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[2217] 多神教(インド)の世界 その1
日時: 2015/02/06 17:02
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:IBHprFOI

ついでに、イスラム世界とアングロサクソン流(社会)とは、の姉妹編として多神教(インド)の世界にも触れておきます。


下記のサイトの助けをかりて古代インドへ向かいます。
http://www.h2.dion.ne.jp/~mogiseka/lecture/ancient_muslim_india.htm

インドはヨーロッパと同じくらいの面積があります。「ヨーロッパ人」が、たくさんの民族を含んでいるように、「インド人」も決して一つの民族ではありません。北インドに住むアーリヤ人は、ヨーロッパ系の民族で、南インドに住むドラヴィダ人とは、顔付きがまったく違います。19世紀にインドを植民地支配したイギリス人は、アーリヤ人の言葉とヨーロッパの言葉がよく似ていることから、ヨーロッパ人とアーリヤ人は同じ祖先を持つインド=ヨーロッパ語族だという仮説を立てました。そして、南ロシアからインドにやってきたアーリヤ人がインドに文明をもたらしたのだ、と考えました。

ですから、ハラッパーやモエンジョ=ダロでアーリヤ人の侵入以前のインダス文明の遺跡が見つかったとき、これがどの民族が残したものなのかが大問題になりました。ドラヴィダ人説が有力ですが、はっきりした証拠がありません。出土した印章(ハンコ)には文字が刻まれていますが、単語ばかりで文法がわからず、解読できないからです。最近発見されたドーラヴィーラ遺跡からは、都市の周囲を囲む巨大な貯水池と、インダス文字で書かれた都市の入り口の看板?が見つかっています。


インダス文明滅亡の原因はわかりません。おそらく、何か大きな気候変動によるもので、同じ原因でアーリヤ人の移動がはじまったと考えるべきしょう。カイバル峠からパンジャーブ地方(パキスタン北部)に入り、遊牧生活をしていたアーリヤ人の生活については、聖典『リグ=ヴェーダ』で知ることができます。ヴェーダとは神々への賛歌のことですね。彼らは自然を神々として崇拝し、ヴェーダを唱えて神々を祭る祭司階級をバラモン、この自然崇拝の多神教をバラモン教といいます。同じような多神教(オリンポス12神)を信仰したギリシア人が、専門の祭司階級を持たなかったのとは対照的です。インドの過酷な自然へのおそれが、自然をコントロールするバラモンの権威を高めたのでしょう。

バラモンの下には、貴族(クシャトリヤ)・平民(ヴァイシャ)・奴隷(シュードラ)がいました。先住民が奴隷とされたのはギリシア人と同じです。この四つの身分を種姓しゅせい(ヴァルナ)といい、のちに細分化されて、いまも残るインド独特の身分制度(ジャーティー、またはカースト制度)となりました。起源前1000年ころ、鉄器の伝来とともに、ガンジス川流域に入ったアーリヤ人は、森を切り開いて農業をはじめます。紀元前1000年っていうのは…

たとえばオリエントでは、ダヴィデ王・ソロモン王の時代、ギリシアではドーリア人が侵入した後の暗黒時代、中国では周が殷を滅ぼした頃のことです。超先進地帯のオリエントは別として、ギリシア・インド・中国の古代史は、ほぼ同時進行で展開していきます。まず、鉄器による開墾がすすみ、領土争いから都市国家の間の戦争となり、新しい思想が生まれてくるのです。中国の春秋戦国時代にあたるのが、インドの十六王国時代です。戦乱の日々が繰り返され、人々にとって恐ろしいのは自然ではなく人間となったのです。バラモンに代わってクシャトリヤ、ヴァイシャが台頭し、自然へのおそれに代わって、人間とは何か、人間としていかに生きるかが驍ラきしょう。カイバル峠からパンジャーブ地方(パキスタン北部)に入り、遊牧生活をしていたアーリヤ人の生活については、聖典『リグ=ヴェーダ』で知ることができます。ヴェーダとは神々への賛歌のことですね。彼らは自然を神々として崇拝し、ヴェーダを唱えて神々を祭る祭司階級をバラモン、この自然崇拝の多神教をバラモン教といいます。同じような多神教(オリンポス12神)を信仰したギリシア人が、専門の祭司階級を持たなかったのとは対照的です。インドの過酷な自然へのおそれが、自然をコントロールするバラモンの権威を高めたのでしょう。

