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[1633] 気晴らしに無料映画名作紹介
日時: 2012/12/09 12:56:19
名前: 流浪の民の乱 ID:1355025379

大映映画・兵隊ヤクザが面白いとは、一世代前の人間から聞いていたがなるほど大変に愉快で優れた反戦映画です。

監獄で懲罰房・・これは恐ろしかったが、軍隊の刑務所・・これも怖そう

喫食・安座・炊場など懐かしく、点呼・検身・歩行風景は現在の日本の刑務所も同じ、沈黙と規律の日本の刑務所での自由とは、息をすることと、悔悟教誨へ参加不参加の選択だけ、意思決定が許されぬ人格破壊される。

この兵隊ヤクザ篇は公開期間が短く、明後日まで観られます。

ttp://gyao.yahoo.co.jp/player/00643/v09626/v0953700000000540073/?list_id=1779125&sc_i=gym082
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志田未来 秘密 (テレビ朝日 2010年) ・広末涼子 秘密 (東宝 1999年) ( No.27 )
日時: 2022/05/08 08:41
名前: スメラ尊 ID:WrctpPwU

志田未来 秘密 (テレビ朝日 2010年)

第1話 2010年10月15日 東野圭吾!! 伝説のベストセラー 心は38歳、体は16歳の妻
第2話 2010年10月22日 東野圭吾原作〜今夜16才の妻を抱く!!
第3話 2010年10月29日 東野圭吾原作〜16才の妻、同窓会へ!!
第4話 2010年11月5日 東野圭吾原作〜私の記憶が消える日!!
第5話 2010年11月12日 東野圭吾原作〜妊娠!! 唐木希浩
第6話 2010年11月19日 東野圭吾原作〜許されない恋の始まり
第7話 2010年11月26日 東野圭吾原作〜妻の恋人
第8話 2010年12月3日 最終章〜妻との永遠の別れ…
最終話 2010年12月10日 運命は妻を二度奪う…そして驚愕最終回!!

動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%A7%98%E5%AF%86++%E5%B0%8F%E8%81%B0+


放送期間 2010年10月15日 - 12月10日(9回)

原作 東野圭吾
脚本 吉田紀子

キャスト

杉田藻奈美・直子 - 志田未来
杉田平介 - 佐々木蔵之介
橋本多恵子 - 本仮屋ユイカ
小坂洋太郎 - 橋本さとし
吉本和子 - 池津祥子

▲△▽▼

秘密が、愛を、濃密にする。

ごく平凡な3人家族を襲った突然の“悲劇”。 すべてはその瞬間から始まった--。

妻と娘を乗せたバスが崖から転落。 妻は死亡し、娘は奇跡的に助かる。 ところが… そのとき誰もが想像すらしなかった事態が起こっていた。 助かった娘の体には妻の魂が宿っていたのだ!

その日から、一家の切なく奇妙な“秘密”の生活が始まる…。

大人気作家・東野圭吾氏がブレイクするキッカケとなった感動のロングセラー傑作長編ミステリー『秘密』。

母親の魂が宿った女子高生・杉田藻奈美を演じるのは志田未来。

そんな娘(=妻)の存在に大きく揺れ動く男・杉田平介役には佐々木蔵之介。

25歳差の演技派2人を迎えて珠玉の名作『秘密』が連続ドラマとなって蘇ります。

(C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日


1. 第1話
2007年夏。電機メーカーに勤務する杉田平介(佐々木蔵之介)は、いつもとさほど変わらない一日を過ごしていた。家の中では長野の実家に行くことになった妻・直子(石田ひかり)と娘・藻奈美(志田未来)が慌しく準備をしていた。平介はそんな2人を送り出した。さらりと、ごく普通に。そして、そんなありふれた日常の幸せを実感することもなく--。 しかし数時間後、そんなありふれた日常が一瞬にして消える事件が起こる。妻と娘がいない家でひとり晩酌をしていた平介に、耳を疑うようなニュースがテレビ画面から飛び込んできた。それは、直子と藻奈美を乗せたバスが崖から転落したことを知らせる緊急ニュースだった。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年10月15日


2. 第2話
姿は藻奈美(志田未来)だが、その魂は亡くなったはずの母・直子(石田ひかり)--誰にも信じてもらえないであろう<秘密>を抱えた平介(佐々木蔵之介)と直子(=藻奈美)の新しい生活が始まった。ところが事故後、初登校した“直子”に衝撃的な出来事が降りかかる。なんと、クラスメートの相馬春樹(竜星涼)に突然キスされたのだ! 藻奈美から春樹のことなど聞いたこともなかった“直子”は凍りつき、春樹を突き飛ばして逃げ去る。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年10月22日


3. 第3話
平介(佐々木蔵之介)と直子(石田ひかり)宛てに、大学のサークル同窓会の案内状が届いた。直子の魂は今も娘・藻奈美(志田未来)の体に宿っているが、世間的に直子は死んだことになっている。どう考えても、堂々と2人揃って同窓会に出席することは不可能だ…。平介は同窓会のことを直子に伝えるべきかどうか悩む。 一方、直子は藻奈美の彼氏・相馬(竜星涼)をきちんとふることを決意。春樹に「お父さん(=平介)に心配をかけるわけにはいかない。今はお父さんのそばにいて、身の回りのお世話や家事をしてあげたい」と告げ、別れを切り出す。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年10月29日


4. 第4話
娘・藻奈美(志田未来)の魂と妻・直子(石田ひかり)の体を奪ったバス事故。あの事故を引き起こした亡き運転手・梶川幸広(吹越満)は、札幌に住むサワダミカコという女性に毎月10万以上の金を3年半にもわたり送金していた…。梶川の妻・征子(堀内敬子)からその事実を聞かされて以来、平介(佐々木蔵之介)はサワダミカコの正体と梶川の送金理由が気になって、頭から離れずにいた。 そんななか平介と直子は、事故の日に直子と藻奈美が向かうはずだった長野を訪れることに。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年11月5日


5. 第5話
年が明けた。平介(佐々木蔵之介)、直子(石田ひかり)、藻奈美(志田未来)の3人で明るい食卓を囲んだ去年までの正月とは打って変わり、今年の杉田家には淋しい空気が漂っていた…。そんななか、“藻奈美”として生きることを決意した直子は受験に向け、元旦から猛勉強を開始する。 やがて新学期が始まり、藻奈美の担任・多恵子(本仮屋ユイカ)が杉田家を訪ねてきた。藻奈美のことで話があるという多恵子。なんでも、藻奈美が医学部を志望しているというのだ。本人から一度も相談されたことのなかった平介は、驚きを隠せない。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年11月12日


6. 第6話
藻奈美(志田未来)の魂と直子(石田ひかり)の体を奪ったバス事故を引き起こした運転手・梶川幸広(吹越満)の妻・征子が心筋梗塞で亡くなった。平介(佐々木蔵之介)、そして藻奈美として生きる直子は通夜に参列する。その後、通夜から戻った平介に、征子の娘・逸美(日向ななみ)から電話がかかってきた。どうしても平介に渡したいものがあるという。直子の提案で、平介は逸美を自宅へ招くことに。やがて逸美が杉田家にやって来た。彼女が平介に差し出したのは、なんと梶川幸広がいつも身に着けていた懐中時計。しかも、蓋の裏には3歳くらいの男の子の写真が貼ってあり…。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年11月19日


7. 第7話
札幌出張の際に、バス運転手・梶川幸広(吹越満)と前妻の息子・文也(田中圭)に会った平介(佐々木蔵之介)。しかし、文也は家庭を捨ててほかの女と逃げた父のことを恨んでおり、平介が渡そうとした梶川の形見も受け取ろうとはしなかった。藻奈美(志田未来)の魂と直子(石田ひかり)の身体を奪った事故を起こすほど身をすり減らして働きながら、前妻の姉・沢田美香子に送金していた梶川の意図は何だったのか。そして、美香子はなぜ送金の事実を文也には隠していたのか…。平介はもやもやとした気持ちが収まらないまま、東京へと戻る。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年11月26日

8. 第8話
藻奈美(志田未来)の姿をした直子(石田ひかり)との生活が続くなか、平介(佐々木蔵之介)は急速に焦りを感じていた。直子が自分から離れていくような恐怖に襲われていたからだ。直子を繋ぎ止めたい--平介の一途な想いは、盗聴器を仕掛けたり、相馬春樹(竜星涼)と直子のデート現場に押しかけて邪魔をするなど、卑劣な行動となって表に出た。「お願いだから、私をこれ以上苦しめないで」--直子と平介の関係は、取り返しがつかないほどまでに破綻しようとしていた…。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年12月3日

9. 最終話
身体は藻奈美(志田未来)だが、心は直子(石田ひかり)--バス事故以降、周囲には秘密で妻との奇妙な生活を送っていた平介(佐々木蔵之介)。ところが突然、ずっと消えたままだった藻奈美の魂が戻ってきた! それ以来、藻奈美の魂はたびたび戻ってくるようになる。状況だけ見れば、依然として奇妙であることには変わらなかった。だが、平介は久々に家族3人で暮らす幸せを噛み締め、この状態がずっと続けばいいと願う。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日

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広末涼子 秘密 (東宝 1999年)

監督 滝田洋二郎
原作 東野圭吾
脚本 斉藤ひろし

動画
https://www.youtube.com/watch?v=W-N2h-q4Rl0

キャスト
杉田藻奈美・直子 - 広末涼子
杉田平介 - 小林薫
杉田直子(入れ替わり前まで) - 岸本加世子

「秘密/滝田洋二郎;1999年劇場公開作品」
 
 雪山でバスの転落事故に遭った直子(岸本加世子)とその娘の藻菜美(広末涼子)は救急病院に収容されるが、直子は手当ての甲斐なく死亡し、藻菜美だけがかろうじて生き残る。しかし、昏睡から目覚めたとき、鏡を覗き込んだ直子の目に映ったのは藻菜美の顔だった。つまり、藻菜美が意識を取り戻したとき、その意識は直子のものだったのだ。夫の平介(小林薫)は事実を知って混乱するが、やがて直子は藻菜美としてその人生を全うすることを決意する・・・。

 登場人物の人格が入れ替わってしまうという設定の作品はけっこうある。代表的なものは大林宣彦の「転校生」だが、二人の人間の意識がそっくりそのまま入れ替わる、などという現象はさすがにフィクションの中だけに起こるものであるものの、一人の人間の意識が別の人格に取って代わられる、という現象は現実に起こりうる。解離性同一性障害、つまり俗に言う「多重人格」である。

 ある人間の「魂」が別の人間に乗り移り、その人を支配してしまう現象をオカルトの世界では「憑依」と呼ぶのだが、それも一種の解離性同一性障害として捉えることができる。通常の多重人格では、新たな人格は独自に創り出されることが多いが、当人が自らを他に実在する人物である、と思い込んでいれば、その人格が実は創作か否か判断することは難しい。現実に、ジョン・レノンを殺したマーク・チャップマンは一説によると自らをジョン・レノンであると思い込んでおり、殺害事件はその延長線上にあった(本物を殺害することで自らが世界に唯一のジョン・レノンになろうとした)とも言われている。

 基本的にファンタジー作品なので、登場人物はありえない話をあっさり信じてしまう。現実に自分の娘がこんなことを言い始めれば、普通ならまず統合失調症を疑って精神科医に診せるところだが、それでは物語が成り立たない。藻菜美(の中にいる直子)が話す二人の結婚前のエピソードを聞かされ、平介はいとも簡単にそれが直子だと確信するのだが、よく考えればそんな話は平介がいないところで母子の会話として話されていたかも知れず、藻菜美が母の話を自らの記憶だと誤認している可能性もなくはない。

 そう思いながら本編を観続けていると、広末の演技力の限界もあるのだろうが、やはりこの話はファンタジーとしてよりも、一種の解離性同一性障害の症例として観るべきではなかろうか、という気分が抜け切れなかった。

   

 娘の体内に宿る妻に触れられないジレンマに悩む平介を見かねて、直子がある決意をする中盤から物語は急展開を見せる。この手の「憑依」ものの定番は、憑依した何者かが結局は宿主に体を返し、自らは消え去っていくというものだが、本編もまた表面上はその通りの展開を見せる。ある日突然藻菜美は「藻菜美」本人として目覚めるのだ。藻菜美の人格は直子の人格と交互に現れ、やがて藻菜美の方が優位に立って直子の影は次第に薄くなっていく。

 やがて、完全にもとに戻った藻菜美はバス事故を起こした運転手の遺児である文也(金子賢)と結婚するのだが、このあたりの展開はやや唐突で、しかも結婚指輪を封入したぬいぐるみを唐突に伏線として登場させるなど、かなり無理のある話になってしまった。結局のところ直子は消え去ってなどおらず、元に戻った藻菜美はすべて直子の演技であり、それが表題の意味するところであったわけだが、正直言ってこのあたりの演出はあまりうまいとは思えず、定番の展開に酔いしれていた観客に冷水を浴びせるような結末になってしまった。

 原作ではこのあたりを映画ほど断定的に描いてはおらず、主人公の夫は憑依という現象それ自体をも完全には信じていないようなのだが、こうした曖昧さを受け入れる余地は、映画という何でも光と影で表現しなければならないジャンルには、存在しづらいのかもしれない。・・・


▲△▽▼
▲△▽▼

秘密 (文春文庫) – 2001/5/1 東野 圭吾 (著)

妻・直子と小学5年生の娘・藻奈美を乗せたバスが崖から転落。妻の葬儀の夜、意識を取り戻した娘の体に宿っていたのは、死んだはずの妻だった。その日から杉田家の切なく奇妙な“秘密”の生活が始まった。

映画「秘密」の原作であり、98年度のベストミステリーとして話題をさらった長篇


運命は、愛する人を二度奪っていく。

自動車部品メーカーで働く39歳の杉田平介は妻・直子と小学5年生の娘・藻奈美と暮らしていた。

長野の実家に行く妻と娘を乗せたスキーバスが崖から転落してしまう。
妻の葬儀の夜、意識を取り戻した娘の体に宿っていたのは、死んだはずの妻だった。
その日から杉田家の切なく奇妙な“秘密"の生活が始まった。

外見は小学生ながら今までどおり家事をこなす妻は、やがて藻奈美の代わりに 新しい人生を送りたいと決意し、私立中学を受験、その後は医学部を目指して共学の高校を受験する。

年頃になった彼女の周囲には男性の影がちらつき、 平介は妻であって娘でもある彼女への関係に苦しむようになる。

98年度ベストミステリーとして話題をさらい、広末涼子主演で映画化、志田未来主演で連続ドラマ化もされた東野圭吾の出世作。累計200万部突破の伝説のベストセラー。

▲△▽▼

東野圭吾 秘密 のあらすじ 妻が娘で娘が…???
2016年6月25日 [文学/あらすじ, 東野圭吾]

今回は現代日本屈指の人気作家、
東野圭吾さんのミリオンセラー
『秘密』(1998)で行ってみます。
 


もちろんこれ、2010年のテレビドラマ
(佐々木蔵之介、志田未来主演)の
原作ですし、その前には広末涼子さん、
小林薫さん出演、滝田洋二郎監督で
映画化もされています(1999)。


さて、一口に「あらすじ」を、といっても、
話の骨子だけでいいという場合から、
読書感想文を書くんだから分析・解説
つきの詳しいものがほしいという
場合まで、千差万別でしょう。

そこで出血大サービス((((((ノ゚听)ノ

「ごく簡単なあらすじ」と
「やや詳しいあらすじ」の
2ヴァージョンを用意しましたよ~~(^^)у

ごく簡単なあらすじ(要約)
まずはぎゅっと要約した
「ごく簡単なあらすじ」。


杉田平介の妻・直子はバスの転落事故で
死亡するが、その意識は身体だけ
生き残った11歳の娘・藻奈美の中で
生き続ける。

世間的には娘になりすます直子は、
成績優秀で私立中学を経て有名進学校へ
と進むが、男子との交際のことなどで
平介との間に波風が立つ。

  
やがて藻奈美の身体に藻奈美の
意識が復活し、直子の意識と交替
する「二重人格」の状態になる。

藻奈美と直子の2人格は交換日記の
ようなノートで意思を伝え合うが、
直子の意識は徐々に弱まる。

藻奈美は直子の指示通り、二人の
最初のデートの場所へ平介を誘い、
そこで……


どうでしょう?

え? これだけじゃ意味ない?

ハハハ、まあそうでしょうね。

本当は父娘以外にも多くの個性的な
登場人物が絡み合って進む本格的な
長編小説をムリヤリ凝縮し、
しかも一応、ネタバレを避けてますしね。

では、様子見にちょっとだけ
テレビドラマの方を覗いてみて
もらいましょうか。


ん? やっぱりよくわからん?

そういうわけでやはり「やや詳しい」
ヴァージョンのあらす」を読んでいただく
ことになるわけですね、ハイ;^^💦

やや詳しいあらすじ
では始めましょう。

わかりやすさのため「起承転結」の4部に分け、
もちろんラストまで包み隠さず完全ネタバレありで
参りますので、結末を知りたくない人は
読まないでくださいね;^^💦

ひっかかるかもしれない部分には【CHECK!】印で
注釈を入れていますが、うるさいと思う人は
飛ばしてください。

なお「 」内及び「”」印のグレーの
囲みは原文(上記文庫本)からの引用です。


🌓【起】
自動車部品メーカー社員、39歳の
杉田平介は愛妻・直子と11歳の娘・
藻奈美との3人で暮らしていた。

1985年冬、長野の実家に向かう
直子と藻奈美の2人が乗った
スキーバスが崖から転落。

2人は病院に運ばれたものの、
直子は死亡し、藻奈美は一時は
回復不能といわれながらも、
奇跡的に助かる。


が、意識を回復した藻奈美のその
意識は実は直子のものとわかる。

「あたしがあの子の
身体を奪っちゃった。
あの子の魂を追い出して……」


この信じがたい事態に戸惑いながら、
平介と直子(身体は藻奈美)は、
世間にはあくまで父娘と見せかけて
生活していくことにする。

直子は仏壇の引き出しに入れてあった
結婚指輪を、かつて自分が作り
藻奈美が大切にしていた
テディベアの頭の後ろに縫い込む。

「正体は二人だけの秘密ね」


🌓【承】
直子は小学校に通い始め、平介は
バス事故の「被害者の会」に出席。

会には死亡した運転手の妻である
梶川征子が現れて謝罪するが、
相手にされない。

会の終了後、平介は新宿駅で征子を
見かけ、階段で彼女が倒れたので、
タクシーで自宅まで送る。


その後、連絡を取り合うようになり、
亡夫(梶川幸広)の超過労働や、
札幌にいる前妻とその子に仕送りを
していたことなどを知っていく。


やがて直子に初潮があり、
「あっちのほう」どうする?
「我慢していられる?」と尋ねる。

「そんな……じつの娘と。
しかも小学生の」
「じゃあほかの女の人と
するってこと?」といった
微妙な会話が交わされる。


藻奈美に自分のようなただの
専業主婦になってほしくないと
思う直子は私立中学受験を目指し、
担任の若い美人教師、橋本多恵子と
平介との接触が増える。

その橋本に気があるのではと
直子はからかうが、それは事実で
平介は欲求不満のとき多恵子を妄想。

橋本の側でも運動会の日に弁当を
用意してくれるなど好意を示す。


遺族会が一周忌に企画した事故現場への
慰霊旅行のあと、梶川征子が病死。

その葬儀に出た平介は娘の逸美から
父の遺品として古い懐中時計を
渡される。

蓋が開かないので専門店で開けて
もらうと、蓋の裏に幸広の子らしい
5歳くらいの男児の写真。


札幌出張の際に梶川の前妻、
根岸典子を訪ねるが、息子の
大学生、文也によって拒絶される。


🌓【転】
有名私立女子中学に進学した直子は
そこでも成績優秀で、医学部に
入りたいから、高校は共学の
進学校を目指すと宣言。

その動機には男への欲求も?
と平介は疑うが、ともかく
猛勉強して有名進学校へ進学。

 

高校では体力も必要だからと
テニス部に入り、練習で遅く帰って
食事の支度もするという多忙な生活。

不満がたまった平介はつい「男と
玉遊びをしてる」などと悪態をつき、
二人の間は気まずくなる。


お盆休み、十年ぶりに直子の実家に
帰省した平介は、義父の三郎に再婚
すればいいと言われ、直子自身にも
聞かれて「いいんだ」と答える。


テニス部の一年先輩、相馬春樹から
直子への電話が繁くなり、心穏やかで
なくなった平介はついに電話盗聴
セットを仕掛け、二人の仲を探る。

クリスマスイブ、平介は盗聴で探知
した待ち合わせ場所にが姿を現し、
直子と相馬を驚かす。

「なぜだめなんですか」と問う相馬に
「世界が違うんだよ」と平介。
「私や娘が生きている世界と、
君のいる世界は、全く別物なんだ」


帰宅後、「あたしはふつうにしてた
だけよ」と訴える直子に、妻である
以上「ふつうにする権利なんかない」
と平介は言い放つ。

「若い身体を手に入れて、もう一度
人生をやり直せるような気に
なっているようだけど、それは
あくまで俺の許せる範囲内
だってことを忘れるな」


俺は今でも浮気もしていないし、
再婚のことも考えてない。

小学校の橋本先生が好きで
「交際したい」とも思ったが、結局
電話すらしなかったのは「おまえを
裏切りたくなかったからだ」


一月半ば、クラスで行くスキーの
チラシを破り捨ててみせた直子に
「俺のこと、憎んでるのか」と平介。

そうではなく「途方に暮れてるだけ」
「そうだな。俺もだよ」という会話の
あと、「ねえ、あれしようか」と直子。


二人はベッドでふれ合い「あれ」を
試みるが、平介の中の何かが拒否し、
「やめよう」…「そうね」…。


🌓【結】
別用で上京した根岸典子と会った平介は、
梶川は自分が実父ではないことを知り
ながら文也を愛し、大学進学後は毎月
必ず10万円を仕送りするように
なっていたのだと知る。

家族の幸せが自分の幸せだと語っていた
という梶川の生き様に打たれ、平介は
自分も、直子が藻奈美として生きて
いくことの幸せを願う気持ちになる。


帰宅して「長い間、苦しめて悪かった」
と詫びると、直子は泣いて自室へ。

眠って目覚めると、パジャマ姿で
庭を見下ろしていた直子が
「お父さん、あたし、〔中略〕
どうしてここにいるのかな」

 
藻奈美の意識が戻ったのだ。

その後、彼女の身体には直子の意識と
藻奈美のそれとが交互に出入りする。

「二重人格」の状態となったのだが、
直子の人格は出現頻度が徐々に減り、
二人の人格は交換日記のような
ノートで意思を伝え合う。


七月、就活で平介の会社に来た大学院
生の根岸文也が、平介に面会を求め、
以前の非礼を詫びる。

平介が是非にと誘って、夕食を家で
一緒にということなり、藻奈美に電話。

二人で帰宅し挨拶すると、文也と
藻奈美の「視線が空中で絡んだ」。

勉強も見てくれた文也を見送ってから、
藻奈美は、明日の土曜日、横浜の
山下公園に連れて行ってと頼む。

平介と直子が最初にデートしたこの
場所へというノートでの指示という。


その日、山下公園のベンチで海を
見ながら松任谷由実の曲を流すと、
直子の人格が現れ、「ありがとう。
さようなら。忘れないでね」。


数年後、25歳になった大学助手、
藻奈美と文也との結婚式。

梶川幸広の形見の懐中時計が動かないので
松野時計店へ行った平介は、9年前、
直子がテディベアに縫い込んだ指輪を
藻奈美が取り出して自分用に
作りかえさせたことを知る。

二人の「秘密」を知っていたことから、
直子は実は消えておらず、藻奈美の
演技を続けているだけなのでは
ないかと平介は考え始める。


文也を控え室に連れて行った平介は
「殴らせてくれ」「二発だ」と
拳を固めるが、振り上げる前に
涙があふれ、声がかれるほど泣く。

まとめ
さあ、いかがでした? 

さすがによく出来たミステリーで、
しかも主題は夫婦愛。

さらにそこに父娘間の情愛が微妙に
絡むので、これはもうグッと来て
しまう読者が多いのも頷けます。


直子の意識がほんとうはまだ生きて
いるのか…と匂わせて謎のまま閉じる
オープン・エンデイングもよい。

ただ私個人の感想として言わせてもらえば、
むしろそこ(45章)で終わってしまった
方がよかったのでして、ラストの
46章は蛇足の感が大きいですね。


なぜって、主人公が花婿に言う
「殴らせろ」ってのは、
あまりにも通俗的で古臭い
クリッシェ(決まり文句)。


これを使ってまとめようとしたことで、
作品全体の品性を下げてしまったのでは?
と東野氏のために憂える次第です。


いや、そこでこそ泣ける…という
意見もあるでしょうし、それは
それで結構なんですけどね。


さて、読書感想文を書こうという場合も
ネタはすでに十分ご覧に入れたと思います。

考えさせられる名言やポイントも
泣かされる展開も、いくつも
拾うことが出来ますよね。


▲△▽▼
▲△▽▼


東野圭吾 秘密 の意味を理解するのは心理学の知識が有っても非常に難しいですね。

おそらく、

直子自体は完全に死んでいて、藻奈美の無意識内の直子の記憶が人格化されて憑依状態になっていた

という設定でしょう。

ポイントは 娘が母に飲み込まれる母娘の一体的関係 と 憑依現象 の二つでしょう。


娘が母に飲み込まれる母娘の一体的関係

2017.08.10
女性の心理的発達に関する一試論:過食症症例の面接過程と夢の分析を通じて (思春期青年期精神医学,5(1):63-76,1995.)

女性の心理的発達に関する一試論

─過食症症例の面接過程と夢の分析を通じて─

A STUDY OF FEMININE PSYCHOLOGICAL DEVELOPMENT : The Psychoanalysis of the Interviews and the Dreams of a Female Bulimia Case

小寺 隆史※

※浅香山病院精神神経科 〒590堺市今池町3-3-16

Takashi Kotera : Department of Psychiatry, Asakayama Hospital


抄録: 女性の心理的成長を考える上で、それが阻害されている多くの症例に、「娘が母に飲み込まれる母娘の一体的関係」というモチーフが散見される。このような状況は、女性の心理的発達の原始的な段階と考えられると同時に、かなり後まで残存し、その影響を背後から与える構造でもある。

一方、この母娘の一体的関係に割って入るものは男性性に他ならない、それ故、このような女性にとって「男性像は父親も含め侵入的、侵略的なものとして認識される」ことが多い。このモチーフはギリシャ神話のデメテルとコレーの物語にその典型を見ることができる。この侵略的男性像を受容することによって、女性は強固な母娘関係から脱することができる。今回、過食・嘔吐を主訴として来院した21歳の女性の面接過程と夢の過程について、以上の文脈からの分析を試みた。その中から母親との関係の編み直し、男性像の変遷、女性性の受容、といったテーマを抽出し、母娘の一体的関係から、次の段階に展開する移行期を見ることができた。

Key words: Primitive mother-daughter relationship,

Invading male image, Demeter and Kore, Hades, Bulimia


1.はじめに

臨床場面において、女性のクライエントと会っていると、母親との結び付きが強固で、そこに“娘が母に飲み込まれる母娘の一体的関係”というモチーフが見いだされる例に数多く出会う。それ故、このモチーフは女性の心理を考える上で重要な視点を与えるものの一つではないかと思われる。このような女性の状態に関して、Neumann,E.11)はそれを「女性の自我が、母性的な無意識や母性的な自己といまだ結ばれたままでいる自己保存の段階」と指摘している。Ne-umannは女性の発達と男性の発達との基本的差異について、男性の場合、最初の対象である母から異化することのなかに自己発見を達成するのに対し、女性の場合、母との同化のなかに自己を発見することができ、そのため「あの原初の関係にみられる母親との関係は引き続いて存続することがある。」と指摘している。そしてこの母娘の関係が母権制社会の中心的心理構造をなしていると考えている。つまり、彼のいう原初的母娘関係とは、単に女性の発達のprimitiv-eな段階という意味にとどまらず、母権制社会を支えるarchaicな心理構造でもある。この母権制社会の心理構造については、これに先立つBachofen,J.J. 2)の研究がある。

また、Freud,S.5)もこの構造に言及しており、「婦人の本質のかなりのものが、根源的な母親への愛着の中に残ったままになっており、男性の方向へ向かう、正しい変換をしないでしまうという可能性もある」と述べている。Freudは女性の愛の対象が母親から父親へと「性の変換を経なければならない」点が男性の発達と根本的に異なることを強調している。さらに「エディプス・コンプレックスは、女性の場合にはかなり長い発達の最終成果」であるとし、女児の発達においてはプレエディパールな母子関係が男児に比べて延長し、かなり後まで存続し続ける場合がありうることを示唆している。Freud派における女性の研究としては、Deutsch,H.4)によるものが重要である。彼女は思春期・青年期の女性の心理に関して、この時期に、幼児期の発達課題が再現することを指摘したうえで、「エディプス・コンプレックスを卒業するばかりではなく、思春期前期と早期思春期に始まった働き、すなわち母親との古くかつ根深く、いっそう原始的な絆を大人にふさわしいものに編み直すこと」が、その課題となることを述べている。Blos,P.3)も思春期女性の症状形成がその強力な母娘関係に起因していることを指摘している。また、中村10)は青年期女性の治療に関してエディプス的葛藤に先立つ「母子関係がさまざまの意味で問われる」と指摘している。 Deutsch、 Blos、 中村ら、これらの研究者は共通して、思春期・青年期の女性において、母娘関係の課題の比重が男性の場合より高いことを示唆している。このことと、上記のNeumannの指摘、F-reudの指摘は整合するものと思われる。即ち、女性の幼児期において残存しやすいこの関係は、その分、女性の思春期・青年期にも課題性の比重が高いものと考え得る。

さて、一方このような母娘関係が思春期・青年期に強固に存続している場合、“男性は父親も含め侵入的、侵略的なものとして認識される”ことが往々にして起こりやすいのではないかという臨床上の印象がある。このことに関して、Neumann,E.12)は、このような母と娘の一体感があるとき、「女性が心理的または社会的に母系集団のなかに留まり、(略)女性的なものとの一体化とそれへの接近は、男性的なものの排除とそれへの冷淡さを生まずにはいない。」「女性がそこで経験する男性的なものとは、敵対的な征服者にして否定的な略奪者ということになる。」と述べている。そしてこのような、侵害的な男性像を女性が受容し、それが肯定的で親和的な男性像に変容して行く中で、女性は強固な母娘関係を脱し次の段階へと展開して行くものと考えられる。この展開は幼児期の発達にも、思春期の発達にも、螺旋状にくりかえされるものであろう。また、その母娘関係の様態によって、その男性像の侵略性もさまざまなスペクトルをもつことが予想される。幼児期においては、最初の男性像として、父親が現出するだろうが、母との結び付きが未分化である場合、父親像は侵略的となり、その関係の中に入れず、除外されてしまう危険性がある。(母親との両価的関係を解決するものとしての父親の役割について、Abelin,E.1)の発達的研究がある。)また、思春期においては、“異性の受容”という大きな課題に直面しなければならず、それまでの展開性が不十分であればあるほど、男性像の侵略性は顕著なものとなるだろう。そして、それが展開するためには、男性像は一旦は侵略的なままで受け入れなければならないという、一つの筋道が考えられる。(このモチーフは後述するギリシア神話:デメテル・コレー・ハーデスの物語に、典型的に現れる。)その場合は、母娘関係は一旦切断されたうえで、新たな関係として編み直されるのではなかろうか。(もちろん、この筋道は巨視的な筋道であり、微視的には、男性の侵入と、母娘関係の改編は相補的に起こるものと考えられる。)また一方、母娘の結び付きが強く、男性が弾き飛ばされてしまう場合も臨床的に見受けられる。

以上のような観点から、本小論においては、過食・嘔吐を訴えて来院した21才の女性が、就職という一つの節目を乗り越えて行く過程を一例として提示し、その夢分析を含む面接過程のなかから「母への取り込まれとそこからの離脱」「そこに現出する侵略的な男性像とその変容」といったモチーフを抽出しようと思う。その二つの文脈を軸として青年期の女性の心理的成長について考察を試みたい。

2,症例の概略

◆症例:B子(21才 女性)

◆主訴と現病歴:過食・嘔吐を主訴として来院した。初診時大学の4回生在学中であったが、大学1年生のときより過食症状が出現し、大学3年生頃より太るのがいやになり過食後吐くようになった。過食はひどいときはほぼ毎日あった。このとき161 の身長に対し、体重は55 まで増えたが初診時は46 まで減少している。初診時過食は週1回程度であった。初診時の母親からの情報では、大学4年生になってから、実家に帰宅時、情動が高まり大声で泣き叫びつづけたり、ドアをたたきつづけるということが幾度かあったという。また、自殺をほのめかす発言が幾度かあったという。

◆生活歴:中学・高校と女子校。中学校の途中で親の意見により公立中学から私立の女子中学に転校している。初診時大学4回生在学中。大学の選択についても、主に母親の意見で決まっている。なお、B子の実家は大都市圏にあり、通っている大学は地方都市にある。◆家族歴:父、母、兄、本人、妹の5人家族。兄は境界例人格障害の診断にて、筆者の勤める病院に受診歴がある。

3,面接と夢の過程

面接は大学の夏休みを利用して行われた。筆者の勤める病院は、B子の実家の近くの大都市圏にあり、また、B子の兄もこの病院に受診歴があることから、当院に来院したと言う。この際、受診がB子の意思でなされたのか、母親の意向でなされたのか、あるいはその両方であるのかは、あまり明確ではないままに面接が開始された。この、本人の意向なのか母親の意向なのかが不明確であること自体が、この症例の特徴であることに筆者は後に気づくことになる。面接過程においては、主訴であった過食・嘔吐の訴えはあまり前面に出ないで、家族関係などに関する話題が中心となっていった。また、面接期間中に手首を尖ったもので刺すという自傷行為が出現した。(このとき手首は傷だらけになっていた。)面接は、一般外来にて予約制にて行った。予約はそのつど次回日時を決め、最初の4回は1週間間隔、少し安定してきた4回目以降は2週間間隔で、2カ月間に7回の面接を行い、一応の終結となった。ただし、夏休み中に終わるというような契約で始まったものではない。その間に全部で15の夢が報告され、今回はその中から重要と思われる5つの夢を選んで提出した。また、夢の分析については[考察]の欄でまとめて述べる。なお、治療の中で、夢の解釈を返すことはほとんどせず、夢についての本人の連想を聞いたり、夢を媒介として話し合うことが多かった。これは、筆者が夢自体に治癒力があると考えているためで、あえて治療者が夢の意味を解釈することをせず、夢を真ん中において、患者と治療者があたりを散策し、「夢自体に語らせる」というようなイメージで治療をすすめた。

