ホームに戻る > スレッド一覧 > 記事閲覧
[39] 息抜き投稿蘭です
日時: 2009/08/04 13:49
名前: 天橋立の愚痴人間

<< 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

 秦の趙高(ちょうこう)、漢の王莽(おうもう)、梁の周伊(しゅい)、唐の禄山(ろくさん−安禄山)らも旧主先皇の政治に従わず、楽しみをきわめ諫言も聞かず、天下の乱れも知らず、民衆の憂いも顧みないので亡びてしまった。>>

我が国の現状、何をか況や。平家にあらずんば人にあらず。公務員にあらずんば国民にあらず。

少し前の時代、未曾有の経済の発展を遂げた我が国は、思いあがり、浮かれきっていたのもつかの間のこと。

気が付けば、多くの民は疲弊し、世は乱れ、為政者はまつりごとを忘れ、都に住む栄誉の一族のみが繁栄を貪り続けている。

やがて来るべき暗黒の世を知らず。

民を忘れた為政者は、民を見る勇気を持たず、打ちひしがれた弱き者たちは怠惰と享楽に身を任せ、悪霊ばかりが横行する。

そのような世の中を正す、一傑の英雄の現われることなく、空しく時は過ぎ去る。
夢か、うつつか、目を覚ませ。一時の繁栄に我を忘れた諸人よ。
メンテ

Page: 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 全部表示 スレッド一覧 新規スレッド作成

氷河時代が到来するか! ( No.83 )
日時: 2018/02/05 23:39
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:dKUGpEkw

最近、寒波が押し寄せ、東京などでは混乱が起きているようです。

そこで氷河期のはなし。

ヒューロニアン氷期 24億〜21億年前
スターティアン氷期・マリノアン氷期 8億〜6億3500万年前
アンデス・サハラ氷期 4億5000万〜4億2000万年前
カルー氷期 3億6000万〜2億6000万年前
現在の氷期  300万年前〜現在(第四紀氷河期と言うそうで、2600万年前から始まったとも言われている)

さて第四氷河期以来、地球では4万年と10万年の時間スケールで周期的に氷床の発達と後退を繰り返してきており、これらは氷期と間氷期、あるいは氷床拡大期や氷床後退期などと呼ばれる。地球は現在間氷期にあり、最後の氷期(最終氷期)は約1万年前に終わった。

次の氷期が来るとしても、早くても1〜2億年先のこと。
ですが、我々は、今年は寒いから氷河期が近づきそうだとか、言って心配をしています。
心配性なのですね!

地球が出来たのは45億年まえ
なんと40億年前には原始生命が誕生したと言われています。

その後、氷河期の到来のたびに生命体は絶滅の危機にあっています。
3億6000万年ほど前には、脊椎動物が誕生して、動物が陸上に上がってきました。

皆様おなじみの恐竜時代と言うのは、その直後(?)2億3000万年前には始まっています。

なを、地球史的には、この後、2億3000年前に、地球上で生物の大規模な絶滅が起きています。
海生生物のうち最大96%、全ての生物種で見ても90%から95%が絶滅した。

また6500万年前には、巨大隕石の落下に伴い、地上の生物の大量絶滅がおきました。
恐竜時代は一夜にして滅びました。

3000万年くらい前になると、霊長類の子孫が生まれ
600〜700万年まえには、人間らしき動物が登場します。

ようやく20万年前には、アフリカで現代人につながるホモサピエンスが登場し、10万年くらい前から世界中に移動し始めました。
日本列島へは2万年くらい前には来たと言われています。

縄文時代の初期(今から1万年前)、日本列島には2万人が住んでいたとみられています。
さらに今から4000年くらい前には、縄文時代の最盛期で26万人の人口に増えていたらしいですが、そのご8万人くらいに減ってしまい、弥生時代を迎えた様です。

ついでに言いますと、飛鳥時代の人口は500万人の様です。

メンテ
夢のまた夢の話し ( No.84 )
日時: 2018/05/21 12:14
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:aA98q2Qw

現在の政治などに関わっていても仕方がない。
悠久の話題で時間を過ごしましょう。

さて人類(我々)とは何か。
要するにホモ・サピエンスの歴史に触れてみましょう。
人類はサルから進化した霊長類と言われています。
元は哺乳類の一種(正確には一目)とされてきたが、今から600〜700万年前にサルとは区別されるようになったらしいです。
その家系図で言えば、爺さん婆さんの親戚にはネズミ属やウサギ属がいたらしいですね。

その頃の人類は旧人と言われ遺跡の発掘の状況によって、それぞれの名前が付けられています。
注目に値するのはネアンデルタール人でしょう。

ネアンデルタール人は、約40万年前に出現し、2万数千年前に絶滅したとみられるヒト属の一種である。
さらに20万年まえのころ、新人類と言われる種が登場します。
ホモ・サピエンスもそうですがクロマニョン人が登場します。
スペインのアルタミラ、フランスのラスコーに洞窟画を残したクロマニョン人です。
クロマニョン人は後期旧石器時代にヨーロッパ、北アフリカに分布した人類で、現代人と同じホモ・サピエンスに属し、コーカソイドに入ると考えられるが、現在は化石でのみ発見されるので、同時代の他地域の上洞人・港川人などと共に「化石現生人類」とも言う。精密な石器・骨器などの道具を製作し、優れた洞窟壁画や彫刻を残した。また、死者を丁重に埋葬し、呪術を行なった証拠もあるなど、進んだ文化を持っていた。