バラモンの下には、貴族(クシャトリヤ)・平民(ヴァイシャ)・奴隷(シュードラ)がいました。先住民が奴隷とされたのはギリシア人と同じです。この四つの身分を種姓しゅせい(ヴァルナ)といい、のちに細分化されて、いまも残るインド独特の身分制度(ジャーティー、またはカースト制度)となりました。起源前1000年ころ、鉄器の伝来とともに、ガンジス川流域に入ったアーリヤ人は、森を切り開いて農業をはじめます。紀元前1000年っていうのは…

たとえばオリエントでは、ダヴィデ王・ソロモン王の時代、ギリシアではドーリア人が侵入した後の暗黒時代、中国では周が殷を滅ぼした頃のことです。超先進地帯のオリエントは別として、ギリシア・インド・中国の古代史は、ほぼ同時進行で展開していきます。まず、鉄器による開墾がすすみ、領土争いから都市国家の間の戦争となり、新しい思想が生まれてくるのです。中国の春秋戦国時代にあたるのが、インドの十六王国時代です。戦乱の日々が繰り返され、人々にとって恐ろしいのは自然ではなく人間となったのです。バラモンに代わってクシャトリヤ、ヴァイシャが台頭し、自然へのおそれに代わって、人間とは何か、人間としていかに生きるかが問われるようになりました。ちょうどギリシア哲学や中国の諸子百家が生まれた頃に、仏教などのインド哲学が生まれたのです。

仏教の源流となったのは、ウパニシャッド哲学です。バラモン教の聖典ヴェーダの理論書である『ウパニシャッド』はこう説きます。肉体は衰え、やがて土に戻るが、魂であるアートマン(我が)は不滅である。死とは魂が肉体を脱ぎ捨てることにすぎない。魂は再び肉体を得る。あなたは、生まれてくる前に別の人生を送っていたし、死んだ後にも別の人生がある。魂は、何百、何千と人生を繰り返し、そのたびに肉体という衣服を着たり脱いだりしているだけのことだ。永遠に生と死とを繰り返すことを輪廻転生りんねてんしょうといい、これでは魂の平安は得られない。輪廻の悪循環を断ち切って、宇宙の中心にある魂のふるさとであるブラフマン(梵ぼん)に回帰して、一切の苦しみから解放されること(解脱げだつ)を目指すべきである。ブラフマンとアートマンとは一体であること(梵我一如ぼんがいちじょ)を知れ、と。

インドの古代社会を訪れる前に、インドの宗教のことに触れておきましょう。

◎日本の仏教は、インドの仏教と、どうつながるんですか?

マウリヤ朝までの仏教を上座部じょうざぶ仏教と呼びます。ブッダのように家族を捨て、財産を捨て、名前を捨て、頭を丸めて寺に入り、ひたすら自己の解脱のために修行を続けるのです。このような修行者(出家者)は上座部と呼ばれて、社会生活を営む在家ざいけの信者とは区別され、尊敬されました。スリランカから、ビルマやタイに広まったのはこの上座部仏教です。タイの男性は今でも、一生に一度は頭を剃り、3か月くらい寺で修行する習慣があります。在家信者のまま救ってもらおうとする中国や日本の仏教(大乗仏教)とはまったく違います。

クシャーナ朝の時代、在家の信者も救済するという大乗だいじょう仏教が生まれます。万人救済の「大きな乗り物」という意味です。自分たちは日々の生活に追われ、家族を捨てることもできない。修行者にはなれないから、ブッダや、ブッダの弟子となった修行者たちを神(菩薩ぼさつ)として崇拝し、救済してもらおうというわけです。ナーガールジュナは『中論』を著し、大乗仏教を理論化しました。また、崇拝するには偶像が必要になるので、仏像(ブッダや菩薩の像)が作られるようになりました。クシャーナ朝の都プルシャプラがあるガンダーラ地方からは、おびただしい数の仏像が発掘されています。ガンダーラ美術と呼ばれるそれらの仏像は、同じ時代のローマ帝国でさかんに作られた神々の像とよく似ており、ともにヘレニズム文化の影響下にあったことがわかります。

