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[3009] 原子力発電の実態
日時: 2018/06/17 00:14
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:cGtejPbo

福島原発事故以来7年が経ちます。
のどもと過ぎれば何とやらで、最近は原発再稼働についても気持ちが緩み、どんどんと再稼働を許しています。

もう少し原発の実態を、こころして認識しなければなりません。
ウラン燃料を使う発電は発電の為の経費が大変安く、この以上ない発電方式とされ、安価な電力を得るためのエースと考え、世界中が受け入れてきました。
世界で443基の原発が稼働しています。
アメリカが一番多く、99基
フランスが 58基で続き
日本は42基(51基)で3番目の原発大国です。

ところで安価と言われた原発ですが、福島の事故処理には何兆円いるか解りません。
また40年くらいで耐用年数が切れる原発の廃炉にも10兆円くらい必要です。
使用済み核燃料の処理も、未だに決まっていません。
何十万年も隔離しなければならない廃棄物の保管など、幾らの経費がかかるか解りません。

福島の様に事故でも起こせば大変です。
原子力発電は決して安価な発電方式ではなかったのです。

原発事故の影響は、チェルノブイリ、福島の例でも大変なもので復旧は不可能は不可能とも言えるでしょう。
具体的な被害、被害予測は後にして、まず今までの原発事故の概要を見てみましょう。

原発事故については、国際原子力事象評価尺度(INES))が、原子力事故・故障の評価の尺度を決めています。
それによると、


■レベル7→深刻な事故
(事業所外への影響)
放射性物質の重大な外部放出:ヨウ素131等価で数万テラベクレル以上の放射性物質の外部放出
(事業所)
原子炉や放射性物質障壁が壊滅、再建不能
(事故の例)
チェルノブイリ原子力発電所事故(1986年)
福島第一原子力発電所事故(暫定[3]、2011年)

■レベル6→大事故
(事業所外への影響)
放射性物質のかなりの外部放出:ヨウ素131等価で数千から数万テラベクレル相当の放射性物質の外部放出
(事業所)
原子炉の炉心や放射性物質障壁の重大な損傷
(事故の例)
フォールズSL-1炉爆発事故(1961年)
東海村JCO臨界事故(1999年)
フルーリュス放射性物質研究所ガス漏れ事故(2008年)等

■レベル5→事業所外へリスクを伴う事故
(事業所外への影響)
放射性物質の限定的な外部放出:ヨウ素131等価で数百から数千テラベクレル相当の放射性物質の外部放出
(事業所)
原子炉の炉心や放射性物質障壁の重大な損傷
(事故の例)
チョーク・リバー研究所原子炉爆発事故(1952年)
ウィンズケール原子炉火災事故(1957年)
スリーマイル島原子力発電所事故(1979年)
ゴイアニア被曝事故(1987年)

■レベル4→事業所外へは大きなリスクを伴わない事故
(事業所外への影響)
放射性物質の少量の外部放出:法定限度を超える程度(数ミリシーベルト)の公衆被曝
(事業所)
原子炉の炉心や放射性物質障壁のかなりの損傷/従業員の致死量被曝
(事故の例)
フォールズSL-1炉爆発事故(1961年)
東海村JCO臨界事故(1999年)
フルーリュス放射性物質研究所ガス漏れ事故(2008年)等

■レベル3→重大な異常事象
(事業所外への影響)
放射性物質の極めて少量の外部放出:法定限度の10分の1を超える程度(10分の数ミリシーベルト)の公衆被曝
(事業所)
重大な放射性物質による汚染/急性の放射線障害を生じる従業員被曝
(事故の例)
動燃東海事業所火災 爆発事故(1997年)
東北地方太平洋沖地震によって福島第二原子力発電所で起こったトラブル(暫定[4]2011年)

■レベル2→異常事象
(事業所外への影響)
特に無し
(事業所)
かなりの放射性物質による汚染/法定の年間線量当量限度を超える従業員被曝
(事故の例)
関西電力美浜発電所2号機・蒸気発生器伝熱管損傷(1991年)等