なお、「」内はB子及び家族の発言、『』はB子がノートに記録して来た夢の内容、それらの内の()内は筆者による補足、内は筆者の発言である。


◎第1回面接

初回面接の最初に過食・嘔吐の問題が訴えられたが、初回面接の中でも、その後の面接の中でも過食・嘔吐の問題は重大なテーマとして繰り返されるということはなく、むしろ家族の話題が中心となった。筆者は受診の目的の明確化を図るよりは、B子の話について行く方向を選んだ。以下は面接でのやりとりである。

「過食症で受診したんですが、おかしいのはそれが一番ではなくて、食べるのは自分のすることがないときに食べ、そのあと太るのがいやで吐くんです。」

<何が一番問題なのかな?>

「わからないけど・・・今下宿している。家を出たかったから。おかしくなったのは3年前から。父は信用できない人で、私は母に守ってもらって育った。将来私が家族をささえないといけないと思って。将来に、私の夢がないのです。結婚も・・離婚しなかったらいいとか・・暴力ふるわなかったらいいとか・・・父は母に暴力をふるった。私にもふるった。警察を呼んだこともあった。私は無力感を感じた。生理は1年間止まっている。」

この回の最後で、この面接についてこれからどうしますかとの筆者の問いに対し、ここに通いますと言う。薬は飲みたくないとのことで不投薬にした。あなたの心の風景を知りたいのでと夢の記録と提出を提案するとB子は承諾し次回から夢の記録を持参してもらうこととする。本人退室後、母親が面会を求めて入室し、今までの経過をやつぎばやに述べて、薬をだしてほしいと言ったが、本人と話し合って決めたことだからと母親を説得し不投薬とした。これは、娘の不都合な点を羅列的に述べ、それを「除去してほしい」と訴える母親の姿勢の中に、母親の娘に対する支配性の強さを筆者が直感したため、少なくとも治療者が母親が娘を支配するための代理人とされないように、歯止めをかけておくというねらいもあった。

◎第2回面接(前回から1週間後)

1週間後、B子は夢の記録を持って受診した。過食の問題には触れずに母親との関係を語り出した。前回、守ってくれるものとして語られた母親が、今回はB子を困惑させるものとして語られた。

「1週間疲れました。毎日母の言葉にいちいち反応して、泣いてしまって目もはれている。どんどんいらいらがひどくなっている。

母は私の言ったことに間髪入れずに違うと言う。それで昔のすべてのいやだったことが思い出される。」

母親の言葉が直接的にB子の情動を刺激しているように語られ、問題の重心はむしろ母親に移されて語られている。ここに母親との間の自我境界の不鮮明さを筆者は感じていた。また、問題の重心の母親への移動は投影性同一視の問題を示唆していると考えられた。このことについては考察にて後述する。

また今回も、父親はいわば悪者として語られる。

「自分も母親と同じように満足できない人生を歩むのではないかと心配する。父親は信頼したくても信頼してはいけない人なのです。人間的に冷たい気持ちをもっている。あの人を理解しようとすると、こっちが変になる。私はあの人を自分から排除したい。父親は母、兄、私と一緒に電車に乗るときは自分だけ違う車両に乗る。生活費が乏しくても自分の小遣いは確保する。生命保険もすべて解約した。」 このような日常的な話題が一段落ついたところで、記録してきた夢を読んでもらい、それについて連想を聞くという方法をとった。[夢1]

『大きい部屋で、輪になって踊る。2人がペアになって踊る。私はうまく踊れない。少しの間1人の友人と輪から抜けて、へやのはしで踊っているのを見ている。後で輪の中に入れてもらったが私の右手にいる人(踊っている相手)が、前の人(B子の前にその人が踊っていた相手)の方が良かったと言い、心の中で、悲しい思いをするが、笑いながら、ごめんねと言う。私は上手に踊れるつもりだったが、また同じように踊れなかった。回りの皆は楽しそうに踊っている。』

(連想)

「今、彼がいるんだけれど、男の子との付き合い方が全くわからなくて。クラブに入っても男子と1年間しゃべれなかった。うわべだけならしゃべれたけれど。大学2年の終わりまではクラブの女子は私1人だった。2年の終わりに女子2人が入ってきた。仲の良い2人で、私は仲良くなれなかった。その2人の女の子はクラブの男の子とすぐに仲良くなってしまって、夜、下宿を行き来したり。心の中では嫉妬心、羨ましさ、劣等感でいっぱいだった。そのころ、私はクラブの1人の男子と付き合っていた。3年生でふられた。そして、その人は新しく入って来た女の子と付き合うようになって、それがとてもつらかった。そのころから生理が止まった。ふられた男の子と4カ月後によりをもどした。私は彼のことを好きじゃない。ずっと、初めから、今まで好きという感情がない。それより心おきなく思ったことをしゃべれる方がうれしい。」

◎第3回面接(前回から1週間後)

この回では友人に対する関係の取り方が話題となった。ここでも、B子の対象(ここでは友人)に依存している姿がうかがえる。ここで筆者は彼女の対象に依存している自らの姿を彼女自身が気づけるよう、また、対象(相手)が自分の期待どうりに動かないときに生じる葛藤を、自らの心の中に包含することが、実は対象からの独立性を確保することになることを、以下のような働きかけのなかで提示しようと試みている。いわばここで対象からの分離、自我境界の強化を働きかけのテーマとしている。

「落ち着いてきているような気もするけれど、立ち直れないような気もする。閉じこもったままみたいな。」

「自分の中でどうしても納得できないときどう処理してるんですか?例えば、友達が泣きながら電話して相談してきたら、私は次の日私からその子に電話する。でも、逆の立場なら、友達は私に電話してきてくれない。」

<相手はこちらの期待どうりに動いてくれないこと、多いよね。>「そうです。」

<そのとき悲しい情けない気持ち起こって来るでしょう。>

「そう、それです。」

<その気持ちは自分の中にあるもので、それを消そうとして相手を動かすとなってきたら、その分、相手に頼ってるということになってくるよね。>

「わかります。そのとおりと思います。結局、友達に頼ってることになるんですね。」

<もし、その気持ちを自分の中に置いとけたら・・相手から自由になれるんだけどね。>

◎第4回面接(前回から1週間後)

この回、自分が憎く、その自分を消してしまいたいという自傷行為が報告される。尖ったもので手首を突き、手首はそのため傷だらけであった。その反面、過食した日は1日すべてが悪いのではない、という発言がなされる。これは自傷行為にみられる極端化した思考に対し、程度感覚をふまえた思考が部分的にではあるが、可能であることを示している。筆者はその重要性を指摘し、印象に残すねらいの発言を入れている。 またこの回より、部分的にではあるが、落ちつくときがあることを報告している。現実状況についても、明るい展望が開けつつあり、就職について某公共機関の事務職の一次試験に合格したことが報告された。以下はそのやりとりである。

「起伏が激しい。落ちつくときは前より落ちつく。イライラするときは自分が憎くて・・・アーっとなる。」

<どうなるの?>

「怒りとイライラがたまらないほど噴き出してきて、自分をたたくとか、はさみで手首をついた。自分が嫌い、もう無くなればいいのにって。でも落ち着いたらなんでこんなことになったんだろうと・・・過食しても1日が全部だめなんじゃないと思える。」

<全部だめ、とならないのは、大切なことだよ。だめな部分もあるけど、いい部分もあるって思えるのはね。>

「就職試験の1次試験にパスした。うれしかったのは苦手な作文で通ったこと。でも、悪かったのは、就職の願書を出さないといけなくて、特技、本人希望が書けなかった。自分からアピールすることができない。」

[夢2]

『(略)妹を見ると、妹の前髪と後髪にカーラが巻いてあった。どうしたのかと聞くと、母にしてもらったと言う。私はまえからその髪型にしてみたいと思っていたので、怒りがこみあげ母親に抗議しに行った。どうして私の気持ちを逆なでするの、どうして私の気持ちを分かってくれないの、と私は大声をはりあげた。母親とは面と向かっていたが、母親がバケツに汲んだ水を持ち上げた。私にぶっかけるのかと思ったが、母はその水を自分からかぶった。

家族で奈良に旅行に行った。あるお寺に泊まることにしており、どんな所か見に行った。お坊さんが、寝る場所を案内してくれたが、そこはお寺の本堂で、大きい大仏さんがどーんと座っている。その大仏さんに向かい合って、ふとんが敷かれていた。でも、私だけ1人離れている。大仏さんの横に黄色い菊の花と、誰か亡くなった男の人の写真が飾られており、私は気持ち悪くなり、母親に、ここはいやだ、こわくて寝れそうにないと言った。母は私も小さいとき、そういう思いをしたことがあるよ、と言った。それから、お寺を出て、歩いて行った。そして、うどん屋さんが見えてきて、母親が食べて行こうと言った。私はお腹一杯だからいいと言ったが、母はそういうときもあるの。食べて行きましょうと言う。私は後ろを歩く兄と父に、行きたくないよねえと同意を求める。すると2人とも行かなくてもいいと言って、うどん屋を通りすぎようとした。そのとき、母は急に胸を押えて倒れそうになった。私は母が、私が健康でいるうちに早く自立しなさいと言っているように思えた。』

(連想)

「兄と父に同意を求めるのはめずらしいこと。家族の要は母親だった。兄妹同士の関係も希薄。」

[夢3]

『学校から帰る前の教室で、教室には私を含めて4人の高校生の同級生が残っている。(略)私が傘を持って教室を出ようとすると、1人の子が「Bちゃん」と呼んだ。私は振り返って、何か言われるのを待っていたが、クラスのもう1人の子がその子に耳打ちして、その子は「何でもないよ。ばいばい。」と言った。その子は何か言いたげな顔をしていた。私は呼びに来た友人と階段をかけ降りて、下足室に出た。私の下駄箱の横に大人の男の人が立っていて、私がごそごそ履きかえていると「乱暴だな。」とぼそっと言った。近くに、その大人の人の知り合いの男の子が立っていたので、私はその子に「私のことみたい。」と言った。「おまえのこと?」「うん、私の靴ね運動靴なんだから。」と言って、靴をポンとほうり投げた。まわりは黒い靴ばかりだが、私の靴だけ運動靴だった。男の子はへえーと言たげな顔をしていた。私は下足室から出た。さあ、帰ろうとしたとき、服の両脇のリボンがほどけているのを思い出し、しっかりと結びなおした。』

(連想)

「学校は高校。教室の3人は高校の制服を着た高校3年生。私と、私と一緒に帰った子と、下足室の男の子の3人は私服を着た小学校6年生。その男の子は小学校6年生のときの同級生。心理的に成長できてないのかなあと。小学校のときは活発でいたずらしていた。いたずらが一番楽しかった。一番思い出が生き生きしていた。Bちゃんと呼んだ子は高校の同級生。仲がよかった。高卒後も手紙のやりとりがあった。恋に悩む子。手紙で恋の葛藤を書いてきてたのに、私には、それが読み取れなかった。返事に何を書いてたんだろうかと思う。(彼女は、夢の中で)忠告のような、アドバイスのようなことを言おうとしていたよう。」

◎第5回面接(前回から2週間後)

この回から、B子の発言は落ち着きを取り戻して来たという内容に重点が移ってくる。それと同時に自己受容が幾許か可能となって来たことを示す発言も出現する。

「良くなって来ている。らくになってきている。しばられていたものから、放たれたような気がする。でもイライラしたら自分をたたいたりする。はさみで手首をつっついてしまった。包丁でも少しつっついた。」

「コンピューターの人生ゲームをしていて、大学入試で2浪してしまった。こんなこともあるんだ、望みをかなえられないときもある。やってみてできなかったら、それでもいいと思えるようになった。できることしかしなかったから。」

「家の周りを走っていて、中学校のときの運動クラブのことを思い出し、クラブはやっててよかったと思えるようになった。以前は否定していたが昔のことを否定しなくてもよいと思えるようになった。」[夢4]

『女の子が、一生懸命に、紙を探している。何をしているのかと聞くと、ある人の退部届けを探しているのだという。退部届が受理されないように抜き出すつもりのようだ。彼女はその人と以前つきあっていて、最近別れたばかりだが、クラブまでやめられるのは、いやだそうだ。彼女と一緒に、下へむかうエレベーターに乗った。エレベーターの中で会話を交わすが、そのとき、彼女は、彼がやさしかったこと、クラブに入ってすぐにまわりの人に内緒でつきあいだしたこと、でも一部の後輩に知られてしまって、その後輩が、やってられないと言ってクラブをやめたことを話してくれた。笑顔で話していたが、その表情には少し悲しみが感じられた。』

(連想)

「クラブは大学のクラブ。女の子は、私の彼がいったん私をふってつきあっていた子。この子のことは嫌いだった。日本人形みたいなきれいな子で、センスとか良くて。(夢の中での)話し方は、私の話し方と良く似ていた。悲しくても笑いながら話すところなど。やっと、彼女の存在を認めることができた。自分の中に受け入れられない面があった。」

<あなたに無くて、彼女にあったものって思い付く?>

「きれいなこと。物事にあまりこだわらない。感じがいい、生き生きした面。男の子と平気で話すし、男の子の家に押しかけて行ったりするし。お化粧もうまくて,セクシャルな彼女。」

◎第6回面接(前回から2週間後)

この回では就職の内定が出たり、また、失敗には終わっているものの、初めて父親との会話を持とうとしたことなど、現実場面の進展が語られる。

「事務職に内定した。でも、2次試験パスしたらの話。今までは自分の心の中に入り込んでいたけれど、今からは外を向いて行こうと思う。」

「お父さんに、私がいままでこうだったからと言うと、お父さんは自分は自分で立ち直った、お前は弱いと言った。これでは話にならないと思った。」

◎第7回面接(前回から2週間後)

この回で就職決定の報告がなされる。B子は某公共機関の事務職と、某官庁への就職試験の両方に合格する。母親は後者を勧めるがB子は自分で前者を選ぶ決心をする。

「就職が決まった。事務職の2次試験に受かったから。母親は官庁の方がいいと言った。いつも母に従ってきたが、やっぱり自分で決めた。自分で決めれたのが良かった。以前、自分では選択できないのではないかと思っていた。今の(在学中の)大学にしたのもそうだった。今回は自分で決めたから責任がある。」

「もう、手首も突いていない。こないだの診察から今日までアーっとなるのは1回だけだった。」

<ちょっとは自分のこと好きになれそう?>

「うん・・・死にたいと思い詰めることがなくなった。結局、自分で決められなかったから、その結果に責任を持てなかった。」

[夢5]

『私ともう一人の人が一緒に手をつないで逃げている。こわくて、こわくてたまらない。追いかけて来る人(男性)は、石をなげてくる。石が当たると体の中に入ってくる。骨の間を石が通過するのが分かる。前へ前へ逃げるときには、石が当たるときも当たらないときもある。でも、追いかけてくる人をかわそうと、後ろに下がると必ず2回続けて石が当たる。ズボッ、ズボッと石が体の中に入り込む鈍い音がする。しばらく休んでいると、石がお腹の前のほうに出てきた。肉と皮の間にはさまっている。私はこれから逃げて走るとき、邪魔だからと言って、皮がめくれるのも構わず、石を体から取った。横に母親がいて、大丈夫?と聞く。大丈夫だからと言って、パシッ、パシッと取る。私のお腹は赤くただれたようになった。』

(連想)

「本当に怖い夢だった。逃げているのもこわいけど、逃げても石が当たる。とりあえず前に逃げないと当てられる。石は直方体の石。グレー。石を取るとき痛かった。半分目をつぶって。投げてくる人は2個づつ連続で投げてくる。後ろに、と言うのは少し逃げてかわすこと。」

<当たると痛いの?>

「いや、ズボーって音がする。一緒に逃げている人はたぶん男の人。顔は見ていない。中性って感じ。女性でもない。(略)私は女の子してないし。昔から、自分自身を大切にしていない。自分を自分でかわいがることができないんです。今、考えると過食して吐くというのもおかしいな・・・」

<おかしいというのは?>

「自分がきらいで、吐くとすっきりするから。自分をかわいがっている行為ではない。赤くただれたというのは、吐いたときに母親に、食道が赤くただれると言われたことがある。吐くのは自分がいやなときしかしない。」

<吐くというのは自分を受け容れないことかもしれないね。>

「これはいらないって、放り出してるのかもしれない・・・私は・・例えば家族とか。 家族に感謝している。就職にしても、家族がささえてくれた。口出しもしないで、必要な援助はしてくれた。今からは自分の人生は自分の人生と。幸せになるかもしれないし、不幸せになるかもしれないし。今までは周囲に私を幸せにして欲しいと思っていたけれど、不幸でも自分で対処していけばいいと考えられるようになった。」

この回の面接では一段落がついたという雰囲気がB子と筆者の間に漂っていた。当初より、B子との面接では彼女の判断を引き出しそれを尊重することが治療的にも重要と考え、その姿勢をとってきたため、ここでも<ちょっと一段落ついたみたいだけれど、この面接はどうする?>とB子の意向を聞くと、「ええ、今日で一応おわりにしようかなと思います。」と答えたので、一応の終結となった。

4.考察

この症例について、様々な問題点を抽出することができると考えられるが、ここでは先述したように第一に母に取り込まれている娘、そこからの脱出というテーマ、第二にそこに現れる男性像の変遷という2つの視点から考察を進めたい。

1)母への取り込まれと離脱のテーマ

初回面接において、B子は「母に守ってもらって育った」と述べる一方、父親を迫害者としてとらえていることを述べた。しかし一方第2回面接においては、「毎日母の言葉に一々反応して泣いてしまって(略)母は私の言ったことに間髪入れずに違うと言う。それで昔のすべてのいやだったことが思い出される。」と述べ、母親の言葉に直接的に動揺させられてしまうことを語った。このことが、母親からの情報にあった「家の中で大声で泣き叫びつづける」という行為となっていたようである。初回面接で語られた母親像と第2回面接にて語られた母親像とは手のひらを返したように異なっており、2つの母親像は split している。さらに、第2回面接での発言では問題点の重心が母親の側にあるように語られている。このことは、自分の問題領域を相手の問題領域に移し替えているわけで、投影性同一視の機制が働いている可能性が考えられる。これらは重層的に母娘の境界の不鮮明さを示唆するものでもあろう。また、この来院自体が本人の意向であるのか、母親の意向であるのかが、不明確であったこともこのことと軌を一にするものであろう。母親は、初回面接において、B子が退出した後1人で入室し、B子の問題点を羅列的に並べて述べ、薬を出して欲しいと言っている。ここで母親は、娘の心の悩みを理解しようとはせず、すぐにそれを取ろうとしており、葛藤の共有が困難な人であることを示唆している。このことは母親が自らの心に生じた葛藤を娘に一方的に投影し、娘を操作することでそれを取り除こうとしている姿勢と捉えることもでき、ここに母親の側の、娘に対する投影性同一視の機制を読み取ることができる。葛藤を内面にしっかりと抱えることによって人間は対象からの自律性を獲得できることを考えると、母親の葛藤を内面に抱えられないこの傾向は、娘との間の自我境界の不全と平行しており、このことは鏡像的に娘にもあてはまる特徴となっていると考えられる。

さて、このような境界の不明確な母−娘関係がこの面接過程の中で、微妙に変容をとげる。それは、まず夢2で自分のことを分かってくれないと抗議する“夢の中の自分〃(以後、夢自我と表現する)に対して、夢の中の母親はバケツの水を娘にかけるのではなく、自ら被る。ここで夢自我は自分が水をかけられると思っているが、夢はそれと反対の展開となる。さらに、夢の後半、母親がうどん屋に入ろうと提案するにもかかわらず、夢自我はそれを拒否する。その際、現実場面では話もろくにしない関係にある、兄、父に同意を求めている。

明らかに、この夢は現実のそれまでの母−娘関係とは異なった関係の可能性を提示している。現実場面で母は娘にとって反抗できないもの、動かしがたいもの、「言い争うと、いつも母の方が正しい」ような存在であるが、その絶対性はこの夢では相対化されている。また、母親は正しくて、父親は誤っているという現実のB子のイメージはこの夢の中では逆転している。

Jung,C.G.はじめ多くの研究者が、夢が現実の自我に対して補償的な機能を果すと考えている。Jung,C.G.は、「夢はそのときの意識状態に対して補償的に行動する」7)と述べ、補償という概念を用いることについて「意識と無意識とは、(略)互いに補い合って一つの全体を形作るからである。」8)と説明している。この夢の補償的な機能を視野に入れることは必然的に夢の目的志向的観点を我々に要求する。Jungは「夢には前方への連続性もある(略)夢は意識的な精神生活に目に立つほどの影響を残すことがある」7)と述べている。この夢2の場合にも補償的、目的志向的な機能を考えることは的外れなことではないだろう。この夢が提示した新しい関係可能性は、その後現実のものとして展開する。即ち、第7回面接において、B子は母親の勧める就職をやめ、自らが選んだ職場への就職を決意する。そして「自分で決めれたのがよかった。自分で決めたのだから責任がある。」と述べている。またこの夢2の最後で、母は胸を押えて倒れる。これは飲み込む母の、ひいては母娘一体関係の象徴的死とも考え得る。ここで「母が早く自立しなさいと言っているように思えた」とB子が印象を述べているのは、この夢の本質をついている。

2)男性像の変遷

さて、ここでもう一つの視点としてこの症例にとっての男性像について考察を進めたい。Neumann,E.11)12)は母−娘関係が未分化で一体性の強い状態を「女性の自我が、母性的な無意識や母性的な自己といまだ結ばれたままでいる」状態として、これを女性の「自己保存の段階」と表現している。さらにこの状態の中に「女性の自分自身ならびに男性にたいする特有の関係の仕方を規定している母権的心理というものが、まざまざとうかがえる」と述べている。この状態が往々にして、「男性的なものの排除とそれへの冷淡さを生まずにはいない」とし、男性がその中では侵入者としてとらえられることを指摘している。このモチーフをギリシャ神話の女神デメテルとその娘コレー(ペルセポネー)の神話が象徴的に表現していると述べている。その物語りの概略は次のようなものである。


『デメテルは大地の守護神であり、豊饒と収穫の女神である。デメテルには愛しい娘、ペルセポネー(コレー)がいた。ある日、ペルセポネーは仲の良い娘たちと花畑で、思い思いに花を摘んでいた。そのとき、突然大地が割れ、冥界の主神ハーデスが、黒馬のひく戦車に乗って出現しペルセポネーを略奪する。デメテルは必死にペルセポネーを探し、この間デメテルの恨みのために、大地は枯れ果て飢餓が地上を覆う。これに手を焼いたゼウスの調停によって、ペルセポネーは母に会うことを許され、地上に戻る。しかしこのとき、ペルセポネーはハーデスが手渡したザクロの実を4粒食べてしまう。冥界のザクロは、もしそれを食べれば冥界の住人になるという「禁断の木の実」であった。このためペルセポネーは1年の内、4カ月だけ、冥界に住まなくてはならなくなった。その4カ月の間、地上は暗い冬に覆われる。その後、冥界にもどったときのペルセポネーはハーデスの妻となり、冥界の堂々たる王妃として君臨したという。』

(丹羽隆子著「ギリシャ神話」6)より抜粋)

この神話においては男性は冥界の主神ハーデスとして現れ、コレーを冥界に誘拐する。本症例においても第1回面接で「父は信用できない人で」「父は母に暴力をふるった。私にもふるった。警察を呼んだこともあった。私は無力感を感じた。」と語られるように、父親は侵害者、悪者としてとらえられている。父親像は男性像の一つの重要な柱となるものである。先述したようにこの悪い父親像は、夢2において補償的にとらえ直される。また、夢2において大仏の横に亡くなった男性の写真がおかれ、夢自我は家族と離れてその写真のそばで寝なければならなくなる。ここに、男性は冥界の存在として現出している。女性の夢に男性が死者として現れることはまれなことではない。Neumann,E.は母性世界という観点から見るとき、女性にとって男性の接近は常に分離を意味し、ひいては死としての意味を持っていることを指摘している。11)そして、それを「死の結婚」のモチーフとして取り上げ、この体験によって、少女は女性になると述べている。13)ハーデスが冥界の神であることの意味もここにある。この夢にも分離と死のテーマが織り込まれている。このとき、夢自我は母親に怖いと訴え、それに対して母親が「私も小さいときそういう思いをしたことがあるよ。」と言っているのが印象的である。現実の母親と父親の関係を考慮すると、母親にとって、今でも男性性受容の問題が解決していない可能性が濃厚である。そうだとすれば、夫が侵略者として現出するのも夫側の要因だけではないように思われる。Jung,C.G.9)は、「デメテル/コレーは男性に異質の、そして男性を寄せつけぬ母と娘の体験領域を表現している。」と述べている。しかし一方、この夢2はB子が母親との一体感を断ち切る男性像との本当の意味での出会いへの導入をも示しているように思われる。いわば、これから始まる長い物語の序章としての意味が考えられる。B子には現実にボーイフレンドがいるが、「好きだと思ったことはない」が「話をきいてくれてたら良い」というように、彼女にとっては部分対象としてしか立ち現れておらず、例えば夢に現れたような侵略者としての側面をも包含した全的対象とはなっていない。

一方、女性にとっての男性像の成熟は自らの女性性の受容と切り離して考えることはできない。それらは表裏をなす事象と言えるだろう。夢1では他の同級生がうまくダンスを踊っている中で、自分だけがうまく踊れず、ペアにおいて女性としての役割がうまくとれない。連想において、つきあっていたボーイフレンドが他の女性に取られるという経験を思い出している。この夢はいわば彼女の紹介夢としてとらえることができる。夢3の夢自我は小学校時代のおてんばな少女の段階に未だ留まっており、思春期の課題である女への脱皮を通過していないことを表現している。つまり彼女の靴だけが運動靴で周りは黒の革靴である。恋に悩む同級生が夢自我になにかを言おうとするのも印象的である。連想においてもB子は自らの心理的未熟性に言及している。しかし、この夢の最後で女性性を象徴するかのようなリボンを結び直しているのは、彼女における女性性の受容が前向きに動き出していることを暗示しているのではなかろうか。夢4においてB子が嫌っていた実在の女性が夢に登場する。この女性は夢1の連想にて述べられた彼女のボーイフレンドを横取りした女性である。B子によるとセクシャルな女性で、男性との交際も活発で、いわばB子とは対称的な女性である。ところがB子は夢の中のその女性の話し方が自分とどこか似ていたと言っている。つまりこの女性は、彼女が今まで発達させてこなかった彼女自身の半面を象徴しているのではなかろうか。しかもそれが、全く遠い存在としてではなく、かなり夢自我に近い存在として立ち現れている。また、彼女がこの夢をみることによって、その女性を初めて認めることができるようになったと語っていることはこの仮説の傍証となるものである。

彼女の女性性受容がこのように開示してくるとそれと平行して男性像も活動を開始する。夢5において夢自我は男性に追跡され、攻撃を受ける。夢2における冥界の存在(死者)としてあらわれた男性がありありと生き返って活動を開始したとも考られる。ここで夢自我はもう一人の中性的な男性と一緒に逃げているが、この男性には侵略的な側面はなく、去勢された男性といったおもむきで、現実の彼女とボーイフレンドとの関係を彷彿とさせる。この追いかけて来る男性と、一緒に逃げる男性とはどちらも部分対象的でありB子の中のsplitした男性像と考えることができる。Winnicott,D.W.14)は部分対象について「部分対象または部分対象としかいいようのないものとの関係は本能欲動が負荷されているわけだが、これは生のままの報復恐怖をひきおこす。」と述べている。

ここで追って来る男性は直方体の石を2つペアで投げて来る。この石については女性に侵入するものとしてphalicな象徴としての解釈も成立するだろう。またさまざまな解釈可能性があると思われるが、いずれにしてもこの石が何らかの彼女が受け取るべき課題を意味していることは確かなようである。彼女がそれを避けようとすればするほど石は確実に彼女に命中している。

また、彼女が自分の体内に入った石を自分で処理することができていることは重要なことと思われる。心配げに見守る母親を尻目に彼女は「大丈夫」と言いながら独自の対処をしているわけで、母が直面してきた問題を今度はB子が自分の問題として受け止めているかのようである。さらに、その石を取り出す際に生じた腹部の赤い瘢痕から、B子は自分の過食・嘔吐を連想している。彼女にとっての嘔吐が女性としての自分の受容困難という意味をもっていることは彼女自身がこの夢をみたあと連想していることからも確かであろう。しかしさらに一方でこの嘔吐には母親とは違う自分独自の対処という積極的な意味も考えることができるのではなかろうか。夢はそちらの意味をも示唆しているように思われる。

この最後の夢5は、彼女の男性像の変遷という文脈からも今後、多くの課題が山積していることを示している。例えば、夢自我は追いかけて来る男の顔も一緒に逃げている男の顔も見ることができていない。その分それらは未分化な位置に置かれている。当然のことながら追って来る男性は自我に親和的なものにはなっておらず、男性像が受容されたとは言い難い。この夢はむしろ問題提起の夢である。この意味からも筆者はB子の問題が解決したとは思っていない。いわば第1段落が終わったわけで、将来再び彼女が面接の再開を求めて来院する可能性は大きいと思われる。その際には第2、第3の段落が展開されることが予想される。

5.結語

この症例は女性の心理的発達過程における母娘の一体的関係という段階から一歩踏み出そうとする移行の段階にいるものと考えられる。その際この一体的関係に割って入ろうとするものは男性性に外ならない。それ故男性は侵略者、略奪者として立ち現れる。この症例の夢2において男性は、冥界の存在として出現した。その後の夢5では侵略者として、彼女を追いかける。女性にとって外的、内的になんらかの形でその侵略を受容することがこの段階から次の段階に展開するために必要となるが、彼女はまだそれを達成したとはいえず、将来の課題として残されている。しかし全くの拒否となっているのではなく、彼女が受容の方向に動き始めていることも事実である。またこれら男性像の活動と平行して、夢の中での彼女と母親との関係は、微妙な変化をとげており、これらのことは治療者に明るい展望を与えている。

最後に本小論を書くにあたり、さまざまな貴重な御意見を下さった大阪大学医学部精神医学教室の井上洋一先生と浅香山病院院長の高橋尚武先生に心から感謝の意を表します。


文献

1)Abelin,E.: The role of the father in the separation-individuation process, In: McDevitt, J.B. & Sttlage, C.F. (eds.): Separation-Individuation. International Universities Press, New York, 1971.

2)Bachofen,J.J.: Das Mutterrecht.Verlag von Krais & Hoffmann, Stuttgart, 1861. 岡 道雄,河上倫逸, 監訳: 母権論, みすず書房, 東京, 1991.

3)Blos,P.: Modification in Classical Psychoanalytical Model of Adolescence. In: Adolescent Psychiatry. Vol.7, The University of Chicago Press Ltd., London, 1979.

4)Deutsch,H.: Psychology of Woman. Vol.1, Grune & Statton, New York, 1944. 懸田克躬訳: 若い女性の心 理(1), 日本教文社,東京,1964.

5)Freud,S.: Female sexuality. (1931.) The Standard Edition of Complete Psychological Work of Sigmund Freud. Vol.21, The Hogarth Press, London, 1961. 懸田克躬, 高橋義孝他 訳: 女性の性愛について (フロイト 著作集5), 人文書院, 京都, 1969.

6)丹羽 隆子:ギリシャ神話, 大修館書店, 東京,1985.

7)Jung,C.G.: Allgemeine Gesichtspunkute zur Psychologie des Traumes. (1948.) Die Gesammelten Werke von C.G.Jung. Bd8,Walter-Verlag AG., Olten, 1967. 秋山さと子, 野村美紀子 訳: 夢の心理学(ユングの人間論 ), 思索社, 東京,1980.

8)Jung,C.G.: Die Beziehungen zwischen dem Ich und dem Unbewuβten. (1935.) Die Gesammelten Werke von C.G.Jung. Bd7, Walter-Verlag AG., Olten, 1964. 松代洋一, 渡辺学訳: 自我と無意識, 思索社, 東京, 1984.

9)Jung,C.G. und Ker nyi,K.: Einf hrung in das Wessen der Mythologie. Rhein-Verlag AG., Z rich, 1951. 杉浦忠夫訳: 神話学入門, 晶文社, 東京, 1971.

10)中村瑠木子:前青年期・青年期前期女子の精神療法の一技法,小此木啓吾編,青年の精神病理 2, 弘文堂, 東京,1980.

11)Neumann,E.: Zu seelischen Entwicklung des Weiblichen. Ein Kommentar zu Apuleius . Rascher & Cie. AG., Z rich, 1952. 河合隼雄 監修, 玉谷直實, 井上博嗣訳:アモールとプシケー ————女性の 自己実現———, 紀伊国屋書店, 東京, 1973.

12)Neumann,E.: Zur Psychologie des Weiblichen. Rascher & Cie.AG., Z rich, 1953. 松代洋一, 鎌田輝男訳: 女性の深層, 紀伊國屋書店, 東京, 1980.

13)Neumann,E.: Die Groβe Mutter. Bollingen Series XL . Phantheon, New York, 1955. Rhein-Verlag,Z rich, 1956. 福島章,町沢静夫,大平健一他訳: グレート・マザー, ナツメ 社, 東京, 1982.

14)Winnicott,D.W.: The Maturational Process and the Facilitating Environment. The Hogarth Press Ltd, London, 1965. 牛島定信訳: 情緒発達の精神分析理論, 岩崎学術出版, 東京, 1977.