そのクロマニョン人が絶滅したのは、13000年前と言われていて我が国の縄文時代にはまだ生きていたのですね。
いよいよ我々のこと(ホモ・サピエンス)ですが、
現生人類はホモ・サピエンス種である。そして、そのうち唯一現存する亜種はホモ・サピエンス・サピエンスとして知られる。他の既知の亜種であるホモ・サピエンス・イダルトゥはすでに絶滅している。一時期、ホモ・ネアンデルターレンシスと呼ばれて亜種に分類されていたネアンデルタール人は3万年前に絶滅している。遺伝学研究は現生人類とネアンデルタール人の共通祖先がおよそ50万年前に分岐したことを示唆する。

と、此れも一筋縄では語れませんが、
現生人類の最も古い化石は、エチオピアのオモ遺跡(英語版)から発見されたおよそ19万5,000年前のものとされて来たが、2004年にモロッコのJebel Irhoudの地層で発見された、頭蓋骨及びその同年代のもの思われる複数の石器がおよそ30万年前のものであると結論づけられ、2017年6月のNatureに発表された。分子生物学の研究結果からすべての現生人類がおよそ20万年前のアフリカ人祖先集団に由来するとした証拠が示されているが、それより10万年ほども古い化石が発見されたことで、今後のさらなる研究が待たれる。アフリカ人の遺伝的多様性に関する広範な研究から、14の「祖先集団クラスター」に由来するサンプリングされた113の様々な集団のうち、サン人の遺伝的多様性が最も高いことが判明している。また、この研究報告は南西アフリカのナミビアとアンゴラの沿岸境界近くが現生人類の移動の起点だとしている。

とまあ、このような事で、ホモ・サピエンスと言っても他の種族に対して純潔を守っていたとはとても考えられませんね。

人類の歴史、700万年から考えて現代人類の発展は言語に絶するものがあります。
今から5000年前は、エジプトに王朝がありメソポタミア文明も栄えています。
クロマニョン人が絶滅して8000年後の事です。
20万年の間、同じ時期に暮らしていたホモ・サピエンスも、クロマニョン人が書いたスペインのアルタミラ、フランスのラスコーに洞窟画に勝る文化を持っていたのでしょうか。
それとも、その後に急速に進化したのでしょうか。

また、ネアンデルタール人やクロマニョン人が生存していたら、現在の世界文化はどのようになっていたか。
彼等と切磋琢磨して成長していたか、彼らと大戦争を起こしていたか、夢のまた夢の話しでした。
メンテ
梅雨考 ( No.85 )
日時: 2018/06/14 21:19
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:0IxxV8pA

四季というのは、太陽の当たる時間(日照時間)や、太陽のあたる角度(日照角度)の違いによっておきます。
その様な意味で、四季のある国、地方と言えば南極でも四季はあると言います。
赤道に近い地域は四季ではなく乾季、雨季と言う表現もあります。
ところで日本で四季と言えば、春夏秋冬。
春は草花が芽を吹き桜が満開になります。
夏は灼熱の太陽の下に海水浴を楽しむ。
秋は紅葉の季節。
冬はスキー。

等と言う四季がはっきりと特徴をしめし楽しめる地域となればば、日本と緯度が近いような地域、それも海水浴となれば、非常に限られてきます。
まあ、日本は、その様な恵まれた地域にあると思います。
ところで日本は四季の他に、梅雨と言う厄介な季節も同時にあります。
多くの人は梅雨がうっとおしく早く開ける事を望みますが、どうして、どうして梅雨も捨てたものではありません。
今年も梅雨の真っ最中、梅雨を楽しむ話題を提供しましょう。

(梅雨の雨)
季節や降り方によってさまざまに名前をつけられた雨。その日本人らしい繊細なネーミングセンスが堪能できます。

・春雨(はるさめ)春の後半にしとしと降り続く雨。

・卯の花腐し(うのはなくたし)初夏の頃、卯の花を腐らせるほど続く長雨。

・時雨(しぐれ)秋の終わりから冬の初めに降る冷たいにわか雨。

・分龍雨(ぶんりゅうう)夏に、まるで龍の体を分けるほど激しく降る雨。

・神立(かんだち)元は雷・雷鳴を指す言葉。次第に雷をともなった夕立、雷雨を指すようになった。

・喜雨(きう)夏、日照り続きのあとに降る雨。

・天泣(てんきゅう)雲がないのに雨が降ってくること。天気雨。「狐の嫁入り」とも言う。

・肘笠雨(ひじかさあめ)急に降り出した雨。肘を傘の代りにして軒先まで走る様子から。

梅雨の異称として「卯の花腐し」以外にも、「五月雨(さみだれ)」があります。旧暦5月ですから、だいたい6月頃に降る長雨のことで、逆に晴れた日は「五月晴れ(さつきばれ)」となります。晴れの日に名前がつくなんて、それほどまでに梅雨の晴れ間が待ち望まれていたのでしょうか。

ほかにも梅雨といえば、「男梅雨」「女梅雨」なんていう呼び名もあります。激しく降ってカラっと晴れる男梅雨、弱くしとしと降り続く女梅雨。名付けられたころの理想の男性像と女性像なのでしょうか。

美しいその名前を知れば、雨の日もちょっと待ち遠しくなります。

(梅雨の花)
薔薇
「花といえば」といわれて誰もがイメージするほど、あまりにも有名なバラ。「花の女王」と呼ばれ、つるや低木、その中間と様々な見た目で人々を楽しませてきました。また、その花姿はゴージャスで女性的。1輪花瓶に挿すだけでも、存在感がありますよ。

紫陽花(あじさい)
梅雨の雨を受けて咲くあじさいの花は、梅雨の風物詩ですよね。手毬のように小さな花をまとまって咲かせる姿は、かわいらしく親しみやすさがあります。株の大きさを剪定によって保てるので、鉢植えや地植えなど、ライフスタイルに合った栽培が楽しめますよ。近年は、中心に花を付けない「ガクアジサイ」という原種も人気が出てきています。

