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[845] 世にも不思議な物語
日時: 2010/11/04 21:13
名前: 満天下有人 ID:HrvZ8vqY

・・・オムニバス形式の、世にも奇妙なフイクションをタモリがアンカーになって話を繋ぐTVドラマに、世にも奇妙な物語というのが御座居ます・・・

フイクションではないのに、昨今の現実の国の有り様は、実に奇妙な光景が、絶えることもなく次から次へと現れて、世にも奇妙な物語と銘打って現象を見たい所で御座いますが、この題目、何やら著作権問題が起こっておりまして、同じ用語を使いますとお縄になるとか、少し言葉を変えて「世にも不思議な物語」とでも言い換えねばなりません・・・

・・・いつぞや観たTVドラマ「世にも奇妙な物語」で語られた「厭な扉」、実に面白く含蓄あるお話で、おいおい現実に絡めてお話しさせて頂くとしまして、民主党政権になってから、特に菅政権になってから内政に外交に、他では検審会問題のように、当たり前の疑問をぶつけても幽霊のように反応が無い、そもそもがフイクションで決議された風情もあるのに、それが現実の場において人の行動を拘束してしまう・・・、この国の世は、足無し幽霊が差配しているのかとさへ思えて来るので御座居ます・・・

・・・この小沢先生の問題にせよ、既に司法と対峙する形になっているにも関わらず、何やら国会でも説明せよと、これも不思議な話では御座居ませぬか・・・
説明せよと言う側こそ、自ら説明せねばならぬことを多々、お抱えになっているはずなのに、そして別に重大視するほどの問題でもなくちゃんと説明もされているのに、何を説明せよと言うのか、ギャアギャアうるさいことで御座居ます・・・山ほどある大事な問題は放り出しておきながら、些細なことで騒ぎまくる、実に不思議で奇妙なお話ではあります・・・

・・・かの民主党代表選でも、熱狂を呼び起こしたかにも見えた各地での小沢演説・・・結果はサポーター票とか言う、何やら幽霊紛いの選挙で、幽霊の所在を民主党に問い質す町方の手紙も、郵便局は確かに届けたと申しているにも関わらず、選挙本部は受け取っていないと言う・・・終わって後なお、幽霊のようなお話が続いているので御座居ます・・・

・・・本予算どころか補正予算の財源につきましても特会とやらを洗い出しながら、最初のお話約16兆円のお金が出て来ると言いながら、オカネがこれまた幽霊のようになって、どうやら足が生えてどこかへ飛んで行ったようなスズメの涙ほどのお金しか出て来ない・・・

出て来ないが、来年度からの基礎控除廃止に伴い、3歳未満の子供が居るご家庭では大変だろうということで、子供手当の増額が決められる・・・高齢者とて同じ状況なのに、高齢者健保医療費自己負担率は増やすと、脅しをかけて来る・・・ははあ、将来の税負担者は育成し、死に行く者は知らんというお話ですな、これは・・・

・・・外に向かっては対中国問題、これも実に不思議なお話が続いておりますね・・・菅が温さんに会えるかどうか、ジックリ話し合いが出来るかどうかに一喜一憂し、一喜一憂するなら最初から外交座標軸をお決めになってからモノ申せば良いところ、いや中国ケシカランと軸をお決めになってやったことなのに、今になって相手に会えるかどうかと、一喜一憂し、挙句に中国の所為で会えないのだ言い出す・・・マスコミ論調は、外交に座標軸を持てとのご説教・・・

この説教は正しいのかも知れませんね・・・何故なら彼らの論調は、最初から中国ケシカランで一致、つまりそれを座標軸にしてやれということでしたから、つまり中国とケンカせいと言っている訳ですから、そして政権与党も当初はその線で外交し中国船長まで逮捕していたのですから、それはドンパチ覚悟の撃ちてし止まんの精神を捨てるなということであり、焼け野原再現も覚悟の上・・・枝野様など相手が悪いと言い続けておられるから、国がどうなろうとも知ったこっちゃない・・・後先を考えておられないのですね・・・

メンテ

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Re: 世にも不思議な物語 ( No.424 )
日時: 2011/05/06 11:29
名前: 天橋立の愚痴人間

>ただ私が感じたことでは、彼らは土壇場になると超人的な踏みとどまり方をする・・・

>アメリカ人の商売は、イコール大学の論文そのものなので、最初に結果を出して、それからソースを率直に延々と、結果が正しいことを説明していきます。。。 それがAのペーパーですぅ。。。

