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[410] 国会議員と学者の論戦  1
日時: 2009/12/16 21:11
名前: ミネ

かなり以前、国会議員と政治学者との議論です
政治の意義ほか 大変重要な議論がされていますので今後連載したいと思います

学者
今の政治家が公約を破り、有権者を裏切ることは良くある。

議員
しかし、そのようなことが常態化しているのに、同じ人が当選し続ける。
これは有権者が投票の際に公約破りを問題視していないことに原因がある
のであり、間接民主主義の欠陥であると考えるのは的はずれですよ。

学者
という「有権者は愚」論が単純に承認されてしまいそうですが、
公約破りを問題視していないことに原因があるのではなく、公約を破っても
罰する機関も法律も権利もないことが問題なわけです。
で、そういう処罰機関や処罰法や権利を制定するのは国会です。
議員自らが自分で自分の首を絞めるような法律や権利や機関を進んでつくる
わけがありません。議会=間接制度には自浄作用が存在しないのです。
ですから、外部の人間(議会に参画できていない多く)がそれを改変する
しかないのです。

議員
日本に健全な民主主義を定着させたいなら、やはり嘘を付く政治家を落選させる
ような民度の向上を主張するのが正論です。

学者
その「民度」を向上させるには、政治に関心が薄かったり諦めている人々を
多く政治に「直接参加」させることで、政治的意欲を向上させていくしかない
のですよ。そのためにこそ直接民主制度が必要なのだと説いているわけです。

議員
例えば、今直接民主主義で年金改革をしたら、給付の引き上げと負担削減に
なることは明白。

学者
どういう理由でそれが「明白」になるのか、根拠を提示していただきたいですね。
誰がどのような経緯で出す議案に対しても、議案の提出には結果責任を伴う必要が
あります。その場しのぎのご都合のよい議案は、審議の段階で廃棄されるでしょう。 でなければ、議案自体の中身に問題(欠陥)があるわけです。
それは議案そのものの中身の問題であって、直接民主制の問題ではありません。

議員
間接民主主義でやれば、(今の改革案が正しいかどうかは別として)曲がりなりにも 「うまく行く制度を作ろう」と、政治家が必死の努力をしています。失敗したら 政権交代につながりかねない、という危機感が責任感を生み、努力を促しているのです。

学者
危機感は選挙のときだけでしょう。終わればすぐに災禍は過ぎ去る。
本当にあなたはそのとおり現行の政治制度が運営されているのだとお考えですか?
180度正反対の運営をしているのが現行の間接政治なのですが。
で、例によってすべての負担を何ら財源の打開策なく無尽蔵に消費者に押しつける
年金法案しか提出されなかったのは、例のごとくです。これでは従来と何も
変わりませんし、何の「制度改革」がなされたとも言えません。

議員
繰り返しますが、選択が間違っていた時の責任が問われる制度は、絶対に必要なのです。 自分の選択が間違っていたときに、自分は責任を取らなければならない、と考えるから 人は真剣に選択をするのです。

学者
そのとおりです。
だからこそ直接投票に訴えて、最大多数の国民一人一人に真剣に選択を迫る。
そしてあらためて政策の問題点を修正させるのが正論でしょう。
さらに責任をとることは、問題をほったらかして辞職することではないでしょう。
道路公団のごとく、総裁が辞職しても当の問題は残るだけで、後任者が
引き継がなければならないだけです。
で、責任者はころころ変わるだけで問題は「先送り」にされつづける。
これが間接政治(というか一部独裁政治)の根本的欠陥構造の典型です。
間接政治は何も国会のみならず、あらゆる大企業の不祥事にも当てはまる
構造です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
感想がありましたら どうぞ

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国会議員と学者の論戦  2 ( No.1 )
日時: 2009/12/17 11:13
名前: ミネ