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『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』を読んで その@ — 幻聴が聞こえたら
2005年1月8日

 最近、

H・M・クレックレー、C・H・セグペン[著]川口正吉[訳]『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』(講談社プラスアルファ文庫)

を読みました。この本は1973年に邦訳・発行されたハードカバーの文庫版なのですが、著者の患者であったイブ・ホワイトという名の女性の、多重人格症状の発症から回復までの過程について書かれています。精神的な分野の書籍であり、今回は、この本の内容について触れていくことにします。

 一連の出来事は、彼女がひどい頭痛に悩まされはじめ、町の診療所に行くことにより始まります。その診療所の医者にクレックレー・セグペン精神科クリニックを紹介されるのですが、実は、そのクリニックの治療者が著者であるクレックレーとセグペンの両博士であり、彼女に対しての精神療法による治療が始まることとなるのです。そして、その治療の過程で著者は、当時、非常に珍しい症状であった多重人格症状の症例に接することとなったのでした。

 治療者である著者は、面接を行うことによりイブ・ホワイトの話(症状)を聞いてきます。彼女は、夫婦生活をする中で、度々、夫に腹を立てられ、時には平手で打たれる事があると告白し、自分では何故そういうことを夫にされるのか理解できないと言います。著者も、この小さな女性と接した感触では、性格が大人しく、腹を立てられるようなことをするとは想像できない。夫が尋常な男ではないのか、それとも、他に何か原因があるのか。問題の原因を探りはじめることになります。

(本書、第1章「それは偏頭痛からはじまった」17頁より)
 彼女はしばしば、「目がくらむような」頭痛と形容した。どんな意味でこの形容詞を使っているのか、なかなか正確にはわからなかった。どうも字義どおりに視覚を失う、あるいはまったく見えなくなるということではなさそうであった。ただ、偏頭痛の患者によく見られるような視覚障害があったことだけは事実のようであった。彼女はまた、頭痛発作のあとに意識喪失があるともいった。彼女が意識的に説明を避けたというのではないが、こうした発作期間にいったい何が起こったというのか、診療者ははっきりとした意味合いをつかむことがむずかしかった。

 ときに、彼女のいう言葉から、ただの卒倒だったのではないかと思われるフシもなくはなかった。たるいは彼女のいうのが、もっと悪質な記憶喪失を意味しているのではないかと疑われることもあった。しかし、神経病学検査では、脳腫瘍の徴候は見られず、意識喪失を起こすような他の器質障害の徴候も見られなかった。また痙攣症の病歴も彼女にはなかった。

[中略]

 彼女のパーソナリティ(人格)は誰が見ても、異常とか強烈とかの特徴の全く欠けた、どんな驚くべき可能性もありようのない、ごく陳腐なものであった。

 治療を始めて数週間で彼女はかなり良くなり、もう意識喪失の発作を訴えなくなったので、事態は好転したかに思われました。しかし、安心したのもつかの間、その後、彼女は夫であるラルフ・ホワイトに連れ添われて再度診療所にやって来ます。ラルフが語るには、妻の気質が時々奇妙に変化し、それが原因で彼が癇癪を起こすことがある、とのこと。また、そういう事件があったにもかかわらず、彼は妻のことを、そういう病的な面を除いては大体において魅力的な女性、非常に貞淑で、辛抱強く、子供に対して献身的な、良い母親であると見ています。

(同、第2章「幻聴を聞く」23頁より)
 「先生、こんなやさしいしっかりした女が人を怒らせるなんて、とても信じられないでしょう。ですがそれは事実なんです。僕が悪いのかもしれません。いや、妻はあまりに善良すぎて、そのために時々、僕は癇癪を起こすのかもしれません……先生は妻のいいところばかり見ていらして、それに慣れきっていられるのです。もし先生も……それとは全然ちがった反面……それが出たとすれば……どう解釈すると当惑されると思います」

 もっと詳しく話してくれと私たちは頼んだ。イブはときとすると、いつもの辛抱強さと冷静さとは似ても似つかない様子で、別人のように振る舞うことがあるという。

 その後、治療者の症状を解決させようという努力の効果が表れたのか、夫婦の間柄はかなりよくなったように察せられました。しかし、再度ラルフから期待を裏切る手紙が来ます。ひどい頭痛がぶり返したので、なるべく早く面接をお願いしたいとのこと。診察室でイブ・ホワイトに会うと、ひどい頭痛が続いて、生活が極めて惨めだったと訴えられます。そして、彼女は、何度も繰り返し同じ不思議な夢を見ると告白します。

(同26頁より)
 医師は、催眠術をかけてみようかといった。

 彼女は別にいやな顔もせずに承諾した。何度もすぐさめて、うまくいかなかったが、最後にやっと催眠状態になった。医師は、眠っている彼女に、そのままもう一度夢を語ってくれるよう命じた。そして目が覚めてからその夢が現実の経験とどの部分で一致しているのか、よく考えてみるのだとよといいふくめた。

 催眠状態からさめたあとで、彼女は、夢のその部屋が彼女の存在全体を意味しているらしいこと、よどんだ汚水は夫がカトリック教会のメンバーだという意味らしいことを、きわめてスラスラと申したてた。こう見ると、夢と現実とはまったく一致しているのであって〜[中略]。

[中略]

 この夢の解釈で新しい事実が発見されたわけではない。
彼女がこれまで意識的には、そしてはっきりとは気づいていないことが、一つでもこの夢の解釈で明らかになったというものではなかった。だが夢の解釈を医師と話しあうことは、彼女がこれまでの面接でふれることを避けていた重要な意味を持つある部分の感情を、明瞭に彼女に意識させるには役だったようである。

 事実、彼女自身も驚いたように、頭痛は突如として消え去った。彼女はすっかり元気を回復して診療室を辞していった。精神治療医(セグペン)がこれまでの面接で見たこともないほど彼女の気持ちはほぐれ、明るくはればれとしていた。


 それから約1年間、イブ・ホワイトの状態はかなり良好な状態を保ちます。しかし、ある日、治療者の元に彼女から一通の手紙が来るのでした。夫と、とり返しのつかない争いを起こしてしまった、という内容の手紙です。催眠術による治療は有効であったが、このケースでは、約1年間しか効果が続かなかったようです。

(同27頁より)
 大変な喧嘩、そのあと夫も妻も逆上して、もはや二人の関係もこれまでだと宣言しあった。ラルフはすぐ一人で家に帰り、妻があとで衣類や自分の品物をとりにくるのを待った。

 彼女がもどってくると、態度がまるで変わっていた。夫は、妻のほほえみ、やさして声のちょうしにびっくりしてしまった。彼女は、何事もなかったかのように、夫の頬に軽く接吻し、いつものとおり家の中の仕事をやりだした。彼女の行動に当惑をおぼえながらも、夫は妻の態度に心がやわらぎ、妻が、あの時のはげしい憎悪と破局的な意向を何かの考えでひるがえしたのだろうと思って気をやすめた。今さらあの喧嘩のことを持ち出して危機をおしすすめるべきではないと考えた。それからの数日、家庭は平和にあふれ、夫婦の間柄はこれまでにないようなものであった。

 するとある日の夕方、旅行に出かけるつもりか、スーツケースに物をつめている妻を見つけた。彼女は冷静で、事務的で、そして軽く微笑していた。夫は何気なく、なぜ旅行の支度をするのかと妻に聞いた。

 「なぜ……?私、フローのところへ出かけるのでしょ?」

 彼女は、夫の質問にびっくりしたような表情で答えた。夫がなぜそんなわかりきったことを聞くのか彼女はとまどっている様子であった。悲劇的な終わり方をした先ほどの旅行は、じつはこのフローのところを訪ねたことであった。

[中略]

 「おい、何をバカいっているんだ。君のフローを訪ねる旅行はもうすんだじゃないか!」と夫は声を荒げて妻をなじった。彼女はただ呆然とするだけであった。

 治療者との面接でも彼女は、納得がいかない、フロー夫妻を訪ねて数日を過ごしたことも、あとから夫が来たことも、全然覚えていない、と言いました。これはひどい記憶喪失だと思った医師は、再度彼女に催眠術をかけることにします。すると、フロー(従姉妹)と仲良く数日を過ごしたことを明瞭に思い出すことができるのでした。しかし、 夫との口論の原因については、なぜか曖昧なことしか言えず、おかしなフシも見られました。

 治療者は、面接をしているときの彼女の穏やかな態度と、夫の述べる、喧嘩の際の彼女のはげしい行動との間に辻褄の合わないものを感じ取ります(夫の証言は、その口論の場に居合わせたフローの夫に会うことにより誇張でないことが証明されていました)。その後、治療者との面接により少し自信を取り戻した彼女は夫に伴われて帰っていくのですが、直後に手紙が届きます。それも、未完の手紙であり、途中で突然、筆跡と内容が変わっている手紙なのです。その変わり様は、子供がイタズラ書きしたように、同一人物が書いたとは、とうてい思えないようなものなのでした。この手紙を受け取り、医師は様々な可能性を模索します。

(同36頁より)
 これまでイブ・ホワイトはいつも変わりなく慎重で実直な人柄であって、几帳面なくらい誠実な女であった。その真面目な彼女が、正気でこんないたずらをするとは、とうてい考えられない。とすれば、コロンビア市の従姉妹を訪問したときの健忘発作という事実と考えあわせて、この場合も、それに似たようなごく短時間の夢遊病、あるいは遁走(フユーグ)が発生したのかもしれない。それが医師のいちおうの説明であった。


 この手紙の一件から一週間もせず、著者は、今度は夫であるラルフから連絡を受けることになります。彼女が、今度は夫に相談なしに町に行き、非常に高価なドレスをたくさん買い込んできたという。それで急遽、翌日に面接することになるのですが、会うと、また彼女はそのことについて何も知らないと言います。彼女は、夫の怒りを(誤解を?)解けずにいる、子供も失うかもしれない、そういう不安により地獄にいるように苦しめられている、そう察せられるのでした。

 自分を救って欲しいとすがるような目で医師の方をまじまじと見る彼女。治療者である医師との間に、緊迫した沈黙の時間が生まれます。その時、医師は深い呼吸をし、自分でも何故そうしたかわからないのですが、微かにほほえみます。すると、彼女の意識の中で何かの変化が起きたのか、初めて幻聴の体験を告白するのでした。それまで、彼女の性格もあり告白できないでいたのです。彼女も、幻聴という異常現象から統合失調症(精神分裂病)という重い精神病をイメージし、精神病院に入れられて、二度と外に出られないことを恐れていたのでした。

(同41頁より)
 「もう、何ヶ月にもなります。あの声が聞こえだしてから。めったにしかないのですけれども……」

 ところが、ここ数日はそれがとても頻繁になってきて、いまではどうしても避けることができなくなってきた。聞こえるのはいつも女の声である。誰の声だかどうしてもわからない。が、聞き慣れた声のように思われることが時々ある。その声は軽快な調子のしゃべり方で、時どき下品な言葉を使う−と彼女はいった。

[中略]

 精神病者の幻聴というものは、通例こんなにはっきりした声を聞くものではない。精神病者は、聞きなれぬ声がしゃべるその内容に恐怖を覚えはするが、異常な知覚そのものをとくに恐ろしいと思うことはめったにない。幻聴を聞く精神病者はほとんど一様に、自分の聞く声が現実にある声だと考えている。彼らはラジオとか、レーダーとか、あるいは無限の距離に音波を発射する放射性物質、さらには霊能者の内部に潜む心霊体に、目には見えぬ波動が作用してそうした声が聞こえてくるのだ、と絶対に信じている。

 精神分裂病の患者は、幻聴が精神病の一つの証拠だとはけっして思っていない。幻聴の声が現実のものでないと、いくら説明してやっても、とうてい彼らを納得させることはできないのである。

 これに反して、イブ・ホワイトの反応の仕方はまことに奇妙なものであった。すなわち、彼女は、精神病学の理論としては重症の精神病者にだけしか起こらないはずの幻聴を感じると同時に、それに対して正気で健康な通常人のするような反応を示しているのであった。

 今回は、ここまでの内容で筆を置かせていただきます。全29章の中の、はじめの2章についてのみ触れていったのですが、それだけの内容の中にも、有益な情報が多くあるように私には感じられました。最初は激しい頭痛、そして、意識の喪失を訴えるイブ・ホワイト嬢。脳に問題があるのかというと、脳腫瘍などの異常はないという。そして、夫による証言では、妻の気質が変わり別人のように振る舞うことがあるとのこと。病院にかかるほどの問題を抱えていなくても、気分屋であったり、時として別人のように振る舞う人は、現在の日本にも多く見られるのではないでしょうか。

 その後、頭痛がひどく、日常が惨めで、不思議な夢を繰り返し見るという彼女の訴えにより著者は催眠術という方法よる治療を試みます。その結果、一年間ほど症状は好転するのでした。催眠術というと、私はブライアン・L・ワイズ[著]『前世療法』を連想しますが、ワイズ氏のケースでは、退行催眠により患者の病気の原因になった時期まで記憶を遡ることを試みたところ、患者の生前にまで記憶が遡ってしまい、そこから新しい事態が展開されていくのでした。

 話を元に戻します。治療から約一年後、再び彼女に事件が起こりはじめます。夫からの視点によると、彼女は気質が変わることがあり、癇癪を起こしたり、そうかと思うと、そのことをすっかり忘れていたりする。彼女にしてみたら、頭痛で悩まされる上に、自分がしてもいないことで夫に激しく怒られ不条理に感じるし、気分は沈む。不安にもなる。解決することがむずかしい状態に、彼女たちはおかれているように察せられます。

 著者が再度催眠術による治療を行うと、彼女は忘れていた記憶を大部分思い出すのですが、問題の核心については何故か曖昧なことしか言えません。そして、後になって、彼女が幻聴の体験をしていながら告白できないでいたことが発覚するのでした。彼女は、幻聴が聞こえることにより自分は統合失調症であるのかと疑うのですが、私の場合と同じく、幻聴という症状により統合失調症と診断され、精神病院に入院、二度と外の世界に出られないことをイメージし、彼女はクリニックの治療者である著者にも言えないでいたのです。しかし、ある切っ掛けにより治療者との信頼関係が気づかれることにより、、遂に彼女は告白することになるのでした。

 著者によると、精神病患者の幻聴と、彼女の幻聴との間には明確な差異があります。それは、精神病患者は現実の声と幻聴との区別をすることができないのですが、彼女は幻聴を幻聴だと認識し、現実の声と区別することができるということです。ともかく、彼女のこの幻聴の告白により、治療に関しても新しい展開を迎えることになるのでした。


『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』を読んで そのA — 幻聴が聞こえたら

今回も、前回に引き続き『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』の内容について触れていきたいと思います。前回、イブ・ホワイト夫人は幻聴の体験についての告白をしました。その後、彼女は精神病と診断されていないことに安心しながらも、娘を手放すことに対する恐れ、夫との問題、などにより神経をすり減らし続けます。そして、頭痛の回数は増え、激しくなり、意識が喪失することも多くなっていくのでした。

 そんなある日、医師が彼女と面接している最中に、信じられないような事件が起こります。彼女に聞こえる「女性の声」が話題であり、その声のことをうまく説明しようとして、彼女が考えあぐねていたときでした。

(本書、第3章「もう一人の女」44頁より)
 彼女の考え込んでいる目の表情が、ほとんど凝視の形をおびてきた。イブは、瞬間、眩暈を感じたらしかった。突然、彼女の姿勢が変化しはじめた。彼女の体はおもむろにこわばっていき、ついに硬直したまっすぐな座り方になった。と、見なれない、わけのわからない表情が彼女の顔をサッとかすめた。が、次の瞬間にはそれも消えて、完全な無表情となった。容ぼうのあらゆる線が、ほとんど認められないくらいの、さざ波が立つような変化で移っていくように思われた。しばらくのあいだ、何かひじょうに計り知れぬ神秘的な表情がそこにただよっていた。両目を閉じ、彼女は両手をコメカミにやり、そこを強く押さえ、急激な痛みと闘うように交互に上下へひねりながら、顔をしかめた。かすかな震えが彼女の体全体を通り過ぎた。

 それから−両手は軽くおろされた。そして彼女の姿勢は、医師がこれまでこの患者について目撃したことのないゆったりとしたものに、たわいなくほぐれていった。青い目がぽっかりと見開いた。すばやい大胆なほほえみ……。

「ハイ!……そこなの、先生(ドック)!」

 人格が交代する瞬間の描写についての記述になります。イブ・ブラックという未知の人格が、イブ・ホワイト人格と交代して医師の前に初めて現れたのでした。記述から、喋り方が変わっているだけではなく、姿勢なども変化していることが理解できます。

(本書、第3章「もう一人の女」49頁より)
 ここでもうすこしくわしく、この新しい幽霊の女と、消えさったイブ・ホワイトとの外見上のちがいを説明しておこう。あの平凡なイブ・ホワイトが、内気な稀に見るしとやかさと節度とをわきまえた女性であるのにたいし、新しく出現したこの女は、子供のようにものおじしない気質、エロチックでいたずらっぽい流し目、滾々と湧き出るような活力、遊びを求める貪婪な意欲などが特徴であった。このまるで屈託のない女は、イブ・ホワイトとその悩みを、人ごとのように口にし、イブ・ホワイトを指すのに「彼女」という三人称を用い、自分自身とのあいだにはっきりとした境界線をもうけていた。

(中略)

 二人の女性のあいだの数えきれないほどのちがい−態度、物腰、表情、姿勢、反射の度合い、視線、眉のかたむけ方、目の動き、そういったもののすべては、たしかにこの女が全く別人であることを主張しているかに見えた。だが、そうした差異が実際何であるかと正面きって問われると、まったくどう返答していいかわからなくなるのであった。

 二つの人格の間には数多くの異なる特徴があり、例え同じ肉体を共有しているにしても、同一人物であるようには感じられないし、その差異をうまく解釈することができない、ということです。つまり、ある人が二重人格者と会い両人格と接した場合、それぞれ別の人と会ったように感じるのですが、それが何であるのかよく理解できない、そういう状態です。二重人格という症例は、精神科医もめったにお目にかかるものではなく、その解釈に著者自身が非常に困らされるのでした。

(本書、第5章「二重人格−その人格交代に直面して」87頁より)
 多重人格はしばしば、ヒステリーの一形態だといわれる。これまでに報告されたケースでは、たしかに、意識の分裂を示すとともに、転換ヒステリーの古典的なまちがいのない症候を示しているものが少なくはなかった。誰でも知っているように、ヒステリー患者はひじょうに暗示にかかりやすく、芝居がかった行動をする。こうしたヒステリー患者が、自分はいますばらしいものを発見しつつあると思いこんでいる医師の熱心な呼びかけに答えて、凝りに凝った、信じられないくらいの仕草をやってのけ、観察者の期待にそうような、いや観察者の想定を上まわるような変貌を見せるであろうことは、想像にかたくない。

 読者も見聞きされただろうが、およそ薄気味のわるい怪奇な現象−たとえば空中浮遊だとか、死者との通信だとか、物理的な力が働いていないのに物が動くとか、遠隔の人と会話をするとかいう現象−は、むかしは「騒ぐ霊(ポルターガイスト)」の仕業だと思われていたのだが、今日でも、相当の学識ある人でさえ、これを死者の心霊によるものだと信じているようである。ところがよく調べてみると、術者はたいてい、じつは悪意のないヒステリー症の少女か何かなのであって、彼女をあやつる黒幕の人物の命令するままに、無意識のうちに行動し、演技が度重なるにつれてますます芝居がかり、神秘性をおび、ついには信じがたいまでの「奇跡」をやってのけるにすぎないのである。

 多重人格の解釈について書かれていますが、ヒステリー症の一形態だといわれることが多いのだそうです(本書が執筆されたのは1958年です)。また、著者は、ポルターガイスト現象について、黒幕の人物に操られたヒステリー症の少女か何かが引き起こしている、との解釈をされています。

 私は、そういうことも多くあるのかなと感じます。もう、心霊的な世界には怪しげな山師が多数潜んでおり、詐欺的な行為を多くしてきたために信頼性を失っているという現状があるように感じるからです。そのことも一因となり、学識ある人々の多くは心霊的な世界について語ることを嫌がるのではないでしょうか。つまり、物欲に囚われているような人間は、精神的な世界について語ってはいけないということです。特に、金儲けや虚栄心のために精神世界・心霊的なものを利用してきた人々が少なからずおり、結局は、そういった行為が心霊的なものの信頼性を低めてきたのでした。

(本書、第6章「孤独な魂の記憶」99頁より)
 だが、いま直面している患者は、ありきたりの精神障害とはまったくちがう。私たちは二十年近く、共同で精神科クリニックを経営してきたのだが、イブ・ホワイトのようなユニークなケースに出会ったのは、これがはじめてである。この患者は無数のむずかしい問題を提起し、いかなる不測の可能性を秘めているかもわからない希有のケースである。

 精神医学の教科書ではしばしば、二重人格はヒステリーという周知の名称のもとに、他の意識分離症といっしょに分類されている。だが私たちには、この患者をはたしてヒステリーの分類に入れていいかどうか自信がなかった。彼女がはたしてヒステリーに共通なありきたりの反応を示すかどうか疑わしく思った。この患者には、私たちの知識の限界をはっきりと自覚させる何かがあった。人間という統一体あるいは人間の生命という小さな核的事実をとりまいて、そこに広がる無限の神秘性についてわれわれの知識がいかに乏しいか、そしてまた精緻な精神病理学の諸理論がいかに疑わしく、頼りないかを思い知らしめる何ものかがあった。

 著者は、このイブ・ホワイトのケースを、ヒステリー症として分類していいかどうか悩みます。著者の知識を超えるものが現状としてあり、自分たちの力の限界を自覚させられたからでした。

 心霊的な知識からは、このケースを霊魂の交代だと解釈しすることができます。霊魂が交代する。だから、肉体以外の部分は全て交代する。そういう解釈になりますし、著者は、それを無限の神秘性として感じられているのではないでしょうか。また、心霊的な精神病の解決方法として、霊媒に霊を憑依させて解決していく、というやり方があり、そのことについては後述します。

(本書、第6章「孤独な魂の記憶」110頁より)
 観察期間中、彼女には多い隠された、あるいはごく初期の、精神分裂病の徴候はなかった。また分裂病質傾向すら全然見られなかったということを、とくにここで強調しておきたい。よく、一件常人であって、行動も言語も非の打ちどころのない合理性をもっていながら、その内側の奥深い個所にきわめてかすかな分裂病的な異常さが隠されており、何かのはずみに察しても、彼女の動作、姿勢、その他いっさいの外部に現れる部面で、おかしな気味のわるい徴候などは毛筋ほども見られなかったのである。

 彼女には、多重人格といわれる人格の交代は起こっていたが、現実と幻覚を混合するといったような一般的に統合失調症患者に見られる傾向はなかった、ということです。

(本書、第7章「意識がとぎれた間」131頁より)
 イブ・ホワイトと対座しながら、治療者は静かに、イブ・ブラックの名を呼んだ。そして、何も知らないこの患者に、直接に話しかけてくれと、医師は要求した。

 反応はただちに、しかも印象的に表れた。イブ・ホワイトの顔は、突如として表情を失い、中略。すべての表情と感情とをはぎとられた空白の一瞬がすぎて、その顔には、原始の驚きともいうべきむきだしの感情が表れた。そして寸時の沈黙ののち、彼女の相貌は、またいつもの静かな落ち着きをとりもどした。かすかな、聞き取れぬほどのため息を一つもらし、彼女はおもむろに、ささやくようにいった。

 「……ありえないことですわ」

 患者の心は深部から揺すぶれ、乱された。彼女の医師はその午後ずっと彼女につきそってやらなければならないと思った。彼女の感情が、この不気味な、恐ろしい自己了解に順応していくように、できるだけ彼女を力づけてやらなければならないと思った。

 これは、著者とイブ・ブラックがあらかじめ話しあい、イブ・ホワイトにもう一つの人格(イブ・ブラック)の存在を知らせるため、彼女にその声をわざと聞かせたのでした。それは、イブ・ホワイトにもあらかじめ説明してから、意識の奥の方からイブ・ブラックが語りかけたわけです。

 イブ・ブラックの方は、イブ・ホワイトの考えていることがわかるといい、その存在を以前から知っていました。しかし、イブ・ホワイトの方は、それまでイブ・ブラックの存在を全く知らなかったので、著者は、その存在を知らせることが治療の役に立つと考え、彼女に幻聴(イブ・ブラックの声)を聞かせたのでした。

(本書、第9章「第二の人格はいつできたか」160頁より)
 私たちは、イブ・ブラックとの対談で、彼女がイブ・ホワイトの幼少期からずっと独立の生活をもっていたと聞かされて、驚くとともに、その真実を疑った。イブ・ブラックなるものが、患者のここ数年経験した破壊的な情動ストレスから生まれた産物らしいと推測していた私たちは、これをまた例のイブの誇大な作り話の一つではないかと思っていた。彼女は、二十年前、あるいはそれ以前の挿話を、隠しだてせずに語った。みんな、彼女が出現した話で、いたずらをしたり、両親のいいつけに従わなかったというような話ばかりであった。

(中略)

 私たちが両親と面談するにおよんで、イブ・ブラックの語った挿話のあるものは、両親その他の家族の証言で、これを裏づけることができた。(中略)。両親ともイブ・ブラックが私たちに話したことのあるいくつかの事件を記憶していた。

 イブ・ブラックは二十年前から記憶をもっており、その記憶が両親の証言で裏づけられた、とのことです。これはイブ・ホワイトにとっては、信じられないような、恐ろしいことではないでしょうか。自分の知らないところで、自分のことを知っていて、考えていることもわかる人格(霊魂)がいたのですから。しかも、イブ・ブラックの場合は、時どき肉体に表面化しては問題を引き起こし、後始末はイブ・ホワイトにとばかりに、責任は取らずにまた奥に引っ込んでいくのでした。こうなってくると、興味は、どうしてこのような事態になったのか、どうしたら問題が解決するのか、という方に移ります。


(本書、第10章「自殺願望」176頁より)
 ごくはじめのころの面接で、イブ・ブラックはこういうことがあった。彼女の中のイブ・ホワイトの記憶(memory)が、ごくわずかの時間ではあるが、ひどく妨げられることがあった。それは、イブ・ブラックの支配がなおつづいていながら、しかも彼女の交代人格が必死にもがきでようとするので、意識にありつこうとする両者の争いがはげしくなり、いっときどちらが勝ちをしめるかわからないようなきわどい一時期に、そのような記憶の妨げが起こるということができる。いつもできるとはかぎらないが、時々はできる、といった。しかし、これをするには、かなり不快な努力がいるので、めったにそうはしないのだという。

 恐ろしいことに、イブ・ブラックにはイブ・ホワイトの記憶を妨げる能力があるのでした。イブ・ブラックの場合は、滅多にそういうことはしないとのことでしたが、もしも、そういう行為ばかりするとなると、「『霊感者スウェデンボルグ』にみる幻覚の心霊的解釈」における、憑依霊と同様の行為をしている、より悪質な霊であるということになるのではないでしょうか。

(本書、第11章「誰にも本当のことは言えない」188頁より)
 「偽善者」という言葉がある。その人の主張、自負が、実際の行動とあまりにくいちがっている場合、彼は「偽善者」といわれるのだが、そのくいちがいが極端な場合は、彼は「二重の人生を送っている」といわれる。

 このように、意識からしりぞけられシャットアウトされた傾向、態度、性質が、その人の心の内奥に、気づかれぬまま一つの潜在能力として存在し続けるという説は、けっして根拠のないものではない。かく、意識からしりぞけられ分離されたものが、何かのきっかけで動員され組織化され、ついには一つの目に見えるものとして表面に表れてくる−それがいわゆる二重人格の中の第二の人格であると説明されているわけである。

 この考えにもとづけば、治療の道はおのずから明らかであろう。すなわち、二つの人格相互認知をすすめてゆき、最終的な再統合へもってゆくということである。かくて、数十ヶ月にわたり、おのおののイブを一歩一歩その幼児期までたどっていかせるという努力がつづけられた。

 何らかの原因により、一つの肉体に二つの人格が宿るという状態になり、片方は真面目で、もう片方は不真面目なのでした。そして、時どき、不真面目な方の人格が肉体を支配しトラブルが起こる、という構図になります。著者は、人格が分離した幼児期まで記憶をたどること、そして、二つの人格の相互認知をすすめることが、この問題を解決する治療方法であるといいます。

 「C.A.ウィックランド著『精神科医ウィックランド博士の迷える霊との対話』」にみられるように、精神病の心霊的な治療方法として、精神病患者に取り憑いている憑依霊を霊媒に憑依させ、霊能者(この場合は精神科医)がその憑依霊と対話することにより、解決を探る(病気を治していく)というやり方があります。実は、このイブ・ホワイトとイブ・ブラックのケースについても、これら心霊的なケースとの類似性が見られるのでした。肉体を支配している主人格(この場合は、イブ・ホワイト)に対して、非協力的(この場合は、イブ・ブラック)であったり、攻撃的な他人格がおり、主人格が苦しめられるという構図がそうです。そして、そういった不満分子の理解を得ることが、問題解決のポイントであると考えられています。

(本書、第13章「内向を深める性格、外向に走る性格」217頁より)
 しかしながら、ミス・ブラックのロールシャッハ・テストが、私たちが依頼した臨床心理学者によって、「ホワイト夫人のそれよりはるかに健全である」と解釈されたことは注目に値する。この臨床心理学者によれば、イブ・ブラックの記録はヒステリー傾向が顕著であるのに対して、ホワイト夫人には、「しめつけられている感じ、不安状態、強迫神経症傾向」が見られるという。(後略)。

 これは、現代人の生き方の違いにも通じる両人格の間の差異になります。抑制的で大人しい性格のイブ・ホワイトよりも、開けっぴろげで我慢を知らないイブ・ブラックの方が、精神的には健康であるということです。

 現代の日本にも、流行を追い、クラブに踊りに行き、乱痴気騒ぎが大好きで、大した向上心もなく日々を生きているA君と、本を多く読み、勉学に打ち込み、倫理・道徳的な生活規範で自分を縛り、目標を持ち日々生きているB君がいます。私は大体はB君でありたいと思っていますが、実は、精神的にはA君の方が健康的であるといわれています。A君はストレスを感じない生き方をしているのに対して、B君は、自分をより向上させるためにストレスを溜める生活をしているからです。

 では、みんなA君のような生き方をするのがいいかというと、私は決していいとは思いません。B君のように目標を持ち努力し、時には、人の道に外れない範囲内で羽目を外し、ストレスをうまく処理して生きていくことが、最良の方法ではないのでしょうか。つまり、バランス良く生きていくことが大事であるように感じます。

(本書、第13章「内向を深める性格、外向に走る性格」219頁より)
イブ・ホワイト
 つつしみぶかく、控えめで、ある点では聖女に近い。
 顔は静かな甘美さを示す。休んでいるときの表情は悲しみをじっと噛みしめているといったふうである。
 声にはいつもやわらかでなだらかな抑揚があり、つねに、ひときわ女性的な抑制に支配されている。

(中略)

 過酷な環境に苦しみ、悲劇に恐れおののき、そうした中でわが子を守りぬこうとする健気な努力は非常に印象的であるが、本質的には破れやすいものであるだけに、いいようのない悲壮感を誘う。はたから見て、いまの環境にやがて圧しつぶされるのではないかと、ハラハラさせられる。
 ナイロンに対するアレルギーはない。

イブ・ブラック
 どう見ても、パーティ・ガールで、抜け目がなく、子供のように見栄っぱりで、自己中心的である。
 顔はピクシーのようで、目は、いたずら小僧が瞳の奥からのぞいているように、躍っている。
 表情は変化しやすく、いつも何かおもしろいことがしたくてたまらないといった衝動的な光をただよわす。目つきはカゼのごとく移りやすい。顔には悲壮のかげがまったくない。時どき子供のあどけなさを見せるが、ほんとうは、それは表面だけの無邪気さである。
 声はすこししわがれている"ディスカルチュアな"(本人の住む文化的枠組みから逸脱した)ところがあり、陽気さと、相手をなぶるひびきがある。

(中略)

 およそ思索的などではない。真剣になることは、彼女にとっては、退屈なバカバカしいことである。男はこの女を見るとすぐおもしろい女だと感じ、人好きのする女だと思うだろう、そういう魅力がある。つまらぬ日常経験の細かいことまで、異常な好奇心で観察しようとする。そして不思議にも、「じわじわとくる外部世界の汚濁が伝染してこない安全地帯に引っこんでおり」、あらゆる精神的苦悩と悲哀とから離れて安泰である。
 彼女の皮膚は時どきナイロンによってジンマシンを起こすと本人がこぼしている。だから「出ている」ときは、靴下を長時間はかないようにしている。


 イブ・ホワイトとイブ・ブラック、両者の性格の違いについての記述になりますが、これはもう、完全な別人だということがわかります。そして、イブ・ブラックは20年前からの記憶があるといいます。それでは、なぜ、その時からの記憶があるのか、ということが疑問として生まれてくるのです。そして、両人格の間の相互理解がこの症例の解決策になると著者は考え、その方向での治療が行われていきます。この、両人格の相互理解が達成されたら、症状は好転するのか、どういう結果を招くのか、非常に気になるところです。

 わたしは、この両人格を心霊的に霊魂であると考えていますが、何らかの事件が二十年前に起こり、それまでは一つであった人格なり魂が、二つに分かれたのではないかと考えている点において、精神科医である著者の解釈と何も異なるところはありません。

 丁度、太陽のように一つの丸い球体が、ヒョウタンのような形状を経て、二つの球体に分かれるような感じに分かれたのではないかとイメージしています。そして、片方の真面目で責任感のある霊魂(人格)が普段は肉体を支配し、もう片方の不真面目な方の霊魂(人格)が奥の方に引っ込んでいたということになります。両者は分裂する前はバランスのよい人格であったが、分裂時に、「真面目で病的な人格」と「不真面目で生き生きとした人格」とに分かれた、と考えることができます。

 また、別の話になりますが、この本の内容について考えていて、クローン人間を連想することがありました。クローン人間とは、ある人間と遺伝子配列が全く同一の複製人間のことです。一人の人間にさえ、複数の人格が存在することがあるというのに、それが、クローン人間ではどうなるのか。イブ・ホワイトの肉体のクローンを作成したら、そのクローン人間にもイブ・ホワイトとイブ・ブラックという二つの人格が宿るのでしょうか。非常に興味深い点だと思います。

 それでは、今回は以上の内容で筆を置かせていただきます。



『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』を読んで そのB — 幻聴が聞こえたら

今回も、前回からの続きを書いていきたいと思いますが、少々お伝えしておかなければならないことがあります。題名にある通り、H・M・クレックレー著『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』を読んだことが、今回の連載を書き始めるきっかとなっています。

 しかし、現在、たった一冊の本を読んだことにより多くのことを理解したと考えることは浅はかであった、と実感している次第です。どういうことかといいますと、先日、酒井和夫著『分析・多重人格のすべて』l(リヨン社)という著書を読んだのですが、これが非常に勉強になる本でした。そして、『私という他人』についても多くの頁数が割かれており、私の認識が改められるとともに、今回の連載の締めくくり方に関してかなりの路線変更が必要であることが判明したのでした。そのことをご了承いただけますよう、お願いいたします。

 以下、『分析・多重人格のすべて』内、「私という他人の要約」の一部からなります。

本書「多重人格のはじまりの物語」67頁より
 面接を進めるにつれて、イブ・ブラックは患者が流産した時からではなく、患者の幼児期からすでに時々出現していたことが明らかになった。そして、記憶の奥に眠る<陶器の青いコップ>のことが語られるようになった。