ムクゲ(木槿)
ムクゲは、秋の七草として平安時代の昔から観賞されている落葉性の花木です。6月頃から、10〜20cmの大きなハイビスカスに似た花を咲かせます。日当たりのよい場所で育てることがポイント。日本に古くから自生しているので、強く丈夫で、花木の入門編としてもおすすめですよ。

花菖蒲(ハナショウブ)
花菖蒲は、すっと伸びた茎の先に、アヤメ属独特の姿をした青紫色の花を咲かせる多年草です。梅雨の時期に見頃を迎え、雨空にもかかわらず全国の花菖蒲の名所へ人々は足を運びます。和の雰囲気があり、生け花の花材としても人気があります。多年草ですが、連作障害を起こしやすいので、自宅で育てるときは2〜3年に1回植え替えをすると、毎年きれいな花を楽しめます。

クチナシ(梔子/ガーデニア)
沈丁花、金木犀と並んで世界三田香木の1つに数えられるクチナシ。梅雨の時期になると、白くかわいらしい花から甘くよい香りが運ばれてきます。常緑性の低木でもあるので、地植えにして庭で楽しめるのはもちろんのこと、鉢植えをベランダに置いて開花期以外は観葉植物として育てるのもおすすめ。寒さには弱いので、冬は室内に取り込んであげると安心です。

その他に、
カラー
クレマチス
アルストロメリア
睡蓮(すいれん)
アガパンサス(紫君子蘭)

薔薇、紫陽花、花菖蒲、クチナシの花 風情があり心が癒されますね。

https://cheeeeek.com/rainy-season-flower-language/ 
https://pixta.jp/tags/%E8%8F%96%E8%92%B2%E5%9C%92%20%E3%81%82%E3%82%84%E3%82%81%20%E8%8A%B1%E8%8F%96%E8%92%B2%20%E6%A8%AA%E9%A0%88%E8%B3%80%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%B6%E5%9C%92?search_type=1  花菖蒲
http://www.flower-photo.info/products/detail.php?product_id=499 くちなし
https://www.gettyimages.co.jp/%E5%86%99%E7%9C%9F/%E3%83%90%E3%83%A9%E5%9C%92?sort=mostpopular&mediatype=photography&phrase=%E3%83%90%E3%83%A9%E5%9C%92  薔薇
https://photohito.com/dictionary/%E3%81%82%E3%81%98%E3%81%95%E3%81%84/  紫陽花

(梅雨の俳句)
「紫陽花や 帷子時(かたびらとき)の 薄浅黄(うすあさぎ)」

江戸時代の俳人、松尾芭蕉の一句です。帷子とは夏用の衣を指します。 「紫陽花が咲き、今年も帷子を着る季節がやってきた。ちょうど紫陽花も帷子も同じ薄浅黄色をしている」という意味の俳句です。江戸時代にも、現代と同じように人々が梅雨から初夏の訪れを、花や衣服を通じ日々感じていたことを、私たちに教えてくれます。

「紫陽花や 藪を小庭の 別座舗(べつざしき)」

こちらも芭蕉の句です。晩年、芭蕉が生涯最後の旅に出る前、門人の屋敷で開かれた送別の歌会で詠まれました。 手の込んだ庭ではなく、自然のままにされた別座舗の庭に咲いていた紫陽花の美しさを捉えた一句です。送別の歌会を開いてくれた門人への感謝と、おそらくこれが今生の別れとなるだろうという寂しさを、紫陽花の美しさと儚さに込めた芭蕉の想いが感じられます。

「紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘」

明治期に多くの俳句、短歌、小説を残した正岡子規の一句です。日々、薄紫から濃い紫色へと少しずつ変化する紫陽花の様子を擬人化して表現しています。同時に、「人の心も花の色のように移ろいやすいもの」という気持ちも込められています。
「薄月夜 花くちなしの 匂いけり」
こちらも正岡子規の一句です。「雨雲が多く月も薄れてしまう夜に、ふと梔子の花の香りを感じた」という意味です。花の姿ではなく、匂いに季節を感じたところに、情感があふれています。

「今朝咲きし くちなしの又 白きこと」

昭和期の俳人、星野立子の一句です。星野立子は同じく俳人の高浜虚子の次女にあたります。 「今朝咲いたくちなしの、何て白いことだろう」と、美しさへの感動を詠んだ一句ですが、「又」という強調が非常に効果的です。強調することにより驚きが加わり、花の美しい白さが際立って表現されています。

「わが恋は 人とる沼の 花菖蒲(はなあやめ)」

明治期から昭和期にかけ活躍した小説家、泉鏡花の一句です。「私の恋は、泥沼から花菖蒲をとるようなものだ」と、禁断の恋について詠まれています。菖蒲(しょうぶ)を別名の「あやめ」という呼び方で詠んでいるところが、「恋のあやまち」とかかっているとも解釈できます。

「世の人の 見付(みつけ)ぬ花や 軒の栗」

松尾芭蕉の句です。「栗の花はあまり世間から注目されないものだ。栗の花をそばに咲かせている家の主人もまた、人からは注目されなくても、奥ゆかしい人ではないだろうか」という意味です。花も人も、目立つものだけがすべてではないという、芭蕉の穏やかな視線を感じられます。

「金糸梅(きんしばい) 水のひかりを ためらはず」
最後にご紹介する梅雨の俳句は、鮮やかな黄色が美しい金糸梅を詠った一句です。六角文夫が詠んだ現代の俳句です。雨に濡れても、その水滴すらも輝かせ、黄色く誇らしげに咲く金糸梅の姿が浮かびます。光を放つのでも、跳ね返すのでもなく、「ためらはず」という言葉に、雨の中でも凛として咲く花の美しさが表現されています。

