理解力に優れている。それに人の気持ちをつかむ感性にも優れている。右脳も左脳も日本的に発達した人でした」

佐藤昭子 「私は32年間、それこそ二人三脚で過ごしてきた。もちろん人間だから数々の欠点はあったけれど、田中は本当に誇り高く、誠実な人間だった。私はいろいろな人たちにだまされ裏切られたけれど、田中にはただの一度も裏切られたことはなかった」
「田中角栄という政治家は、保守本流の中でも非常に柔軟な発想の持ち主であり、進歩的で従来の弊害を是正するに何のためらいも持たない政治家であった」
「田中角栄を語るときに、強烈なリーダーシップと共に挙げられるのが庶民性である。田中は庶民をこよなく愛し大切にした政治家だった。いつも目線は庶民に向いていた。モットーは主権在民。庶民の生命と財産を守るのが政治家の責務であり、それ以外に政治家に何が求められようかというのが田中の考えだった。どうしたら国民が裕福に暮らせるのかを第一に政策をつくり実行した。庶民宰相と呼ばれた所以である。だから演説では誰にでも分かりやすい言葉で語り続けた。このことで庶民の共感と理解を得て、政治にパワーと実行力が備わったのである」

田中京 「家に帰って来ようが、店に行こうが、一番下の人から会話をするんですよね。料亭なんか行っても、下足番のおじさんの田中とか鈴木とかって名前をちゃんと覚えていた」
早坂茂三 「田中角栄という人は、ことを為すにあたっては常に大局観に立ち、問題の具体的な解決策を用意して、役人や仲間の政治家、スタッフに方針を示す政治家である。(中略)発想はオリジナルで、言葉は平易で明快、内容は簡明直裁である。道学者風の持って回った難解な説教は一切しない」
「角さんの女性関係は数えたらキリが無い。親方が立派だと思うのは、反逆の旗を立てた女が一人もいなかったことだ」

山下元利 「田中さんは、常に全責任は俺に有りの姿勢で臨んでいた。度胸、着想のよさ、人間味、僕は完全に心酔してしまった。やがて、僕のところには政界入りの話があちこちからきましたが、僕の中には政治をやるなら田中さんのもとでしか考えられなかった」

二階堂進 「それまではブルドーザーのような政治力の人かと思っていたけど、実行力、自分のミスを認める素直さも身に付けている」

(以上 ウキペディアより)
メンテ
Re: 物申す或る作家の私見 ( No.2 )
日時: 2019/05/13 18:14
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:LUA81qjA

NO 1のレスから、

田中角栄は、池田を大蔵省時代から認めており、池田内閣の蔵相になれるように画策していたようである。
そこで田中に助け船を出したのが大平正芳、池田も大平も心から日本の将来を案じて政治に当たっていた人物。
総理になったときに三木武夫を組んだのも、三木は戦後の政治家として清廉潔白さではトップに上げられる人物。

若き日の田中を支えた人物が、この様な人たちであったことは運も良かったのであろうし、田中が彼等の信頼を受けうる人物でもあったと言うことである。
現在の腐れ政治屋共の権力闘争とは質が全く違っている。

その田中の政治家としての信念の強さは、アメリカ、ロシア、中国との交渉においても日本の立場は十分に貫きとおしている。
はじめる前から逃げ腰の安倍、なんかとは比べることも控えたい。

対官僚の姿勢においても、若くして、しかもはじめて重要ポスト大蔵省を押さえきった。
金も使ったようだが、その手練管は、現代のクソ政治屋共には全くない。
現代内閣の大臣共は、霞ヶ関におんぶにだっこ、であり、彼等を使いきる意思すらない。

その田中の人となりは、各人の感想を掲載しているが、
おごり高ぶることなく、常に国家国民の目線で、責任転嫁をする卑怯な人間ではなかった。

その豪快さと金の力が田中の勢力をトンでもなく大きくした。

現代の政治屋共の中に、どの様な面でも田中と比較できる奴などいない。
田中角栄のような人物が現れなければ、腐った日本の政治は変わらない。

衆参同日選挙を狙ったり、政策抜きの野党共闘を言ったり、選挙で勝つことが何よりも気にかかる腐れ政治屋、政党などいらないのである。


メンテ
平岡幸夫さんへ ( No.3 )
日時: 2019/05/13 20:14
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:LUA81qjA

平岡幸夫さん

スレッドのタイトルですが

物申す或る作家の私見(田中角栄論)とか

物申す或る作家の私見(田中角栄の復権)とかの言葉を入れては如何でしょう。

おそらく反対の意見もあるでしょうが、田中角栄を論じることは必要でしょう。



メンテ
Re: 物申す或る作家の私見 ( No.4 )
日時: 2019/05/19 15:47
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:tWmdzeIw

日時: 2019/05/18 15:58 名前: 平岡幸夫 ID:lHdExqxw メールを送信する

物申す  故田中角栄を有罪判決に至らしめた国家権力とは、国家が国民を処罰し、生命や自由を奪うには、刑訴法に基づく適正手続により、法定に検出された厳格な証拠による事実認定と法解釈を必要とする(弁護人から見た,Rockheed事件)思い当たる言葉です


この記事は

> [3157] 復活角栄氏 スレッドからの転載です。

元のスレッドは削除しました(天橋立の愚痴人間)。
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