お二人にとっては何気ない感想でしょうが、私は一つのものを垣間見ることが出来ました。

アメリカ人、おそらく西欧人もそうでしょうが、彼等は日常ののことは演繹法(積上式思考)よりも帰納法的思考によっていると言うことです。

本当は人間は全てこの考え方によっているものですが、我が国でインテリと言われている階層の人間は、何故か常に演繹法を重要視しています。

演繹法は、その過程の知識、情報に基ついているので、その瑕疵を指摘されるとたちまち議論が萎縮してしまいます。

それに比べて帰納法は最初にその人が経験により出した確信なので、それを否定されても自分の説明が足りないものと受け取ります。

こう言う意味で、上記の2つの文章はつながっています。

このサイトではあまりありませんが、阿修羅(ヤフーでも)議論に及ぶと、知識の突合せを議論と心得る人が多くイライラさせられます。

鳩山元首相や民主党の若手議員が官僚相手に全く通じないのも、自分の政治信条が演繹法の上にどっかりと載っているにからです。

何故、このような風潮が高まったかと言うことを考えねばなりません。

貧乏人にとって小金がありがたいように、戦後の教育の充実で多くの知識を得た国民が知識そのものをありがたく受け取って、本来の自分自身を見失ってしまっているのでしょうか。

この件については、言いたいことが山ほどありますが、今日はこれまでとします。

アングロサクソンについて、些細なことでも教えて欲しく思います。
メンテ
気質、魂、文化・・・(1) ( No.425 )
日時: 2011/05/07 07:27
名前: 満天下有人 ID:I08KD8W6

・・・生活様式の集まりが文化を生み出す、その文化はある民族の気質が創り出す、その文化が広範に行き渡ったのが文明、ざっくりとそんな方程式を作って各位の投稿を拝読しました・・・(それにしても掲示板のアクセスが断続的に中断されることが多く、読みながらの投稿が出来ません、コピーしておくことをつい忘れて・・・)

イントゥさんが言う通り、現在の日本は、回りくどさとアメリカ型の直結した結果が入り混じっている・・・これは今に始まったことでもなく、輸入文化の歴史が強い日本では、最後の段階で文化の背骨を作っている気質とか魂とか、そのような物を理解せず混成した状態ですから、ああでもないこうでもないという場面が多くなってしまうのでしょう・・・

・・・学者先生、識者と言われる人まで、学問、知識の陰に根付いている魂に迫っていないから、ただ表向きの権威だけを利用するのが学問の目的になってしまっている・・・戦後のハーヴァードブランドなどその典型かも知れません・・・反戦主義者さんはそれを「白人コンプレックス」と切り捨てておられる・・・

例えば維新後に福沢諭吉が「ペンは剣よりも強し」と言った、その真意を一般は、暴力でない武器で権力を抑えて世の安寧を図るべしという風に理解してしまった・・・この言葉はルイ13世に仕えた枢機卿リシュルーが発したものですが、当時の時代背景においてリシュルーは王権を盤石なものにするために、ペン一つでサインすれば王権を揺るがす者など、簡単に抹殺出来ると、そんな意図から発した言葉であると伝えられています・・・

・・・昨今のマスコミがその真意に気がついたのか、正しい義を潰すために盛んに応用し始めている(笑)・・・

文化が輸入されこちらの文化に混成されて行く時、輸入文化には彼らが経験したこと、気質によってそれが長い歴史時間の中で確固たるものになって来たのに、その経験も無いものが、おっ、これは“便利”だという風に、上辺だけを輸入し、魂がよって立って来たことへの理解が無いままに、マネてしまったからでしょう・・・

アメリカなど表向きは市場主義と最先端技術の代表のように言われますが、中西部に入れば、移民時代からの独立自尊の精神が強くて、働き者で正直だということがプライドになって、生活様式の中に精神として息づいている、そんなことをよく感ました・・・所謂リバータリズムというやつです・・・文化の中に魂があるということでしょう・・・それは外部の人間が接した場合、何だ、アメリカって偉大な百姓国家だと言う印象を持つ者が多く、深く掘り下げて見ない・・・金融史を見ても、ロスチャイルドとの凄絶な闘いの歴史が読み取れますが、そこには民衆による反発の精神がよく読み取れます・・・ところが反戦さんも触れておられるように、維新後ではコンプレックスの固まりの結晶みたいな維新になってしまった・・・以前にも長々と書きましたが、欧米金融視察に500日もかけた岩倉具視視察団は、船中でも欧州型の中央銀行金融制度にするかアメリカ型の国法銀行を中心で行くべきか、喧々諤々の議論を続けたものの、純粋日本型の金融制度を作ろうとの合意に至らず、アメリカでの接待攻めに舞い上がってしまい(笑)、アメリカ型で行こうということになってしまった・・・

・・・日本では昔の家父長的な趣が失せてしまった・・・便利なものとしての輸入文化、その背景にある魂の蓄積に思いが行かなかったものですから、上辺文化が混入して、家父長的な風習の良き面の魂も失せてしまった・・・