(散文 梅雨 横光利一)

 去年の梅雨には曇天が毎日續いた。重苦しい濕氣のなかで私は毎日ねつとりとした汗をかき、苦しんだ。思へば毎年その頃になつて筆の動いた試しがないが、この年の梅雨の日は或る日どこからか逃げてきたらしい鶯が庭の繁みのなかで鳴きはじめた。梢をのぞいても姿は見られなかつたが、聲だけは塀の周圍を鳴き續けてやまなかつた。これが毎日、同じ處で鳴き續け、同じ方向にいつも舞つてゐるのが感じられると、頭はその聲を中心に急に動き出したのを覺えてゐる。
 その頃、北海道行きの話が出て川端君とふたりで奧羽本線を青森の方へと行き淺蟲で一泊した。車中キリストの話が出た中で、その前月のある雜誌に青森縣の八戸で崇神天皇の時代、キリストが八戸に來て此處に住ひ、ここで死し、墓場さへこの地にあるといふ記事を讀み、その荒唐無稽さに驚き乍らも、このやうな夢をもたねば生きられなくなつた現代人の頭に就いて興味をもつたことを話しあつてゐるとちやうどふたりは八戸の手前まで來かかつた。八戸はここで降りるのだといふ驛で、ここには家内の實家があるのだと微笑する川端君と共に、驛の周圍の陰鬱な雨空を見廻したが、私にはそのキリストの荒唐無稽な説も鶯の聲のやうに節面白く頭に生きて、思はずにそのやうな説を説く人達の頭も、とりすがつた夢の美しさのやうに感じられた。
 淺蟲へ着いた翌朝、驛から汽車に乘らうとすると待合室に充滿してゐる小學生達の遠足姿に混り、小使らしい黒い詰襟の老人が辨當を持つてベンチに腰をおろしてゐる姿をふと眺めた。すると、何とその顏はキリストそつくりの顏である。
「君あれ見給へ、キリストそつくりだ。」
 と思はず私が云ふと、
「ほんに、似てるなあ。」
 と川端君は云ひつつ手にしたカメラを上げて、そのキリストを寫さうとしかけたが、
「どうも氣の毒だから、やめよう。」と云ふと、寫さずそのままカメラをおろした。そしてまた、
「ふしぎだねえ。」
 と云ふ。あのときもしそのまま寫眞に撮つておいて今みたなら、或いは、人は辨當箱を持つたキリストだと思ふかも知れない。それほどによく似た顏である。
 人間は荒唐無稽なものでも考へてをれば、だんだんその無稽が事實となつてゆくといふ説があるが、狂氣に近い夢も現實の一部として誰かの頭のなかで生き續けてゐたのであつてみれば、八戸でキリストが死んだといふ説も、重苦しい梅雨の曇天の下では美しいひとつの現實の姿とならぬとも限らない。いや、現に八戸とあまりへだてぬ淺蟲の驛で、あやふく私もまたキリストの夢を見たのである。川端君もまたさうだ。
 津輕を渡つてひとたび北海道へ行くと、この地の傳統はキリスト教だと明瞭に感じられる。異境に行つた思ひである。凾館のトラピストをはじめとして、鐵道の沿線はあたかもキリストを搬んで廻つてゐるかのやうな臭ひを立て、私には南ドイツやアドリヤテイツクの海の風景がしきりに浮んでやまなかつた。この地には梅雨はなく、内地の曇天から逃げてきた私の眼に、眞盛りの札幌のアカシヤの花はフローレンスのマルモの街路樹に似て見えた。
 旅から歸つたとき内地はまだ梅雨がつづいてゐた。啼きつづけてゐた鶯もまだ逃げず家の周圍を廻つてゐたが、その聲を聞いてゐると、淺蟲で見たキリストの顏がまた私の頭に浮んで來て消えなかつた。全く梅雨期の幻想のまま、事實私は北海道の人人の醇朴さにキリストの精神を見て來たのかもしれぬと、このごろになつてよく思ふ。

如何でしょうか、梅雨と言ううっとおしい概念を振り払い、この季節も楽しみましょう。
メンテ
ヨッシーさんの人生 ( No.86 )
日時: 2018/06/20 22:12
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ktMiPF4Q

ヨッシーさんは以前に投稿してくださっていた方です。
その記事の一つを紹介します。
老後は、この様になりたいものですね、
お互いに!



小沢政治資金問題がやや収束気味になってきたかな?
秘書さんが開放され、このまま落ち着いてくれればいいのですが。
政治や経済のことは若い人たちに任せて、思い切り遊びたいものです。

私は約20年前、二十数年勤めた職場を退職し自営業を始めた頃、奈良の山奥に別荘地を買いました。
バブル全盛期、インチキデベロッパーが山林に道だけつけた程度の土地です。
水道もあります、との触れ込みでしたが、後で調べてみると、山の上に一トンくらいのタンクを設置し、そこから水道管を引いて、あたかも水道があるように見せていたのです。勿論、ときどきトラックで水を補給していたのです。全くのサギですね。

私も含め、約600人の方が引っかかったようです。
その後販売した会社は偽装倒産し、性懲りもなく名前を変えて違う場所で営業を始めていました。
昔大きく報道された許永中事件、許永中もこのインチキデベロッパーと関係があったようです。
私たち有志が管理組合を設立し、この業者に水道設備を作らせ、また放ったらかしになっている道路などの共有部分の所有権を管理組合の代表者名義に移転させました。

この(一応)別荘地を利用しているのは約20%程度で、後の持ち主は自分の土地がどこかさえもしらないようです。何十年も放ったらかしですから、原生林のようになっていて、土地の標識など殆ど分からない状況です。
これはこれで、自然が残っていいな、と思っていますが。