学者

たとえば
1)「年金制度は破綻している」「新たな財源が必要である」というのは
世論にも知られている前提とする。
2)そこで、どのような新たな年金制度が必要かを国民投票で決める。
たとえば、
a)財源を消費税とし、保険方式のままでいく案。
b)財源を間接税や所得税とし、税負担方式にあたらめる案。
c)財源は従来どおりすべて保険徴収とし、保険料を段階的に引き上げる案。

といった3段階に選択肢を設定し、その是非を直接投票する。
ミネ氏提案のような、自民党総裁選選挙のような方式を用いて、
議員と有権者(直接投票参加者)がそれぞれ持ち票の割り当てを決め、
トータルの得票数で決める方式でもよい。
得票数が均衡した議案については、再度決選投票を行うなど。
これなら議決過程も透明かつ効率的で、国民も納得する。

想像力がちょっと欠けているのではないかという気がしますが。
今の間接政治に多くの国民自らが責任を感じないのは、自分たちは政治をやって
いるわけではないし、政治はすべて政治家や官僚の責務で、俺たちは関係ないと
思っているからでしょう?
ところがそれを直接政治にすれば、多数が選択した法案なのだから、否が応でも
おつりは自分たちの自己責任に還ってくる。自分のせいで自分の生活が苦しめられ
たら、誰でもそれは自己責任として何とか改めるべきだという気になるでしょう。
ところが現行の間接制度だとすべてを政治家のせいにして事足れりとなってしまう。
それではいけないから、自覚を持たせるために直接投票で有権者に政治の責任意識を
向上・洗練させるわけです。
民主主義の学びの場は政治参加にこそあります。

議員

>公約破りを問題視していないことに原因があるのではなく、公約を破っても
>罰する機関も法律も権利もないことが問題なわけです。
とのことですが、公約破りを罰する制度が「選挙」そのものじゃないですか。(再選
を目指すなら・・・ですが)その制度がうまく機能していない、公約破りが投票行動
に結びついていないことが問題なのであって、公約破りを罰する制度が無いわけじゃない。

それと、有権者の民度向上のために直接に政治に参加させることが有効だ、との
ことですが、現に政治に参加している政治家のレベルを見れば、参加している人
を一般国民にまで広げたところで、有権者が今の政治家以上の民度を獲得するとは
思えないわけだから、今より良い政治が実現するかどうかは疑わしい。
反論があるならば、一般国民を政治に直接参加させることによって、今の政治家
よりも高い政治意識と責任感が生まれると考える根拠を教えてください。


恵也

>政治家のレベルを見れば、参加している人を一般国民にまで広げたところで、
>有権者が今の政治家以上の民度を獲得するとは思えない

そんなことは無い。
参加する制度を変えれば、参加してる人の民度も変わり、それがまた制度を変える
すべての物事は常に、影響しあいながら変化していくものだ。
変わらんものは全く無い!
政界ってのは一つの業界でもあるわけで、その業界の論理で
動かざるをえない場面もあったりする。
政策だの、世界情勢と日本の関連なんてことに何の見識もなくても、
地元民だの後援会だのの面倒見がいいってだけで当選してるような
やつらも多い。
国民投票はそうした業界の論理とは無関係に結果を出せるから、
より民主的な結果が得られるだろう。
一部の声の大きい少数者(団結力が強い、あるいは強い利害関係をもつ団体)
の意向で左右されない、国民大多数の意思が尊重される民主主義に
なっていくよ。


学者

>とのことですが、公約破りを罰する制度が「選挙」そのものじゃないですか。(再選
>を目指すなら・・・ですが)その制度がうまく機能していない、公約破りが投票行動
>に結びついていないことが問題なのであって、公約破りを罰する制度が無いわけじゃない。

