Re: 小沢一郎の政策 ( No.1 ) |
- 日時: 2011/08/09 02:26
- 名前: グッキー ID:TfbE4OjQ
- こんな政策には何の理念も無い。
子供手当て、子供のいる家庭にお金を配れば人気が出そうというだけのこと。 高速道路無料化、通行料金で道路を造るのと、税金で造るのとの違いだけ。 料金所が無くなる違いだけで、何か良くなるとは思えないけどね。 通行料金がなくなることによる税の増収効果を期待しているみたいだけど、国の支出以上に税収の上がった例は無い。
行政改革なんて、何十年政治家をしているのか。したことも言ったことも見たことが無い。 たぶん、現実対応型の政治家。目先の現実に対応するには優れているかも知れない。 菅よりは実行力、決断に優れていそうだからマシということ。
小沢待望論なんて、何がなんだか分からない。 思想、理念が有り、それに基ずく政策に共鳴して期待するのなら分かるんだけど、そういうものはまったく感じられない。
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Re: 小沢一郎の政策 ( No.2 ) |
- 日時: 2011/08/09 14:28
- 名前: 天橋立の愚痴人間
- グッキーさん、
私も小沢フアンであったし、今もフアンであるとも言えます。 しかし冷静に考えてみると、
>小沢待望論なんて、何がなんだか分からない。 思想、理念が有り、それに基ずく政策に共鳴して期待するのなら分かるんだけど、そういうものはまったく感じられない。
このとおりですね。 今までもそれは判りながら、政治の世界で多くの人間を引っ張って行くための深慮遠謀の上に明確にしてないものと勝手に解釈していました。
ところが最近の民主党の抗争、特に菅内閣不信任案をめぐる騒動に関しては、この様な理念自身の問題ではなく、理念を持つものなら、当然あってしかるべき対応が出来てないことを悟り、急激に小沢への熱が冷めてしまいました。
小沢の大元は、自由経済論者であり「小さな政府」を目指していると思います。 このことに関してはグッキーさんと私では考え方の違いもあるとは思いますが、私は市場主義経済のシステムそのものの修正を言っているものですので小沢を容認することは出来ません。
小沢のやりようでは対症療法は出来ても根源的な病根を除去できません。 そういう政治家をデモまでして支える気持ちは失せてしまいました。
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日本改造計画 ( No.3 ) |
- 日時: 2011/08/10 02:10
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:35XLgTfw
- 目次
まえがき
【第1部】 いま、政治の改革を
無責任国家からの脱却 迷惑な「指導力の欠如」 このままでは「いつか来た道」 権力をめぐる競争を
大久保、伊藤、原、吉田に学ぶ 明確な使命感 権力を行使しない危険
何が国民の利益か 湾岸戦争「負」の遺産 政府は「企業弁護士」か 何も決められない政府
首相官邸の機能を強化 補佐官制度を導入 あくまでも首相が中心 総合調整機能の充実を
与党と内閣の一体化 官僚が決定権者か 160人の議員が政府に 官庁も政治家主導で
なぜ小選挙区制がいいか 「四位一体」の改革 政治にダイナミズムを 一億二千万人の目で政治資金を監視 政党による政策の選挙 議員は国会で国会の仕事を
全国を300の「市」に 地方分権基本法を制定 身近なことはすべて地方で 権限も財源も移す
生かされていない官僚の頭脳 危機管理体制の構築 国の基本政策を考える 生かし合う中央と地方
【第2部】 普通の国になれ
日本の責任と役割 「普通の国」とは何か 平和と自由のコスト 誤解されている「吉田ドクトリン」
平和創出戦略への転換 「ノーブレス・オブリージュ」 日米を基軸に平和維持 自衛隊を再編成する 日本国憲法と平和活動
国連中心主義の実践 新時代の創業者 核の国連管理 国連待機軍をつくれ
保護主義のワナから救え 「ひとり勝ちの悪役」 自ら積極的に市場開放 欧米とアジアを橋渡し 「世界貿易機構」をつくる
「アジア・太平洋閣僚会議」の常設 正確な歴史認識を 雁行型発展の拡大 日本外交5つの指針 多国間外交の展開