とはいうものの、有志から会費を集めていますが、資金が少なく実質の管理は、私が殆ど一人てきりもりしているのが実態です。電柱に登って外灯の修理や電球の交換、道路の修理、水道の修理なども私とあと数人の役員で行います。もちろん全てボランティアです。

大変ではありましたが、多くの経験とノウハウの取得でき、四季折々の自然を満喫させてもらって、感謝感謝です。

昔、「人生は楽しい、この世は天国」というエッセイを書いたことがありますが、
この世に肉体を与えられ、生かしてもらえたことに、感謝するばかりです。

私は3,4年前から暇を見ては、軽のワンボックスの後部にベッドを作り、車で寝泊りしながら全国を旅行しています。北は青森の恐山から南は鹿児島の開聞岳に至るまで、すでに2万キロほど走っています。
旅館に泊まらず、高速も利用せず、途中の日帰り温泉につかり、スーパーや道の駅で食料を調達して、景色のいい場所で自炊する、というようなケチケチ旅行です。(年金生活なのでしかたなし)
ガソリン代を除けば、家で生活するのと殆ど変わりません。
家内からは、ホームレスと同じだね、と言われています。

家内も数回一緒にいき、最近少し慣れてきたようです。

昨年暮れ、軽を下取りしてもらい、念願の大型のワンボックス(ボンゴブローニー)に買い替えました。
6人乗れて、後部に2メートルほどの簡易手作りデッドを取り付けました。
将来は、家内や孫を乗せて全国を回ろう、と思っています。

この辺りの話は、皆様の反応を見て、別途お話できたらいいな、と思っています。
(政治とはあまり関係ないから、どうかな?)
メンテ
真夏の夜の為に ( No.87 )
日時: 2018/06/28 09:41
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:tOWIPjJ2

霊について貴方は信じられますか。真夏の夜の話題に少々飛んでいる話を提供します。

「霊が呼んでいる」

お話 1 (私の体験談)
私の父親が外出先で急死したとき。丁度その時間、私は自動車で少し遠出していた、その帰り道、走行中に突然マフラーが外れて路面に転がった、マフラーの異常については全く意識に無かったので不思議に思い帰宅したとたん、父親の死を知らされた。死亡時間も殆どマフラーの脱却時間と合っていた。

お話 2 (私の体験談)

私の叔母の話し。叔母が癌を患い、手術をしたが、殆ど時間の問題で助からないとは聞いていた。ある日の午後11時すぎ、何かを感じて、見舞いに行こうと、私が言い出し、両親も何故か時間が時間であるにかかわらず素直に賛成して出かけることになった。病院は自動車で2時間の距離。その病院について見ると、叔母が息を引き取って10分後であった。付き添っていた親族も何故解ったと不思議がっていた。私も何故、あの時間に出かけようと思い立ったのか、後から考えれば不思議である。

「霊が訴えている」

お話 3 (霊感の発達した当事者の親から聞いた話)

当事者(現在30歳代)が3歳のおり、急に発熱して心配になり、解熱剤を薬局へ買いに出かけた。帰ってみると、当事者と祖母が仏壇に向かい御経をあげている。祖母いわく、孫が突然、御経を上げるようにせがむのであげていたところだと。熱はすっかり引いていたそうである。

お話 4 (霊感の発達した当事者の親から聞いた話)

当事者が中学生のころ。時々霊が乗り移り、当事者はうつぶして何やら呟きを始める、声音も変わってしまっている。母親は、逆らわずに、背中をさすりながら、はい、はいと応じてやる。何回も、何回も繰り返すうちに霊が去ってゆくのが解ると言う。

お話 5 (霊感の発達した事者に聞いた話)

高校生のころ、何時もと通っている道を自転車で走っていると、ある家の前にきて、急にペダルが重くなり、目の前が暗く感じたことがあった。それから半月後に、其処の主人が自殺をして亡くなった。

お話 6 (霊感の発達した当事者に聞いた話)

墓地などへ行くと、あちこちから私へ訴えるものが多く嫌である。其の事を、墓の持ち主には言う訳にもゆかない。また、友人の家では、壁に血が流れるような幻覚に襲われたこともある。霊が自分に近づく現象は無くなってはいないが、自身の精神をコントロールして、なるべく早く退散するように気をつけている。一時は、本格的に活動している霊能師に師事して自分の能力を生かして見たいと思ったこともあるが、やはり普通の生活のほうを望んでいる。

「霊のいたずら」

お話 7 (私が30歳代に体験した話し・当事者ではない)

私が30歳代のころ、建築工事の現場監督をしていた。その現場で働く、少し遠くの左官の職人さん7人が宿泊する為に、2ヶ月くらいの予定で借家を紹介したことがあります。ところが、入居以来、10日ころ経ったとき、夜の8時ころになって、彼らが私に連絡をしてきた。要件は、お化けが出るので、今夜からでも旅館を紹介してくれとの事でした。話を聞いてみると、特に酷いのは一人であるが、夜中に金縛りにあって困っている。それに雨も降ってはいないのに、雨漏りの音が天井裏でする。天井裏も除いて見たが、何も異常はない。ある日近所の食堂でその話をしていたら、其処の主人の言うには、元々、墓地を造成して建てた家で、幽霊が出るとの噂があるとの事。それを聞いて、すっかり弱気になってくだんの連絡となったらしい。

お話 8 (友人に聞いた話)

近くの町と町を結ぶ峠道がある。友人の、友人の一人は通勤の為にその道を通っていた。しかし、その頂上近くにくると、辺りが暗くなるように感じられ、寒気を覚えることがたびたびであった。そこを通行する他の人に聞いても、そんな症状は感じてないようだ。結局、特別なことのない限り、その道は使わなくなったとのこと。

「霊を見る試み」

お話 9 (私の体験談)

