Re: 黒猫のプーさんのスレッド<格差社会を統計的に考察 ( No.22 ) |
- 日時: 2011/09/23 22:05
- 名前: グッキー
- 天橋立の愚痴人間さん
>生産力が増えれば増えるほど失業者が出ることに対する処方箋を求めているのです。 ーーーーーーー
簡単です。人間が一人としたら、モノの生産が増えたら労働時間を短くするだけではないですか。 人類はそうやって段々労働時間を短縮させて来ました。 ーーーーーーー
>さらに言いますと、生産力といえば、概ね工業製品のことを言います。 ーーーーーーー
生産力とはソフト、サービスなど、すべてのモノを含めてのことです 私がモノという表現を使っているのは、単純な「物」ではなく、すべてのソフト、サービスなどの「モノ」をを含めていると言いたいので使っているのです。 ーーーーーー
>さらに言いますと、グッキーさんは「余暇」を礼賛されていますが、過剰な余暇の時間こそ、将来人間性を破戒する元になると思っていますので、週休2日以上の余暇は好ましくないと思います。 ワークシェアリングの同様の理由でよい解決ではないでしょう。 ーーーーーーーー
天橋立の愚痴人間さんは、何か仕事をしなければいけないという強迫観念に取り付かれているのではないですか。 人間がものを考えるのは楽をしたいため。そうやって進歩してきたのではないですか。 鉄道を造ったのも、歩くよりは楽をしたいためでしょう。 楽をしたいために鉄道を造ったのに、鉄道にのっては駄目だ、歩く方が良いと言われても困ります。
人間は楽をする方法、合理的な方法を考え選択する生き物です。 これは生物の本能です。生物はそういう方法を選択することで進化してきたのです。
非合理t的な仕事、穴を掘って埋めるような仕事を人間にさせれば、人間の退廃、モラルの低下を招きます。 何故なら人間は役に立つ仕事、有用な仕事をしたいと欲求するものだからです。
追記 生物はまず楽をして餌を取る方法を考えました。 楽をして餌が取れる生物が生き残り、餌を取るのに苦しむ生物は絶滅しました。 こうやって楽をして生存する方法を考えるのが本能になったのではないでしょうか。
それを楽をしてはいけないと本能を否定するようなことを言われても困ります。 それは苦労するほうが楽をする方法をより考えるようになるということだと思いますが、究極的な目的、楽をすることを否定されては困ります。
|
Re: 黒猫のプーさんのスレッド<格差社会を統計的に考察 ( No.23 ) |
- 日時: 2011/09/24 00:31
- 名前: 天橋立の愚痴人間
- >こうやって楽をして生存する方法を考えるのが本能になったのではないでしょうか。
グッキーさん、経済の事は多方面から考えておられるのに、社会学的な観点からは、簡単に切り捨てられています。
人間性というものは、もう少し厄介な代物と思います。
私が共産主義を否定していますのは、仮に、ソビエトが共産主義を理想的に発展させたとしても、それは人類の不幸への入り口と見ているのです。
|
余暇について ( No.25 ) |
- 日時: 2011/09/24 13:23
- 名前: 天橋立の愚痴人間
- マーフィー さん、御訪問ありがとうございます。
貴方が言われている人間性の5つの側面に異を唱えるものではありません。
その中でも、私が言おうとしているのは 2番の知性、理性の分野です。
>理性や良心を失った人間が多くなると、本能やエゴむき出しで、不正や腐敗の充満した殺伐とした社会になってしまうということではないかなと思いますが如何でしょうか? それが人間性の喪失ということではないでしょうか?
