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[37] 裁判員制度を考える
日時: 2009/08/03 15:07
名前: 天の橋立の愚痴人間

裁判員制度はイギリスで17世紀からはじまり18世紀後半には定着したようです。
当時の状況は、王制の基で全ての権限は王室とそれに連なる貴族階級が支配していました。
その中で段々と庶民の意向を政治や司法にも取り入れることが出来るようになったのです。
裁判員制度は、その意味で法の処罰を一方的な支配階級から取り戻すという理念に基づいているのです。
この傾向は、たちまち他のヨーロッパ諸国に広がりました。
要するに市民の権利として始まったのです。


詳しくは

http://www.kyudan.com/toukou/amano15.htm


現在でも、そのような意識があるか否かは解りませんが、少なくとも我が国で突然言い出されるような環境ではなかったのです。
かつ、現代のような民主主義の社会において、理論的にそれが好ましいか否かは別の問題です。

民主主義の世の中において、法的権利を付託されていない個人が、他人を裁くことが好ましいのでしょうか。
この意味で、この制度のディメリットは多く言われています。

人が人を裁くには根拠が必要です。
裁く方の人間にそれに基づく権限がなけれなりません。

法は、もともと多くの人が共生するための約束ごとであり、決して絶対的な基準ではないのです。

我々は、古くからいろいろな形で規範(法)を作り、昔はその実権者の責任で人を裁いてきました。

民主主義の社会では、法を守り施行するための役職(司法)を作り、彼らに権限を与えて施行してきたのです。

裁判で人を裁くことは多くの国民から付託された根拠に基づているからこそ、やれるのであり、個人の資格で他人を裁くこととは異質な問題なのです。

裁判官は死刑の判決を出しても、仮にそれが誤審だと解っても国民の付託に答えてやらざるを得なかったものと自問自答する余裕があります。

裁判員はどうでしょうか。気の弱い人なら、責任感の強すぎる人なら、ノイローゼになるか、一生悔やんで生活する事になるでしょう。
その人が生きている信念に反する行動を取らねばならなくなる場合もあります。

国家が、国民にこんなことを押し付ける根拠はありません。欧米における裁判員制度の発祥とは理由が全く異なるのです。

また、裁判員を国民から無作為に選ぶとしていますが、本当に無作為で選んだならば、その人の中には逆に常識的に見て不適当な人が混じることも考えられます。

ならば、無作為と言って実際は選別が行われることも考えられます(おそらくそのように展開するでしう)がそれは、それで大きな問題を発生します。
旧ソビエトや北朝鮮などが、如何に取り繕っても選んだ人間は体制擁護の人間となるはずです。

要するには民間裁判員制度が発祥しなければならない土壌などないのです。欧米の各国で続けられている陪審員制度など、見習う必要はさらさらないし、見習うべきでない制度であると思う。

裁判員制度の導入の理由に、現在の裁判の長期化の解消もしていますが、そんなことは全く筋違いの論理なのです。

行政の不都合なところは、行政が改めれば良いのです。
皆さんが、この制度の根本的なところを考えなをされる事を期待します。

メンテ

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Re: 裁判員制度 ( No.1 )
日時: 2009/08/03 18:41
名前: 天の橋立の愚痴人間

今日から裁判員裁判が始りました。
テレビでもいろいろと報道しています。

大体が裁判員制度の是非を問いながら問題点を指摘しています。
のどもとすぎればなんとやらで、何故今更裁判員制度かと、根本の根拠の追求はすでにありません。

其処を考えて見ますに、此処にも狡猾な官僚の企みを感じます。
時代がどんどん進んでいると言うのに、警察、検察、裁判官も含めてずさんな調書、癒着により冤罪事件が後を絶ちません。

そうした背景の中、奴等が考え出したのが裁判員制度の導入なのです。
自浄作用が全く期待できない官僚社会で改善を考えるよりも、民間人を取り込んで裁判をやらせれば、おそらく冤罪の山が作れるだろう。

そうすれば、誰がやっても裁判は難しいものだと国民にアピールできる。
自分達の怠慢も帳消しになる。

と言うような官僚特有の責任転嫁の結果が裁判員制度創設なのです。
考えれば解ることです、警察、検察の調書を読み取り量刑を決めるような作業が、職業裁判官と同じレベルで出来るはずがない。

まして、警察、検察がよからぬことを企んだ場合、裁判員などは思うように誘導される。
このようなことを計算済みで作ったのが裁判員制度なのです。

己たちを不正、怠慢、ミスを隠すため、民間人を取り込むことによって追求をかわすために考え出したことなのです。
多くの国民を足蹴にする事など、奴等には平気なのです。

こんな卑劣な現実を、得意の美辞麗句を弄し、小泉を利用して作ったのが裁判員制度なのです。
勿論、証拠はありませんが、このように考えると納得行くことが多いでしょう。
メンテ
Re: 裁判員制度 ( No.2 )
日時: 2009/08/04 10:19
名前: 天の橋立の愚痴人間

