Re: 北朝鮮拉致問題 解決の「定義」議論・・・玄葉の正体 ( No.1 ) |
- 日時: 2011/09/07 03:28
- 名前: 馬鹿者の戯言 ID:RUF2DqjQ
- 北朝鮮による拉致被害者が100人以上であるかそうで無いかは、現実問題として全く判らない、が然し、今国が認定している17人に付いてはおそらく生存はしていないのではないだろうか? 若し生存していれば、北朝鮮は其れを飯の種にする意味で水面下で我が方へ何らかの接触をし、17人を取引の材料にするであろう。
其れを遣らぬところを見ると17人は既に生存していないと見るのが現実論であろう。
この問題は、どの政党が政権に就こうが今の政治家の能力に叶う問題ではなく、咽喉に刺さった魚の骨の如く時の政治家を悩ませ不得要領な対応に終始させるのである。
民主党は政権交代をした際にこの問題にケリを付ける絶好の好機を逃した。此処に民主党の限界が有り、“未熟”と言うより“不熟”の集団である事を露呈しているのである。
この問題の解決法に付いては、対北朝鮮、対国内の家族、双方に相当の根回しが必要であるので簡単に記する事は出来ないが、目下の手詰まりを改善する為には、たとえ毛ほどの可能性であっても、行動を起こすべきである。
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Re: 北朝鮮拉致問題 解決の「定義」議論・・・玄葉の正体 ( No.2 ) |
- 日時: 2011/09/07 05:32
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:eRPpiYyE
- 馬鹿者の戯言 さん、
>北朝鮮による拉致問題について「何をもって解決とするかという定義は大事な問題で、きちんと省内で検討したい」と述べた
これは、交渉のやり方を見直そうという話ではなく、貴方の言われるように自分の力で一定の解決をしたいという玄葉の思い上がりが言わせた言葉であり、そのためにゴールの設定、つまりゴールへのハードルの高さを調整しようと言う意味と考えています。
近代国家としては、例え1名であっても後へは引けない問題であり、少なくとも正面切ってハードルを下げる意思は表明できないはずです。
「何をもって解決とするかという定義は大事な問題で・・・」の言葉の意味は、ハードルを下げられないか検討しようと言う意味で、間違ってもハードルを上げる検討ではないと思います。
このハードルは、国民の生命をまもると言う国家の第一の使命に基づいており、最初から最高に高いものでなければならなかったはずです。 ただし、現実は相手があることなので、国家の意思に関わらず成果が上がっていなくてもやむを得ないこともあります。
北朝鮮が、拉致問題の解決に条件をつけてきているならば、まだしも、小泉のとき一部を認めたような動きはあっても、国家として公式に認めている訳ではなく、国家間の問題として交渉するつもりもない。
そういう状況の中、日本の政府が、勝手に自身のハードルを上げたり下げたりしている醜態は 驚くべき無能ぶり、腰抜けぶりを示している。
百歩譲って、拉致被害者はすでに高齢になっており、少しでも早期解決に何らかの譲歩を試みるとしても、その手の内を、やる前から相手に示すその無思慮ぶりは、とても1国の大臣のそれではない。
文字通り、木っ端、玄葉が小人故に舞い上がっている様を示す。 玄葉に限らず民主党の木っ端たちは、あらゆる分野で舞い上がり、舞い落ちることであろう。
柿木の終焉は、葉が落ち、実をもがれた後、数個の残り柿を宿して寒空にたたずむ。 来年の豊作を願い、残してあるものと人が言うが、やがてその実も朽ち果てる。
民主党にとって、小沢は残り柿か。 それで来年豊作が期待できるのか。
否、桃栗3年、柿8年と言うように、民主党の再建は10年かかる。 人間社会では、そんな悠著なことは許されない。
木枯らしの吹く寒空に、木っ端は全て舞い落ち、残り柿もない枯れ枝に、カラスがとまり、アホー、アホーと鳴く様が、余計に空しく想われる。
最後は、玄葉とカラスの物語となってしまいました(失礼)。
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Re: 北朝鮮拉致問題 解決の「定義」議論・・・玄葉の正体 ( No.3 ) |
- 日時: 2011/09/08 18:41
- 名前: 馬鹿者の戯言
- 北朝鮮による「拉致」の問題は、我が国の被害者家族と政府、そして六カ国会議の誰もが真実を語れず、蛇と蛙とナメクジの如く、三スクミの状態に成っている。
即ち北朝鮮は、先年の5家族開放でその他は事実無し、として強引に事件の終結を言い立てているし、日本と北朝鮮を除く四ヶ国は自分達にとっては如何でも良く、行きがかり上顔を繋いで置くだけ。さらに日本側も政府は「被害者はきっともう死亡しているに違いない」、もういい加減でこの問題から開放されたいと思っているし、家族の方も拉致被害者の生存に付いては当初の様に生存を確信しているとも思えない。
謂わば皆が建前と虚妄の中で身動きが取れない状態ではないのか?