という方便は、地方自治でもリコールがあり、最高裁裁判官も国民審査制度があるじゃないかと
いう現状肯定論と同じ結論になります。
制度がうまく機能していないのではなく、制度自体に有効な自浄作用がないのです。
第一、公約を破ったかどうかは誰がどこでどうやって(どの時点で)判断できますか?
公約を守ろうと努力したができなかった、自分は一生懸命やったと居直られれば
それで終わりでしょう。
またその議員が野党か与党かで公約の実現可能性は必然的に異なってくる。
また公約を破っても有権者がしかるべき理由を理解すれば承認されるという場合も
あるでしょう。政治はつねに固定された状況で動くものではなく、流動的だからです。
そして一人の人間がつねに同じ信念を貫くという保証はどこにもありません。
罰するといっても、具体的な刑罰を受けるわけではありませんし、議員職を停止か
再選不能にされるわけでもありません。国会議員をリコールする権利は国民には
ありません。できても敷居が高ければ機能しません。
人柄がよければ、「みそぎ」「再出発」という看板で再びその議員は再選されるでしょう。
間接政治においてあらゆる局面が当事者有利になってしまうのは当然でしょう。
自分が自分の処遇を決める法律をつくるのですから。

そんな煩わしい議論に巻き込まれずとも、公約違反とか違反でないとか言う前に、
直接提示された政策を有権者が直接投票すれば簡単なわけです。
誰の公約違反もチェックする必要はないし、おつりは自分自身に帰ってくるだけだ
からです。


>それと、有権者の民度向上のために直接に政治に参加させることが有効だ、との
>ことですが、現に政治に参加している政治家のレベルを見れば、参加している人
>を一般国民にまで広げたところで、有権者が今の政治家以上の民度を獲得するとは
>思えないわけだから、今より良い政治が実現するかどうかは疑わしい。

それを言っちゃうと論点先取で(つまり最初から結論が決まっている)堂々巡りを
繰り返すだけです。現に政治に参加している人は一般国民のごく一部でしょう。
ましてや巨大企業や労組などの団体をバックに出馬してくる人は特殊な肩書きや
地位を持った人々に限定されています。
そうではない残りの多くの人々が大勢参加する政治は、より多様な人々の多様な
利害や知識や価値観がそこに反映されるのは当然でしょう。
そして皆が参加しているんだから、俺も参加してみようという人も当然現象として
現れること、また参加してみて充実感や喜び、意欲を持つ人々が増え、次ももっと
参加しようという動機づけになることは言うまでもありません。

国会議員と学者の論戦  3 ( No.2 )
日時: 2009/12/17 11:16
名前: ミネ

学者

>反論があるならば、一般国民を政治に直接参加させることによって、今の政治家
>よりも高い政治意識と責任感が生まれると考える根拠を教えてください。

すでに前スレから、ミネさんと私が再三そのことをテーマに説得を続けてきたのですよ。
誰でも仕事を与えられて最後まで責任を持たされたら、否が応でもやり遂げようと
がんばるでしょう。そして試行錯誤でトライしていくうちに、自分なりに仕事の要領を
つかんでいき、苦労してでもやり方をマスターしていく。
新人時代のサラリーマンやアルバイターって、そんなもんじゃないの?と思うわけです。
思うに、これまで多くの日本の有権者はそういう政治を直接体験的に学ぶ機会を、学校でも
社会の現場でも奪われてきた。それを一から実践するために、OJT(オンザジョブ
トレーニング)することは、政治というお仕事に対する意識や責任感を高める唯一の機会です。



議員
私の発言(40)にレスがありましたが、相変わらず「一般国民を政治に直接参加させる
ことによって、今の政治家よりも高い政治意識と責任感が生まれると考える根拠」
がまともに答えられているようには思えません。
誰か答えられる人がいたら、教えてチョ。
ここの住人が政治にもの凄い不信感を持っていて、「それは間接民主主義のせいだ」、
「俺にやらせろ」という考えに繋がっているのはよくわかりました。
しかし、正直に自分を見つめ直して欲しいのですが、あなた方は(ネットでも公開
されている)国会議事録を読んだことがありますか?六法全書を何冊持っていますか?
国会で取り上げられるテーマ(例えば税制、年金、国防、環境、教育・・・)について
月に学術書や専門書、論文を何冊読みますか?
忙しい中で議員がどれほど勉強しているか知っていますか?
間違いなく、議員の平均レベルよりも勉強している国民は1%もいません。
そんな人たちに政治を任せた方が良いと思いますか?
飛行機の操縦桿をパイロットから奪って、乗客の投票で操縦するようなもんだな。
餅は餅屋。プロに任せた方が良いよ。