・・・家父長的なものにも、インデイアンやエスキモーのように、独自の文化から蓄積されて来たものと違って、和魂漢才なる輸入的なものを感じるし、西洋文明の取り入れ方にせよ和魂洋才だから、独自に作って来たコアが無ければ、ああでもないこうでもないと、周辺をグルグル回るばかりで、言い換えるとコア探しに時間をかけてばかりいて、合意に達した時は、足して2で割って曖昧な合意ばかり出来上がって、最後の責任の所在が行方不明になってしまう・・・

西洋の時間概念も、どちらかというと直線的に捉える、こちらは侘びとさびの境地で放浪することがむしろ美的とされた・・・天橋立さんがいみじくも帰納と演繹という言葉で指摘されているように、連中は目的を直線的に下へ下げて行く、こちらは回りくどい積み上げ方式である・・・つまり経験的か演繹的かという思考のプロセスが全く違うのですね・・・民主党の連中が事あるごとに、“しっかりと議論して行こう”というコメントにその気質がよく出ている・・・なのに結果については誰も責任を取らない・・・魂無き合意です・・・

メンテ
気質、魂、文化・・・(2) ( No.426 )
日時: 2011/05/07 07:52
名前: 満天下有人 ID:I08KD8W6

・・・よく言われる日本人は情緒的、精神論的、それも画一的、社会構造もそれを変えるという合理的精神より、世の歪みも自分の人生観の中に消化して自己完結させてしまう・・・毛唐は合理主義・・・こちらは強いものに弱い、毅然とした姿勢が取れない、強いものには一目置くというより迎合してしまう、しかし弱いとみると、対アジア政策に見られたように、バカにしながら懐柔策を取る・・・

西洋は強いものには一目を置く、イラク戦でフランスが反対の口火を切り、英国がそれに続きました・・・さすがのアメリカも一目置かざるを得なかった・・・、

こちらは強いものに弱いから、戦争当事者でもないのにインド洋無料ガソリンスタンドを継続した、駐米大使に面と向かって、表だって反対していたのは、小沢一郎一人であった、それに対し国民はブーイングを浴びせる・・・コアが無くて情緒的に群れてしまう・・・典型的なのが、

「敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」(本居宣長)でしょう・・・

・・・大和魂というものが何なのか未だに良く分からないのですが、、他者との関係においては親切とか礼儀正しいとかいう面はあっても、それは西洋人とて持っているものだが、大和のそれは社会契約を軸にした概念というものではないから、総じて国際関係においても世の構造変革という面にまで深い考えとして到達しない・・・逆説的に大胆に言うなら、大和気質=魂がそうさせているとも言える・・・

・・・反戦さんが言われている西洋コンプレックス、珍しくこれに反発したのが対米宣戦布告となったのでしょう、それも画一的な心情=詠嘆調が軸になっていて合理性を基準にしたものでなかった・・・その反省も英霊に申し訳が立たないという精神論で情緒的に自己完結してしまう・・・独自の文化=気質、魂という側面から見ると、これも情緒的な事がコアになって、世界が見る日本文化とは異国情緒なものとしか捉えられない・・・と、ここまで考えて来るとこの国に社会関係までをも動かす独自の文化というものがあったのかなと、疑問が湧いて来るのです・・・

正しい義を軸にしたものが、大和魂の本義であったとしても、魂の別の側面=一般における気質は情緒的、精神論的なものを軸にしているから、英国におけるジョンブル精神とも質がかなり違う・・・

先日の英国ロイヤルウエデイングの模様を見ていて、彼らの文化とはどういうものであったかに思いを巡らすと、彼らの祖先も北部ドイツやデンマークあたりからブリテインに侵入したゲルマン族だから、アングロのサクソン人には侵略を軸にしてその気質が創られている・・・そこから善悪は別にしてプライド高い気質が根本にある・・・それをベースに民衆権利を確保する大憲章も生まれている・・・

・・・天橋立さんが、貧乏人にとって小金がありがたいように、戦後の教育の充実で多くの知識を得た国民が知識そのものをありがたく受け取って、本来の自分自身を見失ってしまっているのでしょうか、と疑問を投げておられるが、元々大和魂の気質なるものが情緒的なものであるとの大胆な仮定に立つと、その上に出来る文化なるもの、それも魂にまで迫れぬ(迫った所で同じものが出来るというものでもない)マネごと文化であれば、そもそもからして純粋独自の精神文化なるものがこの国に存在していたのであろうかという、大きな命題にぶつかってしまいます・・・

・・・ややこしい話を長々と書きました・・・少し肩を和らげるために小金というアメリカ学生のジョークを・・・小金を英語でチエンジと言う、つり銭もチエンジと言います・・・「オバマはチエンジ(改革)というが、我々はチエンジ(小金)が欲しいだけなのだ」・・・(笑)・・・。