これも古い話になります。25年くらい前、私の父親が経営していた事業が倒産し、私も別の理由ですが、離婚をしていた。不幸なことが続くことを憂慮した母親が、先祖のたたりでもあるのか心配して他愛もない理由で、近くの霊感豊かで有名な御婆さんに見てもらうことになった。当日、私は付き添いで父親を連れて霊感御婆さんのところへ行った。御婆さんは父親の背中をさすりながら、遠慮深げに、この方には、何の問題も感じられないが、其処の息子に問題があるのではとはっきり断言した。それで、想定外に、私も見ていただいた。御婆さんが言うには、女と子供が悲しんでいる。中にも一人女がいる。お前は何か悪いことをした覚えがないかと問うてきた。ずばり、母親が5才の子供をつれて離婚してから半年余りの時期であった。断っておきますが、もう一人の女と言うのは、浮気ではありません。嫁、姑の対立が大きな離婚の要因だったのです。なんとも言えない気持ちで、私のほうが元気が無くなりました。

お話 10 (私のいたずら)

近所の別の霊感御婆さんです。この方も、なかなか霊感あらたかなそうです。私との付き合いは、私が建築関係の仕事をしている関係から、地鎮祭などを御願いすることがたまにはある程度です。その御婆さんはハイカラなことにパチンコが好きらしい。よく行くとの事でした。それはうらやましい、私も時々行きますが、殆どは負けてばかり。御婆さんはさぞかし儲けておられるでしょう。
御婆さん、何の、パチンコにはどの霊魂もかたってはくれない。あんたと同じじゃと言っていた。

落ちたところで、この辺にします。私の人生 60年にもこのような事を経験しました。私がそうであるように、霊魂の存在を信じられるかどうかを突き詰めて考えることもないでしょうが、漠然とした事実もあるように認識されてはいかがですか。

(おわり)


日本三大怨霊伝説と言うものがあります。

(道真公怨霊伝説)

  東風(こち)吹かば 思いおこせよ 梅の花 主無しとて 春な忘れそ

この梅の木は道真が亡くなると主を慕って九州まで飛んできて、道真の墓の側に移ったといい、これを「飛梅」といいます。その何世代か後の梅の木が今もその地太宰府天満宮に残っています。
道真が太宰府で死んだ頃から、都では天変地異が続くようになり、まず道真を讒言した張本人の藤原時平が39歳で急死。疫病がはやり、日照りが続き、20年後には醍醐天皇の皇太子が死亡、次の皇太子も数年後に亡くなり、人々はすべて菅公の怨霊の祟りとして恐れた。きわめつけは、延長8年(930)に宮廷の紫宸殿に落雷があり、死傷者が多数出たことであった。

これにより、道真の怨霊は雷神と結びつけられることになった。もともと教との北野の地には、農作物に雨の恵みをもたらす火雷天神という地主神が祀られていたことから、それが道真の怨霊と合体したものといわれる。そこで怨霊の怒りを鎮めるため、天暦元年(947)にこの地に北野天満宮が創祀されたのである。その後、永延元年(987)に勅祭(天皇が命じた特使による祭祀)が行われ、このときに正式に「北野天満宮大神」と称号されるようになった。

後に普段天神様と呼ばれて、学問、受験合格の神さまとして親しまれている神である。受験シーズンにもなると天神様は大忙しになる。受験生はもちろん、その父兄やら関係者までが神社に押し寄せるからだ。受験戦争の社会を象徴する悲しい現象とはいえ、とにかく若い世代にまで深く浸透している神さまといったらこの神をおいて他にはいない。

政敵を恨んで死んで行った道真の怨霊も結局は庶民を守る神様として広く社会に敬われています。


(平将門の怨霊伝説)

平将門の首塚というものがある。

将門の乱のあと、京で梟首にされた将門の首は歯噛みして復讐を誓った、という伝説がある。首が関東まで飛んできた、という首塚伝説もある。非業の死をとげたものが怨霊となる、という古来からの考えがあり、鎮魂するため御霊社が多いようだ。

将門の怨霊伝説はここから始まります。

京都・三条河原にさらされた首は、毎夜青白い光を放ち「わが身体はどこにある!ここに来て首とつながり、もう一戦交えよう!」と叫び、いつまでたっても腐る事はなかったと言います。
ある晩、その首が空高く舞い上がり、胴体を求めて東の空に舞い上がり飛んでいきました。
そして、力尽きて落ちた場所が、東京の神田橋のたもと・・・人々は“神田明神”を建て丁重に葬ります。
やがて1307年に真教上人という僧が、将門の霊を供養し建てた石塔が、大手町のオフィス街の一角にある“将門の首塚”です。
この首塚は、この平成の世でも、動かせば祟りがあるとして恐れられています。
都では、はびこる藤原政権に民衆は不満ムンムン。
それなのに東国では、民衆のハートをバッチリ掴んだヒーローが力をつけて“新皇”を名乗りだす。

「彼を消せば何とかなるだろう」と思って、討伐してみたけれど、彼が死んでも、彼を愛する東国の人々の心はどうにもならない・・・。
死んでもなお、人気の衰えない東国のヒーローを、誰よりも怖かったのは、都にいた朝廷の人々であったに違いないと思うのです。
そして、そこに拍手を送るのは、民衆。
彼ら民衆が、死んでもなお、朝廷を怖がらせる東国の英雄に、密かに感謝していた事は間違いありません。


(最後に日本三台怨霊伝説の中の最強の崇徳上皇の怨霊の話しです)