学者
>間違いなく、議員の平均レベルよりも勉強している国民は1%もいません。
>そんな人たちに政治を任せた方が良いと思いますか?

1%未満であるという数値の根拠はどこから引いてきましたか?
同じくまともに勉強している議員は数%しかいない、という見解も結構真実として
通っていますよ。ほとんどの議員は次の選挙や地元・後援者対策、党の人事や役割などに
追われていて、勉強などしている暇などないですから。
だから官僚が「俺たちのほうがはるかにプロだ、議員は黙っていろ」と天狗でのさばって
いるんでしょうが。

真の政治の専門家は在野(民間)にいます。そういう中には政治家や政治を軽蔑している
エリートも少なくないので、彼らは選挙に行くとは限りません。
しかし直接議案に意見したり、是非を決めろという直接政治には乗ってくる可能性があります。
ネットでできるのなら、なおさら期待度大です。
ミネさんの提案は、そのハーベイロードレベルの人々の参加を促そうという戦略です。
また直接制度では、国民には専門知識はそれほど必要ではありません。
政策を絞り決定するのは専門家ですから、国民には相応の判断力が求められるだけですし、
政治家であることの第一条件も、豊富な知識ではなく判断力の高さではないでしょうか。

さらに勉強していることと、それを実践し活かすこととはまったく別問題だということが一点。
さらに勉強の中身が重要であって、それが一部の主義主張に偏っており、それだけが
絶対正当であるとして議決で決定されてしまうのが議会制民主主義である、という点を
指摘しておきましょう。

>ここの住人が政治にもの凄い不信感を持っていて、「それは間接民主主義のせいだ」、
>「俺にやらせろ」という考えに繋がっているのはよくわかりました。

ただの不信感の表明ではありません。誰がどう感じようが語ろうが、その見解が常に
一部の特定勢力の多数決支配に特化されてしまうのが間接民主主義という不公正な
制度だということです。
そういう一部締め出し制度が、結局「誰が言おうがどうせ意見が通らないんだからムダ」
「誰が選ばれても政治は変わらない」と、国民の政治意識を後退させ、
政治を他人事のようにシラケさせて傍観させてしまう元凶なのだということです。

たとえば自分の言った意見が何度も新聞やTVで採用されたら、もっとがんばって
意見を書くようになるでしょう?
だから、「俺にやらせろ」と思っている人間も「ちょっとくらい意見を言いたい」程度の人も、
「あまり関心ないが」という人にも等しくすべての人々に問い質すことで、
政治参加の責任義務を共有し、意見を等しく投じることが、政治意識向上への
第一歩につながるのだというお話です。


ミネ
>「一般国民を政治に直接参加させる
>ことによって、今の政治家よりも高い政治意識と責任感が生まれると考える根拠」
> がまともに答えられているようには思えません。
> 誰か答えられる人がいたら、教えてチョ。

21日の日経18面に2400字ばかりの「裁判員」制度の意義が掲載されています

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・・・・・主要8カ国をみても刑事裁判の審理に国民が参加していないのは日本
だけである・・・裁判官が信用できないから国民が参加するわけではない。

