[2210] イスラム世界研究
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- 日時: 2015/02/04 12:41
- 名前: 天橋立の愚痴人間
ID:h2vhi/RE
- イスラム国のテロがあり、イスラムとは何かが、問われていると思います。
この時期に「大和魂<日本人の心のルーツを探る」スレッドから、この部分を抜粋してみます。
「メソポタミア文明」 シュメール人
世界で最初に生まれた文明がメソポタミア文明です。 紀元前3500年くらいには都市国家が成立して、文明といえるものになったといっていいでしょう。
メソポタミアとは川のあいだという意味で、ティグリス、ユーフラテスの二つの川にはさまれた地方をさします。現在の国名でいうとイラクです。今はサダム・フセイン大統領で有名。昨年末(1998)にもアメリカとイギリスに空爆されて大きなニュースになりましたね。
このメソポタミア地方の川下、河口付近にはじめての文明ができます。 文明をつくりあげたのはシュメール人。民族系統不明です。残された彫刻などを見ると、目がくりくりと大きくて、波打つ立派な長いあごひげが特徴的ですね。
今、この地域はイスラム教徒、アラブ人の世界ですが、男たちはみんなひげを蓄える風習がある。ひげがないと子どもかオカマだと思われるらしい。アラブ社会の民俗を研究している人の講演を聞いたことがありますが、その先生は帰国直後で、ヤギみたいなちょび髭を一所懸命のばしていました。「こんなヒゲでも、はやしていないと一人前として扱ってもらえないので」とぼやいてました。 ひげ等のファッションは、時代、文化によって変化するものですが、ひょっとしたらこの地域ではシュメール人以来5000年間ずっとひげを伸ばしていたのかもしれないね。(注:シュメール人はひげを剃るのが一般的らしいが、使用していた資料集の写真にもとづいて、このような説明をしていました)
メソポタミアに最初に文明が生まれたのは、農業生産性が非常に高かったかららしい。 まず、麦と羊の原産地だった。そして、この麦の収穫量が非常に高かった。1粒の麦を播いて、20倍から80倍の収穫があったといわれています。 これが、どのくらいすごいかというと、19世紀のヨーロッパで麦の収穫は播種量の5、6倍くらい、現代でもヨーロッパで15倍から16倍、アメリカで23倍という数字があります。 だから、現代と同じかそれ以上の収穫があったというわけだ。たくさん穫れれば、余裕も生まれる。その余裕が、後世に残る文明を生み出したのでしょう。 ちなみに、日本の米はどうかというと、江戸時代は30から40倍、今は110倍から144倍です。
シュメール人はメソポタミア地方にたくさんの都市国家を築きました。ウル、ウルク、ラガシュなどという都市が有名です。しかし、都市国家どうしの抗争が激しく、統一国家ができることはありませんでした。政治は、神殿を中心に神権政治がおこなわれていたらしい。
続く
シュメール人の文化 ------------------ かれらの残した文化は後世に大きな影響を与えているからこれはしっかり覚えておきましょう。
まずは、暦(こよみ)。世界初の暦。月の満ち欠けで、年月をはかる太陰暦です。
数字は60進法でした。これは、現在もある分野で日常的に使われるね。何ですか。そう、時間です。一時間はなぜか60分。なぜかというとシュメールなの。多くの小学生が、時間の計算でつまづく。君たちも苦しんだでしょ。シュメールだね。 なぜ、シュメール人が60進法を採用したかははっきり判っていません。
土器は彩文土器というのがでます。土器に赤い模様が描かれていますね。
文字は、くさび形文字を発明しました。紙はまだない時代、粘土板に葦を切ったものでくさび形に字を刻み込んでいきました。細かい文字でたくさん書いているね。シュメール人が歴史から消えたあとも、メソポタミア地方では長いあいだこの文字を使っていました。今のアルファベットの役割を果たしたわけだ。