対外援助の積極的「使い方」 迫られる援助大国 外交戦略の一環として 十万人留学生の受け入れ 外国人労働者の技能研修制度の整備 環境保護のリーダーに
【第3部】 5つの自由を
ジャパニーズ・ドリーム 「日本人のようになりたくない」 きしみ始めた日本型社会 個人を大切にする社会を
東京からの自由 『痛勤』に3万時間も 一極集中にもう限界 都市に住宅、地方に雇用 住環境に大胆な投資を 遷都のすすめ
企業からの自由 会社は自由、個人は不自由に 高度成長型社会からの脱皮 個人に厳しい税の仕組み 所得税・住民税を半分に
長時間労働からの自由 自由な人生設計ができない日本人 時短が求められる3つの理由 1800時間を実現するために
年齢と性別からの自由 高齢者の能力を活用 高齢者の職場参加を進める 女性も選択が可能な社会を 主婦にも年金を満額支給
規制からの自由 実態に合わなくなった規制 管理型行政からルール型行政へ 企業も個人も自己責任で
真の自由の確立 民主主義は国民の自立から 主体性を持たせる教育 新・教師聖職論
『日本改造計画』の読書録 2009年6月に読破。 本書の第1版発行は1993年5月なのだが、 現在日本が抱えるタイムリーな問題も数多く、古さを感じさせない。 例えば、日本のリーダーシップについて 『大国になってしまった現在の日本は、主体的、総合的、長期的、機動的に首尾一貫した政策を立てることが世界に対する責任である。ところが、現実には受動的で部分的、短期的な政策しか立てられない。しかも、それですら、ギリギリまで決めることができない。』(17ページ抜粋) という記述があるのだが、これなどはまさに今の政治そのものではないだろうか。
権力 著者には権力へのこだわりを感じる。 特に、民主党に合流後「自分も変わる」として、それまでの豪腕ぶりを引っ込めてまで政治基盤の強化、政権交代を目指す姿からは目的としての権力志向を感じていたが、本書を読むと「明確な使命感」を実行あるものにするための「権力意思」であったことが理解できた。 注目すべきリーダーとして大久保利通、伊藤博文、原敬、吉田茂の4人を上げ、次のように語る。
『彼ら4人は、なぜ、批判を浴びながらも、このように権力基盤を強化したのか。日本の政治風土の中では、どれほど実行力のある個性的なリーダーでも、強力な権力基盤がなければ強いリーダーシップを発揮できないことを知っていたからだと私は思う。』(30ページ抜粋)
政治資金 政治資金についての国民の不信について 『しかし、政治家の側からすれば、現在の制度では自分の潔白を証明しようにも手だてがない。国民の不信が根強いだけに、ただ単に釈明するだけでは信じてもらえない。』(71ページ抜粋)
皮肉なことに、2009年の西松問題では、 著者自身が政治資金問題で矢面に立たされ、民主党党首を辞任するまでに至った。
本件は、同年の衆議院選挙を前に控え、民主党圧勝ムードがある中で起きた事件ということもあり様々な憶測を呼んだのだが、実際に与党議員との扱いの不公平さや、連日にわたる検察情報のたれ流し。不気味なほど執拗に反小沢氏的社説や特集を組む大新聞もあったことは事実である。法的にどうか、倫理的にどうか、検察や報道の姿勢・・・色々なものを投げかけられた事件であった。
なお、本書では、 『政治資金の出入りを一円に至るまで全面的に公開し、流れを完全に透明にすることである。』 『企業や団体による政治献金は政党に対してのみとし、政治家個人への献金は禁止してもいい』(72ページ抜粋) など国民の不信の解消のための具体的な案が記されている。このような案も今日的であるように思える。
関連外部リンク:小沢一郎(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
個人的には、政治家が政治活動をしていく上では、時には裏ルートから情報を入手、あるいはそのための交渉、駆け引きにおいて表に出せない資金がになることがあるのでは?と思うし、キーパーソン、海外要人等と会う、または人脈を築く時にも正規ルートではなく手土産的なものが必要となる場面もあるのでは?とも思う。そして、政治活動のスケールがダイナミックであればあるほどそのような資金なくしてスムーズな理念達成は難しいと思うのだがどうなのだろう?(資金の集め方ではなく、「政治家が資金を集めること自体が悪だ」ということについての私見)