人を裁くという重大な事柄は国民も権限と責任を分担するのが民主主義だという
共通の理解があるからだろう。

「法に命を吹き込む」という意味でも日本の刑事裁判は制度的な欠陥を持ってい

社会の価値観を裁判に吸い上げる仕組みが備わっていない。
裁判員制度は「お上の権威」をバックとする裁判から「国民の参加」を支えとす
る裁判への大きな転換である。
「裁判官と裁判員が知識・経験を共有しその成果を裁判内要に反映させる」とい
う意見書の趣旨を・・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 以上
裁判を「政治」と書き直すとまさにこれまでここのスペースに書き込んだ趣旨と
合致してくることになります

実は裁判員よりも重要なのは「議案ごとに政党を選択」できる制度が喫緊に重要
なのですが・・・・・・・

国会議員と学者の論戦  4 ( No.3 )
日時: 2009/12/17 11:20
名前: ミネ

議員

学者さん、ミネさん、恐らく感情的な反論が増えて、論理的な議論が難しくなるかと
思って、今まで控えてきましたがね、タネを明かすと私は現職の衆議院議員なの
です。勉強しているレベルが議員の平均より上の国民が1%以下と主張するのに
明確な根拠はありませんが、六法全書の売り上げ数を調べればわかるでしょう。
役所、政治家、法律家、裁判所、図書館で購入されるものをのぞけば、例えば
農林水産六法なんてものが年間百万冊も売れているとはとても思えませんよ。

学者さんは「たとえば自分の言った意見が何度も新聞やTVで採用されたら、も
っとがんばって意見を書くようになるでしょう?」とおっしゃいますが、現職の
議員は自分の意見が新聞やテレビで報道されるのですよ。直接民主主義にしたら
国民一人一人に今の政治家よりも高い政治意識が生まれるという理屈が私には
理解できません。

ミネさん、私は司法制度改革、特に裁判員制度導入についても国会で関わって
きましたから、申し上げますが、裁判と政治は違うのです。
裁判は個別の判決の是非、当否、正否について裁判官が責任を問われること
はありません。例え国民審査で裁判官が不信任されても、その人が下した判決
が覆ることはありません。判決の安定性は絶対不可侵なのです。
だから、判決を下すときに民意を導入し、それによって正当性を確保したい
のです。

しかし、政治は違います。作った法律が一度も発動されずに廃止されること
は実際にあるのです。常に試行錯誤と結果の検証を繰り返す必要性が本質的に
内在している「政治」と、一発勝負で絶対の安定性を本質とする「裁判」では
民意の導入に関する意味合いが全く異なります。

学者さん、私の立場でこういう言い方をすると真意が伝わりにくいと思いますが、
「在野の政治の専門家が直接民主主義導入により今まで白けていた積極的に政
治参加するようになって世の中が良くなる」というのは幻想ですよ。
永田町の定説では、組織化されていない無党派層有権者に限れば、投票率は
知的水準が高い人の方が高いのです。

一方、ハーベイロード民間人が政治的権力を持つ道が今でも確保されています。
民間出身大臣です。界屋太一や竹中平蔵ってことです。私は彼らの仕事の結果
はほめられたものじゃないと思いますけど、でも、良く勉強しているし、知識
も経験も国民の平均よりもはるかに上だと思いますよ。それでもあの程度なん
です。「大切なのは知識ではなく判断だ」とLPさんはおっしゃいますが、知識
も無い人に判断されたら、それこそ乗客の投票で旅客機を飛ばすようなもんです。

結果がむちゃくちゃになっても、民主的正当性を最優先に考えるなら直接民主
主義もあり得ますけど、本当に、政治はむちゃくちゃになると思いますよ。
それは、国民が無能だからではなく、責任を問われない存在は無責任な判断を
するからなんです。国民が無能だからではなく、制度に無理があるからです。

ついでに・・・
ご両人は政治家が勉強もせずに地元をウロウロして選挙対策ばかりしていることには
批判的ですよね。では、朝から晩まで別の仕事をし続けるサラリーマンが政策選択
の判断をすることは良いことなんですか?