裁判員制度の目的は

市民が参加して開かれた裁判をするのだと

全くあらぬ方向の理屈をつけて

国民を騙している。

裁判員の発祥は

裁判の権利を独裁者から市民が確保したものだ。

公平な裁判をするために。

アメリカの西部で一時やっていた

市民による裁判は

法の整備が出来てなかった頃の話である。

現在の日本は

無法地帯であると言うのか

既成の裁判所が

権力者の為の判決を出すのに終始してきたと

国家が認めるのか。
メンテ
Re: 裁判員制度 ( No.3 )
日時: 2009/08/04 12:37
名前: 天の橋立の愚痴人間

昨日の公判で

「裁判員制度 反対」と叫んだ傍聴者がいたようです。

こんな掲示板で愚痴を100回並べているよりも

その勇気ある行動に

敬意を称したく思います。
メンテ
Re: 裁判員制度 ( No.4 )
日時: 2009/08/04 13:28
名前: 天の橋立の愚痴人間

今回裁判員になった方の感想を聞きたい。

満足されたか

充実感があったか

自分の判断に迷いはないか

国民の大多数が参加すべき制度であったか
メンテ
Re: 裁判員制度 ( No.5 )
日時: 2009/08/04 14:46
名前: 昭和47年産まれ

お邪魔します。

私個人としては一般論としての民意を示す事が出来るという意義は大いに必要だと思います。

但し、現行の裁判員制度のように裁判官と同等の権限を持ち”有罪か無罪”を判断させるのは如何なものかと感じています。

裁判管が用いる”社会的に大きな不安を与えた”などの裏づけとして民意を徴用するならばむしろ有意義で問題は比較的少ないと思うのですけど。

一般の方々が”人を裁く事”は非常に危険だと思います。

メンテ
Re: 裁判員制度 ( No.6 )
日時: 2009/08/04 16:09
名前: 天の橋立の愚痴人間

裁判官が人を裁くのは、そう言う専門家として国民の付託を受けてやっていることです。

ですから裁判官にはそれなりの立場の保証も国家がやっています。

一民間人が人を裁く根拠は何処にあるのでしょうか。

個人の資格で他人を裁くのはリンチ行為に他なりません。

思いつき、感情に任せて人を裁くことになるのです。

偏らない見識で人を裁くようなことが出来るでしょうか。

裁判官は、そのために法の解釈、その他の修練を積み重ね、裁くことが私見にならない様にしているのです。

民間人と言っても、修練しなくても、裁判官と同じような判断が出来る人もいますが、それを国民全てに当てはめる暴挙は如何なものでしょう。

リンチと自覚して裁判員を認めるならば、それはそれで良いでしょう。

繰り返しますが、裁判官は国の法律により国民から専門家として付託されているのです。
仮に冤罪が発生しても、業務上のミスと自身の心を処理できるでしょう。

裁判員による冤罪の可能性について、職業裁判官よりも少なくなると思っておられるのでしょうか。
そうして冤罪を作った裁判員の行為は、どうなるのでしょう。
国家主導のリンチに加担した悔いが残るのではないでしょうか。

他の国でも陪審員制度などが行われていますが、多くは微罪に関するものに絞るとか、有罪、無罪に関与するだけで量刑には踏み込まないなど、裁判員制度の矛盾に対応しています。

我が国のように、死刑を含む、ことさら重要案件に集中するなど正気の沙汰とは思えません。
民間の裁判員制度を民意の代表として活用するならば、行政訴訟に限ることです。

これば大いに賛成します。
ところがきゃつ等官僚共は、そんなことは絶対にさせません。

人を裁く領域のことで安易に民意と言う概念を取り入れることは馴染みません。
メンテ
Re: 裁判員制度 ( No.7 )
日時: 2009/08/05 06:38
名前: 天の橋立の愚痴人間

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090804-00000854-yom-soci

東京地裁では、裁判員公判2日目となる4日も、57席の傍聴券を求め1460人が列を作った。

 傍聴席には、国民が加わった新しい法廷の姿を一目見ようと足を運んだ市民もいた。

 司法試験を目指して勉強中の東京都台東区、岩本泰平さん(29)は、「これまでの法廷では検事の声が聞き取れないこともあったが、まるで劇場のよう。法科大学院で身に着けた知識だけでは対応できない」と法廷の変化に衝撃を受けた様子。

 東京地裁でほぼ連日、裁判を傍聴しているという渋谷区の無職の男性(42)は、「証人が泣き出す場面があったが、検察官がさっとハンカチかティッシュを差し出していた。やはり裁判員を味方につけようとしているのかな」と分析してみせた。

 川崎市中原区の小学校6年生の女子児童(12)は、夏休みの自由研究のため、一緒に来た母親(38)が引き当てた傍聴券で法廷に。児童は「検事さんや弁護士さんがゆっくり、分かりやすくしゃべっている感じがした。いい研究になりそう」と笑顔だったが、母親は「私も法廷に入りたかった」とちょっぴり残念そうだった。


以上引用。

仮に有罪であれば死刑も想定される、まして無罪であったなら、人間一人の生き死にを、しかも死刑と言う、公的殺人を審議するのに、上記のような大騒ぎ。

中には、夏休みの子供の学習の為に傍聴にやってきたと平然と言う母親もいるらしい。
こう言う、薄情な調子者が裁判員制度を支持しているのであろう。

実際の裁判員の様子にしても、素人相手に腫れ物に触るような有様。
こんなことを永久に続けるつもりであろうか。

今日の新聞に、与野党の議員が裁判員制度の見直しの必要性を言い出した。
法案審議の時には、法案の内容が良く解らなかったから賛成したそうである。

反省してくれるのは良いが、余りにも無責任な国会議員ではないか。

とまあ、
実際の裁判員裁判の様子を御覧あれ、
卑劣、残酷な公開リンチが、興味本位、たどたどしく行われているのである。
これでは、確かに有罪で死刑になって死んで行くものも納得できないであろう。

其処には、人が人を裁かねばならない沈痛な思いの軽きこと。
市民の権利とのたまう馬鹿な評論家などに惑わされずに、自分自身で考えていただきたいものである。
メンテ
Re: 裁判員制度 ( No.8 )
日時: 2009/08/06 17:31
名前: 天の橋立の愚痴人間

裁判員裁判での初の判決が出たようです。

求刑 16年に対して、懲役15年。

犯人は犯行の事実を認めており、情状酌量を持って12、3年のケースが多かったようにも思える。
ニュースでも「市民感覚の判決」が出せたかな!