■レベル1→逸脱
(事業所外への影響)
特に無し
(事業所)
特に無し
(事故の例)
「もんじゅ」ナトリウム漏 洩(1995年)
関西電力美浜発電所3号機・2次冷却水配管蒸気噴出(2004年)等

福島もそうですが、メルトダウン(炉心溶融)となる事故は、今までに5回起きています。

1966年 フェルミ1号炉事故(アメリカ合衆国)
1969年 リュサン原子力発電所事故(スイス)
1979年 スリーマイル島原子力発電所事故(アメリカ合衆国)
1986年 チェルノブイリ原子力発電所事故(ソビエト連邦、現・ウクライナ)
2011年 福島第一原子力発電所事故(日本)

このうち、チェルノブイリと福島がレベル7の事故と規定されています。

その他に主な原発事故として次のものがあります。

1940年代
1945年8月21日 デーモン・コア事故(アメリカ合衆国ニューメキシコ州ロスアラモス)
1946年5月21日 デーモン・コア事故(アメリカ合衆国ニューメキシコ州ロスアラモス)
1950年代
1952年12月12日 チョーク・リバー研究所、原子炉爆発事故(カナダ、オンタリオ州)/INESレベル5
1958年5月24日 チョーク・リバー研究所、燃料損傷(カナダ、オンタリオ州)/INESレベル?
1957年9月29日 ウラル核惨事(ソ連、現ロシア)/INESレベル6
1957年10月7日 ウィンズケール原子炉火災事故(イギリス)/INESレベル5 - ウィンズケール施設は現在のセラフィールド施設
1958年10月25日 臨界暴走、人員の被ばく(ユーゴスラビア(現セルビア)、ヴィニツァ)/INESレベル?
1958年12月30日 ロスアラモス臨界事故(アメリカ合衆国ニューメキシコ州)/INESレベル?
1959年7月26日 サンタスザーナ野外実験所、部分的炉心溶融(アメリカ合衆国カリフォルニア州)/INESレベル?
1960年代
1960年4月3日 ウェスチングハウス社実験炉、炉心溶融(アメリカ合衆国ペンシルベニア州)/INESレベル?
1961年1月3日 SL-1爆発事故/INESレベル4
1964年7月24日 ウッドリバー臨界事故(アメリカ合衆国ロードアイランド州)/INESレベル?
1966年10月5日 エンリコ・フェルミ炉炉心溶融(アメリカ合衆国ミシガン州)/INESレベル?
1966-1967年冬(日付不詳) ソ連初の原子力砕氷船レーニン、冷却材喪失事故(場所不詳)/INESレベル?
1967年5月 チャペルクロス原子力発電所、部分的炉心溶融(スコットランド)/INESレベル?
1969年1月21日 実験炉の爆発事故(スイス、ヴォー州)/INESレベル?
1970年代
1975年12月7日 グライフスヴァルト発電所1号機の火災(東ドイツ、現ドイツ)/INESレベル3
1977年2月22日 ボフニチェ発電所(en:Bohunice Nuclear Power Plant)A1炉の燃料溶融事故(チェコスロバキア、現スロバキア)/INESレベル4
1979年3月28日 スリーマイル島原子力発電所事故(アメリカ合衆国ペンシルベニア州)/INESレベル5
1980年代
1980年3月13日 サン=ローラン=デ=ゾー原子力発電所2号機の燃料溶融、放射性物質漏洩事故(フランス、オルレアン)/INESレベル4
1981年3月 敦賀原子力発電所(福井県)、放射性物質を日本海に放出、作業員超過被曝/INESレベル2
1983年9月23日 臨界事故(アルゼンチン、ブエノスアイレス)/INESレベル4
1986年4月26日 チェルノブイリ原子力発電所事故(ウクライナ)/INESレベル7
1986年5月4日 en:THTR-300燃料損傷事故(西ドイツ、現ドイツHamm-Uentrop)/INESレベル?
1987年9月 ゴイアニア被曝事故(ブラジル)/INESレベル5
1989年10月19日 バンデリョス原子力発電所、タービン火災(スペイン)/INESレベル3
1990年代
1991年2月9日 美浜発電所2号機蒸気発生器伝熱細管破断/INESレベル2
1991年4月4日 浜岡原子力発電所3号機原子炉給水量減少/INESレベル2
1993年4月6日 セヴェルスク(トムスク-7)、爆発事故(ロシア連邦トムスク州)/INESレベル4
1995年12月8日 もんじゅナトリウム漏洩火災事故/INESレベル1
1997年3月11日 動燃東海事業所火災爆発事故/INESレベル3
1999年6月18日 志賀原子力発電所1号機、臨界事故/INESレベル2
1999年9月30日 東海村JCO臨界事故/INESレベル4
2000年代
2003年4月10日 パクシュ原子力発電所、燃料損傷(ハンガリー)/INESレベル3
2004年8月9日 関西電力美浜原子力発電所3号機・2次冷却水配管蒸気噴出/INESレベル1[1]
2005年4月19日 セラフィールド再処理施設、放射性物質漏洩(イギリス)/INESレベル3
2005年11月 ブレイドウッド原子力施設(en:Braidwood Nuclear Generating Station)での放射性物質漏洩(アメリカ合衆国イリノイ州)/INESレベル?
2006年3月6日 アーウィン(アメリカ合衆国テネシー州)での放射性物質漏洩/INESレベル2
2006年3月11日 フルーリュス放射性物質研究所ガス漏れ事故(ベルギー)/INESレベル4
2010年代
2011年3月11日 福島第一原子力発電所事故/INESレベル7
2011年3月11日 福島第二原子力発電所冷却機能一時喪失/INESレベル3
2011年3月18日 東海第二発電所非常用ディーゼル発電機用海水ポンプの自動停止/INESレベル1
2011年3月29日 女川原子力発電所原子炉補機冷却水ポンプ等の故障/INESレベル2[2]
2012年2月6日 カットノン原子力発電所欠陥建築(フランス)/INESレベル2[3]
2012年2月9日 古里原子力発電所全電源喪失(韓国)/INESレベル2[4]
2012年9月6日 東海再処理施設冷却機能一時喪失/INESレベル1[5]
2013年5月23日 J-PARC放射性同位体漏洩事故/INESレベル1[6]
2017年6月6日 日本原子力研究開発機構大洗研究開発センター被曝事故/INESレベル2(暫定評価)