病気を治すときに医者にかかる、家を建てるときに建築士と大工に頼む、操縦は
パイロットに任せる、餅は餅屋、専門家に任せた方が良いのですよ。
ただし、どの専門家に頼むか、それはきちんと吟味し、選択し、判断しなければ
なりません。
専門家を選び、託した後は、口出しせずに任せましょう。医者やパイロットの隣
に座ってあれこれ口を出す人はいないでしょ。

政治は、試行錯誤の連続ですから、専門家(政治家)に任期というものを定めています。
定期的に選び直せるようになっているのです。
日本では民主主義=多数決の様な誤解がまかり通っているため、一つ一つの政治判断に
多数決を導入すべきという直接民主制待望論があるのは承知していますが、古今東西、
その様な制度が存在した例はありません。何万という政治体制が生まれては消えていった
はずですが、少なくとも記録に残っている範囲では、直接民主主義は存在していないのです。
それは、直接民主主義が「今まで誰も考えつかなかったほど画期的な制度」だからではなく、
「何万という試行錯誤の中で、一つの選択肢にもなり得ないほど致命的な欠陥を抱えている」
からでしょう。
直接民主主義の方が間接民主主義よりも、本当に優れているならば、人類は何万という試行錯誤
の歴史の中で直接民主主義を試し、その利点を実感し、全世界は直接民主主義一色になっている
ことでしょう。そうなっていないということは、直接民主主義が劣った制度であるという証明
でもあるのです。

恵也

>少なくとも記録に残っている範囲では、直接民主主義は存在していないのです。

ずいぶん詭弁を使ってる。
自分でも気が付いてないようだが、直接民主主義の定義をつけてない。
貴方のいう直接民主主義とは、間接民主主義を判りやすく説明するのに理論的
に作ったもの。極小レベルは別として、国家レベルでは存在しないのが当然のこと。

直接民主主義:: 立法、行政、司法を国民が直接、討論し採決し決める主義。
間接民主主義:: 立法、行政、司法を国民が代理人を選び、決めさせる主義。

現実の世界は”間接民主主義制度に、直接民主主義を混入させて”運営している。
日本はこれが、憲法改正や最高裁判事で少しだけ混入してるが形式だけだ。
ほとんど機能していない。
スイスはその”混入の度合いが大きく”十分に機能を発揮してるだけだ。
もう少し詭弁には注意してくれ!
>直接民主主義は、あの有名なギリシャの都市国家のように「市民」が全員で
>議会に参加すること
http://www.ngy1.1st.ne.jp/~ieg/ieg/inter/vol3-2/qanda.htm


国会議員と学者の論戦  4 ( No.4 )
日時: 2009/12/17 11:21
名前: ミネ

議員
国民投票が馴染みやすい種類の法案があるのは認めます。例えば国旗・国家法なんていうのは
国民生活に殆ど影響が無い上に、精神的には大きな影響を与える。こういうものこそ、国民投票
で決めるべきだったとは思いますよ。
しかし、代議制度ってのは、国政を議論する代表を決めているわけでしょ。日本はたまたま議員
内閣制だから、内閣のメンバーを国民が直接選ぶことが出来ない、だから国民が政治から遠ざけ
られているような印象が強くなるんだろうけど、国政を議論する代表を選んでいるというのが本質
だと思いますよ。

医療のインフォームドコンセントは、治療をする医者(専門家)を選ぶ上で必要な情報を得るため
に医者に説明をさせるということでしょ。その上で、どうしても納得できない治療方針にこだわる
医者がいるなら、違う人にかかればよい。医療に関して知識が豊富とは言えない患者の判断に医者
が従うための制度じゃないでしょ。
治療を受ける患者が納得しているかどうかという、精神的な価値が重視される時代になったから、
医者が丁寧に説明するようになったというだけのことであって、基本的に医者に任せるしかないと
いう状況は変わってないと思いますよ。