 ところが、今度はイブ・ホワイトの頭痛が再び悪化し、第三の人格であるジェーンが出現したのである。
 ジェーンは、二人のイブの中間物というべき人格で、円熟した、奥行きのある人格であった。ジェーンは以前の記憶はなく、まさにゼロからの出発であったが、どんどんと奥を自分のものとし、三人の人格の中で大きな地位を占めていった、そして一人の肉体をこの三人が共有する混乱のなかで、患者は夫との離婚を決意したのだった。

 くり返される面接のなかで、セグペン博士が催眠下で<青いコップ>のことについて探索するにつれて、あの見栄っぱりのイブ・ブラックが涙を流し、「私の形見に赤いドレスを持っていて」と懇願した。そしてイブ・ホワイト、ジェーンが出現したところで患者は両手でこめかみをおさえ、いきなりバンシー(恐ろしい泣き声で家人の死を予言する女妖精)のような悲鳴をあげる。

 そして第四の人格であるエブリン・ホワイトが誕生したのである。

 エブリンは幼児期に<青い陶器のコップ>で遊んでいた時に母に呼ばれ、祖母の葬儀に参列し、祖母の死顔に触るという儀式を強要されたことを思い出した。

 そして、この瞬間に一つの新しい人格が溶接されたのである。

 その後の変化は、「分裂していた人格が融合してしまったあと、彼女自身が見いだした個性を形成していく過程」であり、やがてエブリン・ホワイトはアール・ランカスターという男性と結婚し、ようやく幸福な人生を手に入れるのである。

 このようにこの物語は、三人の人格が一つの肉体を共有するという混乱した状況から、人格の分裂の根本的な原因である、祖母の葬儀での外傷体験を想起することによって人格の統合が得られたというハッピーエンドなのであるが、現実は少し違っていた。

 以上。要約より。イブ・ホワイトの症状について、やはり幼児期に原因があったのでした。解離性同一性障害(多重人格障害)の発症の原因の多くは幼児期の性的虐待による心の傷であり、退行催眠により原因となった事件までさかのぼり、再体験することが治療に有効だといわれています。イブ・ホワイトのケースでは、葬儀の際に祖母の死に顔に触ることを強要されたこと、それが発症の原因であり、治療の過程で退行催眠を行い事件を再体験することにより、人格が統合してハッピーエンドになった、と『私という他人』においては記述されています。

 しかし、後になってから、『私という他人』の内容は、実際の現実とは違っていたことが明らかにされました。それは、イブ(クリス)自身と、彼女のよき理解者である従姉妹・そして心理学者でもあるエレン、による共著『私は多重人格だった(私はイブ-ある多重人格者の自伝)』によって明かされるのでした。本書は、イブの真実の姿を正確に描こうとしたものであり、彼女は良くなっていなかったのです。実際は、第三の人格であるジェーンが自分が消えゆく危機に際して自殺を図り、盲目のレディが登場したのでした。そして、再度、頭痛と人格変換の日々が始まります。このような過程のなかで、イブは少しずつ自分自身を統合していったのでした。

 つまり、治療者であるセグペン博士とクレックレー博士は、無意識のうちに中立性を失い、その著作は少なからず主観的な内容になってしまっていたということです。イブは著作の最後で「48年もして初めて私は自由になった」と宣言しますが、『私という他人』の内容(ハッピーエンド)とは全く矛盾した宣言です。

 セグペン・クレックレーの両博士は、イブの人格を統合させて、それで治療が終わった、問題は解決されたとしたのですが、実際の彼女は、その後も苦しみ続けたわけです。では、どうすれば解離性同一性障害(多重人格障害)は解決するのか?治療するためのプロセスについて、『分析・多重人格のすべて』から抜粋して見ていきます。

本書「多重人格の治療」215頁より抜粋(箇条書き)
@多重人格の治療には、二つの異なった側面からのアプローチがある。

A一つは精神分析療法だが、その治療効果は疑わしい。

Bもう一つは催眠法であり、数年にわたる根気よい治療が必要である。

C催眠とは解離状態を作り出す技術であり、解離することは否定的な側面ばかりではない。自己の痛みを解離することにより、生存の役に立つ。解離状態は、無意識の扉を開くための重要な鍵なのである。

D多重人格の原因は、幼児期からの無数のトラウマになっている出来事に対する、本人が知らずに行っている防衛のメカニズムにある。

Eそれに対して、催眠は解離状態を人為的にコントロールする技術。

Fマッピングとは、さまざまな人格が個性と悩みを抱えているが、それぞれの人格と人格の関係、人格の特性を、あたかも地図を作るように配置し、一望できるようにすること。複雑な関係を整理する作業は、精神内界の探求の糸口になる。

Gマッピングが可能になる条件は、催眠なしで出現する人格たちと良好な関係を築く、それらの人格をあるがままに認め受け入れる、このことにより、各人格は安心して治療者と接触できるようになる。各人格に対して、普通のカウンセリングの技法で接して治療を行うことも可能であり、それは望ましいことだ。

H患者の許可がない限り、決して入ってはいけない部屋を心の中に創り、確実なものにしていく。

Iマッピング以降、患者は幼児期から思春期迄のつらい体験の再体験が求めれるが、そんなときにも、心の中に安全な部屋を持っていれば、「いつも安心して帰っていける場所」として、新たな傷を受ける可能性を最小限にできる。

J全人格に「自己催眠」を学んでもらい「自分をリラックスさせる技法」を会得してもらう。それは、ある人格から別の人格にスイッチすることを自分の意志で出来るようになる基礎的な訓練になる。このような心を守る方法を身につけてから、本格的な治療をはじめる。

K感情の再体験をする。ありありと当時の状況を想い出して、その時の感情をその時のままに感じ取る経験をすること。心の古傷をリアルに、現実のものとして再体験することは、その傷を取り除く上で、とても重要になる。傷を更に深くすることを避けるため、最初は催眠下で比較的強い人格に軽度のトラウマを再体験するように試みる。催眠下の想起で歯の治療を想い出させれば、現実に痛みを伴って想い出すことが可能。同じように、催眠下で、思春期に出会った不快な記憶を想起させると、実際にその時の不快−苦痛な感情を経験し「解放」される。

L多重人格の成因の仮説によれば、幼児期の性的虐待のような避けることのできなかった、自分の力ではどうすることもできないような経験を直接感じなくてすむように、人格を解離させて、自分を守ってきたのである。しかも各人格はそれらのつらい出来事を忘れている。そこで、人格のなかで比較的自己のコントロールをする力の強い者を選んで、治療の出発点にし、その人格を鍵として治療を行う。

M人格同士の友好関係を強化し、多くの記憶を共有させるように、催眠法を用いて変えさせる。どのようにマッピングを変化させたら、最も安全で本来の自己に近くなるかを洞察し、治療に協力する人格を選び、協力させ、それぞれの人格に記憶体験をさせて、それをできるだけ多くの人格が共有するように方向づける。

N人格を融合させようとしてはいけない。多重人格障害を単一の人格とすることは、現実に無理なだけでなく、非倫理的とさえ言える。多重人格であることが問題なのではなく、問題は、それぞれの人格が不幸であり、何らかの傷を持っていて、回復できていない点にある。

 以上、非常に有益な情報であるように感じます。とても印象に残ったのは、治療の目的が分裂した人格の統合ではないということです。そうではなく、分裂してしる各人格の心のケアを行い、お互いの人格相互の理解を深め、治療者に対しても協力的になっていくように促す。そうして、心の中でしこりになっているものを徐々に取り除いて、精神的な健康を取り戻していく、それが目的だということです。

 ところで、病気の治療を霊的に行う場合、大きく分けて二つのやり方があります。一つは、取り憑いている霊を追い払うというやり方です。その霊が障害を引き起こしているので、その場から排除してしまえばいい。そういう考え方によります。そして、もう一つは、取り憑いている霊を諭して、理解・協力を得るというやり方です。治療者である霊能者が、霊と直接話をすることにより、霊を納得させ問題を解決するのです。現在、前者より後者の方が、より高度であり正しい治療の仕方だといわれています。

 それは、悪い影響を与えている霊を追い払っても、なにも根本的な解決にはならないからです。その場から居なくなっても存在していることに代わりはないので、いつ戻ってくるかもしれない。それに対して、霊を納得させるということは、問題が根本から解決されたことになります。

 そして、そういった心霊的な治療のプロセスと本書「多重人格の治療」における治療プロセスの間には、類似性を感じずにはいられないのでした。人格であれ霊魂であれ、治療者に対して協力してもらう、そして、それぞれの人格(霊魂)に相互理解を深めてもらい、しこりになっている問題を解決していく、そういうプロセスを経るという点において非常に似ている点があるのではないでしょうか。

 最後に、私は今回、自分にとっては全く関係のない病気だとばかり考えていた多重人格を扱い、とてもよかったと感じています。それは、非常に勉強になったということです。幻聴とは関係がない話だと思ったら、イブ・ホワイトは幻聴体験をしており、その告白が重要なポイントになっていました。そして、いくつもの人格が登場することにより、心霊的な世界とのつながりを感じさせられました。何より、治療法に関する記述(『分析・多重人格のすべて』)は非常に勉強になるもののように感じます。やはり、本を読むことに得られるものは、非常に多くあるようです。

 それでは、今回で『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』についての連載を終わります。
http://www.gennchougakikoetara.com/index.php?id=watasi3


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多重人格者だった恋人の話

僕が実際に体験した不思議な恋愛についてお話します。

三年程前、僕はある一人の女性と付き合っていました。

彼女は僕よりもいくつか年上だったのですが、子供っぽい雰囲気を持つ人でした。
容姿から喋り方、仕草まで全てが幼い子供のような人でした。
今思うと、彼女は本当に子供だったのかも知れません。

付き合い始めた切っ掛けは、偶然にもお互いに一目惚れだったのです。

もちろん、初めて会った日から交際を始めたのでは無く、それから随分経ってから交際が始まりました。

最初はお互いに容姿から好きになったのですが、喋ってみると趣味などの共通点も多く、気が付くと彼女の全てを好きになっていました。

共通の友達がいたのですが、彼女の事を好きな友人がいた為、仲間内では内緒で交際をしていました。

友人に隠し事をするのはいい事ではありませんが、共有する秘密を持つ事でより親密な関係になっていったのだと思います。

極々普通のカップルで相思相愛、何の不満も無くお互いに幸せな日々を過ごしていました。

しかし、ある日を境に信じられない展開になります。

話の始まりは、彼女と付き合って半年ほど経ったある日の事です。
いつものように彼女が夕飯の支度を、僕はその横でお手伝いをしていました。
料理を作りながら二人で仲良く話をしていると…

何が切っ掛けか分かりませんが、突然、彼女は僕の事を忘れてしまったのです。
半年付き合っていて、今の今まで話していて、喧嘩したワケでも無く、唐突に

「あなた誰?」

と真顔で言われたのです。

僕には何が起きたのか理解できませんでした。
何を話しても僕の事を思い出してくれないのです。

何故、自分がここにいるのか?
何故、知らない貴方と料理を作っているのか?

彼女は僕に質問をマシンガンのように浴びせました。

しかし、状況を理解できず混乱している僕に彼女の問いに答える余裕はありませんでした。

最初はイタズラかと思いましたが、少し落ち着いてから順を追って話をしてみると、どうやら本当に僕の事を知らないみたいなのです。

そして、彼女の喋り方や仕草は明らかに僕の知っている彼女では無かったのです。
言うなれば完全に別人でした。

事態を把握できないまま、僕は自分自身の事や僕の知っている彼女の事などを彼女に話す事から始めました。

そして彼女の話を聞いている内に彼女が多重人格である事が分かりました。

今、話をしている彼女は僕の知らない人格の彼女だったのです。

つまり、彼女からしても僕とは初対面なので、まったく知らない人だったのです。
しかし、僕の事を知ったもう一つの人格の彼女はその後も頻繁に僕の前に出てくるようになりました。

これを境にごく普通の幸せな恋愛から現実離れした特異な恋愛に変わっていったのです。

後になって知った事なのですが、彼女は幼い頃に家族から受けた虐待が原因で人格が分離してしまったようです。

本当に極一部の人にしか当てはまらない事なのですが、そういった虐待などの経験を持つ人の中には、通常の思い出を記憶する場所とは別のところに辛い思い出を記憶してしまう人がいるのです。

簡単に言うと辛い事を記憶する場所が別に用意されているのです。

人の人格は経験…、つまり記憶から作られていると言っても過言ではありません。
辛い事を別の場所に記憶すると、その記憶が溜まるにつれて一つの別人格が生まれてくるのです。

言わば同じ一つの身体の中にまったく違う過去を持った二人の人間が存在するようになるのです。

一つの人格は普通の生活を送ってきた記憶しかないので、とても純粋な子供のような性格です。

社会に出すのが怖いほど純粋過ぎる性格でした。

もう一つの人格は、家族からの虐待など辛い事だけを味わってきた人格です。

精神的にはとても強いのですが、やはり辛い現実ばかりを見てきた為に、考え方が曲がった部分も多く、性格はツンツンしていて突っ張った印象を受ける人格でした。

しかし、彼女は自分が辛い思いをしてまで、もう一人の純粋な自分をずっと守ってきたのです。

気の強い人格の彼女は口調もきつく、多少接し辛いところもありましたが、今まで辛い思いをしてきたのだと思うと、僕は彼女のきつい性格を嫌いになる事はできませんでした。

元々はもう一人の自分を守る為に生まれてきた人格なので、きつい口調の中にたまに優しさを垣間見ることもあり、次第にその人格の彼女の事も好きになり始めました。

純粋な人格が妹だとすると、気の強い人格の彼女はまるでお姉さんのようでした。
知識も豊富なので、もしかしたら今まで殆どの時間は気の強い彼女が過ごしてきたのかも知れません。

それほどに辛い時間が多かったと言う事でしょうか…。

出会った頃の僕は、純粋な人格の彼女を好きだったのです。

気の強い彼女は付き合い始めの頃は、僕の前に出てくる事も無かったからです。

次第に僕は両方の人格を好きになっていたのですが、そこで問題が起きたのです。
気の強い人格の彼女が純粋な性格の彼女に対して嫉妬をし始めたのです。

それは僕が純粋な性格の人格の彼女をも好きだったからです。

それに対し気の強い人格の彼女は強く嫉妬しました。

僕にはどっちか一方の人格だけを好きになる事なんてできませんでした。
人格は二人であれ、身体は一つしかない一人の女性なのですから。

その一人の女性を人格によって好き・嫌いと別ける事など僕にはできません。
ただ僕自身もまるで二人の女性を愛しているような、そんな錯覚に陥っていたのも事実です。

そこで僕が導いた答えは二つの人格を一つにする、つまり多重人格を治すという事でした。

ここまで極端に違う性格を一つにしたらどういう人格になるかなんて想像できません。

しかし、一つにする事は今後の彼女の為を考えても必要な事だと思いました。

僕なりに色々と調べたのですが、多重人格と言うのは一度かかると癖になるらしいのです。

最初は辛い事だけを別の場所に記憶する事から始まるのですが、それに慣れてしまうと無意識に辛い事以外の思い出も複雑に記憶する場所を別けてしまうのです。
その場所が増えれば増えるほど人格も増えていきます。

それは彼女にとって日常で差し支えになる事は言うまでもありません。
僕は彼女の人格を一つに統一させる事を決意したのです。

人格を一つにするのに必要なのは、別々に別れた全ての記憶を繋げるという事です。

それぞれの人格から彼女の記憶を聞き出す事から始まりました。

彼女の記憶をたどって行くと、小学生の頃の親の離婚が原因で母親が暴力を振るうようになった事から人格が別れ始めた事が分かりました。
この時期を境に彼女の兄も暴力を振るい始めました。

背後を蹴られ階段から突き落とされたり、沸騰した鍋の中の湯に顔を突っ込まれそうになったりなど…
殺されてもおかしく無い程の酷い虐待だったようです。

本来ならば守ってもらえるはずの家族に殺されそうになるという、とても残酷な話でした。

頼れる相手のいない彼女は鏡の中の自分に相談して自分自身を慰めるようになっていったのです。

そして、鏡の中の自分が今の自分とはまったく違う人格だと信じ込み、その人格に憧れを抱くようになったのです。

当時、小学生であった彼女にはあまりに過酷な環境だったのでしょう。
行き場を無くした彼女は、自分を守る為に徐々に新しい人格を作っていったのです。

まるで鏡の中の自分を現実の存在にするように…。
この話は気の強い人格の彼女から聞いたものです。

純粋な人格の彼女はまったく知らない事実です。

しかし、その事実を彼女に話さなくては症状は改善されません。
純粋な人格の彼女は家族を愛していました。
家族にも優しかった時期があるのです。

それは両親が離婚する前でした。
全ての歯車は両親の離婚を境にずれ始めたのです。

離婚の事や女手一つで子供二人を養って行く厳しさが原因で、母の精神状態はストレスで限界に達していたのでしょう。

優しかった母は子供に暴力を奮うようになり、それまで仲良く遊んでくれていた兄も次第に彼女に対し暴力を奮うようになり、彼女は孤立していったのです。

純粋な人格の彼女はそんな虐待の記憶は無く、優しいお母さん、頼りになるお父さん、一緒に遊んでくれるお兄さんの記憶しかありません。

そんな彼女に真実を語る事は、家族との綺麗な思い出を壊してしまう事になるのだろうと思いました。

しかし、真実を知らないままでは彼女の症状は改善されないでしょう。

彼女の悲しむ顔を見るのは僕もとても辛かったのですが、ありのままを話す事にしました。

家族による虐待があった事から、中には第三者による性的な虐待を受けた話もありました。

その話を聞いた僕も辛かったですが、事実を知った彼女はもっと辛かった事でしょう。

それを物語るかのように、純粋な彼女は気の強い彼女に何度も入れ替わろうとしていました。

気の強い彼女が出てくる度に、僕は純粋な人格の彼女を出すように頼みました。
そういった事を繰り返しながら、ゆっくりとゆっくりと真実を彼女に伝えて言ったのです。

最初は僕の話を信じず、ただ泣くだけだった彼女も次第に信じ始めました。

時間はかかりましたが、最後には全ての事実を彼女は受け止める事ができました。
せめてもの救いが、家族と彼女は既に離縁しているので二度と虐待を受ける事は無いと言う事です。

彼女には身内がいません。

家族と離縁してからは、付き合っていた彼氏と同棲するなどして暮らしていました。

幸いにも彼女はかなりの美貌の持ち主であった為に、男性には困った様子も無く、恋人と別れたとしてもすぐに新しい彼氏を見つけ同棲をする事ができたようです。

中には多重人格の症状に気付いた彼氏もいたようですが、彼女のあまりの変貌振りについていけずに別れた人も多いようです。

治そうと試みた彼氏もいたのですが、結果的には失敗に終わり、精神的な辛さから別れてしまうケースが殆どでした。

その度に彼女は自分の居場所を探さなくてはいけないかったのです。
そういった不安定な生活が彼女を苦しめたのは言うまでもありません。

記憶の糸を繋げていくにつれて彼女に変化が表れ始めました。

今までは一人の人格が出ている時はもう一人の人格は暗闇の中に閉じ込められて身動きが取れないような状態であったようですが、症状が改善するにつれてその暗闇が無くなっていったのです。

暗闇が晴れる事によって、一人の人格が今何処にいて何をしているか、もう一人の人格が認識できる状態になったのです。

少なくともこれからは、それぞれの人格で記憶が違ってくる事は無くなったのです。

それから毎日のように彼女の記憶が分離しないように、一日の終わりに今日は何をしたかなど詳しく聞くようにしました。

普通の人には簡単な事でも彼女のように記憶障害を持つ人にとっては、一日全ての行動を正確に思い出す事は容易な事では無いのです。

それでも日が経つに連れ、彼女の症状が次第に良くなっていくのが分かりました。

そして、暫く経ったある日…。
ついに彼女の中の二つの人格が一つになる時が来たのです。

これほど突然に多重人格の症状に終止符を打たれるなど思ってもいませんでした。
もしかしたら、彼女の中の暗闇が取り除かれた時から、いつでも多重人格を治せる状態にあったのかも知れません。

あとは彼女の決意次第だったのでしょう。

彼女の話によると、多重人格を治すにはどちらかの人格が今後の人格のベースになる必要があるようなのです。

つまり、どちらか一方の人格は完全に消えてしまうという事です…。

もちろん、僕にはそれを選ぶ事はできません。
もし選ぶ事ができたとしても、僕には答えは出せなかったでしょう。

消えてしまう人格にとっては、それは永遠の眠りなのです…。

僕は二つの人格を共に同じくらいに好きでした。

二人の人格を愛していた僕にとって、どちらが選ばれるにせよ、それを受け入れる事ができそうにありませんでした。

僕の心の準備も出来ていない内に

「消えるのは私の方だよ。」

と、気の強い彼女が言いました。

気の強い彼女が今まで見せた事のないくらいに悲しい顔をしていました。
今思うと、彼女自身、どちらの人格がベースになるかなど選ぶ事はできなかったのでしょう。

ただ、僕に気を使って…、まるで彼女自身の意思で消える事を決意したかのように…

そう演じようとしていたのではないでしょうか…。

元々、彼女は純粋な人格を守る為に生まれてきた人格です。

自分の存在意義から残るのは自分じゃない…、そう自覚していたと思います。
僕は彼女との思い出など絶え間なく話し、最後の時間を過ごしました。

絶え間なく話しをした事は、彼女の気を紛らわす為でもありましたが…

何よりも、話を止めたら、すぐに彼女が消えていなくなってしまいそうだったからです。

彼女は何も言わずに話す僕の顔を見つめていました。

彼女に僕の声が届いているのか、それさえも分かりませんでした。
それでも僕は話を続けました。

しかし、彼女の意識が薄れていくのがはっきりと分かりました。
意識の限界を感じたのか、彼女は少し笑みを浮かべて

「ありがとう…。」

と、呟きました。
それが彼女の最後の言葉です。

彼女は小さな体を震わせ、大粒の涙を流していました。
気の強い彼女が見せた最初で最後の涙です。

僕は震える彼女の体を包み込む様に抱きしめました。
もっと話をしたかったけど言葉にする事もできず、そのまま静かに抱きしめていました。

本当にこれで良かったのか?
と、僕は何度も何度も自分の胸に問い掛けました。

そんな僕の想いとは裏腹に、彼女は苦しみから解放されたかのよう、まるで生まれたての赤ちゃんの様な表情を浮かべていました。

彼女を苦しめてきた全ての物を心の底から憎みました。
家族から愛を与えられず、虐待を受け、性的な暴行など受け、幼い心に深い傷を負い…。

何が起きているのか、誰に助けを求めてもいいかも分からない。
とても言葉では表せない程に、辛く悲しい体験をしてきたのでしょう。

「もう何も辛い事は無いよ…。」

せめて今だけでも気持ちよく眠りについて欲しいと願いました。

彼女が消えた後、彼女が存在した事を証明するものは何も残りません。

人の死は記録に残りますが、彼女のように人格だけの存在では何一つ記録には残りません。

彼女にとって、それは言い表せない程の孤独感だったと思います。

「体が二つあったらいいのにね。」

時折、彼女が言っていた言葉の意味の深さを改めて感じさせられました。

暫くすると、彼女の体の震えも収まり、彼女は深い眠りについた様でした。
僕は眠る彼女を静かに見つめていました。

このまま目を覚まさないかと思う程に静かに眠っていました。
それからどのくらいの時間が流れたのか、僕には分かりません。
ふと、彼女の体が動いたかと思うと、彼女は目をゆっくりと開けました。
その眼差しは、今まで僕と話していた彼女のものではありませんでした。

目を覚ました彼女は、幼さは残っているものの何処か垢抜けたような、そんな印象を受けました。

気の強い彼女とまではいきませんが、何処と無く大人っぽく見えました。
二つの人格が一つになったようです。
僕も彼女も望んだ結果です。

彼女が生きていく為、そして、僕と彼女が一緒にいる為。
そう信じてやまなかったから、二人で困難を乗り越える事ができたのです。
しかし、人格の統合は想像もしない結末を招いたのです。

一見、今までで言う純粋な人格の彼女なのですが…。
記憶が繋がり全てを知った彼女は、今までの彼女とは大きく違うところもありました。

記憶が繋がる事で人を知り、人を疑う事を覚えました。

人を疑う事は時には必要な事です。
しかし、僕は疑う事を知らない純粋な彼女に惹かれていたのも事実です。
望んだ結果であるはずなのに…、僕は不安を感じ始めていました。

彼女は、僕を含めたこの世の中に対する見方が変わりました。

疑う事を知った彼女が、僕だけ疑わないなどと都合の良い事はありません。
彼女には今まで経験してきた全ての記憶があるのです。

幼い頃にあのような辛い経験をした彼女が、そう簡単に人の事を信じれるはずは無いのです。

二つの人格を一つにすると言う事は二つの人格を失う事…。
そう気付いたのは僕と彼女の関係に終焉が迫っていた頃でした。

僕は彼女の多重人格を治す事に二人の未来があると盲目的に信じるあまり、一つになった彼女にどのような変化が起きるかなど考えもしなかったのです。

一時期は結婚という話も出ていたのですが、次第にそういった話をする機会も無くなってきていました。

そして時は経ち、僕と彼女は別れる事になりました。

別れた事は辛かったのですが、それでも月日が経つにつれ精神的にも落ち着きを取り戻し始めました。

あの時の状況の変化に耐えれる程に、もう少し僕に精神的な強さがあればと悔やみました。

しかし、多重人格が治った事で彼女の為になったのならそれは満足です。

あれから数年の月日が経ちました。

彼女が受けた幼い頃の心の傷は一生背負い続ける事でしょう。
だけど、せめて今は幸せな生活を送っている、そう信じ願います。



_____


 僕の実際に経験した変わった恋愛についてお話します。

2年程前に僕はある一人の女性と付き合っていました。

彼女は僕よりもいくつか年上だったのですが子供っぽい雰囲気を持つ人でした。
見た目も僕の方が断然年上に見られる事が多かったです。

容姿から喋り方や仕草まで全てが幼い感じでした。

よく真夜中に寝ている僕を強引に起こしてコンビニに一緒にアイスを買いに行こうと誘うなど少しワガママな面もありました。

都内でも近くにコンビニの無いところに住んでいるのでバイクに乗って一番近いコンビニまで行ってました。

寝ぼけた頭で二人乗りはちょっと怖かったですが…。(^^;

何だかんだ言っても彼女の事が好きだったのでどんな形であれ一緒に過ごす時間はとても幸せでした。

ワガママな面も含めて僕は彼女の事を愛していました。
最初は偶然にもお互いに一目惚れだったのです。

悪い言い方をすれば顔だけで好きになってしまったのですが喋ってみると趣味などの共通点も多く気が付いたら彼女の全てを好きになっていました。

ごく普通のカップルでお互いに幸せだったのですが,ある事を切っ掛けに意外な方向へ急展開するのです。

その話をする前に言ってしまうのですが最終的には彼女とは別れる事になります。
この事が無ければ彼女と別れる事は無かっただろうとまで言い切る事はできませんが少なくともその要因にはなった事は確かです。

それではその話をしていきます。

話の始まりは彼女と付き合って半年ほど経ったある日の事です。

二人で一緒にいる時に何が原因か分からないのですが、彼女はいきなり僕の事を忘れてしまったのです。

半年付き合っていて今の今まで話していて喧嘩したワケでも無く、いきなり「あなたは誰?」と彼女は言い出したのです。

僕には何が起きたのか理解できませんでした。
何を話しても僕の事を思い出してくれないのです。

最初はイタズラかと思いましたがどうやら本当に僕の事を知らないみたいなのです。

そして彼女の喋り方や仕草は明らかに僕の知っている彼女では無かったのです。
言うなれば完全に別人でした。

事態を把握できないまま僕は自分自身の事や僕の知っている彼女の事などを彼女に話す事から始めました。

そして彼女の話を聞いている内に彼女が多重人格だという事が分かりました。

今、話をしている彼女は僕の知らない人格の彼女だったのです。

つまり彼女からしても僕とは初対面なのでまったく知らない人だったのです。
この事を切っ掛けに僕の事を知ったその人格の彼女はその後も頻繁に僕の前に出てくるようになりました。

これを境にごく普通の幸せだった恋愛から特異な恋愛に変わっていったのです。

後になって知った事なのですが彼女は幼い頃に家族から受けた虐待が原因で人格が分離してしまったようです。

本当に極一部の人にしか当てはまらない事なのですが、そういった虐待などの経験を持つ人の中には通常の思い出を記憶する場所とは別のところに辛い思い出を記憶してしまう人がいるのです。

簡単に言うと辛い事を記憶する場所が別に用意されているのです。

人の人格は経験…つまり記憶から作られていると言っても過言ではありません。

辛い事を別の場所に記憶してその記憶が溜まるにつれて一つの別人格が生まれてくるのです。

言わば同じ一つの身体の中にまったく違う過去を持った二人の人間が存在するようになるのです。

一つの人格は普通の生活を送ってきた記憶しかないので純粋な普通の性格です。
無知すぎる程の純粋な性格でした。

もう一つの人格は家族からの虐待など辛い事のみを味わってきた人格です。
精神的にはとても強いのですが、やはり辛い現実ばかりを見てきた為に考え方が曲がった部分も多く性格はきつい印象を受ける人格でした。

しかし彼女は自分が辛い思いをしてまでもう一人の純粋な自分をずっと守ってきたのです。

気の強い人格の彼女は口調もきつく多少接し辛いところもありましたが、今まで辛い思いをしてきたのだと思うと僕は彼女のきつい性格を嫌いになる事はできませんでした。

元々はもう一人の自分を守る為に生まれてきた人格なのできつい口調の中にたまに優しさを垣間見ることもあり、次第にその人格の彼女の事も好きになり始めました。

純粋な人格が妹だとすると気の強い人格の彼女はまるでお姉さんのようでした。
知識も豊富なのでもしかしたら今まで殆どの時間は気の強い彼女が過ごしてきたのかも知れません。

それほどに辛い時間が多かったと言う事でしょうか…。
出会った頃の僕は純粋な人格の彼女を好きだったのです。

気の強い彼女は付き合い始めの頃は僕の前に出てくる事も無かったからです。

次第に僕は両方の人格を好きになっていたのですがそこで問題が起きたのです。
気の強い人格の彼女が純粋な性格の彼女に対して嫉妬をしはじめたのです。

それは僕が純粋な性格の人格の彼女をも好きだったからです。それに対し気の強い人格の彼女は強く嫉妬しました。

僕にはどっちか一方の人格だけを好きになる事なんてできませんでした。
人格は二人であれ身体は一つしかない一人の女性なのですから。

その一人の女性を人格によって好き、嫌いと別ける事は僕にはできません。
ただ僕自身もまるで二人の女性を愛しているような錯覚に陥っていたのも事実です。

そこで僕が導いた答えは二つの人格を一つにする、つまり多重人格を治すという事でした。

ここまで極端に違う性格を一つにしたらどういう人格になるかなんて想像できません。

しかし一つにする事は今後の彼女の為を考えても必要な事だと思いました。
僕なりに色々と調べたのですが多重人格と言うのは一度かかると癖になるらしいのです。

最初は辛い事だけを別の場所に記憶する事から始まるのですが、それに慣れてしまうと無意識に辛い事以外の思い出も複雑に記憶する場所を別けてしまうのです。
その場所が増えれば増えるほど人格も増えていきます。

それは彼女にとって日常で差し支えになる事は言うまでもありません。
ですから僕は彼女の人格を一つにまとめる事を決意したのです。

人格を一つにするのに必要なのは別々に別れた全ての記憶を繋げるという事です。
それぞれの人格から彼女の記憶を聞き出す事から始まりました。

彼女の記憶をたどって行くと小学生の頃の親の離婚が原因で母親が暴力を振るうようになった事から人格が別れ始めた事が分かりました。
この時期を境に彼女の兄も暴力を振るい始めました。

背後を蹴られ階段から突き落とされたり、沸騰した鍋の中の湯に顔を突っ込まれそうになったりなど…殺されてもおかしく無い程の酷い虐待だったようです。

本来ならば守ってもらえるはずの家族に殺されそうになるというとても残酷な話でした。

頼れる相手のいない彼女は鏡の中の自分に相談して自分自身を慰めるようになっていったのです。

そして鏡の中の自分が今の自分とはまったく違う人格だと信じ込みその人格に憧れを抱くようになったのです。

当時、小学生であった彼女にはあまりに過酷な環境だったのでしょう。

行き場を無くした彼女は自分を守る為に徐々に新しい人格を作っていったのです。
まるで鏡の中の自分を現実の存在にするように…。

この話は気の強い人格の彼女から聞いたものです。
純粋な人格の彼女はまったく知らない事実です。

しかしその事実を彼女に話さなくては症状は改善されません。
純粋な人格の彼女は家族を愛していました。
家族にも優しかった時期があるのです。

それは両親が離婚する前でした。
全ての歯車は両親の離婚を境にずれ始めたのです。

離婚の事や女手一つで子供二人を養って行く厳しさが原因で母の精神状態はストレスで限界に達していたのでしょう。

優しかった母は子供に暴力を奮うようになり、それまで仲良く遊んでくれていた兄も次第に彼女に対し暴力を奮うようになり彼女は孤立していったのです。

純粋な人格の彼女はそんな虐待の記憶は無く優しいお母さん、お父さん、お兄さんの記憶しかありません。

そんな彼女に真実を語る事は家族との綺麗な思い出を壊してしまう事になるのだろうと思いました。

しかし真実を知らないままでは彼女の症状は改善されないでしょう。

彼女の悲しむ顔を見るのは僕としても辛かったのですがありのままを話す事にしました。

家族による虐待があった事から、中には第三者による性的な虐待を受けた話もありました。

その話を聞いた僕も辛かったですが事実を知った彼女はもっと辛かった事でしょう。

それを物語るかのように純粋な彼女は気の強い彼女に何度も入れ替わろうとしていました。

気の強い彼女が出てくる度に僕は純粋な人格の彼女を出すように頼みました。
そういった事を繰り返しながらゆっくりとゆっくりと事実を彼女に伝えて言ったのです。

最初は僕の話を信じずにただ泣くだけだった彼女も次第に信じ始めました。

時間はかかりましたが最後には全ての事実を彼女は受け止める事ができました。
せめてもの救いが家族と彼女は既に離縁しているので二度と虐待を受ける事は無いと言う事です。

彼女には身内がいません。

家族と離縁してからは付き合っていた彼氏と同棲するなどして暮らしていました。
幸いにも彼女はかなりの美貌の持ち主であった為に男性には困った様子も無く恋人と別れたとしてもすぐに新しい彼氏を見つけ同棲をする事ができたようです。