この様に原発事故はかなり多く起きていて決して絶対安全なものとは言えません。


ここでメルトダウンした事故の様子を説明しましょう。

>フェルミ1号基事故(アメリカ)

1966年10月5日に、炉心溶融を起こした。事故の原因は炉内の流路に張り付けた耐熱板が剥がれて冷却材の流路を閉塞したためである。原子炉の炉心溶融事故が実際に発生した最初の例とされている。

また、蒸気発生器では伝熱管破損および溶接不良によるトラブルが発生した。

後に炉心融解事故について書かれたドキュメンタリーのタイトルは、『我々はデトロイトを失うところであった』。

>リュサン原子力発電所事故(スイス)

1969年1月21日 スイスのボー州リュサン(Lucens)の研究用ガス冷却地下原子炉での冷却材喪失事故で、炉心燃料が一部溶融、放射性物質が洞窟内に漏れた。その後地下水経由での環境中への放射性物質流出が続いている。


>スリーマイル島原子力発電所事故(アメリカ合衆国)

スリーマイル島原子力発電所事故(スリーマイルとうげんしりょくはつでんしょじこ、英: Three Mile Island accident)は、1979年3月28日、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で発生した重大な原子力事故。スリーマイル島 (Three Mile Island) の頭文字をとってTMI事故とも略称される。原子炉冷却材喪失事故 (Loss Of Coolant Accident, LOCA) に分類され、想定された事故の規模を上回る過酷事故 (Severe Accident) である。国際原子力事象評価尺度 (INES) においてレベル5の事例である。


2次系の脱塩塔のイオン交換樹脂を再生するために移送する作業が続けられていたが、この移送鞄管に樹脂が詰まり、作業は難航していた。この時に、樹脂移送用の水が、弁等を制御する計装用空気系に混入したために、異常を検知した脱塩塔出入口の弁が閉じ、この結果主給水ポンプが停止し、ほとんど同時にタービンが停止した。 二次冷却水の給水ポンプが止まったため、蒸気発生器への二次冷却水の供給が行われず、除熱が出来ないことになり、一次冷却系を含む炉心の圧力が上昇し加圧器逃し安全弁が開いた。