学者
>現職の議員は自分の意見が新聞やテレビで報道されるのですよ。

といっても、それを視聴者がどの程度関心を持って眺めているでしょうか?
これだけの政治不信と無関心の世相です。
衆議院のインターネットTV中継は私も時々見ますが、よほど政治に関心があり、
また生活に時間的ゆとりがある視聴者以外、見ている人が多いとはとても
考えられません。

>直接民主主義にしたら国民一人一人に今の政治家よりも高い政治意識が
>生まれるという理屈が私には理解できません。

ですから、個々人がただ個人名や政党名を書くだけの政治参加を脱して、
自分の力で法案の中身を調べ、勉強して、自分が納得する法律案を選択し、
一票を投じる。そういう機会を国民全員に与えるべきだと言っているのです。
それは貴氏のような政治家にとっても、自分が関わった議員立法で決められた
政策が、それだけ多くの国民に評価される絶好の機会なのですから、
努力の甲斐が報われるというものでしょう。

>専門家を選び、託した後は、口出しせずに任せましょう。医者やパイロットの隣
>に座ってあれこれ口を出す人はいないでしょ。

正直申し上げて、専門家=エリートに任せる政治を真の政治と捉えられている議員の方は、
民主主義国家下の政治家としては議員資格喪失だと断定せざるをえません。
民主主義政治下において、政治家やエリートはあくまで国民の最大多数の要望を極力
実現するために、いわば国民の手となり足となり、下僕となって働くのが、政治家の
使命であり資質です。
その限りで、政治家はつねに国民や世論の大多数の声を反映し、その要望に答える
政治を追求するのが義務であり、自分の主張や意見を黙殺してでも「国民のロボット」
になる必要があるのです。
議員になったから何でも許される、信任されたのだとしたら、それは独裁者のおごり
でしょう。なぜなら国民は議員の政治的能力と実行力に信任したのであり、彼らが
判断する個々の政策の是非について信任したのではないからです。
憲法にある国民の意見の「代弁者(representatives)」の意味が理解されていないと
しか言いようがありません。
エリート専制は、独裁者や暴君による独裁政治と同じです。
独裁体制を国民が望むのであれば話は別ですが。

>永田町の定説では、組織化されていない無党派層有権者に限れば、投票率は
>知的水準が高い人の方が高いのです。

それは永田町という世界から見た永田町だけに通用する「定説」でしょう。
たとえば永田町ではポスターや選挙カー遊説は効果があると5割以上の候補者が
考えているというアンケートがありました。
ところが新聞の一般世論調査では、ポスターや選挙カーは1割程度しか関心が
ない、という結果が出ていました。
世間感覚と永田町感覚のズレは、投票行動意識の違いにも出ているようです。

仮に政治的関心が高い人が選挙に行くと仮定してみましょう。
しかしその理由は「他に選択肢がないから」「少しでもマシな候補者に入れざるを
得ない」という理由がほとんどです。
しかし彼ら政治的関心や意識の高い人々が、誰かに投票するのではなく、法案に
直接参政できる制度を導入した場合、直接参政のほうに回る可能性は高くはない
でしょうか?選挙に行かない人より、常時行っている無党派層の有権者が直接参政
により多く回る可能性だって高いわけです。
Re: 国会議員と学者の論戦  1 ( No.5 )
日時: 2009/12/17 14:07
名前: 北の国から

 ミネさん、たいへん詳しい書き込みありがとうございます。
先日、この「参政員」の制度についての意見を、この掲示板に書きはじめたのですが、「送信」のときに「タイムオーバー」で、いろいろやっているうちに消えてしまいました。
 そのときの論旨は。
 @ この制度は、法律論的な点、国民の民主主義、とりわけ権利意識と民度についての二つの論点から検討するということ。
 A 現行法のいわゆる「権威」をどうみるかということと、間接民主主義の「運営の問題」の考察。
 B 江戸時代あたりからの、国民の「権利意識」と「政治へのかかわり」の歴史のなかでの「直接民主主義」。そして、その「参政員」制度のもつ、国民の政治的民主主義への習熟度の向上の大きな可能性。
 という内容でした。