メンテ
Re: 世にも不思議な物語 ( No.427 )
日時: 2011/05/07 10:05
名前: イントゥイッション ID:MAwvq6JQ

>・・・ややこしい話を長々と書きました・・・少し肩を和らげるために小金というアメリカ学生のジョークを・・・小金を英語でチエンジと言う、つり銭もチエンジと言います・・・「オバマはチエンジ(改革)というが、我々はチエンジ(小金)が欲しいだけなのだ」・・・(笑)・・・。


なかな難しい哲学で、オッチャンのを、繰り返し、読んでいますぅ。。。

なんとなくイマニュエル カントの哲学につながるような今日は中部電力の静岡原発についての政府とのやりとりについて、また、おっちゃんの文章にもつながるようなカントの思考回路の説明をマイケル サンデル氏の文章を引用させていただきますぅ。。。

カントは最大幸福の問題点を語っています。
カントは功利主義を認めていない。一時的な欲望から道徳原理を導き出そうとするのは、道徳の考え方として誤っている。多くの人に喜びを与えるものが正しいとは限らない。どんなに多くの人がどんなに熱心に支持しようと、過半数の賛同を得ようと、その法律が正しいとは限らない!

カントはある時点での利害、必要性、欲望、選好といった経験的理由を道徳の規準にすべきではないと言う。 こうした要因は変わりやすく、偶然に左右されるため、普遍的な道徳原理(普遍的人権など)基準にはとうていなりえない。 選好や欲望(たとえ幸せになりたいというものでも)道徳原理の規準にすると道徳の本質を見誤るという根本的な問題もある。

道徳の最高原理とは何か? もし義務から行動することが道徳なら、義務の要件を明確にする必要がある。 ここで、マイケル サンデル氏は説明し、カントの答えを理解するには、道徳、自由、理性という三つの重要な概念の関係性を彼がどのようにとらえているかを知る必要がある。 カントはこれらの概念を一連の対比、すなわち二元論を用いて説明している。

対比その1 (道徳) 義務 対 傾向性
対比その2 (自由) 自立 対 他律
対比その3 (理性) 定言命法 対 仮言命法

 ★原発問題、あやふやにしてほしくないです〜。。。

 



メンテ
Re: 世にも不思議な物語 ( No.428 )
日時: 2011/05/07 14:31
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ee4Epwac

>アメリカなど表向きは市場主義と最先端技術の代表のように言われますが、中西部に入れば、移民時代からの独立自尊の精神が強くて、働き者で正直だということがプライドになって、生活様式の中に精神として息づいている。

アメリカを語るとき、上記のことを見落とさない様にします。
そう言えば、映画の世界でも田舎町で、これを感じさせる(保守的と)風景が出てくるようです。


大和魂ですが、満天下さんが紹介されたものの他に下記のようなものがあります(ウィキペディア)。

「敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花(本居宣長)」

「剣道は 神の教への道なれば 大和心をみがくこの技(高野佐三郎)」

高野佐三郎氏のは、そんなに大きくは取り上げてなかったのでしょうが、上記2つは「大和魂」をただ礼賛しているように思えます。

「しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける(明治天皇)」

明治天皇の歌は、為政者らしく、自身が期待する心情として表現しています。
これに対して吉田松陰の「大和魂」は、少し違った意味です。

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂(吉田松陰)」
「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂(吉田松陰)」

革命家としての使命と大和魂を重ねています。
この大和魂は、その昔、紫式部が「大和魂を持って為政者となるように青年貴族に語った」意味での言葉使いに近いものであると思います。

ここで上記の和歌でも「大和心」と「大和魂」が使い分けられています。

大和心は所謂、日本民族の根底に流れる「和」の心「従順」な心を総体的に現すと思います。
それに対して「大和魂」と言う言葉を当てはめるときには、何かの行動に対しての能動的意思を示す場合に使われます。

また「大和魂」に触れるとき(本居宣長、明治天皇も実際は大和魂を使うつもりであったと想像します)、国家が前提にあります。

本居宣長、明治天皇の国家とは、天皇家を主体とする既成の国家権力のことを言い、吉田松陰は別の国家像を描いていたと見ます。

それが今のような民主国家の姿であるとは言いませんが、一武士(国民)から考える「国のかたち」であったと言う意味で、市民革命に通じるものを感じ「大和魂」のありようの変化を認めます。

私は「大和魂」と言うものを、さらに進めて、国家と言う対象からはずした日本人の気概と言う風にしたいと思っています。
結果として、それが政治に向えば政治を糾す力となるでしょう。

私は良く判ってはいませんが、フランスに「ノブレス・オブ・リージュ」と言う言葉があるようです。

貴族社会であった時代の貴族の社会のリーダーとしての有り様を示していると言われています。

「大和魂」とは、あらゆる面において我が国のリーダーを自認する(政治的なものでも、職業的なものに関わらす、4〜5人のグループのリーダーでも)人たちが認識すべき心意気と規定したいと思います。

