[3357] 40年前の日本の政治<大平正芳を語る
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- 日時: 2020/07/11 13:09
- 名前: 天橋立の愚痴人間
ID:3SQDi4bg
- EUなど経済統合、格差の増大でギスギスしてきた至上主義経済社会。
思えば、半世紀前、どのような状況で、どのように現在に至ったかを検証してみたい。 大平正芳は。1978〜1980年にかけて大平内閣を組織していました。
「大平正芳の時代認識」
1993年10月00日 著者 公文俊平 より引用。
を紹介しながら検証したいと思います。 上記サイトの文章は一部省略しています。
> 一九七八年一二月七日、第六八代内閣総理大臣に就任した大平正芳は、翌年の一月二五日、第八七回国会で行った最初の施政方針演説の冒頭で、「まず私の時代認識と政治姿勢について申し上げます」とのべて、 "文化の時代の到来" と "地球社会の時代" を、その "時代認識" の二本の柱とした。総理大臣の就任最初の施政方針演説で、 "時代認識" という言葉がもちいられたのは、この時をもって嚆矢とする。
もともと、 "時代認識" という言葉は、それほど古くからあった言葉ではない。長年、宏池会のライターとして活躍してきた福島正光氏によれば、この言葉は、戦前広くもちいられていた "時局認識" という言葉の戦後版だという。戦後、それがいわば装いを新たにした形でジャーナリズムの一部でもちいられはじめていたものを、宏池会の政策文書などの中に次第にとりいれていったのだそうだ。しかし、この言葉は、いまだに広辞苑にも収録されていないし、私の調べたかぎりでの和英辞典にも見あたらない。その意味では、まだ日本語として完全に熟しているとはいえないのかもしれないが、次第に一般に普及するようになってきていることも事実である。
(中略)
より最近の例としては、「日本の政治を代表してきた自民、社会両党にそうしたグローバルな時代認識があるだろうか」(九二年七月) 、「社会党が田辺氏の辞任を契機に、時代認識をもって政権政党に脱皮することを願っている」(九二年一二月) 、「このような時に、経団連会長は相も変わらず自民党に資金提供をすると言っている。時代認識の欠如もはなはだしい。」(九三年六月) 、「地球規模の "環境冷戦" が始まったという時代認識に立ち、共生への道を探る」(九三年七月) 、「おれはもう七十八歳だよ。この年の人間を引っ張り出そうなんて、時代認識が間違ってる」(九三年七月) 、「連立与党が将来、どのようになるのか、政党政治への時代認識を河野氏がただした」(九三年八月) 、「首相発言といえば、所信表明演説で "侵略行為" と強調した戦争への反省も、非常に好意的に受け取られていることが分かった。時代認識にも国民の共感がある」(九三年九月) 、など多くのものがあり、この言葉が次第に日常用語として定着しつつあることを伺わせる。施政方針演説については、「時代認識や国際情勢から始めて、次第に内政問題へ話を移していくという施政方針演説の常道」(九三年一月) といわれるまでになってきている。
これらの用例からみると、この "時代認識" (あるいは "時局認識" ) という言葉は、日本人が通有している世界観を端的にあらわしている "文化語" とでもいうべき言葉であることがわかる。すなわち、日本的世界観の特質のひとつは、外の世界が、ある大きな流れ−− "世界の大勢" −−にのってうごいているという信念をもっているところにある。しかも、この流れ自体は、黒潮が流れをかえるように、時に変化することがあって、それが "新時代" をもたらすのだが、われわれ日本人には、この時代の流れそのものをかえることはなかなかできない。われわれにできるのは、むしろ、その流れの方向や性質、とりわけそれらの変化を、なるべく速やかかつ的確に認識した上で−−つまり、正しい "時代認識" をもった上で−−それにあわせて自分自身のあり方や行動を変革することなのである。したがって、われわれの常に心がけるべきことは "変化への対応" (第二臨調がかかげた行政改革の第一理念)である。
これが、ルース・ベネディクトが『菊と刀』でしめした日本分析以来有名になった、日本人の、 "状況対応型倫理" 原則にほかならない。いいかえれば、この意味での "時代認識" の通有こそが、日本人を合意と行動にみちびく大前提なのである。そうだとすれば、日本の偉大な政治家の条件は、時代の変化に対する鋭敏な感覚をもち、他の人々にさきがけて、新しい時代認識とそれが含意する新しい対応行動を提示し、人々を説得できることだといってよかろう。他方、およそ日本の政治家たるものが最低限度もたなければならない資質は、すでに世間で広く通有されているものからかけはなれた、 "古い" 時代認識にいつまでもしがみついていないで、適当な時期に、新しい時代認識に乗りかえる機敏さと柔軟性をもっていることであろう。吉田茂は、戦後におけるこの意味での偉大な政治家の典型であった。
そして、後に検討するように、大平正芳もまた、その時代認識の新しさと的確さの両面において、日本の偉大な政治家の一人に数えられる条件をみたしている。しかも大平は、その施政方針演説を、みずからの時代認識をまず明示してみせることろから始めることによって、そのスタイルを後々の施政方針演説の "常道" にする先例を作ったという意味でも、注目に値する政治家だといわなければならない。
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著者は、ルース・ベネディクトが『菊と刀』を紹介して「日本の政治家の時代認識とは"状況対応型倫理" 原則にほかならない」と喝破している。
勿論、時代認識とは現実の把握がしっかりとできることが条件である。また的確に時代の要請を認識できてこそ、それに立脚する将来の指針を得ることが出来るのである。
明治維新以来、池田内閣までは欧米に追いつけ追い越せが明確な目標であり、各内閣は時代認識にも施政方針でも妥当な線を容易に保持することが出来ていた。 ベネディクトの状況対応型文化と揶揄されながらでも。
ここでは、大平正芳における時代認識と最後に現代の政治家の時代認識について検証することにする。
続く。

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