[2265] 繁栄の中の貧困
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- 日時: 2015/04/30 12:59
- 名前: 天橋立の愚痴人間
ID:j2JD5PyM
- 「繁栄の中の貧困」と言う概念は、一見、常識的な認識と思いますが、意外にも、その言葉を使った書籍、論文はあまり多く見当たりません。
実は「繁栄」と「貧困」は反意語でもなく、その関係を認識するには微妙は方程式を考えねばならないのです。 念の為に語源的意味を確認しておきましょう。
「繁栄」
豊かにさかえること。さかえて発展すること。 使用例 「社会繁栄する」「子孫が繁栄する」 反意語としては「衰退」が考えられます。
「貧困」
主に経済的な理由によって生活が苦しくなり、必要最低限の暮らしもおぼつかない様子をいう。 面白い分析に、ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・センの、貧困を「潜在能力を実現する権利の剥奪」と定義があります。 貧困の概念を固定的、静的に捉えているのではなく、後で、説明しますが、この方法こそが実際に貧困問題を捉えるのに有効であると思います。 反意語としては「富裕」が考えられます。 また「貧困」と言う言葉で表現する事のうちに、絶対的貧困と相対的貧困の問題(格差)があることも考えねばなりません。
「繁栄の中の貧困」を取り扱う言葉として
「アメリカの繁栄と落ちこぼれたもう一つのアメリカ」と言うものがあります。 その意味は言わずともお解りと思います。
また、 「貧困撲滅と繁栄の共有の促進のために必要なことは何か?」と言う言葉で、次のような問題提起をしています。 世界銀行は、2030年までに極度の貧困層を世界人口の3%以下まで低減する「極度の貧困の撲滅」と、各国の下から40%の人々の収入を増大する「繁栄の共有の促進」の2つの目標を業務の指針として掲げています。貧困削減は過去数十年にわたり世界銀行のミッションの核をなすものですが、今回は目標と達成期限を定めるとともに、全ての人々による成長の共有を目標として初めて掲げました。
2015年2月27日、アナ・レヴェンガ 世界銀行 貧困グローバル・プラクティス シニア・ディレクターの来日の機会にあたり、セミナー「貧困撲滅と繁栄の共有の促進のために必要なことは何か?」を開催しました。本セミナーでは、2つの目標の達成に向けて、同グローバル・プラクティスが途上国政府に対して提供する政策助言とそのモニタリング・評価、キャパシティ構築、データ収集・分析、経験共有などの取り組みをご紹介しました。
前置きは、これくらいとしまして、私自身の考えを進めたいと思います。
初めに「繁栄」と言う言葉ですが、これが実は不確定要素に包まれ、何を、どの状態を繁栄とするか、使う場合によって異なる概念となります。
先に紹介しました、世界銀行が言っている繁栄とは、現代に置ける経済的現状を数値として分析しています。 そうして繁栄の仕方によって、貧困の比率を改善できると言う考え方です。 言葉としては成立していても、実際にその様な方程式があるか、否かは別の問題ですが。
もうひとつの認識は、歴史的、文化的な領域での繁栄です。 これは、末世思想が広まる時代でない限り人類社会は繁栄を続けていること になります。
その考え方からすると、人間の絶対的貧困は時代と共に改善され続けているのです。 ただ、全体の繁栄が大きく、その為に、その差(相対的貧困の問題)が顕著になっていると言う問題(格差の問題)として浮かび上がっていると言うことです。
いずれにしても「繁栄」は人類にとって何時でも「善」の形で存在してきました。 その考え方も決して否定はできず、するべきではありませんが、現代社会が直面している貧困の問題に向かい合う場合、従来のような捉え方では解決出来ないと思います。 要するに「繁栄」と「貧困」の概念は決して反意語ではないことをしっかりと認識し、その上で、両者を関連付ける何かを探さねばなりません。
それを、このスレッドでやってみたく思います。

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