 今回、新しい書き込みを学ばせていただいて、Bの部分が、いっそうの可能性の部分の理解がすすみました。
Re: 国会議員と学者の論戦  1 ( No.6 )
日時: 2009/12/17 14:37
名前: 北の国から

 現職の議員さんたちが、どれだけ勉強しているのか、ということは軽視できないことではありますが、この議論の論点ではないような気がします。ただ、わたしも地方議会や、衆議院の委員会を何回か傍聴したことがありますが、委員会で質問できるようなクラスの国会議員でさえ、(当時は)「えー、あれが国会議員の議論なの?」という、的外れで、法案の本質とおよそ関係ない(官僚さんたちは、まじめな顔して答弁していたが)内容が多数でした。
 介護保険制度にしても、医療保険制度にても「六法全書」ごときをいくら勉強しても、問題を(国会議員としてのレベルで)解明できません。
 しかし、実際に「介護の認定」(継続)で、厚生労働省の通知一本で「介護認定のランクが軽くなってしまった」ということは、実際に、この制度を利用している国民や、家族ならば「一体どんなことなのか」を、生活の実際として理解しているのです。
Re: 国会議員と学者の論戦  1 ( No.7 )
日時: 2009/12/17 14:51
名前: 北の国から

 さて、論点を少し変えて、選挙(代議制民主主義)における国民の投票行動という切り口から「参政員」制度の積極的な可能性について書いてみます。
 ヨーロッパなどの占拠における投票行動が「政策」「公約」にウェイトがかかっていることに対し、日本の有権者の投票は、「地域における利害」「人間関係における利害」とともに「視聴率だけにうつつぬかしていると言われるマスコミの動向」に左右されていることは、良く知られていることです。
 国民性ということから言う人も「日本人は忘れっぽい民族」といいます。
 つまり、日本の選挙は、その管理が厳格という面はあるものの、選挙そのものを決める投票行動に、たいへんな偏りがずーっと存在しています。
 つまり、2005年の「優勢選挙」の結果を分析するまでもなく、金の力でマスコミをコントロールすれば、選挙結果そのものもある程度買えると言えるのです。
 議員にとって、法律や政策などの勉強は当然ですが、議員にとって、もっとも感心の高いことは、言うまでもなく「次の選挙に当選することです」。ところが、有権者は「まじめに勉強して、まじめに国民のことを考えて働いている」という議員を見分けるすべがないのです。
 問題は「それでいいのだ」と考えるか、それとも「こくみんは、もっと法律や政策について、日常的に関心をもつシステムを創設すること」を考えるか。ということです。
Re: 国会議員と学者の論戦  1 ( No.8 )
日時: 2009/12/17 15:12
名前: 北の国

 そもそも、ある部分の国会議員にとっては、国民は、形骸化されつつある議会制民主主義が、システムとして、いっそう民主的な制度がとりいれられて、「国民が、マスコミの報道の真偽や、国会議員が、国民のためにどんな仕事をしたのか、とか、国会の力関係によって、自分や家族の暮らしがどえ変わって言ったのか」ということに関心をもつ、ということには、まったく期待していないと思います。
しかし、日本の国民も、自分達の投票行動と、目の前で起きている事実の関係が分かると、それはたいへん大きな「政治的体験」として、国民の「自分達の一票で政治が変わることがあるんだ」と、すごい学習になっていますね。
 今年5月、暫定税率の廃止(一時)は、目の前でガソリン代が、安くなったわけです。
 このことが、その後の、政治の変化にどれだけ大きく作用したかは、計り知れませんね。
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日時: 2018/05/16 22:57
名前: 5134 ID:uDE7mKbo メールを送信する
参照: http://www.copysale.net/

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