中には多重人格の症状に気付いた彼氏もいたようですが彼女のあまりの変貌振りについていけずに別れた人も多いようです。

治そうと試みた彼氏もいたのですが結果的には失敗に終わり精神的な辛さから別れてしまうケースが殆どでした。

その度に彼女は自分の居場所を探さなくてはいけないかったのです。
そういった不安定な生活が彼女を苦しめたのは言うまでもありません。

記憶の糸を繋げていくにつれて彼女の症状が目に見えて改善されて行くのが分かりました。

今までは一人の人格が出ている時はもう一人の人格は暗闇の中に閉じ込められて身動きが取れない状態であったようですが、症状が改善するにつれてその暗闇と言うのが無くなっていったのです。

つまり暗闇が晴れる事によって一人の人格が今、何処にいて何をしているのかがもう一人の人格が認識できる状態になったのです。

これで今後はそれぞれの人格で記憶が違ってくる事は無くなったのです。

暗闇が取り除かれてから数日後、ついに彼女の中の二つの人格が一つになる時がきました。

想像では少しずつ症状が改善されていくものと思っていたのですがある日突然、多重人格の症状に終止符を打たれるとは思ってもいませんでした。
もしかしたら彼女の中の暗闇が取り除かれた時からいつでも一つになれる状態だったの知れません。

あとは彼女の決意次第だったのでしょう。

彼女の話によると多重人格を治すにはどちらかの人格が今後の人格のベースになる必要があったのです。

それはどちらか一方の人格が完全に消えてしまうという事らしいのです。
もちろん僕には選ぶ事はできません。答えは彼女自身の中で決められる事なのです。

もし選ぶ権利があったとしても僕には答えは出せなかったでしょう。

何故なら僕は二つの人格を共に同じくらいに好きだったわけですし、消えてしまう方の人格にとってはそれは永遠の眠りなのですから…。

二人の人格を愛していた僕にとってはどちらが選ばれるにせよ辛く悲しい事です。

僕の心の準備も出来ていない内に気の強い彼女が「消えるのは私の方だよ。」と言いました。

気の強い彼女は今まで見せた事のないくらいに悲しい顔をしていました。
元々彼女は純粋な人格を守る為に生まれてきた人格です。
自分の存在理由から残るのは自分じゃないと判断したのでしょう。

僕は彼女との思い出など絶え間なく話しました。
それは彼女の気を紛らわすためでもありましたが、話を止めたらすぐにでも彼女が消えていなくなってしまいそうだったからかも知れません。

彼女は何も言わずに話す僕の顔を見つめていました。
彼女の耳に僕の言葉が聞こえているのかも分かりませんでしたがそれでも僕は話し続けました。

しかし彼女の意識が薄れていくのがはっきりと分かりました。
意識の限界を感じたのか彼女は少し笑みを浮かべて

「ありがとう…」

とつぶやきました。

それが彼女の最後の言葉です。

彼女は小さな体を震わせ涙を流していました。
気の強い彼女が見せた最初で最後の涙です。
僕は震える彼女の体を包み込むように抱きしめました。

もっと話をしたかったけど言葉にする事もできずにそのまま静かに抱きしめていました。

本当にこれで良かったのか?と僕は何度も自分の胸に問い掛けました。
そんな僕の想いとは裏腹に彼女は苦しみから解放されたかのようにまるで生まれたての赤ちゃんの様な表情を浮かべていました。

彼女を苦しめてきた全ての物を心より憎みました。

家族から愛を与えられずに虐待を受け、性的な暴行なども受けた人生。
誰に助けを求めてもいいか分からない。
言葉では表せない程に辛かったのでしょう。

「もう何も辛い事は無いよ…」
せめて今だけでも気持ちよく眠りについて欲しいと心から願いました。

間もなく体の震えも収まり彼女は眠りについた様でした。

僕は横に眠る彼女をずっと見つめていました。
このまま目を覚まさないかと思うほどに静かに眠っていました。

暫くして彼女の体が少し動いたかと思うと彼女は目をゆっくりと開けました。
それは今まで僕と話していた彼女ではありません。

目を覚ました彼女は純粋な性格の人格を少しあか抜けさせたような雰囲気でした。
気の強い彼女とまではいきませんが、純粋な性格の彼女は何処となく見た目も大人っぽくなっていました。

どうやら二つの人格が一つになったようです。

もちろんそれは僕も彼女も願っていた事なのですが、僕にとっては失ったものも大きかったようです。

一見、今までで言う純粋な人格の彼女なのですが記憶が繋がり全てを知った彼女は今までの彼女とは大きく違うところもありました。

記憶が繋がる事で人を知り人を疑う事を覚えました。
確かに多少は人を疑う事も必要です。

しかし疑う事を知らない純粋な彼女を僕は好きだったのも事実です。
望んだ結果であるはずなのに何処か僕と彼女の歯車が噛み合わなくなっていました。

一時期は結婚の話もしていたのですが次第にそういった話をする機会も無くなっていました。

それから暫くして僕と彼女は別れる事になりました。
結局、最後まで僕は彼女に馴染む事ができなかったのです。

僕自身、精神力を使い果たしていた事もあり人格が一つになった彼女を見る気力も残っていなかったのです。

僕の精神的な弱さが仇になった別れでした。

最後の最後に僕自身で彼女を幸せにする事ができなかったのが悔やまれます。
せめて彼女が今、幸せな生活を送っている事を願います。
そして虐待で苦しむ人達が少しでも減ってくれる事を願います。

▲△▽▼

憑依・降霊現象

イタコの口寄せ
恐山
http://www.youtube.com/watch?v=-WUGBMDBC2E&feature=related

死者の名前や命日などの手がかりを元に、動物の牙や骨のついた数珠を鳴らしながら行う儀式。

1回あたり約20分。謝礼として数千円を払う。

神社で働く巫女とは区別され、口寄せ巫女や村巫女と呼ばれる。起源は不明だが、江戸時代後期に東北を旅した紀行家・菅江真澄の日記に登場する。イタコの語源は「神の委託(いたく)」とも、アイヌ語の「イタク(言うの意味)」とも言われる。


「イタコ」にはどこで会える

 当地域(むつ・下北)では、

恐山大祭(毎年7月20日〜24日)と恐山秋詣り(毎年10月、体育の日を最終日とする土、日、月の3日間)の年2回、

恐山境内の中にいるので、入山料を支払って恐山へ入る。

時間は、恐山開山時間(6:00〜18:00)。

予約等はなく、順番待ちとなる。また、最近ではこの期間以外にも恐山にいる場合があるらしい。

料金には特に決まりはなく、”気持ち”や”志(こころざし)” で金額や品物を渡すそうだが、目安として一口(一人降ろして、一人につき)3,000円位からといわれている。


”口寄せ”の雰囲気

サウンドFILE1(386K)35秒
サウンドFILE2(276K)24秒


消えゆくイタコ 修行を敬遠・高齢で廃業…今や十数人


盲目の女性が死者を呼び寄せる。「口寄せ」と呼ばれる儀式を受け継いできた東北地方の巫女(みこ)が姿を消そうとしている。厳しい修行が敬遠され、福祉政策の充実で生計を立てる手段としての意味も薄れている。


目の不自由な巫女は、青森県の「イタコ」が有名だが、それ以外の東北各地にも存在していた。

 秋田「イタコ」、岩手と宮城が「オガミサマ」、山形「オナカマ」、福島「ミコサマ」。近親者を亡くした人たちからの要請で「死者の霊を体に乗り移らせ、言葉を伝える」という儀式が「口寄せ」だ。依頼者のタイプに合わせて定型の口上を使い分けているとの見方もあるが、健康や縁談、商売などのよろず相談にも応じている。いずれも国の無形民俗文化財に選ばれている。

 かつて東北には500人以上いたが戦後、廃業が相次ぎ、秋田、山形、福島県では途絶えたとされる。いまは青森、岩手、宮城県に十数人残っているだけだ。

 遠洋漁業の基地である宮城県気仙沼市の唐桑町で「オガミサマ」をしている小野寺さつきさん(85)は14歳の時、病気で視力を失った。20歳から岩手県の巫女の家に住み込みで修行をした後、独立した。この半世紀、海難事故と隣り合わせの漁師町で、「口寄せ」や行方不明者捜しの相談に乗ってきた。多い時には1日に十数人の訪問者があったが、最近は体調を崩し寝たきりになった。

 戦後の一時期まで20〜30代の若い女性も珍しくなかった巫女は今、高齢化が進み平均年齢が70歳を超えている。


日本三大霊山の一つ、青森県下北半島の恐山では年数回の祭事の際、北東北各地から「イタコ」が集まってくる。かつては40人近くが参加していたが、近年は4人だけだ。大半の女性が高齢化で足腰が弱くなり、外出が難しくなってきた。


■視覚障害者の環境、変化

 青森県八戸市で63年間、「イタコ」を続けている中村タケさん(78)は「厳しい修行が敬遠され、後継者がいなくなった」と話す。

巫女は少女期から師匠役の先輩巫女の家に住み込み、家事をこなしながら技術を習得する。すべてが口伝えで、断食の一種である「穀断ち」や水ごりもある。修行は3〜5年かかり、師匠への「お礼奉公」も義務だ。

 文化庁伝統文化課の石垣悟調査官は「目の不自由な女性を取り巻く環境が大きく変わった」と分析する。巫女は戦前まで、三味線と歌で各地を巡り歩いた「瞽女(ごぜ)」などとともに視覚障害者が社会で生きるための重要な仕事だった。ところが、戦後は盲学校への就学が義務化され、修行を支える徒弟関係が成り立たなくなった。音声ソフトの普及でパソコンへの入力作業が簡単になり、視覚障害者の職業選択の幅も広がってきた。眼科医療の進歩で幼少期の失明も減っている。


_________


青森の恐山のイタコについて


1 名前: こわい 投稿日: 2000/07/16(日) 11:58

青森の恐山のイタコと呼ばれる霊媒師達は本当に死者の霊を自分の体に落として遺族に
話が出来るのでしょうか?知ってる人教えてください。


2 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/07/16(日) 13:12

本当に出来る人も居る・・と聞いた事があります。
まあ・・あくまで噂ですけどね。


3 名前: いたろう 投稿日: 2000/07/16(日) 14:19

ある男が恐山のイタコに死んだ女房の口よせをしてもらった。 女房が降りてきて、

「私は、あなたより○○さんの方が好きで、関係もっていた」

というような内容を話した。 男は、イタコを死んだ女房だとマジで思いこみ、逆上してその場でイタコを絞め殺した。
恐山で本当にあった話です。


5 名前: 名無しさん@おっぱいがいっぱい 投稿日: 2000/07/16(日) 17:50

「すいません友人の○○を呼んで貰えますか?」
「仏さんの没年月日は?」
「昭和○○年○月○日、交通事故で死んでます」

ジャラジャラと数珠を鳴らすと経を唱えしばらくすると何かが降りてきたようで歌うように話し始めた・・・・・
実は呼んで貰った友人の○○は今でもピンピンと生きておりイタコが本物かどうか試したのです、

9割方のイタコは偽物でその能力はかなり低い物です、でも中には

「これ仏さんでねぇ、悪戯は止めてくれ」

とズバリ言い当てるイタコも居ます。


12 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/07/18(火) 22:32

ホンモノのイタコにあいたけりゃ、冬、行け。

籠もってるイタコがそうだ。見つけだせるかな?

閉山されてるから、途中で凍死するかも知れないし、間違いなく幽霊に会える。 それでも行くなら、止めはしないが。


ホンモノのイタコはすごいよ。

当人しか知らない事、例えば銀行の暗証番号を当てたもん。誕生日とか、簡単な数字じゃないぞ。 俺と、死んだ人の体重をあわせた数字だったから。

それがビンゴだったのは驚いた。それに、メッセージを聞く事も出来て、すっきりした。

ホンモノのイタコに間違いなく会いたかったら、冬、行け。 ただし、命の保証はないぞ。


36 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2000/09/10(日) 02:24

家では毎月お払い行ってるけど(あおもりにいないおでしさん)
その人は新聞にも載った行方不明者のいどこを突き止めたよ。

新聞は汚いからその辺を伝えなかった(作りと思われたくないから)。 みんなメディアで知ったのはうそだよ。
ほんとにあった話はメディアに載らないから。


39 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2000/09/10(日) 02:35

入院先の病院名をあてたイタコが一人います。調べようはなかったって話。
千葉の旅館の女将から聞きました。



イダコ祭り


去年亡くなった義母をおろしてもらいに親戚と一緒に、青森県おいらせ町のイダコ祭りに向った。普通はイタコだがここではなまってタが濁音のダになって「イダコ」とよぶ。イダコ祭りは午後1時からと聞いていたので、途中、八戸で昼食をとり午後1時過ぎた頃においらせ町の法運寺に到着した。一人200円の入場料(下足代)を支払い、入り口で手渡されたビニール袋に履物を入れて手に持ち、およそ100畳近い本堂の中に足を踏み入れると、すでにイタコの口寄せを聞く為に集まった人々で一杯だった。中年のカッチャ(おかあさん)もいるが見た所ほとんどがバッチャ(お婆さん)である。横になって仮眠をとったり、お菓子をたべたり、それぞれ畳の上でイタコを囲み自由な姿でくつろぎ順番待ちをしている。バッチャ(お婆さん)の住む霊界に迷いこんだような一種独特な非日常的な風景である。

 近くのバッチャ(お婆さん)に話を聞こうとしたらどうも様子がおかしい。素性のはっきりしない者にいきなり話しかけられたのでバッチャ(お婆さん)は驚いて引いてしまったらしい。それと長髪の男を身近で見かけることがなかったのか私を男か女か判別できなかったらしい。目もそうとう悪いのかイルカのTシャツのお陰なのか50過ぎの中年男を20歳の大学生と思ってくれた。それでも思いっきり地元の訛りをいれて話すと安心したのか口を開いてくれた。


イタコの順番待ち


 「早朝4時から来て待っていた。」という。すでになんと8時間も経過している。それでも誰かに先を越されたらしい。

「1年に一度は先祖の声を聞かないと落ち着かないので、毎年欠かさず来ている。」
「ほとんどの人が死んだ旦那や両親、兄弟姉妹、子どもと次々におろす。」
「ほとけを一人おろす度に千円をはらう。」


恐山では一霊三千円なので何故か法運寺は二千円も安い。昔は二十銭、百円だった。

おそらく恐山は全国からバスで大挙してやってくる観光客を相手にしているので値上げしても客足は落ちず、恐山と違って法運寺はどちらも地元なので口寄せもリピーターが多いからではないかと思われる。それでも大抵5〜6人も降ろすのでバッチャ(お婆さん)達にとっては結構な金額になり、さらに値上げすればかなりの金銭的な負担になってしまう。

「一人で何人もほとけを降ろす人が多いので待つ人ごとに30分以上かかるのがざらだ。今からだとあんたたちは夜になるのではないか。」という。

イタコが何人いるか数えてみると6名いてそれぞれ膝元にメモ帳が置いてある。順番を待つ人が多いのでそこに名前を記入することになっている。すでに名前が20名ほど記入済みである。


衰退するイタコ祭り


 イタコは恐山が有名だが、恐山にイタコが住んでいるのではなく、普段は青森に散らばって住んでいる。イタコが恐山の大祭の時だけ各地から集まって来るのである。

青森県は昔、右側は南部藩で左側は津軽藩に分かれていた。以前は盛んだったイタコの市も最近では恐山の他に津軽の川倉地蔵堂と南部の法運寺の三カ所だけだという。法運寺の本堂は明治14年に建立され翌年の15年よりイタコの口寄せがはじまり、その歴史は昭和10年頃から始った恐山よりも古い。

法運寺に集まったイタコの人数は最盛期80人もいたが昭和29年には50人、昭和40年に31人で今年は6人である。イタコはあきらかに衰退の一路をたどっている。


シャーマニズムの形態

 最も古い日本の宗教の形態はと問えば仏教でも神道でもなく、それはシャーマニズムである。シャーマニズムはおそらく数十万年も遡ることができる人類最古の宗教的伝統でもある。世界中の狩猟採集民族にはあらゆる事物には精霊が宿るというアニミズムの信仰がほぼ共通して見受けられる。そして霊的存在と交流する人々をシャーマンと呼ぶ。

エリアーデによるとシャーマンにはトランス状態になって肉体から抜け出して霊的存在と交流して帰還するエクスタシー(脱魂型)と霊がシャーマンの肉体に憑依するポゼッション(憑依型)がありイタコは憑依型である。


東北地方におけるシャーマンが誕生するプロセスには2つのタイプがありイタコ系とカミサマ系に分かれる。

カミサマ系はある日、突発的に神懸かり、シャーマンの病とよばれる変容をへて、祈祷師としてデビューする。信者を持つ新興宗教の教祖タイプである。南部では屋号をつけて○○のカミサマと呼ばれる。津軽ではゴミソと呼びカミサマ系は死者の口寄せをせず予言や託宣、占い、災難を祓う祈祷を主に行なう。

イタコ系はほとんどが盲目の女性でイタコの師匠に弟子入りして一定期間修行して、死んだ人の霊をおろさせる口寄せの技術を学んで自立する。


イタコの口寄せ

 イタコの順番待ちが22番で遅くなるのは明らかなので、夕方まで外に出て海に行くなり、ゆっくり温泉につかるなりすることにして法運寺を後にした。三沢市内の200円の温泉につかり、さっぱりした所でとりあえず5時頃戻ってみると待っているのはちょうど後一人で、次にはあっけなく順番が回って来てしまった。順番待ちのメモ帳を見るとかなりの人がキャンセルしている。どうやら待つことを嫌って、あきらめたのか、すぐに口寄せ可能なほかのイタコに移動したようだ。


中村タケ

私たちが口寄せを依頼したのは中村タケ巫女である。

現在75歳、3歳の時に麻疹で失明して、13歳のころイタコの修行に入り、15歳で法運寺でデビューした、この道約60年のベテランである。

CD「日本語を歌・唄・謡う」(アド・ポポロ企画、制作)では人間国宝の中村鴈治郎や桂米朝とともに中村タケ巫女の口寄せも収録されている。マスコミに登場することもあるが、かといって尊大なところはなく人柄はいたって純朴で謙虚だ。


昔の口寄せ


昔の口寄せには決まりがあり「百日過ぎているかどうか?」をイタコは問題にした。

百日すぎなければ霊はよんでも答えず、別な霊を呼んでしまうからだという。

しかし厳格に定められていたこの決まりも守られなくなり最近はなんでもかんでも降ろすイタコもいるようだ。

明治以前の仏おろしは一回の口寄せで話が出来なくなるくらい消耗し、1日に1〜2回が精一杯だったらしい。

特に恐山はあまりにも有名になったために、商売目当てにイタコのほかにカミサマやゴミソも参加するようになった

短時間で現金収入が得られるので、口寄せの時間も2〜3分と短くなり、本来の地元のイタコによる死者の巫儀の意義はすたれ、観光客相手に簡単な口寄せで済ましてしまうお粗末なものになってしまった。


 イタコはかつては地元の人々との繋がりの中で部落のオシラサマの儀礼や正月の恵比寿まわり、農作物の作柄を占ったりと濃密な関係を保っていた。

口寄せには死口(しにくち)といって行方不明になった死者の霊を憑依させ「ワ(私)のからだはどこそこにある。」と遺体の場所を遺族に告げることもあった。

ほかに生口(いきくち)といって行方不明の生霊(いきりょう)を憑依させ居場所をつげることさえあった。生口(いきくち)は最も辛く3時間も汗だくになりながら全国の神さん稲荷さんにお願いして四方八方手を尽くして探してから魂を抜きイタコの身体に寄せる、

そうしてタコ部屋に監禁させられていた行方不明者をあてたイタコ(三浦かしの)もいた。

昔の東北は津々浦々までイタコが大勢いた。かつては生者と死者の境界が分たれてはおらず生と死は連続していた。その名残りをイタコは今に伝えている。


形骸化した口寄せ


間山タカ(1988年恐山)

嘘のほとけでも降ろすからイタコはインチキだといわれるがイタコにもピンからキリまであり、よく当たると評判がたつイタコには長蛇の列ができた。

特に最も評判が高かったのは伝説のイタコ間山タカだった。

しかし優れたイタコもよる年波には勝てず次々と他界しイタコの数はかなり激減した。真性のシャーマニズムを期待して出かけても恐山でのほとけおろしは型にはまった口寄せしかみられないのが現状である。


恐山の口寄せパターン


イタコが数珠を鳴らしながら仏おろしの祭文を歌う。


「あーいーやーあー」
「今日は呼んでくれてうれしい。」
「本当は死にたくなかった。」
「家族の健康を願っている。」
「夫婦、兄弟、親子、仲良く暮らしてくれ。」
「某月某日、喜びあり。良いことがある。」
「某月某日、交通事故に気をつけろ。戸締まりに気をつけろ。」
「今日はおまえに会えて良かった。喜んで帰る。」


イタコが数珠をじゃらじゃら鳴らす。
はい3000円です。


イタコの修行

 昔の全盲の女性はイタコになるしか生活の道はなかった。盲目の娘は特に霊能力がなくとも、まわりの勧めにより、しかたなく、イタコの師匠のもとに弟子入りするのである。入門は早いほど良いとされる。

J・ピアスによると7歳くらいまでの子どもは透視、テレパシー、予知能力がありESPも多数報告されるという。そして7歳から14歳 ころまでの子ども達は暗示にかかりやすく、8歳から11歳がその頂点だといわれる。子供は大人の様に世界と自我との境界がはっきりと確立されてはいない。自我がまだ未発達の方がイタコの世界感を受け入れやすいのである。

師匠も弟子も盲目なので般若心経や観音経などのほか三十から四十のイタコの巫歌を口うつしでおぼえる。様々な仏教、神道、修験道、民間宗教の神々、権現、大明神、菩薩、諸天善神の名前とダラニ、祝詞をおぼえなくてはならず、おぼえが悪く10年もかかったイタコもいたという。


イタコの入魂儀礼

 仕上げの入魂儀礼は「大事ゆるし」と呼ばれる。祭壇が祀られている行場で弟子に神懸かりが訪れるまでおこなわれる。食事は精進で塩断ち、穀断ちをして干し柿、干し栗、などの果実で餓えをしのぐ。水垢離の行場にはしめ縄がはられ、師匠も弟子も真新しい白装束に5尺のはちまき、白足袋を身につけ、冬でも暖をとらずに食事前に日に三度、毎日水を三十三杯かぶる。マントラを唱えながら右回りにぐるぐる旋回したり、気合術師を呼んで気合いをかけることもあったらしい。イタコの弟子は極度の疲労と緊張の中ではげしく身体を震わせて失神する。師匠はその時に「何がついたか?」と問いかける。そうして答えた神仏の名がイタコの生涯の守護霊になるのである。
 

 最後に「師匠上がり」といって商売道具の数珠を譲り受けて師匠から独立するのである。イタコの数珠はイラタカ数珠と呼ばれ普通の数珠と違い独特である。珠は無患子(むくろじ)の実で子安貝、熊の爪、獣の牙と角が使われている。イタコはこのイラタカ数珠をじゃらじゃらならしながら「仏おろしの祭文」を語って仏に来てもらうのである。


シャーマンの病


 イタコの入魂儀礼も時代と場所によって多様であるが、いずれにしても神懸かりになる為に大変な苦行をする。寒い冬の水垢離は冷気に耐えかねて逆に身体に熱を発生させる。下半身に発生した熱が背骨を通って頭まで達成して変化が生じるのである。蛇や龍はこの熱エネルギーの象徴である。不動明王が右手にもつ、倶利伽藍(くりから)の剣に蛇が巻きついているのは、このことを表しているように思える。正常な意識では耐えられないので思考から切り離すため祝詞や祭文といったマントラを延々と唱え続ける。イタコは変成意識状態の中で神や仏と出会うのである。

 右耳の上にある大脳の右側頭葉は魂の座と呼ばれている。自己と意識の接点があり、右側頭葉を刺激するとテレパシー、光のヴィジョン、音の幻聴、人格の変容、体外離脱体験が起きることが解っている。この領域に脳の損傷がおきると魂の抜けた自動機械の状態になり、さながら生きる屍のようになる。


イタコの入魂儀礼は堪え難い疲労と緊張によるストレスが引き金になり大脳の右側頭葉の回路にスイッチが入るのだ。儀礼はスイッチが入るまで続く。

そうして右脳の中から声が聞こえるようになって、はじめてイタコが誕生するのだ。

イタコ系は人為的だがカミサマ系の教祖達は人生の中で極端な不幸、災難、困難を経験して発狂寸前まで追い込まれる。病気や苦悩の頂点でカミサマと出会うのである。

日常を超えたこのような体験はシャーマンの病と呼ばれる。


意識の成長・進化


 体験を否定して自我の崩壊、分裂が起こることもある。自我がある程度発達していないと恐怖のあまり退行してしまうのだ。閉じこもってそこから出て来ようとしなくなる。退行してしまうと、自我を越えることも社会にも適応できない状態に置かれてしまう。

 体験が肥大化すると、自分は凄い人間なんだとうぬぼれてしまう。教祖が信徒に攻撃的になったり人に対して抑圧的、支配的になってしまうのは抑圧された無意識のエネルギーに巻き込まれてしまっているからである。カルトや新興宗教の教祖にこのようなタイプがいるので注意が必要だ。

 私たちは自分の思考や感情を波動として周囲に放射しているので自我の境界が薄くなった人は気をつけなくてはいけない。霊能や特殊な能力をえて人に認めてもらいたいというのは自己評価欲求が満たされていない段階なので、問題を生じやすいのである。

 不思議なヴィジョンを見たり、異常な肉体の感覚を経験したり、このような普通では考えられない体験を大いなる自己に統合できれば意識の成長・進化がおこる可能性がある。

 それには抑圧されたエネルギーを解放し、体験を否定も肯定もせずただあるがままに見てゆく観察的な自我を育てることが必要だ。


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憑依・降霊現象 2

シャーマンのイニシエーション

イニシェーションは宗教用語で、入会儀礼と訳されている。
仏教の出家もフリーメーソンの入会もこのイニシェーションを通して確実なものとなる。
この儀礼の重要な要素は個人として「死と再生」を象徴的に体験することである。
キリスト教では洗礼をすることで、これまでの自分を清算し、キリスト者として再生する重要な儀礼となる。
この洗礼はもともと川に行き、頭まで水の中に沈めてしまうという力強いものであった。
スタインベックの小説『怒りの葡萄』にも川での洗礼の場面が出てくる。
この水をかける儀礼は、インドの場合には王様の即位儀礼と関係がある。
これを仏教では潅頂といい、王の資格を持つ者の頭頂に頭から水をそそぎかけた。

この水は聖なる力の象徴であり、この水をかけられた瞬間、彼は個人ではなく天国の代理人となるのである。

  残酷な風習と考えられる割礼も、イニシェーションのひとつである。
正式に割礼を受けた者は、それまで母親の所有物であった関係を断ち切り、その象徴である血を出すことで、初めて男の世界の仲間に入るという象徴行為であった。
しかしこうしたイニシェーションの伝統は、地縁、血縁の結びつきが生きている時には効果的に働いていたが、現在ではイニシェーションの伝統そのものが失われ、また維持されているところでもその効果は疑わしい。
それは時代の要請によって、新しく生まれた宗教団体の閉鎖的な空間のなかでしか力を持ちえないのかもしれない。 



イニシエーションとは、入社式または加入礼とも呼ばれる、通過儀礼の一つである。
外部の人間が新たに共同体に加入する時、しばしば苦痛を伴う儀式の洗礼を受けなければならない。

こうしたイニシエーションがなぜ必要なのかをシステム論的に考えてみよう


@ イニシエーションとしての成人式


代表的なイニシエーションは、男の子(場合によっては女の子)が、母親との甘えた関係を断ち切り、成人の仲間入りをするときに受ける割礼である。
割礼とは性器の一部を「断ち切る」儀式で、男の子の割礼の場合には陰茎包皮を切除し、女の子の割礼の場合には陰核の全体あるいは一部を切除する。
割礼は、イスラム教圏、ユダヤ教圏、アフリカ、アジア、オーストラリア等で行われ、全世界の割礼人口は10億人と推定されている。

日本の成人式では、割礼は行われないが、縄文時代では、上顎の両犬歯と、下顎の前歯2本を左右対称に抜き取る抜歯が、成人となるためのイニシエーションとして行われていた。

今でもオーストラリアでは、抜歯をしている民族がいる。
この他、小指や耳たぶの切断、鼻の隔膜や処女膜の穿孔、頭蓋変形、唇や首の伸長、瘢痕文身など、痛々しい身体毀損と暴力がイニシエーションとして世界各地で行われている。


A イニシエーションとしての入学式


暴力を伴うイニシエーションは、遠い過去のあるいは未開の社会で行われている野蛮な習慣というわけではない。

現代の日本でも、イニシエーションを目にすることができる。
個人的な体験談で恐縮だが、応援団の先輩が一年生全員をしごく歌唱指導という行事は、私が高校に入学した時に経験したイニシエーションだった。
一週間にわたって、新入生は二種類の校歌に寮歌を加えた三種類の歌と応援を練習する。
歌や振り付けを間違えたり、たるんでいると受け取られたりすると、応援団員に「ふらふらしてんな!」と怒鳴られ、ど突かれる。
こうしたバンカラなセレモニーは、創立が古い田舎の高校によく見られる。

そうした練習が、その後何かの行事で本番を迎えたことはなかったし、大体、寮など廃止されてなくなっていたから、寮歌を覚えることなど無意味である。
歌唱指導は、それがイニシエーションであることを除けば、正当化する理由は何もない。
すなわち、歌唱指導の本当のねらいは、応援団員という最も愛校心の強い先輩たちが、校歌という集団との自己同一の象徴を新入生に叩き込むことによって、彼らに集団の一員としての自覚を持たせるところにある。


一般的に言って、日本の大学や高校は、海外の学校とは異なって、卒業よりも入学の方が難しい。
このことは、日本の学校が、機能的・手段的性格よりも、共同体的性格を強く帯びていることを示している。
入学試験に合格するために、受験勉強という苦難を経ることも、一種のイニシエーションである。


B イニシエーションとしての入社研修


学校だけでなく、会社に入る時にも、似たような、苦痛を伴うイニシエーションを受けなければならない場合がある。
最近では、企業も、定年までの人生をそこで過ごす共同体ではなくなりつつあり、機能的・手段的になっているから、しごき型の研修は減ってきているが、かつては、次のような研修がよく行われていた。

「仕事は男の戦場だ」
「気力は体力に先行する」

1969年(昭和44年)、都内の電機メーカーの社員だった男性は、箱根山中の研修所で、大きな声を張り上げた。
天井からは、黒墨で書かれたげき文がつるされていた。
2泊3日のスケジュールで、テーマごとの討論会は、相手を論破するまで延々続く。
討論というよりは、ば声の飛ばし合いに近い。
中には、精神的に追い詰められ、泣きだす社員もいた。
睡眠をほとんど取れないのに、早朝からは2キロのマラソンも強制され、講師がムチのようなものを持って追いかけてきたという。
現在、50代になるこの男性は研修を振り返り、

「参加しつつどこか冷ややかに見ていた。今も酒の席で話題になったりするが、あの研修が仕事で役に立ったとは思わない」

と語った。 この男性は、研修の意味をあまり理解していないようだ。

しごき型の研修が実用的でないのは、私が受けた歌唱指導が実用的でないのと同じことである。
何十年も経った後でも、酒の席で話題になるのなら、この研修は、本来の目的を達成しているということができる。

もしも、入社の時、社長の退屈な話を聞くだけだったならば、それも一種のイニシエーションではあるが、決して、これほど記憶に残ることはなかっただろう。


C イニシエーションとスケープゴートとの関係


通過儀礼の原型は、出産である。

子宮から、狭い隘路を経て、この世に生まれ出る過程は、死ぬときと同様に、大変に苦痛に満ちたものなのだそうだ。
成人になるなど、新たな生まれ変わりをするとき、擬似的に出産のプロセスが反復される。

しかし、イニシエーションとしての通過儀礼には、システム論的観点からすると、別の機能もある。
入所式としてのイニシエーションとスケープゴートは、方向は反対だが、機能は同じである。
すなわち、自分たちと異質であるにもかかわらず、自分たちと同じ共同体に属する中間的存在を完全に排除することにより、共同体の境界(システムと環境の差異)を明確にすることがスケープゴートであるのに対して、外部から自分たちと同質のメンバーとなる中間的存在者に、境界を意識させることにより、共同体の境界(システムと環境の差異)を明確にすることがイニシエーションなのである。
どちらのケースでも、中間的存在者が境界を通過する時、暴力がふるわれるという現象が起きることが多い。

通過儀礼一般には、暴力は必ずしも必要ではない。
例えば、結婚式は、イニシエーションとしての性格がない通過儀礼であるから、既存のメンバーから暴力を振るわれるということは、まずない。
しかし、既存のメンバーがいる集団に入る時には、境界を通過する新参者に何らかの苦痛を味合わせることによって、境界をはっきりさせ、システムと環境との差異である、システムの秩序を維持しなければならないわけである。



部族社会では危機が訪れるとシャーマンが変成意識状態の中で啓示を受け部族を導き、部族を危機から救おうとする。

 シャーマンのイニシエーションには「シャーマンの病」と呼ばれる精神的な危機がある事が知られている。
その構造は神話の構造と共通している。


1、セパレーション(分離・旅立ち) 
地下世界 天上界 異界への長く苦しい旅立ち


2、イニシエーション (通過儀礼) 
異界で神々、悪霊、祖先霊、動物の霊と遭遇する。
精霊に出会ったシャーマンは苦痛の中で象徴的にバラバラに引き裂かれる。
死と再生のプロセスを通過して シャーマンは深い人格変容をとげる。


3、リターン(帰還)
シャーマンは宇宙の智慧と癒しの力を得て共同体の一員として再統合する。

 現代の、拝み屋、新興宗教の教祖などの霊媒体質のシャーマンに共通するのは人生の中で突然、極端な不幸、災難、困難に出会い、発狂寸前まで追い込まれることだ。
病気や苦悩の頂点でカミサマと出会うのである。
危機状態を通過したのち霊能力を活かし、相談事を請け負う拝み屋になるのである。
ただし祈祷師、拝み屋、今風にいえばスピリチュアル・カウンセラーにもピンキリがあり、無意識が浄化されていないと物質的な現世利益に走り精神を病んだり、体調を崩したりする者がいる。
シャーマンの危機は現代医学では重度の精神病と診断されている。


精神的な危機に陥った住民を経験豊富なシャーマンは歌や踊り、祈りによって適切な処置を施し共同体の中に着地させる。
精神的な危機を理解できる指導者がいない文化では精神病の患者は共同体から隔離され誰からも相手にされない。