「大和心」と「大和魂」の関係は、根底に和のの心を共有していても発揮の仕方に違いがあると思っています。

しかしながら、その概念は、現在も模索中です。



浜岡原発の休止を発表しましたが、相変わらず、福島原発事故の総括も、原子力行政の総括もしないままですね。

先の戦争の総括も出来ないのだから、そんなものをするつもりもないのでしょう。
国民も求めないのでしょう。

阿修羅の記事で、浜岡原発の休止は、これ以上放射能が降ってきては困るアメリカが要求したのだと言っている人がいます。

まあ、そんなことの方が真実なのではないでしょうか。

メンテ
Re: 世にも不思議な物語 ( No.429 )
日時: 2011/05/07 15:25
名前: 反戦主義者

いや〜、全く。事ほど左様に“アメリカならでは夜の明けぬ国”ですなぁ、日本は。

何をするにも“アメリカ”“アメリカ”、終いには“屁”をコクにもアメリカの顔色を覗いながら、こっそりと“スカ屁”をコイて、周りから「臭い」「臭い」と顰蹙を買わねば成らなくなるでしょうなぁ。

例によって、愚痴人間さんの“大和魂”と“大和心”のお話ですが、正直申し上げて私はこの何れもがよく判らんのです。まぁ、しいて言えば“大和心”の方により親近感を抱けるかなぁ、と申し上げます。
その理由は、戦時中に余りにも事ある毎に“大和魂”“大和魂”と吹き込まれ過ぎた所為だと思います。この言葉が軍国主義の象徴と言う刷り込みが、私の頭の中に残っていて、この言葉が異様な薄気味悪い言葉として、私の心情の中にインプットされてしまっているのです。
曰く、「この言葉に踊らされて何十万人の命が無駄に戦場に散って行ったか!」です。あの時代に矢鱈国民を煽り立てたのは、自らは安全地帯に身を置く事が出来る、在郷軍人と役人と政府の高官達だけです。勿論市民の中にも軍国をはやし立てる軽薄な奴も居るには居ましたが・・・、

それに引き換え“大和心”の方が“唐様”若しくは“漢様”から脱して、日本即ち大和と言う“国振り”を求めて行く「個性」のような物を感じるからです。とは言え、“大和心”とは此れだ!と言う指摘は、私には未だ出来かねます。
日本人として、自分自身の精神的バックボーンを、改めて問われると存外説明できない物ですなぁ。
メンテ
大和心と大和魂・・・ ( No.430 )
日時: 2011/05/07 17:45
名前: 満天下有人 ID:I08KD8W6

・・・<「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂(吉田松陰)」

革命家としての使命と大和魂を重ねています。・・・大和心は所謂、日本民族の根底に流れる「和」の心「従順」な心を総体的に現すと思います。それに対して「大和魂」と言う言葉を当てはめるときには、何かの行動に対しての能動的意思を示す場合に使われます。・・・また「大和魂」に触れるとき、国家が前提にあり・・・既成の国家権力のことを言い、吉田松陰は別の国家像を描いていたと見ます。・・・「国のかたち」であったと言う意味で、市民革命に通じるものを感じ「大和魂」のありようの変化を認めます。>・・・

・・・確かに、背景に国家があり、その体制を変えねばという“やむにやまれぬ”魂が行動を起こせと暗示した点においては、革命的だったと言えます、ただそれが一気に市民革命的なものであったかどうかについては、少し疑問を感じております・・・

例えば目下の政権に対する不満、この政権どこかおかしくないか、誰か倒してくれるものは居ないか、それに官僚が国を歪めている、そこまで含めての本源的な行動なら、一国構造を根底から潰せという市民革命的な運動となりましょう・・・だが政権を倒せというだけなら単なる倒閣運動に過ぎないものになってしまう・・・、終わってしまってさて、元の木阿弥になりはせぬか・・・

・・・松陰のそれも、どうも討幕という一点が動因ではなかったか・・・と申しますのも、「幽囚録」の一節に松陰の国家観が示されているからです・・・

「朝鮮と満州は相連なりて神州の西北にあり。また皆海を隔てて近きものなり。しこうして朝鮮の如きは、古時代に我に臣属せしも、今はすなわち寝や驕る、最もその風致をつまびやかに之を復さざるべからざるなり。朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋の諸島を収め漸に進取の勢いを示すベし。」・・・

・・・これはもう後の征韓論、大東亜戦争の下地そのもので、相手国の市民を征服支配しようとしている以外の何物でもありません・・・維新はむしろ、西洋コンプレックスのはけ口を東、東南アジア征服に求めたということになります・・・欧米における市民革命も、一部では貴族階級の温存を認めた部分があるにせよ、基本にあった市民による革命と言う一点で比較すると、大和魂なるものの本質はそれと違うと言う印象がぬぐえません・・・