と訳の解らないコメントを言っている。

裁判は市民感覚でやるものでしょうか、一生に一度裁判員に選ばれる市民の感覚とはどのようなものでしょう。

ある人は、責任感の重圧に負け、判断力さえ疑わねばならないようになるかも。
ある人は持ち前の厳罰主義で、過酷な判断をするかも知れない。
気の弱い人など重い罪を言い渡すのに理屈抜きに躊躇するでしょう。
またある人は極軽い気持ちで、商品の価格を決めるごとくあっさり決めてしまうかも知れません。

裁判員は不特定多数から、抽選で選ぶ事になっています。
暴力団だから、除外する法的根拠はありません。
裁判員の資格を行政が審査すると言うならば、それも問題が生じます。

人を差別する根拠はなんなのでしょう。
社会的な地位か、学力の程度か、そんなことでは図れない問題もあります。
薬物常習者が紛れ込むことも、死生観に問題がある人を除外することが出来るのでしょうか。

こう言う条件を満たした「市民感覚」の判決とは、その場、その場の気分で、裁判員の人格で基準がいろいろ違ってくるということでしょう。

今回は、まだ中期の懲役刑で済みましたが、これが無期、死刑となっても「市民感覚」を押し通すのでしょうか。

日本は世界の流れにさからって、こんな事を始めました。
イギリスに遅れること500年、ロシア、ドイツには200年、

何でまた、我が国は後ろ向きに舵を切るのでしょう。
これを、賢しらなエセインテリが、如何にも改革をやってるように謳っています。

丁度良い言葉「市民感覚による判決」
言葉に酔わないで意味をしっかり認識して頂こう。
メンテ
Re: 裁判員制度 ( No.9 )
日時: 2009/08/07 14:19
名前: 天の橋立の愚痴人間

http://www.moj.go.jp/SAIBANIN/seido/gaiyou01.html

下記は法務省のHPに出ている裁判員制度導入の理由です。
この説明が如何に片手落ちであるか、今までの記述を見ていただければ御分かりと思います。


1 裁判員制度導入の理由
国民のみなさんが裁判に参加することによって、国民のみなさんの視点、感覚が、裁判の内容に反映されることになります。

その結果、裁判が身近になり、国民のみなさんの司法に対する理解と信頼が深まることが期待されています。

そして、国民のみなさんが、自分を取り巻く社会について考えることにつながり、より良い社会への第一歩となることが期待されています。



国民が裁判に参加する制度は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど世界の国々で広く行われています。

(この言葉で誤魔化しの仕上げをしているのです)
メンテ
Re: 裁判員制度 ( No.10 )
日時: 2009/08/07 14:20
名前: 天の橋立の愚痴人間

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090807-00000053-jij-soci

初の裁判員裁判での判決を受け、市民団体「裁判員制度はいらない!大運動」は7日、東京都内で記者会見し、第1号事件の審理について、「市民参加という名の刑事裁判ショーだった」と批判した。
 初公判を傍聴したという交通ジャーナリスト今井亮一氏は「検察官と弁護人のプレゼンテーション合戦だった。これが裁判なのか」と話した。
 ジャーナリストの斎藤貴男氏は「予想通りの展開だ。真相究明という裁判の意味が失われている」と批判。「市民参加に意味があるとすれば、チェック機能だが、全く果たされていなかった」とした。 
メンテ
Re: 裁判員制度 ( No.11 )
日時: 2009/08/07 14:22
名前: 天の橋立の愚痴人間

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090807-00000008-ryu-oki

裁判員裁判、初の判決 「問題なく」と評価、「冤罪増大」危惧、批判も
8月7日10時30分配信 琉球新報


全国初の裁判員裁判で懲役15年の判決が出たことに対し、県内の裁判関係者は大きな問題が起こらなかった点を評価する一方、冤罪(えんざい)事件増加の危険性を指摘する声もあった。県民からは、自分が裁判員に選ばれた場合の参加に難色を示す意見や制度への疑問の声も聞かれた。

 那覇地検の佐藤隆文次席検事は「遺体の写真を見せる際の裁判員への配慮、コンピューターグラフィックス(CG)などを使った分かりやすい立証、迅速な審理など参考になった。注目される初裁判が大きな問題なく終わり、同様に裁判員裁判に向け準備してきた身としてうれしい」と感想を話した。

 沖縄弁護士会の赤嶺真也弁護士は量刑について重いという印象を述べつつ「殺人などの量刑が軽すぎるという声もある。まだ1件目ではっきり分からないが、国民の常識が反映される量刑なら尊重しなければならない」と話した。

 裁判員制度に反対する岡島実弁護士は「量刑が重く、量刑について普段考えることのない市民が法律家に誘導された結果と言える。制度そのものが根本的に間違っているということがはっきり出た」と指摘。「限られた時間で膨大な証拠がよく審理されない裁判員裁判は冤罪事件が増大する可能性がある危険な制度だ。裁判に参加することで国民は自分の首を絞めることになりかねないと述べた。

 浦添市の飯村直史さん(34)は判決について「刑期が短いのではないか。どんな理由があれ人を1人殺しているのだから」と話す。制度については「興味はあるが守秘義務が一生続くというのはどうか。面倒くさくて参加したくない」と述べる。裁判官が1人でも反対すれば裁判員の意見が通らない点を挙げ「結局決めるのはプロか。米国はすべて一般人が決める制度だと聞いた。専門家が裁くのもいいが、素人が人情的に裁くことも必要だ」と指摘した。

 新垣ミリイさん(20)=那覇市、会社員=は自分が裁判員に選ばれた場合について「被告や傍聴席の人々と面と向かって裁判に臨むのは嫌だ」と報復の懸念などを指摘する。「裁判員には守秘義務があるのに、それ以外の人は傍聴すれば裁判員の顔を見ることができる。矛盾している」と批判する。
メンテ
Re: 裁判員制度 ( No.12 )
日時: 2009/08/07 14:25
名前: 天の橋立の愚痴人間

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090807-00000063-san-soci

 初めて一般人が参加した裁判員裁判の判決は、求刑の懲役16年に対し、“満額”に近い懲役15年だった。一般的な判決では「求刑の8割程度。今回は12〜13年」(法曹関係者)だという。元検察幹部や弁護士など裁判のプロは、この判決について「市民感覚を反映」と評価する半面、「被害者側の心情に傾いたのか」と推測する声もあった。