シュメール人の時代から二千年もあとですが、アケメネス朝ペルシアという国が大帝国をつくります。この国もくさび形文字を使っていて、ダレイオス大王という王が、自分の功績を刻んだベヒストゥーン碑文というのを残しました。これは三つの言語をくさび形文字で刻んだもので、くさび形文字解読のきっかけとなった重要な碑文です。解読したのははローリンソンというイギリス人。覚えておきましょう。 この碑文は地上100メートル以上の絶壁に刻まれていて、ローリンソンは今でいうロッククライミングみたいなことをして、まあ命がけで碑文を模写したんです。19世紀のことです。
それからハンコ、印章です、これもシュメール人が最初。円筒印章というのがあって、絵が刻んである。これを粘土の上をコロコロと転がすと長い絵が浮かび上がるわけです。円筒印章は中心にひもを通して首に懸けるようになっていた。これを身につけているのが高い地位の象徴だったらしいです。
---------- エデンの園 ---------- シュメール人の文化、暮らしはいろいろな伝説や物語に、大きな影響をあたえています。
たとえば、旧約聖書にはシュメールの影響がかなりあります。
旧約聖書の最初の話、神が世界と人間を創造する話があります。 神が「光あれ」といって光ができる。これが一日目。二日、三日といろいろ造って、六日目に人間を造って、七日目にお休みします。これは、シュメールの七曜の影響。
それからアダムとイヴの話。 神が泥からつくりあげた最初の人間がアダム。一人じゃ寂しかろうと、神はアダムの肋骨を一本採って、これで女イヴを造る。二人は、裸のままの姿でそれを恥ずかしいとも思わずに、働かなくても暮らせる地上の楽園、エデンの園に住んでます。 さて、神は二人に一つの約束をさせるんだ。エデンの園の真ん中に知恵の木がある。その実だけは、絶対に食べてはならないという約束です。ところが、なぜか蛇がでてくるのです。その蛇がイヴを誘惑する。知恵の木の実を食べても死にませんよ、ほら、こんなにおいしおっませ。食べなはれ、と言う。イヴはついつい食べてしまう。おまけにアダムにも勧めて、結局二人とも食べてしまった。すると、急に知恵がついてしまってかれらは互いに裸であることに気がつき、葉っぱで腰蓑をつくって、局部を隠します。
約束を破ったことが神に知られ、その怒りに触れて二人はエデンの園を追放されました。追放されたのがエデンの東。そこでは、地にはいつくばって厳しい労働をしなければ生きていけないんです。ジェームズ・ディーン主演の「エデンの東」という映画があります。楽園のすぐ隣だけれどそこは楽園ではない、それがエデンの東。そう思って見るとこの映画また一段と深いよ。
エデンの園の話がシュメールとどんな関係があるかというと、エデンの園はシュメール人が住んでいた実在の場所らしい。 ラガシュとウンマという二つの都市国家が、前2600〜前2500年頃に「グ・エディン」(平野の首)という土地をめぐって戦争を繰り返しているんです。どうもこのグ・エディンがエデンの園のモデルらしい。
話が後先になりましたが、旧約聖書をつくったのはヘブライ人という人たちです。かれらは前10世紀頃に自分たちの国家を建設するんですが、それ以前は部族ごとに分かれて牧畜などをしながらメソポタミア地方からエジプトにかけて放浪生活をしていた。豊かなシュメールの土地に住みたいけれど、そこに入り込むだけの勢力がなかったんだろう。なぜ、自分たちはあの豊かな土地に住めないのか、という不満・不運を自分たち自身に納得させるため楽園追放の物語がつくられたのではないかと思います。人間というのは納得さえできれば不運に耐えられる生き物なんだと思う。エデンは、豊かなシュメールの地の、その中でももっとも豊かな土地の象徴だったんだろう。
それから、バベルの塔の話です。これは知っていますか。 人間が天まで届きそうな高い塔を建てる。これを知った神が、この塔を打ち壊すんだね。 「神に届こうとする不届きな振る舞いだ」と神様が怒ったと一般にいわれていますが、聖書を読むとそんなことは書いていません。理由は解らないがとにかく神は塔を壊し、人々はちりぢりになり、お互いに話す言葉が通じなくなった、という話。 で、このバベルの塔のモデルがやはりシュメールにあるらしい。 シュメール人たちが建設した神殿にジッグラトというものがあります。高い塔の形をした神殿で、その遺跡はたくさん残っています。これがバベルの塔のモデルといわれています。

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