薬づけにされ、病室に閉じ込められる。
シャーマンがいない共同体では危機状態に陥った者の精神の苦しみはより増すばかりである。


 神話に表れる英雄、シャーマン、神秘家の体験、精神分裂病患者(統合失調症)の旅には共通の構造がが見られる。
自我の境界を超えると様々な無意識のイメージやヴィジョンの洪水に襲われる。
同じ無意識の海に飛び込んでも神秘家やシャーマンは泳ぎ、精神分裂病患者は溺れてしまうのである。

 20世紀の初頭イヌイットのシャーマンはデンマークの探検家に偉大な精霊シラについて話した。

「宇宙の霊であるシラは、目には見えない。声が聞こえるだけだ。
わたしらが知っているのは、シラが女のようにやさしい声をしているということだ。
とても上品でやさしい声なので、子どもでさえこわがらない。
そしてシラはこう言う。『宇宙を恐れるな。』」 と


 シャーマニズムの研究によるとシャーマンになるには二つのパターンがある。
召命型と探求型である。

沖縄と奄美には「カンカカリャ(神懸かり)」「ムンスイ(物知り)」「カンヌプトゥ(神の人)」と地域によって呼び名がことなるユタが存在する。
ユタはほとんどが女性であるがカミグルイ、カンブレ、カミダーリィと呼ばれるイニシエーションを経験する。

ある日、結婚生活を送っていた主婦の心身に異常が起きる。
夢や日常の中に神々が表れたりして精神状態が不安定になり、様々な体の不調を訴えるのである。
そのうちに神の歌を歌い一日中踊り続けたりするようになる。
当然、「モノグルイだ」「神グルイだ。」と近所で噂になる。
シャーマニズムの伝統が生きづいている地域ではこれが「聖なる病」であることが理解され家族は精神病院ではなくユタを訪れる。

やはり、カミダーリィとわかり一人前のユタを目指す。
ただしカミダーリィが起きた人が全員ユタになる訳ではないようだ。

「精霊から何代か前の先祖の葬られた場所を探し当てて供養しなければいけない。」

といわれ何年も探し歩いて彷徨しているユタもいる。
精霊にもやり残した仕事があるのだろう。
又、精霊と交流するうちに自分は特別な存在としてエゴがますます強化することもある。

無意識の抑圧に無自覚な人が妄想の中で神社巡りをつづけることもあるのである。
無意識に抑圧や緊張がある者が霊的な能力を得るとその能力故に自滅するケースもある。
突発的に神懸かりになる召命型のユタには人生でさまざまな災難が降りかかり、病気、貧乏、友人、家族、兄弟の死、夫の浮気、離婚などの苦悩と極端な不幸な経験をつむものが多い。

絶望しても死ねないことは普通の人では耐えきれない人生である。
しかし3次元の世界では不幸だがのちに神様の世界から見れば素晴らしい経験だという事を知るのである。
そして超自然的な出来事の中で思考が落ち、神に選ばれた自分の運命を受け入れ自覚した人がユタになるのである。
生まれながらのユタとして人々は「ウマレユタ」と呼び神と直接交流出来る人として特別視する。

ユタには人々をカミンチュ(神の人)に導くことを使命と自覚している人もいる。
カミダーリィを経ないでユタのもとに通っているうちに、ユタのシステムをおぼえていつのまにかユタ稼業を始める者を「ナライユタ」と呼ぶ。
探求、修行型は東北のイタコに相当する。


カミダーリィをシャーマンの病とも呼ぶが召命型のイニシエーションは世界中の先住民の文化に共通してみられる。

変成意識状態の中でシャーマンの今までの肉体は完全に解体される。
頭は切り離され手足と骨盤、関節はバラバラに分解される。
心臓や内蔵が生きたままとりだされる。
筋肉が奇麗にそぎ落とされ目がくり抜かれたりする。
体液が抜き取られ、そして釜で煮込まれたりする。
シャーマンはその間ほとんど息をせず臥せっているのである。
最後に骨が拾い集められ、肉がかぶせられる。

解体と再生は3日から7日続きイニシエーションは終了する。
これらはLSDやメスカリン、アヤワスカなどの向精神物質の摂取でも同様な報告がある。

シャーマンの病とはまさしく跳ぶ前に屈むことなのである。



うつとシャーマニズム


以前このブログで、私のうつ体験について書いたとき、インディアンのシャーマニズム(呪術的民間信仰)について詳しいある人が、

「先生の体験って、シャーマンのイニシエーション(呪術師になるための通過儀礼)そのものですね」

と話してくれた。


そう言われてみれば、自分ばかりでなく、うつの人のカウンセリングをしていても、自然とシャーマニズムについて話すことが少なくない。

どうやら私の目には、うつの人々とシャーマンとが、重なって見えることが多々あるらしい。

一体なぜそうなるのか、話の流れなどを具体的に思い出し、考えてみた。


シャーマンは、世界各地、特に古くから続く文化を踏襲している地域において、より多く存在し、日本語では「呪術師」あるいは「巫師(かんなぎ)」と訳される。

多くはトランス状態に入り、神の言葉を伝えるという職能の人々のことである。

日本で代表的なものとしては、巫女があげられるが、現在なお実質的な影響力を持つ人々として知られるのは、沖縄周辺の「ユタ」や青森県の「イタコ」が有名である。

青森県の「イタコ」の場合、視力障害を持つ人などが、その職能を身につけるために厳しい修行を行い、その立場を得る。

しかし、沖縄地方の「ユタ」の場合、一部の例外を除き、それまで一般人として生活していた人が、何らかのきっかけで一種の精神病様状態「カミダーリ(神障り)」に陥り、それを克服する中で、自らの「ユタ」としての能力と天命に目覚めていくという経緯をたどる。

イニシエーションにおいてシャーマンがたどるプロセスについて、井上亮(故人)という心理学者から聞いた話がある。

井上氏は大学に助教授として在任中、海外留学先を決める際、周囲の驚愕をよそに、さっさとアフリカはカメルーンの呪術師のもとに留学することを決め、1年を経て、実際に呪術師の資格を得て帰国した人で、さほど口数は多くないが非常に魅力的な人物であった。
シャーマンになるためのプロセスの中では、いくつかの課題を克服せねばならないという。
中でも、特に私の記憶に強く残っているのは、「孤独」と「恐怖」の克服である。

氏自身も、「恐怖」の克服こそがもっとも大きな課題であるとして、通過儀礼の中心に位置づけておられたように思う。

シャーマンの通過儀礼においては、「恐怖」の対象は、単なる観念ではない。

戸のない小屋で、夜一人で睡眠をとることを命じられ、ベッドに横たわっていると、黒豹が小屋の中に入ってくるというのである。

この黒豹は、たしかに実体ではあるが、ある大きな存在の化身らしく、普通に自然の中で生活している生きた黒豹とは違うようだ。

通過儀礼を受ける者は、これから逃げてはならないし、起き上がってもならない。

氏が儀礼を受けていた際も、確かにこの黒豹が、小屋に侵入してきた気配があったということである。

これまで自分が生活していた日常の世界から、未知の異世界へと通路が開かれていくとき、夢や物語の中では、異世界を象徴する存在は、しばしば獰猛な動物的性格を帯びる。

以前、このブログで『こぶとり爺さん』の解釈を試みたことがあったが、爺さんが最初に見た異世界の姿もまた、異形の鬼(妖怪)どもの宴であった。

そして、やはりこの爺さんも、「鬼に食われてもよい、わしは踊るのだ」という形で、恐怖を克服したのである。

ごく普通の人の場合でも、外部からの圧力によって表現することを妨げられた感情は、「怒り」という様相を帯びる。

それは、檻に閉じ込められた、あるいは鎖につながれた獣が、怒りのためにより凶暴になるというイメージに似ている。

異世界も異世界への通路も、潜在的にはとっくに存在していたのだが、ただ人の側にそれを受け入れる準備ができていなかったために、意識の向こう側に閉じ込められていたに過ぎない。

かなり前の放送だが、NHKスペシャル『脳と心』の最終章「無意識と創造性」に、宮古島のユタである、根間ツル子さんという女性が出演しておられた。

先に述べたユタの例に漏れず、彼女もまた離婚という節目をきっかけに精神病様状態となり、他のユタのもとを訪れて、「この人はユタになる人だ」と見抜かれたのだという。

都会であれば、「精神病」あるいは「人格障害」で片付けられてしまう状態だ。

根間さんに初めて神がかりが起きた頃、ある一つのことが強く訴えられた。

番組では、当時の神がかり中の根間さんの肉声が放送されていたが、まさに壮絶なまでの叫びであった。

「ああ私が悪かったぁー!…………
何としてもこの井戸を、これだけは、これだけは頼みます……!」

と、すでに使われなくなり、埋もれてしまっていたある井戸を再び掘りなおすことに、強く執着したのである。

根間さんは実際にこれを実現し、そしてユタとなった。

万物の根底にある地下水脈、地下世界という異界と、この世とをつなぐ通路。

根間さんの魂、あるいは宮古島の人々や自然の魂にとっては、それがその井戸だったと言えるだろう。
この場合、「井戸は、単に象徴に過ぎない」と言うことはできない。

心理的に大きな何かを乗り越えるというのは、単に「心の持ちようを変える」というのとは、まったく次元を異にする。

うつという病を乗り越えるにも、まず例外なく、ある現実との実際の闘いなくして、遂げられることはない。

だから根間さんも、実際に井戸を開通させねばならなかったのだ。

万物の根底にある地下世界のイメージによって表現される領域を、ユング心理学では「普遍的無意識」と呼ぶが、ユング自身もまた、当時ヨーロッパを席巻していたフロイト心理学と袂を分かった後、精神病様状態をともなう極度のうつを経験している。

そののち、ユングはこの考えを体系化するに至るのだが、彼もまた、フロイトとの決別という苦難に満ちた過程を経ることで、普遍的無意識に達する井戸を開通させたのだと言える。


うつの人々の特徴は、一言でいうならば、ものごとの本質・本筋・矛盾を見抜く目に、曇りがないことである。

だから、まわりの雰囲気や、慣習や、馴れ合いに流されず、いつも本当のことが見えてしまう。

要するに、非常にシャーマン的なのだ。

こういった人々の割合は、どれほど多く見積もっても1パーセントくらいではないかと、私は考えている。

はっきり言って、特殊と言わざるを得ない。

そして、そこにこそうつの人々の苦悩と劣等感がある。

一般の人々は、自力では大きな存在とは繋がれない。
それを導き、繋げてやるのがシャーマンである。

本来の姿のままに自然と人間とが有機的に絡み合い、人間性が生き生きとした文化の中であるならば、シャーマンのような立場となるべき人が、うつになるタイプの人々の中には少なくないのではないかと思うのである。

本来ならば、常に真実を見、正しい言葉を語り、尊敬を集めてこそしかるべき人々が、踏みつけにされ、もがき苦しまねばならない社会。

一体われわれは(というよりも私は)、これをどうすればいいのだろうか。




■カミンチュ(ユタ)とは  


沖縄本島・離島・奄美諸島に古来から存在する民間の巫女・シャーマンのことを一般にユタと呼ぶ。

運勢の吉凶を見たり、死者の口寄せ、先祖事などの霊的相談に応じる。

昔からカウンセラーや精神科医の役割も果たしていた。

他の地方のシャーマンたちと同様、ほとんどのユタは女性である。
カミンチュになった動機を聞くと、ほとんどが「好きでなったのではない」と言う。

他の地方の霊能者と違い、沖縄や奄美のユタは、ユタになることを運命づけられていると思われる人が多い。

そういう人々のことを「サーダカウマリ(性高生まれ)」とか「カンダカウマリ(神高生まれ)」などと言う。


  ■ユカミンチュの成巫(せいふ)過程  


カミンチュの多くは人生のあるときに、離婚や親族との死別などの不幸な体験をきっかけに神懸かりになり、「カンダーリィ(神ダーリィ)」と呼ばれる巫病を患う。

この期間中は精神状態が不安定になり、人によっては不眠、拒食、意識喪失、大声で歌い騒ぐ、身体が震えるなどの状態が続き、精神病者と紙一重になる。

しかし、これはほとんどのカミンチュが経験する「関門」なのだ。

この間、彼らは自分に憑いた神霊や先祖霊に命じられるままに、いろいろな御嶽を回って祈らされたりする。

こうして彼らは自分と関係が深い神霊や先祖霊によって祖先の道を悟る。

するとカミダーリが収まり、霊感が得られる。
この状態をチヂアキという。

そして、ユタと神霊との関係ができ、判示をする存在ができる。

こういう存在のことを「ジヂブン(守護霊)」などと呼ぶ。

カミンチュになった後でも、病気、貧乏、身近な人の死、離婚などの不幸な体験を何度も経験する。
また、幼少時から病弱な人が多い。

ユタのほとんどを占める女性のユタは、ほとんどといって良いほど離婚歴がある。

こうして、ユタになることを拒む彼らにさまざまな災難が降りかかり、けっきょくイヤイヤながらカミンチュに招命されることを承諾するのだ。


  ■カミンチュの分類  


カミンチュには2つのタイプがあり、宮古では天ヌザーを扱う者と、グソー(あの世)ザー
を扱う者にわかれる。

前者は、主に神や遠い先祖に向けた儀式を行う。

後者は死に関連した儀式を専門とし、宮古ではグソーザスとかスンガンカカリャと呼ばれたりする。

沖縄では死者が出ると一族揃ってユタのところへ行き、ユタは死者の胸の内を家族に語り聞かせる

「生まれユタ」と「習いユタ」という区別をする場合もある。

生まれユタは生まれつき神懸かり能力をもっていたり神事を直接神から習った人で、習いユタは、そういうことを他のシャーマンから習ったという違いがある。


  ■カミンチュの役割  


沖縄文化圏では古くから、ユタ禁止、ユタ征伐、ユタ狩りなど、琉球王国時代から明治政府、戦時体制下まで幾度もユタを禁圧した歴史がある。

だが、民衆の要求に支えられて潜伏し、いままで生き続けてきた。

青森のイタコなどは絶滅寸前のようだが、沖縄・奄美のユタは、民衆の必要性に応じて、その数は増える一方であるようだ。

ユタの存在に対して否定的な見解をもつ人々の多くは、祖先の祟(たた)りをことさらに強調し、人の心を畏怖(いふ)させることを問題とする。

だが近年は学者の間でもユタに対する肯定的な意見が多くなってきつつある。

たとえば1997年の多文化間精神医学会のシンポジウム「癒しと文化-土着の中の普遍」では、沖縄土着の癒しの三つのキーワードの一つにユタの「判じ」を挙げ、ユタはある意味で地域の精神保健を担っていたという意見も出ていた。

専門家の間にも、ユタによって「精神的安定」が得られ、それが沖縄人の長寿の秘けつの一つとする見解さえあるようだ。

ユタに見てもらうことを「ユタ買い」という表現をする。

沖縄の精神科医は、患者さんにユタを薦めることもあるという。

こういう習慣を「医者半分、ユタ半分」という。

お医者さんも、その効果をある程度認めているからこそ薦めるのだろう。

多くの人は「カミンチュ=霊能者」と思うだろうが、まったくイコールだとは言えない部分があるように思われる。

カミンチュの多くは先祖ごとを主として行い、人々に「癒し」を与える。

だが、社会や人間を罪から救うというもっと普遍的な目的のために、カミンチュとして立つ者も存在する。

私(百瀬)が会ったある女性カンカカリャは、自分の使命は皆を公平に扱い、神の教えを広め、新しいカンヌプトゥ(神の人)を産み出すことにあると信じている。

だからこそ、われわれはユタの存在を無視できないのだ。


神人(カミンチュ)=ユタへの道先日、伊良部島でお会いした女性から、お電話をいただきました。

その内容は、沖縄の神人(カミンチュ)から、

「あなたは、神さまから、神人(カミンチュウ)にならなければいけない時期に来ています」

と告げられたので、そのことを受け入れて宣言した後、今、毎日、拝所(ウガンジョ)を回っているんですが、何か、アドバイスはありますか?ということでした。

神人になるということは、最終的に、

自分の神を持つ = 神につながる = 神の役目として生きる道

のことを言います。

これは、決して、なまはんかな気持ちではできないことです。

今年の3月の宮古島・伊良部神事のときに、伊良部島に住んでいる方で、現在、神人修行中という女性に逢いました。

その方の苦しさがよくわかりますので、これからのアドバイスをしましたが、神の声と、自分の気持ちをどうバランスよく調和をとるかが、とても難しい期間なのです。

この神人になる道は、普通は、”三年修行”と呼ばれていて、三年間は何をさしおいても、最優先のテーマとして、神の言葉に素直に動かなければいけません。
特に、沖縄以南の神人と呼ばれる人たちは、昔からこのこの期間の苦しさを経験していますので、よく知っています。

でも、周りの人に頭がおかしくなったと思われたり、変な人になったと敬遠されたりするので、この苦しさから逃げ出そうとして、家族の命をとらえたり、大きな事故が起きたり、想像を絶する経験をしている神人も少なくありません。

だから、ほとんどの神人は、自分の三年修行の話はしません。普通の方には、理解できない苦しみがあるからです。

この期間がどんな感じかというと、まず、自分のしたいことは、ほとんでできません。
すべての意思は、神にあるからです。
自我を完全に消すための修行期間ですので、自我と神のいうこととのはざまに陥る苦しい時期なのです。

そして沖縄地方独特の神さまごとに手をあわせる祈りには、必要なものを買い揃えたりもしますので、祈るたびに、お金もかかります。

さらに、祈る時間は、朝も夕も夜中も関係ありません。
神が必要とするときに、動けなくてはいけませんから、ほとんどの方は、仕事ができなくなってしまいます。

こういう経済的な問題や生活パターンの変化は、家族の問題を引き起こしたり、夫婦関係や親戚関係にも、大きな影響がでてきます。

皆さんが、普通だと思っている日常の現実世界での優先事項が、一切できないこともよくあるからです。

神に使え、神の一部となり、神の役目をする神人(カミンチュウ)とは、そういう役目の方たちなのです。

伊良部の神人と話しているときに、”大和の国の人”と私たち日本人のことを呼んでいましたが、現在の日本で活躍しているセラピストやヒーラー、また、スピリチュアルカウンセラーよ呼ばれる人たちとは、まったく違う存在くらいに、ものすごい経験をしなければできない仕事だと理解してください。

私も昔は、自分のことを”霊媒師”としか説明できなかった時代がありますが、今は、癒しの時代のおかげで、世間で受け入れられていることに感謝しています。

しかし、神人は、土地を守り、先祖を守り、すべての御霊のふるさとの神さまの伝言を正しく伝える役として、一生、働らかなければいけない役目の人なのです。

私も実は、大和の人間ではめずらしく、”三年修行”を経験しています。

だから、沖縄や伊良部島の神人に逢っても、互いの歩んできた道の苦しさを理解しあえますし、その結果で得られたお互いの”霊格”を尊重しあえるのです。

お電話いただいた60代の女性は、琉球地方に最初に神が降りた場所と呼ばれる久米島出身ですし、さらに、現在、沖縄本島でも、自分なりに祈ることをずっと続けていた方ですが、それまでの祈りとは、桁はずれの修行の道に入ったことになります。

守るべきところを守る方がいない場所が多くなってきているのも、沖縄以南の島々の現在の大きな問題です。実は、そういう方たちがいないと、天災や災いから、守る霊力や神さまの力が弱まってしまうからです。

現代の風潮の面倒なことはなるべくしないで楽をしようとする一方で、こういう苦難の道へ進んでも、みなさんの土地や日本や地球を守ろうとする方もいらっしゃることを知っておいてください。

だから、皆さんにお願いしたいのは、ウタキや拝所のルールを正しく知り、神人(カミンチュウ)の方たちとの付き合い方も覚えて、その大切なルールを誰かに伝えていかなければ、この日本を守る大きな霊力バランスが、崩れてしまうことになることを知っておいてほしいのです。

現在、それぞれの土地を守っている神人たちと、これから神人(カミンチュウになられる方たちへのご理解と、大切にすることの意味を知り、これからもさらなるご理解とご支援をよろしくお願いいたします。

すべての過去を司る神々たち、そして、その役目を果たす神人たちに、心からの感謝と愛をこめて。



ノロ神様に会いに行く

蝉のシャワーを浴びながら、緑の森の中を登っていきます。
 どこへ向かうかというと…

ノロ神様という生き神様に会いに行こうと山を登っていきました。

 奄美大島には「ノロ神様」とか「ユタ神様」といった生き神様がいらっしゃる。
見てもらったという友達が「すごいよ〜。」と言っていた。
 何がすごいって、例えば電話で話をしていたら

「テレビの上に赤ちゃんの写真を飾ってあるわね。やめた方がいいわよ」

と見てもないのにぴたりとあてるんだそうだ。

 実は奄美に来てから病気やケガばかり、いいことがないなあと思う今日この頃。
今後の指針のために見てもらおうと思って以前から考えていて、やっと実現したわけ。

「卯年の子供がいるね」
「馬がいるね〜。男の子みたいに活発な女の子」

 などなど、不思議にピタリと何年かを当ててくる。
「何に気をつけなさいね」など注意した方がいいこととか、色々お話ししてくださった。

 最後に持ってきた焼酎に何やら唱えてくださってから
「これを家の水回りに全部流してお清めをしてね。
それから外に塩を撒きなさいね。それで家の状態が良くなるから」

「あなたは下をよく見て気をつけて歩きなさいね」

 ハハハそういえば、何もないところで転ぶのは私の特技。

 実は男の子が欲しいと切望してはいたのでちょっと聞いてみたのだが、
「二番目は男の子みたいに活発でしっかりしてるから男の子だと思ってその子に期待なさいな」
と笑顔で言われてしまった。

 それにしても、生き神様。
そこまでみることができるとは。結構すごいのではないかな?
うなずきながら、また道を下っていった。高く昇った太陽が眩しい……。


____________


ユタ神様の所へ行かれたんですね!

島の皆さんもユタとノロを混同してノロ神と言うことが多いのですが、ノロは那覇ン世の時代琉球王朝から辞令を受けて政を担った神女のことでもちろん制度としても今は残っていません。

tokorineさんが行かれたのは奄美の土着信仰のユタ神様です。
同様の例に青森むつのイタコがありますね。
よく当たると言われるユタ神様が島内には二人か三人いらっしゃいますね。
一般の人が普段の生活で意識することはまずありませんし、話題にすることもありませんが、人をみることの出来るユタ神まで昇華できた方はほんの一握り氷山の一角です。

それは過酷な修錬(奇怪な言動を伴なう心身分裂状態)を乗り越えられた稀有な方です。

突然の天命に打たれその道に踏み込んだ殆ど大多数の人たちは心身分裂の迷路を抜け出すことなくその状態のままひっそりと各シマの家々で半隔離状態のまま忘れ去られたように生涯を終わります。
その数はかなり多いようです。またその状態から元の健全な状態に戻ったという例は殆ど聞きません。
普通人からすれば怪しい幻聴の天声に操られ彷徨い行った修行祈念の跡(人知れず夜中に徘徊して行った呪術の跡)を、(少しだけ霊場を感じとれる)私は泉や林や山中の随所でみかけます。
奄美の土にしみ込んだこの霊力が島の闇にぶきみな奥深さを与えているのかも知れません。
投稿: tokorin | 2006/07/13 17:36


ユタ神様に会われたのですか?

私も奄美時代にユタ神様体験あります。
本当にいろいろぴったり当てるので、びっくりしてしまいます。
私はユタ神様のような自然から力を授かった人たちを尊敬します。
だって、その力を悪い方向で使わず、私たちを助けようという良い方向で使ってくださるから・・・。
投稿: patinha | 2006/07/13 19:57 



こんにちは…私は沖縄県に移住して、10年になる男性です。
人間は、二つの人がいます。

1つは、無宗教・無関心・信じない人
もう1つの人は、信じる人

以前は、正直前者でした…
何が、霊だ?はぁ〜?って感じでした。

しかし、災いや、女性関係のもつれや、事故に不幸、まるで、映画の中にいる気分でした。

ある日突然呼吸が出来なくなり、首を締め付けられ、耳元では何やらゴチャゴチャ…

頭がおかしいのか? それとも、アルコール中毒か?
おっかしい自分がいました。

精神科はチョット抵抗があったので、うつかな?と思い、心療内科へ行く。

しかし、処方された薬は効果なし。
7つの心療内科に出向いたが、薬の副作用が…

おかしい…おかしい…あ゛ーーーーーーって感じでしたが、ある日友人が、
お前変やね。
さっきから、水ばかり飲んでるよ。
ん?
それと炭水化物ばかり採る。
?????

友人は、私のことを心配してくれて、ユタと呼ばれる人や神人と呼ばれる人に、僕の写真を持って
相当相談に行ってくれたのですが、
どれもこれも、偽者で、3万円5万円のお金がドンドン出て行きました。

ホームページを調べては、出向き、偽者。
新聞読んでは出向き、偽者。

自分も動ける時は、ネットで調べて、東京へ行ってみたりしましたが、最後には、壷買えとか
供養するには、100万円かかるとか、ほんと、偽者しかいない…。

ある日の事、もうこうなったら、ヤケくそで、適当に会えそうな霊能者に予約を入れ、言われた
10万円を封筒に入れて、ICレコーダー(録音機)をポケットに入れて、大阪まで出向いてみました。

話をしている最中に、色々試してみようと思った。
結局話し上手なただのオッサンだった。

ホテルで、再生すると会話は全て、聞きだした情報から、もっともらしい事を言っているだけ。

あきれたもんだ…

そうこうしている間、ドンドン調子が悪くなり、病院へ。
お医者様から、あなたの場合、私たちの領域では何も出来ない。

と言われたり、原因不明の病気(症状は当てはまるが病名はつけれない)などに、6ヶ月間苦しみ
続け、
総合病院のMRIや血液あらゆる観点から4ヶ月もかけて入退院、
挙句の果てには心臓にカテーテルをグサリさして、全ての検査を沖縄で二つの病院で行ったが、原因は解からず、
結局、実家に逃げ帰り、皆さんも知っている程の大病院で検査しましたが、何の回答も無い。


戻った時に友人からの電話 → いたいた! 本物!!

慌てて飛行機に飛び乗り、向かうは沖縄。

着陸した瞬間に、ドーンと重たい。
ロビーを出て、友達の車へ飛び乗った。
彼は無言で、見知らぬ山へ…
で、友達に本物?
まず、間違いない。

何で?
金いらんらしい…

そんなん、後で壷か?

行けば解かる…

そうこうしてると、到着。
ん?
敷地に入った瞬間、軽い…? 何で?
友達もニヤリ?

お邪魔したのは、だだっ広いフローリングの25畳はある小屋。
座布団も無い。
ひんやりしたお寺みたいな空間だった。

鏡がでっかくて、自分が写った。
んー確かに、死人みたいな色してる。

待つ事10分。
きったない、軽自動車で、オバサンがお待たせ♪

って、大丈夫か?
どう見ても、ただのオバサンで、時計もしていないし、化粧も無い。
貧乏臭い…

でも、近くで目を合わせた瞬間!!!!

眼光の鋭さに、びびった。

何一つ会話せず、膝を突き合わせて、じーーーーーーっとこっちを伺う。

ドンドンずけずけズバズバ、人の過去喋る喋る。

全て当たり。

そして、今度は、質問した瞬間に、涙がポロポロでて(男なのに恥ずかしい)号泣した。

それから、しばらくして、私の側面から出てきた、(誰か知らん)に、文句と罵声を浴びせ

この子に構うな!!
離れろ!!
さもなくば…
って言う、対決をしてくれました。

オバサンは、取り除いてくれた。
苦痛も1週間ほどでウソみたいに無くなった。


▲△▽▼


憑依・降霊現象 3

アイヌのシャーマンの治療分野として大きく以下のジャンルがある。

1.ウェインカラ(透視・千里眼)
霊的障害(サイキック・アタックなど)、心的要因、具体的要因を透視して呪術を施したり、その障害の具体的な治療方法で対応するもの。「空」の境地に入るといわれる。

2.トゥス
治療師のトレンカムイ(憑き神)や患者の先祖などを降ろし、トゥスクル(トゥスする人)の肉体をそれらに支配させ、病因や治療の方法を託宣いただくもの。 いわゆる「トランス状態」に持っていくため、トゥスクルの神憑りの間の記憶はないらしい。

3.ウェポタラ
祈祷師による呪術に準すると考えられる。魔実的要素が濃い。

4.フッサラ
悪霊の嫌う薬草や植物などをを用いて祈りと共に病人に憑く悪霊を追い払うもの。 ウェンカムイ(悪霊)払い。

6.薬物療法(単品・複数のアレンジの治療法)
多くは、民間伝承によるが、霊的なアドバイスにより薬草は個別性に応じて配合するらしい。 筋骨格系、神経系に働きかけ、歪みの矯正、身体のバランス保持やリラクセーションをはかる。 カイロ、整体、指圧、マッサージなどのボディワークの概念を含むとされる。

9.テクマウ(手当て療法)
カムイへ祈り、行う手当て療法。外気功に対応するらしい。

これらの秘儀の継承は家系的に受け継がれるのもと、臨死体験し、魂が持っている要素を引き出し秘儀を授かることが多い。


REF034 二風谷アイヌのウェポタラ 1     Ainu
Exorcism Rites Uepotara in Nibutani, Hokkaido: 1         N.G.Munro D-2
13'00" 1933 白黒サイレント
94011001 (ORG・RETAKE)(Hi8), 92090202 93052603 (AGFA版・字幕無・チセノミと混)(Hi8), 96030801 (非復元版・日本語字幕・チセノミ混)(β-CAM)     

帰化スコットランド人医師N.G.マンローは、第二次大戦前、二風谷アイヌへの医療と健康改善につくしながらアイヌ研究を続けた。その中で撮影され、生前未完成に終った悪霊払いの儀礼の記録、オリジナル版その1(原版16mm)。エカシの祈祷(アッツシ、イナウ)、儀礼(庭先、家の脇:樹の枝)、治療(庭先・川岸、数種類のイナウ)、樹に祈祷(刀、着物を治療に使用)、火のついた草束を患者がくぐる、エカシの踊り(イナウ、刀の使用)、女性の踊り


REF048 二風谷アイヌのウェポタラ 2      Ainu
Exorcism Rites Uepotara in Nibutani, Hokkaido: 2     N.G.Munro D-2
15'00" 1934 白黒 サイレント
92090202 93052603 (チセノミと混じっている)(Hi8)     

N.G.マンローの悪霊払いの儀礼の記録、オリジナル版その2(原版35mm)   

川辺での治療、家の脇での呪い・治療、織物(糸紡ぎ、アットゥシを織る)、揺り篭の子供をあやす、赤ん坊を背負う、頭にのせたものを運ぶ、炉端の周りに集まり食事をする、女性の踊り、輪舞(男女)




不思議なアイヌの超能力


アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56)を取り上げたいと思います。

著者の藤村さんは、アイヌ研究の第一人者で、
現在は北海学園大学の名誉教授ですが、
以前、開拓記念館の研究員をなさっていたときに
主に道東各地のアイヌ文化に関してフィールドワークを実施し、
さまざまな長老の方々と語り合う中で徐々に受け入れられ、
その本質に触れていくことができるようになったということでした。

この本の中で「憑き神」について述べられているところを要約しますと、


・誰にでも憑き神は憑いている。

・憑き神は人が生まれるとともにこの世にやってきて、
 その人が死ぬとその霊共々あの世に返っていく。

・先天的に憑いて来る霊には2種類あり、1人から最大3人で-ある。

・後天的に憑く霊は4種類ある。
 非常事態(たとえば病気)などのときに助けに来たりする霊もいれば、わるさする霊もいる。

・個人以外に人間の集団に憑く神もある。家系や村などの集団組織ごとにいる。

・同じ憑き神が複数の人を渡り歩くことはない。

・その人の動きやしぐさを観察すると、その人の憑き神がわかったりする。

・憑き神を知るためには「トゥス(シャーマン)」のところへ言ってみてもらうと判明する。

・その個人が成長するとともに憑き神も成長し、老化する。


…などなど、という感じですね。

現代スピリチュアリズムで言うところ「守護霊」とは同じ雰囲気のところもあれば、
そうでないところもありますが、大きな差異が見られるわけではない、とも思います。
「わるさする神もいる」、ということですから、それは「憑依霊」として分類されますね。

「守護霊」というと、なんでもかんでも守ってくれるもの、と勘違いしそうですが、
「その人(集団)の成長を助けてくれる見えない存在・神さま」と考えるほうがあっているようですね。


そして、それらの憑き神などの存在を、
普段は意識できないように、この世界もできているわけですが、
どうもこれはちゃんといるんだなーと感じる体験ができるのが、
上記にもあったシャーマン的な特異能力を発揮するような人に出会ったときですね。


本の中に「不思議なアイヌの超能力」という章があり、
そこには巫術行為(トゥス)の系統について述べられています。


 ・トゥスは世代世襲制である。家系をはずれてトゥスができるようになる人はいない。

 ・母親がトゥスをする人であって、子供が誰もできない場合、
  母方の兄弟の子供にできる人が現れたりする。

 ・例えば、姉がトゥスをよくする人で、その姉が急死した場合、
  ぜんぜんできなかった弟が代行する場合などもある。


ということで、霊能力には家系が非常に大切と言うことも分かります。

そういえば有名な霊能者さんのお話を聞くと、ご先祖様が霊能者をやっていた方もいらっしゃいますし、
そのままでなくても、お医者さんだったり神主さんお坊さんだったり、という方が多いような気も致します。

そうするとその方の拝む対象や、浄化の仕方なども自然とその系統を受け継いでいくようです。


また「ノイポロイクシ」と呼ばれる能力もあるそうで、
著者の藤村さんがご存知でそれができるという方はお二人いて、まずある古老の方は、


 ・あるときに「頭痛」がして、そうすると五分以内に来客が来ることがわかる。

 ・その来客も遠方から来る見知らぬ人に限って起こる。

 ・必ず頭痛する部位が、頭の右か左に偏り、
  左の場合は位の高いような大切なお客であるし、右の場合は並の人である。

 ・「はげしい頭痛」がある場合は、とてつもなく偉い人の来客である。


ということであり、もう一人のおばあさんの場合は、


 ・来客する1時間か30分くらい前に頭痛が走る。

 ・荒々しい頭痛の場合は女性の来客で、緩やかなときは男性の来客である。

 ・訪問理由の概略と来客の年齢まで分かる。


という感じで、来客に関して分かるという共通点はあるものの、
細部の情報の伝わり方はそれぞれ違うようなのですね。


それで、「どうして分かり方がちがうのか?」というのは、
私の考えでは、おそらく頭痛が走るようなやり方で、その方々の「憑き神」、
つまり「守護霊」さんたちが教えているのからなのではー?と思うわけですね。
つまり、憑き神さんたちとその受け取る人の能力差によって、
サインの受け渡し方法が違うのだろうと思うのです。