本来此れは日本と北朝鮮の問題であるから、日本の政治家が腹を括って北朝鮮と堂々と交渉すべきであるのに、そんな度胸も能力も持ち合わせていない物ゆえ、ことを他人頼みにしてダラダラと今日まで長引かせて来た。
尚且つ、本来は自民党の政権の無責任な沿岸警備の過失が招いたものであるのに、辛うじて小泉が乗り込んだ程度で根本的な解決にはなっていない。
是の解決には思い切った方策が必要だが、其れを誰が遣るか、意気地の無い我が国の政治屋どもは全く誰も動こうとしない所にこの事件の悲劇がある。
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Re: 北朝鮮拉致問題 解決の「定義」議論・・・玄葉の正体 ( No.4 ) |
- 日時: 2011/09/08 19:13
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:xlgVngco
- http://www.asyura2.com/11/senkyo119/msg/277.html
「玄葉氏「踏まれても蹴られても」と発言 批判渦巻く─普天間返還問題(JCJふらっしゅ)」
玄葉新外相が、米軍普天間飛行場移設・返還問題をめぐり、玄葉光一郎外相が就任 インタビューで、名護市辺野古に移設するとした日米合意の県民理解について「踏ま れても蹴られても、誠心誠意県民と向き合っていくしかない」と発言。
沖縄では、各党からいっせいに批判の声があがっている。 琉球新報によると、「踏みつけようとしているのは政府であり、逆だ。踏まれても くじけず、きちんと県外を求めていく」と強調。「責任を県民になすりつける民主党 の体質が表れた」(仲村未央社民党県連書記長)、「逆立ちも甚だしい。これまで県 民は、どんな圧力にも屈せず辺野古移設反対を訴えてきた。力ずくで県民を押さえつ けようとする立場で、発言は絶対に許せない」(嘉陽宗儀共産党県議団長)、「県民 からすると理解できない表現だ」「誠心誠意、県民と向き合うと言うなら、県外移設 を求める知事はじめ多くの県民の思いを受け止めるべきだ」(上原章公明党県本幹事 長代理)などなど。
(引用終わり)
自分のことしか考えられない馬鹿は、言うこと全てが非難の的。 何もしないうちから、この様である。 最も、何かしでかすと、もっと悪い。 松下政経塾の優等生とは、こんなもの。
馬鹿は死ななきゃ直らないのだ。
万歳、万歳 日本国、外務大臣閣下!
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Re: 北朝鮮拉致問題 解決の「定義」議論・・・玄葉の正体 ( No.5 ) |
- 日時: 2011/09/08 19:24
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:xlgVngco
- 馬鹿者の戯言 さん、そうですね。
解決できようが、出来まいが、 事ある毎に思い切り北朝鮮を罵倒し続けることが先ず先決で、相手が耐え切れずこちらを向かせるように10年でも20年でもやり続けるべきでした。
交渉事は、別の方法を取っておくべきではありませんか。 自衛隊の艦艇も、たびたび北朝鮮近くで維持行動をすればよい。
北朝鮮問題に関わらず、国家の主権と言うものはこんなもの。 そんなものは、中国でも韓国でもやっているではないか。
そうしてこそ、日本が誇る科学技術も高く売れる。 何もかも丸く納め様とする、曖昧な態度が結局は何も得られない結果になる。
情けないですね。
「大和魂」と言うものを、蛮勇とより理解できないクソッタレが招いたものでしょう。
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Re: 北朝鮮拉致問題 解決の「定義」議論・・・玄葉の正体 ( No.6 ) |
- 日時: 2011/09/09 20:37
- 名前: 馬鹿者の ID:F6gsh3tI
- 天橋立の愚痴人間 殿、
貴台の投稿を色々拝見してきたが、この“大和魂”と言う文言には少なからず抵抗を覚える、ご貴殿は兎も角、我等戦中教育を受けてきた者にとっては、何かこう胡散臭いファシズム的な臭気が感じられ、この言葉に連動して“鬼畜米英、撃ちてし止まん”とか“一億一心火の玉だ”と言う国民を戦争遂行に駆り立てる、やたら悲壮感溢れる標語が思い出され、沈鬱な気分にさせられる。
同じ言うならせめて“大和心”と言うて貰えまいか? “大和心”は、国学者・本居宣長が歌に読んだ「敷島の 大和心を 人問わば 朝日に映える 山桜花」の“大和心”で、ご貴殿は是を申されて居るのでは? と推察いたします。
枝葉末節の事にかかずらわって四の五の申し上げるは、誠に僭越でありますが、是なら抵抗感少なく腹の内へ収まるのですが此の儀如何に?