上記のように結論付けられていることも同意します。 ただ、私は、貴方が仰っている以上の人間性の破戒を想定しています。
要するに、貴方が想定されているのは、野獣との比較です。 野獣は弱肉強食で自分が生きるためには他の弱い動物を殺します(この点は実際は人間もやっているのですが)、また情という観念がありません。
一部に例外は観測されているようですが、動物には親子関係、仲間関係が非常に希薄です。 ところが知性に満ちた人間は、その動物以上に残忍で、冷酷にもなれるのです。 身近なことでは、少しの金品を奪うための殺人、リンチ、銃の無差別乱射、ナチスによるユダヤ人の虐殺などのジェノサイトなど、動物の世界ではありえない悪逆非道をやってきました。
また、古代の貴族は、自身の暇を慰めるために、奴隷同士の殺し合いをさせるなど、動物にも侮蔑されるような存在です。 この様な暴力の面以外でも、限りない人間個人の欲望は、何をしでかすかわかりません。
仮に余暇の時間が増大して将来社会を想像してみましょう。 週に3日働き、4日が休める様になれば、その4日を人間はどのようにすごすでしょう。 現在は週休2日が多く、趣味のゴルフや魚釣り、散策で時間を費やしていますが、毎週、4日も持て余す時間があれば、人々は本当に存在感を持った余暇を楽しむことが出来るでしょうか。
余暇の楽しみとは、忙しい勤労に対して楽しいものなのです。 余暇に埋没していると、楽しいはずが楽しくなく、より強い刺激を求めて活動するようになります。 その対象が、麻薬であり、窃盗であり、異性間の犯罪であり、さらには楽しむための殺人にいたると思います。
全ての人がそうでなくて、2割くらいの人間が、そのようになれば、とても社会の安穏は望めません。 毎日、生きるために働くということは、確かにつらい思いをすることでもあり、余暇の時間を願望するものですが、人生の大半を働くということにより、人間は人間自身をコントロールできていると思うのです。
働くということの中に、生きる目的意識が確立でき、余暇は余暇としてみることが出来るのです。
人類にとって貧困の次に訪れる危機は「余暇の増大」の問題であると、歴史家、アーノルド・トインビーが50年前に警鐘を発しています。
それから半世紀、生産力の発達により、2/3の人は裕福で余暇の時間が多い生活を送っています。 また仕事に就けないために、無理やりに余暇の時間を持て余す、1/3の貧者がいます。 現在は、まだ、それが暴走している状態ではないと思いますが、これ以上進めば何が起きてくるか解かりません。
秋葉原の無差別殺人などは、社会と切り離された孤独な人間が自暴自棄となり自分を発散させた結果と思っています。 身近なことで、羽目をはずして不良行為に走る若者の話は以前からあったと思います。
適当な余暇の時間は、人間が待ち望んでいた生活形態ですが、実は「余暇」とは、非常に危険な要素も合わせもっているのです。
結論は、人間は週に5日、1日に6〜7時間、働ける状態が一番幸せなのです。 そういう社会を維持できるように国家として考えなければならないと考えています。
最後に、この「余暇」の問題を議論しようと思い「余暇文明」と言うスレッドも立ち上げていますが、内容は殆ど書き込むことが出来ていません。 「余暇文明」と言いましたのは、好む、好まざるに関係なく増大するであろう余暇の時間を正視し、それをどのように位置づけるかは、文明史的、価値観の転換となると思ったからです。
忘れていました、
「人間性の破戒とは、人間の頭脳が生活を離れて暴走すること」
と定義しましょうか。
 |
Re: 黒猫のプーさんのスレッド<格差社会を統計的に考察 ( No.26 ) |
- 日時: 2011/09/24 13:38
- 名前: 天橋立の愚痴人間
- マーフィー さん追伸です。
貴方が言われている最後の方の理想社会ですが、以前SF映画にありました。
全国民の食糧をはじめ生活必需品は、国家(ロボット)が供給してくれて、人間は一部のものが国家施設の管理や統治機構のメンバーに入って仕事をしているだけの社会です。
うっそうたる樹木に囲まれて憩う人も、なにかのゲームで時間をすごす人も、生気のない表情で、一寸した変化を求めて生活しています。
競争もなく、他人を気つかうこともなく、政治を語る必要もなく、ただルールに従い黙々と生活(死を待っている)をしている状態でした。
ついでに言いますと、その映画のストーリーは、何かの理由で人口の調整を必要とした為政者が一部の国民(もちろん地球国家)を旨く騙し、地球から放逐することを企み、それが発覚して大騒ぎを起こすというものでした。
貴方が描かれている世界は、天国ではなく、退屈地獄の様相を見せていました。
|
Re: 黒猫のプーさんのスレッド<格差社会を統計的に考察 ( No.27 ) |
- 日時: 2011/09/24 21:29
- 名前: グッキー ID:dm1/1IvU
- 天橋立の愚痴人間さん
やはり人間性悪説なのですね。 人間、余暇が出来ると悪事に走ると。
善悪を生物学的に考えて見ましょう。 何で善悪という概念が出来、人間は善を好むのかと。
生物の基本本能は生存本能です。 生物は生存することを欲するから太古の昔から連綿と現在まで行き続けてきたのです もし自殺本能というものが有ったら、その種は現在、存在しないでしょう。 いわば生物は「生存する」という方向に、方向づけされているのです。
人間とは社会的動物です。 社会が無くなれば生存条件がかなり厳しく成ります。 つまり社会に良いこと=善=生存本能と一致している 社会に悪いこと=悪=生存本能にあっていない 生命(すべての)に悪いこと=悪=生命環境に良くないとも考えられます。
人間は生存本能を知恵により発展させ、生存本能にあうものを善、合わないものを悪という概念を作り出したのではないでしょうか。 特に社会が良くなる生存本能の行いを全と言い、社会が悪くなる生存本能に反する行為を悪という概念にしたのではないでしょうか。