 「これまでの相場観に縛られていない」。元検事総長の但木敬一氏は厳しい判決について、こう評した。

 「裁判員が法廷で直接、遺族の気持ちを聞き、被告の態度を見て、その生活感覚から率直に判断した結果だろう。事件の個性に応じて市民感覚を素直に反映しており、非常に新鮮な感覚だった」

 さらに、検察側の求刑について、「これまではプロとしての客観的な相場で決めてきたが、これからは事件の個性を重視し、個別に決めていかなければならなくなるだろう」と“古巣”に注文をつけた。

 一方、弁護士で慶応大教授(刑事訴訟法)の安冨潔氏は「これまでの刑事裁判に比べれば重いというイメージがあるが、裁判員裁判ではこれくらいかな、という予想はしていた。一般人である裁判員は、どうしても被害者の側に心情が傾きがちだ」と説明する。

 その上で「今回は被告が犯行を認めている。理由がどうあろうと事実は変わらないため、被告が裁判員の同情を引くことは難しい。弁護戦略は難しくなるかもしれない」と述べた。
メンテ
中には、こう言う馬鹿もいる ( No.13 )
日時: 2009/08/07 14:36
名前: 天の橋立の愚痴人間

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090807-00000060-san-soci

裁判員裁判 識者こう見た 「理想像近づいた」 迅速さ優先には懸念
8月7日7時56分配信 産経新聞

東京地裁で6日、判決が言い渡された全国初の裁判員裁判。法廷に“国民感覚”は吹き込まれたのか。制度の課題や成果は見えたのか。元判事、裁判員制度の導入に携わった学者、裁判傍聴の経験が豊富なライターに聞いた。

   ◇

 「私はプロの裁判官として40年近く裁判をやってきたが、初めて法廷に立ったときの緊張と興奮を思いだした。裁判員の皆さんには本当にご苦労さまと言いたい」。元東京高裁判事の村上光鵄(こうし)氏はこう裁判員をねぎらった。

 今回の公判は史上初の裁判員裁判として注目度が非常に高かったが、村上氏は「裁判員の一挙手一投足が報じられ、中には裁判員の質問がないことを批判するようなものもあり、一層の負担として裁判員に跳ね返ったと想像される」と裁判員を気遣った。

 証人尋問や被告人質問で裁判員が質問する前に、裁判官と裁判員が別室で打ち合わせをした裁判長の訴訟指揮については、「裁判長も慎重にやったんだろう。裁判員は慣れていないので質問事項を整理してあげないといけない」と理解を示し、「的を射る質問でなくても疑問点があれば、何でも聞いていい」とした。

 「全体的に今回の裁判は非常にうまくいった」と評価するのは、大東文化大法科大学院教授の平良木(ひららぎ)登規男氏。

 司法制度改革推進本部のメンバーとして、裁判員制度導入に携わった平良木氏は、検察、弁護側双方による平易な言葉を使った立証や、判決文が個条書きになっていたことなどを挙げ、「裁判がとても分かりやすくなった。素人が裁判に参加し、議論をして結論を出すには分かりやすいことが重要」と述べた。

 さらに「裁判は法廷で心証をつかむのがすべて。今回の裁判員裁判は本来の裁判の理想像に近づいた」と評価した。

 また、初めての裁判員裁判ということで注目を浴びたことについては、「国民が裁判に関心を持ってくれた。今後も何か制度の問題点が出てきたとき、それを指摘できる雰囲気ができあがったと思う」と制度の育成に期待感を抱いた。

 500回以上の裁判傍聴経験があるライターの北尾トロ氏は「裁判員はたくさんメモを取ったりするのかと思ったが、前を見据えてやり取りを聞き入る人が多く、比較的落ち着いていた」と感想を述べた。

 裁判員の質問についても「プロの裁判官なら聞かないが、傍聴していた誰もが思う素朴な疑問をぶつけており、民意を反映させるという制度の趣旨が実践されていてよかった」と“国民感覚”が出ていると指摘した。

 また、「検察、弁護側とも、難解な専門用語を言い換えたり、モニターを使ったりすることによって裁判が分かりやすくなった」と評価。ただ、「否認事件や争点の多い複雑な事件の場合、迅速さと分かりやすさを求めるあまり、真相解明がおろそかになるのではないか」と懸念を示した。

以上引用。




>「国民が裁判に関心を持ってくれた。今後も何か制度の問題点が出てきたとき、それを指摘できる雰囲気ができあがったと思う」と制度の育成に期待感を抱いた。


>「裁判員はたくさんメモを取ったりするのかと思ったが、前を見据えてやり取りを聞き入る人が多く、比較的落ち着いていた」と感想を述べた。

>裁判員の質問についても「プロの裁判官なら聞かないが、傍聴していた誰もが思う素朴な疑問をぶつけており、民意を反映させるという制度の趣旨が実践されていてよかった」と“国民感覚”が出ていると指摘した。

>また、「検察、弁護側とも、難解な専門用語を言い換えたり、モニターを使ったりすることによって裁判が分かりやすくなった」と評価。



産経新聞そのものが政府ご用達メディアである。
其処に雇われた立派な馬鹿、元東京高裁判事の村上光鵄(こうし)が自分の天下り先の待遇改善を意識して、政府、官僚に追従する。

大東文化大法科大学院教授の平良木(ひららぎ)登規男氏こいつも学長の地位を狙っているのかも。
平良木は審議会で何を話していたのやら。
500回以上の裁判傍聴経験があるライターの北尾トロ、500回も傍聴しても頭が狂っている奴には真理は解らない。

奴らが、言った事の中に、裁判を信頼できるものと変えて行く何の説明にもなっていないでしょう。
メンテ
このような馬鹿な書き込みを見つけた ( No.14 )
日時: 2009/08/12 10:17
名前: 天の橋立の愚痴人間