ですから、いろいろ便利そうだからと
若い人などが興味本位で超能力を伸ばそうとしてもそうならないのは、
きちんとそれぞれの憑き神さんが受け取る人の能力や人格を配慮して、
受け取る準備ができている人のみに、お知らせを送っているためと思われます。


ちなみに後のおばあさんの場合は、嫁いだ先のお姑さんがそういう能力があった方で、
離婚した後、自分の故郷に帰ってからご自分にも能力が出てきた、ということですから、
霊能力には実際の血のつながりだけでなく、さまざまなご縁も非常に大切なのかもしれませんね。


そのほか、この本にはカラスの鳴き方でもって来客や死別、
向かいの家でご馳走がある、それが自分の家に回ってくるか、こないか(笑)、
天気のよしあし、豊漁の有無などもわかる、ということですから、
カラスさんもいろいろ考えておしゃべりしているものなのだなーとも思いますが、
今ではすっかり忘れられている以心伝心的なコミュニケーションがあったおかげで、
昔の人々も厳しい自然の中で生き延びて来られたのかもしれないと思いましたね。


アイヌ文化の中のスピリチュアル的な行為の代表としては、
ツス(降霊現象)とウエインカラクル(観自在・千里眼能力)が挙げられるかと思います。

要するに、恐山のイタコさんのような力のある方が村の中にいて、
何か問題が起こるとお伺いを立ててことなきをえた、ということですね、
いわゆる「シャーマン」がいたわけです。

具体的にはどのような感じだったかということで、
今でも活躍中の方がいらっしゃればよいのですが、
なかなか「アイヌ式」などと謳っておやりになっていらっしゃる方は居ないようなので、参考文献として


『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録』
 青木愛子 述 長井博 記録
   樹心社 1983年 新版2001年 ¥2000+税

の記述をお借りしますね。

『ウエインカラをするためのカムイノミ等の儀式形式は何もない。
対座する相手と話をしながら、相手の過去や未来のことが見えてしまうのである。

これは目の前にいる相手でなければならないということはなく、
電話に出ている1千キロ離れた相手であってもかまわないし、
今どこに居るかわからない人のことであってもかまわない。
想うと見えてしまうのである。

…病人が来て愛子の治療を受ける。
治療の謝礼として金子(きんす)を包みに入れて差し出す。

開封せずに中の金額がわかる。その金子を借金してきたこともわかる。
貧しい家庭の様子まで見える。財布の金額もわかってしまう。
こうなると貧しい人からは謝礼を受け取れないということになる。

牧場主が1〜2ヶ月後に出産予定の子馬の性別を知りたがる。
生まれる時の様子が見えるので、雄か雌かわかる。

商売の運勢を見てもらいに人が来る。
その商売で動くおかねの様子が見える。
ついでにその人の浮気の様子まで見えてしまう。』


…ということで、この本に出て来る青木さんも、
なかなかお見通しな方だったようですねー。
見たくなくても見えてきてしまう、とのことですから、
とても霊感がおありの方だったようです。

それで、そのような能力というのも、
青木さんの場合は、若い頃に死の淵を彷徨ったことから始まったようですね。

臨死体験をして、あちらの世界へ行きかけたのだが、
「お前はまだやりのこしたことがある!」とかなんとか
守護天使さんのような方に言われて舞い戻ってきたら、
いつのまにかそのような能力が付いていた、という体験談も良く聞きますよね。

また強制的に臨死体験をするようなことをして霊感を高める修行は、
各地の伝統宗教などにも良く見られますね。

ネイティブアメリカンの方などでは
呪術師見習いがひとりで少しだけの食糧を持って荒野をさまよい、
精霊の声の導きを待つ、といういわゆる「ヴィジョンクエスト」などもあり、
ほんとに命がけで行なったようです。

ただ共通しているのは、「見える」ようになるということは、
自分ひとりの力で行なっているわけではないと言うことですね。
ただ、聴きに来る方は「その人自体がエライ先生」と言う風に祭り上げやすくなってしまうので、
霊能者自身も勘違いしやすい、道を誤りやすい、という弱点もあるようです。

そのような能力があっても青木さんのようにずっと謙虚な姿勢を保つというのは
霊能者自身にとっても難しいでしょうから、様々な人にできるだけ救いの手を差し伸べると言う事と共に、人間的にバランスを保つというのは、この世に学びにきている大きなテーマかもしれません。


アイヌ最後のシャーマン_青木愛子フチは「ウエインカラ」ができたそうです。

それは何かというと「千里眼」ですね。

「陰部まで見える」って書いてありましたから、よっぽど見えたそうです、でも見たくない人のも見えて困ったと思いますが。それはがんばってようやっと女湯覗けたらおばあちゃんだらけだった(小6の修学旅行にて)、という感じでしょうか?(^^;)

まぁつまり彼女は数少ない本物のアイヌ霊能者「ウエインカラクル」だったのですね。


たとえばある方が見てもらいに来て、封筒にお金をいただく、そうするとあける前に金額がわかる、そしてそのお金は借金したものだということが見える、だとするとなかなか受け取れない、というような感じだったそうです。

この方は10年位前までご存命だったそうですから、なかなか現代の神人のようだったんだなぁーって思いますね。

あとは「ツス」といって神がかりになることですね、イタコさんのようになることがおできになったようです。

それでその「イタコ」という言葉の語源もアイヌ語にあるようで「イタック(言葉)オイナ(宣託)」の変化だそうです。

それでははー出てきました、アイヌ語で「守護霊さん」というのは「トレンペヘ」って言ったそうです、「憑き神」っていうことですね。

だいたいどんなに凡人でも3人くらい憑いていて、守っているようです。自分の子供の憑き神は大体見ていれば親がわかったそうですが、わからん場合はこういう人に頼んでみてもらったそうです。ご先祖様がどうとかもですね、沖縄ではユタさんがそうですね。

そして書いてあります。


『一人ひとりが持っている光(注:オーラ?)が見える。

明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人が多い。

何も見えないほど暗い人もある。

暗い人の過去現在をウエインカラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚せい剤、物欲の強い様子等が見える。


ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。

現在財宝をたくさん所有しているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。』


ということですね。自分なんかは細かいことは見えないですが、おそらくこの光の量というのは良くわかるんだと思うんですね、ですから、自分が遠くから見ていてもそれは結構良くわかるので占いができるんだと思いますし、あまりはずさないのかな?って思うんです。でももっとはっきりわからないとあかんなぁーっては思いますね(^^)。


ウテキアニ(育みわかちあう愛) 青木愛子ババの一周忌に思う

1989年の秋、日本列島の「気の文化」を考える上で、また日本人の生き方を見つめ直す上でも国内の先住民族・アイヌの伝統文化を学ぶことが最も重要なことだと考えた津村喬さんから、「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修名で私と連れ合いにコーディネートをしてほしいという要請があった。 

その前年、私は一年近くアイヌの人達と仕事をしたおかげで、道内のかなりの数のアイヌの人達と知り合っていた。とりわけアイヌ語でカムイノミ(神事)のできるエカシ(長老)や伝統的な女の手仕事を身に付けているフチ(おばあさんの尊敬語)との出会いは強烈で、北海道で生まれ育ってはいたものの今まで実際には知る機会がなかった目に見えない世界・魂の領域を私が意識するようになれたのもこの頃からだった。

 ぜひ年内に第一回目を実施したいという津村さんからの要請を引き受けてはみたものの具体的な提案はなく、全てこちらにおまかせ方式。これは大変な課題を背負ってしまったと悩みつつも、自分が出会い感動したアイヌのコスモロジーをなんとか他の人達にも伝えたいという気持ちがいわば私のエネルギーになっていた。

 アイヌの伝統文化の根幹に学ぼうとするならばシャーマニズムは不可欠なものだが、沢山出会ったアイヌの人達から今もシャーマンがいるという話は一度も聞いたことがなかった。よく考えてみれば、和人がいっきにおしよせた明治以降、厳しい同化政策が一方的に進む中でアイヌの信仰やシャーマニズムの世界は特に差別の対象にされてきたのだから、私が知り合ったアイヌの年輩者達がそれらの事を今でもそう簡単に口にすることはできなかったのだろう。

はたして薬草や呪術的な世界に精通したシャーマンは今も存在しているのだろうか。

どういう組み立て方にしようかと考えあぐねた私は、「アイヌ自然医学」というテーマの研修をするならばやはりこの本しかないと思ったのが『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ(樹心社)』だった。

これは札幌在住の写真家で伝承医学研究家の長井博さんが記録した本で、アイヌの伝統医術の世界、とりわけ人間の誕生・出産に関するコスモロジーが青木愛子ババを通して驚くほど豊かに語られていた。

アイヌに関する書籍は次々出版されていたが、この本のように一人の実在するシャーマンの口から伝承医術が具体的に語られている内容のものは当時これ一冊といってよかった。

 表紙の言葉をそのまま紹介すると

「青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて来た産婆術(イコインカル)、診察・治療のための特殊な掌(テケイヌ)、薬草(クスリ)、整体手技、あるいはシャーマンとしての技量をも駆使して(ウエインカラ ツス ウエポタラ)、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍している。

本書は十年にわたって愛子の施療の実際を見、その言葉の一つ一つを丹念に記録して、アイヌの信仰と文化の実態に迫った伝承の知恵の書。」

と書かれていた。

 研修の核となりうる存在はこの人だと思ったもののいっさいの噂を耳にしたことがなかった当時の私は、もしかしたら亡くなっているのではという不安をいだきながら大急ぎで愛子ババ探しを始めた。しかし、意外にも出会いは短距離で実現した。ババは二風谷に健在で、親しくしていた樺さんの母方の叔母さんにあたるというのだ。

「連れては行くが、それから先の話は自力でやるように。」と樺さんに念をおされながら私達が訪ねて行ったのは研修実施一ヶ月前の事だった。

初めて訪ねて行った時の愛子ババは、すでに産婆としての現役時代を終えてはいたものの、鋭い眼光でいきなり「アイヌのモンキー見物に来たのか!」と煙草をふかしながら言った。

参ったなあと思うほどこちらを見透かすような強い眼力と迫力で、こういう人には素直にしなくてはと思った途端、

「なしてそんな青っちょろい顔してる。」とババは連れ合いに向かって言いながら自分の近くに手招きした。

私達がそばににじりよるとババはポイと煙草をほおってよこした。

「いいから二回吸ったらババさよこせ。」。

連れ合いが言われるままに煙草を吸いババに戻すと、今度はババがまたその煙草を一口大きく吸い、薪ストーブの焚き口を開けて火の神様にアイヌ語でなにやら祈りはじめた。私達にはアイヌ語は解からなかったが、何か連れ合いのために神々にお願いしてくれているということはよく伝わりありがたい気持ちになった。


 この時、愛子ババは私達と初めて会ったのにもかかわらず、連れ合いが帝王切開かつ仮死状態で生まれ、決して丈夫とはいえない体で育ち、一ヶ月前に母親を癌で亡くしたせいで身も心も疲れており、父親も病弱で心配の種であることなどを瞬時にして感じとっていた。

質問などいっさいなしで、ババの心の中には連れ合いのことが色々観えてしまっていた。ババはこういうふうにいろいろ観えてしまうことを“胸の知らせ”と言っていたが、初対面で私達はいきなりシャーマンが持つウエインカラ(千里眼)の力を思い知らされた。

 祈り終わるとババはすぐに

「ババのこと信じるか。」

とたずね、私達が信じますと心からそう思って答えると、

「ババのことを信じてこの薬草がなくなるまで煎じて飲めば丈夫になる。間違いないから。」

と言いながら部屋中にぶら下がっている薬草の中から連れ合いに必要なものを選び、無造作に渡してよこした。そして何度も

「あんたのためにやる薬だから他の人には絶対やるんじゃないよ。信じて飲めば効くんだから。」

と言った。

その時ババが連れ合いのために選んだ薬草は、ヤマニンジンとシケレベ(きはだの木の実)、キトピロ(行者ニンニク)だった。

この日、私達はアイヌのシャーマンがウエインカラ(千里眼)と薬草術によって人を癒やすことを身をもって体験した。そしてババは一ヶ月後に研修で訪ねて来る人達にも会うことを約束してくれた。

 再び二風谷を訪れるまでの間、連れ合いはババの薬草を毎日煎じて飲み、どのくらいからか記憶はさだかではないが一ヶ月後には慢性的な下痢が止まり、血色の良い顔になっていた。

生まれつき胃腸が弱いせいか下痢状態の便があたりまえだった彼にとってこれは画期的なことで、どんなに沢山食べても痩せていた体に少しづつ肉がつきはじめていた。


■89年12月、慌ただしい師走の隙間をぬうようにして「アイヌ自然医学を訪ねて」の第一回研修ツアーは実施され、冬〜夏〜秋〜春と季節を変えながら4年続き、5年目は京都気功会の企画として、さらに翌年は春なお寒い道北の白樺樹液採集の森を訪ねつつ通算6年間行なわれ、延べ120人余りの人達が参加した。

 研修内容は毎回かならず二風谷を訪ねて愛子ババと歓談することをはじめ、大長老の葛野エカシや亡くなった織田フチ、木幡エカシ、当時まだ国会議員ではなかった萱野茂さん、杉村京子フチ、千歳コタンのフチ達、その他多くのアイヌの人達の様々な協力に支えられた。チプサンケ(舟おろしの祭り)やラォマップ・カムイノミ(伝統漁法による鮭迎えの儀式)にも参列させてもらった。

また、不治の病いを愛子ババに助けられ、それ以後伝承医学の研究をライフワークにされている長井博さんには、ほとんど毎回お話を聞かせていただいた。


しかしなんといってもこの研修の核となったのは愛子ババである。回を重ねるごとに急速に体調を崩していったババは、入退院を繰り返し、こんどは無理かなと思っていても不思議に研修ツアーの時は自宅に戻っていて皆に会い続けてくれ、毎回参加者とババとの間にはなにかしらのドラマが生まれた。

 ババはウエインカラでその人の不幸や心の傷を観てとると、「かぁわいそうにぃ〜。」と独特の言い方と眼差しでその人を包んだ。いきなりとも言えるその愛の癒しに沢山涙を流した人達がいた。

「いつまでも空家(独身)にしとかないで、もっと素直になれ。幸せになんないばだめだ。」と言われた人。

「真っ直ぐいけ。真っ直ぐいってどんとぶつかれ。」と言われた人。

「あとはここ(胸のチャクラを指差して)、ここの窓を開けばいいだけ。すぐそこまできてるんだから。」と言われた人。

「今のこの人と一緒になれば幸せになるから。」と言われて翌朝すぐに相手の所に行って結婚を決めた人。


ババは終始一貫して皆に最愛の人を見つけ、結婚して幸せな家庭を育むようにと言っていたが、大宇宙の法則からしてそれが自然な営みなのだから自然に逆らわずに生きることが一番だと説いていた。

 また、ババは参加者の何人かの手を握り、ほんの少し手相を観てはその人の不幸や具合の悪さをいったん自分に引き受けその人を癒した。

「なんともない。だいじょうぶだから頑張って。」とババに言われた人は、手を握られている間に悪い手相が消えていた。不思議な話だが本当だ。

ババの説明によるとその人を癒そうとする時、その人の病いや悩みをババはいったん我身に引き受け、その後自力あるいは自分の憑き神様達の力で、引き受けた悪いものを自分の外に祓い落とすのだそうだ。 

皆と歓談しているうちにフゥーフゥーと肩で大きく息を吐きながら、水をがぶがぶ飲むこともしばしばで、

「憑いてた悪いもん引き受けてやったしょ。したから火照って、火照ってどうもなんないしょ。」

と私に耳打ちしながら着ている物を次々脱いで肌着一枚になったこともあった。


こうした“いったん我身に引き受ける癒し”の行為にはものすごいエネルギーを必要とし、歳をとり体が弱ってきたババにはだんだんそれがしんどくなっていた。それにもかかわらずババは自分に助けを求める人が傍らにいれば、たとえ相手が無意識でもつい手を差し伸べ悪いものを引き受けてしまっていた。

 愛子ババは、優れたイコインカラクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、薬草や整体を含める各種療術師であった。カムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)も行ない、さらにはウェプンキネ(看取り)も行なっていた。その人がさわやかにあの世へと旅立つことができるようにその人のトゥレンペヘ(憑き神)と話し合ったりしながら臨終に立ち会うこともしていた。

 これについては昨年9月に出版された『女と男の時空: /ヒメとヒコの時代(藤原書店)』という本の中で、旭川医科大学助教授の松岡悦子さんが「魂を見守る人」というタイトルで愛子ババのことを書いている。84年から88年までの4年間に松岡さんが愛子ババのもとに通って話を聞いたもので、これを読むと愛子ババを通して知るアイヌのシャーマンの役割とは、総じて「魂を見守る」ということなのがよく解る。

助産を意味するイコインカルは見守るという意味であり、臨終を看取るウェプンキネということばも見守るという意味なのだそうだ。

つまり愛子ババは直接的には生まれてくる赤ちゃんや死にゆく人を見守りながら、この世とあの世とを行き来する魂を見守る役目をはたしてきた。そしてこれまでアイヌのコタン(共同体)には、愛子ババのようなシャーマンがかならずいて人々の健康と生と死を見守ってきたのだ。


■私達が「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修ツアーをきっかけにして愛子ババと出会った時、ババはすでに現役時代を終えて少しづつあの世へ旅立つ準備を始めていたともいえる。八人の子宝に恵まれ、皆無事に成人してはいたものの私と同じくらい歳の末の娘さんは不治の病いで病院生活が長く、どんなに他人を癒すことができても我が子にその力は効かないのだとババは時々シャーマンの運命を悲しそうに語った。

 私達は6年間、ババと一緒に食事をし、歓談し、研究者のような質問をさけ、ただただ一年に一度皆でババに会うのを楽しみとした。「たまげたなあ。皆、心のきれいな人ばっかしでないの。」とババは大きな目を見開いて言い、かならず皆のためにアイヌ語で祈ってくれた。津村さんが愉気をしてあげるととても気持ちが良いと喜び、「先生こんどいつ来る?。ババの生きてるうちにもう来ないっしょっ。」とわざとだだっ子のように言うのが口癖だった。

 そんなババが第4回目春の時には一緒に山に入り、子供の時よく遊んだというカンカンの沢まで行った。途中茂みの中に生まれてまもなく亡くなったお父さんの霊が姿を現わし、ババはうわさ通りの立派な風貌だとすごく喜んだ。その日の夕方、ババは今まで自分が祝い事の儀式の際、神々と交信するために用いてきたトゥキ(お椀)とトゥキパスイ(捧酒箸)を参加者全員の前で津村さんに贈った。

唐突にお祈りを始め「このトゥキをシサムのツムラに贈るのでカムイよどうかそれを許して祝ってください。」というような内容の祈りが終わると、なんの説明もなしにいきなり津村さんにあげるから持って帰れと言った。津村さんが驚いて「こんな大事なものはいただけない。」と断わると、「甥っこや娘らが持つよりも先生んとこさいくほうが生きる(トゥキが)から。祝い事にしか使ってこなかったんだよ。なしてさっさとしまわない。」とババは相変わらず乱暴な口のききかたをし、隣りにいる私になぜ津村は受け取らないのかと目で言った。ババは津村さんを代表にこうして自分のもとに集い、自分からの一方的な愛だけでなくお互いに癒し合う交わりを本当に喜んでくれていたのだ。

そしてこれから先も手渡した神器が愛と幸せを祝う働きをなしていくようにとババは願っていた。恐縮している津村さんをうながしてババからの贈り物を受け取ってもらいながら、私は全員がこの神器と共に大事な心をババから託されたという実感を抱いた。


■ババがあの世へ旅立ってからも、時々私にはあの独特な話し声が聞こえてくる。

「自分が今までこうして生きてこれたのも、愛のおかげさ。こんな田舎の、それもうんと昔に、なしてババに愛子なんて名前ついたのさ。“愛”でしょ。愛のために生きる人になれって、愛をみんなさ伝える人になれって、どっか上の方(神様)でババの親にそういう名前をつけさせたのさ。

アイヌもシャモ(和人)も全国世界中、神の道は一つなんだよ。“ウテキアニ(註:ウ・互いに テク・手 イ・それを アニ・執る)”さ。解かるかい。

こうやって(自分の両脇にすわった人の手を握り)あんたもあんたも(目で一同に手をつなぎ合うよううながす)ほらこうすれば伝わってくるっしょ。これがウテキアニ。これが愛でしょ。」。研修ツアーで遠くから訪ねて来た皆にババが一番伝えたかった話だ。

 癒しにおいて大切なのは超能力や技術よりもむしろ愛だということは、愛子ババだけでなく多くのヒーラーが語っていることで、気功でもそれは同じことだろう。世界が健康でなければ個人の健康もないという立場も愛を基にしてこそ成り立つものだ。

自分では何も書き残すことのなかった愛子ババは直接触れ合った私達に、大切なものの伝え方、遺し方を教えてくれた。ババの愛に包まれた者は、また自分が出会った人にその愛を手渡していけば良いのだと思う。今は神戸で暮らすババの神器が、協会のこれからの活動の中で、津村さんのそして私達の人生の中で、愛と幸せを祝うことができるようにと祈りたい。


青木愛子の人となりを簡単に紹介するならば、収入になるかどうかの問題は置くとして、アイヌ世界のプロフェッショナルとしてのイコインカルクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、クスリや生体を含める各種療術師であるといえよう。

…巫女の側面としては、ツス(降霊現象)とウエインカラ(千里眼)がある。ツスは昭和二十一年五月(三十二歳)に始まり、ウエインカラは章は三十年(四十一歳)、癌の手術で死にかけた時から始まっている。

例えば人生相談のものが来て、すでに他界している先祖の霊にお伺いしたいというようなことで、愛子の肉体に死者の霊を降ろして語らせる現象をツスと呼ぶ。

ウエインカラ、いわゆる千里眼で何でも見えるようになると、人生相談の者が来てもツスをする必要がなくなり、もっぱらウエインカラして見るようになる。巫女として、他の種々のカムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)等も行う。


というわけで、愛子さんも小さいころから能力があってということではなく、途中からよくわかるようになって来た方のようですね、さらに、女系の方は代々そのような能力をお持ちの方のようです。

では実際にはどのような感じでわかったかというと、

距離と時間を越えて見える

ウエインカラをするためのカムイノミ等の儀式形式は何もない。対座する相手と話をしながら、相手の過去や未来のことが見えてしまうのである。

これは目の前に居る相手ではなければならないということはなく、電話に出ている一千キロ離れた相手であってもかまわないし、今どこに居るかわからないある人のことであってもかまわない。想うと見えてしまうのである。

…病人が来て愛子の治療を受ける。治療の謝礼として金子(きんす)を包みに入れて差し出す。開封せずに中の金額がわかる。その金子を借金してきたこともわかる。貧しい家庭の様子まで見える。財布の金額もわかってしまう。こうなると貧しい人からは謝礼を受け取れないということになる。

牧場主が1〜2ヵ月後に出産予定の子馬の性別を知りたがる。生まれるときの様子が見えるのでオスかメスかわかる。
商売の運勢を見てもらいに人が来る。その商売で動くお金の様子が見える。ついでにその人の浮気の様子まで見えてしまう。

…例えば、一緒に居る人たちには見えないのだが、愛子にだけは大蛇が沼に居るのが見える。

死者の霊が見える。例えば愛子の親しい友人が交通事故で死亡した。死亡してから四十九日目の間は、その友人の例が愛子のところに遊びに来るのが見えて、対話する。愛子にとっては日常的なことなので恐ろしいという気持ちは起きない。

四十九日が来ると、すでに死亡しているその友人の親族の霊が友人の霊と一緒に現われて歌をうたったりする様子が見え、その声も聞こえる。これは四十九日で終わる場合である。


またオーラはこのように見えていたようで、大変興味深いですねー。


一人一人が持っている光が見える。明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人が多い。何も見えないほど暗い人もある。

暗い人の過去現在をウエインカラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚醒剤、物欲の強い様子等が見える。

明るく見える人をウエインカラしてみると、他人に対して尽くしている様子が見える。ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。現在財宝をたくさん所有しているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。


と、なるほど、私も光の量が違うということは良くわかるようで、くすみが内ない人ほど良い人ですよね、しかし、もともと心が温かい人でも、さまざまなストレスがたまっているとその周りにくすみがたまっていってしまって、そのストレスを発散できていない状態が長い間続くと、もともと明るい朗らかな方もふさぎ込むようになってしまったり、ガンコになってお酒に走ったりというわけで、オーラの明るさというのはまず非常に重要かつわかり易いその方の性格、状況の指標になったりしますよねー(^-^)。

ですので、まずスピリチュアルなこと学び、またそれを人生上で活用していくときに、オーラがわかるのとわからないのでは結構差がつくような感じも、実は致しますね。

「そんなオーラなんて普通の人がわかるようになるはずがな〜い!レインボーブリッジも封鎖できませ〜ん!」

とあきらめてしまうのは簡単なのですが、まぁ自分としては自分が一応わかるようになったということは、もっと霊感体質で、かつ慈善的な活動なさっているような人はたくさんいらっしゃるわけですから、そのような方もうまくその能力を特に難しいことを学ばなくても活用できるようになる時代が来ると思うのですね。


歴代継承者について 本書より引用


この本の原稿締めきり間近になって、愛子からこれまでになかった伝承記憶を思い出して語られ、また筆者が再度フィリピンを訪れて確認した事実により、これまでの原稿をそのままにした上で、更に歴代継承者の項を設けたい。この部分を加えることによって歴代の輪郭がよりはっきりしてくるかと思う。


初代の産婆は1756年(宝暦6年)頃、現在のフィリピン共和国・バギオシティー、ラクナムの地、ルソン島北部山岳地方を支配したイゴロット族の聖地アシュラムで生を享けている。

この初代に産婆や薬草等の治療の技術、及び信仰について授けたのは、アシュラムの開祖である

ティエンチンイー(天静一)という名前の男性であった。ツスの中で初代の霊が名乗っている

天静一の名は、実は初代その人の名前ではないことがはっきりした。初代は降霊現象(ツス)の中で、自分の名前を名乗っていないというのが事実である。


天静一は、中国人名のようだが、現在までの筆者の調査によっても、その出身地は不明のままになっている。現在までに判明していることは、船でルソン島に渡りついた異国人である。

薬草その他の治療の技術にすぐれた男で、彼が瞑想の地と定めて住みついた場所が、後にアシュラムと呼ばれるようになったようだ。この地方はイゴロット族の居住域で、天静一はイゴロット族を中心にして周辺の少数民族の畏敬を集めた人物であったようだ。


初代の産婆はそのアシュラムから北海道まで渡って、シトシというアイヌレヘ(アイヌ語名)のシャモと結婚している。シトシはコタン(村)の人々をトバットミ(強盗集団)から護る役目等を持ち、初代の方は産婆や子育ての技術、薬草等の治療術を生かしながら、夫婦で北海道各地のアイヌコタン(村)を巡回した。


初代81歳の時に訪れたヤマモンベツコタン(現・沙流郡門別町庫富)が最後の地となる。初代は、アトイサムという名のシャモの老婦人のチセ(家)に身を寄せている内に急に容体が変化し、おせわになったその老婦人にテケイヌ(診療・治療のための特殊な能力を持つ掌)を継承して他界した。

この時、初代を追って来ることになっていた夫のシトシは、まだコタンに到着していな
かった。この時の老婦人、シャモの女性が二代目継承者になるのであるが、初代との間には血縁関係のないことを、念を押しておきたい。


この二代目アトイサムは出生地不明、1775年頃に生を享け、1855年頃に他界したようだ。

初代からの教育的伝承はほとんど受けておらず、カムイノミ(神儀)の儀式的な継承のみであった。アトイサムは自分の子供に継承せずに、1851年頃に生れたまだ幼ない孫に三代目するカムイノミを行ない、他界している。やはり実践教育的な継承の期間が、ほぼなかったといえる。

三代目ハイネレの夫はアイヌ語名・門別アンリケチュウという名で、比較的若くて他界したと伝えられている。シャモであったようだ。

四代目は、三代目ハイネレの第二子長女・ウコチャテクが継承して、20歳頃に13歳年上の貝沢ウトレントクと結婚している。ウトレントクの父親はウカリクン、母親はシュトラン、祖母カシテクン、二風谷地方の古いニシバの家系であったようだ。


五代目継承者の愛子は父ウトレントク、母ウコチャテクの第七子四女である。以上を簡単に整理すると、青木愛子に伝わるアイヌイコインカル(助産術)やテケイヌ等は、ルソン島のイゴロット族のアシュラム(聖地)から運ばれていることになる。

アシュラムの方にはヒーリング(心霊技術)が歴代継承され、既に他界したが、トニー・アグパオアが現れて、その手術の真偽が世界的な話題になったようだ。

真偽の問題を論ずる趣味は筆者にはないが、聴診器も注射もメスも使わずに手当てを
行なう特殊な掌をアイヌ語でテケイヌと呼ぶことを報告しておきたい。


二代目、三代目はヤマモンベツコタンに、四代目、五代目は二風谷に定住した。初代以降五代目まで、アイヌの信仰と文化の中で人生を送っている。

しかし、アイヌと結婚した者は、現在までの調査では四代目ウコチャテク一人が判明しているだけである。


青木愛子さんについては

アイヌ民族 (朝日文庫) (文庫)
本多 勝一 (著)

でも詳細に紹介されています。  

▲△▽▼

輪廻転生とシャーマニズム
 われわれには自我があり、それは脳などの有機的な組織に依拠しておらず、ゆえに死後も存在し続けると仮定してみよう。

では、その次にはどうなるのか?