消費税 『現在3%である消費税の税率を、欧州諸国と米国の中間の10%とするのである。それと同時に所得税・住民税を半分にする』(215ページ抜粋)
企業に掛かる税金と個人に掛かる税金の不公平、または外国の税制との日本の税制との所得税や消費税の高低差などから、税についての改革案が記されている。引き下げるべき税金がある一方、消費税については諸外国並みの10%とし、トータルで浮いた分は公共投資や国際関係の経費(ODA以外)に回す。試算では、1993年度予算ベースで消費税収入−各種減税=6兆円となっている。
冷戦前、冷戦後 本書には、アメリカ・国連とのかかわり方、外交のあり方など一般的にはあまり馴染みのない話も多く展開されている。決して軽々には読めず、それが正しいのかどうか私にはわからないが、少なくとも一つだけ意識しなければならない点は「東西冷戦」であることは確かであるように思う。
東西冷戦時代、日本は共産主義勢力の防波堤であった。そのため、アメリカは日本を重視し、一方日本は経済面にのみ力を注ぐことができ、それが経済繁栄、一定の平和をもたらした。しかし、逆にいえば経済面以外、平和へのコストを負担していれば、これだけの経済発展を成し遂げることができたであろうか?また、東西冷戦終結によりアメリカの日本への見方が変わる中、日本はこれまでと同じ姿勢であっても世界の中で平和と安定を維持できるのだろうか?
最後に、ハッとさせられた指摘を一つ。
『湾岸戦争以来、「国際貢献」という言葉が流行になっている感がある。しかしそれが、ひたすら外国のために奉仕すること、あるいは国際社会の付き合いやむなく協力することと認識されているとすれば、明らかに間違いだ。そうした認識にはどこか、日本の置かれた立場を忘れたおごりがつきまとう。国際貢献とは実は、日本が生き残るための活動に他ならない。国際社会のためでもあるが、日本のためでもある。』(103ページ抜粋)
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日本改造計画 2 ( No.4 ) |
- 日時: 2011/08/10 02:42
- 名前: 天橋立の愚痴人間
- 小沢一郎、及び小沢を支持する人たちがよりどころとしている「日本改造計画」である。
私は読んでいないし、読もうとも思っていない。 そもそも題名を見ただけでも、それが私が期待する内容でないことが予想されるのである。
今回、初めてネットで目次くらいの情報を得たが、予想通り、内容は我が国の本当の困難からは逃げて形式面だけの追及に終わっている。
殆どの項目が政治家としてのあり方をのべているのであり、これは至極当然の基本的なものである。
そのようなものを糾しても、現在の社会が直面している根本の問題が解決できる訳ではない。 小沢が言っている政治のありようなどは当然のことであり、その当然のことが現在の日本ではできていないとしても、当然のことをやることが、なぜ、日本の救済につながるのであろう。
ここにネットで知りえた、一つの書評を紹介しよう。 小沢氏は「日本改造論」の原点に返れといっている池田信夫氏のものである。
小沢一郎氏の出馬は民主党が、そして日本が立ち直る最後のチャンスかもしれません。日本の政治が低迷している原因は、90年代以降の世界の変化に対応して日本が大きく軌道修正しなければならないのに、自民党政権のころの「官僚丸投げ」が続いてきたことです。それに対して政治改革を実現しようとして自民党を割った小沢氏の行動は、それがたとえ党内の権力闘争に敗れた結果だったとしても、間違っていなかった。
そのとき彼の書いた『日本改造計画』は「小さな政府」をめざす理念が明確でしたが、その後の小沢氏は政局の読みを誤って自民党政権の復権を許してしまい、政党は離合集散を繰り返して、経済の低迷はますます深刻化しました。
その中でも、自由党のころまでの小沢氏は一貫していましたが、民主党との合併以降おかしくなり、最近は菅首相より社民的な路線を打ち出すようになりました。これが田中角栄以来のバラマキ路線に戻ったのだとすれば、彼に何の期待もできませんが、彼の持論が「保守二党論」であることから考えると、これも権力を取るための戦術的リップサービスかもしれない。