「裁判員制度」とは

「裁判」と聞くと、一般の人には無関係なことのように感じがちです。しかし、現在では犯罪も欧米並みに凶悪化、低年齢化し、件数にも右肩上がりに増えています。

これまで行われてきた裁判は裁判官、検察官、弁護人の法律の専門家のみにより、丁寧で慎重に検討が行われてきました。その結果、法律に照らし合わせ、専門性を重視するあまり、審理に長期間を要し、判決の内容などが理解しにくいものであったことで、国民にとっては近寄りがたい印象を与えたものと考えられます。

「裁判員制度」では、市民が実際に「刑事裁判」に参加して、裁判官と一緒に「有罪」「無罪」を判断し、量刑を決めていきます。国民の安全を守る上でも、犯罪を行った人に適正な刑罰を科すことは重要です。しかし誤って、無実の人に対して、「有罪」の判断をしてしまったとしたら、その人の自由や権利は不当に奪われることとなり、その家族にまでも影響を及ぼしかねません。

本当にその人が犯罪を行ったのか、司法の場でより慎重に判断するための仕組みとして今回の「裁判員制度」が取り入れられることとなったのです。

無罪の人が不当に権利や自由を奪われることを防止する意味でも、様々な経験、知識を持った市民が「裁判」に参加し、その良識に照らして「疑問の余地はない」と判断した上で、「有罪」とする。

「私」や「あなた」の感覚が「裁判」に反映されることで、国民ひとりひとりが司法への信頼や理解を深め、分かり安い裁判を実現していくためにも提案された制度です。


以上引用。





何処が馬鹿かって!

>無罪の人が不当に権利や自由を奪われることを防止する意味でも、様々な経験、知識を持った市民が「裁判」に参加し、その良識に照らして「疑問の余地はない」と判断した上で、「有罪」とする。


現在の裁判官による裁判をもともと不当と決め付ける根拠は何か。

市民が参加するほうが良いのなら、裁判官全てを、その都度選ぶ市民にすれば良い。

なお、かつ、裁判員制度の発祥に付いては、このトピの最初に挙げているように、その昔裁判が全て封建国家の支配者に握られていたのを、市民の権利として獲得に至ったものである。
現在の裁判官(司法)が、それほど市民と遊離した存在であるならば、やるべき事は司法を糾弾することである。
革命を起こして、そのような反市民の権力を潰すことである。

それでは、現在の日本の司法に民主主義はないと言う事になる。
そうなれば、話しは別の次元の問題である。
少なくとも裁判員制度の問題ではないのである。

年金制度が破綻したことに、国民が責任を感じて社会保険庁の手助けをすると言うのか。
外務官僚が贅沢三昧をしているからと言って、市民が外務省に入省して改革をやるのか。

そうではないでしょう。

間違っている奴に、怠惰を決め込んでいる奴に責任を取らせるのが国民の権利ではありませんか。

こう言うことから目を背け、標記の馬鹿を言う奴は、霞ヶ関の廻しものに違いない。


メンテ
Re: 裁判員制度を考える ( No.15 )
日時: 2009/08/14 01:46
名前: 天の橋立の愚痴人間

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090807-00000505-san-soci

【裁判員 判決】控訴したら、どうなる
8月7日0時28分配信 産経新聞


 裁判員裁判で下された懲役15年という判決を受け、弁護側は「量刑も厳しく、被告もわれわれも主張が認められず不満だ」と、控訴を視野に入れていることを示唆した。裁判員裁判の判決後、控訴された場合、どうなるのか。

 控訴期限は通常の刑事裁判と同様、14日以内だ。検察側、弁護側が控訴すると、高裁での審理となる。高裁は通常の刑事裁判と同様に、裁判員が加わることはない。

 国民が審理に参加し、その社会常識や経験が反映された1審の裁判員裁判の判決を、プロの法律家だけが審理に参加する控訴審で破棄や差し戻しができるかについては、関係者らの間で議論となってきた。

 最高裁の司法研修所は裁判員裁判の1審判決について、「できる限り尊重すべきだ」とした研究報告書を公表。その後、東京高裁の刑事部部総括裁判官研究会は判例雑誌に発表した見解で、おおむね最高裁の見方を支持した。

 検察側の控訴についても、元検事の弁護士は「被害者や遺族の意向は無視できないが、検察としては裁判員が出した量刑を重視し、量刑不当での控訴は制限すべきだろう」と話す。


以上引用。


>最高裁の司法研修所は裁判員裁判の1審判決について、「できる限り尊重すべきだ」とした研究報告書を公表。その後、東京高裁の刑事部部総括裁判官研究会は判例雑誌に発表した見解で、おおむね最高裁の見方を支持した。


我が国は、地裁、高裁、最高裁と三審制でなかったのか。
被告や検察が控訴するのは、量刑が軽いか、重いかに不服があるか、冤罪を主張する場合である。

それなのに、先入観を持たずに、一から調べ直すことをせずに「一審判決を出来るだけ尊重すべきだ」とは、どんな根拠にもと付いているのだろう。

理屈の達人で頭の良い御歴々にこんなことが解らないはずはない。
要するに、裁判官の手抜きである。

裁判をする前から、手抜きについて、すでに司法の社会では申し合わせが出来ているのである。

こう言う彼らの腐った根性から、今回の裁判員制度導入の話が起きているのである。

自民党の誰が、こんな法令など思いつくものか。
全ては法務官僚の企みの自民党が乗せられているのである。

その証拠に「こんな法令だとは思わなかった」言う言葉が、議員として賛成票を投じた本人から出ているします。

全く、恥ずかしげもなく、よく言うよ。
まっ
正直と言えば正直であるが。

大層な経費を使い、500人以上も国会議員がいて、果たして本当に議員が国民生活から鑑みて法令を作っているとはとても思えない。

そう言う、法令が随分とある。
全ては官僚共がやったのである。
メンテ
Re: 裁判員制度を考える ( No.16 )
日時: 2009/08/15 01:33
名前: 天の橋立の愚痴人間

いろいろな方面から意見を述べたり、事実を紹介してきましたが、

最初に戻って、いま、何故、裁判員制度なのか!