・・・目下の軟弱な連中に気合を入れる、心意気としての軸にする点では、分からぬでもありませんが、しかしそれを広範に広めようとすると、下手すると大きな誤解を招いてしまうような結果が懸念されます・・・

・・・20世紀初頭の英国の著名な思想家で精神医学者のR・D・レノン氏が、人間というもの、外に対する自分と内なる自分の二面性を抱き続けると、精神分裂を起こすと言ってます・・・和魂洋才なるものが、誰が考えたか外と内を上手に共存させたかの如く見えても、国家サイズとなってくると破綻が生じる、国家サイズの精神分裂が起こる・・・菅直人に贈りたい言葉です、そして今日の我が国全体に対しても・・・

・・・たまたまイントゥさんが、カント哲学をベースにしたマイケル・サンデル教授をテーマにされました・・・道徳、自由、理性・・・この三要素を組み合わせて自問自答しながら自己の確立を図る・・・これは大きなテーマで、難解なカントの理性批判を復習しないととてもじゃないが追いつけない・・・しかしこのような思考手法は我が国では生まれなかった・・・マネゴト文化の悲しい所で、我が国には宇宙をも把握する壮大な哲学者は出ませんね・・・

・・・自然の中で生きている市民の存在根拠は何なのか・・・こんなことから始めていたのでは、クソ民主党を倒すにも時間が無くなってしまいます(笑)・・・。



メンテ
Re: 世にも不思議な物語 ( No.431 )
日時: 2011/05/07 19:58
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ee4Epwac

吉田松陰を市民革命家とするには色々と妥協しなければなりません。

それでも国体と言うものを一から考えた人間として我が国では松蔭が初めてではないでしょうか。
最も鎌倉時代以前の動乱期は別のようですが。

反戦主義者さんも言われているように「大和魂」なる言葉は非常に評判が悪いですね。
このこと事態が我が国が民族のバックボーンを失っている証拠と思います。

民族のバックボーンと言っても、全てに於いてグローバル化が進んだ現在、そんなものを意識する必要がないではないか、と言われるかも知れません。

そのことはさて置き、
西欧個人主義と言う言葉を良く聞きます。
これも実態は解かりませんが、倫理、道徳規範以前の西欧人の精神的基盤であると見ています。

多くの学者が、西欧個人主義の成り立ちに於いてキリスト教を基にした功利主義の変形などと言っているようです。
無理をして、当てはめれば対意語に相互依存主義となるのでしょうか。

哲学を含めて、倫理、道徳と言った精神の規範は、科学の発達と情報を含んだ物質氾濫の中で随分と人間に対する影響力を失ってしまいました。

西欧個人主義の概念は、それが功利主義と関連して成り立っているだけに、今でも人間の行動の規範となりえているのではないでしょうか。

明治以降、その西欧個人主義を意識した、西田幾太郎や和辻哲郎は、それぞれの立場で日本的なものに昇華しようとしたようです。

西田は仏教的な無の概念で和辻は風土性の中にですが、結局は日本的なものに摺り替えることには成功しなかったようです。

他方、相互依存主義的なものが人々の行動、精神の規範となるかと言えば、これは難しいことだと思います。

それで包括できない人間が必ず出て来るからです。
それが人間の本性であり、これを抑制しすぎると人間精神に別途の忌憚を生じます。

西欧個人主義が一神教であるキリスト教との契約に基ついている(単なる功利主義でない)事と同じく多神教である我々の世界に、このような規範が成立できないものかと模索しているのが「大和魂」と言うことになります。

一神教で出来るなら多神教でもありえると言うような単純なものではないと思いますが、人間は科学の発達、情報と物資の氾濫時代にあった何かの精神的よりどころを求めなければならないのではないでしょうか。

下手をすればカルトになりそうな範疇なので、そのい内容を気概とか、心意気と言う概念でまとめたいと思っています。

西欧個人主義でもそうですが、難しい内容がある訳ではなく、そのことを人々が共認する様なことを語りかけたいのです。

確かに「和」を中心とした大和心が行き渡れば80%は問題がないのですが、そのこと事態が人間社会では難しいのと、それだけでは悪い奴等がはびこりますので、やはり「大和魂」まで行かねばなりません。

とまあ、こんな、無茶苦茶をやっていますが、
司馬遼太郎が日本の文化を接木文化と称したり、西田、和辻が日本的精神を探したように、我が国では、この分野をすっかりと過去の歴史において来たままとなっているようです。