この大乗仏教は,シルクロードを経て西域から中国へ伝わり、仏図澄ぶっとちょう・鳩摩羅什くまらじゅうが、五胡十六国時代の中国で布教します。ですから、中国・朝鮮・日本に伝わった仏教は、すべて大乗仏教です。なお、大乗仏教の側では上座部仏教のことを小乗仏教(小さな乗り物)と呼んでいます。ちょっとばかにした言い方ですね。使わないほうがいいでしょう。

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多神教(インド)の世界 その5 ( No.4 )
日時: 2015/02/06 17:14
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:IBHprFOI

次は民話です。

「人の運命」

 ある国に貧乏な爺さんと、婆さんと、その息子がいた。三人はたいへん信心深くて、毎日神に祈りを捧げながら日を送っていた。けれどいっこうにその御利益もなくて、二晩に一晩は飯をぬいて寝る、というふうだった。それでも三人は神の祭礼だけは欠かした事がなかった。
 ある日、天で幸福の女神のラクシュミーが夫のナーラーヤナ神に言った。
「ねえ、あなた。あの三人は毎日わたしたちをこれほど熱心に拝んでいるのに、あんなに不幸だなんて」

「そんな事を言っても、彼らの運命は現世ではこういう事になっているのじゃ」
ナーラーヤナがこう答えるとラクシュミーは、
「いいえ、あなた。それは嘘ですよ。わたしは幸福の神ラクシュミーですよ。あなたは偉大なナーラーヤナ神じゃありませんか。ああしていつもわたしたちの事を拝んでいるのですから、ひとつ行って望みを叶えてやろうじゃありませんか」と言った。

 そこで二人の神は連れ立って下界へ下りていった。そして三人の住む家の庭に立ち、家の者を呼ぶと中から爺さんが出て来た。
「われわれは天から来たナーラーヤナとラクシュミーじゃ」
ナーラーヤナ神がこう言うと、爺さんはびっくりして、
「こんな貧乏人の家になんでまた来られましたか」と言って、いそいそと家の中から破れたカンタ(刺し子布)を出して来た。二神はそこに坐って言った。
「お前達はたいへん信仰があつい。そこで今日はお前達の望みを叶えに来たのじゃ。何なりと望みを申すがよい」

「それは本当ですか」
「本当じゃ。明日から毎朝ひとりずつ池に行って身を清め、そのあとで自分の望みを言うがよい。財宝でも何でもやろう。もし大国の王になりたいというなら王にもしてやるぞ」
こう言って、二人の神は天に帰っていった。

 これを聞いた爺さんと婆さんと息子は喜んだ。そしてそれぞれ自分の願いごとを考え、誰がはじめに望みを叶えてもらうかその順番を決めた。
まず婆さんが初めに望みを叶えてもらう事になった。婆さんは翌朝早く池へ行き、体や手足を洗って身を清めると、どんな望みを言おうかと考えた。
「わしはこんなに黒くて醜い。村の連中もわしを見てはバカにしおる。爺さんは財宝が欲しいと言っていたから、うん、そうじゃ。それならわしは...」と言って神にこう願った。
「神様、わしを美人にして下さいな。インドで一番美しい女に、いやそれより世界で一番美しい女にして下さいな」

 するとたちまち婆さんはこの世にまたとないほどの美女になった。
 そして池から上がり、さて家へ帰ろうかと思っているところへ、ある国の商人が通りかかった。そして美女になった婆さんを見た。
「わたしのような金持ちの家にもこんなに美しい女はいないのに、こんな辺ぴな田舎の池のほとりにこんな美女がいるとは...」

 商人はこうつぶやくと、美女になった婆さんを馬に乗せてさらっていってしまった。
 これを見た爺さんはたいへん悲しんだ。
「わしの婆さんがいなかったら、この所帯も意味がない。いくら財宝を得て王になったところで婆さんがいなくては何になろう。それならいっそのこと...」