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Re: 北朝鮮拉致問題 解決の「定義」議論・・・玄葉の正体 ( No.7 ) |
- 日時: 2011/09/09 22:32
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:CC3US1CU
- 馬鹿者の さん、興味を御持ちくださり、ありがとうございます。
仰っていることは、多くの皆さんから指摘されています。 大和魂スレッドは、まだ半分も書けていません。
今まで書いてきましたのは、指摘されている「大和心」と言っても良いと思います。 これを基盤に「大和魂」とは、何かと言う問題に入ろうとしています。
「大和魂」と言う言葉は、随分と偏見に満ちて使われてきて、特に明治以来、終戦まで、とんでもない意味が定着してしまいました。
私は「大和魂」の概念を、アメリカにおける「開拓者魂」のような日本の精神のバックボーンとして捉えたく思っています。
それでも、既成の概念「大和魂」は残ります。 それで、あえて、既成の概念を打ち破るために「大和魂」の旗を降ろしていません。
日本の近代における「大和魂」は不要なのです。 最後まで書き終えればご理解も頂けると思うのですが、何せ時間的に余裕がなく、何時、完成するかわかりません。
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Re: 北朝鮮拉致問題 解決の「定義」議論・・・玄葉の正体 ( No.8 ) |
- 日時: 2011/09/11 11:09
- 名前: 馬鹿者の戯言 ID:1K6XelNw
- 東洋人の、(と言っても中国人であるが)認識では、「魂」は「此の世の物ではない」と言う認識が主流であると理解する。
人が死んであの世へ行く事を「鬼界へ赴く」と言うが、この「鬼」と言う文字はこの世ではない「あの世」を現している。 故に、「人魂」(ひとだま)、「木魂」(こだま)、等の如く「この世」の向こうから来るものとしてある種の畏敬を以って認識されている。
それに比して、「心」は解剖学的にヒトの心臓の形から転じた文字で、肉体的な「心臓」及び生きた人間の「意識の在り処」という意味を持つものと理解する。
勿論、実質的には、「意識」は人間の脳細胞の中の総ての情報の集大成された物である、と言う事は理解しているが、それ故に某は「心」と言う文字を用いる事を提案したまでで、此れは飽くまで某の「独断」と「浅知恵」によるもので、この考えを押し付けるものではない。
ま、爺ィがチョイと小理屈を捏ねたまでと、笑い捨て願いたい。
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Re: 北朝鮮拉致問題 解決の「定義」議論・・・玄葉の正体 ( No.9 ) |
- 日時: 2011/09/11 14:05
- 名前: 天橋立の愚痴人間
- 馬鹿者の戯言 さん、高齢の方の「大和魂」と言う言葉に感じられる嫌悪感は、私の想像を絶するものです。
その大和魂について、もう少し説明をします。
(源氏物語から)
高き家の子として、官位爵位心にかなひ、世の中盛りにおごりならひぬれば、学問などに身を苦しめむことは、いと遠くなむおぼゆべかめる。戯れ遊びを好みて、心のままなる官爵に昇りぬれば、時に従ふ世人の、下には鼻まじろきをしつつ、追従し、けしきとりつつ従ふほどは、おのづから人とおぼえて、やむごとなきやうなれど、時移り、さるべき人に立ちおくれて、世衰ふる末には、人に軽めあなづらるるに、取るところなきことになむはべる。
なほ、才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ。
(現代語訳文)
高貴な家の子弟として、官位爵位が心にかない、世の中の栄華におごる癖がついてしまいますと、学問などで苦労するようなことは、とても縁遠いことのように思うようです。遊び事や音楽ばかりを好んで、思いのままの官爵に昇ってしまうと、時勢に従う世の人が、内心ではばかにしながら、追従し、機嫌をとりながら従っているうちは、自然とひとかどの人物らしく立派なようですが、時勢が移り、頼む人に先立たれて、運勢が衰えた末には、人に軽んじらればかにされて、取り柄とするところがないものでございます。