このとき弁が開いたまま固着し圧力が下がってもなお弁が開いたままとなり、蒸気の形で大量の原子炉冷却材が失われていった。加圧器逃し安全弁が熱により開いたまま固着してしまったのである。原子炉は自動的にスクラム(緊急時に制御棒を炉心に全部入れ、核反応を停止させる)し非常用炉心冷却装置 (ECCS) が動作したが、すでに原子炉内の圧力が低下していて冷却水が沸騰しておりボイド(蒸気泡)が水位計に流入して指示を押し上げたため加圧器水位計が正しい水位を示さなかった。このため運転員が冷却水過剰と誤判断し、非常用炉心冷却装置は手動で停止されてしまう。

このあと一次系の給水ポンプも停止されてしまったため、結局2時間20分開いたままになっていた安全弁から500トンの冷却水が流出し、炉心上部3分の2が蒸気中にむき出しとなり、崩壊熱によって燃料棒が破損した。このため周辺住民の大規模避難が行われた。運転員による給水回復措置が取られ、事故は終息した。

結局、炉心溶融(メルトダウン)で、燃料の45%、62トンが溶融し、うち20トンが原子炉圧力容器の底に溜まった[1]。 給水回復の急激な冷却によって、炉心溶解が予想より大きかったとされている。

周辺地域への影響
放出された放射性物質は希ガス(ヘリウム、アルゴン、キセノン等)が大半で約92.5 PBq(250万キュリー)。ヨウ素は約555GBq(15キュリー)に過ぎない。セシウムは放出されなかった。周辺住民の被曝は0.01 - 1mSv程度とされる(後述)。この被害は1957年に起きたイギリスのウィンズケール原子炉火災事故に次ぐ。

人体への影響
米国原子力学会は、公式発表された放出値を用いて、「発電所から10マイル以内に住む住民の平均被曝量は8ミリレムであり、個人単位でも100ミリレムを超える者はいない。8ミリレムは胸部X線検査とほぼ同じで、100ミリレムは米国民が1年で受ける平均自然放射線量のおよそ三分の一だ」としている(1ミリレムは0.01mSv)。

放射性降下物による健康への影響に関する初期の科学的文献は、こうした放出値に基づいて、発電所の周辺10マイルの地域におけるガンによる死者の増加数は1人か2人と推定している[6][信頼性要検証]。10マイル圏外の死亡率が調査されたことはない[6]。1980年代になると、健康被害に関する伝聞報告に基づいて地元での運動が活発化し、科学的調査への委託につながったが、一連の調査によって事故が健康に有意な影響を与えたという結論は出なかった。


(続く)
メンテ

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福島原発事故 ( No.2 )
日時: 2018/06/17 00:44
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:cGtejPbo

さて、今度は福島原発事故について見てみましょう。

福島第一原子力発電所事故

結果 国際原子力事象評価尺度 (INES) レベル7(4月12日時点の原子力安全・保安院による暫定評価)
死者 地震・津波による死者 2人(4号機タービン建屋内)
その他の死者 2人
被曝の可能性
従業員 30人(100 mSvを超過した人数)
住民 88人(除染を実施した人数)
となっている。


福島第一原子力発電所事故(ふくしまだいいちげんしりょくはつでんしょじこ)は、2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震による地震動と津波の影響により、東京電力の福島第一原子力発電所で発生した炉心溶融(メルトダウン)など一連の放射性物質の放出を伴った原子力事故である。国際原子力事象評価尺度 (INES) において最悪のレベル7(深刻な事故)に分類される。2015年(平成27年)3月現在、炉内燃料のほぼ全量が溶解している。

2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震発生当時、福島第一原子力発電所(以下「原子力発電所」は「原発」と略す)では1〜3号機が運転中で、4号機〜6号機は定期検査中だった。1〜3号機の各原子炉は地震で自動停止。地震による停電で外部電源を失ったが[6]、非常用ディーゼル発電機が起動した。