一つの可能性として、霊魂は死した身体を離れた後ただちに、あるいは間隔をおいて生まれ変わり、別の身体に入って新たな人生を始めるという考え方がある。

実際、太古から特定の信仰を持った人々は死後の生まれ変わり、すなわち『輪廻転生』を疑わざる事実として受け入れてきた。

世界の主要宗教のうちヒンドゥー教と仏教の二つはとりわけそういった思想の中核を成しており、初期のケルト人のキリスト教会でも積極的に輪廻転生を教義として導入していた。
 
 近代科学の登場以前、人間には霊魂が存在するということ、そして死後の世界の存在は疑問を差し挟む余地もない“事実”であって、その存在を疑う者などほとんどいなかったのである。

世界宗教の教えはそれぞれ、独特の死後の世界観を持っていて、それは基底となる精神風土あるいは文化潮流によって大きく異なっている。前述したヒンズー教や仏教の教えでは、人は最終的に現世の苦しみを逃れ、最高原理である梵天との神秘的で至福に満ちた合体に至るか、涅槃に入るとされる。また古代ギリシア人、ローマ人、ヘブライ人は、死後の霊魂は暗いハデスや冥土に向かって旅立つものと信じられてきた。
 
 肉体は滅んでも霊魂は永遠に消えず、再びこの世に生まれ変わる――催眠術での『過去生』への退行、子供が突然思い出す他人の経験、あるいは大人の中にある『遠い記憶』、デジャ・ビュ(既視体験)の経験――生まれ変わりの証拠であるとされるこれらの体験を徹底的に収集かつ分析するため、中国国際生命科学院が大規模な調査を実施した。

同院の性現象研究室の科学者、賈天全(カーテンゼン)、張建佛(チョウケンウェイ)両教授はその調査結果から、輪廻転生の存在を確信している。調査では6人の転生が確認され、分析の結果、中国で起こった転生には次のような特徴があることが分かった。

転生は都市部では起こらない。中国の転生事例は辺鄙な山奥の小村に多く、人口の多い都市部には一例もない。

前世から今世への転生時間は一定しない。

収集した事例では4時間、4ヶ月、11年あるいは18年と“再生”に要した時間はバラバラであった。

前世の記憶は、3〜7歳くらいまで残る。

言葉を話せない2歳以前は不明だが、7歳以降は前世の記憶よりも今世の生活の比重が重くなるため、前世の記憶は薄れるか、時には完全に消滅してしまう。

転生した人間は、超能力を持つ人が多い。

調査では千里眼、予知能力、念力を持つ人や、心霊能力(死後の霊を実体として見る能力)を持つ人が確認されている。

前世と今世の性は同じとは限らない。

前世で男性だった人が女性に生まれ変わる場合もあるし、その逆もある。

生活習慣や趣味嗜好には前世の影響力があるとされる。前世で煙草好きだった人は、今世でも三歳の頃から煙草を吸っていたとか(オイ…)。

前世を思い出すのは、肉体的負担を伴う。前世のことを連日話したあと2、3日間、思い風邪のような症状になる人もいる。


 前世を覚えていると主張する人は世界中に数多く存在する。

しかし、よく耳にする批判の一つとして、有名な歴史上の人物の生まれ変わりと称する人があまりにも多すぎるというものがある。

1930年代には、ジョアン・グラントというイギリス人女性が、古代エジプト(ギリシアと並んで前世の話によく出る行き先)の華やかな人生の思い出を続けざまに脚色してみせて名声を得た。

他にも、スコットランド王ジェームズ四世としての前世を思い出した女性や、チャールズ二世の愛妾ネル・グウィンだったと称する女性などがいる。

しかし、アメリカにおける188件もの事例を対象とした最近の調査では、大半の被験者が矛盾だらけのお粗末な前世を思い出していることが分かっている。


◆逆行催眠と前世

 逆行催眠というものがある。

催眠術を使うことで、人を青春時代や子供時代、幼児期へと年齢退行させ、忘却の彼方にある過去の記憶を取り戻そうというものだ。

この逆行催眠を徹底すると、胎児の状態を超えて前世にまで遡ることができるという。

輪廻転生の研究においては、当初、意識的に前世を思い出すケースが対象となる事例の中で大部分を占めていたが、1950年代初めに催眠術の被験者が誕生の瞬間からさらに前世まで逆行することで、輪廻の証拠となる比類ないほど大量の情報を採集できることが発見され、この分野の研究は飛躍的に進歩した。俗に『前世逆行』と呼ばれる初の重要な事例は、1952年コロラド州で行なわれている。
 
 モーリー・バーンスタインという名のアマチュア催眠術師が、ヴァージニア・タイという若い女性に催眠術をかけ、精神を前世まで逆行した結果、彼女が1798年から1864年まで中流階級のアイルランド女性ブライディー・マーフィーとして生活していたことが分かったというものだ。

その時、タイは中西部アクセントからアイルランドなまりにすっかり切り替わると、19世紀前半のコークやベルファストでの日常生活について、説得力ある細かい内容をとうとうと述べたという。

バーン・スタインが1956年にこの事例の記録を出版すると、たちまち大評判となり、彼に倣って催眠術による前世逆行実験を行おうとする者が雨後の筍のように続出した。
 
 もっとも当時のアイルランドに関する記録はほとんど残っておらずタイの話を確認することは難しいことから、バーンの実験に疑問を呈する人も少なくない。

結局、逆行催眠で得られた記憶が本当に前世の記憶なのかどうかは、歴史的にも確認できる詳細な前世記録を収集し、その中に時代錯誤と思われるものを探すことでしか証明され得ないのだ。

催眠術によって極めて暗示にかかりやすい状態にある被験者が、催眠術師の誘導的な尋問によってヒントを得たか、あるいは知っている歴史記録をもとに空想を作り上げただけという可能性を完全に除外することはできないだろう。

 
 例えば、ハリー・ハーストという被験者は、前世逆行によってラムセス三世時代のエジプトに古代都市テーベが存在したことを記憶していた。

その他にも、彼はローマで広く使用されたセステルティウス硬貨を持っていたと述べた。

しかし、ハートの証言の細部を確認するように依頼されたエジプト学者は、そこに明らかな矛盾点を数多く見出した。

ラムセス時代のエジプト人なら、この都市を“オン”とは呼んでも“テーベ”とは言わない。テーベとは後代のギリシャ人作家たちがつけた地名なのだ。

さらに、エジプト人は歴代のファラオに番号をつけたりはせず、誕生や王位や治世の名前を複雑に大系立てて、同名異人の支配者を区別していた。
 
 当時のエジプト人がラムセス“三世”などという現代的な称号を知ってるはずがないのだ。

また、セステルティウス硬貨が初めて流通したのは、ラムセスの治世から1千年後のことだった。

しかし、このような決定的な矛盾点にさえ、逆行催眠による前世の記憶の妥当性が完全に否定されるわけではないと主張する研究者もいる。前世の記憶が現世の体験にどの程度ふるいにかけられるかの問題にしかならないと言うのだ。

研究者たちがこうした前提を認める以上、前世でイタリア人だった人がその記憶を英語で述べたとしても、被験者が空想にふけっているという決定的証拠にはならないということになる。

一方で、被験者が異国語を話した数少ない事例を調べれば、前世の記憶の信憑性をより確実に評価することができるという主張も確かであろう。
 
 心理学者イアン・スティーヴンソンは、逆行催眠の被験者がノルウェー語を的確に交えながら当時のスウェーデン語を流暢に話したという事例を紹介している。

しかし、こうした事例に対して心理学的な立場から有力な批判・反駁を行おうという研究者も存在する。その一人イアン・ウィルソンは人間の驚異的な記憶力を証明するある事例を挙げている。

ジャンというマージサイト出身の若い被験者は、1556年にチェルムズフォードで行なわれた巡回裁判で魔女として裁かれたジョアン・ウォーターハウスという少女の劇的な前世を思い出したと言う。

ウィルソンは古い記録を徹底的に捜索し、確かに同名の女性がこのときの巡回裁判で魔女として裁かれたことを確認した。
 
 では、ジャンの事例は輪廻転生の確固たる証拠になり得たのかというと、それとは逆だったのである。

当時の資料によれば、実際に裁判があったのはジャンが述べた日時から10年後の、1566年7月だったことが分かったのだ。

この混乱の元凶と思われる情報源は巷に流布していた巡回裁判に関する書籍であった。

ジャンの語った1556年とは植字工が犯した致命的な写植ミスであったのだ。

ジャンが、どこからその記憶を仕入れたのかは正確には指摘できなかったが、安っぽいラジオ・ドラマか少女漫画、あるいは図書館で隣の人が開いていたページから偶然的に拾った記憶だったのかもしれない。


ウィルソンは自分の研究結果をまとめて、次ぎのような結論を下している。
 
 催眠術下で得られる前世の記憶は、実際は、脳が記憶とは認識しない内容を想起するときに起こる無意識の剽窃、つまり“隠された記憶”という心理学的現象の例である。

ウィルソンはさらに、催眠術下でさまざまな人生を思い起こすのは、一般的には子供時代の精神的外傷(トラウマ)の結果として、一部の精神病患者に現われる多重人格になぞらえることができるとも示唆している。

生まれ変わり現象に対して、多重人格障害を理由に持ち出したウィルソンの主張は物議をかもしたが、1950年代以降、多重人格障害は催眠逆行療法と並行して増加傾向にあり今や世界的な広がりを見せている以上、彼の論点は軽視されるべきものではないであろう。


◆シャーマニズムと人格分裂

 興味深いことに、多重人格症の患者の中には分裂した人格のほかに不可解な人格、例えば死んだ人間の“魂”の人格が存在する例があり、『悪魔憑き』や『憑依現象』と勘違いされることがある。

また交代人格が、自分は複数の人間に乗り移っていた『霊』だと主張したケースもあり興味深い。

当然、そのような死者の記録を調査して、実際に該当する人物が見つかった例は皆無に等しく、被験者が潜在意識の奥で作り上げた空想上の“魂”であることは歴然としている。

このように近年、退行催眠で“思い出した”記憶には多分に被験者の空想が混在することが分かったため、すでに欧米では退行催眠の妥当性に対する信頼は大きく後退している。
 
 確かに被験者に催眠術かけ、記憶を遡って昔の自分に戻させることで、顕在意識の上では忘れてしまった潜在的記憶を呼び起こす退行催眠は、現在でも幼少時のトラウマをさぐる目的で心理カウンセリングなどで活用され、また宇宙人に連れ去られ記憶を消されたと主張する人たちの記憶を取り戻す目的で用いられることがある。

しかしその一方で、催眠術師あるいは心理療法師の誘導の仕方如何によって、退行催眠が偽の記憶を作り出してしまう可能性も警告されている。

カールトン大学のニコラス・スパノスと共同研究者は、このことに関する興味深い実験を行っている。
 
 スパノスらは被験者に、「自分の眼球運動と視覚探索能力がよく連動している」と信じさせ、それはベビーベッドの上で揺れるモービルのある病院で生まれたからと説明した。

そして、被験者の半数には「実際にそう確かめる」という名目で退行催眠をかけ、半分には幼児期の体験をイメージするようにという“記憶再構成誘導”を施した。

すると、催眠をかけられた人の56%、誘導を受けた人の46%が、実際にはなかった揺れるモービルの病院の様子を思い出したのだ。

あるいは退行催眠に依って前世を思い出したという事例は古来から存在したシャーマニズム、ないしシャーマンによる憑霊現象などと比較することができるかもしれない。

 
 多くの部族社会で重要な地位を占めるシャーマンは宗教や呪術を司る特殊技能者で、シベリア、中央アジア、北アメリカ、オセアニアなどの狩猟採集文化に広く見られる。

シャーマニズムは、シャーマンを中心とする宗教形態で、通常、そこでは精霊や冥界や霊の世界が一般的に信じられている。

シャーマンは恍惚状態に入ることで自己の魂を霊の世界に送り込み、霊と意思を通じ合わせる特殊な存在であるとされる。

その際シャーマンはしばしば幻覚や幻聴を引き起こす――彼らに言わせれば“神聖な薬物”を使用する。

例えばシベリアのシャーマンは、トランス状態や幻覚を起させる薬として、ベニテングタケやカラカサタケなどのキノコを煎じた液を飲む。
 
 多数の人類学者や古代宗教の研究者によれば、このように意識の変革を起させるためにキノコなどの幻覚性物質を用いるのは極めて古い時代、おそらく人類の歴史と同じくらい古いのではないか、と述べている。

古代ギリシアでは、エレウシスの神秘宗教の新入会員に“女神の姿が見えるようにするため”、特殊な菌類を飲ませた。

同じように、古代インドでは、ソーマというものが“神々の食物”であると同時に、神々の顕現に接したいと考える人々のために選ばれた食物でもあると言われていた。このソマの正体が、シャーマンが飲んだ何らかの幻覚性物質のようなものであろうことは現在では異論がない。
 
 さらにスペインの年代記作家ゴンサロ・ドビエドによれば、ネイティブ・アメリカンのシャーマンたちは、霊と意思を通じ合わせることができる秘密の手段を持っていたという。

「シャーマンは恍惚状態にあるように見え、また不思議な苦痛を感じているようでもあった。……

彼は意識もなく地面に横たわり、族長やその他の人々が自分たちの知りたいと思うことを尋ねると、霊がシャーマンの口を通して、きわめて正確な答えを与えた」


と彼は書いている。しかし、古代のシャーマンたちと同様、トランス状態に入る現代の霊媒師たちは幻覚性物質など用いていない。彼らが霊を憑依させる(厳密にはそう信じ込む)ための主要な手段はおそらく“自己催眠”であろう。

 
 先に多重人格障害について述べたが、シャーマンや霊媒師が“支配霊”とか“霊の導き”と呼んでいるものの大半は、この多重人格症の一例に過ぎないのではないか、という解釈である。

この場合“別の自我”は、表面に現われると本来の人格を完全に乗っ取ってしまうため、当人には別の人格になっていたときの記憶はまったくない。

こういうと、通常の多重人障害のパターンと、シャーマニズムの憑霊あるいは交霊会で霊媒が支配霊を呼び出すときの様子はあまりにも違いすぎる、という反論もあるだろう。

しかし、シャーマンや霊媒師は霊魂を呼び出す際に、ほぼ例外なくトランス状態に入る。とすれば、トランス状態の下で、霊媒が自分でも気付かないうちに別の人格を出現させたと考えることも可能なのだ。
 
 実際、この現象は精神病歴のない正常な人に催眠術をかけた際にも、不意に起こる場合があることが知られている。

ではこの場合、霊媒の出現させた“第二の人格”が特定の限られた人しか知り得ない情報を知っているのはなぜだろう。

これを説明するには、人間の心に潜む驚異的な力、俗に『神話作成』として知られる能力を引き合いに出さねばならない。神話作成とは、誰かが催眠術にかけられてトランス状態にあるときに、よく“過去生”という形で語られるものだ。

これは非常に説得力のある詳細な話や、神話を創作する能力を伴っており、その結果が一部の霊媒に“潜在意識の偽造”の能力を与え、死者の声や生前の癖や筆跡、さらには作曲やデッサンのスタイルまで真似る力を与えるという。
 
 実際に、催眠術にかかった被験者が、突然、通常の生活では気付いてもいなかった才能を示す場合があることはよく知られており、ある人は催眠状態で見事な絵を描き、またある人は巧みな歌を歌う。

人間は通常、脳細胞の1割しか使っていないといわれ、残りの9割の部分は無意識状態で普段は意識できない領域である。

催眠中に失われていた記憶を呼び戻したり、あるいは非常に重たいものを軽々と運んだりするなど、催眠術には脳細胞の残りの9割を活性化させる働きがあると言えるのだ。

潜在意識の偽造は、交霊会の霊媒師や恐山のイタコなどに特有の心理現象というわけではない。意識的であれ無意識的であれ、おそらくは死人の生まれ変わりを称する多くの人々に適用できると言わなければならないだろう。
 
 いわゆる前世を記憶していると主張する人々は、宗教的に輪廻転生が認められてるインドやスリランカ、その他アジア地域などで出生している場合が多い。

ヴァージニア大学の朝心理学者、イアンスティーヴンソンがインドで収集した事例の3件のうち2件は、貧しい境遇の子供が上位カーストの一員として前世を記憶していたという。

この場合、子供の側に願望的思考が窺えるだけでなく、生まれ変わった人格が元の家族に財産の所有権を主張する可能性も認められる。

実際、ヴィア・シンという子供が、前世での父親ラクシュミ・チャンドに財産の三分の一の分与を公然と要求したが、チャンドが不運にみまわれて新しい父親より貧しくなってしまうと、元の家族への関心を失ってしまったという妙に現実的な事例まである。
 
 スティーヴンソンが収集した有力な事例には、前世で負った傷跡に相当するアザを持った子供たちが数多く含まれている。

その一例がラヴィ・シャンカールというインド人少年の場合で、この少年は前世で惨殺されて首をはねられたアショーク・クマーという少年だったと主張した。

実際、スティーヴンソンはシャンカールの顎の下にナイフの傷跡に似た、細長いアザがあるのを発見している。しかし、アザは生まれ変わりが実在する決定的証拠にはとてもなり得ないのが実状である。

むしろ、このようなアザに合理的な説明をつけるために、わざわざ前世の記憶を作り上げたというのが本当のところだろう。とはいえ、多くの事例の中には、虚言や精神分裂症そして催眠による神話作成だけでは説明できない事例があることも確かである。


「神々の糧」:トリプタミン幻覚剤と意識のビッグバーン

ホモ・サピエンスは5万年前に知性が爆発的に急成長し、アフリカから脱出した150人程度のグループが現在のすべての人類の祖先となったとされている。アフリカで意識のビッグバーンを引き起こしたものは何だったのか。

『神々の糧(Food of the Gods)』のテレンス・マッケナは、強いエクスタシー感覚をもたらす世界中の向精神性植物を比較検討し、アフリカ中部で幅広く植生し、人類祖先の食糧となった可能性があるのはトリプタミン幻覚剤を含有する植物・キノコ類ではないか、と推理する。

トリプタミン系のシロシビンを摂取すると視覚が鋭敏になり、性的な興奮を誘発するという実験を引き合いにしながら、マッケナは5万年前の激変を以下の3点から考察している。


■ 1. 鋭敏な視力は狩猟や採集を大幅に向上させ、食糧の大量確保が可能になった。

■ 2. 性的な興奮を引き起こし、人類の急速な繁殖に役に立った。

■ 3. シャーマン的なエクスタシーを経験し、超自然的な判断力・予知能力・問題解決力をもつ指導者が現れた。


視力向上によって「狩猟される側」から「狩猟する側」に転換したともいえる。裸眼視力が3.0〜5.0に上がっただけではなく、心の目による察知能力も高まり、安全な住み家や集落を確保したうえで、生めよ殖やせよ、が起こったのかもしれない。

やがて超自然との交流を専門にするシャーマンの家系が生まれ、神秘世界や生命現象が徐々にコトバで表現されるようになり、ここから宗教や文字社会へと発展した、と想像できる。

わたしが主張したいのは、初期人類の食物に含まれていた突然変異を起こさせる向精神性化学化合物が、脳の情報処理能力の急速な再編成に直接影響を与えたということである。

植物中のアルカロイド、とくにシロシビン、ジメチルトリプタミン(DMT)、ハルマリンといった幻覚誘発物質は、原人の食物の中で、内省能力の出現の媒介を果たす化学的要素となり得るものだった。<中略> 

この過程のもっと後の段階で、幻覚誘発物質は想像力の発達を促し、人間の内部にさまざまな戦略や願望をさかんに生み出し、そしてそれらが言語と宗教の出現を助けたのかもしれない。(p41)


著者はエクスタシー感の高い“ドラッグ”を以下の4つに分類する。


1. LSD型化合物・・・近縁はヒルガオ、麦角など

2. トリプタミン幻覚剤・・・DMT、シロシン、シロシビン(豆類など)

3. ベータ・カルボリン系ドラッグ・・・ハルミン、ハルマリン(アワヤスカのベース)

4. イボガイン科の物質・・・アフリカと南米に存在


余談だが、本書では『神々の果実(Magic Mushroom)』にも登場するベニテングダケについては、若干の向精神性はあるものの、安定的なエクスタシーはもたらさないとして除外されている。

私も『神々の果実』を読んでみたが、インドのソーマ(Soma)に関しては文献学的に説得力があるが、飲尿習慣を絶対の前提とするところが難点だ。また、神話学やユダヤ・キリスト教に関しては、拡大解釈が甚だしい。


ともあれ、人類の祖先がアフリカのトリプタミン幻覚剤で意識のビッグバーンを経験したと仮定すると、その後の放浪地では良質の幻覚剤に恵まれなかったということか。

エジプト脱出のモーゼは麦角(LSD)の知識が豊富だったという説もある。エレウシスの秘儀は麦角ビールのような特殊大麦飲料を使っていたという考察もある。だが、麦角は一歩間違うと大量の死者を出す猛毒物質でもあるため、扱いが困難だ。


アヘンは中国を攻略する薬物となり、“スピリット(精神)”と呼ばれるようになった蒸留アルコール飲料も、大量の中毒者を出して社会不安を広げた。

アヤワスカは現在注目されているものの、これを使っていた中南米の民族が戦略的な優位に立てていたかどうか。

砂糖・コーヒー・茶・チョコレートは、医薬品や催淫剤としては期待倒れだった。現代社会が抱えるタバコの害についてはすでに周知の通りだ。


現代社会では草原で狩猟をするような視力は不要であり、人類全体の視力は低下する一方だ。生めよ殖やせよの効果が効き過ぎたせいなのか、地球上の人口がこれだけ増えても年中型の発情は続き、それでも満足できず、「もっともっと」とドラッグを求めている。

残された快感と英知の世界は、シャーマン型のエクスタシーの世界だ。このエクスタシーを一般庶民が常時体験するような革命の日々は、果たして訪れるのだろうか。


モーゼが視たヘルメス蛇の幻想 ― 龍神イエスを導くマトリックス


ヘブライ大学の認知心理学の教授がモーゼ研究で面白いことを言っている。


◆AFP:十戒を受けたときモーゼはハイだった、イスラエル研究報告(2008/3/6)  旧約聖書に登場するモーゼ(Moses)はシナイ山(Mount Sinai)で神から10の戒律を授かったとされているが、それは麻薬の影響による幻覚経験だった――イスラエルの研究者によるこのような論文が今週、心理学の学術誌「Time and Mind」に発表された。

 ヘブライ大学(Hebrew University)のベニー・シャノン(Benny Shanon)教授(認知心理学)は、旧約聖書に記されている「モーゼが十戒を授かる」という現象に関し、超常現象、伝説のいずれの説も否定。

モーゼもイスラエルの民も麻薬で「ハイになっていた」可能性が極めて高いとしている。

 モーゼが「燃える柴」を見たり、聖書によく出てくる「声を見た」という表現も、麻薬の影響を示しているという。

 教授自身も麻薬を使用して同様の感覚を味わったことがあるという。

1991年、ブラジルのアマゾンの森林で行われた宗教儀式で、「音楽を見る」ための強力な向精神薬、アヤフアスカを服用。精神と宗教のつながりを視覚的に体験したと言う。

 アヤフアスカには、聖書の中でも言及されているアカシアの樹皮でつくる調合薬と同程度の幻覚作用があるという。

「アヤフアスカ」はアヤワスカとも呼ばれる幻覚調合剤で、エハン・デラヴィやグラハム・ハンコックなど意識の冒険家たちが何度も服用している。

このアヤワスカを飲むと大蛇の幻覚を例外なく見ると言われているが、シャーマンとしてのモーゼがアカシア樹脂を使って同様の幻覚作用を得ていたとすると、モーゼの「蛇の杖」や「炎の蛇」や「青銅の蛇」も説明がつく。


蛇信仰は世界中で普遍的に存在するが、旧約聖書の創世記では蛇はサタンの化身であり、イブをけしかけて知恵の実を食べさせた。

一方、エジプト脱出のモーゼは杖を蛇に変えたり、堕落した民を炎の蛇で殺してしまうという“蛇使い”だ。


◆旧約聖書 『民数記(Numbers)』 21:4−9 (新共同訳)

彼らは、ホル山を旅立ち、エドムの領土を迂回し、葦の海を通って行った。

しかし、民は途中で耐え切れなくなって、神とモーセに逆らって言った。

「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」 

主は炎の蛇を民に向かって送られた。
蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。

民はモーセのもとに来て言った。

「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」 

モーセは民のために主に祈った。主はモーセに言われた。

「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者ががそれを見上げれば、命を得る。」 

モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。

最も不思議なのは、ユダヤの民が許してくださいと哀願したときに、蛇にかまれても死ぬことのない“解毒装置”として、「青銅の蛇」を用意したことだ。蛇にかまれても、この青銅の蛇を見ると命を得るという。

偶像を拝んではいけない、他の神を拝んではいけないといいながら、チャッカリ蛇の偶像を用意したことになる。

みんな死ぬのが怖いので、この青銅の蛇をありがたや、ありがたやと拝むに決まっている。どうして蛇の天敵である「鷲」や「鷹」の像を使わないのか。あるいは「ヤウェ、ヤウェと10回繰り返せば直る」という言葉のパワーを使わないのか。


◆旧約聖書 『列王記 下(II Kings)』 18:1−4 (新共同訳)

イスラエルの王、エラの子ホシュアの治世第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。

彼は二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった。

その母の名はアビといい、ゼカルヤの娘であった。

彼は父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。

イスラエルの人々は、このころまでにこれをネフシュタンと呼んで、これに香をたいていたからである。


時代が下ってヒゼキヤ王の時代になると、モーゼの造った青銅の蛇は打ち砕かれてしまう。

蛇神は拝んではいけませんよ、何度注意しても、人々は蛇を拝んでしまっていたということだろう。

しかしながら、この蛇拝みの元を造ったのはユダヤ教の開祖モーゼなのだ。


蛇神というとおどろおどろしいが、いわゆる地の神の象徴であり、龍神さまと言ってもいい。龍神の側に立って、旧約聖書にある「ヤウェ vs 龍神」の対立構造を読み取ると以下のようになる。


ヤウェがこの世を創造したけれど、ロクなもんじゃないよ、この世界は。

アダムとイブを救うべく、知恵の実を食べさせる龍神さまの電撃作戦がついに決行!

ところがヤウェが「原罪」と恐怖政治の手法を使って闇の人間支配を継続。

これに反撃すべく、モーゼが登場。ヤウェだけを拝むように見せかけて、「青銅の蛇」を拝まざるを得ない仕組みを構築。

ヤウェの化身ヒゼキヤ王がこの工作に気づき、龍神の通信機「青銅の蛇」を破壊。

互角の戦いといったところか。

で、この後にユダヤの律法主義を批判しながら登場するイエスは、さて、どちら側の化身なのか。

正統派のキリスト教会は口先でユダヤ教を否定・超克したと言いながら、<ユダヤの神=キリストの神>という路線を選択。

一方、キリスト教の異端であるグノーシス派は<ユダヤの神=サタン、キリストの神=龍神>を選択している。

ユダヤ教の神ヤウェがサタンであるとすると、アダムとイブに知恵づけをした蛇が本当の神さま(龍神さま)だったということになる。

また、イエスこそが龍神の化身であり、ヤウェが仕組んだ「原罪」を浄化するために、あえて十字架に掛かって犠牲になったという解釈や、スキをついてサタンをコブラツイストで締め上げたという解釈も成り立つ。

中世のキリスト教では、旧約の神様が偶像崇拝はいけないと何度も警告したにもかかわらず、イエスの磔刑や聖母マリアを偶像にしてしまう。

一方、東欧で栄えたグノーシスのボゴミール派は、龍神イエスを処刑した十字架を拝むなんてトンでもないということで、十字架を含めいっさいの偶像を否定した。

ルネサンスになると、エジプトのヘルメス主義やギリシャの秘儀、ユダヤ教のカバラなどを融合した新プラトン主義が台頭する中で、「十字架に架かる蛇」(フラメル紋章)も現れる。

反カトリックの神秘主義者は<蛇神=イエス>をほのめかし、詭弁のキリスト教徒は<これはモーゼの青銅の蛇を意味し、イエスの磔刑を予言したもの>とうそぶいて、“旧約は新約の予表”という預型論(タイポロジー)に溺れる。

いずれにせよ、一方が神で他方はサタンであるという善悪二元論を超越しない限り、旧約を“聖”書に仕立て上げたバイブルであれ、旧約を全面的に否定したグノーシスであれ、英知に至ることは不可能であろうね。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1714647
5. 中川隆[-12937] koaQ7Jey 2019年1月17日 08:45:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告
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東野圭吾 秘密で直子の人格が藻奈美から消えていったのは、藻奈美の演技なんかではなく、ユングの死と再生の儀式そのものなんですね:
死と再生というテーマ

ユング心理学の本を読んでいて「死と再生」というテーマにたびたび出会うことに気がつきました。

ここでいう「死」は肉体的な死を意味するのではなく、象徴的な「死」のことです。

それは、「ひとつの世界から他の世界への変容を意味し、古い世界の秩序や組織の破壊を意味」しています。

象徴の世界の「死」は肉体の死と直接結びついているものではなく、ある人が象徴的な死を繰り返し体験しても、肉体的生命は生き続けていることが多いのだそうです。

ユング心理学では、たとえば「結婚」は娘にとっては処女性が失われるという死の体験であり、両親にとっては娘が失われる死の体験という、2重の死が含まれていると考えます。


肉体的な死と象徴的な死はかならず結びつくものではないですが、微妙なかかわりを持つものでもあるといいます。

生死をさまよう体験をしたときに、それを転機としてそれ以降の人生が大きく変わるようなことがそうです。

これは特別新しい考え方ではないですよね。夏目漱石が生死をさまよう大病をわずらったあとでその後の作品が変わっていった例、また精神科医であった神谷美恵子さんが若い頃結核になったが自分が死ななかったことが心の中で大きな部分を占めていたこと、作家の辻邦生さんも生死に関わる病気をしていたことがその後の作品に影響を与えていると思います。


このような死と再生のテーマを、河合隼雄さんが自殺との関わりについて述べたものがありました。

自殺しようとする人が、象徴的な意味での死の体験を求めていることについてです。

人は深い意味での死の体験によって、次の次元に生まれ変わることができる。
このような体験を求めたが、しきれなかった(死の体験をしそこなった)ために自殺未遂を繰り返すことになるというものでした。

深い意味での死の体験には充分な自我の力が必要になるといいます。自我の力がそのときに充分強いかどうかで、ひとりでその体験を行ったり、セラピストの力が必要であったり、または今はそのときではないとして、それが肉体的な死の体験へつながってしまうことを予防するのだそうです。

死の体験はいちどすれば終わるのではなく、その体験を繰り返しながら長い成長の過程をたどっていくものでもあるそうです。

自殺が精神の再生や新生を願って行われることもあるという考え方は、自殺がすべてそのようなものと考えるのではないですし、自殺をすすめるものでもありません。ここで私が伝えたかったのは

象徴的な死の体験が、次の次元へ生まれ変わる意味をもっていること、

そう考えることで自分自身の「死」についての考えに何かが加わったように感じたことです。

死と再生についてのテーマは私にはまだよくわかっていなくて説明できない部分も多いです。また、みなさんそれぞれのとらえかたもあると思います。このテーマについてもっとよく知りたい方は、ユング心理学やその他死と再生に関する本を読んでみてください。

私が参考にした本は、少し古い本ですが、

「絵本と童話のユング心理学」(朝日カルチャーブックス)山中康裕/大阪書籍/1986年
「カウンセリングと人間性」河合隼雄/創元社/1975年 

です。[10.Mar.2002]


「死と再生と、象徴と/考える人 河合隼雄さん」 2008/01/12

大晦日だったか、元旦だったか、
新聞の広告に、大きな笑顔があった。

親しんだ、名前があった。

「さようなら、こんにちは 河合隼雄さん」
(新潮社 考える人 2008年冬号)




その中で、こんな話が出てきます――


今増えてきているのは、抑鬱症(デプレッション)ですね。それはわりと説明が可能なんです、人生が長くなったこととか、社会の変動が速くなったことで。つまり自分の獲得したパターンというのが、意味を持たなくなることが多いんですね。


今まで大丈夫だったものとか、
今まで大切にしてきたものとか、

もっというと、今までそうやって生きてきたものが、<意味を持たなくなる>。

あるいは、通用しなくなる。


たとえば、私が算盤(そろばん)のすごい名人になったとします。算盤さえあれば、と思っているときにコンピューターが出てきますね。そこで自分の持っていたシステムそのものが、まさに行き詰るわけです。そうすると、これはもう抑鬱症になりますね。


自分の大切にしてきたものが、突然、価値を持たなくなる。

いい悪いではなくて、ともかく、そうなる。

それではどうしようもなくなる。

(大丈夫だと思いたい、でも、現実、大丈夫じゃない)
(一部をとったら大丈夫、でも、総体として、危うくなる)
(大丈夫だといえば大丈夫、危ういといえば危うい)

状態というか、環境というか、
取り巻く状況が変化しているのに、
自分というものが取り残されてしまう。

(もちろん、それはいい悪いの問題ではない)

それは、例えば(ヘンテコリンな例だけど)、

厚着をしているうちに、春になり、夏になったようなもので、
薄着をしているうちに、秋になり、冬になったようなもので、

冬に厚着をするのは間違ってないのだけれど、
暖かくなったのに厚着のままでいると、さすがに暑い。
真夏となると、なおさら。

夏に薄着をするのはその通りなんだけれど、
寒くなったのに薄着のままでいると、さすがにつらい。
真冬となると、なおさら。

身体も壊す。
壊す前に、つらい。


ファッションだとか、生き様だとか、
それはその通りで、ある意味、個人の聖域だけど、

だけど、実際問題、
凍えたり、汗だくになったり、
困ったことになってしまう。


気温は測定できて、温度計とか、天気予報とかで、
それを確認できるけれど、

時代の流れとか、社会の流れとか、
己を取り巻く状況とか、
そういうものは、なかなか数字として測定できません。


人生観でもそうでしょう。たとえば節約は第一なんて考えているうちに、息子は全然節約せんで無茶苦茶やっているのに、あれはいい子だ、なんて言われる。そうなると自分の人生観をいっぺんつくり変えなきゃいかんわけです。




こういうことが、14歳(思春期)とか、中年の時期に問題化するのかもしれません。

思春期には、思春期なりの、<今まで積み重ねてきたもの>があって、
でも、それが行き詰ってしまう。

中年期には、中年期なりの、<今まで積み重ねてきたもの>があって、
でも、それが行き詰ってしまう。

いいとか悪いとかじゃなくて、
ともかく行き詰ってしまう。(*1

(理由なんかない。ないことはなくても、明確ではない)
(言葉を持たないから、納得も表現も、伝えることもできない)
(つまり、なかなか意識化できない)
(そういう風になっている)

ともかく、通用しなくなってしまう。

こうなると、壊すしかなくなる。


そこをうまく突破した人はすごく伸びていく人が多いんです。突破し損なった場合は、極端な場合は、死んでしまう、自殺するわけです。もう生きていても仕方ないと。抑鬱症というのは、常に自殺の危険性があります。それがわれわれとしても非常に大変なんです。




ここが難しいところで、
根本的な崩壊を防ぎながら、いかに壊すかということが、突破するための必然になるのだと思います。

言葉をかえると、
いかにうまく壊すか、ということになる。

もっと奥に突っ込むと、
いかに生命としての死を避けながら、象徴的な死を経験するか、ということになる。


我々は破壊や死を避けるあまり、<そこを突破すること>まで拒否してしまう。

それは一方で正しく、もっともでありながら、
もう一方では、それだけでは語れない部分がある。

何を壊し、何を殺すか、
生命としては壊さず、殺さず、
(むしろ、生かし、残し)
どうやって、壊し、変革させていくか。

そのために、互いにつながった、深い部分にある、内なるものを、
どう壊し、変容させていくか。

それには、どうしても悲しみというものと付き合わなければならない。

そして、象徴ということが、非常に意味を持ってくる。



実際には壊さず、実際には死なず、殺さず、

それでいて、殆どそれに近い、
それでしか語れぬもの、
それでしか代替が利かないものを、
経験し、経ねばならない。

(ここに象徴の魔法がある)

しかし、そのものは見えず、
(また、見たくないものである場合が多いし)
実際と同じくらいの、悲しみも経験する。

(ギリギリ、皮一枚を隔てて、あちらとこちらが隣接する)

ここに、象徴の意味が出てくる。

実際にはそうでなくて、
しかし、ほぼ実際に近く、

深いところでつながっていて、

実際と同等の悲しみを経験する。

そして、最終的に、実際に変容する。


これをうまく表現するには、
もっと言葉が熟さねばならないのだろうな…。

実際にやらずに、実際にやるというのは、
たいへん意味深い。


(それは安易な代替では行えんことだ)


(*1
環境の変化や、身体の変化が、
生じやすい時期でもありますね。

ユングは、「死後の生」のような神秘的な考えがもつ意味について、次のようにも述べます。
彼は母親が死ぬ前日に彼女が死ぬ夢を見ます。
悪魔のようなものが彼女を死の世界へとさらっていったのです。

しかし彼女をさらった悪魔は、じつは高ドイツの祖先の神・ヴォータンでした。ヴォータンはユングの母を、彼女の祖先たちの中に加えようとしていました。

この高ドイツの神・ヴォータンはユングによれば「重要な神」「自然の霊」であり、あるいは錬金術師たちが探し求めた秘密である「マーキュリー(ローマ神話の神)の精神」として、「われわれの文明」の中に再び生を取り戻す存在でした。しかしその「マーキュリーの精神」は歴史的にキリスト教の宣教師たちにより悪魔と認定されていました。

ユングにとってこの夢は、彼の母の魂が、「キリスト教の道徳をこえたところにある自己のより偉大な領域に迎えられたこと」を、そして「葛藤や矛盾が解消された自然と精神との全体性の中に迎えられたこと」を物語っていました。

母の死の通知を受け取った日の夜、ユングは深い悲しみに沈みつつも、心の底の方では悲しむことはできなかったと言います。

なぜなら彼は、結婚式のときに聞くようなダンス音楽や笑いや陽気な話し声を聴き続けていたからです。

彼は一方では暖かさと喜びを感じ、他方では恐れと悲しみを感じていました。

ユングはこの体験から、死の持つパラドックスを洞察します。

母の死を自我の観点から見たとき、それは悲しみになり、「心全体」からみたとき、それは暖かさや喜びを感じさせるものになります。

ユングは「自我」の観点からみた死を、「邪悪で非情な力が人間の生命を終らしめるものであるようにかんじられるもの」と述べます。

「死とは実際、残忍性の恐ろしい魂である。…それは身体的に残忍なことであるのみならず、心にとってもより残忍な出来事である。一人の人間がわれわれから引き裂かれてゆき、残されたものは死の冷たい静寂である。そこには、もはや関係への何らの希望も存在しない。すべての橋は一撃のもとに砕かれてしまったのだから。長寿に価する人が壮年期に命を断たれ、穀つぶしがのうのうと長生きする。これが、われわれの避けることのできない残酷な現実なのである。われわれは、死の残忍性と気まぐれの実際的な経験にあまりにも苦しめられるので、慈悲深い神も、正義も親切も、この世にはないと結論する」(下p.158)。

しかし同時に夢は、母をヴォータンの神が死を通じて祖先たち下へつれていったと教えます。死は、母にとって、またユングにとって、喜ばしいものであると夢は教えます。

「永遠性の光のもとにおいては、死は結婚であり、結合の神秘である。魂は失われた半分を得、全体性を達成するかのように思われる」(下p.158)。
メンテ

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