置いて来たといいますのは、400年前に朱子学の影響を受け、100年前に西欧個人主義の真似事をはじめすっかり、日本人の原点を見失ったということです。

いや、何、それで現代がよければ、それでよいのですが。
どうも、そうは言ってはいられないようですね。
特に世界的に無気力民族と烙印を押されそうな現在では。

しかしながら我が国には、まだまだ勤勉さ、誠実さ、助け合いの心が世界に誇れるくらい残っています。

それを原資に国のかたちを考えたいものです。

メンテ
大和心と大和魂・・・(2) ( No.432 )
日時: 2011/05/08 00:55
名前: 満天下有人 ID:IdNoaKcI

・・・同じ世代の、ひょっとして同じ年の生まれかも知れない反戦さんや私にとっては、大和魂なるのものにはぞっとする現実のトラウマがありまして、これは拭い去ることが出来ません・・・

大和魂なるものが間違って大東亜戦争に利用されたとしても、古くは紫式部が詠った魂の心があったにせよ、現実では利用された者のトラウマの方がより強く、悪く、心の一角に沁みついております・・・意気高揚させるモチーフとして使われても、誰も古代における心には思いが戻らず、やはり強烈な傷を残した大東亜戦争時のそれが真っ先に出てきます・・・

・・・私が良く使う、日本人の気質には出口が無くなると止むを得ず「自己完結」してしまう所があると言うのは、例えば大和魂を吹き込まれ体当たりして散った特攻隊員など、心から止むに止まれぬ鬼畜米英の精神からと言うより、どこかおかしいなあと感じつつも、それは絶対に外に出さない、その出せない気持ちも同じく止むにやまれぬ心情でしたでしょう・・・

・・・それを黙って(いや晩年沢山の親に出した最後の手紙には真情が滲み出ていますが)実行に移せたのは自分の心の中で運命として昇華させてしまった、つまり自己完結で纏めてしまった・・・それは大和の魂というより、やさしい大和の「心」がそのように結論付けてくれた・・・その側面が勝ったからと言う風に理解しております・・・

・・・もし大和の「心」と大和の「魂」が、同列なものとすると、魂も穏やかなものである筈で、魂の方は檄を飛ばすというような手段とするなら、矛盾して来ます・・・現代において現実の大和魂がいかな使われ方をしたのか、皮膚感覚的に理解出来ない時代に入っている時、大和魂で行くべしと言っても、説明がつかなくなります・・・何故大和人としての倫理観、道徳観を表す大和心で現状を糾弾出来ないか、いやそれでは弱い、やはり大和魂だとなると、東条英機や河本大作まで出て来て、また侵略戦争かとなり混乱すると思います・・・

・・・あれは侵略戦争だったのかというテーマでもありませんのでここでストップしますが、天橋立さんが<西田幾太郎や和辻哲郎がそれぞれの立場で、日本的なものを昇華しようとしたが、日本的なものに摺り替えようとしたが成功しなかった>と言われているそこに、あなたの意図があるようです・・・(加えて無気力化した日本人のケツを蹴飛ばしたい気持ち)・・・

ならば「大和心」が軸になって来ます・・・となると大和心なるものはむしろ、国家概念から離れた村落共同体的意識であり、それはイントゥさんが持ち出されていたマイケルサンデルの「共同体主義」と共通項を持ちます・・・サンデルの場合はそれをグローバル化しようとする点で実現はかなり困難なものとなる・・・サンデルを批判する者には、共同体と言っても、諸国がそれぞれに文化歴史を持っているから、各共同体に軋みが生じる、ドイツなどで批判が多いようです・・・ただその障害を取り除く手段としてサンデルは、世界共通の問題、例えば戦争とか原子力の問題を持ち出して異国間での市民による討論を通じて、共通項の認識から世界共同体の実現を意識しているようですが、村落共同体的発想でも同じように言える「政治」という概念が抜けているようです・・・

・・・いや、そんなロクでもなかった政治など、国家単位でも不要であるとして、それで共同体がうまく動けば良いのですが・・・そうも行きますまい・・・

我が国での共同体的社会の仕組みの理想は、どこら辺に可能性があるのか、歴史文化宗教的意識が全然違い、そこから形成されて来た所謂西洋型個人主義などと言うものを、今からこさえてそれを土台にするなどは、不可能なことですし、その必要も無いとすると、穏やかな田園型村落共同体にして、反戦さんが言われていた道州制の中で、経済も循環するような仕組みが一番、実現可能かな?・・・官僚どもが抑えにかかってきたら、それこそ大和心でガンジー的抵抗をすれば成功率はかなり高くなると思えます・・・という意識も民衆にも無いなら、まさしくクタバレ日本だ・・・。

メンテ
やっと停止できるか、浜岡原発・・・ ( No.433 )
日時: 2011/05/08 07:43
名前: 満天下有人 ID:IdNoaKcI

・・・菅首相の命令でなく、要望によって次に危険だとされて来た静岡御前崎原発がやっと停止されるようだ・・・ようだと言うのは、中部電力役員会が、原発停止による経営損失、そこから出る株主代表訴訟、夏場の電力不足について、どうするか検討の上、首相の要望を受け入れるかどうかを決めると態度を保留しているからだ・・・

