[3437] 東京オリンピックを中止するべき!<未だに開催に拘っている菅内閣の責任は、それだけで重大である>
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- 日時: 2021/05/18 17:42
- 名前: 天橋立の愚痴人間
ID:N17nPyUk
- オリンピックとは何であろうか!
を改めて問うてみたい。
オリンピックの始まりは古代ギリシャであり、紀元前776年に遡る。 当時、古代ギリシャでは都市国家間の争いが続いていて、オリンピアという領地の所有権をめぐり、隣国のピサと交戦状態でした。そればかりか感染症も流行したので、アテネの王は行き詰ってデルフィにある神殿で祈りをささげました。 すると、「争いをやめて、以前行っていた競技会を復活せよ」と神の託宣を受けました。そこで、王は、ピサと休戦し、紀元前776年にオリンピアで競技会を行いました。これが古代オリンピックの始まりと言われています。
オリンピックは神に捧げる祭典とし、祭典期間の5日間を含め前後3か月間を休戦機関とし血を流すことは禁じられていた。 また、遠くから訪れる選手や観客は、3か月という十分な期間を利用し、安全に旅をして、オリンピックを観戦することができました。 こうして競技者と旅人の安全が保証されたため、古代オリンピックは約1,200年もの長い間にわたって続けられたのです。
近代オリンピックは、クーベルタン男爵が復活させたもので、1896年のアテネ大会以来120年続いている、総合スポーツ大会である。 それは古代オリンピックと同じように平和を祈念することが第一で、同時にスポーツを通して青少年の教化をすることにある。
現在、コロナ禍の下で、東京オリンピックの開催の是非が問われて姦しい。 1年前に東京オリンピックを延期した時は、1年も経てばコロナ禍も納まり、復興の記念大会とすることが出来ると期待したものである。
しかるに、現実は世界中で1億6000万人が発病し330万人が死亡する事態となり、いまだに危機を脱していない。 我が国においても、1年前よりも深刻な状況が続いている。
戦争ではないが、このような時期に世界中から人を集め平和の祭典を行う必要性など、さらさらないばかりか、コロナ撲滅の願いに反するものである。 無観客競技にすれば安全が確保されると言っているが、そもそも、そのような状況自身がオリンピック精神に反するものである。
このような状況で東京オリンピック開催すべき理由は全くないのである。 それでも、何のために開きたいのか。
国民の中にはコロナ禍で自宅に引きこもりながら、無責任にコロナ感染の危険を承知で集まる競技者の競技をテレビで楽しみたい人間がいるが、 それでは、古代コロシアムで奴隷同士の決闘を見学する者と同じ心境でありオリンピック(平和の祭典)を楽しむものではない。
東京オリンピックを中止(辞退)する時期はすでに半年遅れてしまっている。
このようになっている原因は分かっている。 近年のオリンピックは商業主義が蔓延り、平和の祭典を名目にオリンピックで如何に儲けてやろうという思惑が支配しているのである。
これは、IOC自体もそうであるし、政府、東京都、一部の企業がオリンピックを私物化している結果である。 オリンピックを本当に平和の祭典としたいのであれば、その様な不逞の輩の意図を排除して我々自身が決定権を持つべきである。
それはすでに各種の世論調査で明確になっている(開催中止及び延期を望む者は60〜80%)。
にもかかわらず東京オリンピックの開催に拘って来た菅内閣は我が国のリーダーとしての資格はない。 もはや、東京オリンピックを開こうが、中止しようが、菅内閣は総辞職させるべきである。

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