爺さんは翌朝池に行き、身を清めてから神にこう祈った。
「神様、さらわれてしまったわしの婆さんをどうか豚にして下さい」
 商人は美女になった婆さんをさらっていって家の一室にかくまい、翌日結婚式をあげる事にしていた。ところが一日たってみると驚いた事に美女が豚になっている。
「これはどうした事だ!わたしは豚などさらってきた覚えはなかったが...」

 商人は豚をひっぱたいて追い出した。
 豚は家に帰って来たが、豚になってしまっては仕方がない。爺さんも豚をたたいてはあっちへ追ったりこっちへ追ったりしていた。これを見て息子は、
「ああ、母さんが豚になってしまっては、いくらおれが財を得たところで何になろう」と思って、

翌朝池に行くと神様にこう願った。
「神様、どうかおれの母さんを元通りの姿にして下さい」
 すると婆さんは黒くて醜い元の姿に戻った。これで三人の願いは聞き届けられた。
 天でナーラーヤナ神は言った。
「どうだね、ラクシュミー。わしが言った通り、彼らに運はなかったのじゃ」-おわり-



我々にも、そのまま当てはまるような話しです。
しかし、日本ではこの種の民話はありません。
倫理、道徳の間に埋没しているのでしょう。



今度は、現代にも生きている、ことわざの類です。


インドのことわざ 言い伝え
http://www.namasute-mumbai.com/kotowaza.html

日本語がご堪能なギータ・ナイアルさんにインドのことわざや
日常生活での言い伝えについてうかがいました。
ギータ先生は、印日協会で日本語講師を勤めるかたわら、
日系企業の通訳としてご活躍です。
英語、ヒンディー語、カルナータカ語など5つ以上の言語を習得されてます。
美術の造詣も深くムンバイのJJアートスクールで学ばれました。

 

皆さんこんにちは、今回のテーマをいただいた時に、最初に考えたのは、子供の時に聞いた物語です。その事からお話します。

 夜、泥棒が、街一番のお金持ちの家に忍び込み、荷物を持って逃げ出そうとした時、足の指の爪を剥がして家の中に落としてしまいました。泥棒は大急ぎで戻って爪を拾おうとしたが、爪はなかなか見つからず、仕方なく電気をつけたら見つかってしまいました。

この泥棒が、どうして爪などにこだわったかといえば、インドでは、古くから「爪を落としたところは滅びる」といわれていました。泥棒にしてみれば、大事な仕事場(お金持ちの家)がなくなっては困るので、爪を必死になって探していたという笑い話です。

インドの社会背景には、『小さなものでも大きなものへのつながりがある。』という考え方があります。カルマ(因縁)と言いますが、常に、自分の言った些細な言葉や考え方も、大きなものにつながっている、だから思慮の足りない言動を慎む様にという戒めが、この物語にはあります。もちろん先のとがった爪は危ないので切った後の始末の戒めでもあるわけですが。

Q.爪の話が出ましたが、日本では、夜のタブーがあります。例えば、夜に爪を切ってはいけない。

夜に、塩を買ってはいけない。夜に、新しいものを使い始めてはいけな
い。それと反対に、祝事は、朝の方が良いとされています。インドには、朝・夜の時間によるタブーがありますか。

インドでも時間に関するいろいろな観念があります。日没の時間は、1日の中で、とても大切な瞬間です。サンスクリットの考えから来ていますが、日没と日の出の時間は精神的にも大変敏感になる時間で、この時間には、お線香をたき空気を清めてお祈りをします。日が暮れて家に灯をともす時、私も今日1日の無事を感謝しながら敬虔な気持ちでお祈りをします。

この時間をサンジャ(サンスクリット)と言い、女性の名前にもよく使われています。日の出は、ウシャ(サンスクリット)といい、これもよく女性の名前として、使われています。ウシャには、ヒンディーの聖人にとっても大事な時間で、早朝4時頃からお祈りをします。太陽に水を奉げて祈る時間です。

インドでも夜、爪や髪の毛を切ってはいけないといわれています。夜、暗いところで刃物を使うと事故になることへの戒めでもあると思いますが…。また、夜は、塩、ヨーグルトは、貸してはいけないとされています。鍋などの調理器具の貸し借りもいけなくて、結婚式や、人寄せで、大なべを借りに来た時は、担保に小さな鍋を預かるというしきたりもあります。また、夜の戒めとして、新しいものをおろして使わない、お金を貸さない、新しいものを買わないという、戒めもあります。