ところが地震の約50分後、遡上高14 m - 15 m(コンピュータ解析では、高さ13.1 m) の津波が発電所を襲い、地下に設置されていた非常用ディーゼル発電機が海水に浸かって機能喪失。さらに電気設備、ポンプ、燃料タンク、非常用バッテリーなど多数の設備が損傷し、または流出で失ったため[8]、全電源喪失(ステーション・ブラックアウト、略称:SBO)に陥った。このため、ポンプを稼働できなくなり、原子炉内部や核燃料プールへの注水が不可能となり、核燃料の冷却ができなくなった。核燃料は運転停止後も膨大な崩壊熱を発するため、注水し続けなければ原子炉内が空焚きとなり、核燃料が自らの熱で溶け出す。

実際、1・2・3号機ともに、核燃料収納被覆管の溶融によって核燃料ペレットが原子炉圧力容器(圧力容器)の底に落ちる炉心溶融(メルトダウン)が起き、溶融した燃料集合体の高熱で、圧力容器の底に穴が開いたか、または制御棒挿入部の穴およびシールが溶解損傷して隙間ができたことで、溶融燃料の一部が圧力容器の外側にある原子炉格納容器(格納容器)に漏れ出した(メルトスルー)。また、燃料の高熱そのものや、格納容器内の水蒸気や水素などによる圧力の急上昇などが原因となり、一部の原子炉では格納容器の一部が損傷に至ったとみられ、うち1号機は圧力容器の配管部が損傷したとみられている。

また、1〜3号機ともメルトダウンの影響で、水素が大量発生し、原子炉建屋、タービン建屋各内部に水素ガスが充満。1・3・4号機はガス爆発を起こして原子炉建屋、タービン建屋および周辺施設が大破した(4号機は定期検査中だったが、3号機から給電停止と共に開放状態であった、非常用ガス処理系配管を通じて充満した可能性が高い。

格納容器内の圧力を下げるために行われた排気操作(ベント)や、水素爆発、格納容器の破損、配管の繋ぎ目からの蒸気漏れ、冷却水漏れなどにより、大気中・土壌・海洋・地下水へ、大量の放射性物質が放出された。複数の原子炉(1,2,3号機)が連鎖的に炉心溶融、複数の原子炉建屋(1,3,4号機)のオペレーションフロアで水素爆発が発生し、大量に放射性物質を放出するという、史上例を見ない大規模な原発事故となった。

事故により、大気中に放出された放射性物質の量は、諸説あるが、東京電力の推計によるとヨウ素換算値で約90京ベクレル (Bq) で、チェルノブイリ原子力発電所事故での放出量520京Bqの約6分の1に当たる[16][17]。東京電力は、2011年8月時点で、半月分の平均放出量は2億 Bq (0.0002TBq) 程度と発表している[18]。また空間放射線量が年間5ミリシーベルト (mSv) 以上の地域は約1800km2、年間20mSv以上の地域は約500km2の範囲に及んだ[17]。

日本国政府は、福島第一原発から半径 20 km圏内を警戒区域、20km以遠の放射線量の高い地域を「計画的避難区域」として避難対象地域に指定し、10万人以上の住民が避難した。2012年4月以降、放射線量に応じて避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域に再編され、帰還困難区域では立ち入りが原則禁止されている。2014年4月以降、一部地域で徐々に避難指示が解除されているが、帰還困難区域での解除は、事故発生から10年後の2021年以降となる見通しである。

1号機における事故の進展

1号機では、3月11日14時46分の地震発生後、14時52分に原子炉を冷却する非常用復水器が起動したが、急激な圧力低下を緩和するため(圧力容器の破損を避けるため)作業員は手動での操作(起動・停止を繰り返し)に切り替えた。その操作中の15時半頃、津波に襲われ、15時50分に非常用電池が水没して遮断状態のまま非常用復水器が使用不能になり、同時に計器、動弁電源も失われた。東京電力は、17時に電源車を出動させたが渋滞で動けず、18時20分に東北電力に電源車の出動を要請したが、到着は22時で、津波の被害・電圧不一致もあって、翌3月12日15時まで接続できなかった。