♪瀬を早み 岩にせかるる 滝川の
 われても末に 逢わんとぞ思ふ♪

「流れの速い川の水が、岩にはばまれ分かれてしまっても、やがては同じ流れに戻るように、今は離ればなれになる二人だけれど、いつか、また、会える時が来るよ」

崇徳上皇が天皇時代に読んだこのような「恋歌」を読んだ頃は良いとして、その後に起きた後白河天皇との身内による壮絶な権力争いの結果、讃岐(香川県)へ流罪となります。

「大魔王となって、この日本の国を転覆させてやる〜」と、誓文を書きつづって海に沈め、以来、髪も切らず、爪も切らず、その風貌は「生きながら天狗になった」と噂されるほどの変貌を見せます。
そして、とうとう長寛二年(1164年)8月26日、鬼のような姿のまま、崇徳さんは46歳で、この世を去ります。
生前は、「いつか都に戻りたい」と願っていた崇徳さんでしたが、死んでもなお許されず、その遺骨は、四国の白峰山に埋葬されました。
埋葬時には、一点にわかに掻き曇り、激しい風雨が襲い、突然の雷鳴も轟き、その棺からは真っ赤な血が流れ出し、その火葬の煙は都に向かってまっすぐにたなびいたと言います。
さぁ、ここから崇徳さんの怨霊伝説が始まります。
都には疫病が流行り、祟りと称される異変が次々と起こります。
平治元年(1159年)に起こった平治の乱(12月26日参照>>)でさえ、もともとは崇徳さんの怨念の仕業とまで囁かれます・・・って、そん時はまだ生きとるやんけ!
今から900年前の出来事でした。
生前に親しくしていた阿波内侍の持っていた崇徳さんの遺髪を納めた「崇徳天皇廟」や寺院を京都に建て、その鎮魂を願いましたが、養和元年(1181年)に、恐ろしいほどの熱を出して、苦しみ抜いて死んでいった平清盛の死(2月4日参照>>)も、崇徳さんの怨霊の祟りであると言われました。
鎌倉時代の動乱を描いた『太平記』には、当時の魔界ランキングで、崇徳さんを魔界の王と位置づけています。
つまり、あの南北朝の動乱(8月16日参照>>)さえも、彼の怨念の仕業というわけです。
崇徳さんの怨霊は、天皇が表舞台に立った時に現れ、国家の転覆を企てるそうで、その対象はあくまで、天皇家・・・それ以外の国家権力には向けられないというのですが、その怨霊が、史上最強と称されるのは、何と言っても、その恐怖が語り継がれた長さにあると言えます。


当時の日本では、
その人を不幸に追いやった人物が、少しでも「悪い事をしてしまった」と、自分の行いに反省したり、後悔したり、負い目を感じたりする気持ちが、その伝説を生み出しているのだと思います。
そう考えると、もし、他人を不幸に追いやっておいて、まったくその負い目を感じないと人がいたとしたら、それが、怨霊よりもはるかに怖い事なのかも知れません。

それに比べて中国、西欧の権力争いは、トコトン皆殺しが前提で怨霊などが徘徊する余地も残しません。

これに対して西欧の怨霊は、悪魔と呼ばれ常に邪悪で、庶民が帰依しなければならないキリストの敵として位置付けられています。
もうドラマなど入る余地がありません。

日本のそれ(心=怨霊さえも)は実に優しく人間的で、西欧の真似などすることはありません。
メンテ
愛犬の死 ( No.88 )
日時: 2018/07/17 14:27
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3venyjIk

二時間ほど前に、ついに我が家の飼い犬(ダックスフンド)が死んだ。

この犬は息子が東京で員音楽緒専門学校に通ってるとき、親の眼を盗んで勝手に飼っていたものであるが、卒業と同時に自分の音楽活動の為に家にいない時間が多くなり飼えなくなり私が引き取った犬であった。

息子が飼っていた時に、既に栄養失調などで病気にかかり引き取った時には息も絶え絶えで動物病院で手当てをしたが余命1年と言われたのですが、意外と長生きをして12年くらい生きていた。
ただし、栄養失調から脳炎を併発し発作が続くためにその後に10年は薬を絶やす事は出来なかった。

頭が正常でないために下のしつけもままならず、糞尿はと所構わず垂れ流しと言う悲劇的状態で随分と長い間可愛がっていた。
それでも飼い主に頼り切った犬の姿に、結局は他の類をみないほどに可愛がっていたものと思う。

この犬がいないと、どれだけ楽になるかと家内と言っていたものであるが、死なれて見れば、その直後から寂しくなり涙ぐんでしまった。
最近の2〜3週間は自分で食べることも出来なくなり、栄養の摂れるものを牛乳と混ぜてミクサーで流動食を作りスポイトで注入したりしていた。

ここ2日ほどはさすがき立ち上がる事も出来なくなり、もはや時間の問題とは思っていたが、見ている前で息を引き取るとは思わなかった。
犬でも、特に猫などは、大概は知らぬ間に死んでいる事が多い。
最期は通常にある小さな発作を起こし、その様子を見て、死んでいる事を確認した次第で、特に苦しんで死んだと言う事ではない。

しかしながら、年老いて夫婦で暮らす日常において愛犬の死は、それなりに大きな意味を成すものである。
明日は庭の花壇の片隅に埋葬して冥福を祈ろうと想う。

ペットを飼う人が増えているが、中には、そのペットの最期もみとる責任も取れないほどむやみに飼う人がいるが、ペットに愛情を注ぐならば、最後の事も考えるべきではなかろうか。

幸いにして我が家は何とか順当な成り行きで愛犬の死を迎える事が出来た。

合掌!
メンテ
Re: 息抜き投稿蘭です ( No.89 )
日時: 2018/08/04 07:14
名前: 中川隆 ID:p7Pt2sA6

>>83
それで氷河期は何時来るの?
メンテ
Re: 息抜き投稿蘭です ( No.90 )
日時: 2018/08/08 14:49
名前: 日本貧民党 ID:yEXfMVz.