 ボンベイのような都会では、このような時間の戒めを全部守っていくには、忙しすぎるし、合理的ではありません。インドでもゆったりとした時間があった時の戒めが多いのですが、私自身、若い頃はあまり気にしなかったことも、歳をとるにしたがって、何か、生活上に意味のある決まりなのではないかと思うようになりました。

夜遅くまで外出していて、日没をかなり過ぎてから電気をつけるような時もスイッチを入れながら、心の中で、お祈りしています。夕方の時間は、とても大切な時間と、意識しています。また、女性は、家の運を守る役割があるとも言われていて、灯をともし、スイッチを入れるのは、守り神の女性の仕事でもあります。

Q.日本では、「茶柱が立つ」(お茶の中に茶の芯が浮く事)と縁起が良いとか、「雨降って地かたまる」という、縁起の良い前触れについても良く言われます。良い事のまえぶれについてインドにも言い伝えがありますか。

 商店などでは、朝1番のお客さんを大切にします。何も買わずに帰られてしまうと、1日商売がうまくいかないという考えから、たとえどんなにお客に値切られても買ってもらいたがります。以前は、私の母が朝早くクレープ(布地)を買いに行き、その店では買わなかったけど、母が再び戻ってきたら店主が店の前で母を待っていたそうです。

母が店を出てから1時間あまりの間に大変な客入りで、大繁盛。母は、ただで、クレープを貰ったそうです。母が、商売繁盛をもたらしたと思ったそうです。一番最初のお客は大事にされます。

また、仕事場に入る時、そこの床に手をついてその手を自分の額に持っていき拝んだりします。今日1日仕事が上手くいきますようにという気持ちですね。舞台に上がる時もそうですね。

 インドでは、朝一番に目に、入ったもので、その日の運を占ったりします。それは、いつも嫌われていたり疎まれているもので、生肉、お酒、痛いもの(刺とか、出掛けにどこかをぶつけて、痛い思いをする)、ヒジュラ(インドのオカマの人たち)などです。こういうものに、朝一番に出会うと、今日は、これ以上嫌なことはない、転じて、良い事があるとなるわけです。

 ヒンディー教の新年(4月14,15日ごろ)には、朝、母に4時ごろに起こされます。この時目は目隠しされていて、祭壇の前に行くまで目を閉じていなければなりません。祭壇には、お盆に花、カジョル、鏡、ランプ、米、ビンディーの赤い粉、金貨など美しいものが入っています。新年に先ず目に入るものが美しいものであり、これを見ると1年間良い事があると思われています。またこの日は、子供たちは少しだけお金を貰います。お年玉と同じです。新年のお花には、ハルディーという金色の花が使われます。藤のような花で黄色です。

(この花は、日本名で金くさり、英名ゴールデン・シャワーというそうです。イギリスでもよく観られるそうです。4月頃、マニ・バワンの通りが見事だそうで、この通りは、ハルディー・レーンというそうです。)
カジョルとは、ギー(インドのバター)を煮詰めてその煤を銅版に受けて作った黒い粉です。子供が厄除けで目の下につけています。

Q.カジョル(子供が目の下につける黒い墨)について教えてください。

インドでは、あまりむやみに子供を誉めてはいけないと言われています。なぜなら、可愛い、綺麗といわれて、人の妬みを買うと子供に災いが起こるといわれているからです。だからよく子供が器量を誉められるとお母さんは急いで子供を家に連れて帰り、塩とチリをつかんで、子供の前で、ぐるぐる3、5、7回まわして、口の中で、小さな声で呪文を唱えてチリと塩を火に投げ捨てて清めたりします。

そのために、目の下にカジョル(黒墨)をつけて人の妬みをかわない様に厄除けにします。子供の食べっぷりを誉めてもいけません。赤ちゃんなどが、よく食べますねといわれると病気になるともいわれています。しかし、親ならばわがこを誉められて、悪い気はしないのでこの言い伝えについてはあまり神経質になることはありませんが。

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