一方11日19時30分に1号機の燃料は蒸発による水位低下で全露出して炉心溶融が始まり、20時50分から動かしていたディーゼル駆動消火ポンプも翌12日1時48分に機能停止[36]、翌12日明方6時頃には全燃料がメルトダウンに至ったとみられる[37]。1号機は上記の経緯で、地震発生後5時間で燃料が露出したとみられ、15時間ほどで炉心溶融したと思われる。

東京電力は11日夕方から夜にかけて、非常用復水器が停止していることを認識せず、注水が行われているとみていた(後述)。ところが11日23時頃から1号機原子炉内圧力の異常な上昇を検知し、格納容器内部圧力は設計強度の1.5倍にも達したため、3月12日0時6分頃、第一原発所長の吉田昌郎は、ベントの準備をするよう指示した。

経済産業大臣海江田万里も3月12日早朝、大量の放射性物質が大気中に放出される虞、また水素爆発低減用に充填されている窒素も抜けてしまう虞は承知の上で、ベント実施を命令し、内閣総理大臣菅直人も第一原発を訪れて、ベントを急ぐように指示した。東京電力は12日9時頃にウェットベント作業を開始。しかし、操作マニュアルの不備や、高濃度の放射線に現場が汚染されたことでベントの作業は難航し、14時30分にようやくベント成功を確認した 。

その1時間後の3月12日15時36分、1号機の原子炉建屋は水素爆発を起こして大破した。この瞬間の様子は福島中央テレビが唯一撮影に成功し、世界に知れ渡った。1号機は火炎を視認できない透明な爆発と同時に地面を這うような白煙が広がった。水素爆発の原因は、圧力容器が損傷したことで原子炉建屋内に水素が充満していたか、あるいはベントにより排出された多量の水素を含む水蒸気が、原子炉建屋のオペレーションフロアに流れ込んだためと諸説ある。

水素爆発でまき散らされた瓦礫等により、負傷者が出るとともに、完成間近だった2号機への注水用ポンプケーブル敷設作業が、振り出しに戻ってしまった。また、爆風によって2号機建屋のブローアウトパネルが脱落、原子炉建屋内部が外気に通じた。

3号機における事故の進展

バッテリーが生きていた3号機でも、隔離時注水系 (RCIC) による注水が、3月12日11時36分に停止。約1時間後の12時35分には高圧注水系 (HPCI) が、RCIC停止を感知して入れ替わり起動し、その後14時間ほど稼働し続けた。しかし高圧注水をいつまでも続けることはできず、13日2時42分、HPCIを手動で停止。ディーゼル稼働消火ポンプでの注水に切り替えようと、主蒸気逃し安全弁(SR弁)を開いて原子炉内の圧力を下げようとした。ところがSR弁が開かず、注水が約7時間中断してしまった。

このため、3月13日4時15分に、炉心の露出が始まった[48]。8時41分にベントに成功し、その1時間後までにディーゼル稼動消火ポンプと消防車によって注水も再開できたが、12時20分、注水用の水が無くなり注水が停止[48]。13時12分に海水注入に切り替えたが、十分に水位が上がらず炉心の露出が続いた。2014年8月6日に東京電力が発表した再解析の結果によると、すでに3月13日午前5時半頃から、3号機の炉心溶融が始まり、3月14日7時頃には、燃料の大部分が圧力容器の底を突き破って、格納容器へ溶け落ちたとみられる[49][50][51]。

3月14日11時1分、原子炉建屋のオペレーションフロアから上が、1号機と同じように水素爆発し大破した(保管燃料由来の水素爆発とされている[要出典])。一瞬の透明な爆発の直後、燃料プール付近で一瞬の赤い炎が発生し、爆発煙が上がった。大量の瓦礫が高度数100mまで巻き上げられ7人が負傷し、復旧作業も中断した。その後数日間、3号機建屋からは何度も煙が上がった。核燃料を貯蔵する燃料プールが沸騰していると推測され、3月17日からは、自衛隊がヘリコプターと消防車で燃料プールを目掛けて放水を行った。