・・・福島原発が事故を起こしたのは、大津波よりも地震による可能性が高いという科学的証拠も出始めているようだが、ならば防波堤を増強すれば安全だと言う原子力そのものが持つ人間への決定的ダメージは除外しての中部電力社長の主張も、根拠が薄くなる・・・それ以前に、天災が無くても機械的トラブルが多発して来た原発のメカ的脆弱性については、どうなのだ・・・修理さえも命がけだというのに・・・

予想通り一般からも、自動車産業が集積している中部地方における経済の落ち込みが嫌だという意見が続出している・・・命の次に大事なオカネ、やはり命よりオカネという本能が人間には強いのであろうか・・・

原子力発電が14%しか占めていない中部電力なら、他の方法でカバーできる筈ではないのか、起こった事故の賠償財源には国民負担を求めるくせに、他の燃料使用では採算が悪いとする基本的な考えが、そもそも異常だとは思わないのだ・・・

・・・イントゥさん紹介のカントの哲学をベースにした、ハーヴァード大白熱講義のマイケル・サンデル教授のTV討論、録画をいつも忘れてしまい、内容は詳細に知らないが、原発についても東京、上海、ボストンをTVで結んで原発是か非かの討論が行われていたようだ・・・

@安全性を確保して原発を継続すべきか、Aそれともこんなヤバイものは止めてしまへと言うか、そんなことがテーマの白熱討論があった様子・・・アメリカボストンは全員が@、上海はAも居たが@が多い、東京はAが多かった・・・

アメリカの意見で多かったのは、飛行機にせよ何にせよ、事故は起こる、だからと言って飛行機は廃止しようと言うことにはならない・・・サンデル教授の思想背景にはイマニエル・カントの哲学があるので、カントならその思想からこの問題をどう捉えたであろうか・・・勿論カントの時代には原子力は無いから直接の答えとなるものは無い・・・

思想の流れからカントは、壮大な宇宙の運行の中で生きている人間には「理性の自立」が求められる、そこに道徳律が生まれて来る・・・しかもその道徳律はより多くの生存している人間が共有できるものでなければならない・・・

イントゥさんがサンデル教授が示したカントの二元論的思考方法の対比(3)、定言命法対仮言命法とは、共有できる道徳律か否かというテーゼに沿ったものです・・・一部の人だけに納得できる道徳を「仮言命法」とし、全ての人に当てはまる道徳律を「定言命法」とカントは規定した・・・

・・・さてこの命題に原発問題を当てはめて見ると、原発がもたらす利益は、全体の利益に当てはまるかという命題を投げかけて来ます・・・表裏一体となっているリスクは、生命にとって共有できるか、そんな命題になるのではなかろうかと、独断と偏見で私はさように命題を捉えました・・・

もっと具体的に言うなれば、福島がリスクを背負って、被害がより希薄化される東京がより大きな利益を得ているということは、それで良いのかという道徳律の命題にぶつかります・・・そして起こった原発損害の負担は、全体で負担すればそれで済む問題か、という命題にもぶつかります・・・

カントの哲学の中に、それに対する回答はないものかと探して見たら、適格かどうか自信はありませんけど、究極の道徳律は人間が巨大な宇宙の運行に遭遇した時に生じるという思想に行き当たりました・・・

・・・大きな山や宇宙のような巨大な無限、大海での大嵐などに遭遇した時、小さな人間はそれに圧倒されてしまい、むしろ崇高の念にひれふしてしまうであろう・・・その時自然に生じたものが、崇高な道徳律だ・・・

ここから考えをどんどん下に下げて行った時に、自然の運行によって破損し、人間がこさえたもので人類が滅びかねないものを、電力不足をどうしてくれるのか、経済が落ち込むから続けろという概念は、カントが言う「仮言命法」であってより多くの人に当てはまる「定言命法」となり得るのか・・・別にカントに言われずとも、誰しもが自然に抱く疑問、それをカントは定言命法なる難しい言葉で言ってただけです・・・

・・・それにしても最も危険なことに対する差し止めの権限も首相には無いのですね、これには少し驚いた・・・国家安全保障会議でさえその機能が無いとは、怖れ入ったとしか他に言う言葉も無い・・・それもそうかな、最も基本に考えるべき住民が停めてくれと言っても、法でさえ認めないのだから、定言命法もヘッタクレもあったものじゃない・・・

・・・最後に、菅直人の運転差し止め「請求」が、自分の延命策から出たものでないことを願いたい・・・いっそ、脱原発を掲げれば延命できるのに、それをやらないようことは、小出しにして命を繋ぐ作戦か・・・

それにしても浜岡原発は二重三重に安全装置が施されているとした静岡地裁の判決は、どういうことになるのか・・・不思議なことが多い国であることよ・・・。




メンテ

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