『改造計画』は今となっては古い面もありますが、欧米諸国は80年代以降、多かれ少なかれこうした自由主義路線に舵を切り、それに対して「第三の道」といった形で修正自由主義が出てきました。ところが日本では、民主党も自民党も「大きな政府」志向で、国民に選択肢がない。基本路線がはっきりしないまま20世紀的なバラマキ福祉を続けてきたため、財政破綻の危機が切迫しているが、それをどうしていいかわからない。
率直にいって、どんな政権でも今の「死に体」になった菅政権よりはましでしょう。これまで20年間にわたって「闇将軍」として日本の政治を混乱させてきた小沢氏を一度は首相にして、彼のやりたいようにやらせてみてもいいのではないでしょうか。小沢氏には民主党の混乱した路線を清算し、『改造計画』のころの明快な主張に戻っていただきたい。彼がそういう国家戦略の大転換を打ち出すなら、政治とカネなんて些末な問題です。
(以上)
ここで言われているように、小沢は「小さな政府」を志向する政治家である。 その目的は財政再建といいたいのであろうが、そもそも、この考え方で市場主義経済のグローバル化がもたらせた弊害を乗り切ることができるのであろうか。
「小さな政府」の発想自身、行きすぎたグローバル化で社会が疲弊し、そのために国の財政不足が生じ、それを乗り切るための為政者の身勝手な押し付けに過ぎないのではないか。
国民が「小さな政府」を望むわけがないのである。 それを如何にも国のあるべき姿のように喧伝し国民を騙そうとする資本主義の妖怪の仕業である。 小泉もこの様にして、国民に更なる疲弊をもたらせた。
政治が考えるべきは、市場主義経済が持っている格差の増大、雇用の喪失かた国民を守る術を考えることではないか。
小沢の「日本改造論」では、この様な本当の国家の改革には何も触れず、これを喧伝し、読む人間に問題意識を歪なものへ誘導する、むしろ害あるものである。 このようなものを信奉することで国の将来が得られると思っていては間違いであるのである。 根本の国民経済の問題を解決しないで、後の問題は机上の空論と化す。
我々が期待する政治は政治家は、この様なものではないのである。 その小沢は政権を取るために、子供手当てや高速道路無料化、農家の個別補償と言った「小さな政府」の構想とは相容れない政策を打ち出した。
それが破綻しても、何の手も打てないことが、そのそも小沢は矛盾していることの証明であろう。 逆に言えば「日本改造計画」は全く実情に反する内容であったということであり、その名前が示すように、田中角栄の」日本列島改造論」の姉妹編くらいの時代遅れの存在価値よりないということである。
この本を小沢のバイブルのように心にしまいこんでいえう笑止な小沢信者よ、目を覚ますべし。
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Re: 小沢一郎の政策 ( No.5 ) |
- 日時: 2011/08/10 09:27
- 名前: グッキー
- 所得税を半減して消費税を上げる??? 最低!!!
理由は欧米諸国がそうしているから。 これでは理念も思想も無い。子供の屁理屈くらいなもの。
所得税を下げて消費税を上げるとは、金持ち優遇税制であり、消費縮小政策です。デフレスパイラルで困っているのに消費を縮小させようとは、バカにも程がある。
大きな政府と小さな政府??? ひとくくりに言うが、その内容が問題です。 日本は福祉など国民に対しては、非常に小さな政府ですが、財界、官僚に対しては、非常に大きな政府なのです。 政府は大きければ良い、小さければ良いというものではない。その内容が問題なのです。
国際貢献??? 国連中心主義は分かるが、日本自身の考えが無い。責任回避、迎合主義です。 イラク、アフガンと、何の成果も無く負ける戦争に追随するのが国際貢献とはアホらしい。 日本の国益とは、国際世論を味方につけることだと理解していない。
政策的には小沢は駄目ですね。 今、問題なのは資本主義市場経済をどうとらえるかという、根幹的なことです。 そういう根幹的な問題に対し、小沢は何の考えも無い。 どちらにしろ、日本の経済は消費を拡大しなければ回転しない。 20年たってもこんな簡単な事が理解できない。
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Re: 小沢一郎の政策 ( No.6 ) |
- 日時: 2011/08/11 23:23
- 名前: 天橋立の愚痴人間
- 小沢一郎民主党元代表 講演要旨