子供の頃(小学生の頃)私もペットとして子犬を飼って居ましたが、ジステンバーが大流行して私の犬も此れに感染。数日の間に死んでしまいました。学校から帰って見ると冷たく成って居たのです。
当時、私が住んで居た田舎町には『獣医』等と言う気の利いたものは居なくて、医者に掛ける治療もして遣れず、現代の様には行かなかったのです。

私は、沈痛な気持ちで死んだ子犬を背負い駕籠に入れ、備中鍬を担いで山の中に入り、雑木林の中へ埋めて遣りました。墓標は傍らに転がって居た少し大きな石を代用しました。

例え子犬一匹でも、可愛がっていた生き物が居なくなるとその喪失感はかなりの物です。それ以後、どの様なペットも飼う事はしなくなりました。可哀相な気分を二度と味わいたくないからです。
  〜〜〜〜〜
閑話休題。 
“ペット"で思う事は、此の頃の「ぺット愛好家」の「無責任な人間」が何と多い事か! と言う事です。 今、日本の自然界で外来動物が如何に多く繁殖して居るか、ご存じの事と思いますが、それ等が日本の生態系を大きく狂わせているのです。

古くは「アメリカザリガニ」に始まって「中国サンショウウオ」、「ヌートリア」もそうですし、「アライグマ」「カミツキガメ」「ブルーギル」その他色々ですが、私が最も気にしているのは琵琶湖における「ブラックバス」の大量繁殖です。

此の「ブラックバス」は“ルアーフィッシング”を流行らせる為に、釣り具業者がアメリカから輸入して、最初は釣り池などで飼育して居たのですが、不心得の、そして馬鹿で無恥な、“ルアーフイッシング愛好家”が琵琶湖へ放し、悪い事に貸しボート屋迄が同調してブラックバスの放流を行った為に、肉食で獰猛な「ブラックバス」が急激に増え、モロコやボテジャコそして稚鮎、等が激減、中でも「二ゴロブナ」が激減して琵琶湖漁師たちを困らせ、近江名物の「鮒寿司」の生産に齟齬を来すまでになっているのです。

斯う言う現象は、身勝手なルアーフィッシング愛好家や其れに絡んで金儲けをする関連業者などが、自分の事だけ考えて取った行動が取り返しの付かない結果を招いたのです。釣り愛好家は自分の趣味の為に大きな罪悪を撒き散らしているのです。

先に揚げた色々なペットの害は、無責任なペットの飼い主が日本の生態系を壊す結果を招来しているのです。
メンテ
ヌートリア ( No.91 )
日時: 2018/08/08 15:17
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:qa4jvseo

外来種の事に触れられています。

「ヌートリア」ですが、話にだけ聞いていたのですが、10日ほど前の夜中、そと(庭)で物音がするので、窓を開けたところ、確かに何かの動物がいる様です。

猪、熊などは前にも目撃しました。
熊にしては時節が違うし、そんなに大きくもないようなので懐中電灯を持ち出し照らしてみたところ、巨大なネズミの様なものがかけ去りました。

ネットで確認した所「ヌートリア」の様です。
体長は50pを超えていました。

私を横目で見ながら逃げて行くさまは、そんなに怖がっているようにも思いませんでした。
ヌートリアは水辺にすむものらしいですが、陸の方にも適応したのでしょうか。

当地でも、熊、猪、猿、鹿が出没し農作物を食い荒らします。
我が家の家庭菜園もたまりかねて鉄柵を設けました。
農家の様に広い敷地で栽培している人は、大変な目にあっています。

なにせ、トマトでも、カボチャ、スイカ、イチゴ、ジャガイモ・・・ようやく実をつけ果実を採集する頃になると人間より先に取られます。
その上に、野鳥の被害もあります。

スモモでもイチジクでも、とてもおいしくなるまで木の上で熟すのを待っている訳にはいきません。

「ヌートリア」の事でしたね。
ジャガイモなどを掘って食べるのは猪と思っていましたが、ヌートリアもやっている様に思います。

もはや、外来種の事ばかりではなく、余裕を持って野生動物を眺めてなどいられなくなりましたね。

人間と野生動物の戦いですよ、最近は。

メンテ
Re: 息抜き投稿蘭です ネトウヨ俳優“津川雅彦”がくたばった!! ( No.92 )
日時: 2018/08/10 00:34
名前: 日本貧民党 ID:EBskRC/6

此の男、役者稼業としては文句の無い“サラブレッド”なのに、ヤシキ・タカジンやその後を受けた伸坊ナニガシかの司会する政権ヨイショ番組へ出て、上から目線でクソ生意気な事ばかりホザイテ居ましたが、盛者必滅、会者定離、私より少々若いのにクタバッテ終いました。

若い頃はちっとはマシな芝居もして居ましたが、晩年に成って矢鱈右翼傾向を増進させ、将に「晩節を穢す」とは此の事か! と不審を交えて思って居ました。

然り乍ら、「善人猶以って往生を遂ぐ、況んや悪人に於いておや」と歎異抄で親鸞も言って居る様に、死ねば只の“俗衆”です。

此処は一つ“仏心”を喚起して、彼の後生を願って遣りましょう! 南無阿弥陀仏、頓証菩提、合掌!
メンテ

Page: 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 全部表示 スレッド一覧 新規スレッド作成

題名 スレッドをトップへソート
名前  「名前#任意の文字列」でトリップ生成
E-Mail 入力すると メールを送信する からメールを受け取れます(アドレス非表示)
URL
パスワード ご自分の投稿文の編集、削除の際必要です。面倒でしょうが入力をお勧めします。
投稿キー (投稿時 投稿キー を入力してください)
コメント

   クッキー保存