人間がなんで善を好むのか。理由があるはずです。 それは生存本能に合っているからではないでしょうか。 「生存する」という方向に方向付けされた人間は、「生存する」という方向を好むのが当然でしょう。
という訳で私は性善説です。 人間の社会の底流には善を好むという性向があるのではないでしょうか。 もちろん個人差が有りますから色々な人がいる。しかし底流にある性向は変わらないと思います。 ーーーーーーー
>競争もなく、他人を気つかうこともなく、政治を語る必要もなく、ただルールに従い黙々と生活(死を待っている)をしている状態でした。 ーーーーー
これは映画を作るためにした設定でしょう。 作者がいるのならよほど趣味の無い人間か、書くことのが無いので作った駄作です。
もし仕事をする必要が無くなり、ボランティアもする必要が無くなったとしても、することはいくらでも有ります。 スポーツ、ゲーム、研究、旅行、いくらでもすることは有ります。 囲碁一つ取っても人間が一生掛かっても極めることは出来ません。過去から現在まで何十万人、何百万人もの人間が出来るだけ極めようとしましたが、極めることは出来ません。 宇宙の謎など無限と言って良いくらい有ります。 もし人間が宇宙の謎をみんな解き明かしたら、人間が神に成ったと言って良いくらいです。 することはいくらでも有ります。 人間の一生ではとても出来ないくらいです。
 |
Re: 黒猫のプーさんのスレッド<格差社会を統計的に考察 ( No.28 ) |
- 日時: 2011/09/24 23:00
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:/1ZCE8YU
- グッキー さん、
他の認識も同じですが、 性善説、性悪説と言っても、そういうものが2つある訳ではありません。
同じ人間社会で、人間で、性善説に拠ってみる場合と、性悪説の見地から見る場合とがあるというだけで、実際の人間は、その両方の要因を備えているのです。
そこで、性悪説が出ないと決めてかかるのは間違いです。 ですので、倫理、道徳の範疇以外は、性善説、性悪説を区別して論を進めるのは如何なものでしょう。
グッキーさんとの経済論の中で、私が言っている雇用の確保の必要性という面で相容れないところがあります。
その根拠は、ここまで遡らねばはっきりとしなかったのは、私自身、驚きです。
私が、ベーシックインカム、ワークシェアリング、共産主義体制を否定する根源が、マーフィー 桟との会話の中で、きしくも披露できたようです。
|
Re: 黒猫のプーさんのスレッド<格差社会を統計的に考察 ( No.29 ) |
- 日時: 2011/09/25 01:15
- 名前: グッキー ID:FshHLwn.
- 天橋立の愚痴人間さん
性善説、性悪説というのは人類の持つ基調の問題であり確率の問題なのです。
個々の人間には善悪、色々なもながありますが、個々の人間を問題にしているのでは有りません。
つまり人間は放って置いたら良いことをする人間が多いのか、悪い事をする人間が多いのかという、人類の持つ基調と、それを証明する確率の問題なのです。
余暇が多くなったら悪事を働く人間が多くなる。 人間の持つ基調であり確率ですね。人間は悪い基調を持っている。だから余暇が増えると悪事を働く確率が増える。 これが性悪説そのものなのですよ。
人間は善の基調を持っている。 だから余暇が増えても悪事を働く人間が増えるようなことは無い。 これが性善説そのものなのです。(余暇という条件で善の増減が有るとは考えずらい)
では具体的な例で見ましょう。 富裕層、年金生活者は余暇が多いと思います。 富裕層、年金生活者に犯罪者が多いというデータがあるのでしょうか??? 私はまったくそのような例を知りません
|
Re: 黒猫のプーさんのスレッド<格差社会を統計的に考察 ( No.30 ) |
- 日時: 2011/09/25 01:58
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:jxXu0gPk
- アッハッハ
グッキー さん、満天下さんとやり合っておられましたね。 貴方と私も異なる点がありますし、 私と満天下さんとも異なる点は当然あります。
特にマルクスの解釈については違いがあります。 旧掲示板の時代ですが、マルクス論を結構したことがあります。
貴方とはヘリマネ容認と言う意味では同じですが手法が、仕事とベーシックインカムと言う様に違っていて、突き詰めると正反対の方向へ行ってしまいます。
どちらにしても未知の経済のシステムに挑戦し、新しい国のかたちを模索しているのです。 現在は概論中の概論ですが、これはもう少し煮詰めてプロトタイプまで持って行きたいですね。
|
Re: 黒猫のプーさんのスレッド<格差社会を統計的に考察 ( No.31 ) |
- 日時: 2011/09/25 04:16
- 名前: グッキー ID:FshHLwn.
- 私はBIなど、賃金が安いことを前提としたいじましい政策など考えていません。
消費管理政策とは1階限りの劇薬です。 継続的に服用するものでは有りません。 後は改善した経済構造をどうやって維持して行くか、その時になってみないと分かりません。
|
Re: 黒猫のプーさんのスレッド<格差社会を統計的に考察 ( No.32 ) |
- 日時: 2011/09/25 12:27
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:jxXu0gPk
- グッキー さん、
私は現状が最悪と想定している訳ではありません。 3年、5年の応急的な処置を模索しているのでもありません。
恒常的なシステムの変換のかたちを求めているのです。
ですので、これは
>後は改善した経済構造をどうやって維持して行くか、その時になってみないと分かりません。
想定外です。
|