産経 2011.8.10 17:10
民主党の小沢一郎元代表が10日国会内で開かれた同党参院議員有志の勉強会で行った講演の要旨は次の通り。
政権交代で目指したものは、旧来の官僚主導の政治から政治主導、国民主導、国民を代表する政治家主導の政治の確立で、われわれが目指した根本の考え方、理念だった。
政治家が見識と責任を持ち、その理念に従った政策決定や行動が難しいというあいまいな状況の中にあることが、今、民主党が国民から非常に厳しい視線を受けている、指摘されている最大の根本的な問題だ。
民主主義、代議制民主主義を採るほとんどの世界の国々は、ほぼイコール政党政治だ。同じ考えを持つ人たちがグループをつくって、政権を目指して国民に訴えるという形になる。政党の公約を国民に示し、国民がそれを了とすることにで、政党と国民との契約が成立し、政権が成立する。この政権公約、マニフェストは、主権者たる国民との契約だから非常に重い。
2年前の衆院選で、われわれが唱えた政治主導、国民の生活が第一という民主党の政治に国民が非常に期待をしたということが、この前の選挙の勝利の最大の要因だった。マニフェストに示された個々のいろいろな政策、個別の政策の論議、それは大事だが、国民が本当に期待した原点は何なのかということをもう一度、心に問いかけてみなければならない。
「言うは易く行うは難し」というが、そういっていたのでは政権交代した意味がない。「難しくてできない」のなら、「もう辞めなさい」という話になってしまう。だから、なんとしてもわれわれの主張、国民との約束を実現していかなければならない。
契約し、約束したからといって100%できるということはなかなかない。時間のかかるものもあれば、カネもかかるものもある。だが、政治家が、自らの責任で決断し、実行する、この姿勢と努力を常に国民に示すならば、必ず国民の支持を戻し、国民の評価がまた民主党の上に来るだろうと確信を持っている。
(引用終わり)
上記の文章をどのように捉えるかについて思いを述べましょう。 文章だけを追っていると、仲間に初心に戻ることの必要性を説いたもので最もな内容と思われる。
しかしながら、これは醜態の民主党政治2年を経た段階での仲間への呼びかけでこととすれば、如何にもノンビリ、無責任なものといえる。 この様なものを感心して聞く民主党員がいれば、それは民主党員の幼稚性を示すことと同じである。
現状が民主党存在の危機と判断できているならば、この様な一般論、概念論ではなく、今までのやり方の何処がいけなかったのか具体的に指摘し、責任を問う姿勢が必要であったのである。
今までのようなことを繰り返すと張っ倒す!と言うような恫喝があって叱るべし。 それが通るような民主党であれば見込みがないわけでもない。 あのような言葉など小沢に言われなくても判っているはずの集団に何の意味もないことである。
また文中の
「この前の選挙の勝利の最大の要因だった。マニフェストに示された個々のいろいろな政策、個別の政策の論議、それは大事だが、国民が本当に期待した原点は何なのかということをもう一度、心に問いかけてみなければならない。」
この下りを、朝日新聞は下記のような文章にかえ、
「民主党の小沢一郎元代表は8月10日、国会内で開かれた同党の当選1回参院議員主催の勉強会で講演し、2009年衆院選マニフェスト(政権公約)について「示された個別の政策は大事だが、国民が本当に期待した原点は何なのか。自分たちに問いかけないといけない」
小沢が、マニュフェストを見直す事を容認する考えを示唆した。と報道したことを問題にしているコメンテーターがいるようである。
私にとっては、朝日のように文章を書き換えなくても、朝日の主張と同じものと考える。
何となれば、マニュフェストを死守する気であれば
「国民が本当に期待した原点は何なのかということをもう一度、心に問いかけてみなければならない。」
この様な言葉を使う必要もないのである。 これは民主党のマニュフェスト自身が十分練り上げたものではなかったということの裏返しであるのである。
逆に、そんな無責任なものなら死守していただく必要もないのである。
この様に民主党の意思疎通は子供の世界のそれであり、国家国民の為に命をかけた政治家の問答ではないのである。
ああ
愚劣!
愚劣!
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