と言う事を考えたたいと思います。

「市民感覚の判決」トビでもいろいろ書いていますように、裁判員制度の問題点を考えると、

法務省が言う下記の説明を納得できるでしょうか。

(裁判員制度導入の理由)

1 国民のみなさんが裁判に参加することによって、国民のみなさんの視点、感覚が、裁判の内容に反映されることになります。

2 その結果、裁判が身近になり、国民のみなさんの司法に対する理解と信頼が深まることが期待されています。

3 そして、国民のみなさんが、自分を取り巻く社会について考えることにつながり、より良い社会への第一歩となることが期待されています。

4 国民が裁判に参加する制度は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど世界の国々で広く行われています。


皆さま、如何でしょう、これくらいの理由で裁判員裁判制度を取り入れる必要があったのでしょうか。

答えはNOです。

1については、それでは現在はどのような感覚でもって裁判をしているのか、そしてそれは国民の意思に反してやられているならば、その内容、問題点を共に国民に説明してから事である。

2司法に関する理解と信頼と言っているが、国民が参加しなければ、国民に信頼されるような裁判が出来ないとでも言うのか。


3国民が裁判に関心を持つ事が、よりよい社会を作ることになるなど、これも随分と希薄な趣旨である。

4などは、各国の歴史を無視したこじつけであり、かたちだけを真似する必要から言い出しているのか。


如何ですか、何も納得出来る理由はないでしょう。
で、あるとすれば、

法務官僚が司法界と一緒になって、何か良からぬ事を企んでいると思う方が自然ではありませんか。
メンテ
Re: 裁判員制度を考える ( No.17 )
日時: 2009/08/24 16:06
名前: 天の橋立の愚痴人間

http://miso.txt-nifty.com/shinsa/takesaki.html

裁判員制度を導入した最高裁判所第17代長官。

竹崎博允(たけざき のぶひろ)



最高裁は、リーダー格の「長官」1人と、「判事」14人で構成されている。

 最高裁判事としての経験を経ずに、いきなり「14人抜き」で長官になるのは、1960年の横田喜三郎・第3代長官以来。

 島田前長官は「長年の慣行よりもこの際、裁判所にとって一番最適任の人を選びたいという気持ちがありますし、諸般の状況、情勢を考えますと、今ここで、彼の出番であるという風に思ったわけです」と、後任に竹崎長官を指名した理由を話している。

 ここでいう「諸般の状況」とは、ほかでもない裁判員制度のスタートのことであろう。



1988年、最高裁からアメリカに派遣され、市民から選ばれた陪審員が有罪・無罪を決める陪審制度を目にする。その時、国民に身近とはいえない日本の刑事裁判が、このままでは立ち行かなくなるのではないか、と危機感を覚えた。

 そして、1992年には最高裁が出版した「陪審・参審制度 米国編1」の執筆陣として参加し、アメリカ陪審制の手続きをリポートした。

 自身は、日本における「司法への市民参加」への導入に、当初は反対していたという。

 しかし、その後は、裁判所内部にも消極的な意見が根強かった「国民の司法参加」を強力に推進し、実現にこぎつけた、いわば「裁判員制度スタートの張本人」ともいえる人物。

 東京高裁時代に、裁判員制度について私的な立場で書いた文章の内容が、いつの間にか、最高裁でも了解事項となったほどの影響力があった。

 「一番難しいのは裁判官の意識。今までミリ単位の物差しで仕事をしてきたが、今後はセンチ単位でなければ国民はついてこない」と、書面を読みこんで細部にこだわってきた今までの事実認定から、目で見、耳で聞き、大局や本質を見通す事実認定へと改革していく必要性を訴える。

 そのうえで「センチ単位の物差しで測っても、大きさは誤らない。そうした意識改革である。決して結論を粗略にしていいというものではない」とも付け加える。

 死刑判決については、「判断する国民にとっては非常に心理的な負担が重いが、そのような重大な事柄について国民の判断を信用するということを前提とした制度だ。そのうえで、国民が適切に判断できるよう、判例を再検討し、意味や問題点を明らかにすることが必要だ」と説明する。

 さらに、裁判員経験者らの守秘義務の範囲に関しては、「少し事例を積み重ねれば簡単にわかることだと思う。制度の運用で支障になるほどの問題と神経質に考えないほうがよい」とも述べた。

最高裁は、リーダー格の「長官」1人と、「判事」14人で構成されている。


引用終わり。



経過が説明しているように、裁判員制度とは、最高裁判所内部で取入れを模索してきたものであり、竹崎が使命を帯びて研究に走った。

竹崎自身、最初は乗り気でなかった、その制度を竹崎を担ぎ上げることで実施に移し、竹崎は最高裁長官という顕職を手に入れた。

卑劣にも、彼らは導入の理由を「市民感覚の判決」などと、およそ我が国の司法の最高幹部が考えるべきでない陳腐のものにすり替えて、天下の悪法、国民を裁判に引きずり込む「裁判員制度」なを発足させたのです。

この裏側に、アメリカのことなら何でもいただく小泉の影があっても可笑しくない。
裁判のあり方の変革など、広く、長く国民の意向を確かめてすればよいことである。

彼自身下記のようにも述べている。

>1988年に、陪審制度研究の為、特別研究員として アメリカ合衆国へ派遣されたが、帰国後の報告書は陪審制度を徹底的に批判するものだったという。しかし、裁判員法成立後は裁判員制度を利用することで司法に国民の信頼をつなぎとめようと考えるようになったという。[3]アメリカでの経験も2009年導入の裁判員制度の確立に大きく寄与しているものと考えられている。


「裁判員制度の導入で、司法に国民の信頼をつなぎとめようと考えている」


とはどういうことなのだ。

そうしなければならないほどの腐敗が裁判にある事を自ら認めたことなのか。

少なくとも、欧米の裁判員制度と違って、国民の側から求めたものでないことは確かである。
それを、さも、国民の権利であり、求めているように喧伝した、成立を急いだ「裁判員制度」導入にの裏側を探らねばならない。