2号機における事故の進展

2号機では、全電源喪失2分前の11日15時39分に隔離時冷却系 (RCIC) を手動で起動していて、その後3日間も持ちこたえた。RCICの起動には直流電源が必要で、もし電源喪失前に起動していなければ、すぐに冷却機能を失い炉心損傷へと急転していた可能性が高い。

RCICによる注水は14日13時25分に停止。19時過ぎから格納容器ドライウェル圧力が上昇し、21時頃には圧力容器圧力とドライウェル圧力がほぼ同じになったことから、圧力容器が破損したものと推定される[53]。水素も発生したと考えられるが、ブローアウトパネル脱落により建屋に開いた穴から放出されたため水素爆発には至らなかった。東電はウェットベントとドライベントを試みたがすべて失敗し、このままでは圧力容器の破壊というこれまでよりも桁違いに深刻な事態に陥ることを恐れて現場は緊迫した空気に包まれた。東電は作業員の安全のため政府に第一原発からの撤退を申し入れたが、政府側はこれを「全面撤退」の意味で受け取り、拒否した(詳細は#東京電力の全面撤退をめぐる報道を参照)。格納容器圧力は600〜700kPa(設計強度の約1.5倍)の高圧を7時間以上にわたって維持した。

15日6時14分頃、大きな衝撃音が発生し、同時に圧力抑制室の圧力計が0を示した[54]。圧力抑制室が破損した可能性があると判断した現場は、最小限の要員を残して第一原発から退避した。しかし、実際にはこれは圧力計の故障と推定されている。この衝撃音は、同時間帯に起きた4号機水素爆発のものと考えられる[56]。東電による地震計の解析によれば、衝撃音発生の正確な時刻は6時12分、場所は4号機からで、同時間帯に発生した衝撃はこの1回だけだった[57]。しかしながら、このとき2号機圧力抑制室が破損したとの見方もある[53]。

格納容器内圧力は15日7時25分にはまだ730kPaという高い値だったが、次に監視員が戻ってきて11時25分に確認した際には155kPaまで低下していたため、この間に格納容器に破損が生じたと考えられる[58][59]。事故で放出された放射性物質は、15日に2号機から放出されたものが最も多かったと推定されている。1・3号機ではウェットベントに成功したが、2号機ではベントに失敗し格納容器から直接放射性物質が放出されたためとみられる[60]。しかし、吉田所長らが恐れていた原子炉の決定的な破壊にまでは至らず、最悪の事態は回避された(詳細は#最悪のシナリオを参照)。この日放出された大量の放射性物質は、初めは南向きの風に乗って関東地方へ拡散したが、北西への風に変わった夕方に降り出した雨で土壌に降下し、原発から北西方向へ延びる帯状の高濃度汚染域を作り出した。

4号機の水素爆発

15日6時14分頃、大きな衝撃音と振動が発生し、その後4号機原子炉建屋の損傷が確認された。4号機建屋は水素爆発を起こしたと考えられるが、1・3号機と違って爆発時の映像が残っていない。4号機は炉心定期点検中で、炉に燃料は装荷されていなかったが、3号機と4号機は原子炉建屋から排気筒への配管が共通のため、3号機建屋の水素が4号機建屋へ漏れたことで爆発が発生したと推定されている。なお4号機建屋に3号機建屋からの水素ガスが漏れてきた原因は、電源喪失に伴う切替弁の作動停止によるものと思われている。仕様として、1号機・2号機、3号機・4号機というふうに隣接同士で原子炉建屋の排気筒を共有する設計が問題であると指摘されている。水素爆発によって4号機の使用済燃料プールがむき出しになり、プールの冷却水喪失による核燃料の過熱が恐れられたが、実際には水が残っていて核燃料の冠水が継続していた。15日9時38分、建屋内で火災を確認したが、11時までに自然に鎮火した。16日5時45分頃に再び火災の連絡があったが、6時15分には現場に火は無かった。隣接する3号機建屋付近の放射線量が極めて高かったため、現場の確認さえ困難になっていた。

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