やはり、学問を基礎にしてこそ、「政治家としての心の働き」が世間に認められるところもしっかりしたものでございましょう。
(評論)
大和魂は、軍国主義とはまるっきり関係ない。なぜならば、大和魂のもっとも古い用例は『兄小林秀雄との対話』によると源氏物語の「乙女」のなかにあるから。
そうなると、あとで世の中から冷たく扱われて苦労する。だから何事であれ妥当な判断ができるようになるのが望ましいといえる。そこで均整のとれた感覚を、紫式部は大和魂と名づけている。
(私の意見)
「才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ」の 才(学問)もととしてこそ・・・と言うのは「大和魂」の発露の為に才が必要と言っているのであり、学問による均整のを取ることが目的ではないと思います。 かつ、前段の政治家としての処世術を「大和魂」と当てはめることも姑息に過ぎます。 それで「大和魂」には独自の概念があると思うのですが、評論では、それに触れていません。
ちなみに「大和魂」の語彙は次のようなものが説明されています。
1 世事に対応し、社会のなかでものごとを円滑に進めてゆくための常識や世間的な能力。
2 特に各種の専門的な学問・教養・技術などを社会のなかで実際に役立ててゆくための才能や手腕。
3 外国(中国)の文化や文明を享受するうえで、それと対になるべき(日本人の)常識的・日本的な対応能力。やまとごころ。
4 知的な論理や倫理ではなく、感情的な情緒や人情によってものごとを把握し、共感する能力・感受性。もののあはれ。
5複数の女性を同時に愛してしかもすべてを幸福にしうる、艶福とそれを可能にしうる恋愛生活での調整能力。いろごのみ。
6 日本民族固有(のものと考えられていた)勇敢で、潔く、特に主君・天皇に対して忠義な気性・精神性・心ばえ。(近世国学以来の新解釈)
こんなことを言っては、おこがましいのですが、私が望む「大和魂」の概念は、どれにも属していません。
次は、吉田松陰の歌です。
「かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ大和魂」
高見沢潤子の『兄小林秀雄との対話』によると、人も自分もあざむかない姿勢が大和魂である。愛国心または祖国を思う心も含まれており、大和心もおなじ意味なのだそうだ。
そうすると松陰は、自分をあざむかないことが大和魂だと理解している。さらに考えると、行動の動機が祖国愛にあることも想像できる。
これも、上記の「大和魂」の定義に沿ったものではないでしょう。
もう一つ、貴方が紹介して下さった、本居宣長の和歌です。
「敷島の 大和心を人問はば 朝日ににほふ山ざくら花」
(解説)
にほふは「匂う」。はて、この歌で「なるほどねえ」とうなづく人がいるだろうか。宣長さんは何をいいたかったのか、私にはさっぱりわからない。山ざくら花がどうしたというのだろうか。
昭和初期には、「花は桜木、男は武士」と鼓舞して、桜のようにいさぎよく散って死ぬのが日本男児であると思わせるために、わざと悪用された。
「大和こころ」と言うものを「和」とか「中庸」とかに考えるならば、ここで言う「大和こころ」はその範疇には入らず、どちらかといえば、使う目的は「大和魂」の概念と捉えるほうが適しています。
ところが、それは解説にもあるように、神道国家に都合の良い解釈を生むような程度のもので関心しません。
私が「大和魂」に拘っていますのは「大和魂」の概念を、アングロサクソン流の生き様に対比するものとして捉えたく思っているのです。
アングロサクソンの世界も、キリスト教的、倫理、道徳観はあります。 日本の大和こころ。儒教、仏教の精神に基づくものと、そんなに違いはありません。
それ以外のことを「大和魂」として捉えたいのです。 ついでに「魂」のことを仰っておられます。
>故に、「人魂」(ひとだま)、「木魂」(こだま)、等の如く「この世」の向こうから来るものとしてある種の畏敬を以って認識されている。
エジプトのピラミッド、始皇帝の陵墓など、古代人がこのことを真剣で考えていたことが解かります。 その心が、現代中国で、アラブ社会でどのように変質しているかについて、何かありましたら御教え下さい。
「大和魂」スレッドでは、各国の民情の収拾に努めています。
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