アメリカの暗闇の組織が、これでますます日本の民意が混沌となるように、それによって日本の力をさらに突き落とすように仕組んだなどの言い様も、荒唐無稽とは断言できない。

それに小泉が関わっているとしたら。

我々が、とりあえず出来る事は、国民審査で×をつけ、圧倒的多数で奴を罷免することである。

メンテ
Re: 裁判員制度を考える ( No.18 )
日時: 2009/09/11 18:54
名前: 天橋立の愚痴人間

裁判人裁判も随分と実施され、いろいろな感想が飛び交っています。

裁判人が、従来では問題にしなかったような内容の質問をしたとか、被告の情の面を取り上げるとか。

そして量刑について従来の常識から離れた結果が出ている、それが市民感覚の成果であるとか。

裁判人を務めた経験が、社会生活において好ましい方向へ転嫁するとか。

情緒的には、如何にも裁判員制度が価値あるもののように考えられている。


一方で、「4日間の裁判で、本当のことを知りえただろうか」と言う裁判員の感想も聞く。

量刑の判断で「裁判人の皆の意見が一致できてよかった」などと言う、首をかしげるような話も聞こえてくる。

今までは、死刑、無期懲役のような重罪もなく、また事実については被告が認めているものばかりであったので、裁判人の量刑に対する悔悟の念も少なかろう。

また、4日間に裁判を結審するために、弁護士、検察、裁判官が事前に協議していることも報道された。
だから、裁判人自身が、全てを解って判断をしている訳でもないのである。

裁判人はお客様なのである。

仮に重罪でなくても、犯罪者の烙印を押され懲役に服するものの立場として、そんな簡易裁判で納得できるのであろうか。

市民感覚と言っても、情状酌量して罪を軽減してくれるとは限らないことも証明された。

こんなことで冤罪事件が少なくなるのであろうか。

余りにも、市民感覚に拘りすぎて、もっと大きな問題をないがしろにする風潮が出すぎてはいないのであろうか。

裁判員制度の定着で、国民は好ましい裁判が出来ていると思い込むことの恐ろしさは如何ばかりか。

そう言う風潮を隠れ蓑に従来の裁判への監視が滞るのではないか。

もともと、司法行政の狙いは其処にあるように思われる。

メンテ
Re: 裁判員制度を考える ( No.19 )
日時: 2009/09/11 19:09
名前: 禿頭

裁判終了後、裁判員の記者会見が行われているが違和感を覚える。
裁判で判決を下した裁判官が記者会見をするか?

裁判員はカメラの前に会見を受けるとは思ってもいなかったとはずだ。
また守秘義務が課せられており、記者会見でどこまで答えればよいのか。

記者経験は行うべきではない。

メンテ
Re: 裁判員制度を考える ( No.20 )
日時: 2009/09/11 20:17
名前: 天橋立の愚痴人間

>裁判終了後、裁判員の記者会見が行われているが違和感を覚える。
>裁判で判決を下した裁判官が記者会見をするか?


禿頭 さん、

そりゃそうでしょう。

刑の軽重を問わず、自分が他人命じた苦役(犯罪の代償としても)を誇らしげに語るならば、そのこと事態が犯罪である。

「違和感」とは、そう言う感情が、なせることでしょう。
メンテ
考え直せ 裁判員 ( No.21 )
日時: 2010/05/19 17:59
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:8CuASisA

久しぶりにUPしました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100518-00000587-san-soci

【裁判員制度開始から1年】

 刑事裁判に国民が参加し、裁判官とともに判決を決める裁判員裁判は21日で制度開始から丸1年を迎える。昨年8月に東京地裁で第1号が行われて以降、今年3月末までに全国で444人に判決が言い渡され、3594人の国民が裁判員・補充裁判員として参加した。大きなトラブルもなく、裁判員経験者の記者会見や裁判所によるアンケートでは、好意的に受け止める意見がほとんどだ。一方で課題も浮上しつつあり、制度の見直しに向けた議論も少しずつ始まっている。

 ■裁判員は「意義ある」

 制度開始から1年を迎えるのを前に、あらためて裁判員経験者に感想を尋ねた。返ってくるのは意義深かったとする答えばかりだ。

 50代の男性会社員は「強盗致傷罪の量刑が意外に重いことを知った。本当にいい経験ができた」。別の男性会社員(34)は「法律や、法を守ることについて考える機会になった。いろいろな立場の人が意見を出し合うことに意義がある」と振り返った。

 昨年末までの裁判員裁判計138件で裁判員を務めた人を対象にしたアンケートでも、参加した感想について96・7%が「よい経験と感じた」と回答している。選ばれる前に「やってみたい」と思っていた人は全体の30・1%にすぎなかったことを考えると、実際に参加することで意識が変わった人が相当数にのぼることを示している。

 一方で、経験者の1人は取材に対し、「審理を尽くせたか今も不安になる。被告が犯行時、どう考えていたのか、本当に結論に誤りがなかったか」と打ち明けた。真剣に取り組んだ裏返しとして、重責を感じている様子も浮かび上がる。

 ■裁判官の気遣い

 世間知らずと批判されることもあった裁判官。だが、こうしたイメージも裁判員制度をきっかけに変わりつつあるようだ。

 ある裁判員は「裁判官といえば偏屈で一般常識がないイメージだったが、われわれと変わらない目線で世間を見ていると安心した」と振り返った。アンケートでも83・1%の裁判員が「評議は話しやすい雰囲気だった」と回答。実際の議論も、75・8%が「十分に議論ができた」としている。

 ある裁判官が「裁判員に積極的に意見を言ってもらい、充実感を感じてもらうための努力は惜しまない」と話す通り、裁判員への気遣いは評議だけにはとどまらない。当初はマスコミや傍聴人の接触を排除するため、裁判長自ら裁判員を最寄り駅まで送る配慮もあったという。

 体が不自由な裁判員の車いすを裁判官が押し、評議室と法廷を行き来する姿もみられた。裁判所に対する全体的な印象も、裁判員の77%が「適切だった」と回答。裁判官の努力はおおむね実を結んでいるようだ。

 ■選ばれず不満

 逆に不満の声が目立つのは、候補者として選任手続きに参加しながらも選ばれなかった人たちだ。

 「候補者になっただけでも負担。制度を変えてほしい」「選任されるか当日にならないと分からないのに、あらかじめ3日間も休暇を取らなければいけないのは不合理」…

 選ばれなかった人で裁判所の印象を「適切だった」と感じたのは54・5%。裁判員経験者の数字を20ポイント以上も下回る。呼び出し人数を減らすことで不選任を減らすことはできるが、呼び出し人数は制度開始当初から現在までほとんど変わっていない。今後、改善の余地がありそうだ。

 また、補充裁判員として参加した人たちの満足度もやや低い。「裁判員が評議しているとき疑問が次々とたまった」「どうせなら積極的に話し合いに参加したかった」など、意見を自由に言えないストレスが背景にあるとみられる。

 補充裁判員をどこまで議論に参加させるかは、裁判長の判断に委ねられているが、評決には加われない。ある経験者は「裁判員を6人と限らず、6人以上として補充裁判員も加えることも可能ではないか」と提言している。

(引用終わり)


上記は裁判員制度に参加したことの感想であり、
なるほど、厳粛に演出された裁判の行為は精神的には実社会では経験できないものであり、新鮮に、意義深く写ったことであろう。

それは個人的な心的経験の感想であり、人が人を裁くという本質についての感想はない。
何回も繰り返しているが、裁判員裁判はリンチに他ならないのである。

最も、人を裁くという行為も誰かがやらねばならないのであるが、それは国民から付託された職務の上でなければならない。

抽選で選ばれた裁判員は、国民から選ばれ、裁くことを付託された人間とでも言うのであろうか。
また、実際に、そういう自覚の下で参加しているのであろうか。
付託という行為は、行き掛かりのような判断でなされて良いものか。

裁判員裁判を自己の精神的経験の満足に摩り替えるような人たちの生き様は、その昔リンチに参加した人間の残虐性となんら変わることがないのを自覚すべきであるのだ。

それに触れないで、その場の当事者同士の人間関係に満足していることは如何なものか。

他のスレッドで最近掲載したが、近世の魔女狩りも、民衆の何かを追及しなければ収まらないおぞましい部分が時の権力の思惑と連携したものであることを思い起こすべきである。

たとえば、裁判員裁判がこのまま続き、国民の1/5でも裁判員を経験したとすれば、どのような社会が現出されるであろう。

今は、生涯守秘義務があると考えているが、見の廻りに経験者が多くなってくると、裁判の話は日常の話題となる。
こうなれば、裁判の方向性は民衆が差配するものとなる。

完全なリンチ社会の現出である。
裁判員制度を評価する人たちは、其処まで考えているのであろうか。
上記に上げた裁判員経験者の話しなどは、本質を隠した個人的な精神の満足感を述べただけのものである。
私は個人の資格で関係のない犯罪者を裁く気持ちなど起きないのである。
如何に厳粛に行われようが、そんなものはリンチである。

ただし、家族などが理不尽な犯罪に巻き込まれれば、裁判さえも無用で、自分でリンチに出かける気概はある。
メンテ
Re: 裁判員制度を考える ( No.22 )
日時: 2011/07/01 09:35
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:52nF3jHs

過去ログへ入りそうなのでUPします。

この悪法は今も続いているのです。
色々と屁理屈をつけていますが、全ては我が国の司法の怠慢があるのみです。
メンテ
Re: 裁判員制度を考える ( No.23 )
日時: 2019/04/21 19:03
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:qa84gq8A

すっかり忘れ去られたこの話題。

裁判員制度は何故、必要か

考えて見られたことはありますか。

陪審員制度が良いという理由はありますか。

メンテ
Re: 裁判員制度を考える ( No.24 )
日時: 2019/08/20 21:01
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:6D.OcvYU

裁判員制度は、いまなお、目立つことなく続けられている。

何故、この様なことになったのか。
陪審員制度はイギリスで始まり、アメリカなどで取り入れられている。

陪審員制度の起こりは9世紀のフランスである。

カール帝の息子、ルートヴィヒ1世が、829年に、国王の権利について判断する際、その地方で最も優れた、最も信頼できる人物12人に宣誓の上陳述させるという制度を設けた。
要するに王の権利を民間人に復唱させることで権威を示すものである。

そのご、この考え方がイギリス、アメリカで取り入れられることになったが、フランスで興った陪審員制度とどんな関係が有るのだろう。
何故、民間人が裁判をしなければならないか。
近代民主国家において専門の裁判官の権威を補完知る意味はあるのか。

裁判制度が未発達の社会では、犯罪者に対する処罰は、民間人によるリンチと言う形でなされたいた。
アメリカでも、独立当初は国家のシステムが不備で、リンチが横行していたが、そんなアメリカでは、民衆自身の独立心が強く、リンチも利にかなっていた。

現在のアメリカの陪審員制度は、その頃の名残が続いていて、民衆にある種の権限を持たせようとするものである。
一般的な民主主義の概念と共に、それが民主的と思い込んでいる。

しかしながら、死刑も含み人が人を裁くと言うことには大きな問題がある。
常に正しい判決が下せるとも限らない。
また、人を裁くような立場に、普通はなりたいものでもない。

だから、専門の裁判官を擁して、これに当たらせる制度の方が、余程合理的な考え方である。
其れなのに、いまさら陪審員制度を真似て裁判員制度を作るなど時代錯誤であり、基本的に間違った発想である。
なぜ、このようになったのか。

この様な制度を日本に取り入れる必要性など全くないのに、

馬鹿な司法官僚が責任逃れで思いついた制度に過ぎないが、その様なものに振り回されることになった。

メンテ

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